外角低め 115km/hのストレート【完結】   作:GT(EW版)

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矛盾だらけの野球少女

 

 それからのイニングを、紅組が失点することはなかった。

 波輪風郎はただストレートのみの投球で白組打線を圧倒し、ヒット一本すら与えることなく4回裏までを投げきったのである。

 だが最終的に、試合は7対6で白組の勝利に終わった。紅組は二回表から波輪が二本のホームランを放つなど打線が奮起し追い上げたものの、反撃及ばず惜しくも敗れたのである。

 

「フハハ! 1勝出来て竹ノ子高校の仲間入り出来たかなと思いました」

「お前は褒められた内容じゃないだろ」

「でも、とりあえず勝てて良かったでやんす。後でちゃんと反省するでやんすよ」

「お前もなー」

 

 五回を9安打6失点で投げ抜いた白組先発の青山が渾身のガッツポーズを取り、センターの矢部が喜びに舞い踊る。内容はともかく、とりあえずは勝てばいいというのが白組の方針らしかった。

 

「なんだろう、凄くムカつくぞ」

 

 塁上から試合終了の瞬間を見届けた波輪が、苦虫を噛み潰しながらベンチへと引き下がる。結果は紅組の敗北に終わったが、それなりに有意義な練習だったとは思う。

 波輪はこの紅白戦において結果や内容よりも、部内で新入部員との距離が縮まったのが何よりの収穫だと考えている。馴れ合いに過ぎないと言われれば今のところ反論は出来ないが、それでもチーム内で不和が生まれるよりはよっぽど良い。ただでさえ元々の戦力が心許ないのだから、部員同士の衝突で綻びが生まれるようなことはあってほしくないのだ。

 

 波輪は球審の任を全うし、くたびれた表情を浮かべている茂木監督の元へと指示を仰ぐに行くと、軽いランニングとストレッチが終わり次第解散していいという指示を受け取った。体力はまだまだ有り余っているのだが、明日からは本格的に新チームとして始動していく予定なので今日は皆をゆっくり休ませておくべきかと納得する。

 

「ほむらちゃん、俺のドリンク取ってくれない?」

「はい。お疲れッス、今日のボール走ってたッスよ」

「サンキュー、六道も公式戦まで取っておきたいぐらいだって言ってたな。俺も今日の調子なら海東にも勝てる気がするよ」

「でも飛ばしすぎて怪我したら駄目ッスよ? 後でマッサージしてあげるッス」

「助かるよ」

 

 ほむらから手渡されたスポーツドリンクを喉に流すと、その時波輪は先ほどまで彼女の隣に座っていた筈の人物が居ないことに気付いた。

 ボトルをベンチの上に置くと、波輪はほむらの隣の空間を指差して事情を訊ねた。

 

「星菜ちゃんはどうしたんだ? 四回まではそこに居たよね」

「星菜ちゃんは少し体調が悪そうだったから、ほむらが先に帰したッス」

「そうか……なんか元気なかったもんなぁ」

 

 ほむらから返ってきた話に、波輪はすぐに納得する。

 波輪は決してずっと星菜の顔を見つめていたわけではないのだが、思い返してみれば彼女はどうにも顔色が悪かったものだ。

 波輪の後ろでは、そんなほむらの話が聴こえた部員達がざわついており、揃いも揃って心配そうな顔をしていた。

 

(人気あるなぁあの子も。まああんなに可愛いんだし、当然っちゃあ当然か)

 

 誰も彼も忙しない様子で居る部員達の姿を見て、波輪は苦笑を浮かべる。マネージャー一人の体調不良でここまで心配するとは、彼らも中々に人が良いと言えた。尤もそれは、星菜が並外れた美少女だからという理由も少なからずあるのだろうが。

 本人は預かり知らぬだろうが、彼女は既に部員達の中ではアイドルばりに人気を集めている。校内でも一二を争うほどに美しい容姿をしているが、だからと言ってそれに奢らず極めて真面目な性格をしており、何と言っても野球が好きと来ている。そのことが、彼らの中では非常にポイントが高いようだ。今はまだ積極的に話しかける者は少ないが、時折ほむらと談笑している姿は遠目から見るだけでも癒されるというのが矢部を始めとする一同の談だ。

 そんなことがある為、波輪は彼女に関してはマネージャーとして何一つ仕事をしてもらわなくても特に問題はないと思っている。それはもちろん彼女が必要ないという意味ではなく、彼女にはただ練習を見てもらい、労ってもらうだけでも部員達のモチベーションが向上し、練習効率が上がるという可笑しな効果が得られるからであった。

 

「……よし、お前ら、ランニング行くぞ」

 

 彼らは彼女の体調を気遣っており、無論波輪も心配している。だが今は、自分達にはやるべきことがあるのだ。波輪は勉強はまるで出来ないが、その辺りの分別はしっかりと出来る人間だった。

