俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

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ザ・モーニング・スター編第七話:戦場に立つ者たち

 ●

 

 自分の執務室に戻ったカリアンはリクライニングチェアに腰を下ろし、会議室から連れてきた男、――ヴァンゼの言葉を待った。

 

「汚染獣戦についての資料は残っていないのか? 少しでも情報があれば作戦の参考になる」

「残念だが、資料は残されていない。あるいは、残っているのかもしれないが、少なくとも私は知らない」

「……なら、どうしてここまで連れてきた? 俺だってさっさと部隊ごとの配置を決めなくちゃならないんだぞ」

「すぐに分かるよ」

 

 焦りからか、もはや詰問のような調子で問い詰めるヴァンゼに対して、はぐらかすように答えていると、ややあってから一人の武芸者が姿を見せた。

 ノックもなくごく自然に扉を開けたのは、

 

「――アルセイフ?」

「俺に、何やら訊きたいことがあるそうだな」

 

 やはり彼は汚染獣の襲撃にも一切動じていない。それどころか余裕すら感じられる。

 傍若無人とも見える様子にカリアンはある種の安堵の念を抱いていた。

 汚染獣との交戦経験を忘却の彼方に追いやってしまったツェルだけでは戦況の把握すらも困難だっただろう。このタイミングであることそれ自体が、不幸の中の幸いだ。

 どういうことかを伺うようなヴァンゼを敢えて無視した。その上でカリアンは両手を左右に広げ、

 

「よく来てくれた。ツェルニには君以上の汚染獣戦の経験がある者は居ないからね、いろいろと訊きたかったんだ」

 

 努めて笑顔を維持しながら、カリアンはこう言った。

 

「紹介がまだったね、ヴァンゼ。彼はレイフォン」

「そんなことは知って――」

「――レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ。槍殻都市グレンダンにおいて最強の武芸者に贈られる”天剣授受者”という称号をその手にした武芸者だよ」

「――――」

 

 レイフォンに向けられたヴァンゼの表情はまさに愕然(がくぜん)といったものだった。

 無理もない、とカリアンは思う。

 レイフォンは新入生として入学して来ている。年齢も十五歳であることは疑いようのない事実だ。そんなにも若くして”武芸の本場”と称されるグレンダンの最高位に至る。一個人には想像もつかない世界だろう。

 そういった感情を向けられるのには慣れているらしく、レイフォンは何の反応も示さなかった。ただ淡々とした口調で、いいか? と聞いた。

 

「なんだい?」

「俺からも用件がある。ゴルネオを呼び出してくれ」

「ゴルネオ……、ゴルネオ・ルッケンスだね、武芸科五年生の。ここに呼べばいいかな」

「頼む」

 

 すぐに秘書を呼び出し、手早く指示を出す。

 

「念威繰者を通して呼び出すけど、彼が来るまで少し時間がある。それまで手短に訊ねよう。今、ツェルニを襲っている汚染獣は、どういった習性を持つのだろうか」

「あれは幼生体、汚染獣の赤子だ。それゆえに習性も何もない。ただ数で戦線を押し進め、餌を喰らう。それ以外にはしようとはせず、また出来もせん。愚鈍で単調な本能の塊に過ぎない」

「普通に戦って殲滅すれば問題はなさそうだね」

「いや。ひとつ、絶対に間違えてはならないことがある。母体となる雌性体を殺す前に幼生体を殲滅した場合、雌性体は周辺一帯に救援を求める。かなり広い範囲に渡って、な。強力な個体まで含めて無数の汚染獣が群がってくることになるだろう。そうなってしまえば……」

 

 レイフォンは最期まで言葉にしなかった。

 しかし、誰も何かを口にしようとはしなかった。食い荒らされる光景が、滅んだ都市の荒廃した姿を思い描いてしまったからだ。

 カリアンは意図して吐息をひとつ(こぼ)し、執務室に広がった痛いほどの沈黙を破った。

 

「――雌性体の殲滅が生き残るための絶対条件。地下から湧き出る幼生体から考えて、雌性体が居るのはおそらくその穴の奥深く。申し訳ないが、ツェルニは私が入学する前からしばらく汚染獣と遭遇しなかったらしくてね。それらの準備は整っていない。都市外戦装備もどれだけ残っているか……」

「都市外戦装備なら一式、グレンダンで作った物を持ってきている。都市外戦は可能だ。他に用意するのは一着で構わない。無いなら無いで、まあ、なんとかしよう」

「錬金科と連絡を取ろう。あちらになら少しは資料があるかもしれない。しかし、結局は母体が倒されるまで幼生たちを殲滅することなく、ひたすら耐えていなければならない訳か……」

 

 出来るのだろうか。

 ……そうではない。

 小隊長との会議で言った言葉は紛れもなく事実。出来なければ死ぬしか道は残らないのだから。

 

「それ以外に何か方法はないかな? 私は犠牲をゼロに近づける努力を惜しむつもりはないんだ」

「どうだかな……。考えるにしてもツェルニの戦力を知らねばなるまい」

 

 レイフォンはそう言ってあしらうと扉へと視線を向ける。

 直後。

 扉が押し開かれ、一人の男が姿を見せた。

 戦闘衣に身を包む銀髪で体格の良い大柄な武芸者だ。彼の表情は引き締まっていて、どちらかというと精悍という印象がある。

 

「ゴルネオです。失礼します」

 

 ゴルネオはそう言うと、執務机の前で歩みを止めた。

 直立不動の姿勢からは生来の真面目さがよく伝わる。そんな彼に向かって、カリアンは歓迎する様に笑みを向けると、

 

「ああ、待っていたよ。レイフォン君から呼んでほしいと頼まれたんだ。大変な時にわざわざ来てもらってすまないね」

「ヴォル……、レイフォンさんが?」

 

 カリアンは苦笑する。同じグレンダン出身の者として色々と思うところがあるのだろう、と。そして、レイフォンに視線を飛ばす。すると、釣られるようにしてゴルネオもそちらを見た。

 

「ゴルネオ。お前はツェルニの戦力を把握しているか?」

「え、ええ、ある程度は。ですが、それでしたらヴァンゼ武芸長の方が詳しいはずです」

 

 そうではない、とレイフォンは言った。

 

「知りたいのは学生の戦力そのものではなく、幼生体との比較だ」

「判断出来ません。私には幼生体との戦闘経験がありませんし、グレンダンでも見学まででした」

「では、ゴルネオ・ルッケンス。当時、グレンダンで汚染獣を撃退した武芸者と比べて今の貴様はどうだ? 戦えるだけの戦闘力があるか?」

「どう、でしょうか。戦えるとは思いますが……」

「ひとつ補足するが、今のお前なら幼生体に苦戦することはないだろう。少しばかり外力系衝剄を使えば甲殻を砕けるはずだ。その程度には鍛えた」

 

 ”少しばかり外力系衝剄を使えば”というレイフォンの言葉を吟味するように、ゴルネオは視線を泳がせた。

 ややあってから、

 

「……だとすれば、我々に幼生体の群れを撃退することは不可能です」

 

 カリアンは零れ落ちる吐息を抑えきれなかった。やはりそうか、と。

 汚染獣に武芸者の卵だけで立ち向かえるはずもない。たとえそれが赤子であろうとも、紛れもなく人類の天敵。世界の覇者なのだ。

 

「――ヴァンゼ。君はどう思う?」

 

 腕を組み、壁に背を預けるヴァンゼはゴルネオに対して疑問を投げかけた。

 

「確かにゴルネオは小隊員の中でも上位に位置するだろう。だが戦術や戦略ではなく、単純な攻撃力という点ならお前以上の者も居るな? どうしてそんな結論になった?」

「武芸長、今の私は以前の対抗試合の時よりも遥かに強くなっています。活剄のみでは砕けないほど幼生体が硬いのであれば、下級生だけではまともに戦えず、上級生であっても十分な連携が必要になると判断しました。そして何よりも、幼生体の脅威とは幼生体という個体ではなく物量なのです。今回も百や二百では済まないのは確実です。平均的な質で劣り、数すらも届かない我々に撃退は難しい」

