MH tie cycles   作:アローヘッド

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交錯の行方は 一

 一体、あいつはなんなのか。考えることにすら虚しさを感じるようになっていた。

 夕日に淡く照らされる広場の中、僕は襲い掛かってきた疲労感に流され、腕を両目に被せてシーツに寝そべっていた。ジンオウガという脅威が去ってすぐ、何の偶然か雲り空が東へと姿を消していった。

 数時間前、エステルが勝利の報告の共にジンオウガの甲殻を広場に持ち帰った時、難民達から耳朶を痛めそうなほど凄まじい歓声が湧き上がった。つい先程まで難民達を取り囲んでいた陰鬱で暗澹な空気が、一瞬で霧散していったかのようだった。

 歓声の中、だが僕は無表情で、宿舎の中へと引っ込んでいくエステルを見つめていた。僕の胸中に広がっていたのは勝利への歓喜でも安堵でもなく、疑念のみだった。

 どうして。コンドラートを見捨てたあいつが中央ギルドを救ったんだ。それにジンオウガを無傷で討伐できるほどの実力を持っているなら、ラージャンを倒せる可能性だってあったはずだ。牢部屋で会った時の彼女の言動と行動とも、何もかもが矛盾している。

 疑念を抱えたまま、雨の止んだ広場に戻り、ランポスの死体を処分して寝転がる。また彼女が僕を殺しにかかることだって考えられるというのに、危険の蔓延るギルド外に逃げられないことがひどく煩わしい。いくらなんでも人の密集してるこの場所で殺そうとするとは思えないが。

 もはや煩悶することすら億劫になり、寝転がって黙然としてるうちに今の夕方に。起きる気力も沸かず、横たわったまま談笑に耳を傾けていた。

 やはりモンスター一頭倒したところで、難民達が受けた精神的な傷が全て癒えるわけが無く、談笑にはどこか控えめな声音が混じっている。それでも意識が前向きになりつつあることは大きな前進なのだろう。

 その事実が、僕にはむしろ皮肉のように感じられる。彼女の矛盾した行動を目の当たりにしていなければ、どんなに僕も気が晴れていたことだろう。

 

「起きてるかニャ?」

 

 ふと、右から囁いてくる聞き覚えのある声に、僕は両目から腕をはがし、顔を向けた。

 

「……ああ。起きてるよ」 

 

 目の前に座っているロロが、緊張しているのか引き締まった面持ちでこちらを見つめていた。

 

「元気そうだな。コンドラートでのケガは?」

「大丈夫、モンスターの攻撃は別に当たらニャかったし、多分びっくりして気絶してただけニャ。ジョウイさんは?」

「いや、何も。ジンオウガにやられた肩もすぐ治るな。防具を着けてなかったらまずかったろうけど」

「早くよくなるといいニャ」

 

 ロロは、少しこちらに前のめりになる。

 

「それで……ボクに言っておきたいこと、色々あるんじゃないかニャ」

「当然」 

 

 その返しに、ロロは一層顔を引き締めた。

 僕は言った。

 

「助かったよ」

「へ?」

 

 一転してきょとんとするロロ。礼を言ってほしいわけではなかったようだが、それでも助かった事実は事実だ。

 

「コンドラートでオレが化け物にやられそうになった時、助けてくれただろ。それに武器も届けてくれた。そうしてくれなかったら、オレはとっくに死んでたさ」

「い、いや、ボクがキミをコンドラートに呼んだのがそもそもなんじゃないのかニャ?」

「オレがどうなるか何も知らされてなかったんだろ? 責任なんてあるもんか」

「やっぱり……牢部屋で別れ際に冷たくあたってきたのは、ボクに心置きなく逃げようって思わせてくれるためだったのかニャ?」

 

 僕は顔を前に戻す。夕空に目が覆われる。

 

「とにかく、お前には感謝してる」

「そうかニャ……なら、ボクも嬉しいニャ」

 

