外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

51 / 91
自分の居場所

 

 

 ――二回戦、そよ風高校との試合が始まるより数日前。

 

 それは、恋々高校の一回戦が終わった日こと。

 二人の野球少女が交わした電話の内容である。

 

『署名運動?』

『うん。女子選手の参加を運営に認めてもらう為にって、小波君達が気を効かせてウチの野球部みんなでやってたみたいなんだ。……ボクに内緒で』

『そんなことが……』

 

 署名運動――それは個人や団体が何らかの社会問題や政策に反対したり法令の改正や制定を求める際、その意見に同意する者の名前を集め、問題のある会社、政府、都道府県等に提出する運動のことである。この場合、提出する相手は高校野球連盟になるだろう。電話の相手であるあおいすらも恋々高校の野球部員達がそれを行っていたと知ったのはつい最近のことらしく、星菜にとってはもちろん初耳の情報であり、そのような運動が自分の知らぬ間に行われていたことに大層驚くことになった。

 女子選手の公式戦出場禁止という高校野球の規定その物に立ち向かう――それがどれほど茨の道かは、もはや語るまでもないだろう。

 

『しかし……運営の返事はどうなったのですか?』

 

 答えは問うまでもなくわかりきっていたが、星菜はほんの少しだけ期待する思いがあったのか気付けばそんな質問をしていた。

 しかし高校野球の長い歴史の中でそう言った署名運動は過去にもあった事例だろうし、大会の運営側はその度に首を横に振ってきた筈だ。

 そもそもそのような要望が通れば新聞の一面へと大々的に掲載されるのは確実であり、今頃はテレビでも多く報道されている筈だ。ここ最近のメディアにそう言った動きが無い時点で、彼らの署名の結果がどうなったかは既に明白だった。

 

『それが、返ってこなかったんだ』

 

 しかし早川あおいが返したのは、星菜の予想の斜め上を行くものだった。

 

『署名は結構集まったみたいなんだけどね……向こうはウンともスンとも、反応すらしてくれなかったんだ。大会が始まってからも今まで、ずっとね』

 

 可決とも否決とも言われることがないまま、署名運動自体が始めから無かったかのように完全に無視を決め込まれてしまった。

 大会運営側としては、聞く耳すら持ちたくないということなのだろうか。

 

『……真面目に取り合ってくれなかったのでしょうね、ご老人方は』

『悔しいけど、そういうことなんだろうね。だから思い切って強行しちゃったってわけ。メンバーの登録も「あおい」って名前の男の子も今時は普通に居るし、勘違いしてくれたのか案外すんなり通ったよ』

『そんな、簡単に言えることでは……』

 

 しかしだからと言って、星菜には無理を押して強行策に出た恋々高校を擁護することは出来なかった。

 後になって考えれば、この時星菜は自分が延々と悩んでいることをこうもあっさりと乗り越えてみせようとするあおいの強さに、幾分嫉妬していたのかもしれない。

 

『ボクも最初は断ったんだけどね。こればかりはホント、下手したらボクのせいで出場停止になるかもしれない問題だから』

『それを……それをわかっていて、どうして!』

 

 返されたあおいの言葉に、自然と語尾が荒くなってしまう。

 女性選手である自分が出場することでチームメイト全員に迷惑を掛けることになる可能性もわかっていて尚、彼女は出場を強行した。その行動は星菜の目から見て、自分以外の者の都合を顧みない身勝手な行動にも映ったのだ。

 星菜の言葉に対しあおいはその自覚があるのか決まりが悪そうに、しかし自身の言い分は最後まで通した。

 

『返事が来なかったってことは、受け取り方次第では許可が下りたと受け取ることが出来る。だからボクが出場した結果チームが今後の大会に出られなくなったとしても、その時僕達が恨むのは無責任な運営だけで、絶対に誰も君を恨むことはない。だから安心して投げてくれ……そう言って、みんなが背中を押してくれたんだ』

『小波先輩……』

 