「……ッ」

 

 並べられた言葉に、ヴァンゼは返す言葉もなく立っている。

 ヴァンゼが言い返さないのは、幼生体についての知識がないことと告げられた言葉に矛盾が見当たらないことが理由だ。

 知らないことを討論することは出来ない。

 ゴルネオと幼生体との比較が正しいか間違っているかという前提すら判別できない以上、言えることなどあるはずもない。

 ここはわずかでも得られた情報をある程度、正しいとして行動するしかない。

 一拍の間。

 それを置いた後、カリアンは確認するようにゆっくりとこう言った。

 

「……絶望的な状況ということか。レイフォン君はどうする?」

「言ったはずだ。俺が母体を殲滅し、貴様らは都市の防衛。それ以外に手などあるまい。カリアンと、そこの貴様」

「……ヴァンゼだ」

「貴様らは学生が耐えられるように可能な限り策を練っておけ。単純なものでいい。棘のある障害物でもあれば、勝手に刺さるのが幼生だ。上手くやれ。ゴルネオ、お前は念威繰者を連れて来い。最低でも一キル、可能であれば二キルまで広域探索可能なヤツだ。俺が担いで巣穴に飛び込んだ時、パニックにならないよう最低限は伝えておけ」

 

 ゴルネオが返事をするよりも早く、カリアンは声を割り込ませていた。

 

「待ってくれ。念威繰者ならフェリが居る。あの子ならツェルニからでも十分母体の位置を割り出せるだろう。最短で事を済ませられるはずだ」

「……フェリ・ロスか」

 

 フェリの持つ念威繰者として破格の才能。

 彼女の意志を無視してまで武芸科に転入させた理由は、その一点に尽きる。彼女の才能であればレイフォンと比較しても決して見劣りしない。

 念威繰者として十分に役立つはずだ。

 

「妹でね。自慢のように聞こえるかもしれないが、念威繰者としては君に匹敵するほどの才能を持つ子だ」

 

 告げた言葉に返ってきたのは二つの動き。

 呆れたという様な深い吐息と、

 

「――要らん。邪魔になるだけだ」

 

 あっけないほどに簡潔な拒絶だった。

 

 ●

 

 緊急避難令が発動され、その旨も都市中に放送で伝わっている。それでも万が一のことを考え、都市警察は使える人材を総動員して最後の見回りに骨を折っていた。

 ナルキ・ゲルニもその一人だった。

 

「はあっ……はあっ……!」

 

 可能な限り急ぎながら、残っているかもしれない人影を探していく。

 レイフォンに食糧を持たされたミィフィとメイシェンを無事にシェルターまで送り届けた後は、ずっとこれを続けていた。

 

「――誰か居ませんか! 都市警察です!! 避難命令が発令されています、すぐにシェルターに避難してください!」

 

 声を張り上げつつも、脳裏に浮かぶのは親友二人の姿だ。

 メイシェンは怯えていたし、ミィフィも気丈に振る舞っていても、やはり怖れを隠しきれていなかった。

 二人は紛れもない一般人なのだ。

 汚染獣の襲撃と聞けば恐れを抱いて当然だろう。

 嘘だとしても、”自分が居るから”などとは言えなかった。武芸者なのに、あるいは、武芸者だからかもしれない。

 汚染獣を漠然とした不安ではなく、明確な脅威として認識出来てしまう。

 未だ成人すらしていない半人前のナルキとは、比べ物にならない程に強く熟達した武芸者であっても、汚染獣戦では容易く命を落とすことがある。

 それが汚染獣という脅威。

 人類の天敵。

 むしろ誰も死なないで済む方が稀だ。学生しかいない学園都市にとって余りに重い現実だった。

 ……そういえば……。

 不意に思う。

 レイフォンはどうなのだろうか、と。

 彼は対抗試合で圧倒的な実力を見せつけていた。都震が起きてからも動揺することなく至って冷静に行動していたように思える。しかも、メイシェンたちに食事を持たせるなど、他人に気を回す余裕まであった。

 誰もが何が起こったのか分からずに混乱している中、彼だけは正確に”当然の様に”生き抜くための備えを口にしていた。ほとんど無意識に従ってしまう程に力強く、なにより信頼させられてしまう何かがあった。

 ……レイとん……。

 彼は決して、単なる学生に収まるような武芸者ではない。

 余りに違い過ぎた。

 

「……いや。たとえレイとんがどういう人間であれ、ツェルニのために戦おうとする武芸者には変わりないよな」

 

 ナルキは吐息する。

 むしろ頼もしいと言うべきだ、と。

 ひたすら走り回り、声を張り上げるだけの行為は、無辜(むこ)な時間となるらしい。つい無駄な事に思考が巡ってしまう。

 余計なことに気を回している暇があるなら、と身体を動かした。商店街全域を駆け回り、どこからも反応がないことを確認。

 身体ごと振り向き、

 

「誰も居ないな、よし……」

 

 そのまま駆け出した。

 商店街を来たときとは逆の方向。目指す先は都市警察の事務所だ。

 途中に行動を挟まず走り抜ければ、所要時間がかなり短縮されることになる。それなりに時間をかけたはずの商店街も武芸者の健脚ならば十分と必要としない。

 商店街を抜け、学校を右折して進み、しばらく走れば事務所に辿り着く。

 建物の中へと足を踏み入れ、最初に思うのは人気の無さだ。普段ならばそれなりに喧騒に包まれていたものだが、今は誰一人として見当たらない。

 吐息ひとつで複雑に絡まる感情を吐き捨て、奥の通路に行き、所長室の扉を(くぐ)る。

 

「――ナルキ・ゲルニ、ただいま戻りました!」

 

 都市警察は市民の避難誘導を担当する。だからこそ、一切の不備があってはならないと言ったのは目の前に座るフォーメッドだった。 

 彼には武芸の才はなく、当然、都市警察に所属する武芸者は先に避難させようとした。しかし、事務所に残るという意志を頑として曲げず、報告を受ける上司として最後まで居残った。

 普段こそだらしない態度だったりするが、自分の仕事に対して信念と情熱を持つ強い人だと行動が証明していた。

 

「商店街に市民は残っておりませんでした」

「ご苦労さん。お前は外縁部の防衛組と合流してくれ。あとはこっちでやっておく」

 

 相変わらずの投げなりな態度にやれやれ、という感想を抱くが、それ以上に、この人には死んでほしくない。得難い人だと、そう感じた。

 

「先輩こそ仕事を終えたらすぐシェルターに行ってください」

「分かってるさ。……お前こそ死ぬなよ」

「はい!」

 

 フォーメッドの激励を背に、事務所を後にした。

 向かうのは武芸者たちの集合する外縁部。

 行けば、汚染獣と戦うことになる。矢面に立ち、真っ向から立ち向かわなければならない。

 それを怖いと思う。

 だが、もう一人の自分が絶対に逃げるなと言っている。

 武芸者の義務だとかではない。自然と脳裏に浮かぶような誰かを思い描いて、その誰かが死んでしまう方がもっと怖い。

 だから、行った。

 外縁部に居る大勢の武芸者の中に飛び込んだ。

 いくつもの音が鼓膜を殴打する。

 上級生の張り上げる声だ。

 

「我々は小隊員を中心としてブロックごとに区切って防衛、撃退する! 人員の交代を頻繁(ひんぱん)に行って可能な限り戦線を維持するんだ!! 我々の後ろに居るのは一般人だということを忘れるなッ」

「一年のナルキ・ゲルニです。都市警での避難誘導を終えて合流します」

「よく来た。お前は、……そうだな、十七小隊の所に行け。あそこだ」

「分かりました」

 

