Wizards on the Horizon   作:R-TYPE Λ

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Report.2 『減圧室』

 

 

指を失った武装局員が治療を終えブリッジへと戻った後、医務室に残っていたのはシャマルと意識の無いヴィータだけであった。

他の医務官は重力タンク溶液保存槽内より引き上げられた死体の検分へと向かい、残る負傷者達も既に各自の責務を果たすべく船内へと散っている。

1人となったシャマルは持ち込んだ医療器具を拡げ、その点検と更なる非常時への備えに明け暮れていた。

 

「これで良し・・・と」

 

それらが一段落した頃、彼女はふと咽の渇きを覚え、紅茶の入った魔法瓶を手にする。

彼女個人の私物として持ち込んだものだが、その本来の目的は彼女自身の咽を潤す為ではなく、医務室を訪れるであろう負傷者とその随伴者の精神を落ち着かせる事にあった。

負傷の度合いにもよるが、動揺しているであろう彼等に1杯の紅茶を勧め、我を取り戻させる。

これまでにも実践してきた事であり、当然その効果も良く知っていた。

だからこそ今回も、クラウディアからこちらへと移る僅かな猶予の中で、医療器具を纏めた少々重い鞄と一緒に魔法瓶を掴んできたのだ。

 

しかし先程は負傷者の数が多かった事、ヴィータの症状を診る事に意識を傾けていた事などもあって、それを実践するには至らなかった。

そして今、意識の無いヴィータを除けば、医務室にはシャマル1人。

特に周囲への注意を払う事もなく、彼女は魔法瓶の蓋を外した。

上下を返した蓋に紅茶を注ぎ、湯気を立てる琥珀色の液体をゆっくりと喉に流し込む。

芳醇な香りが嗅覚を満たし、僅かなりとも状況に切迫されていたシャマルの意識を解きほぐしていった。

彼女は最後の一滴を飲み干すと、ゆっくりと息を吐く。

そうして凪いだ精神状態で以って、シャマルは状況に対する独自の再評価を始めた。

その口から零れるのは、この状況に対する小さな不安。

 

「どうなっているのかしらね・・・」

 

状況は極めて悪い。

負傷者多数、ヴィータの意識障害。

クラウディアは次元航行艦としての機能の殆どを破壊され、通信機能の破壊により救助を呼ぶ事すら不可能。

この船の循環システムには損傷が見付かり修復を試みてはいるものの、もし復旧が不可能ならば20時間で二酸化炭素濃度が危険値へと達する。

重力タンク溶液保存槽内より引き上げられた41体の死体を除く、ジェイル・スカリエッティと戦闘機人を含む100名以上の乗組員は未だに所在不明。

重力推進とやらの中枢である『コア』の詳細はベニラル博士より語られはしたそうだが、内容が余りに専門的な上に難解な事もあり、全くと言っていい程に事態の解明には結び付いていないという。

そもそも、第152観測指定世界に於いて発達した超高度純粋科学技術を用いて建造されたこの船は、魔法技術体系による次元間航行を前提とする管理世界出身者達の常識、その悉くを真っ向から否定する非常識の塊だ。

虚数空間すら自在に航行し、更には通常次元世界への帰還すら容易く成し遂げるというこの船は、理論上では光の速度をすら突破し、如何なる距離に関わらず一瞬にして目的地へと到達する事が可能であるという。

正直なところ、その言葉を信じている者は殆ど居ない。

魔法技術体系ですら実現していない技術を、純粋科学技術体系が実現したとは到底信じられないのだ。

だが、この船が得体の知れぬ技術によって建造された、異質な存在であるとの認識は確実に根付いていた。

そしてそれこそが、この船の内に存在する全ての人間を、霞の如く掴み処の無い不安と疑心暗鬼の渦中へと落とし込んでいる。

 

自らが身を託しているこの巨大建造物は、果たして本当にその命を保障するものなのか?

単なる認識ではなく、この艦は実質的な被害をクラウディアとそのクルーへと齎している。

艦体を破壊し、武装隊を傷付け、1名を精神的異常状態へと追いやった。

この艦は本当に、単なる実験船なのか?

得体の知れない、敵対的な何かが船内に潜んでいるのではないか?

 

「考え過ぎ・・・だと、良いけど」

 

溜息をひとつ、シャマルは魔法瓶へと蓋を戻し、未だ使用された形跡の無い診察台へとそれを置く。

魔法瓶の底部が診察台へと触れた、その瞬間。

 

「・・・ッ!」

 

 

魔法瓶の表面、鈍色の光沢に、影が映った。

 

 

「誰!?」

 

咄嗟に振り返り、クラールヴィントをリンゲフォルムへと変貌させる。

早鐘を打つ心臓を強靭な意志によって無視し、周囲へと視線を走らせた。

御世辞にも明るいとは言えない照明の中、黒に近い濃灰色の構造物が、生命体の内部構造の様なグロテスクさを醸し出している。

 

柱の影・・・人影なし。

主要通路へのハッチ・・・閉じられている。

床面・・・隠れられる様な場所はなし。

診察台・・・

 

「・・・!」

 

保護カバー。

緑色、薄手のそれが、診察台の1つに掛けられている。

だがシャマルには、それを掛けたという記憶がない。

この医務室へと入った当初には、全ての診察台はカバーが掛けられているどころか、使用された形跡すら無かった筈だ。

 

