俺はスタイリッシュなヴォルフシュテイン   作:マネー

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ザ・モーニング・スター編第三話:未熟は未熟なりに

 ●

 

 カリアンか、と呟く声がある。

 レイフォンだ。

 彼は練武館の高い壁に背を預け、カリアンの声を経由させる念威端子を眺めて口を開いた。

 

「何の用だ。話は済んだと思うが?」

 

 冷たい声が飛ぶ。

 念威端子の向こう側に息を飲む気配がある。そして少しの間をおいて、声が返された。念威端子を通した音は空気を震わせて音を作るのではなく、念威の振動で音を形成するため、独特の音響を響かせる声だ。

 

『あ、いや、そのだね? 何をするにしても怪我のない様にしてほしくてね。彼らもツェルニの大事な戦力なんだ』

「貴様との契約だろう。武芸大会で重要な戦力は俺ただ一人。こんな有象無象相手に全力など出さん。手加減はしよう。だが……」

 

 彼は視線をニーナに向けて、は、と笑った。怪我の有無など結局のところ、

 

「――こいつら次第だ」

「ふざけるなあっ!!」

 

 練武館を怒声が貫いた。

 空気を振動させるのは音だけではない。ニーナの怒気に呼応して剄が全身から(ほとばし)り、無作為に放出された微量の剄が衝撃となって空気を叩いているのだ。

 押し出された空気がレイフォンの髪を撫ぜる。すると彼は風で垂れた髪を手櫛でかき上げ、彼女を視線の先に置くと、ほう、と不敵に笑った。

 

『ニーナ・アントーク君!』

 

 真っ先に反応したのはカリアンだ。レイフォンの反応に不穏な気配を感じた彼の声には焦りの色が(にじ)んでいた。しかし、表面上は平静を失うことなくニーナを諌めようと口を開いた。

 

『今は私がレイフォン君と話している。口を挟まないで――』

「――ふざけるなと言っているんです! 生徒会長!!」

 

 ニーナは感情のままに叫ぶ。

 

「この男一人だけで武芸大会に勝てるかの様な発言を見逃せと言うんですか! ツェルニの全武芸者への許されざる侮辱だ!! それを貴方が、ツェルニの代表である貴方が見逃すなど、あって良いはずがない……!」

『…………ッ』

 

 決して答えられない、答えてはならない問いかけにカリアンは沈黙した。

 答えなければならない問いかけに、何も言わないのか、とニーナは更に怒りを猛らせて再び口を開く。しかし、それを制止する様に耳を打つ音があった。

 

「そこらで止めておけ」

 

 ●

 

 動きを止めたニーナが頭の中で何度も反芻(はんすう)するのは、

 ……止めておけ? 止めておけだと……?

 ツェルニの武芸者を見下す発言を繰り返すお前が言うのか、とニーナは思う。平然と他者を侮蔑する(やから)が一体どういう思惑でカリアンを擁護するのだろうか。

 怒りを心に灯し、全身に充満させた剄をそのままに、壁に背を預けた制服姿の男を見る。

 傲慢で、挑発的で、しかし、ブレのない男だ。視線も強く、揺るぎない。自信に満ち溢れていた振る舞いは一切の(よど)みがなく”歴戦”という言葉を想起させた。

 ニーナはかけられた制止の声に対して問いを投げ返す。

 

「なぜ、お前が止める?」

 

 すると、レイフォンは呆れたようにこう言った。

 

「貴様らに奴を叱責する権利が無いからだ」

「どういう意味だ?」

「権利とは、義務と責任を果たした者だけが得られるものだ。貴様ら”ツェルニの武芸者”とやらは武芸者が果たすべき責務を完了しているのか?」

「…………!」

 

 ニーナは屈辱を顔に張り付けて沈黙させられた。

 ツェルニの武芸者は、都市の守護者としての十全な役目すら果たせなかったからだ。武芸者として、ツェルニの守護者としての役目を全うしていたのならば、残る保有鉱山がひとつになっているはずがない。

 もちろん、当時の武芸大会で戦略の中核を担い、そして大敗した者たちは既に卒業している。失態の大部分を担う武芸者は、今の学生とは別人だ。

 それでも、とニーナは歯を噛み締める。学年は関係ない。自分が、自分たちが戦力として不甲斐無いから負けたのだ、と。

 それを一番理解しているのはツェルニの武芸者だ。

 それを一番悔しく感じるのもツェルニの武芸者だ。

 

「それでも、わたしは――」

「それでも? 次こそは、という意志か?」

「そうだ。次こそは必ず勝利する。そのために我々は不断の努力をしている」

 