 無茶苦茶な理論だ、と星菜は思う。だが、そんなことは言った本人である小波ら恋々高校野球部員達も承知の上だろう。

 それでも、無理を通してでも彼らは早川あおいを公式戦に出場させたかったのだ。温かい、まるで青春ドラマのような話だと星菜は思った。どうやら彼女は、星菜が思っていた以上に周りから愛されていたようだ。

 そして早川あおいは、そうやって愛されているだけの人間でもなかった。

 

『「エースは君しか居ない」なんて、面と向かってそんなことを言われて閉じこもっていられる? 少なくともボクには無理だったよ。マウンドはボクの居場所なんだ。……だから投げたんだって言えば、言い訳になっちゃうのかな』

 

 誰からも愛される人間でありながら、常に自分の信念を持って行動している。

 眩しくて、女子選手として理想的な姿だと思う。だが同じ女子選手であっても泉星菜には、やはり彼女のようにはなれなかった。

 

『温情で規定は覆りません……結局、私達女子選手の出場が認められることはありませんよ』

『そうなったら、ソフトボールの世界か女子野球の世界に……ううん、やっぱりボクはこのままだろうね』

 

 女子選手の今後について最悪にして最も可能性の高いケースを想定した質問をすれば、あおいからは間も空けずにそんな言葉が返ってきた。だがそれは、星菜にとって聞く前から予想の出来た答えだった。

 目の前の現実に徹底的に叩きのめされたその時は、潔く高校野球界から身を引く。そんな器用なことが出来る人間ならば、彼女とて始めからこのような道は歩んでいないだろう。

 彼女にとっては愚問すぎたかと、星菜は携帯電話を通した己の質問に苦笑を浮かべる。

 

『星菜ちゃんは?』

 

 一方で、彼女の方から自分が問い返されることは頭に無かった。

 しかし仮にその可能性を事前に想定していたとしても、星菜にはその質問に答えることは出来なかっただろう。返すことの出来る言葉が、何一つ見つからなかったのだから。

 

『……私は最初から、諦めていますから。このままマネージャーを兼任して、バッティングピッチャーをやっていても……』

『ウソだってわかるよ、その声は』

 

 苦し紛れに言ってみれば、一瞬で心の内を見抜かれた。同じ女子選手同士、彼女にはわかってしまうのだろう。

 

『ボクは恋々高校のエース、早川あおい。君は?』

『背番号すら持っていない、自称選手の……』

『違うよ! ボクが聞きたいのはそんな言葉じゃない!』

 

 星菜にとって答え難い質問だと知っていても、答えなければならないことだと理解してそう訊いてくる彼女は、やはり良い先輩だと思う。何度目になるか数えてもいないが、星菜は彼女ともっと早くに出会えていたらと悔やんだ。

 

『今の自分のままじゃ駄目だと思ってるから、そんな風に辛そうな声になるんだよ』

『……私は、今の自分を肯定出来ません……』

『なら、どうする?』

『私は……』

 

 彼女のように、胸を張ってマウンドが自分の居場所だと――そう言える強さが欲しい。

 たった一人の親友と別れたその時から、星菜は自分自身を肯定出来なくなっていた。

 自分の存在に大した価値を見出すことが出来ず、気付けば奪ってでも欲しいと思えるような居場所も、気概も無くなっていた。

 

 ――私は、どこに居るんだろう?

 

 そこから先を考えれば涙ばかりが溢れてきて、言葉にならなかった。

 答えは結局、分からずじまいだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今でも、後悔はしてないよ」

 

 向かい側の席に座るあおいが、晴れやかとまでは行かないが落ち込んでもいない様子で言った。

 一日の部活動が終わり、帰路に着こうとしたその時。星菜はあおいから待ち合わせの電話を貰い、いつだったか彼女と行ったことのあるファミリーレストランを訪れていた。

 あおいとは通学している高校は近くないが、その日の気分で共に時間の都合が合った時などはこうして共に夕食を摂ることが何度かある。時々彼女の友人である恋々高校のマネージャー「七瀬はるか」が同席することもあるが、この日はあおいと星菜の二人きりであった。