「誰なの!?」

 

自然と、言葉に力が籠る。

カバーの内より漏れる、微かな光。

緑のカバーには、小さな影が映し出されている。

リンカーコアの反応、魔導師か。

 

「5つ数えます・・・その間に、其処から出てきなさい」

 

クラールヴィントをペンダルフォルムへ。

『旅の扉』を形成し、右手をその前へと翳す。

向こうが大人しくこちらの要求に従うとは、シャマルは考えていなかった。

言葉通りに5つ数え終える前にリンカーコアを摘出し、蒐集こそ不可能なものの、対象の動きを封じた上で捕縛する。

彼女の狙いは、それだった。

 

「1つ・・・」

 

カバー内の影が、不自然に揺らめく。

逃げるつもりかと、シャマルは警戒を強める。

 

「2つ・・・」

 

微かな吐息。

緊張しているのか、不規則なそれ。

 

「3つ・・・」

 

カバーに掛かる左手。

右手は軽く開き、旅の扉へと触れさせる。

 

「4・・・!」

 

そして4つめのカウントを待たずして、シャマルは右手を旅の扉へと突き入れた。

手がリンカーコアを捉える、確かな手応え。

同時に、左手のカバーを渾身の力で剥ぎ取る。

緑色のそれが取り払われた、その先にある存在をシャマルの視線が捉え。

 

「え・・・」

 

 

そして彼女は、凍り付いたかの様に動きを止めた。

 

 

「嘘・・・よ・・・」

 

それは、小さな存在だった。

毛糸の帽子の下より覗く、少々くすんだ赤い髪。

ともすれば人形と見紛う程の小柄な身体。

褐色の服は高級とは言えないまでも、家庭の温かさを感じさせる素材。

ひと目で手編みと判る、毛糸の白いマフラー。

ごく一般的な寒冷地の服装に身を包んだ、5・6歳の少女。

だがその全貌は、凡そ通常とは言い難かった。

 

「嘘よ・・・」

 

その白い筈のマフラーは紅く染まり、彼女の上半身の殆どは同じく鮮烈な紅に塗れている。

診察台の上へと拡がりゆく、同色の液体。

それは彼女のスカートへと染み、その色をもどす黒く変貌させてゆく。

虚ろな瞳は光を映さず、頬へと掛かった鮮血の斑点が、それとは対照的に命の存在を窺わせていた。

彼女の膝上には捩じれ、鮮烈な赤に染まった小さな動物のヌイグルミが2つ。

少女の胸からは1本の腕が生え、その手には光り輝くリンカーコアが握られている。

 

「何で・・・何で・・・」

 

シャマルは知っていた。

この少女が何者であるかを。

彼女を尾行し、『狩り場』へと追い込んだ者が誰であるかを。

彼女が助けを求めようとした人物の肉体を打ち砕き、永遠に屠り去った人物が誰であるかを。

必死に逃げる彼女を、背後より一刀の下に斬り伏せた者が誰であるかを。

大量の出血により今まさに息絶えんとしていた彼女からリンカーコアを奪い、その息の根を止めた人物が誰であるかを。

彼女は、彼女こそは。

 

「嘘よ・・・嘘」

「これ・・・」

 

少女の胸から突き出た己の腕を見やり、恐慌に陥るシャマル。

そんな彼女の意識へと、少女の声が飛び込んだ。

 

「あ・・・ああ・・・」

「わたし、おねえちゃんになるの」

 

その言葉と共に少女はシャマルの眼前へと、血濡れとなった2つのヌイグルミを差し出す。

酷く歪に捩じれ、元の原形を留めてはいないそれら。

言葉も無く、溺れる間際の様に口の開閉を繰り返す事しかできないシャマルの様子を無視するかの様に、少女は続く言葉を紡いだ。

 

「ママと、おとうとにね・・・あげるの」

 

空気の漏れる様な、か細く耳障りな音。

シャマルは、それが自身の咽喉から発せられている事に、漸く気付いた。

過呼吸症。

今まで一度たりとも経験した事など無いそれが、彼女を襲っていた。

一体、何が原因なのか。

 

「嫌・・・嫌ぁ・・・!」

「・・・あげるの」

 

決まっている。

シャマルを襲う、圧死せんばかりの強迫観念。

そして罪悪感。

恐怖、怨嗟、悲嘆、諦観、絶望。

自らのそれか、他人のそれかも判然とせぬ負の感情が、シャマルの内面にて荒れ狂う。

そう、この少女は。

この少女の命を奪ったのは。

 

 

「・・・おうちに、とどけるの」

「嫌あああぁぁぁぁッッ!」

 

 

照明が、落ちた。

 

■ ■ ■

 

「原子炉、出力低下! 電力供給量70%!」

「システムにエラーが・・・駄目です、システム基幹部が操作を受け付けません!」

「船内生命反応増大! 位置の特定は不能!」

「何が起こっている!?」

 