 は、とレイフォンが失笑した。

 明らかに非友好的な笑いだったが、彼はニーナが口を開く前に、いいか、と前置きを作り、

 

「本来ならば、未熟は恥じるものではないだろう。だが、理解しろ。我々武芸者にとって”次こそは”などという奮起は何の意味も持たん」

 

 なぜならば、

 

「武芸者が戦うのは都市の守護のため。即ち、武芸者の敗北とは”都市の死”そのものを意味する。次など存在しない」

「まだツェルニは生きているだろう!」

「まだ死んでいないだけだ」

 

 レイフォン・アルセイフという男は、ツェルニの武芸者を根本から否定している。その努力を無意味だと切り捨てている。その存在に価値が無いと諦めている。

 許しがたい屈辱だ。

 ツェルニを守ると誓う一人の武芸者として、決して見過ごしてはならない。この男を認める訳にはいかないのだ。

 

「お前は……、お前はあくまで我々を侮辱するのだな」

「貴様らに侮辱される程の価値はない。弱い武芸者に存在価値など無いと知れ」

 

 ならば、とニーナが(りき)み、声を張り上げようとする。しかし、それを遮り、軽薄な印象を受ける男が割り込んだ。

 

「――ならちょっと教えろよ、新入生」

「シャーニッド?」

 

 日頃からやる気を感じさせない男がニーナの肩に腕を置き、レイフォンに対して挑発的な視線を放っている光景は、違和感を抱かせる。

 なぜ、と。どうして、と。問いかけがいくつも脳裏を過ぎ去っていっては消えていく。しかし、明確な答えが出せず戸惑うニーナを置き去りにして話は進んでいった。

 

「なあ、お前は自分一人で武芸大会に勝てるって言ったよな」

「当然だ」

「だったら、俺とニーナ。いくら小隊員だからって、たったの二人を倒すのに時間は掛からねーよな?」

「安い挑発だな」

 

 しかし、とレイフォンは笑みを濃くする。

 

(たわむ)れだ。貴様らに教えてやろう。本当の強さというモノを、な」

「よし決まりだ。どうやろうかねえ」

 

 ここで、ようやくニーナは再起動。シャーニッドに詰め寄った。

 

「おい、ちょっと待て! 何を勝手に決めているんだ!?」

「――まあ聞けよ、ニーナ」

 

 と、シャーニッドが肩を組んできた。

 レイフォンの視線から隠れる様にして顔を寄せた彼の眼はいつになく真剣な物に見える。普段からこれくらいやる気を出しくれれば、と思わず半目で見てしまう。

 

「……なんだよ?」

「いや、なんでもない」

 

 そうかあ? と呟いたシャーニッドは、ややあってから、まあいいか、と吐息を吐き出した。ともあれ、

 

「あいつがどれだけ強いかなんて俺は知らねえ。けどよ、あの会長が認めてるんだぜ? 生半可な奴じゃないだろうさ。実際、間近で見ても強そうだし、二人で戦っても負けるかもな」

「それは……」

 

 確かに、と続きは声に出さずに思う。

 始めは静謐(せいひつ)な雰囲気だったので気付かなかったが、制止してきた時から異様な空気を醸し出していた。そこに居るだけで押し潰してきそうな圧迫感は、小隊員の誰からも感じたことのないものだ。

 その威圧感から最初に思い浮かんだのは、ジルドレイド・アントーク。仙鶯都市シュナイバルにおいて、名実ともに最強の武芸者である大祖父だ。

 ……馬鹿な、ありえない。

 ニーナは自らの思考に自嘲する。守護神として故郷に君臨する偉大な大祖父とツェルニの新入生でしかないレイフォンが同等の存在であるはずがない。そんな優秀な武芸者を都市が手放すなど、余程の事情でも無ければありえないからだ。

 だが、とレイフォンの方を覗き見る。

 もしも本当にレイフォンが熟達した武芸者であるなら、学生の自分では太刀打ち出来ないだろう。それだけの存在感が、彼にはあった。

 

「ニーナは防御型だし、俺は距離作るし? そう簡単には終わらせねーよ。そうなりゃあ言ってやれる。言い返せる。チームを馬鹿にするな、ツェルニを無礼(なめ)るな、お前一人で何が出来るってな」

「……なるほど」

 

 実力差があるのならば、相応の方法で時間を稼ぐということだ。

 レイフォンには”武芸大会に一人で勝利する”だけの実力を示すため、速攻で終わらせると条件が付けられている。ニーナとシャーニッドのどちらを相手にしても苦戦すら許されない。それを最も効果的に実行するのに最も相応しい戦法は、