 会話が途切れ、妙にしんみりした雰囲気が舞い降りる。どうも背中がむず痒いので、雰囲気を払うよう切り出した。

 

「色々言いたいことって言ってたよな。他に何か?」

「それなんだけどニャ……あの、聞かなくていいのかニャ?」

「聞くって、何を……」

 

 ロロが、声を落として告げる。

 

「……エステルさんのことニャ」

 

 空気が、軋んだ。

 その名前が出てくることを、僕は心のどこかで怖がっていたのかもしれない。だから敢えて触れずにいたのかもしれない。

 欝屈としきった沈黙が、僕達の周りにたち込める。僕は何も言わず、ただ夕空に目を向けていた。

 やがて、僕は静かに起き上がり、あぐらを組んでロロを正視した。

 

「聞いて、いいのか?」

 

 問いかけに、だがロロは暗い眼差しで、ゆっくりとかぶりを振った。

 

「ごめんニャ」

「いや、別に……」

 

 このアイルーは、なんて複雑な立場に立たされているのだろう。雇い主と、その雇い主が殺そうとした相手の間に立って、板ばさみになっている。その原因の一人である彼女に、微かながら怒りさえ覚える。もう一人であり何もできない自分にも。

 確かに彼女のことは、胸を穿つほどに気がかりだ。だが、その感情に流されて問い詰めてしまえば、それだけロロを追い詰めることになるのだろう。

 

「お前はさ、あいつのこと、どう思ってる?」

 

 ロロの両目から、暗さが一瞬にして霧散する。

 

「信頼してるニャ」

 

 その口調には、確かな力が込められていた。

 

「これから、お前には何も迷惑をかけてこないって言えるか?」

「言えるニャ」

 

 決然と頷くロロ。だとしたら、何も判然としない僕には、その言葉を信じるしかない。

 

「分かった。聞きたいことはそれだけで充分」

「助かるニャ」

 

 その会話を皮切りにしたのだろう。

 ロロは顔を緩め、口を開く。

 

「そうそう、ジョウイさんとこのギルドマスターさんはどこにいるのかニャ?」

「多分、まだ元のギルドに残ってるんだろうな。色々やることがあるって言ってた」

「ボク、色々なギルドを周ったけど、部下のためにしっかり動いてくれる人だなって思ったニャ。他の所のギルドマスターがひどいってだけかもしれないけどニャ。ただ誘導尋問に引っ掛けられた時は少し怖くなったニャ……」

「あの時か。オレを指名したのは、オレの狩猟記録を知ってるからかって質問された時」

 

 僕は小さく笑った。

 

「あの人、そろそろ来てもおかしくないぞ?」

「そ、そうかニャ」

「オレを牢屋に入れたことなら弁解しておく。おっかないところもあるけど、話の分かる人だしな」

「助かるニャ……あ」

 

 突然、ロロの視線が僕の左に移った。

 僕もその視線を追い、そして広がった光景に目を伏せた。

 エステルだ。一つに結った髪をわずかにたなびかせ、宿舎へと歩いている。傍らで銀髪の男性がまとわりつき、やたら親しげに捲くし立てているが、彼女から返事の声は聞こえない。

 僕は顔を前に戻すと、ロロが複雑な面持ちで、彼女の後ろ姿を見つめていた。今どうしたがっているのか、その顔が物語っている。

 

「いいよ。行ってくれ」

 

 言うと、ロロはこちらに目を向ける。

 

「また、話そうニャ」

「ああ」

 

 ロロが前足を床面につけて、走り出す。足音に気づいたらしく、エステルは後ろを振り向いた。走り寄り、胸へと飛び込んだロロを抱きとめる。

 そのまま宿舎を向こうとして、その時、彼女の視界に僕が映ったのだろう。振り向きざまに、お互いの目が合った。

 だが、それだけだった。三秒と経たずに彼女は顔を宿舎に向け、歩き出す。

 夕日によって山吹色に染まる広場の中、僕はずっと彼女の後姿を見守っていた。彼女の傍らで、銀髪の男性が物欲しそうにエステルとロロとを見比べている。

 エステルは男性に小さく頭を下げると、宿舎の中へと姿を消した。

 一人になった僕は、シートに横たわり、ため息を一つ吐く。その吐き出しは自分が思っていたよりもか細く、弱々しかった。

 

