MH tie cycles   作:アローヘッド

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再会という名の初会 二

 最初に眼前に広がったのは、石造りのごつごつした天井。

 朦朧とした意識を振り払い、僕は手をついて上体を起こした。

 視界に映ったのは、黒光りする鉄格子。かろうじて腕を通せるほどしかない狭さの間隔で、鉄棒が一列に立ち並び、暗い廊下へと続く道を塞いでいた。閉じ込められてしまったようだが、頭が状況を飲みこめていないのか、小さなため息しか出なかった。

 その鉄格子の根元。

 ここ数日で見慣れた、小さな生き物。

 

「お、起きたかニャ……」

 

 こちらを気遣わしげに見つめるロロが、鉄格子をはさんで向こう側に立ち尽くしていた。

 僕は少し苦笑した。

 もともと裏のあるように見えたロロの誘いに乗ってみれば、出くわしたのはあのハンター嫌いな男。それも、自分の都合でハンターを犯罪者にしてしまうような。

 

「ロロ、正直に答えてくれ」

 

 僕は正面からロロの目を見つめ、そう言った。

 

「お前、オレがこうなるって分かってて、ここに連れてきたんじゃないのか」

 

 ロロはうつむいて、答えを返さなかった。その反応が答えだった。

 

「……馬鹿だな、オレって」

 

 ため息混じりに言いながら、背後の石壁に背中を預ける。

 

「お前のうさん臭い誘いにちょっと期待してついていってみたらこれだ。結局、クラナさんの言う通りだったってことか」

「ごめん、ニャ」

「悪いのはのこのこついていったオレだよ。……でも」

 

 無意識に低くなる声。

 

「なんで、エステルを引き合いに出したんだ」

 

 それよりも、ロロの目的が何なのかが重要なのかもしれない。分かっていても、こう聞かずにはいられなかった。

 彼女は来ない。僕がこうなることを分かっていて、このアイルーという生き物は彼女の名前を使っただけだ。

 彼女のために怒る資格など僕には無い。それでも、その名前を僕を嵌めるためだけに利用したこのアイルーに、胸に灯った静かな憤りが抑えられなかった。

 体が勝手にロロの方へと乗り出す。

 

「お前……こんなことのために、人の過去をほじくって――!」

 

 嫌でも熱を帯びていく声に、ロロが後ろ退る――

 ――その時だった、口を開けたまま、言葉を失ったのは。

 

「へえ……」

 

 声。近づいてくる足音。ロロからではなく、廊下の向こうから。

 

「もうずいぶん会ってないのにそんなに怒ってくれるのか。びっくりしたわよ。とっくに忘れてると思ってた」

 

 それは、ずっと前に聞いた声で。けれど、くっきりと耳に残っていた声で。

 そんな、バカな。そんなはずが。

 困惑と動揺ががんじがらめになった思考をよそに、こつ、こつ、という足音が耳を叩く。

 そして『少女』は廊下の端から姿を現す。

 僕は声も出せず、唖然と見ることしかできなかった。

 豊かな栗色の長髪をそよがせながら、『少女』はロロの傍らで足を止めた。

 

「お疲れ様、ロロ」

 

 ソプラノのように高く、それでいて凜とした声が、静やかな空間に澄み渡った。

 長髪をふわりとたなびかせながら、『少女』はこちらへと首を向ける。

 その顔を見て、確かな懐古が僕の胸に去来した。ぽっかりと、口が開く。

 

「エステル……?」

「そうだよ。久しぶりね、ジョウイ」

 

 少女――エステルは膝を折りたたむようにして座り、その表情が僕の視界の中央に映った。

 確かに、目の前の女の子の容姿は、二年前のそれと違いなかった。凛としながらもどこか柔らかさを湛えた目元、緩やかに流れているようなさらさらとした長髪。少女らしい幼さは残っているものの、それなりに年をとった男性も女性もぽかんと眺めてしまいそうなほど、その顔つきは文句のつけようのない可愛さを輝かせていた。

 だが、彼女が放つ雰囲気だけが全く違う。まるで、その視線を向けられた者の体中が凍える危険な冷たさを孕んでいるような。

 呆気にとらわれている僕に構わず、エステルは言った。

 

「君の手持ち、調べさせてもらったわよ。驚いたよ、君の武器にも、防具にも。ずいぶん使い込んでいるみたいね。手入れに手入れを重ねてた跡が、あちこちで見られた」

 

 エステルの双眸が、冷ややかに眇められる。

 

「充実した武者修業を送ってたのね。……のうのうと」

 