 

「――防戦か」

「そういうこと。やってみるかい?」

「当然だ」

 

 見れば、シャーニッドの口元には笑みが浮かんでいる。きっと、自分もそういう顔をしているだろう。

 

「んじゃ、行きますか隊長(ニーナ)?」

「ああ、やるぞ――!」

 

 ●

 

「レストレーション」

 

 最初に動きを見せたのは、やはりレイフォンだ。

 彼は、一瞬の間に姿を掻き消していた。姿が消える直前まで自然体だったのに、だ。

 直立の姿勢から開始される運動で、人間の視界から姿を消す。脚力を大幅に強化して高速移動する旋剄でも捕捉出来るはずのフェリが見失う速度だ。そんなものは予測すらしていなかった。

 どこに、という疑念を抱くよりも前にフェリは念威で走査していた。刹那という僅かな時間で教室内を完全に掌握。念威が教室の全ての物質の動きを伝えてくる。情報の波が感じ取ったレイフォンの居場所は、

 

「な――!?」

「やる気がないのか?」

 

 ニーナの間合いの内側。

 レイフォンは十メートル近くあった距離をゼロコンマ一秒に満たない時間で潰し、ニーナの懐に入り込んでいたのだ。

 そもそも、武芸者の超人的身体能力は内力系活剄によって(もたら)されるものだ。念威繰者であるフェリには活剄の密度で武芸者の力量を読み取る事は出来ないが、レイフォン・アルセイフという武芸者が異常なまでに強い事だけは十分に理解させられた。

 

「くっ……!」

 

 身を引く様に地面を蹴りつけ、ニーナは後退。彼女の焦りからの行動は距離を作るためのものだが、その時には既にレイフォンが動いていた。

 

「――ふん」

 

 鞘を振り上げる単純な打撃がニーナに向けられる。真下から直上へと叩きつける一撃は鉄鞭と激突し、甲高く硬質な音を響かせた。

 

「!」

 

 素早い一撃をニーナが身体で受けずに済んだのは偶然だろう。後退の慣性から取り残される形で胸の前に構えていた双鉄鞭が幸いした。そうでなければ最初の一撃で撃墜されていたはずだ。

 金属音に混じって、なんて活剄だ、という声が念威を通してフェリに伝わり、しかし、続く音は打撃音で塗りつぶされた。

 レイフォンが追撃を仕掛けたのだ。

 狙いは、鞘が防御を弾き、無防備となった腹部。跳躍し、足から溢れた光が弧を作る。股関節(こかんせつ)を基点として、頭からつま先まで描かれる白光の円は蹴撃の二連だ。

 外力系衝剄の化錬変化、『日輪脚』。

 身体の側面で輝く光の円弧は、錬金鋼(ダイト)さえあれば老生体すらも砕く程の破壊力を持つ技だ。錬金鋼がなく、浸透剄としての破壊をしなくてもニーナを悶絶させるには十分な威力を誇る。

 直撃した。

 

「――――!」

 

 『日輪脚』はニーナの身体を激痛で(すく)ませ、言葉にならない絶叫を上げさせた。しかし、絶叫しようとなんだろうと、気絶すらしていない相手を前にして攻撃せずに終わらせるレイフォンではない。

 外力系衝剄の化錬変化、『流星脚』。

 白光を推進力として迸らせ、空中から急降下する急襲型の蹴撃だ。レイフォンは勢いのまま白い流星と化し、鋭い蹴りをぶち込んだ。

 衝撃は、打撃音というよりは飛沫(しぶき)の音に近い。

 飛び散るのは流星の光。そして、光は飛散すると同時に消え去った。

 光の源である流星の方はニーナを打ち抜き、しかし、それだけで止まる事なく地面まで到達した。

 衝突は再び飛沫音を響かせる。白光の剄が余波を撒き散らし、地面を(えぐ)る様に砕いたのだ。

 抉られた地面から走る無数の亀裂は、砂礫《されき》となって巻き上げられて煙幕と化す。土煙が二人を覆い隠して直接の視認を妨害していた。

 

「ニーナ!」

 

 シャーニッドが叫ぶ。

 煙に隠された情報を、ニーナの安否と勝敗を返答の有無で図っているのだろう。しかし、答える声は無い。

 ニーナは気絶し、敗北したのだ。

 彼もニーナの敗北をほぼ確信していた。とはいえ、全力で距離を作るべく走っていた短い時間でニーナが落とされるとは思っていなかったらしく、立ち止まって顔に驚愕を張り付けている。