 指示された場所に向かうと、ニーナ先輩が中心になって指揮を執っていた。

 彼女のことは対抗試合で見たので容姿に覚えがある。凛とした雰囲気に戦闘衣が良く似合う人だという印象が残っている。

 近づくと、彼女はこちらに気付いたらしく名乗った。

 

「ニーナ・アントーク、三年生だ」

「ナルキ・ゲルニ、一年です」

 

 自らも名乗り、周囲を見渡した。

 しかし、ニーナの他にこの場に居る七小隊員はシャーニッドだけだ。

 念威繰者であるフェリならともかくレイフォンが居ないのはどういうことだろうか。自分が質問してもいいのか判断がつかなかったが、結局は好奇心に負けて問いかけることにした。

 

「ニーナ先輩、レイとん……じゃない。レイフォンは居ないんですか?」

「ああ、レイフォンなら生徒会長に呼び出されたぞ」

「生徒会長?」

「別におかしなことじゃないさ。あいつはツェルニ最強の武芸者だ。別働隊でも任されたんだろう」

「……?」

 

 ニーナの発言には、何もおかしいところは無い。

 だが、ナルキはそこに違和感を感じていた。

 その”何か”を問いかけようとした、そのときだ。

 

「!」

「う、わ……ッ」

 

 都市が一際(ひときわ)大きく揺れ動いた。

 そして、巨大な震動が終わると、入れ替わりのように都市から脈動というべき音が伝わってきた。

 地鳴りの様な音は少しずつ大きくなっていき、遠かったはずの音は、もうすぐそこにある。

 

「どうやら、汚染獣が来たらしいな。すぐに開戦だ。お前も配置につけ」

「……はい」

 

 問答している暇などありはせず、一抹(いちまつ)の不安を残しつつも従うより他になかった。

 

 ●

 

 ぼんやりとした光の灯された地下空間がある。

 無数のパイプや建築材で固められた都市の下部ハッチの上だ。

 第五小隊の念威繰者であるサアラ・ベルシュラインは、そこで自分の命を預ける男と共に都市外戦装備の最終チェックを行なっていた。

 

「……問題はない。異常を感じた場合はすぐに言え」

 

 都市外戦装備のチェックには、必ず他人の眼を介在しなければならない、とレイフォンは言った。

 自分だけの確認では、思いこみに目を曇らせ、結果として汚染物質に焼かれることがあったりするらしい。確かに、背中などは他人に確かめてもらうのが確実だろう。

 そこに反論はない。でも、とサアラは思う。

 ……それ以前の問題かな……。

 

「レイフォンさんの方も問題ありません」

「よし。幼生体が外縁部に取り付くまでの時間は?」

「およそ四分で到達します」

「それまで待機。戦端が開かれると同時に降下、洞窟の奥に居る雌性体の討伐に向かう」

 

 本当にやらなければならないのだろうか、とサアラは内心で息を吐く。

 知らされた作戦は明解かつ単純で、単身で汚染獣の行軍する洞窟を逆走。どこに居るかも分からない雌性体を探し出して殲滅するというものだった。

 こんなものは特攻ですらない。ただの自殺だ。

 当然、そんな作戦未満の暴挙を平然と推し進めるゴルネオ隊長殿に猛抗議したが、彼は一切取り合わなかった。自分が感情を抑制しがちな念威繰者でなければ、そんなに私を殺したいのか、殺したいなら死ねと言えばいいじゃないか! と喚き散らしていたに違いない。

 

「あの、訊いていいですか?」

「好きにしろ」

「……どうして、この作戦に参加したんですか?」

「どういう意味だ?」

「だってこんなのただの自殺じゃないですか。……どうやったって無理に決まってます」

 

 そうハッキリと言ってやったのに、レイフォンはまるで不思議そうにこちらに視線を送っただけだ。まさか、この男は自分がどれだけ無謀な作戦を押し付けられたのか分かっていないのだろうか。

 だとすれば未来は暗い。いや、それどころかあと一時間もしないうちに人生が終わってしまう。ああ、故郷の両親に最期の挨拶すら出来ず、先に逝くことになりそうです……。

 

「聞かされていないのか? この作戦を立案したのはこの俺だ」

「貴方、が……?」

 

 何故、という疑問よりも先に思い出したのは、ゴルネオの言った言葉だ。

 この都市で最も安全なのは防衛線を構築する武芸者ではなく、シェルター内の一般人でもなく、レイフォン・アルセイフの傍に居ることだ、と彼はそう言っていた。

 本気で言ってる訳はないと思っていた。しかし、ゴルネオ・ルッケンスという男は、そういう冗談を言う類の人間ではない。ゴルネオに対する信頼と発言の内容とを比較して、精々が半信半疑という程だった。いや、ほとんど信じてなかったけど。

 

「まさか、本気で私を抱えたまま奥まで行けると思ってるんですか? 無数の汚染獣の中を!?」

「可能だ」

 

 レイフォンには緊張も興奮も恐怖も絶望もなかった。まさに自然体のまま、出来ると思っているのか、という私の質問、いえ、詰問に対して淡々と可能であると答えを返しただけ。

 何を馬鹿なことを、と喉元までそんな言葉が這い上がったくらいには腹が立つ。

 ……無責任な人ね、何が”可能だ”よ。いっぺん死ねばいいのに!

 

「どうしてあの子じゃなくて私を選んだんですか?」

「……何のことだ?」

 

 本気に分かっていない声だ。頭が痛くなってくる……。こんなのでも一応は年下。年長者として冷静に、平常心を失ってはいけないのよサアラ・ベルシュライン!

 サアラは大きく呼吸して自身を落ち着ける。そして、わざわざ覗き込むようにしてレイフォンと視線を交わらせた。

 

「隊長が、ゴルネオ隊長が教えてくれました。生徒会長の推薦したフェリ・ロスを選ばなかった、と。私は彼女の途轍もない才能の片鱗を目にしたことがあるから分かっています。これから先、ずっと努力し続けてもあの領域には届かない。……ああいう人を天才と言うのでしょうね」

 

 だからわたしじゃなくてあの子を連れて行きなさいよ! とか、あからさまに言う訳にもいかないわよね……。

 やれやれ、という感情を努めて堪える。おかげで口調が普段にも増して淡々としたものとなった。

 

「貴方もそちら側の人間なのでしょう? なら教えてください。どうしてロスさんではなく、私を選んだんですか?」

「お前が今ここに居るのはゴルネオの判断に過ぎない」

「そうだとしても、ロスさんを拒否したことまでは聞いています。その理由が知りたいんです」

「今、訊くべきことだとは思えんな」

 

 重要な作戦実行直前、と考えれば確かにそうかもしれない。しかし、死出の旅に逝くハメになった理由を知るチャンスは今が最後。これ以降に訊こうと思っても状況が許さないはずだ。というか返事が無いただの屍に成り果ててたりしそう……。

 そういうことになった原因である男が目の前に居て、見ているだけでムカつき、イラ立ち、大噴火とわたしの怒りが三段移行した。

 

「…………」

 

 たぶん、今の私はとても凄い眼でレイフォンを睨み付けていると思う。顔はフェイスマスクで隠れていても、きっと人様には見せられない顔になってる気がする……。

 すると、ややあってから、呆れた様にレイフォンが息を吐いた。

 

「これといった特別な理由なぞない。……が、強いて言うなら二つだな。単に俺が奴を信用出来なかったというのがひとつ」

「?」

「才能は間違いなく世界でも随一だろう。あれと同じ領域で語れる念威繰者は二人しか知らん」

 

 だがな、とレイフォンは言った。

 

「フェリ・ロスは念威繰者であることを忌避している。たとえ呼吸と同じく、ごく自然に念威を扱えたとしても、念威を嫌う念威繰者など信用に値せん。なによりアレは俺に恐怖を覚えている。戦場で”気まぐれ”でも起こされてはかなわん」

「それは……」

 

 確かにそうだ。

 都市の外は死の世界であり、そこに行く武芸者が都市の住まう市民の命を背負っているように、武芸者の補佐を行う念威繰者が武芸者の命を背負う。

 念威繰者も外に出ているなら互いの命を預ける戦友になるだろう。だが、フェリ・ロスは都市外に出る必要のない程の才能を持っていて、しかもレイフォンを恐れている。これでは、到底信用など出来るはずがない。

 

「問答は終わりだ。――始まったらしい」

 

 直後。

 汚染獣の不気味な鳴き声と武芸者の怒号が弾けた。

 ……というか、ホントに抱きつかなきゃダメですか?