 

 

 柔らかな朝日のもと、朝食にありついている難民達の間を、僕は具入りのスープを乗せた板張りの盆を持って歩いていた。宿舎の前で食事を振舞っている給食係の人達から施しをもらったところだった。四方からまばらに聞こえる談笑が、広場にいくらかの明るさを灯している。

 自前のシートに着き、座り込んで目下に盆を置く。木製のさじで具を掬ったところで、しかし横から声が挟み込まれた。

 

「おい、それよこせよ」

 

 不快な甲高さのある声音に顔を向けると、あの小柄の銀髪がこちらにニヤついた顔を向けて歩いていた。左右には威圧的な視線の成人男性が四人、肩を並べている。大方、エステルと比べて役に立たない僕に苛立っていた人達を集ったのだろう。

 まるで子供が不良の集団に絡まれたような図だった。胸にちくりと恐さが刺すが、顔には出していられない。

 

「そちらの食事は?」

「食った。それがなんだ?」

 

 柄の悪い男達五人が、僕の前で立ち止まる。

 

「ハンターなんだろ? だったらモンスターでも狩って肉剥ぎ取ればいいだろ。ああ、ランポスすら倒せないんだっけ?」

 

 かみ殺した笑いが、他四人から漏れる。気づけば談笑の声は静まり返っていたが、こちらに目を向ける者はいなかった。見て見ぬふりを決め込んでいるのだろう。

 

「まあ、それはお前が悪いな。分かったらさっさとよこせ」

 

 銀髪がこちらへさらに一歩踏み込んだところで、

 

「ザディアさんよ、いい年してやることが子供じみてるぞ」

 

 横から、クラウスさんがこちらの加勢に割り込んだ。ザディアと呼ばれた銀髪は、クラウスさんに煙たげな目を向けた。

 

「お前は関係ねえだろ。引っ込んでろよ」

「関係ないって、お前からくだらないこと始めたくせに都合の悪いことに関しては理由つけて払おうとするのな。なっさけない」

「……なんだと?」

 

 ザディアがまた一歩、僕達へ詰め寄った。

 

「いい度胸だなガキ。頭数考えて生意気な口叩いてるのか?」

 

 その口調には、静かな激憤が窺えた。

 クラウスさんが僕に寄り、囁く。

 

「……どうする? 一般人相手なら充分やれるぞ?」

 

 僕は返した。

 

「……悪い。味方してくれたのはありがたいけど、やめておく」

「えっ……」

 

 僕は盆を両手に取り、立ち上がると、ザディアに差し出した。ザディアが意地悪い笑みを浮かべ、受け取る。

 

「いい子だ。クラウス君よ、こいつに感謝しとけよ。渡さなかったらどうなってたか分からないほど馬鹿じゃねえだろ?」

 

 口を小さく開けて僕を見つめるクラウスさんをよそに、ザディアが「おい、行くぞ」と告げ、四人と共に歩き出す。中央ギルドの正門に向かって、僕達から離れていく。

 正門をくぐったところで、クラウスさんが険しい様相で口を開いた。

 

「何やってるんだよ!? あんな奴らにくれてやる理由なんかないだろ!」

「オレだって苛立ってるよ。けど、一応オレも体を張る職業に就いてるだろ。食料なら元のギルドからそれなりに持ってきてるし、無駄な怪我なんて避けた方がいい」

 

 何より、これ以上頭痛の種を増やしたくない。

 