 すると、彼は不意にその場で座り込んだ。

 

「――やってやるさ」

 

 そして軽金錬金鋼(リチウムダイト)の狙撃銃を復元。土煙に照準を定めた。

 距離にしておよそ十五メートル。

 最後の一瞬。レイフォンが飛び出す一瞬に全てを賭ける。

 自分よりも強い相手に対して、たった一度の機会(チャンス)に全てを賭けて挑む気概は褒めて然るべきものだろう。

 それでも、とフェリは思う。

 ……やはり手も足も出ませんでしたか……。

 土煙に隠された向こう側。レイフォンがやっている事を観ているから分かってしまった。

 

「な、なんだ……こりゃあ?」

 

 青い輝きを秘めた剣があった。十の剣はシャーニッドの首に切っ先を向け、円形に旋回していた。それは、

 

「『烈風幻影剣』。所詮は幻影に過ぎないが、それでも汚染獣に対して有効な攻撃手段のひとつだ。貴様ら未熟者を切り裂く程度なら容易い」

 

 土煙が薄れていくと、レイフォンが姿を現した。その足元には意識を失ったニーナが転がっていて、踏みつけられていた。

 意識の有無を確認しているのだろうか。

 更に、彼はシャーニッドが動けないのを状況にあるのをその目で確認すると、おもむろにフェリを見た。

 

「――――」

 

 息を飲む。

 まずい、と思った時には既に首の横に刃が置かれていた。

 刃の持ち手を見上げると、人間らしい温かみをまるで感じさせない視線がフェリを貫いていた。

 それ見た瞬間。まるで痙攣でもするかの様に身体が震えたのが分かった。自分でも未知の震えに疑念を抱く前に、レイフォンがこう言った。

 

「十七小隊の一人だったな。貴様はどうする?」

 

 どうするも何も、フェリは元から念威繰者であることすら望んでいない。戦う意志など皆無だ。

 だから、と首を横に振る。明確な否定の意思だ。すると、ややあってから、

 

「そうか」

 

 と彼が言い、刀が退けられた。

 フェリは何かを訴える様にして口を開き、しかし、吐く息は言葉にならず、あ、という短い音がこぼれるだけだった。

 そこで、冷たい汗が滝の様に背中を流れていた事を自覚する。

 フェリ・ロスという念威繰者に向けられた期待以外の視線。レイフォンという怪物が呼び起こした感情が畏怖である、と。

 殺すつもりは無かったのだろう。害する意志さえも無かったかもしれない。それでも、まるで虫けらでも見ているかの様な冷たい瞳は、感情の薄い念威繰者にも恐怖を抱かせたのだ。

 

「……これでいいだろう、カリアン。まだ戦いたいと言うなら知らんがな」

 

 恐怖に身を震わせ、身体を抱きしめるフェリに対して、レイフォンは何の感慨も抱かないらしい。

 彼は淡々と念威端子に言葉を向けていた。

 

『ありがとう。大事なくて良かったよ。けど、念威繰者を怯えさせるのは感心しないね……?』

「……え?」

 

 応対するカリアンの言葉の端に怒気の様なものが感じられた。その事実にフェリは戸惑いの思考を作る。

 ……あの兄が、私のことで……?

 怒ったりするのだろうか。

 有り得ない、と思う気持ちがあった。

 昔のようだ、と願う気持ちがあった。

 是と非。相反するふたつの感情が渦巻き、結論を出させない。しかし、思考の渦に沈む行為は、次第に恐怖よりも比重を大きくし、震えを止めていた。

 

「確かに。汚染獣に対して備えの無い都市に居るというだけで十分だったな」

『…………』

 

 幻影の剣も消し、出口へと足を向けるレイフォンの姿を、自分でも驚くほど冷静に眺めている事に気付く。彼の眼を直視していないためか、背筋が凍る様な感覚は戻ってこない。

 遠のく足音と共に聞こえる彼の声が自然に耳を打つだけだ。

 

「明日までに安全装置無しの錬金鋼所持の許可を出しておけ。どうせ許可は刃引きした錬金鋼の物なのだろう?」

『やれやれ。真剣を使っておいて良く平然と言えるね、君は。もう少し周囲に協調してもらいたい所だが』

「平然と裏取引を持ちかける男の言葉とは思えんな」

『人聞きの悪い事を言わないでくれたまえ、レイフォン君。私ほど誠実な男はそうは居ないとも』

「そう信じてほしいなら、相応の誠意を示す事だ」

『ふむ、安全装置を排した錬金鋼の許可証だったね。明日の放課後までには用意しておこう』

「そういうことだ、ハーレイ。調整も含めて明日頼む」

「……え、ああ。うん。分かったけど、ニーナは……?」

 