 

 ●

 

 赤錆びた甲殻。

 赤い光を(こぼ)す二つの複眼。

 殻の擦れるギチギチという異音。

 

「これが、こんな物が……!」

 

 醜悪としか表現できないその物体は、地上の覇者。

 無数の蟲が悍ましく蠢く様なそれは、人類の天敵。

 

「――汚染獣」

 

 生まれたばかりの汚染獣、幼生体。

 胴体部の甲殻から生えた一対の翅が震えていた。小刻みの震動は空気を波打たせる。

 大群から届く震動の合唱はもはや濁流だ。

 背筋を凍らせる様な濁流と共に、赤黒い幼生体の津波が人間を飲み込もうと迫り来た、その時だ。

 

『俺たちの後ろに居るのが誰か、思い出せ!』

 

 誰かの声が通信機を通して絶叫した。

 

『逃げ場など無い! 逃げれば俺たちが守るべき市民が(むさぼ)り食われるぞ!! 戦え! 市民も仲間も自分のことも全部だ! ――戦って守り抜けェ!!』

 

 身体の震えは止まらない。

 だが、とツェルニの武芸者達は思う。

 身体は熱く、心に火が灯った。だからこれは武者震いだ、と。

 だから、という様に彼らの言葉は重なった。

 

(おう)!!」

 

 ●

 

「行くぞ」

 

 嫌です、サアラ・ベルシュラインはツェルニの外に行きたくないのです。そう言えたらどれだけいいか……。

 切なる願いも虚しく、レイフォンは背負った私ごと飛び降りた。

 その先は、赤い滝。

 夜の中に怪しく光る赤は幼生体の眼光だ。

 汚染獣についての情報だけなら集めていた。しかし、サアラは無意識に息を飲んでいた。

 ……なんて、(おぞ)ましい……。

 

「わ、わざわざ飛び込むんですか!?」

「避けていこうとも奴らが人間(エサ)の匂いを見逃すものか。第一、上の援護にもなる。黙って見ていろ」

 

 直後に青い光が縦横無尽に飛散する。

 

「な――」

 

 いつ錬金鋼を復元したのか、レイフォンは青石錬金鋼(サファイアダイト)を振り回していた。

 光は、青石錬金鋼が纏う剄の輝きだ。

 彼が一太刀振るうごとに、周囲の汚染獣は絶命していく。

 ……一太刀なんてものじゃ、ない!

 視覚には映らないほど高速の太刀筋を、サアラの探査子は正確に捉えていた。

 

「なんて、デタラメな……」

 

 一呼吸で足りるほどの時間に、手の届く範囲に居た汚染獣をひとつと残らず斬り捨てていた。それからは、まるで絶対不可侵の結界でもあるのかのように、近づく全てが血煙に沈んでいく。

 この場において、人類の捕食者であるはずの汚染獣の方こそがエサという圧倒的現実。異様な理不尽がまかり通っていた。

 そんな光景を片手間に作り出すレイフォンの実力は、サアラの想像を遥かに超えている――――。

 無意識に硬い唾液を飲み込んだ。

 この情報は己の知る常識を明らかに逸脱している……。

 具体的なことは分からない。あるいは、どんな都市でも強者として分類されるかもしれない。だが、確かなことがひとつだけあった。

 レイフォン・アルセイフという男は、今まで見たことのあるどんな武芸者よりも強い。

 

「決して手を放すな」

 

 そう言って、レイフォンは自由落下にを任せ、手の届く範囲の幼生体をひとつ残らず切り捨てていく。

 その姿は尋常ではない。

 もしもなにかが違えば、サアラも恐怖したかもしれないほどに。

 ここでの掃討が、上で戦う武芸者たちへの援護でなければ。

 都市外という絶望的な状況下におかれていなければ。

 ゴルネオが彼を信頼していなければ。

 自分が念威繰者でなければ。

 だが、現実にはそうならず、サアラはレイフォンに頼もしさを感じている。

 

「はい……!」

 

 応え、レイフォンの身体に回した手足により力を込めた。

 依然として落下速度は上がり続け、谷底の崖が高速で上に吹っ飛んでいき、自分達はどんどんとツェルニの都市灯りの届かぬ位置へと落ちていく。既に百メル以上も落下し続けているにも関わらず、谷の底は闇に包まれたままだ。

 レイフォン達の落下はもはや高速という言葉すら足りず、墜落という領域に突入していく。

 どうしようもない降下速度の中にあってなお、不思議と恐怖は生じなかった。尋常ならざる武芸者に命を預けているからだ。

 そして、期待する通りになった。

 間合いに入った幼生体を切り捨てるのは同じだが、真下に迫った幼生体だけは殴打で対応するようにレイフォンが動きを変えたのだ。

 打撃力と同等の反発力が落下速度に対するブレーキとなり、過剰な加速を制御下に置く。剄で作り上げた足場や壁、汚染獣すらも用いた巧みな荷重移動は見事と言う以外にない。

 とはいえ、それでも十分に速度が乗っている。すぐに暗い谷の奥底に闇以外の色が見えてきた。

 

(わずら)わしい蟲だな。さすがに数が多い……!」

 

 腹立たしそうに吐き捨てると、レイフォンが再び動きを変化。

 下方から食い破ろうと飛びかかる一体の幼生体を回避。壊さない程度に手加減した一撃をぶち込んだ。

 幼生体は鈍い打撃音と悲鳴をその場に残し、崖へと吹き飛んでいく。

 

「――――」

 

 レイフォンは耳障りな悲鳴から距離を離さない。

 壁との激突よりも早く幼生体の外殻を両の踵をこじって押さえつけ、腰を落としながらレイフォンは背中の私にこう告げた。

 

「これから着地する。備えろ」

 

 サアラの返答を待つことなく、レイフォンは蹴りつけた時に凹んだ幼生体の外殻に足を填め込んで身体を固定。続けてこう言った。

 

「かつての人間社会における遊戯のひとつだ。お前も楽しめ、――サーフィンだぞ?」

 

 直後。

 幼生体の身体が足から順に崖にぶつかり、そのまま、

 

「――――」

 

 悲痛な叫びをその場に残し、幼生体の身体がレイフォン達を乗せて断崖を滑り落ちていった。

 壁面の凹凸が幼生体の身体を削り取っていく度に衝撃が伝わり、それをレイフォンが力尽くで抑え込む。サーフボード以外の幼生体を蹴散らしながらのサーフライドだ。

 

「……ッ」

 

 サアラは口から漏れてしまいそうになる悲鳴を噛み殺す。

 死なないと分かっていても、もし手を放したら、と想像が脳裏に浮かんでしまう。”高所から下を覗き込んだとき”のような身も竦む感覚に晒され続けるのは耐えがたいものだ。

 必死になってしがみついていると、地面がすぐそこまで迫っていた。

 ……近い……!