 主将(キャプテン)として一同を集合させ、整理運動(クールダウン)のランニングへと移行する。「竹ノ子ファイトォ!」という男達の掛け声が、グラウンド内に響いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ならお前は、アイツが野球をやっていることをどう思っているんだ?』

 

『僕達と同じです。彼女は野球が好きだから野球部に入り、実力があるからこの学校を選んだ。どこも他の部員と変わりません!』

 

 脳裏に、男の声が聴こえてきた。片方は中年の男、もう一人はこの学校の男子生徒の声だ。

 それは周囲から、耳を伝って聴こえてきたわけではない。星菜はそう古くもない記憶から、忘れられない一つの出来事を思い出していたのだ。

 

『それに、監督だって見たでしょう? 先日の紅白戦で、レギュラー揃いの白組を相手に九者連続三振を含めた十五奪三振で無失点……彼女は間違いなく、チーム一のピッチャーです!』

 

『たかが調整の試合だろ。あんなもので活躍したところで、今更大会のスタメンを変える気はない』

 

 あの時の自分は、廊下に立ち止まって二人の会話を聴いていた。職員室に用事があって中に入ろうとした時、部屋の中から彼らの声が聴こえてきたのだ。

 会話の内容が自分のことを指しているのだと悟ってから、星菜は彼らの言葉を一句一句逃さずに聞き取ろうとした。だがその時、彼女の心を支配していたのは、この身を押し潰さんばかりの不安と震えるほどの恐怖であった。

 

『ですが、実力は冬野よりも上なのは明らかです! なのにどうして、練習試合すら一度も投げさせないのですか!』

 

『……小波、アイツを試合に出して、お前はそれでいいんだろう。だが他の連中は、アイツが試合に出ることをどう思っている?』

 

『っ……! それは……!』

 

『お前はキャプテンだ。連中のほとんどがアイツのことをやっかんでいるのは知っている筈だ。大会の前に、チーム内で不和を生むわけにはいかんのだ。それに、だ。もうとっくにわかっているとは思うが、我が白鳥中学は他の何よりも面子を重視している。女なんかにレギュラーを取られる野球部なんざ、他校から見ればお笑い種だ。お前はウチに恥をかかせる気か?』

 

『そんな声、実力で黙らせます! 彼女は絶対に、誰にも文句を言わせないピッチングをしてみせます!』

 

『大した自信だな。まあ俺だって馬鹿じゃない。アイツがウチの中で誰よりも練習していて、今や投手の中で誰よりも高い実力を持っていることはわかっている』

 

『なら……!』

 

 彼らの放つ一言二言が、星菜の心を重く揺さぶっていく。

 会話から二人とも自分の努力と実力を認めていてくれたことを知り、星菜は嬉しいと思った。だがそれでも、未だ星菜の心に渦巻く不安と恐怖は拭えなかった。

 

『だがな、俺は次の大会だけじゃなく、アイツを今後一切試合に出す気はない』

 

 そして男の放った次の一言を聴いて、星菜はその場で俯いた。

 対して、男子生徒が今まで以上に声を荒げる。

 

『何故っ!』

 

『さっき言った通りだ。チームの不和を生む上に、女なんかにレギュラーを与えればウチの面子が崩れる。確かにお前の言う通り、実力を見せればそんな声も無くなるかもしれん。だがな、小波。これはここに居る全教員の総意なんだよ』

 

『総意……?』

 

『昔からの付き合いらしいお前は知っているだろうが、アイツは頭が良い。学業の成績はとにかく優秀で、毎日野球漬けの癖にこの間のテストでも学年三位になりやがった。野球なんかやらないでもっと勉強すれば一位も狙えるし、いつかは官僚大学にも行けるだろうと言われている』

 

『……彼女は……野球をやるべきではないと?』

 

『それが俺も含めたここに居る教員全員の総意だな。アイツは野球しか出来ない他の連中と違って、大抵のことは何でも出来る。その上性別は女だ。なんで野球なんかやっているんだって皆言っているさ』

 

 星菜は彼らの会話を逃さず聴き取り、決して耳を塞ごうとはしなかった。

 廊下の壁に寄りかかりながら、部屋の中から聴こえてくる言葉をありのままに受け止める。

 そして男の――野球部の監督が放った言葉に対して、星菜には何一つとして反抗する意志はなかった。

 思えばもう、この時点で心が折れていたのかもしれない。

 

『なんで野球をって……そんなもの……彼女も野球が好きだからに決まっているじゃないですか!』

 

『それだよ、アイツはまともじゃない。頭は良いが正真正銘の野球馬鹿なんだ。だから、周りがなんと言おうが野球部を辞めようとしない。俺がどんなに厳しい練習メニューを渡しても、アイツは一度だって練習をサボらなかったな』

 

『練習メニュー? ……そうか、貴方は彼女が入部してきた時から彼女だけには別メニューで練習させていた。他の部員達と引き離して!』

 

『女が男と同じ練習に着いていけると思うか? あれは監督として当然の指示だと思うがな』

 

