MH tie cycles   作:アローヘッド

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交錯の行方は 三

 中央ギルドに戻り、イーオスの群れという脅威を報告すると、難民達に緊張が波紋のように広がっていった。

 僕はシートの上であぐらを組んだまま、周囲の人達を見回す。

 確かに皆が一様に固い面持ちだが、絶望に打ちひしがれてはいない。恐らく誰もが胸の中に一縷の希望を抱いているからだろう。それに期するように、縋るように、ほとんどの人達が宿舎を見つめていた。僕は名伏し難い複雑な胸中で同じく凝視していたが。一度はジンオウガという危機を排除したものの、また戦ってくれるかどうかは分からないのだ。

 期待に応じたかのように、宿舎のドアがゆっくりと開かれる。中から、難民達全員が縋っているだろう少女、エステルが現れた。

 ドアの手前で立ち止まり、見ている人達全員が陶然とするような爽やかな笑顔――僕からすれば裏で何か黒い思念を抱えている様相に見えるが――を繕う。耳に心地よい声音を、広場に響かせた。

 

「安心してください。早朝に私が討伐に向かいます」

 

 彼女の周囲から、静かながらも力の篭った歓喜の声。

 だが、ふとエステルの表情から笑みが消え、真剣みが刺される。次に彼女が発した言葉は、皆を静まり返らせるのに充分な宣告だった。

 

「ただ、一つお願いがあります。私と一緒に戦ってくれる意思がある方、後で私が借りている部屋を訪れて伝えてくれませんか? 武器は私がお貸しします」

 

 ハンターではない一般人への、戦場への進出という提案。僕は首を巡らすと、やはり隣の人と顔を見合わせている者があちこちで見受けられた。

 

「強要はしません。倒せなくても構いません。モンスターへの目くらまし、弾の調合等、やることは沢山あります。どれか一つだけでも協力してくれるのなら、討伐成功の大きな手助けになります」

 

 すると、集団のどこか遠くから野太い声があがった。

 

「死んじまったらどうするんだよ?」

「私がさせません」

 

 澱みなく、エステルはそう断言した。

 

「私の部屋番号は〇〇四室です。お待ちしています」

 

 締め括ると、エステルは背を向けて宿舎へと姿を消した。それを皮切りに、懊悩の混ざったざわめきが広場を濁した。少なくとも大部分の人達がモンスターと戦うことを避けたがっているのだから、無理もないだろう。

 そしてハンターである僕も、エステルと共に行く気など微塵もなかった。イーオスの群れ、さらにドスイーオスが率いているそれに僕が挑んだところで足を引っ張るだけだ。

 何より、エステルと行動を共にするなど笑う気にもなれない。僕がランポスにすら勝てなかったという情報が彼女に届いているとしたら、僕にイーオスと戦わせることは彼女にとって垂涎の機会なのかもしれない。

 別に誰一人協力しなくとも、彼女一人で充分どうにかなるだろう。心中でそう締め括った僕は、思考を放棄するようにその場に寝転がった。

 

 

 

 翌朝。

 柔らかな朝日を遮るように、緊張に張り詰めた空気が広場全体を覆っていた。会話の一つも聞こえてこない中、僕はシートに座り込んだまま、小さなブロック状の食糧、携帯食料を口に放り込む。エステルと一緒に戦う気など毛頭ないが、いざという時のために、できるだけ腹は軽くしておいたほうがいい。

 結局、少なくとも僕が就寝するまでの間、宿舎の扉を叩いた者は一人もいなかった。あとは期するとすれば女性の人達がエステルの寝室を訪れることくらいだが、やはり身体能力を考慮して尻込みしてしまった人がほとんどだと思った方がいいのだろう。そこらの男性ハンターより優秀な女性ハンターなら何度か見かけたことはあるが、やはり割合的に少なかった。

 乾いた静寂を破るように、カチャリ、と宿舎から扉の開閉音。僕の周りの人達が、待ち望んでいたかのように一様にそちらを向いた。

 だが僕は宿舎を向かず、ただ携帯食糧を咀嚼しながら床面に視線を落としたままだった。

 広場に澄み渡ったのは、やはりエステルらしき凛としながらも柔らかな声音。

 

「おはようございます。早速ですが、昨日志願しに来てくれた人が一人いました」

 