ブリッジはまるで、戦争でも始まったかの様に騒然となっていた。

突然の電力ダウン、生命反応増大。

一部を除くシステムが次々にダウンしてゆく中、クラウディア・クルー等は必死に原因究明へと乗り出している。

クロノはそれらクルーの作業を見守りつつ、状況を的確に判断しようと努めていた。

しかし、全く現状の要因が掴めない。

見る限り、それは六課の面々も同じらしく、誰もが不安げに右往左往している。

はやてですら、状況を判断するに足る情報が無ければ如何ともし難く、顰め面を隠そうともしない。

フェイトやフォワード陣は船内の見回りに出ているが、電力のダウンと共に発生した電波障害により連絡が取れないのだ。

船内の連絡機構は言うに及ばず使用不能であり、彼女達を含む武装隊各員の所在すら掴めないのが現状であった。

 

「博士、どうなっている!?」

「恐らく機関室だ。制御系に何らかの異常が発生している」

 

船長席にてコンソールを操作するベニラル博士へと、状況を問い掛けるクロノ。

対して博士は、短く推測を述べると、喋る時間すらも惜しいと謂わんばかりに席を立ち、ブリッジを後にせんとする。

クロノは自らも席を立ち、その後を追った。

 

「クロノ君!」

「はやて、君は此処に残れ! 機関室には近付くな!」

 

言い残すと、クロノは素早くブリッジを出て博士へと追い着く。

速足で歩く彼の隣へと並び、疑問を投げ掛けた。

 

「何故、重力波が?」

「重力波は漏れていない。コアではなく、集積回路上で安全装置が働いたんだろう。確かめてみよう」

 

全長1kmを優に超える連絡通路を抜け、2人は後部機関室へと踏み入る。

相も変わらず不気味に回転し続けるコアを横目に、博士は壁の一部へと手を伸ばし、突起を半回転させた。

すると、エアの噴射音と共に壁が開かれ、人が四つん這いとなって漸く入れる程の狭い集積回路への通路が現れる。

博士は腰のポーチ内に納められた用具を点検し、通路の縁に手を掛けた。

 

「此処で待っててくれ。私は損傷個所を見付けて修復してくる」

「気を付けろ、博士」

 

そうして、通路の奥へと消えてゆく博士の姿を見送り、クロノは息を吐いた。

ふと振り返れば、巨大なコアが周囲を取り囲む3つの磁気リングと共に、重厚な音を立てつつ奇妙な回転運動を続けている。

第97管理外世界の中世に於ける、西洋の拷問器具を連想させるデザインのそれは、見ているだけで得体の知れない不安感が沸き起こるものだ。

少々ながら気分が悪くなったクロノはコアから目を離し、博士の消えた狭い通路へと視線を戻す。

しかし直後、意識の深層へと響いた声に、彼は凍り付いた。

 

 

『艦長・・・』

「・・・!」

 

 

その声に、クロノは聞き覚えがあった。

彼が提督となって間もない頃、とあるロストロギア回収任務中に耳にした、この世のものとは思えぬ声。

それが再び、彼の意識を震わせる。

 

『置いてかないでくれ・・・!』

『頼む・・・待って・・・待ってくれ・・・俺を・・・俺達を置いてかないでくれ・・・!』

『艦長・・・!』

『待ってくれよぉ・・・ビニー・・・トレント・・・此処を開けてくれぇ・・・!』

『神様・・・嗚呼・・・どうして・・・!』

 

声は徐々にその数を増し、クロノを責め立てる。

何時しか、彼の呼吸は病人の様に荒くなり、額には脂汗が滲んでいた。

目を閉じ、小さく声に乗せて自らへと言い聞かせる。

 

「幻聴だ・・・」

『艦長ぉ・・・!』

『仲間だろ・・・なぁ・・・見捨てないでくれ・・・まだ生きてるんだ・・・生きてるんだぞ・・・!』

『畜生・・・畜生・・・! 腐り始めた・・・手が・・・手がぁ・・・!』

『嫌ぁ・・・開けてぇ・・・此処を開けてぇ・・・!』

「幻聴なんだ・・・!」

 

肩を震わせ、1人呟き続けるクロノ。

その背後に突然、何者かの気配が生まれた。

クロノは咄嗟にデュランダルとS2Uの待機状態を解き、背後へと振り返る。

そして、その存在を目にするや否や。

 

 

 

「・・・馬鹿な」

 

 

 

機関室に、闇が落ちた。

 

■ ■ ■

 

はやては1人、後部機関室へと続く連絡通路を走る。

クロノはブリッジに残れと言ったが、言い知れぬ不安が彼女を襲ったのだ。

ブリッジのクルーに機関室へと向かう旨の言葉を残し、彼女は連絡通路へと駆け込み只管に走った。

余り運動は得意ではない。

飛ぶ事が出来れば問題はないのだが、船内AMFの出力は時間を追う毎に増大し、僅か数分で簡素な魔力結合すら不可能なまでに至っていた。

息を切らし、躓きそうになりながらも必死に走る。

 

だが次の瞬間、彼女は足を止めざるを得ない状況へと追い込まれた。

微かに周囲を照らしていた非常灯の光が、次々に消えていったのだ。

連絡通路全体が、忽ちの内に闇に呑まれる。

はやては荒い息もそのままに周囲警戒を行い、状況評価を下そうと試みる。

しかし念話もデバイスも使用できない現状、単独では如何ともし難いと判断し、声を張り上げた。

 

「誰か! 誰か居ないんか!?」

 

声が、連絡通路内に空しく反響する。

再度叫ぶが、それに答える声は無かった。

 

「誰も居ないんか!? 返事してや!」

 

返答は無い。

はやての背筋を、冷たい感覚が走り抜ける。

 

何故、誰も居ない?