「だからって言いなりになってたら、明日もその明後日も飯とられちまうぞ!?」

「人目のつかない所で食べるよ」

「お前なっ……」

 

 クラウスさんが大きくため息をつくが、諦めたのかそれ以上は言及しなかった。僕は荷物袋から小さなブロック型の食べ物、携帯食料を取り出し、口に放り込む。これは狩場のベースキャンプによく支給されるもので、味気の無い食事だが、栄養面では文句のないものだった。

 正門を見やると、五人の姿はすでに消えていた。

 僕はクラウスさんに言った。

 

「……ただあいつ、外に食事なんか持っていって何がしたいんだろうな」

「確かに、不自然だな」

「オレ、ちょっと見てくる」

「待てよ。俺も行く」

 

 二人して五人のあとを追うよう、正門へ歩き出した。

 

 

 

 木々の中を、僕達は肩を並べて進み続ける。泥面はまだ乾くこともなく、五人の男達の足跡をしっかりと残していた。五人が帰る際に、僕達の足跡に気付くかもしれないが、さっさと戻って難民達に混じり、詰問されてもしらばっくれればいい。

 

「そういえば」

 

 僕は左を歩くクラウスさんにそう声をかけた。

 

「昨日、アイルーが……あの女の子のハンターに荷物を届けに行く時、クラウスさん、オレを宿舎に引っ張っていったよな。ずいぶんアイルーに協力的な感じだったけど、何か関係でも?」

 

 すると、クラウスさんが目を泳がせた。

 

「実はあのハンター、エステルっていうんだけどさ……知り合いなんだ」

「………」

 

 その返答に、胸中で猜疑が靄のように広がった。あいつと関わりがあるとしたら、一体僕はこの人をどこまで信じていいのだろうか。彼女の思惑を知っているのか、彼女の味方なのか。

 無表情の裏で訝しんでいる僕に、クラウスさんは続ける。

 

「それであのアイルー、エステルが雇ってる子でさ。自然と俺と知り合った。ロロって名前だ。ジンオウガがギルドに迫ってくるのを見て、発光弾をあげたあと、すぐエステルとロロのもとに行ったんだ。そこでどう対処するか相談してた」

 

 クラウスさんが、なぜか楽しげな笑顔になる。

 

「こんな時に言うのも我ながら不純だけど、エステルって可愛いよな」

「………」

「しかも年下のくせに俺なんかよりめちゃくちゃ強いんだ。超速射っていうの、俺もあいつのボウガンで試してみたけど肩が外れちまいそうですぐ放り投げちゃったよ。まだ十六歳なんだぞ? ギルドで初めて会ってから、日に日にあいつに惹かれていったよ」

 

 ぴたり、と足が止まった。

 ギルド。その単語に、全身の血流が一瞬にして固まったかのようだった。

 足を止めた僕に、クラウスさんがきょとんと振り返る。

 

「おい、どうした?」

「ギルド……だって?」

「え……」

 

 僕の態度に、クラウスさんは悟ってしまったのだろうか。エステルの所属していたギルドがどんな所か、僕が知っているのではないかと。それ故に、クラウスさん自身の所属ギルドもばれてしまったのではと。

 両者の間の空気が固まった瞬間、

 

「よう、嬢ちゃん」

 

 突如クラウスさんの向こうから、甲高い声が二人に割り込んだ。クラウスさんが咄嗟に身を隠すよう低くして、静かに歩き出す。ギルドについての話は避けたいのだろう。

 僕としても気になるが、知ったところで何かできるというわけでもない。同じように上体を低くしてあとを追った。

 クラウスさんが立ち止まり、すぐ右の藪を覗き込む。僕もならって目を向けた。

 見えたものは、大木を背後に佇立しているエステル。なんと見下げ果てた図か、その彼女の前左右を男五人が取り囲んでいた。

 ただごとではない状況を、エステルも分かっているのだろうか。気だるげな半目で、大木に寄りかかって腕を組み、五人の真ん中に立つザディアを見据えていた。面倒臭い、と全身が代弁しているようだ。