 妥当な人数だろうか。もしかしたら一人も来ないのではと思っていたが。しかし、志願したのは誰だろうか、同じハンターであるクラウスさんだろうか。

 思案しながらエステルの声に耳を傾けていると、彼女は二の句をこう繋いだ。

 

「ジョウイ君、行くわよ」

 

 僕は顔を向ける。エステルの方を。当の彼女も、こちらにぴたりと視線を据えていた。

 周りの人達がこちらを向く。釣られて、そのさらに周りの人達も。当の本人である僕は、時間が止まったかのようにその場で硬直していた。

 ふざけている。志願などしていない。一片も記憶にない。彼女と共に戦場に向かってしまえば、その時点でモンスターだけでなく彼女までもが敵になりうるのだから。

 エステルが、難民達の間を縫うようにして、こちらに歩み寄る。疑念と動揺の絡み合う心中の僕に、一歩一歩確実に近づいてくる。

 

「昨日も言った通り、準備は外でするわよ。ほら、立って」

 

 目の前で立ち止まると、僕に小さな手を差し伸べた。それを見た僕は、だがすぐに困惑を遮断してその手を取らず、エステルに冷めた視線を返す。

 

「オレが、いつ行くって言った?」

 

 すると、エステルは表情一つ変えず、周囲を見回した。

 

「気が変わって戦うのが嫌になったんなら気持ちは分かるけどね。ここの人達、許さないと思うわよ」

 

 僕も首を巡らすと、ほとんどの人達が僕に乾いた視線を貼り付けていた。行け、と一つ一つの険しい表情が無言で語っている。

 なんて理不尽な話なのだろう。恐らく難民達のほとんどが、エステルに一筋の希望や、憧憬を抱いている。だが対する僕に何か感情を持っているとすれば、それはせいぜい苛立ちくらいだろう。特に根拠がなければ彼女の言葉を真っ先に信じ、僕の言葉は一顧だにしない。

 エステルも僕の目の前から動かず、見下ろしている。恐らく僕が動かない限り、彼女もその場に佇立したままで、難民達からも大ひんしゅくを買うだけなのだろう。

 

(それならそれで……まずは人目のつかない所までついていってやるよ)

 

 僕はエステルを眇め見ると、荷物袋を手に取り、立ち上がった。

 

 

 

 昨日、ネムリ草を採取するために僕とロロが歩いた、ギルドから西に伸びる土道。その両端に沿って、木々が果てしなく続いている。泥はすっかり乾いたようで、固まった土が僕の一歩一歩を受け止める。

 そして、エステルの足も。

 クックU防具を身に着けた男性ハンターと、レイア防具を身に着けた女性ハンターが、一言も交わすことなく森の中を歩いていた。

 会話もなく、緊張の弛緩もなく、ただ殺伐とした閑散が、歩く僕達の間に横たわっている。

 僕は顔を後ろに向け、眇め見る。幸い木々が広がっているばかりで、ザディアのように追ってきている者は認められなかった。

 僕は、立ち止まった。

 それに気づいただろうエステルが、僕より数歩先で足を止め、こちらに無表情を向けた。言葉の一つも行き交わないまま、乾いた沈黙だけが続いていく。

 やがて、僕は口火を切った。

 

「よく分からないな。なんでオレを指名したんだ」

「さあ」

 

 だが、エステルは取り合わない。

 

「クラウスさんと同僚なんだろ。それならあの人と一緒に行けばいい」

「もう手遅れよ。行こ」

 

 取り付くしまもない彼女に、けれど僕は首肯を返した。

 

「お前だけでな。オレはさぼる」

 

 狩猟放棄の宣告に、エステルが目を瞬かせた。

 

「ギルドの人達、野次ってくると思うけど」

「知るかよ、そんなこと。お前が勝手にオレを指名したのがそもそもだろ。それに、オレが行ったところで足手まといになるだけさ」

 

 エステルは立ち止まったまま、僕から目を逸らし、ゆっくりと顔を正面に向けた。

 

「そっか。そんなに心配か」

「心配って、何を」

「君が私に殺される心配よ」

 

 軋んだ静寂。上方の葉が一陣の微風に揺らされ、擦れ合う。

 

「安心して。コンドラートで言ったよね、君が協力してくれるなら利用価値が無くなるまで使い倒すって。せっかく協力しなきゃいけない状況になったのに、今すぐ捨てるなんてもったいないわよ」

「へえ。協力しなかったらさっさと捨てるってことか」

 