 その顔と言葉で、僕は沈みかけていた思考を咄嗟に手繰り寄せた。かつての少女の変わり果てた姿に情けなくうろたえている自分は、押し殺すしかない。この人が何を考えているのか確かめなくては。

 大岩を頭にぶつけられた衝撃のような動揺を無理やり押し隠して、僕は言った。

 

「なんでここに?」

「君に用があるから。他に質問は?」

「仕組んでたのはお前ってことでいいのかな。オレをロロに連れてこさせて、ここに連れ込ませたのは」

「そう、私よ。ロロに協力はさせたけど、君をどんな目に遭わせるかまでは教えなかった。だから恨むなら私を恨むのをお勧めするよ」

 

 結局、ロロがこの人の名前を利用したなどという考えは浅すぎたようだ。

 

「用っていうのは、何」

「信じたくないのなら信じなくていいのよ。多分、すぐに分かるから」

「………」

「もうじき闘いが始まる。多分、この国の歴史上最大になる、人間とモンスターの争いが。当然、私も巻き込まれるだろうね。でも、残念ながら私だけじゃ生き延びられそうにないの。二年間ギルドに篭っていた男の子が助けてでもくれないとね」

「オレに協力しろって?」

 

 無言で要求するように、エステルは何の感情も無い表情を僕に向けたままだった。

 

「面白いな、お前。人をこんな目にあわせた身分で素直に受け入れてくれるなんて考えてるのか」

「私個人との言い合いは後回しにしよう。今は君の問題よ」

 

 何を言えばいいか分からず黙っていると、エステルは腰に下げていた、人の頭ほどもあるポーチを取り出した。

 

「ロロ、向こうを向いてて」

「え……?」

「いいから」

「う、うん」

 

 ロロが背を向けるのを認めると、エステルはポーチの中に手を入れた。

 

「冬場でよかったね。まだ腐敗が始まってないみたい」

 

 言って、取り出したものは……。

 視界に入った瞬間、氷のように冷たい手が僕の心臓を撫でていった。

 

「……そんなもの、どこで見つけたんだ」

「この街の付近よ」

 

 それは、ギアノスという小型モンスターをまとめるボス、ドスギアノス……その首だった。

 首の断面が布に包まれて、おぞましいことになっているだろう中身は見えない。けれど、その首自体が凄惨さを表していた。

 

「後頭部に打撃が一つ。それが致命傷だったんだろうね。触ってみる? 粉々になった頭蓋の感触が手に伝わってくるわよ。それと首を斬ったのも私じゃない。元からこんな姿で転がってたの。斬られたというより引きちぎられていたって言った方が合ってるかな」

「………」

「結局君は嵌められてここにいるわけだけど、私は嘘は言ってないわよ。ギアノスの群れがいたのは本当、大型モンスターがすぐ近くにいるのも確実ね。この街を見つけて喰い尽くすのも時間の問題だろうね。もちろん、君も含めて」

 

 エステルはドスギアノスの首をポーチに戻した。

 

「ごめんね。分かってると思うけど、君が協力してくれないなら持ち物を返してあげる気はないの。断るのならこれから君はどうなるか……分かるわね? もう一回聞くよ。君は」

 

 遮るように、僕は言った。

 

「失せなよ」

 

 これは意地じゃない。彼女が僕に協力させるために作り話を練ったというのもありえる。

 そして、何より。

 

「今のお前に手を貸しても、ろくな目にあうとは思えない」

「そっか」

 

 短くそう返すと、エステルは立ち上がり、僕を見下げる。

 

「残念。君が協力してくれるなら、利用価値が無くなるまで使い倒してから捨てようかなって思ってたけど、今ここで捨てるしかないのか」

「お前っ……」

 

 そのぞっとするほどに現実的な彼女の台詞も、自身の目的のための作り話かもしれない。だが、同時に、作り話であってくれと強く願っている自分がいた。

 僕のせいで、この人は凄惨な人生をおくることになった。元凶であるこの男は殺されても文句など言えない。

 けど、違う。こんな形での復讐なんて。

 記憶の中で息づいている、かつての人間らしい彼女に呼びかけるように、僕は声をあげた。

 

「自分が何しようとしてるのか分かってるのか? オレだけじゃない、大勢の人達まで見殺しにしようとしてるんだぞ! なのにお前は何とも思わないのか!」

 

 だが、エステルの目からは、何の感情の揺れも見られなかった。

 

「それなら言ってみて。私たちでこの街の人達を避難させる方法を。ハンターなんてろくに雇わないでお飾りのセキュリティしか設けてない街の住民に、よそ者が危険を訴えて分かってもらえる方法を」