この船には今、120名を超える人員が乗り込んでいる。

しかも70名を超える武装隊が、船内各所を見回っている筈なのだ。

主要連絡通路に誰も居ない等という事態は、有り得る筈もない。

しかし現実に、誰1人として自身の声に答えを返す者は存在しないのだ。

一体、何が起きているのか?

 

「誰か!」

「はやて」

 

唐突に、声が返された。

はやての右後方、闇の奥より放たれた男性の声。

彼女はその声を聞くや否や、待機状態のシュベルトクロイツを握り締めて振り返る。

そして、闇の奥に浮かぶ光、その中に浮かび上がる人物の姿に、言葉を失った。

 

「・・・!」

「はやて」

 

優しげにはやての名を呼ぶ、年若い男性。

はやては漸く、掠れる声でその男性を呼んだ。

 

「お・・・とう・・・さん・・・?」

「はやて」

 

続く女性の声。

男性の隣に、もう一つの影が浮かび上がる。

 

「はやて」

「・・・お母さんっ!」

 

はやては、引き攣る声で叫んだ。

最早、記憶の中にしか存在しない両親。

それが今、目の前に居る。

何者かが作り上げた幻影か、それともホログラムか。

そんな考えは、微塵も彼女の脳裏へと浮かぶ事はなかった。

 

分かる、分かるのだ。

あれは、偽物などではない。

血を分けた親子だからか、はっきりと感じられる。

本物だ。

嘗て、小さな自分を抱き締め、無償の愛情を注いでくれた両親。

それが、すぐ其処に居る。

自分を見て微笑んでいる。

離れていても感じられる、両親の温かさ。

これが、偽物だと?

有り得ない。

あれは、両親だ。

本物だ。

叶うものならもう一度会いたいと、魂を焦がさんばかりに切望した人達だ。

誰が何と言おうと、そんな事は自分に関係ない。

 

もう一度、2人に抱き締めて貰いたい。

あれからの事を、ゆっくりと話し合いたい。

新しい家族を、2人に引き会わせたい。

 

 

もう一度、皆と一緒に暮らしたい。

 

 

「大きくなったのね・・・はやて」

「はやて・・・立派に・・・」

「お父さん・・・お母さん・・・!」

 

はやては、誘われる様にして一歩を踏み出す。

2人の許へ。

唯、2人の許へ。

今のはやてには、それしか考えられなかった。

そうして、両親の傍に更にもう一つの影が現れるや否や、彼女は堪らず駆け出す。

 

「はやて・・・」

「・・・ッ! リインフォースッ!」

 

はやては、駆ける。

しかし突然、不可視の壁によってその行く手を遮られた。

見えないそれを激しく叩くも、それが取り払われる事はない。

深い憤りと見えない障壁に対する憎悪に駆られるままに、はやては叫びを上げつつ壁を叩き続ける。

 

「ッ・・・邪魔や・・・消えろ・・・消えろおおォォォォッッ!」

 

叩く。

叩く。

叩く。

 

「邪魔をするなああァァァァッ! 消えろッ! 消えろぉッ!」

 

叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く。

壁は消えない。

両親の許へは行けない。

リインフォースの許へは行けない。

怨嗟の叫びと共に、更に叩く。

最早、手の感触が無い。

生暖かい何かが頬を伝い、別の何かが顔に飛び散るが意に介してはいられない。

更に叩こうとして、はやてはそれに気付いた。

 

「・・・!」

 

闇の中、自身の傍らに浮かび上がるディスプレイ。

表示された『door』の文字。

英語だ。

だがその表記の歪さに、はやてが気付く事はない。

一も二もなく、はやてはその表示に触れようと手を伸ばし。

 

 

「止めて!」

 

 

背後より飛びかかった何者かによって、床面へと倒れ込んだ。

 

「なっ!?」

「はやてちゃん、馬鹿な事は止めて!」

「なのはちゃん!?」

 

自らを押し倒した人物の正体に、はやては狼狽する。

何時の間にか周囲には照明の光が戻り、空間を明るく照らし出していた。

はやては素早く身を起こし、なのはを撥ね退ける。

 

「きゃ・・・」

「邪魔せんといて! みんな・・・みんなが其処に・・・!」

 

腕を精一杯に伸ばし、画面に触れようとするはやて。

しかし眼前を、1発の桜色の魔力弾が突き抜けた。

アクセルシューター。

それは壁面へと着弾し、霧散する。

AMFが既に解除されている事を悟ったはやては、シュベルトクロイツの待機状態を解き、その先端をなのはへと向けた。

その目に浮かぶのは、疑い様もない敵意。

息を呑むなのはを余所に、彼女は憤怒を内包した声を発する。

 

「はやてちゃん・・・?」

「何で邪魔するんや・・・何で・・・何で・・・」

「・・・はやてちゃん、落ち着いて・・・周りを良く見て」

 