 皮肉を込めて、僕は再び歩き出した。ならってエステルも歩を進める。もっとも、僕は協力するように見せかけるつもりであるだけで、彼女の力になる気はさらさらないが。

 まるでごく普通の日常を享受しているかのような、平坦な口調でエステルは言った。

 

「捨てられる以外にどうしてほしい? 君は難民達に愛着なんか持ってない。今も昔も同じ、ただ自分のために生きるしかないだけよ。何の目的もなく、死ぬのが怖いからハンターとして抵抗してるだけ。中央ギルドでもそんな虚しいままでいるなら、いっそのことさ」

「ジンオウガを無傷で倒せるほどの一流ハンターが、コンドラートの人達を助けようともしなかったくせに、オレを冷血扱いか。正直に言えよ。お前をあの非合法ギルドに連れて行かせたオレのことが、憎くてしょうがないんだって」

 

 僕は下を向き、肩を揺らして愉快げに笑った。

 

「オレ達じゃどんぐりの背比べにしかならないよ、エステル」

「それもそっか」

 

 冷めた言葉の応酬はそこで収まり、再び足音だけが静寂を刺す。

 血糊の付いた大木を通過し、気の遠くなるような腐敗臭を蔓延らせているアプトノスの死体には目を背け、森林を抜けて広原へ。

 地平線まで続く緑の中には生き物がおらず、ただアプトノスのものだろう血が右へと続いているだけだった。

 

「追うか」

 

 だがエステルは何も答えず、腰に手を伸ばし、角笛を取り出した。ここで音色を響かせて、モンスターを呼び込むつもりなのだろうか。

 

「こんな見晴らしのいい所だと、ますます戦えなくなるぞ」

「黙って見てろ」

 

 低く太い音色が広がり、周囲の草を揺らしていく。次には、耳に痛い静けさが広原に横たわる。

 しかし、それは束の間だった。

 

「ラッキーね。まだそこまで遠くに行ってなかったんだ」

 

 エステルの言った通り、地平線の向こうから小さな足音が間断なく殺到していた。それを聞き咎めた僕の心臓が、わずかに締め上げられる。

 

「黙って見てるよ」

 

 言うと、隣の横顔が頷いた。

 群れが姿を現す。目視、昨日よりも頭数が多いように思える。先頭で一際大きい体躯のドスイーオスが、こちらに視線を据えて疾駆していた。

 エステルはホルスターからライトボウガンを取り出し、銃口を泰然と前方に差し向ける。か細い人差し指が、黒金の引き金を絞った。

 銃火。銃弾が放たれ、凄まじい速度で広原を横切っていく。僕は必死にその道筋を目で追った。向かう先には、まだ石ころ程度の小ささにしか見えないほどの、遥か遠くを走ってくるドスイーオス。

 銃弾が正中線を描き、飛翔する。迅速に、確実にドスイーオスに迫り、とうとう狂い無く頭部のトサカに命中した。

 数拍して、爆発。真紅の体躯が勢いよく広原に転がり、土煙を巻き上げたまま動かなくなった。

 思わず僕の口が苦笑いに歪む。こんな遠い位置から確実に的を射て絶命させることができるガンナーなど、今まで見たことが無い。北方ギルドの先輩達からも。

 イーオスの群れが首領の絶命を目の当たりにして、驚愕に足を止める。しかしそれも束の間、人間などにやられるわけがなく何らかの偶然だと思ったのだろうか、再びこちらへ駆けだした。

 右方から薬室の締まる乾いた音。いつの間に再装填を済ませていたのだろうか、銃口が再度群れに向けられた。

 銃火を舞い上げ、銃弾が次々と殺到する。一つ目の弾がイーオスの頭部を貫き、二発目がその隣の頭部を穿った。

 一つ一つの弾が、確実にイーオスの頭を捉え、絶命させる。

 半数にも減った群れは、とうとうこの女性ハンターの恐ろしさを認識してしまったのだろう。尻尾を向けて、広原の向こうへ走り出した。

 隣から、エステルが言う。

 

「追うけど、君は?」

「行かない。群れから何頭かこぼれてここに来るかもしれないから見張ってる。群れはお前一人で充分だろ。オレが加勢したところで射線に割り込むだけさ」

「そ」

 

 僕の足元に、角笛が投げ出された。

 

「何かあったら呼んで」

 