 単なる技術者であるハーレイですら一目で強烈と分かる蹴りを、ニーナは喰らっていたのだ。しかも、最後は落下によってコンクリートに身体を打ちつけている。ハーレイは完全に気を失った幼馴染の様子に、大丈夫なのか、という不安を言葉に出来ず、喉仏を上下させた。

 

「芯は外した。二〜三時間もすれば目を覚ますだろう」

 

 素っ気ない口調だったが、ニーナを叩きのめした張本人からの保障でハーレイは安堵し、息を吐く。

 

「そ、そっか。良かったあ……」

「――なあ」

 

 と、座り込んだままシャーニッドが呟く様に言った。

 

「どうやってそんなに強くなったんだ?」

 

 問いかけは、レイフォンに対するものだ。

 しかし、レイフォンは振り返らない。歩みを止めず、ロッカールームに通じる廊下への扉に手を掛け、

 

「場数と経験の量が自信と技術を作る。俺はそうやってきた。そして、――これからもだ」

 

 言って、扉の向こうに姿を消した。

 扉が閉まる音が余韻の様に教室に木霊する。やがて、シャーニッドは天井を仰ぎ、呟いた。

 

「……場数と経験の量、か」

 

 ●

 深夜になってから、ゴルネオはレイフォンに連れられて練武館に来ていた。

 今いるのは第五小隊の占有する一室だ。既に通常の訓練時間を大幅に過ぎているため、二人の他に人影は見当たらない。

 一人が地面に横たわったもう一人を見下ろしているだけだ。

 

「どうした。いつまで寝ているつもりだ」

 

 レイフォン・アルセイフの平坦な声を受けた地面に横たわる大柄な男、ゴルネオは、うるさい、と思考を作る。何よりも強く思うのは、

 ……天剣授受者(おまえら)と一緒にするな!

 生まれた時から兄のサヴァリスと比較され続けてきた。サヴァリスが天剣となってからは、比較すらされなくなった。天剣授受者とは圧倒的なまでの戦闘力によって熟練の武芸者達に思い知らせるからだ。決して届かぬ領域に棲む魔物である、と。

 天剣というイキモノの事は十分に知っている。だからこそ分からない。そんな怪物がなぜ、俺の相手をしているのか。グレンダンから、ルッケンスから、

 ……サヴァリスの重圧から逃れてきたこのツェルニで、何故。

 

「なんで、貴方が俺を鍛えるんですか?」

「サヴァリスに頼まれた」

 

 グレンダンから遠く離れた学園都市に、何の因果か天剣授受者がやって来た。しかも俺に鍛錬を施すというじゃないか。

 奇跡の様な話だ。

 冗談の様な、と言ってもいい。まるでありえない程に少ない可能性を引き当てたらしい。嫌な運命だと思った。

 悪態を吐きそうになる気持ちを押さえ込み、首を動かす。なんとか視界に映った男の表情からは、やはり何も読みとれない。

 

「素直に引き受ける性格でもないでしょう」

「否定はせん。だが、奴に限って言えば借りがある」

「借り……?」

「どうという事はない。サヴァリスが使ったルッケンスの技を盗んだだけだ」

「は? ルッケンスは格闘に主眼を置いていると言っても、化錬剄の武門ですよ。それを盗むだなんて、そんな……」

「見れば十分だ」

 

 馬鹿な、と叫ぶ寸前で言葉を唾液で落とし込む。そして再び心を占める感情は諦観に近いものだ。

 ……バケモノめ。

 化練剄は、武芸者が扱う基本剄技の『活剄』、『衝剄』に続いて名の知れた分野だ。しかし、これらふたつと比較すると極端に使い手が限定される。

 それは、単純に難しいからだ。

 活剄、衝剄を剄を剄のまま使用する剄技とするならば、化練剄は剄を文字通り様々に変化させて使用する剄技。行使に際してひとつ手間があり、難易度が上昇している。

 基本の剄技を修めるだけで時間が必要になるのに、ソレ以上の難易度に挑む者は少ない。

 

「基礎を教わらず、独力でそれですか。呆れますね」

「正確に言うなら、俺が欲したのは一部の技を除けばサヴァリスの体裁きの方だ。後はついでだな」

 

 一瞬、鼻白んだゴルネオに、ああ、とレイフォンが言葉を切った。彼は一度、眼を伏せて、

 