 摩擦によって減速されたとしても未だ十分な速度で落下していて、かなりの衝撃が予想される。だから、というようにサアラはさらに抱きつく力を強くした。

 そして、次の瞬間だ。

 

「え……?」

 

 着地の反動は落下速度から考えれば余りに軽すぎるものでしかなかった。

 質量こそ()り減ったものの、サーフボードの残骸がそれでも地面を砕く程の落下エネルギーを発揮したの対して、レイフォンのそれは足跡すら残さず、軽快な音を響かせただけだ。

 念威が剄の発生を確認していない以上、これは剄技によるものではない。

 つまり、肉塊が地面を穿つほどの衝撃を体術だけで吸収しきったということ。それも、上半身に一人を抱えながらだ。

 他を圧倒する活剄と、それを余さず活用した極めて高度な体術。

 

「――――」

 

 否応なく理解させられた。

 ゴルネオの言った”この都市で最も安全な場所が彼の傍”という言葉はまったくの真実である、と。そして、

 ……ツェルニの全戦力でも彼には勝てないかもしれない――――。

 サアラがレイフォンに(おのの)いていた、そのときだ。

 

「!」

 

 崖を昇ろうとしていた幼生体、

 翅が乾くことを待っていた幼生体、

 目標をツェルニから目の前のエサへと変えた幼生体。

 全てがレイフォンとサアラを串刺しにせんと、殺到した。

 

「どうだった」

「……はい?」

 

 対して、レイフォンはジョギングにでも出掛けるような気軽さで跳躍をひとつ。

 直後。

 一秒前まで二人が居た空間を幼生体の突進が塗り潰す。

 だが、それは幼生体が幼生体を貫く事態を招くだけに終わる。そして、肉を穿つ湿った音が谷底で連続した。

 レイフォンが戦うまでもない。それどころか指一本触れることなく、幼生体は死体に成り果てた。

 ……ウソ……。

 サアラが絶句していると、レイフォンは再びこう言った。

 

「どうだったか、と聞いている」

「?」

「……サーフィンは楽しめなかったのか?」

 

 ……え、それをいま()くんですか?

 

 ●

 

「レイフォンさんって……」

 

 かなり長い沈黙があって、それから呟くような声を聞いた。

 サアラだ。

 彼女はちょっと驚きな新事実でも発見したかような雰囲気で、

 

「かなり天然入って――、いえ、なんでもありません」

「……」

 

 レイフォンは何も言えなくなった。

 以外と可愛いところがどうこうとか聞こえるが微妙に、いや、かなり気まずいから話題を変えよう。

 

「……雌性体の方はどうなっている」

「ふふっ、ここから()える範囲には確認出来ませんね」

 

 笑いを押し殺したような吐息が首筋に当たる。分かっていますよー、という雰囲気が忌々(いまいま)しい。

 返答せず押し黙っていると、彼女はもう一度笑った。クスクスと楽しそうな笑い方で、

 

「えっと、サーフィンでしたっけ。大丈夫と頭で理解していても怖いものは怖いですね。貴方みたいに身体を動かすのが得意な人と違って」

 

 単なる感想も笑いながら言われれば馬鹿にしているように聞こえてくる。出撃前とはずいぶん雰囲気が様変わりしすぎではないだろうか。

 レイフォンはやれやれ、と大きく吐息した。

 落下時の挙動によって三半規管がやられて酔っぱらったのか、あるいは態度を取り繕う余裕が無くなっただけか。それともまた別の要因か。いずれにしろ、

 ……随分と気安くなったもんだ。

 悪い事ではない。だからといって、それが良い事とは言わない。だが、懐かしいという感覚が無い、と自分を(だま)すことはできなかった。

 

「ふん。死ぬかと思った、くらいは言うと予想していたんだがな」

「貴方がデタラメな人だってことは十分に理解させられましたって」

 

 適当な話し方ではあるが、その方がよほど気安い。

 それは、ツェルニに来てからは無かったモノ。

 グレンダンに居た頃、一人の少女から感じていた”人らしさ”のあったモノ。

 数か月ぶりの他者との交流らしい交流。それを楽しいと思ったのはある種の必然なのかもしれない。

 だからだろうか。

 少しばかり口が軽くなったのは。

 

「……フェリ・ロスを拒否したもうひとつの理由を話していなかったな」

 

 谷底の横穴に突入してから、既に二十三キルメルを走破。

 生まれた幼生体は全てがツェルニへと猛進したらしく、周囲に敵性な気配が感じられない。念威による走査にも感知は未だみられないようだ。

 汚染獣の巣穴、と評していい場所のはずだが、今この瞬間だけは安全と言っても過言ではない。会話を否定する理由もどこにもなかった。

 

「お前は武芸や念威の才能があるなら……、戦うべきだと思うか?」

「そう……思います。私達が戦わなければ人類は汚染獣に対抗出来ないでしょうから」

 

 事実だ。

 都市の外には汚染物質が蔓延していなければ、あるいは武芸者でなくとも武装して戦うことも可能だったかもしれない。しかし、現実にはそれらの技術すらも失われてから(ひさ)しく、再び開発することは不可能に近い。

 念威繰者と武芸者が立ち向かわなければ死ぬだけだ。

 

「確かに一般人には武芸者が戦った結果を座して待つ以外に選択肢はない。信じて見送った誰かが、無事に生還することを信じて待つ以外に……」

 

 武芸や念威の才能が有るから戦わねばならない。

 武芸や念威の才能が無いから戦ってはならない。

 汚染獣に立ち向かうために人類が人類に課した義務は正しい。人類が滅びることなく生存し続けるためには必要なことだろう。しかし、レイフォンはこうも思う。

 

「過程や結果が目に見える形として示されるものだけが才能ではない」

「?」

「例えば、汚染獣が怖いと戦場から逃げ出した武芸者が居たとしよう。彼は武芸者としては普遍的で、汚染獣を目の前にすれば恐怖に足が竦む。――才能が有ると思うか?」

「無い、ように思えます」

「だが彼には驚異的な戦略眼があった。数百人数千人を指揮し、戦争させたのならば常勝無敗。これは才能とは言えないモノか?」

「……いいえ」

「彼が武芸者でなく、一般人だったとしても際立って影響力の大きい才覚だ」

「だから一般人でも才能があるなら戦場に立つべきだ、と言いたいのですか?」

「違う。武芸者でも意志が伴わぬなら戦うべきではない、と言っている」

 

 それは、

 

「戦いたくないと思う武芸者が居るならば、戦いたい、力があれば、と思っている一般人とて居るはずだ。才能じゃない。そいつがどんな力を持っているかでもない。

 ――意志だ。

 意志こそは全てに勝る。誰かに何を押し付けられるのでもない。自らの意志で、自らの感情で立ち上がる者には(つるぎ)を、戦う意志を持たぬ者には、立ち上がった者達の帰る場所であってもらう。そう在るべきだ」

「――――」

「戦場へと行く者に要求されるのは才気ではなく、――覚悟なのだから」

 

 死に満ち溢れた世界を戦場にしたときに、思い知った。

 何の覚悟もなく生きていられる甘い世界ではない、と。

 だから怖れた。陽だまりに居る(いばら)が求められる戦場を。

 彼女はいつだって――――。

 

「……居ました」

「雌性体か?」

「巨大な生命反応、一。雌性体だと思われます。一三○五の方向、距離九百五十メルです」

「おしゃべりは終わりだ。急ぐぞ、誘導を頼む」

「このまままっすぐ進んでください。七百メル先の横穴を左です」

 

 急ぎつつも慎重に進むという神経を削る作業は不要になった。

 ただ走っていく。

 

「そこです、次の横穴を左折してください」

「……あれか」

 

 言われた地点の先。

 視線を向けると、およそ百三十メルの空間を挟んで、奴はそこにいた。

 

「あれが、雌性体……!」

「そこに居たか」

 

 百三十メルという距離は、ギリギリ射程圏内だ。ゆえに最短で済ませるのに最適な技がある。

 外力系衝剄の化錬変化、『次元斬』

 神速の居合いが三度、連続して硬質な音響を響かせると、

 

「死ね」

 

 雌性体と重なる様に三つの球体が姿を現した。

 球体は空間を歪曲したかのようなズレとなり、汚染獣を一瞬にして斬殺していた。

 

