外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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センター前大好き系女子

 

 泉星菜というマネージャー見学者を交えたものの、野球部の練習は普段と代わり映えなく行われ、この日は十八時に解散となった。ほむらからは他校の練習時間はもっと長いという話を聞いているが、あまり長くても中身が伴わなければ意味がないとも思う。

 全体の練習は集中力が持続する短時間で終わらせ、後は自主トレーニングに当てるべき、というのが波輪の練習論であった。

 尤も、全ての部員にそれが当てはまるかと言えばそうではない。竹ノ子高校のように設備が充実していない野球部ならばなおのこと、せめて練習時間を増やすべきなのは確かだった。

 今後どうするかは、新入部員が全員揃ってから追々決めるとする。とりあえず今は、波輪は量よりも質を重視した練習に取り組んでいた。

 

 野球部として一日の練習を終えれば、下校後は学校裏の神社で自主トレーニングをするのが波輪の日課である。

 波輪は一度自宅で腹ごしらえを済ませた後、この日もバットケースを片手に神社を訪れた。

 しかし階段を上がっていくに連れて自分ではない誰かがバットを振っている音が聴こえ、波輪は神社に先客が居ることに気付いた。

 

「お、鈴姫じゃないか。お前もここでやってるのか」

「……ああ、先輩ですか」

 

 階段を上がりきると、神社の敷地で素振りを行っている水色の髪の男の姿が見えた。

 鈴姫健太郎――走攻守三拍子揃った野球部期待のルーキーである。

 

「ここ、結構いいところなのにあまり人が来ないんだよな」

「幽霊やら座敷わらしが出るって噂がありますからね。誰も近寄りたくないんでしょう。ふっ」

「良いスイングだ――って、幽霊ってマジか! 初耳なんだけど」

 

 この間まで中学生だったとは思えないスイングのキレに感心しながらも、波輪は自分の練習に入るべくバットケースからバットを取り出す。

 波輪のポジションは投手だが、今まで打者としての練習を欠かしたことはない。エースで四番という重役を担う者として、打撃の修練を怠るわけにはいかないのだ。

 

「フンッ!」

 

 右打席に立つ自分と相手投手が投げるボールをイメージし、一閃。

 すると空を切っているだけとは思えない重いスイング音が響き、鈴姫が目を見張った。

 

「流石ですね。俺も先輩のスイングスピードには勝てそうにないです」

「はっはっは、まだまだ若いもんには負けんよ。お前はお前で、得意な分野で頑張れよ」

 

 波輪にはスイングスピード、そしてボールを遠くへ飛ばす力だけは誰にも負けないという自負がある。鈴姫がいくら才能に溢れる後輩だとしても、その分野に関してはおいそれと負けてやるつもりはなかった。

 だがボールをバットの芯で捉える技術なら、鈴姫は波輪にも迫るモノを持っている。おそらく、他校の一年生と比べてもトップレベルにあるだろう。

 そのようなことを波輪が賞賛を込めて言うと、鈴姫は素直に喜びたくないような微妙な表情を浮かべた。

 

「確かにミートの上手さには自信ありますけどね。でも、そんな俺でも全く勝てない奴が居るんですよ」

 

 そりゃあ、そうだろう――と波輪は真顔で返す。

 竹ノ子高校において彼のミート技術は既に波輪と並んで突き抜けているが、野球の試合は竹ノ子高校内だけで行われるものではない。

 地方は広く、全国は言わずもがな。各地を捜し回れば彼よりミートが上手い選手はどこかに居るもので、それは何も不思議ではないことだった。

 

「そういうことを言ってるんじゃないんですけどね……」

「そうか、じゃあどういうことを言ってるんだ?」

 

 鈴姫の言い方から考えると、彼が自分より明確に凄いと言い切れる選手はあまりにも身近な場所に居たのだろう。

 それはきっと彼と同年代で、中学時代はチームメイトだったんだろうなぁ――と、波輪は推理する。

 自他共に頭が悪い男だと認めている波輪だが、この時は冴えていた。

 

「俺の通っていた中学には、俺よりミートが上手い奴が居たんです。速球への対応は俺の方が上だと思うんですが、そいつは変化球打ちがとにかく天才的でしてね。どんな変化球をどんなコースに決めても、簡単にセンター前に弾き返すような奴でした」