なのはがレイジングハートの矛先を下ろし、何処か怯える様な声ではやてへと語り掛けた。

その異様な様子に、はやても少々頭が冷える。

突き付けていたシュベルトクロイツを下ろし、周囲へと視線をやり。

 

 

「・・・此処・・・何処や?」

 

 

明らかに連絡通路とは異なる空間に、戸惑いの声を発した。

2つの巨大な円形の耐圧扉に挟まれた、閉鎖空間。

はやては、その壁際に立っていたのだ。

状況を掴み切れずに戸惑うはやての様子をどう捉えたのか、なのはは恐る恐るといった風情で語り始めた。

 

「はやてちゃんが・・・此処に入って行くのが見えて・・・」

「え・・・」

「ドアが閉まる直前に・・・私も滑り込んで・・・そしたら、はやてちゃんが外側のドアを叩いていて・・・外へのドアを、開けようと・・・」

「外側・・・?」

 

そして、はやては気付いた。

自らが立つ場所に。

自らが為そうとしていた、恐るべき行為の現実に。

 

 

「・・・エアロック・・・?」

 

 

画面に映る2つの表示。

『inner door』『outer door』。

その表記がぶれ、一瞬にして第152観測指定世界の言語へと移り変わった。

 

■ ■ ■

 

「血中の二酸化炭素濃度が上昇した為に、脳が幻覚を・・・」

「あれは幻覚なんかじゃない。確かに人が居たんだ」

 

電力が回復した30分後。

ブリッジに集まった一同は、各々を襲った奇怪な現象について議論を交わしていた。

医療スタッフの1人が二酸化炭素による幻覚説を唱えたが、それはクロノを含む数人からの力強い否定によって退けられる。

そのスタッフは困った様にシャマルを見やるが、同じ医療スタッフである彼女もまた、俯いたまま軽く首を横に振るばかり。

一体、何を見たのか。

幾ら問い掛けても、彼女は一向に見たものの内容を語ろうとはしなかった。

唯、シグナムとザフィーラだけは、既に彼女が見たものについて話を聞かされているらしい。

しかし彼らもまた黙り込んだまま、頑としてその内容を話す事はなかった。

 

「両親や」

 

はやてが、語り始める。

誰もが声を発する事なく、彼女の言葉を聞き漏らすまいと聴覚に意識を集中させていた。

 

「ずっと昔に亡くなった・・・父親と、母親と・・・大切な人が、見えない壁の向こうに立ってたんや・・・偽物や、幻覚なんかやない。あれは、本物やった」

「本物?」

「上手く言えんけど・・・とにかく、幻覚なんかやなかった」

「・・・クロノは?」

 

はやての言葉が終ると、フェイトがクロノへと問い掛ける。

彼は暫く口を噤んでいたが、やがて重々しく口を開いた。

 

「昔の、部下だ・・・ロストロギアの回収任務中に、殉職した」

「・・・ごめん」

「気にするな」

 

其処で、なのはは漸く口を開く。

決定的な、ある疑問を解消する為に。

 

「クロノ君」

「何だ」

「・・・博士は、どうしたの?」

 

それは誰もが疑問に思いながらも、口に出す事を憚られていた事柄。

今この瞬間、ブリッジに姿の無い人物について。

それに対するクロノの答えは、簡潔ながら不可解なものだった。

 

「点検通路に入って以降・・・行方不明だ。通路内を探したが、発見できなかった」

 

沈黙。

誰もが異常な状況に戸惑いを隠せず、疑心暗鬼ばかりを募らせている。

それは、この船を造り上げた異質な技術体系に対するものであり、姿を消したベニラル博士に対するものであり、この船そのものに対するものであり。

何より、奇怪な現象を発生させている『何か』に対するものであった。

しかし現時点で、それが何であるかを知る術は無い。

対策を立てる事もままならぬ状況の中で、生き残る為の行動を模索せねばならないのだ。

そんな時、オペレーターの1人が船外クルーからの入電を告げる。

 

「・・・艦長、修復班より入電です」

「繋いでくれ」

『・・・ブリッジ、聞こえるか。こちら右舷エンジン修復班・・・損傷部の修復完了。左舷はユニットそのものが破壊されている為に修復不可能』

「了解、良くやってくれた。船内に戻り、休息を取れ」

『・・・艦長、このまま循環システム修復班の手助けに向かっては駄目か?』

 

思わぬ申し出に、クロノは驚いた様だ。

微かに目を見開いた後、確認の問いを発する。

 

「こちらとしては願ったりだが・・・疲労しているのでは?」

『その船の中に居るくらいなら、ずっと外に居た方がマシだ・・・これより艦内へ向かう。以上』

 

その言葉に、なのはは心底より同調した。

この得体の知れない怪物の腹の中に居る事に比べれば、防護服を着ての船外活動は遥かに居心地が良い事だろう。

と、クロノは通信を終えると、幾つかの画像をプリズムディスプレイ上へと表示した。

実験船のスキャン結果、船内の何処かを写したらしき画像、幾つかの文字の羅列。

 

「ロウラン准陸尉が見付けた。後部機関室、第二耐放射能ドア近辺の壁面に記された、第97管理外世界の文字だ」

「え・・・」

 

その言葉に、一同は食い入る様に画像へと見入る。

確かに壁面の一部、久しく見るアルファベットの羅列が刻まれていた。

なのはは、それを読み上げる。

 