「――――」

 

 背中から息を飲む気配がした。

 だが、その反応に付き合っている暇はない。

 ここからは時間との勝負になる。

 

「生存反応はどうなった」

「あっ、はい。……対象の生存反応をロスト。完全に沈黙、しています……」

「急いで帰るぞ。ツェルニを範囲内に捉えたら探査子を飛ばして殲滅と俺の帰還を伝えろ。いいな?」

「分かりました」

 

 レイフォンは、暗い穴を再び駆け抜ける。

 

 ●

 

 射撃部隊に叩き落とされた幼生体は再び飛ぼうとせず、這いずりまわって武芸者達に突撃していった。

 木材や鉄骨、高圧電線を巻きつけた柵。用意された物は単なる障害物に過ぎない。

 幾度にも渡る突進を喰らえば木材は砕かれ、鉄骨は折れ曲がり、柵には死体が溜まる。短時間で用意されたにしては多いと言えるが、幼生体を押さえつけるには純粋に数が足りていなかった。

 しかし、それらは十分な役割を果たした。

 砲撃部隊が打ち落とした幼生体の山の他に、もうひとつの山を作ったのだ。

 這い回ることが精一杯の幼生体には大きな障害であり、攻め寄せる幼生体を散発的なものにしていた。

 それでも、と鉄鞭を奮い、幼生体の殻を砕いたヴァンゼは思う。

 ……初めて目にする汚染獣を相手に実戦ともなれば、精神的な疲労が凄まじい。

 自分の様に身体の出来上がっている上級生ですら疲労の度合いが色濃く表れている。活剄もままならない下級生では既に限界すら超え、後方に下がらざるを得ない者も多い。

 脱落者が増えていけばその分だけ連携の数が減っていく。戦線の維持で手一杯になるだろう。

 多少あったはずの余裕は一切が消え去ることになる。このままでは、

 ……ジリ貧だ。

 だからといって解決に至る策は無い。思わず探査子に向かって言い放っていた。

 

「カリアン、奴はまだか? ここから先は死者が出るぞ」

『たった今、連絡があったよ』

「なに……?」

 

 残念ながら、という言葉を予想していたからこそ、この朗報は気力を充実させた。

 

「いや、そうか。俺たちはどれだけ耐えればいい?」

『……二分。あと二分で彼が戻る。二分後の時点で外縁部に居るのが幼生体だけならば、彼が全てを終わらせると言ってくれた。だからヴァンゼ、頼む。――――耐えきってくれ』

 

 二分間。

 百二十秒という時間は長いものではない。

 だが、今の自分達にとって決して短いとは言えない時間だ。

 

「……二分だな。二分を耐えきったら、もう俺たちには何も出来ないからな」

『しばらくは休校にせざるを得ないね?』

「手当も出せ、と言いたいが、武芸者の義務だから仕方ないな」

 

 息を吐き、

 

「任せろ」

 

 もう心は決まった。

 

「――ツェルニの全武芸者に告ぐ!」 

 

 ●

 

『――ツェルニの全武芸者に告ぐ』

 

 撃退を誓う全ての武芸者が、

 

『あと二分で汚染獣の撃退は最終フェイズに移行する』

 

 情報を精査する念威繰者が、

 

『まだ戦える者は後の事を考えなくていい。全力で目の前の汚染獣を叩き殺し、一気に戦線を押し上げろ』

 

 後方で彼らを待つ一般人が、

 

『だが、決して死ぬな!! 汚染獣と違ってお前達の代わりは居ないからだ。押し込んだなら即座に防護柵の内側まで駆け抜けろ、生き残ることが我々の勝利だと頭に叩き込め!!』

 

 都市に響く武芸長の声を聴いた。

 ゆえに、彼らの返すべき言葉はたった一言で済む。

 

「――――(おう)!!」

 

 ●

 

 数百メルの断崖絶壁を駆け上がっていくレイフォンは探査子から届くヴァンゼの演説を聞いた。

 ……ガキだとばかり思ってたんだけどなあ。案外、いい男じゃないか。

 後のことを考えないという宣言は、即ちレイフォンに対する信頼度そのものに等しい。これに応えることは、レイフォンが己に課した義務の範疇にある。

 第一、自分で言った二分という刻限に一秒でも遅れる訳にはいかない。

 

「少し速度を上げるぞ。ここから先はお前を気遣っていられない」

「リバースしても汚れるのは私だけなんで気にしなくていいですよ」

「その程度で済むはずがなかろう。(かか)えてやるから前からしがみ付け」

「冗談の通じない人ですね。というかそれ本気ですか?」

「その方が安定する。もう幼生体は全てツェルニに居るから遭遇もない。心配は不要だ」

「乙女の恥じらいってもの知ってます?」

「諦めるんだな」

 

 サアラは、はあ、と息を吐くと、もぞもぞと器用に動いて背中から移動した。

 正面から抱きつく形だ。

 高速移動中に行われたサアラの行動を見て、レイフォンは眉間に(しわ)を作ることになった。

 

「……随分と余裕があるようだ。抑えているとはいえ結構な速度で移動しているつもりだったが」

「ずっと抱えられてましたし、この程度は。さすがに慣れてきたという所です。それより女として多少は気になるんですが、反応したりしないんですか?」

 

 うん? と疑問に思った上でレイフォンは自分とサアラの状態を確認した。

 必死に崖を駆け上がる男と、男に両手両足を絡みつかせてしっかりとホールドする女。どこからどう見ても都市外遠距離活動に従事する武芸者と、その補佐を担う念威繰者の姿だ。

 ……都市外戦装備を着ていれば一目瞭然ではないか。

 念威繰者には違うなにかが見えているのだろうか。いや、さすがにそれはないと思いたい。あくまで情報の集積に特化した能力であってオカルトチックな能力ではないはずだ。だとすれば、他の可能性だが……。

 ……まさか頭になにか疾患が?

 いかんな、酷使せざるを得ない状況下であるというのに。作戦遂行後は病院に連れて行かなくては。自分でやる訳にもいかないし、戦後処理として誰かに押し付けるか……。

 

「よく分からないが、今は作戦に集中しろ」

「…………」

 

 妙にジト目で見られた。

 これは本格的に病症がヤバいのかもしれない。早急に病院に叩き込まなくては俺の責任問題に発展してしまう可能性がある。

 グレンダンの二の舞はごめんだ。

 

「もう(さえず)るな。舌を噛むぞ」

「――ッ」

 

 一気に速度が上がる。

 激しい挙動になり、大きな負担を掛けてしまっているだろう。

 しかし、急がなければならない。

 

「無様でもなんでもいいから耐えろ。意識を(たわ)めるな。あと、――七十一秒」

 

 眼前の光景が一気に下へと吹っ飛んでいく。

 風を巻き込み、足音すらも置き去りしていくレイフォンの視界には、ツェルニの都市灯りが捉えられていた。

 

 ●

 

 障害物の積み上がった幼生体の死体の頂上。

 戦場を俯瞰できる位置だ。

 そこでニーナ・アントークは静かに剄を練り上げる。

 彼女と並んで剄を練り上げているのが一撃で幼生体の殻を砕けた武芸者達、それ以外の者は連携を以て幼生体を翻弄し、可能な限り足止めしていた。

 ……体力や速度に不安の残る者は後方に下がらせたとはいえ……。

 防護柵までの撤退におよそ三十秒を要する。

 即ち、残り時間は実質四十秒ということ。

 射撃部隊の猛者も参加させたいが、飛行能力を持つ幼生体を見逃す可能性は潰したい。少数でも飛ばれてしまうと危険だ。彼らには後方からの援護に徹底してもらう必要があった。

 

「アントーク隊長、いつでも行けます」

「もう少し待つ。早過ぎても遅すぎても駄目だからな」

 

 ニーナの作戦は単純なものだ。

 その場の幼生体を一斉に殺しつくして戦場に空白を作る。一時的な空白でしかないが、結果として戦線を押し上げることになる。

 

「さっきは大丈夫かと不安に思ったものだが、新入生にもいい動きをする者が居るな。確か――」

 

 ……ナルキ・ゲルニ、だったか?