「お前がそこまで言うんだから、よっぽど凄い奴なんだろうなぁ」

 

 波輪が最初に鈴姫と知り合ったのは今年の二月だが、波輪が知る限りここまで他人の話を語り出す鈴姫は記憶になかった。その物珍しさには興味が向き、波輪は一旦バットを置いて詳しく聞くことにした。

 

「それで俺が、「なんでそんなに上手く打てるんだ」って聞いたんですよ。そしたらそいつ、なんて言ったと思います?」

「なになに?」

「なんでったって、どうってこともない。自分は来た球を打ってるだけだって。そいつ、自分が打った球種が何かも考えたことないんだそうです」

「それはまあ、天才だな」

 

 来た球を打つ――言葉にするのは簡単だが、実際に実践してみるとそう上手く出来るものではない。

 ストライクを取りに来たカウント球ならばともかく、フォークボールのように空振りを狙って落としてくるような球は前もって頭に入れておく必要がある。どんな変化球も反応打ちでセンター前に出来るかと問われれば、チームの四番を打つ波輪と言えども難しいだろう。

 

「そんな奴が今年の一年に居るのか。どこの高校に行ったんだ、そいつ?」

 

 もしかしたら今後、その選手と対戦することがあるかもしれない。強敵の存在は投手として警戒しておくに越したことはないので、波輪は鈴姫に所属高校を問い質してみた。

 しかしそこで、これまで饒舌だった鈴姫が言葉を詰まらせる。

 数拍の沈黙が支配し、鈴姫がバットを振る音だけがその場に響いた。

 

「……竹ノ子ですよ」

 

 そのスイング音にかき消されるような声で、鈴姫がボソッと言った。

 

「竹ノ子? そんな高校あったかなぁ? どこの地区だ?」

 

 彼の口から出てきた高校の名があまりにも予想外だった為、波輪はそうボケてみる。

 しかし鈴姫の表情は、真剣だった。

 彼の顔を見て今言った言葉が冗談ではないのだと理解し、波輪は半笑いを浮かべる。

 そして――。

 

「そいつを勧誘だああああっ!!」

 

 夜中の神社に、男子高校生による歓喜の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くしょんっ……!」

 

 今は春だと言うのに、夜は室内とて中々冷え込むものだ。自室の中、明日の授業の予習を終えた星菜はティッシュを片手に鼻をすすった。

 予習をするなんて、まるで優等生みたいじゃないか――と星菜は自分の行いに対し自嘲の笑みを浮かべる。

 星菜は昨年までハイレベルな私立中学校で学んでいた為か、偏差値が中の下の竹ノ子高校では事実優等生として歓迎されていた。

 しかし星菜としては、優等生というよりもお山の大将の気分である。まあまあの出来だと思っていた受験結果が新入生の中では二番目に良い成績だったと発表された時は大層驚いたものだ。

 それ故に担任教師からは一学期の学級委員をやってくれないかと頼まれ、クラスメイトの期待も背負って星菜が務めることになってしまった。

 自分が学級委員を務めることへの不服はない。どうしても出来ない理由があるわけでもないし、そう言った経歴は進学や就職の役に立つ。任された以上、星菜は快く引き受けることにした。

 だが、それだけ自分は優等生として期待されているのだという意識にもなった。だからこそ予習が必要であり、日々の勉強に手を抜くわけにはいかないのである。

 

「もうこんな時間か……」

 

 教材を机の引き出しにしまい、手元の時計に目を向ける。指針は既に、夜中の十一時を回っていた。

 そろそろ就寝の時間である。そうなると、星菜は自然に明日のことへと意識が向いた。

 

「マネージャー、かぁ……」

 

 今日初めて行ったマネージャーの見学は、明日も同じように行う予定である。

 それは川星ほむらに頼まれたからではない。星菜が星菜自身の思いで、もう少し見学してみたいと思ったのだ。

 マネージャーの仕事は、そう楽なものではないだろう。だがそれでも、星菜にはやってもいいと――やってみたいと思う自分が居た。

 ――やはり、この気持ちに嘘は付けないのかもしれない。自然と綻んでいく自分の頬に気付くと、星菜はベッドの上へと伏せるように飛び込んだ。

 