「・・・U.S.A.C.・・・深宇宙探査船・・・『イベント・ホライゾン』・・・?」

「地球の船やとでも言うんか!?」

「落ち着け。これを見ろ」

 

驚愕に声を上げるはやてを窘める様に、クロノはその画像をスライドさせた。

船名の少し下に、年号が刻まれている。

 

「AD・・・『2040』!?」

「どういう事ですか?」

「部隊長、これが一体・・・」

 

どうにも状況が掴めないらしきフォワード陣。

戸惑いがちに声を発したスバルとティアナに、はやてが興奮気味に答えを返す。

 

「2040年っていうんは・・・その、今から20年以上も先の事や」

「・・・えと、その・・・どういう事です?」

「・・・解らんよ。何も解らへん。そもそも、この表記が本当に正しいのかどうか・・・」

「それなのですが、八神部隊長」

 

続いてグリフィスが進み出ると、コンソールを操作。

幾つかのデータを呼び出すと、一同へと向き直る。

 

「システムを隈なく調査した結果、一部の表層システムを除き、殆どがブラックボックス化している事が判明しました。その中から見付けたデータですが・・・ご覧下さい」

 

そしてグリフィスは、映像記録の1つを再生し始めた。

全員がディスプレイへと視線を固定し、映像と音声に意識を釘付けにする。

其処には、十数人の乗組員達が精力的に動き回る、嘗てのブリッジが映し出されていた。

画像の左上に『captains log date : 1:23:2040』との表示。

壮年の男性の声が、スピーカーより放たれる。

 

『我がクルーは優秀だ・・・各部署のチーフ達を紹介しよう。クリス・チェーンバーグ、ジャニス・ルーベン、ベン・フェンダー、ディック・スミス・・・』

 

次々に映し出されるクルー達。

その全員が、肩口に星条旗と鷲のエンブレムが縫い付けられた、褐色または濃緑色のジャケットを身に纏っていた。

 

『我々は漸く安全圏へと脱した。これより重力推進機関を始動し、プロキシマΑへのゲートを開く』

 

最後に映し出された男性。

彼こそが船長らしい。

男性はカメラに向かい、聞き慣れない言語で以って言葉を紡ぐ。

 

『AVE ATQVE VALE・・・出会い、そして別れを』

 

彼は手を上げて自信に満ちた笑みを浮かべ、此処ではない何処かへと別れを告げた。

必ず帰って来るという、確信に満ちた笑み。

しかし次の瞬間、画像にノイズが走り、音声が雑音に満たされる。

何が起こっているのかも解らぬまま、しかし左下の『time ref : 02.03.20』の最後の秒数が連続してカウントされている事実だけが、先程の映像から直に続く記録である事を物語っていた。

グリフィスは映像を閉じ再度、一同へと向き直る。

 

「この後は不明です・・・現在、フィノーニ一等陸士がフィルターでのノイズ除去を試みていますが、余り芳しくはありません」

 

一同は言葉も無く、映像の消えたディスプレイを見詰めていた。

なのはも例外ではなく、明らかにアメリカ人と分かる人物達の映像に、混乱する思考を押し留める事に苦心している。

そんな一同の様子を気に留める事もなく、グリフィスは新たなデータを呼び出し、説明を始めた。

 

「スキャンの結果、前部デッキ及び主要連絡通路の材質強度と、機関部のそれに著しい差がある事が判明しています。機関部の材質組成を調査しましたが、未知の合金である事以外は判明していません。

既知の管理世界及び管理外世界、更には観測指定世界にて確認されているいずれの物質とも合致せず。未知の人工金属です」

 

更に複数の画像及びスキャン結果を次々に表示し、グリフィスはそれらを前に自身の導き出した結論を述べる。

その声色には、凡そ感情というものが感じられなかった。

 

「主要通路及び前部デッキについては、第152観測指定世界に於いて次元航行艦建造に普遍的に用いられている合金が使用されています。第97管理外世界の言語による表記も同様で、機関部に於いてのみ確認。

他の船内構造物上の表記に於いては、第152観測指定世界の言語のみが用いられているのです」

「それって・・・」

「使用されている言語、材質組成、システムのブラックボックス化。これらの事象より、1つの仮説が立てられます」

 

皆がグリフィスに注目し、続く言葉を待つ。

彼はウィンドウの殆どを閉じ、眼鏡を外すと、それを口にした。

 

 

「この船は、後方機関部のみが次元世界に於いて回収され、それを第152観測指定世界が解析し、連絡通路及び前部デッキを増設したものと考えられます。

この船を造ったのは、彼等ではない。第97管理外世界、アメリカ合衆国・・・但し『30年後』の、ですが」

 

 

アルファベットの羅列である『U.S.A.C. DEEP SPACE RESEARCH VESSEL』の表示が、ディスプレイ上で鈍く光を放つ。

次元世界に浮かぶ『深宇宙探査船』のブリッジに、不気味な沈黙が下りた。

 

■ ■ ■

 

「次元航行艦じゃなくて宇宙船・・・しかも未来から・・・」

「大変な事になっちゃったね・・・」

 