 彼女が修めているのは内力系だけのようだが、彼女と二人の上級生による連携は見事なものだと思った。

 ナルキがすばやく幼生体の側面に回り込むと比較的柔らかい足の関節に一撃を見舞う。痛みに吼える幼生体が彼女に向かえばすぐに後退し、左右を固めていた二人の上級生が衝剄を叩き込む。幼生が怒りにかられてそちらに迫ればナルキが再び気を逸らす。

 この繰り返しだけの単純な戦法だが、既に結構な数の幼生体を倒している。

 

「はは、耐えるだけでいいと言ったんだがな」

 

 きっと、何かをしたいという意志があるのだろう。

 この戦場に居る誰もが同じ想いを抱いているはずだ。

 耳に届くカウントダウンは既に五十秒を切っている。

 

「さて、残り四十七秒だ。殲滅班、そろそろ行くぞ」

「いつでも」

「よし。――――着いて来い!!」

 

 剄を練りに練り上げた約二十名が駆け出した。

 青、赤、緑、黄、紫。

 鮮やかな色彩を伴って幼生体に突撃していった。

 

「総員! 援護しろ!!」

『――了解!』

 

 戦場が胎動する。

 死体の山から駆け降りる彼らの邪魔をさせまいと、全員が動き出したのだ。

 

「迎撃班、奴らの意識を釘付けにする! 隊長たちの方に向かわせるな!!」

 

 応、という声と共に彼らは各々に出来る最大の攻撃を叩き込む。

 

「――――」

 

 幼生は奇怪な吼え声を上げた。

 そして本能の(おもむ)くままに進路を変更した。

 痛みの原因を突き殺すつもりなのだ。

 

「こっちだバケモノ!」

 

 彼らは注意を引きつける役割を分担し、神経をすり減らしながらも辛うじて幼生体の行動をコントロールしていた。

 このままなら残りの時間を確実にモノに出来る。

 誰もがそう感じていた。

 しかし、

 

『後続の汚染獣、戦域まで三秒! ――――来ます!』

 

 最後の波だ。

 翅を上手く扱うことの出来なかった幼生体の群れが、死体の山を乗り越えて前線に姿を現したのだ。

 他の戦域に現れた個体も含めれば、その数は四百を超えていた。

 

「な……! これだけの数がこのタイミングにかっ!?」

 

 ニーナは驚愕を言葉にしてから、失態を悟った。

 指揮官の動揺は一瞬にして全軍に伝播してしまう。故に指揮官たる者は決して揺らいではならない。

 ……だというのに……!

 ざわめきが急速に拡大していく。

 これを動揺した指揮官本人が収めることは不可能に近い。

 ましてニーナは三年生であり、他の小隊隊長と比べても明らかに求心力に欠ける。当たり前のことを言っても効果は見込めない。

 ……何を言えばいい?

 ニーナが思考に沈んだ、そのときだ。

 探査子から音が届いた。普段ならば腹を立てるであろう軽薄な声の主は、

 

『――ニーナ隊長』

「シャーニッドか!」

『命令をくれ。命令してくれれば、俺たち射撃部隊が外側の山ごと汚染獣を吹っ飛ばす』

 

 外側の山

 汚染獣の侵入に対して防波堤の役割を果たしていた死骸の山。

 その崩壊は侵入数の著しい増加を(まね)く。

 

「馬鹿な。そんなことをすれば戦線は崩壊してしまう」

『武芸長の言ったことを思い出せよ。あと三十秒ちょっとで全員が防護柵の内側に立て籠もるんだぜ? 目的は戦線の維持じゃない。都市外縁部に居るのが汚染獣だけって状況を作り出したいのさ。そんな状況をすぐに片付けられるような奴なんて普通は居ない。けど、俺達はそんな無茶をやれちまう後輩を知ってるはずだろ?』

「……レイフォン、か」

 

 ツェルニに現れた本物の武芸者。

 汚染獣と遭遇したのが、彼の在籍する年であったことは幸運に間違いない。それでも、とニーナは思考の中で一拍を置く。

 ……それでもレイフォンに(すが)る様な軟弱な真似は出来ない。

 彼が居るから、と簡単に頼っていいはずがない。

 彼が居たとしても自分の役割は果たさねばならない。

 やろうとする意志すら失ってしまったら、

 ……私は武芸者ではなくなってしまうだろう。

 

「総員聞け」

 

 息を吸い、念威に言葉を載せる。

 

「射撃部隊は五秒後に外側の山を、そのさらに八秒後に内側の山を破砕しろ。迎撃班、殲滅班は現在の行動を継続。あと十五秒で全て終わらせて戻るぞ。道が平坦になるんだ。防護柵まで走り抜けるのに十五秒も必要だなんてことはないな?」

『ニーナ!?』

「――命令だッ! 各員、作戦を続行しろ!!」

『ああクソッ! この頑固者め。戻って来たらぶん殴ってやるからな!』

 

 残り、三十秒。

 

 ●

 

「着いて来い!!」

 

 叫び、ニーナが突き進む。

 殲滅班の面々は文句のひとつも零すことなく彼女に続いた。

 ニーナ・アントークという女性は確かに三年生であり、指揮官としては若く、未熟。経験も十分とは言えないだろう。しかし、一時間にも満たない僅かな期間に彼らの信頼を勝ち取っていたからだ。

 純粋に強いという事も要因のひとつかもしれない。

 それ以上に彼女という人間が、命を預けるに値する人間だと感じていたのだ。

 

『残り二十五秒! 目標は外側の死骸、撃て――――!』

 

 直後。

 彼らの頭上を白光が貫いた。

 防護柵の更に後方から放たれた剄羅砲(けいらほう)の一撃だ。

 着弾の音は砲撃というよりはむしろ、液体が砕かれる音に近い。

 白光は死骸の山を溶かすように飲み込み、内包された力が逃げ場を求めて爆散した。

 そうしてニーナたちが得られたのはわずかな時間だ。

 殲滅班は数秒の距離を走り抜けると、最前線に居座る幼生体を射程圏内に捉え、

 

「お前達の全力を叩きつけてやれッ」

 

 ぶち込んだ。

 

「おおおお――――!」

 

 打撃音や肉を切り裂く湿った音が幾重にも重なり、それは成果としてニーナに伝わった。

 即座に指示を出す。

 

「総員反転! 走り抜けろ!!」

 

 命令を下した、その直後。

 

『障害物上の山を吹っ飛ばすぞ、備えろ! 照射範囲は絞ったな? 射撃部隊、撃て!!』

 

 再び後方から剄が(またた)いた。

 しかし、今度は頭上を通り抜けることはない。

 後方とニーナたちの間に積み上げられた骸の山を剄が打ち砕き、”通り道”が作り出されていた。

 ニーナは率先して飛び込み、声を張り上げた。

 

「遅れるな! ここを越えれば私達の勝利だッ!」

 

 一拍遅れて殲滅班と迎撃班が駆け込む。

 前線を保ち続けていた武芸者は疲労のピークにある。しかし一人として速度を緩めない。

 この道だけが、”生”へとつながる唯一の活路だと理解しているからだ。

 短くも濃厚な数瞬を駆け抜け、

 

「――――よく戻ってきた」

 

 彼らはついに防護柵の内側へと飛び込んだ。

 そんな彼らを迎えたのは、後方支援を担う仲間の快い笑みだ。

 だから、という様に笑みを以て無事を証明してみせ、各々が個人的に友誼のある面子と向き合った。ニーナもシャーニッドに笑いかけて、

 