「ルッケンスの流派を侮辱する意志はない。失言だった」

「いえ、それが天剣授受者ですから」

「――元、だ。一時とはいえ俺は退位している。さて、休憩はもういいだろう。立て、ゴルネオ・ルッケンス。それとも限界か?」

「……まだ、だ!」

 

 力任せに身体を起こす。

 感覚で体の調子を探ってみると、活剄のお陰で一応動ける程度には回復している様だ。

 正しく訓練するためにも、限界を確かめるのは重要な要素。レイフォンが限界を探るのならば、ここで自分を出し切らねば、意味がない。

 

「良し。攻めてこい」

「――行きます!」

 

 ●

 

「――――」

 

 意識が覚醒する。

 その感覚を、水中から浮上していくのに似ている、とニーナは思った。

 目を開き、光を取り入れれば現実が見えてくる。簡素な白い壁、鼻腔が感じ取る消毒薬に匂い。視線を向ければ薬品棚もあった。

 保健室だ。

 どうやらベッドに寝かされていたらしい。更に辺りを見渡すと、横たわる自分の左右に人影が見えた。

 

「目が覚めたんだね。もう大丈夫なの? あ、はいこれ。お水〜」

「お? 起きたか、ニーナ」

「……ハーレイ、シャーニッド先輩……」

「ははは、寝ぼけてんのか? 先輩はよせって言っただろ」

 

 身体を起こし、そうだったな、と苦笑。自問する様に問いを口に出した。

 

「今は、いつだ?」

「夜の十時。ニーナが気絶してから四時間くらいかな」

 

 気絶という単語で思い出すのは、白の軌跡。美しい弧を描く光は、その輝きとは裏腹に凶悪なまでの威力を秘めていた。そして――、

 

「――っつう!」

 

 腹部で激痛が這いずる様に(うごめ)き、反射的に腹を抱え込んだ。

 苦痛に身動きの取れないニーナを、ゆっくりと優しげに寝かしつけるのはハーレイだ。

 

「動いちゃダメだって。後遺症は残らないって言ってたけど、まだ内臓にダメージが残っているんだから」

 

 そんなことはいい、と叫びたい。しかし、神経を殴りつける感覚がそれを許さない。万全には程遠い状態だ。まともに身体を動かせない。

 ならば、と手を伸ばす。伸ばされた手は襟を掴み、引き寄せた。

 

「う、うわ!?」

 

 保健室は清潔な状態に保たれるべきだという理念に従ったため、珍しくハーレイまでも制服を着ていたことが災いした。

 急な動作に反応出来ず、ニーナの上に倒れ込んだのだ。結果として、ニーナの顔の両脇にハーレイの手が置かれており、二人は互いの吐息を肌で感じられる距離になる。

 茶化した口笛が聞こえたが、ニーナは気にせず問いかけた。それは詰問、という勢いのそれで、

 

「――わたしが気絶してからどうなった!?」

「あ、いや、ちょっと待って……!」

「いいから答えてくれ。知りたいんだ」

「そうじゃなくて、ニーナ。まずいんだって!」

「何がまずいんだ。はぐらかさないで教えてくれ!」

「だはははははははははは!!」

 

 笑い転げるのはシャーニッドだ。

 彼はたまらず、といった様子で腹を抱えていた。いきなりの動きにニーナはようやく止まり、訝しむ様な視線を送った。

 

「いい加減気付いてやれよ、ニーナ。いつまで押し倒されてんだ」

「なに……?」

 

 言われ、ニーナは状況を確認する。

 自分はベッドに寝そべっていて、そこに顔を赤くしたハーレイが覆い被さっていた。まさしく目と鼻の先で、だ。

 ……これはっ!

 直後。

 

「きゃあああああああああ!」

 

 非常に女らしい悲鳴を上げてしまい、羞恥で顔を染めることになった。

 焦った上に恥ずかしいので今は確認出来ないが、ハーレイも手を放した瞬間に脱出したらしい。

 

「ぶわっはっはっは!」

「わ、笑うなあ――!!」

「ぐおっ!」

 

 だが、笑われるのは腹立たしいので一発ぶん殴っておく。これは照れ隠しではない。純粋な怒りなのだ。乙女の。

 ともあれ、

 

「……負けたんだな、わたしたちは」

「すげえテンションの下げ方だけど無視して補足するとだな」

 

 鼻を押さえながら言葉を一度切って俯き、仰ぎ、頭を()いて、

 

「――敗けた敗けた、完敗だわ。これ以上ないってくらいに敗けた。一人で武芸大会に勝てるってのも俺には否定できねーよ」

「お前はどうやって敗けた?」

「よく分かんね。いつの間にか蒼い剣が十くらい首の周りにあった」

 