第3デッキを見回りながら、エリオとキャロは予想を超えた状況に対する戸惑いを吐露していた。

あれから間もなく一同は各々に調査を開始し、2人は何かしら手掛かりがないものかと前部デッキ内の捜索を始めたのだ。

その傍に、小さな使役竜の姿は無い。

今回の任務が次元航行艦内部という事もあり、ミッドチルダへと残してきたのだ。

強大な戦力を欠いた2人ではあったが、これまでに築かれたコンビネーションに対する自信もあり、不安は無かった。

しかしその自信と熱意とは裏腹に、現状では後方機関部への侵入は固く禁じられている為、彼等が調査をするとなれば精々が前部デッキ内での活動に制限される。

今頃はティアナやスバルも、第2デッキ辺りをうろついている事だろう。

 

「でも、たったの30年で恒星系の脱出を果たせるなんて、有り得る事なのかな?」

「あの世界は魔法が無いから・・・科学技術の発達が早いのかも」

「それで、管理世界も為し得ていない他の恒星への旅に出て・・・次元の壁を越えてしまった、って事かな・・・」

 

意見を交わしつつ、2人は通路に並ぶ重厚なコンテナの扉を開き始めた。

ごく最近に開かれた形跡のあるコンテナの中身は、船体応急処置用のネイルリペアと、それを装填するネイルガンだ。

現在クラウディアの修復に当たっているチームが、かなりの数を持ち出している。

皮肉にも、クラウディアに供えられていた応急処置器材よりも優れた性能を有していたが為に、修復チームのほぼ全員がこのネイルガンと修繕資材を使用していた。

元々これが目的でこちらに移ったとはいえ、彼等の浮かべていた複雑な表情がエリオの脳裏に浮かぶ。

そして何より、9本のネイルが装填されたシリンダーを装着する大型のネイルガンは、資料で目にした事のある従来携行型小型質量兵器を遥かに上回る凶悪さをそのデザインから漂わせているのだ。

親指ほどもある太さのネイルが射出され、先端の返しが展開する様を思い浮かべるだけで、対人兵器として使用された際の凄惨な光景が脳裏に思い描かれる。

余り宜しいとはいえない光景を意識から追いやり、エリオは次のコンテナへと手を伸ばした。

扉を開け、その中に鎮座していた物を目にして。

 

「・・・!」

「・・・エリオ君?」

 

エリオの手が止まる。

それは、小さな車の模型。

赤い塗装が所々で剥げ、地金の色が剥き出しとなっている。

荒々しい音を立て、エリオは即座に扉を閉じた。

 

息が苦しい。

何だ、これは。

どうなっている。

何故あれが、『あんな物』が此処にある?

 

微かな金属音。

咄嗟に視線を音源へと向ければコンテナの1つ、その扉が開いていた。

誰も触れてはいないにも拘らずだ。

エリオは荒い息もそのままに、何かを恐れる様にして、ゆっくりとそのコンテナの前へと立つ。

中にはデバイスを模した、低年齢男児向けの玩具が1つ。

エリオは今度こそ、接続部を破壊せんばかりの勢いで、叩き付ける様にして扉を閉じる。

彼の混乱、そして恐怖は、既に限界を迎えていた。

 

何故だ。

何故こんな物が、この船にあるのだ。

自分はあれを知っている。

あれの持ち主が誰なのかを知っている。

嘗ては自分の、自分のものだと、そう思っていた・・・『思い込んでいた』。

幸せな、まだ何も知り得なかった頃の自分。

両親と『思い込んでいた』人物達に愛されながら、あれらを宝物としてクローゼットに隠していた自分。

最早、思い出す事すら苦痛となった、嘗ての記憶。

 

だが、違う。

あれらは自分のものなどではない。

あれらの本当の持ち主は、既に何処にも居ない。

居る筈がない。

何故なら、彼は既に死んでいる。

今この時間を生きてはいないのだ。

あれらは死者の持ち物であり、自身は仮初の持ち主として一時的に貸し与えられていたに過ぎない。

あれらは今でもモンディアルの屋敷にあるか、あの『両親と思い込んでいた』人間達によって処分されているだろう。

間違っても、ミッドチルダより遠く離れた次元世界に浮かぶ『宇宙船』、その内部に存在する筈などないのだ。

 

「エリオ」

「ッ・・・!?」

 

何処かより聴覚へと飛び込んだその声に、エリオは肩を跳ね上げて周囲を見渡す。

誰も居ない。

周囲には、人物の影1つ無かった。

そう、唯の1つも。

 

「キャロ・・・?」

 

新たに家族となった少女の名を呼ぶも、彼女の声が返される事はない。

キャロは何時の間にか、その姿を消していた。

咄嗟にストラーダをスピーアフォルムへと変貌させる。

船内AMF出力は上昇していない。

『敵』が潜んでいるのならば、今はまだデバイスを用いて交戦できる。

 

自らの記憶に怯える思考が、忽ちの内に戦闘に際したものへと変貌。

冷徹な観点を以って、状況の分析を開始する。

 

「エリオ・・・やっと・・・」

「ッ・・・!」

 