「どうだシャーニッド。残り三秒もあるが、それでも殴るか?」

 

 はあ、とシャーニッドは大きく吐息した。

 

「ふざけんな。無茶すんじゃねえって意味だよそれは。絶対ぶん殴るからな」

「それは怖いな。お手柔らかに頼む」

 

 軽口の応酬を済ませると二人は視線を幼生体に向けた。

 すぐに起こるであろうツェルニと汚染獣による生存競争。

 その終わりを見る為に。

 

 ●

 

 二分という刻限を前に全ての武芸者が防護柵に(こも)った。

 しかし、僅かな時間を残していたが故に彼らは恐怖した。確実にやって来るであろう絶望に。

 甲殻を(こす)り合う不快音。

 地面を這いずる摩擦音。

 聞こえてくる不気味な音が、着実に大きくなっている。

 彼らの未熟な精神が未だかつてない恐怖の波に押し潰される、その前に。

 

「――――」

 

 全てを一斉にかき消すように、豪雨じみた”蒼”が幼生体を皆殺しにした。

 

「な――――」

 

 誰もが眼を剥き、呆然と立ち尽くした。

 (まばた)きほどの一瞬。たったそれだけの、刹那の中の出来事だった。

 津波の如く人間を飲み下さんと迫っていたはずの幼生体が今や死体に成り果てている。死因は誰が見ても明らかだ。

 降り注いだ”蒼”。

 一切を剄によって創り上げられた蒼々と輝く剣。

 蒼剣は幼生体の(ことごと)くを破砕していた。そして、

 

「……消えた?」

 

 雨の様に降り注いだ無数の蒼剣はあたかも白昼夢であったかのように消失した。

 しかし、幻ではないことは明らかだった。

 死体しか残されていないからだ。

 あれだけ脅威として存在していたはずの汚染獣は、もうどこにも居ない。

 

「…………」

 

 一瞬の激動が怒涛のように押し迫り、誰もが押し黙った。

 重苦しい静寂。

 そんな音のない状況だったから、ひとつの小さな音が確かに伝わった。

 汚染獣の死骸の中に発生したそれは、足音だった。

 

「!?」

 

 誰もが今度はなんだ、と思った。

 そんな感情を乗せた視線が集まる先。

 そこに居たのは都市外戦装備に身を包む男女だ。

 女の方が着ている戦闘衣にはツェルニのマークが描かれている。少なくとも女の方はツェルニに所属する人間であることが判る。

 しかし、男の方には何のマークもない。

 普通に考えれば男もツェルニに所属している武芸者のはずだが、肌を突き刺す圧倒的な存在感は学生と称することを躊躇(ためら)わせた。

 自分達とは余りに違い過ぎる。

 

「な、何者……?」

 

 恐怖を押し殺したような呟きは、この場に居る全員の想いを代弁していた。

 しかし、男は応えない。

 抱えていた念威繰者の少女を下ろすと、

 

「反応は?」

「ありません。汚染獣の生命反応、全て消失(ロスト)しました」

 

 女、というよりは少女という印象を受ける声だ。しかし、彼女の声からは感情というものが抜け落ちていた。

 すると男は(おもむろ)に少女のフェイスマスクを覗き込む。

 顎に手を添えて顔を近づけるその仕草は、甘い情事と見紛うほどに自然な動きだった。

 

「情報過多、か。……お前は役目を果たした。念威の使用を終了しろ」

「――はい」

 

 次の瞬間。

 少女の全身から力が抜け落ちた。

 正面に居た男に向かって倒れ込み、自然と男が抱き止める形になった。

 男は沈黙のままだったが、ややあってから、

 

「この場の責任者は誰だ。前に出ろ」

 

 ツェルニの武芸者たちの視線は一人の男に集まった。

 男は一瞬で青褪(あおざ)めた。視線に叩きのめされたかのような変化を誰もが哀れに思って、しかし、皆が目を逸らした。

 周囲を見渡して助けがないことを理解すると、彼は震えの止まらない身体を強引に進ませて名乗りを上げた。

 

「第十小隊隊長の、…………ディン・ディーだ」

 

 彼の蒼白になった顔とは逆に、心臓の鼓動は張り裂けそうになるほど激しい。

 対して男はゆっくりと歩を進め、ディンに近づいていく。

 

「!」

 

 ディンは一歩ごとに鼓動がうるさくなっていくのを感じた。

 そして、すぐ近くまで来た男は、失神した少女をディンに押し付けると、

 

「この娘を頼む」

「――――」

 

 消え失せた。

 蒼剣と同じ現象だった。

 まるで夢幻の如く消え去っていた。

 肌を指すような威圧感は既になく、腕の中で眠り続ける少女だけが、男がここに居たということを証明していた。

 

「だ、大丈夫か、ディン?」

「…………死ぬかと思った……」

 

 この日、幾人もの武芸者が小隊員になることを諦めた。

 

 ●

 

 目を覚ますと天井が見えた。

 高く、白い天井だ。

 

「ここは……」

 

 サアラは身体を起こし、室内を見渡した。

 ……病室、ね。

 安堵から吐息を零すと同時。

 声をかけられた。サアラが声の方へと顔を向けると、

 

「あら、お目覚めですか?」

 

 入口に白衣の女が居た。

 おそらくは医療系志望の上級生だろう。彼女は失礼します、と一言告げると慣れた手つきで眼球や口内の状態を確かめていく。

 

「問題はないようですね。丸三日間眠り続けていましたので体力が落ちてると思いますが心配ありません。一応、栄養剤の点滴は出しておきますが、しっかり食事を召し上がってください。その方が回復は早いです」

「……そうですか」

 

 返答に間があったのは、いろいろと訊きたいと思ったからだ。しかし、あの戦争で多くの怪我人が出たはずだと思い直す。きっと目の前で微笑む女医も忙しいに違いない。だからサアラは誰かに訊けば分かることは質問せず、自分の状態だけを問いかけた。

 

「私はこれからどうなりますか?」

「貴女の意識が回復するのを待っていた検査がいくつか残っている程度ですね。それさえクリアすればすぐにでも退院出来ます」

 

 もう一度サアラが、そうですか、と呟くように返答すると、彼女は思い出したようにこう言った。

 

「ああ、そうそう、脳にも異常は見られませんでした」

「脳の検査を?」

「ええ、貴方を訪ねてきた人が言うには、ええと、……天然がどうとか? まあ、言動に不審な点が見られるため、脳の検査をお願いしたい、とのことでして。先日の一件では念威繰者として酷使してしまったこともあって心配していた様子でしたよ」

「天然? ……まさか」

 

 嫌な予感がした。

 

「結果は伝えしましたが、その人も安心したご様子でした。”あいつ天然だったのか”なんて誤魔化してましたけどね、ははは」

 

 ブチ切れそうになったが、なんとか堪えた。

 念威繰者は怒らない。怒らない。怒らないのだ。

 目の前に居るのはあの男ではない。女医だ。そもそも”その人”とらが別人ということもあり得る。いや、別人のはずだ。そうに決まっている。

 

「一応お聞きますが。……その人とは、誰のことです?」

「アルセイフさんですよ、十七小隊の」

「鏡見ろぉ――――!!」

 

 つい大声で叫んでしまった。

 冗談じゃない、天然なのはあの男の方だ。そんな馬鹿なことばっかり言ってるから”天然だ”って言ったのに!

 

「あー……、これは再検査が必要かもしれない、かなあ?」

「アンタもか! 死ねっ! 死んでしまえ――――!!」

「あっちょっなにをしやがりますかっ!? 誰かっ、誰か来て――! 患者が暴れてるわ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 ●

 

 入院が三日延びた。

 絶対に一発ぶん殴ると心に誓った。

 

 ●

 




BGMとか今は考えられない。
昨日と明日なら考えてたかもしれない。メンゴ。

レイフォンだって真面目にやればできる子だって感じで書いた気がする。

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