 そうか、と気のない返事をして思い出すのは、レイフォンとの戦闘だ。

 速い、という思考を作る暇すら与えられぬ程の速力。

 双鉄鞭という重量級の武器を持つ自分を、軽く振った様な片手の一撃で軽々と吹き飛ばす活剄。

 思わず見惚れてしまう流麗な技から感じ取れる途轍もなく凶悪かつ破滅的な戦闘技術。

 どこをとっても武芸大会で無様を晒した自分達とは違いすぎた。

 次こそは確実に勝利してみせると意気込み努力して、そしてどこかで滅びを予感していた自分達を、彼は存在するだけで不要だと切り捨ててしまう。お前たちのやっていることは無駄だと言われた様な気がする。

 だから、とニーナは思いを口にした。

 

「――悔しいなあ」

「そうだな……」

「わたしたちとレイフォン。一体どれだけ差があるんだろうな?」

 

 あの途轍もない強さは、自分達の手が届く領域なのだろうか。

 無理だとは思わない。しかし、安易に辿り着けると言える様な差だとも思えない。何より、あれがレイフォンの全力だとは限らないのだ。

 

「遠い、な」

「……そういえば、な?」

 

 と、思い出したかの様にシャーニッドがこう言った。

 

「あいつが言ってたぜ。”場数と経験の量が自信と技術を作る”ってよ」

「場数と、経験の量」

「どんだけとんでもない修羅場潜ってくれば、あーなれるんかね?」

 

 ははは、と笑ってニーナは卓上に置かれた水を一気に飲み干した。

 

「あ、おいおい大丈夫かよ」

「――ならば我々も可能な限り積み上げていけばいい。違うか? シャーニッド」

「王道に勝る近道無しってか。いいねえ、好みじゃねえけど嫌いでもねえ」

 

 しかし、

 

「それには問題がある。しかも大問題。ツェルニの武芸者全員がぶち当たって(もが)いてるヤツだ」

「武芸大会まで、もう時間がない」

「ああ。俺たちには時間がない。悠長に経験を積み上げてく余裕なんて残っちゃいないっていう現実がある。このまま今まで通りにやってたら、きっと無価値な武芸者のままだ」

 

 不断の努力。

 不屈の意思。

 必勝の誓約。

 ツェルニの武芸者は皆、(まゆ)まぬ向上心を持って日々を過ごしているだろう。

 だが、それはツェルニだけの話ではない。

 あらゆる都市で武芸者達が同じ様に努力し、意志を抱き、大切な何かに誓っている。彼らもまた、自身が護るべき都市のために心身を賭して戦っているのだ。ツェルニの武芸者が努力して強くなるのならば、他の都市の武芸者も同様に努力して強くなっているのもまた道理。

 レイフォンの言った”まだ死んでいない”という言葉の真意だ、とニーナは結論する。だから、

 

「今まで以上にやればいい」

「どうやって?」

「訓練の意味を、密度を高める。幸い、この都市には学園都市には存在しないはずの達人が居る」

「俺たちに教えてくれると思うか? 正直微妙っていうか、無理そうなんだけど」

「それなら簡単だ。断られるなら断る理由をひとつずつ潰していく。何度でも頼み込むんだ」

「…………マジかよ」

 

 隊長の決定には従うのが小隊員の運命なのだよ、シャーニッド。

 

 ●

 

「で、ハーレイはいつまでそこに蹲ってんだよ。今日はもう帰るぞ俺」

「ちょ、ちょっとだけ待ってて。ニーナ、あ……えっと……」

「ハーレイ。あー、さっきは、その、だな……」

「はあ、もう勝手にしてくれ。俺ァ帰る。初々しすぎて見てるこっちが恥ずかしいっつーの」

 

 ●

 

 十七小隊相手に無双した翌日。レイフォンは教室で待っていた。

 そして放課後になると、やはり汚れきったツナギ姿のハーレイが教室まで迎えに来た。すっごい臭いです。機械油ってこんなにくせーの? とか思いながら連れてこられたのは装備管理部という看板の建造物だった。

 ハーレイが窓口に書類を提出すると大きめの木箱を受け取り、そのまま押し付けられました。しかもまだ別の場所まで歩く。大変じゃないけど、心労が。

 

「で、続きだけど、あんまりニーナのことを嫌わないでほしいんだ」

 