 

「とりあえず、様子見しよう」

 

 どちらの味方にも立てない僕が囁くと、クラウスさんは小さく首肯してくれた。

 ザディアが馴れ馴れしい笑顔で、一歩近寄る。

 

「こんな所で何やってたんだ?」

「ただ地形を調べてるだけですよ。それより用は?」

「まあ、そう警戒すんなって」

 

 ザディアは両手に持っていた、僕から奪っていった盆をエステルに差し出した。

 

「昨日の礼だよ。俺の分の飯だ。食べてくれよ」

 

 苦笑いに、僕の口端が小さく吊りあがる。

 エステルはそれを受け取り、地面に置くと、だがさじも取らずザディアを正視する。

 

「それで、用は」

 

 うんざりした声に、ザディアは冷笑し、声を落として言った。

 

「なあ、俺達と一緒に逃げようぜ」

 

 エステルは、黙然と見返す。

 

「昨日まで俺達は八方塞がりだったんだ。ギルドの外に出たところでモンスターに見つかって喰われるだけだし、だからといって中に残ってもいずれモンスターに見つかっちまう。強いハンターでもいなくちゃ逃げられないんだ。そこでお前の登場だ。お前は強いよ。あのランポスも倒せねえガキよかめちゃくちゃ強い」

「どうも」

「だがな、モンスター一頭倒したって、まだ国中にうじゃうじゃ残ってるんだ。そいつら全員を相手にするなんて嫌だろ? お前にだって幸せを求める権利くらいある。どうだ、俺達と一緒に国外に逃げねえか? そのあとの生活なら俺達が保証するぜ?」

「どうやって?」

「おいおい、俺を知らないのかい? コンドラートってでかい街で町長やってたんだ。この若さでだぜ? どんな所からでも欲しがられるような人材さ。いい職就いて、思う存分お前にうまいもん食わせてやるよ」

 

 エステルは、愛苦しい笑みを浮かべる。陶然としてしまったらしく、ザディアが目を剥いて、口端を大きくひん曲げた。

 エステルは言った。

 

「見栄っ張りは好きじゃないですよ、ザディアさん。あなたは町長じゃなくて保安検査係員をやっていました」

 

 瞬時に、呆けた顔になるザディア。左右の四人が隣と顔を見合わせる。

 

「しかも大のハンター嫌いのようで、街を訪れたハンター達を、荷物検査で一人残らず牢屋に入れていたらしいですね。私はこの国はろくでもないと思っていますけど、そんな人が町長になれるほど落ちぶれてはいないと思いますよ」

「なんで……知ってる……?」

「たまたまです。私も装備を隠してしばらくその街で寝泊りしていました」

 

 ザディアはたじろぐが、すぐに真剣な様相になる。

 

「そんなことはいい! とにかくお前は子供なんだから、安定した収入をもらえる人が必要だろ! 俺達がそれになるって言ってんだよ!」

「結構です」

「なっ……」

 

 たちまち、ザディアの顔が赤に染まった。だが、負けじと口角に泡を出す勢いで捲くし立てる。

 

「分かってんのか!? せっかく生き延びるチャンスなんだぞ!? 確かにお前のおかげであの難民どもは少しは元気になったけどな、まだまだモンスターは馬鹿みたいにいるんだぞ!! そこから逃げ出して助かるチャンスなんだぞ!!」

 

 エステルは真顔になり、答えた。

 

「興味ありません」

 

 ザディアが口を開けたまま、言葉を止める。

 

「……今、なんて?」

「興味がないって言ったんです。私は一緒には行きません。そもそも、見知らない男達と寝床を一緒にする女性なんてそうそういません。逃げたいならあなた方だけで逃げる。野垂れ死ぬしかないなら私はここで野垂れ死ぬ。それだけです」

 