 二人だけでこう言った時間を取れる程度には、彼女とはそれなりに親睦は深まっていると言えるのだろうか。親友と疎遠になって以降そこまで友人と深い仲になることが無かった星菜には、少々判断しかねる事柄であった。

 

「……自分が出場した為にチームの二回戦以降の試合が無くなってしまっても、今の貴方に後悔は無いと?」

「そう言われると辛いけど……なんだか最近、星菜ちゃん厳しいね」

「そうですか?」

「うん。前はもっとこう、迷子の子猫みたいだったけど、今はなんか反抗期の猫みたい」

「どうあっても人間にはなれませんか。そうですね、自分がどういう人間なのかもわからないような人は、猫呼ばわりで十分ですね」

「いやその、ごめんね? 悪気は無かったのよ」

 

 最近はお互いの近況以外にも話すことが増えてきて、星菜の話す口調も星菜自身が意識せずとも素に近いものとなっている。あおいにとって星菜が出会った当初よりも遠慮が無くなったことは良いことなのか悪いことなのかわからないが、星菜としては現状の態度が彼女を不快にさせるようであればすぐにでも元に戻すつもりではあった。

 

「……こちらこそ言葉を荒くしてすみません。少し気が立っていたので、あおい先輩に当たってしまったようです」

「ん? 何か嫌なことでもあったの?」

「嫌なことと言うわけではないんですが、先輩達のことを心配していた自分は何様だったのでしょうかと自己嫌悪に」

「ああ、波輪君のこと」

「あおい先輩のこともです」

「あはは、心配してくれてたんだ。すぐに連絡しなくてごめんね」

 

 行き止まりにぶつかってからどうすれば良いかわからず、立ち止まり続けていた五月までの自分。

 六月からは漠然と自分の進むべき道が見えたような気がしたが、この七月に起きた波輪の故障とあおいの登板による恋々高校の出場停止という事件でまたわからなくなってしまった。

 だと言うのに、事件の渦中に居た筈の二人の人物は然程思いつめている様子ではない。無論星菜の見ていないところで苦しみもしたのだろうが、数日の間ですぐに再起動を果たし、今も自分の信じた道を再び進もうとしている。

 

 ――彼女らと自分の強さの差は、一体どこから来ているのだろうか?

 

 そのことに苛立っているのは単に拗ねているだけだと星菜はわかっているが、それでも家の中のようにリラックスした精神状態であれば愚痴を溢さずには居られなかった。

 

「……恋々高校は、今後どうするおつもりですか?」

 

 自分の態度が招いてしまった気まずい場の空気に居た堪れなくなった星菜は、話題を変えるべく今回問いたかった本題とも言える質問をぶつけてみた。

 それに対し、あおいが大方予想通りの言葉を返す。

 

「認めてもらうまで署名を続けるつもりだって。小波君や奥居君も、みんなしてそう言っているよ。今度はボクも運動に参加しないとね」

「あおい先輩は、本当に慕われているんですね……」

 

 恋々高校の野球部員は皆、一人の野球少女の為に自主的に署名運動に取り組んだ男達だ。今回大会の出場停止処分を受けた程度では、やはりあおいの出場を諦めなかったようだ。

 主将からして諦めの悪い男が務めているのだ。処分を受けたところで逆に闘志を燃やしている姿が容易に想像出来てしまう。普段は澄ました顔をしているが、小波大也の本質は波輪風郎同様に熱血漢なのである。

 彼だけでなく他の部員達にも慕われているのは、誰よりも努力に打ち込んでいるあおいの姿を普段からその目で見ているからだろう。

 

 ――そう言うと、あおいが気になる言葉を返してきた。

 

「君だって、他人事じゃないでしょ」

「えっ?」

 

 その時は一瞬、何を言っているのかわからなかった。

 

「でもあの時は驚いたなぁ……竹ノ子高校の一年生がいきなり野球部に訪ねてきて、「署名運動に参加させてください」なんて頼んできたのは」

 