 教室から装備管理部までの道中、ハーレイはニーナの事情を教えてくれた。

 故郷の都市だけでは出会うことのない多くの出会いを求めていること。

 親元から家出までしてツェルニに来たこと。

 ニーナの性格のこと。

 ツェルニでの貴重な、奇跡の様な出会いをなくしたくないと思っている。自分の力でなんとかしたいとも思っている。そして一度思ったのなら真っ直ぐに駆け抜ける、と。

 ならばあえて言おう、カスであると! じゃないじゃない間違えてる。

 

「嫌った覚えはない」

 

 そうして真剣に向き合える何かを持つのは、良いことだと思います。なんというか、若いっていいよね……。あ、ヤバイ。こんなにおっさん思考してたかなあ? しばらく健康食品を食べよう。

 

「そう? ならいいんだけどね」

 

 ならいいんですぅー。とか絶対に口に出せない応対を脳内でしていると、研究室についた。

 扉を開き、一目見たハーレイの研究室は、雑多。というか、汚ねえ。

 なになら粘着性の物体が床にあったり、よく分からない名称の雑誌がホコリと一緒に積み上げられていたり、食べかけの乾燥パンが落ちていたり、と清潔感の欠片も存在しなかった。

 一歩を踏み出すと、

 

「!?」

 

 何の物かやはり分からない刺激臭がした。

 ここは危険だ。デンジャーゾーンだ! とか思うが努めて無視。実は綺麗好きなレイフォン君には結構クるものがあるんですがどーにかなんないコレ?

 ハーレイは荷物だらけの三つあるテーブルのひとつに、適当なスペースを作り、ここ、と示したので木箱を置く。木箱を開けると緩衝剤に埋もれるようにして棒状の真っ黒な塊があった。彼は炭素の塊らしき物体に端子をブチ込むと、

 

「さて、じゃあ握りから調整しようか。片手でいいのかな? それとも両手? あ、その刀と同じでいいなら複製するけど」

 

 テーブルに端に紛れ込んでいた物体を差し出されたので握りながら答える。青の混じる物体は、コードでハーレイの操作する機械に繋がっていた。

 

「新しく作った方がいいだろう。『連弾』の事もある。それから武装は複数用意してくれ。刀、大剣、篭手、脚甲だ。問題は無いか?」

「え? 問題はないけど、そんなに必要なの?」

 

 なんでこんなに錬金鋼を持つのかって?

 バージノレ鬼いちゃんがダァーイ好きだからさ。

 

「ああ。安全装置の施された試合、武芸大会用と実戦用をそれぞれふたつずつ頼む」

「はいよー。じゃあ、いつも刀を握ってる感じで」

 

 と、柄の長さや形状から調節が始まった。

 レイフォンが握ると、その情報が数値としてハーレイのモニターするパソコンに表示される。それを基にしてデータ上で柄を設定していく。そして、

 

「これでいいかな?」

 

 と、決定のキーが叩かれると、正体不明な物体が伸びたり膨らんだりして形状をモニターのそれと同じ状態に整えられていった。

 何度やっても肉眼で映像として見ると不思議で仕方がない。ぶっちゃけると気色悪い動きなのだ。うねうねと動きやがって。持っていても手に返ってくる感触はほとんどないが、それでも気持ち悪いのだ。芋虫が進むときの胴体みたいで嫌なんだよ、マジで。

 

「どう?」

「…………ん、ああ。握りは十分だ」

「全体の重量で若干の変更はあるけど、ひとまずオーケーだね。材質はどうしようか? あ、そうだ。サンプルがあったんだ」

 

 返事すら聞かずに研究室の奥へ行ったと思ったら棒状の束を抱えて戻ってきた。

 ダース単位でばら撒かれたそれは、握っている物と同様に計測に用いる物体らしい。

 

「これから試していこうか」

「……いや待てハーレイ・サットン。材質は決まっているから大丈夫だ」

「あ、そう?」

「ああ、そうだ」

 

 分かりきった答えを地道に探していくなんて拷問過ぎるだろ馬鹿野郎。大体、今日は帰ったら野菜で生活するって決めたんだよストレス貯めさせんじゃねー。

 

「これが終わったらあの『連弾』の方を試すから。いやー、ずっと楽しみで昨日も眠れなかったんだよねー!」

 

 さようなら、ストレスフリーで快眠の夜……。

 

 ●

 




ひさしぶりにDMC3をやってみました。ええ、以前はノーマルでヒーコラ言ってたんですが、DMC4ではMODの黒ダンテ軍団を20人程まで倒せる(集中力持たない……!)様になったので、いきなりDMD行きました。

私のキャラクターはダンテ? いいえ、ダソテでもありませんでした。

お前なんかグンテで十分だよ畜生ッ!



まあ、クリアしましたが。

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