「……私があんな風に野球をやっていたのは、いつの頃だっけ?」

 

 誰に聞かせるつもりもない独り言である。脳裏に浮かんでくるのは、竹ノ子高校野球部の練習風景だった。新入部員に配慮している為かとても厳しいとは言えない生ぬるい練習ではあったが、部員達は皆楽しそうに行っていた。

 それを一概に悪くないと考えている自分が、星菜には不思議だった。

 

 ――いつからだったか、野球を楽しめなくなったのは。

 

 ――いつからだったか、野球をすることに喜びを感じれなくなったのは。

 

 過去の野球人生を振り返り、星菜は天井を見上げたまま苦笑を浮かべる。

 考えてみたが、何もわからない。もしかしたらかなり早い段階で、自分は野球を「楽しむ」ことよりも野球で「上に立つ」ことを重視するようになっていたのかもしれない。

 だから、辛かったのだ。

 自分が周りの人間から「必要とされていない」ことを知った時、心が折れてしまった。

 

 ……だけど。

 

 もう一度、新しい方向から見つめ直してみても良いのではないか。

 野球部としてではなく、今度は野球好きのマネージャーとして、新しい角度から。

 それならばもう、「女性選手」として辛い思いをしなくて済むのではないか――。

 

 しばらくそんなことを考えていると、いつの間にか、星菜の意識は闇に落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日が昇り、新しい一日が始まりを迎える。

 この日の鈴姫健太郎は六時前には目が覚めており、早朝から家の外に出てバットを振っていた。

 素振りは野球初心者でも出来る手軽な打撃練習だが、一定のレベルを超えたプロ選手すら行っている効果的な練習でもある。鈴姫は打撃マシンを扱う練習などよりも徹底的に自分のスイングを磨くこの練習の方が己の身に合っていると感じており、毎日欠かすことなく素振りに取り組んでいた。

 ブンッ!と空を切る音が無人の道路に響き、鈴姫は何度も繰り返し振り回す。それは打撃の練習以外にも、内なる雑念を払う貴重な手段でもあった。

 

(俺は昨日、なんであんなことを話したんだ?)

 

 今の鈴姫には雑念があった。それは神社で自主トレ中、波輪風郎と会った昨夜のことだ。

 自分は何故ああも唐突に、あんなことを話してしまったのだろうか。波輪もきっと不思議に思っただろうが、何よりも鈴姫自身がその理由を理解出来なかった。

 この鈴姫健太郎が最後まで敵わなかった同級生が居ることを――自分にとって最大の屈辱である筈の出来事を、何故ああも饒舌に話せたのだろうか。

 百回目のスイングが空を切った時、鈴姫はある結論を出した。

 

(……苛立ち、だな)

 

 「彼女」は自分よりも上の実力を持っていたにも拘らず、何かと理由を付けて――或いは付けられた為に野球部を辞めてしまった。鈴姫は自分が負けっぱなしのまま「彼女」が勝負の世界から居なくなったことに、苛立ちを感じていたのだ。

 竹ノ子高校にはスーパーエースの波輪だけでなく、同じ中学校の「彼女」が居た。だからこそ初めは「彼女」もこの小さな野球部で再び野球を始めるのかと思っていたが――どうやら、当の本人にその気はないようだった。

 

(あれだけ努力していたのに、なんで辞めたんだ。環境が変わったのに、なんでやらないんだ!)

 

 百一回目のスイングは、鈴姫らしからぬ軸のブレた荒いスイングだった。

 雑念を払う為には素振りは有効だが、雑念を抱えたまま素振りを行っても練習効果は薄い。今の自分がこれ以上続けても、無駄に体力を消耗するだけだろう。

 このままでは妙な癖が付きかねないと判断し、鈴姫はやむなくバットを下ろした。

 

「女だから……だからマネージャーで妥協するのか、君は……」

 

 誰かに問い掛けるように独語し、鈴姫は自宅に戻っていく。

 それは、日々の練習にも支障を来すほどの苛立ちだった。

 だが鈴姫にとって何よりも腹立たしかったのは、この苛立ちの原因である「彼女」を相手にまともに口を聞くことすら出来ない自分自身であった。

 


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