 それだけ告げ、エステルは走り出す。女の子とは思えないほどの、恐ろしい速さで。背中のホルスターには、すでにライトボウガンが収められていた。

 僕はその背中を見送ると、笛を拾い上げ、辺りを見回す。だが、先程の舌を巻くような彼女の手並みが脳裏にこびりついて、目の前の景色に意識を向けられなかった。

 はっきり言って、ハンターとして僕が持つ求道心は、他の人達と比べて相当薄い方だろう。しかしあれほど見事な狙撃能力を見せ付けられると、どうしても複雑な想いが心中で入り混じってしまう。武器が違えば実力の比較もしにくくなるが、それを抜きにして双剣使いとしての僕は、どこまで彼女に及ぶのだろうか。

 彼女が敵でなければ、僕は強く触発されていたはずだというのに。彼女に殺伐とした警戒心を抱いている今、あの実力は危険なものにしか映らない。

 こういうところも未熟なのだろう、今不要なことを考えて考えて、目の前のことには集中しない癖が。

 背後の森林から葉の擦れ合う音。僕はすぐさまそちらを振り向き、笛を短く吹くと捨て、双剣を抜いた。

 真紅の体躯が三頭、森から躍り出た。群れから離れ、こちらの背後へと回り込んでいたのだろうか。馬鹿、と自分を罵り、イーオスから飛び退る。

 しかし、この距離で逃げられるわけがない。瞬く間に先頭のイーオスが僕に牙を向け、突進した。

 僕は右に跳び、その突進をかわす。すれ違いざまにその首を両断せんと右の剣を振り上げたところで、右方からさらにもう一頭が迫っていることに目を見開いた。

 

(くそ……)

 

 さらに後ろへ跳ぶ。額をイーオスの頭突きが掠める。隙をついてその胴体に走りこむ、瞬間、背中が重く強い衝撃に殴られた。背後にイーオスがいたことを失念していたのか。

 頭突きを試みたイーオスの走り去った前方に転がり込み、一つ小さなせきをしながらも、すぐに立ち上がって後ろを振り向く。三頭は容赦なくこちらに追撃せんと走りこんでいた。

 どうすれば。どうすれば奴らの攻撃をやり過ごして反撃にでられる。

 困惑に苦しむ僕に、三頭が唸り声をあげて迫り来る。

 しかし、半里まで詰め寄ったところで足が止まった。

 地鳴り。森林から。三頭が一様にそちらを向く。こちらに向かっているのだろう、地鳴りがあがる度に音量が重ねられていく。

 その地鳴りと間隔は、僕には聞き覚えのある音だった。

 

(……まさか)

 

 地鳴りの主が、碧色の巨躯が、ジンオウガが、森林から姿を現した。総身に鋭い紫電を迸らせながら。

 そんな馬鹿な、と疑問が頭の中を駆け巡った。こいつはエステルが討伐したんじゃなかったのかと。

 しかし、すぐに思い出す。北方ギルドを潰したジンオウガは二頭だった。エステルが仕留めたジンオウガがその一頭だとしたら、目の前の巨躯がもう一頭なのだろう。

 ジンオウガが、対峙する僕とイーオス三頭を悠然と見回す。状況を確認したのか、次は殺戮を始めると判じたのだろう、双角を上空に向けて咆哮した。

 裂帛の気勢が僕の全身を震わせる。イーオス三頭が、まるで恐怖心をごまかすかのように裏返った声をあげ、ジンオウガに飛び掛かった。結果は、一瞬だった。

 一頭目は前足に踏み潰され。二頭目は胸を双角に貫かれ。三頭目はジンオウガの背中から発せられた電撃に襲われ、黒焦げとなった全身から白煙を舞い上げてその場に倒れ付した。

 一瞬の惨劇を、僕は凝然と見つめていた。

 速い。中央ギルドで戦り合った一頭目よりも動きが速い。総身、特に背中に迸る紫電や、緑色に瞬く光沢――恐らくは雷光虫だろう――からして、本来より身体能力を高めているのだろう。

 ジンオウガは踏み潰した一頭目から足を離し、頭を大きく一振りして二頭目を角から抜き放った。無造作に広原を転がっていく真紅の体躯。こうして今生き残っているのは、ジンオウガと僕のみ。

 最後に残った僕という獲物を、ジンオウガがゆっくりと振り向く。歩み寄る。その総身が全てを代弁していた。

 ――ツギハオマエダ、と。


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