 

 言葉が詰まる。人々の往来の中で一人、『じきにここはモンスターに襲撃されます』と訴えかける部外者。その人に街中の人々全員が耳を傾けるイメージがどうしても浮かばない。

 

「治安なんて街のお偉いさんや警備員に任せて、ただ自分の仕事や娯楽にだけ目を向ける。そんな人達によそ者の私達が何を言ったって、結果は見えてるのよ」

 

 エステルは、歩いてきた廊下へと体を向けた。この話は終わりだということを示すように。

 

「……それとね、何も悪いことだけじゃないのよ」

 

 その横顔が、ぽつりとつぶやく。

 

「一つの都市が一日で壊滅。この情報が広まったら、大勢のハンター達が動いてくれるだろうね。そして一度関わってしまった以上、以降の戦いへの参加を義務付けられても反論はできない。それに壊滅した町の中に、まだ先のある若いハンターの死体があったとすれば、絆を大切にしたがるハンターは後先考えず喜んで武器を持つだろうね」

 

 もう、何も言えない。訴えかければかけるほど、僕を落胆させるような答えしか返ってこないんだ。

 

「さようなら。せっかく会えたのに残念ね」

 

 エステルは歩き出し、だが止まった。僕と彼女との間で視線を右往左往させているロロに端正な顔を向けた。

 

「もういいよ、ロロ。こっちに来て」

「あの……この人と少し話したいんだけど、いいかニャ……?」

 

 エステルは少し考えたのか、一瞬間をおき、言った。

 

「あまり長くならないようにね。先に行ってるわよ」

 

 無機質な足音が、今度こそ薄暗い廊下に響き始める。それが遠ざかり、聞こえなくなるまで、僕はその場に座り込んでいるしかなかった。

 恐る恐る、ロロがこちらに首を向けた。

 

「……どうするニャ?」

 

 僕は目を合わせないまま、言った。

 

「ずっとオレをここに閉じ込めるわけにもいかないだろうし、今は待つ。そのうち放してくれる」

「でもっ! もし本当にモンスターが来たら、キミは――!」

「いい加減にしろ」

 

 ぽかんと口を開けたまま、こちらを見つめるロロ。構わずに僕は続ける。

 

「オレがこんな目に遭うって知らなかったといっても、お前があいつに協力したことは変わりないんだろ。なのになんで堂々と心配できるんだ」

 

 再び、ロロは戸惑った表情で目を下向けた。通りすがった人がいるなら、ひどいと責めてくるかもしれないが、僕はロロの顔を見もせずに座り込んでいるままだった。

 八つ当たりしてやるなどという、醜い感情も僕の態度にこもっているのかもしれない。けど、ロロをこの街に引き止めるわけにはいかなかった。僕を嵌める計画に協力したからこそ、このまま立ち去ろうにも立ち去れないのではないか。

 それに考えたくないが、もし本当にエステルの言った通り、大型モンスターがこの街を襲撃して、僕も何もできずに殺されたとしたら。きっと、こいつは一生引きずる。

 ここで気にするなと言っても、その台詞は錆び付いたおもりになるだけだ。それならいっそ、心の狭い奴だと思われた方がいい。

 

「お前もさっさとあいつを追いなよ。ここにいても時間の無駄だろ」

 

 ロロが顔を上げ、口を開く。けど、「行け」と僕は遮った。

 

「そばにいるだけで不愉快なんだよ。早く行け」

「……分かったニャ……」

 

 消え入りそうな声でそれだけ言うとロロはくるりと向きを変え、歩きだす。ゆっくりとした重々しい足音が、鉄格子の向こう側の廊下に虚しく響いた。やがてそれも聞こえなくなり、物寂しい静けさだけが僕の周りに横たわる。ふと気づくと、ロロに対して罪悪感を感じている自分がいて、別にあいつのことは根っこから嫌いでもなかったんじゃないか、と思った。今になって遅すぎるが。

 もう、いい。いくら考えたところで何も変わりはしない。困惑の絡み付いた思考を断ち切るように、あるいはそれから逃げるように、僕は塀に背中を預け、座り込む。

 今は願うしかない。ドスギアノスの頭蓋を粉々に粉砕し、首まで引きちぎった大型モンスターが、架空の存在であることを。そうじゃなかったとしても、この街を見逃してくれることを。

 

 

 

 

 

 結局、それは願いのまま終わったのだった。

 

 

 

 

 