 喋れないまま、口をぱくぱくとさせるザディア。エステルは僕達から向こう側、左に体を向けた。並んでいる五人の隙間に。

 

「そろそろ失礼します。地形の調査が終わってないので」

 

 歩き出したところで、しかしザディアは右手をあげた。それが合図なのか、エステルから一番近い男が彼女の目前に飛び出して、道を塞いだ。エステルが立ち止まる。

 ザディアは気味の悪い笑いを漏らし、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……分かったよ。俺達には一切協力しないわけだ。だったらもう、やることは一つしか残されてねえ」

 

 ザディアは意地悪い笑みを顔面に貼りつかせて、エステルの足元に視線をおくる。それから腿へ、腰へ、胸へ、首筋へと。今あの男が何を考えているのか、常識には疎い方の僕にも伝わってきた。

 エステルは無表情で、ザディアに顔を向ける。

 

「恨むんなら、そんな上玉な女に生まれちまった自分を恨めよ……やれ!!」

 

 声を上げ、ザディアがエステルに襲い掛かる。他四人も包囲網を狭め始めた。

 しかし、四人はすぐに足を止めた。

 エステルから右腕が一閃し、ザディアの顎を打ち抜いたのだ。

 

「おっ……がっ……」

 

 ザディアが両手で口を押さえ、地面に膝を落とす。両手から、血のしずくが滴り落ちている。彼女の一撃で、口内をしこたま切ってしまったのだろう。

 四人が呆然と、ザディアを見下ろしている。ザディアは口から両手をはがし、四人を見回して、血を撒き散らしながら聞き取れないことを喚いた。

 しかし、四人はザディアの妄執が伝わってきたらしく、慌ててエステルに襲い掛かる。

 だが、エステルは難なく四人の間をくぐり抜け、後ろへ回り込んだ。彼女から手前の一人が、裏返った声をあげてエステルの肩に掴みかかる。エステルは腰を落としてかわすと同時、右ひじをその一人の腹に突き入れた。

 男は目を飛び出んばかりに剥いて、うめき声を漏らして膝をつく。口から夥しい唾液が吐き出され、地面に吸い込まれる。

 それを見た男達は、今度こそ顔を青ざめさせて、動きを止めた。ザディアが喚くが、従わない。

 その様子に、戦闘意欲を失ったと判断したのだろう。エステルは再び向こうへと歩き出した。誰にも止められず、遠ざかっていく。三メートルほど離れたところで、エステルは振り向き、地面に置かれた盆を指差した。その表情は、不敵ともとれる心無し弾んだ笑顔だった。

 

「誰からぶんどってきたのか知らないけど、その食事、しっかり返しておいてね。あと、次からやめておいた方がいいわよ。もっとひどい目に遭いたいなら止めないけどね」

 

 少女から男性への言い放ちに、反論する者はおらず、一様に地面を向いたままだった。エステルはそのまま遠ざかり、木々の向こうに消えた。

 緊張が解かれたのか、クラウスさんが息を漏らして、こちらを向いた。

 

「……な? 色々ととんでもないだろ」

 

 僕は黙している五人を見つめたまま、小さく頷いた。

 本当に色々ととんでもない。ハンターとしての彼女も、男五人に囲まれても動じずに返り討ちにした彼女も、そして……あっさりと野垂れ死ぬなら野垂れ死ぬと告げた彼女も。どういう意味を込めて、そんなことを言い放ったのか。

 クラウスさんが僕を向いた。

 

「ちょっとあいつと話してくるけどさ、お前どうする? 来るか?」

「いや、オレは戻るよ」

 

 来たところで、何になるのだろう。

 クラウスさんの目が瞬かれる。

 

「いい機会だけどなあ……まあいいか。気をつけて戻れよ」

「ああ」

 

 僕はクラウスさんに背を向けて立ち上がり、歩き出した。野垂れ死ぬという彼女の言葉に、何も意識を向けないよう心がけて。一人、帰路を歩き続けた。


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