 何のことを話しているのか、星菜にはわからなかった。

 

「聞けば中学校時代の小波君の後輩で、星菜ちゃんとはチームメイトだったって言うんだもん。だから納得しちゃった。この子は星菜ちゃんの為に、星菜ちゃんが公式戦に出れるようにしたいんだって」

 

 話の内容を遅れて頭の中で繰り返すことで、星菜はようやく理解することが出来た。

 その瞬間、星菜は遅れて驚愕に目を見開いた。

 

「あれ? もしかしてその反応は……知らなかったの?」

「……あおい先輩、その方は水色の髪をオールバックにした男子部員でしたか?」

「うん、そうだよ。鈴姫健太郎君、練習試合では三番を打ってたよね」

「……教えていただき、ありがとうございます」

 

 なるほど、道理で練習の鬼である筈の彼が部活動に参加しなくなったわけだ。

 星菜はこの時、初めて合点が行った。この日も彼は練習に参加しなかったのだが、その理由が今わかったのだ。

 茂木監督には彼から何か聞いていないかと訊ねてみたが言い辛そうにしているばかりで教えてくれなかったし、主将の波輪に訊けば何故かニヤつきながら明後日の方角を眺めていたことを思い出す。それもあおいの言葉が真実ならば、全て理解出来た。

 

(鈴姫、健太郎……)

 

 この泉星菜の為に、恋々高校の署名運動に参加していた。それならば練習に参加出来ないのも納得だった。

 

 だが、とても礼を言う気にはなれないだろう。

 

(お前は……)

 

 ――思い出す。彼と別れた日のことを。

 

『……お前にだって、私の気持ちはわからない。だからもう、同情するのはやめてくれ……』

『同情なんかじゃない! 俺は本気で……!』

 

 ――あれから、全てが変わったと思っていた。

 

『やめろって言ってるだろっ!』

 

 ――自分も。

 

『じゃあ君は……君にとっての俺は何なんだ!?』

 

 ――彼も。

 

『言わなきゃわかんないのかよ! 馬鹿っ!!』

 

 あの日自分達が「対等」でないことを知った星菜は、彼に暴言を吐き捨て、別れた。

 そして次の日からは親友であったことも忘れたように余所余所しく振る舞い、お互いに踏み込むことも無くなった。

 

 自分達の関係は変わったものと――そう思っていたのだ。

 

(お前は、まだ……そうまでして……!)

 

 テーブルに置かれた料理もそのままにして、星菜は俯きながら頭を抱える。その様子にあおいは数瞬考え込むような仕草を見せた後、星菜に言った。

 

「誰にも言わないから、良かったら聞かせてもらえないかな? 君とあの子の関係。ボク、ちょっと興味あるな」

「……多分、先輩が思っているような関係じゃありませんよ? 聞いてもつまらない話ですし、それでも構わないのでしたら……」

「うん、いいよ。お願い」

 

 第三者には、家族にすら話したことの無い話である。元を辿れば、それは今の星菜が自分の居場所がわからないでいる最大の理由でもあった。それをこの場で話してくれと言われた星菜であるが、この時は不思議と口が重たくなかった。

 それだけあおいに対して気を許してしまっているのか、それともいい加減自分で抱え込んでいるのが辛くなってしまったのか……恐らくは、後者だと思う。

 しかしいざ話すとなると、中々上手く思考がまとまらないものだ。下手な話し方になるとは思うが、その辺は勘弁してもらいたいところである。

 呼吸を整え、周囲に目を見やる。この店の客入りはあまり良くはなく、幸いにも星菜の周りに聞き耳を立てるような人間の姿は無かった。

 

「あの人は……」

 

 ポツポツと、小さく、それでもあおいの耳に伝わるように、星菜は話し始めた。

 

 

 

 そして十数分後、その話が終わった時、星菜はあおいに本気で――

 

 

 

 ――本気で、激怒された。

 

 

 

 






▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。