 夜が更けたのか、どこからか聞こえてくる街中の喧騒が静まり返った頃、悲劇の幕が上がった。

 遠方から、身を凍らせるような雄叫びが轟く。建築物の破砕音と、住人の戸惑いの混じった悲鳴が次々とあがっていく。そして次には、人間の体を壊したような生々しい音が……それ以上は考えたくもない。

 僕は顔を歪め、両手で頭を抱えることしかできなかった。

 来てしまった。モンスターが。来ないよう祈ったところで、何も変わりはしなかった。

 戦える武器も身を守る鎧も奪われてしまっている。そもそも牢に入れられ、まともに動くことすらできない。このまま自分の番を大人しく待つしかないのか。

 鉄格子の向こうの薄暗い廊下から、けたたましい足音が聞こえ、僕は反射的に立ち上がった。しかし、それはモンスターのものではなかった。人影が鉄格子の向こうに踊り出ると、すぐさまこちらを向いた。

 

「き、君! モンスターが来た! 今開ける! すぐに逃げなさい!」

 

 言うと、即座に懐から鉄製の鍵を取り出す。

 堅苦しい制服を着た中年の男だった。看守なのだろう、逃げる前に助けに駆け付けてくれたのだ。

 胸の中に光明が指した。僕は鉄格子の元に走り寄りながら、だが、疑念を抱えていた。

 この人はエステルと何か関係があるのだろうか。あいつがこの人を無視せずに僕を牢に放り込むことは難しいはずだ。

 けど、僕はその疑問を飲み込んだ。

 今は逃げることが最優先だ。理由は理不尽なものの牢人になってしまった僕を助けに来てくれたこの人にも負担はかけられない。

 その時、胃の底を揺らすような重い音が耳に響いた。狩場で何度も耳にしたことがある、大型モンスターの足音そのものだった。

 背筋に氷塊が滑り落ちた。考えるまでもなく、敵は直ぐ側まで迫っている。

 看守も悟ったのだろう、顔が強張り、慌しい動作で鍵を錠前に挿し込んだ。

 いや、挿し込もうとした。

 すぐ横から、鼓膜を破るような轟音が破裂した。石造りの壁が無惨に粉砕され、小さな破片が散らばっていくのが分かった。

 僕は呆気に取られ、ゆっくりと音の方へ首を回した。牢部屋と牢部屋を隔てる壁に視線を遮られ、姿は認められない。

 だが、看守には見えていたのだろう。

 

「ぁ……あ……」

 

 呆けた声に僕が顔を向けると、看守は驚愕に目を見開き、時間が止まったように微動だにしていなかった。

 その看守を『敵』は視認してしまったのだろうか。

 腹の底から絞り出されたような唸り声が、辺りに響き渡る。戦慄を煽り立てるほどの殺意に満ちた声色だった。ランポスやコンガなどの小型モンスターが出すような渇いた威嚇とは比較にならない。こいつは危険だ!

 

「逃げ――!」

 

 僕の言葉はそこで途絶した。

 大岩のように巨大な黒い拳が、看守の横腹に叩き込まれた。看守は声にならない悲鳴をあげ、衝撃に体が吹き飛ばされる。

 牢を隔てる壁の向こう側に消えると、床に体が叩きつけられた音。

 僕は何も言えず、何も考えられず、ただ眺めるしかなかった。

 黒い拳の主が跳躍し、怒号をあげて看守へ飛び掛かる。

 壁の向こう側で、ぐしゃりという人体の破砕音。

 気の狂いそうな悲鳴。

 大量の血が床や壁に張り付く、びちゃびちゃという生々しい音。

 次には、耳に痛い静寂が舞い降りる。

 死んでしまった。こんな簡単に。僕を助けにきたばかりに。

 そして、次に黒い拳の主が狙うのは……。

 足音が、まるで弱者をなぶるように、ゆっくりとこちらへ向かい始める。

 心臓が痛いほどに脈打つ。迫り来る死の恐怖から逃れるように、僕は鉄格子から後ずさった。こんなことをしても何も変わらないと、頭では分かっていても。

 看守の命を蟻同然に奪ったモンスターが、鉄格子の向こうに姿を現した。

 廊下の薄暗がりの中でも鮮明に映る漆黒の体。全身を覆う隆々とした筋肉。僕に差し向けられた、血染められたような真紅の両目。

 僕は口をぽかりと開けた。各地でモンスターが引き起こしている悲劇の数々が笑い話に思えるほど、目の前の光景は僕の心を深くえぐりとっていた。

 僕は、ぽつりとその名を口にした。

 

「……ラージャン……」

 

 図鑑でしか見たことがない、絶滅すら期待されていた幻が、僕の目の前に鎮座していた。


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