『なら、あの無茶苦茶な練習メニューは何ですか! あれはどう考えても、男の僕達よりも厳しいメニューでした!』

 

『あれはアイツが練習を途中で投げ出すことを前提にしたメニューだ。本当はアイツが練習に耐えられず、自分から部を辞めてくれれば一番良いんだがな……しぶとく粘りやがる』

 

『じゃあ貴方は……彼女を退部させる為にあんなメニューを!』

 

『全教員の総意だと言っただろ? その方がアイツの将来の為になるのは事実だ。最近では女子プロ野球なんてのもあるが、アイツほどの頭ならそれよりも良い職に就ける筈だしな。俺はアイツに、より良い進路先を選んでやっているに過ぎん』

 

『なんて勝手なことを! 貴方達の理屈で彼女の将来を決めるんですか!?』

 

『……鬱陶しいな。いい加減にしろよ小僧』

 

 自分の居場所がそこにないということを知れたのは、この時の星菜にとってはある意味幸運だったのかもしれない。

 頭が良いのに、女の子なのに、野球をやるのは間違っている。貴方には他にもっと相応しい道があるのだから、どう頑張っても不遇に終わる「女性の野球選手」なんてものは早々に諦めるべきだと――教師達にそう言われたことは、過去に何度もあった。

 

 ――だがそれでも、星菜は野球が好きだったのだ。

 

 不遇な扱いでも構わない。向いてなくても構わない。ただ投げて、打って、走って――野球部の中でライバル達と競い合って野球が出来るのなら、それが自分にとっていかに不幸な道であろうと星菜に後悔するつもりはなかった。

 

 だけど。

 

『そもそも俺は、女という生き物が嫌いだ。どいつもこいつも鬱陶しいんだよ。何もかも劣っている癖に、男と対等ぶりやがって』

 

 信じていた、欲しかった自分の居場所がそこにないということは――悲しかった。

 

『どうせお前も、可哀想な私の味方をしてくれとでも言われたんだろ。同情するよ、色男』

 

 星菜がその場で泣き崩れても、喚いても、どう足掻いてもそこに辿り着くことは出来ない。

 ライバル達と高め合って、栄冠を掴み取ることは叶わない。

 最初から間違っていたのだ。彼らと共に野球をしようなど――。

 

『そんなわけないだろっ!!』

 

 ――せめて自分が悲しい思いをするだけなら、まだ良かったのかもしれない。

 

 しかしこの時、星菜の存在が大切なライバルの居場所まで奪ってしまった。

 監督の言葉に彼が激昂し、怒りに任せて拳を振るってしまったのだ。

 彼はその場に居合わせた他の教員達によって取り押さえられたものの、監督は殴打された顔面を骨折し、意識を失った。暴力行為に及んだ彼は、卒業まで重い謹慎処分を受けることになった。

 彼はそれによって野球部最後の試合に出場することが出来ず、それまで来ていた名門校への推薦も取り消されてしまった。

 

 ……自分だけではないのだ。

 

 自分が野球部に居ることで、他の人間にまで迷惑をかけてしまった。

 彼は星菜にとって一つ上の先輩で、仲の良かった幼馴染でもあり、そして互いに実力を競い合うライバルでもあった。

 そんな彼の野球人生を、自分が野球部に居たことで無茶苦茶にしてしまったのだ。

 もう、たくさんだった。

 元から野球部に居場所のない自分の為に、他の誰かまで一緒になって居場所を失うなんて嫌だ。

 だからその日以降、星菜は白鳥学園附属中学校の野球部から姿を消したのだ。

 

(……そうだ、全部私が決めたことなんだ。もう野球部には入らない。私があそこに居たら、また誰かに迷惑が掛かる)

 

 星菜自身が心強い味方を周りに何人も作れるような人間だったなら、部を辞めるなどという選択をしなくても済んだのかもしれない。

 だが星菜は、人との関わり合いが苦手だった。それは好意を持って味方になろうとしてくれた大切な友人まで、心無い言葉で追い払ってしまうほどに。

 

『何だよ! そんなに哀れかよ! 実力があるのに皆と野球が出来ない私が、そんなに可哀想なのかよっ!!』

『違う……! 星菜、俺はそんなつもりで……』

『うるさいっ! いつもいつも、健太郎はお節介なんだよ!』

 

 今の今まで、星菜はその友人のことを傷付けてしまったあの日のことを忘れてはいない。

 だが、後悔はしていなかった。今年その友人と同じ高校に入り、同じクラスにもなったと言うのに、未だにまともに口を聞いていないのは心の底から自分自身に否があると思っていないからである。

 

『あの時だってお前が私にボールをぶつけなければ……! 私がこんな記憶を思い出すことさえなかったら、諦めることが出来たのにっ! そうやって……そうやって私に……期待させるようなこと言うなっ!!』

 

 ――だが自分が叫んだその言葉を思い出す度に、星菜は胸が痛むのだ。

 

 

 


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