聞き覚えの在る、否、『在り過ぎる』声。

不快なそれに、舌打ちしそうな自身を辛うじて抑える。

どうやら『敵』は此方の情報を、ある程度入手しているらしい。

そうでなければ、ロッカー内に玩具を置き、よりにもよって母親として振る舞っていた『あの女性』の音声を用いて、こちらの精神に揺さ振りを掛けるなど実行できる筈もない。

解らないのは、そんな手間を掛けてまで何をしようとしているのか、という事だ。

恐らくはキャロの身柄を拘束しているのだろうが、その方法も不明。

しかし、八神部隊長やハラオウン提督の証言から、何を仕掛けてくるのかある程度の予想は着く。

『モンディアル夫妻』だ。

『敵』はその姿を模し、自身の前へと現れる筈。

即座に非殺傷の一撃を叩き込み、昏倒させる。

 

模倣とはいえ、嘗て両親と慕った2人の姿に対する攻撃を行う事については、エリオに躊躇はない。

自身の人格を冷徹であると意識した事は無かったが、しかし常人と比較し、人を傷付ける事に対する抵抗が少ない事は自覚していたのだ。

誰彼構わずという訳ではないが、自らが『躊躇する必要性が無い』と断じた対象については、『暴力』を以って相対する事を厭いはしない。

六課の面々、更には保護者であるフェイトや、家族でもあるキャロですら気付いてはいないであろう、エリオの内に潜む暴力衝動。

それは明らかに、違法研究を行っていた管理局所属研究所及び、管理局保護施設での生活、それらの期間の内に育まれた狂気。

彼自身も自覚はしていたが、それを捨て去ろうという考えは更々無かった。

 

フェイトはその衝動が、既に癒され霧散していると考えている。

だが、それでは駄目なのだ。

六課の面々は任務に対し厳しい認識を持ってはいるが、ある面が決定的に不足している。

特に、八神部隊長とスターズ・ライトニング両部隊長やキャロは、それが顕著であるとエリオは考えていた。

 

それは、純粋な『暴力性』だ。

彼女等は犯罪に対する怒りこそあれ、『敵対者』に対する理屈を超越した『殺意』が欠けている。

幼いながらも、両親を始めとする世界に対し一度は絶望し、更には長期間その精神状態を維持した事による従来型倫理観の欠如は、エリオという少年に冷酷な現実観を植え付けていた。

即ち彼は、自らの正義を成す為に『暴力』を選択する事に対し、些かも躊躇を持ち得ないのだ。

 

『敵対者』に理由を訊く。

説得を試み、投降を促し、穏便な解決を図る。

此処までは他の隊員と同じだ。

しかしそれでも交戦しか術がないとなれば、『敵対者』の主義主張を含む一切を、暴力を以って捩じ伏せる。

其処に感情や議論を挟む余地は無く、単なる鎮圧行動に過ぎない。

その結果へと至る行動を選択したのは『敵対者』自身なのだ。

 

寧ろ、周囲の人間が何故そうなった事を悔やむのかが、エリオには理解できない。

ルーテシアと相対した際に、その事について思い悩むキャロに対してエリオは、何時かはきっと解り合えると励ました。

だがそれは、彼がフェイトの保護下で過ごす内に学んだ、一般的に受け入れられ易いが為に多用される理想論だ。

エリオ本人にとっては、その思考を持つ事に意味があるとは思えなかったし、またその価値も無い。

ルーテシアとの相互理解は確かに望んではいたが、敵対するならばその拠り所たる召喚虫ガリューを、彼女から永遠に奪い去るつもりであった。

結果的にそうはならなかったというだけであって、彼自身はガリューの殺害をも已むなしと捉えていたのだ。

 

エリオにとって、自らの欠落した倫理観を補う存在とはフェイトであり、そしてキャロであった。

他の隊長陣やフォワード陣に対しては上司・同僚としての信頼こそあれ、その役割を期待する程に人間性を知り得ている訳でもなく、それ以外の人間ともなれば尚更である。

彼にとってフェイトとキャロは、家族という関係以上に、自らの欠陥を補う重要なファクターとしての認識があったのだ。

 

だからこそ、そのキャロを襲ったであろう『敵』に対する殺意が、より一層に先鋭化する。

ストラーダの矛先が纏う半球状の不可視の結界、非殺傷設定の魔力障壁は更に密度を増し、突くのではなく薙いで用いるのならば、そのまま対象を即死させかねないまでに硬度を増していた。

エリオ自身もその事は重々承知してはいるが、一方で意識の片隅では、それでも構わないとの認識もある。

この『敵』の用いる戦法は危険すぎる。

万全を期すならば、此処で完全に排除してしまう方が良法だろうと。

 

「エリオ」

 

再び、女性の声が響く。

エリオは最早、その声に懐かしさを感じはしなかった。

唯々、冷徹なまでに距離を測る理性と、暴発を目前にした殺意を以って時を窺う。

 

「エリオ」

 

3度目。

エリオは確信した。

後方、10m。

 

「エリオ」

 

9m。

 

「やっと」

 

8m。

 

「やっと会えた」

 

7m。

 

「私の」

 

6m。

 

「大切な」

 

5m・・・『射程内』。

 

「エリ・・・」

 

振り向き様に、エリオはスピーアアングリフを発動。

バネの如く収縮させた全身の筋肉より放たれる加速とも相俟って、穂先の速度は視認すら不可能なまでに至っていた。

瞬間的にして爆発的な魔力噴射が実行されるや否や、矛先の魔力障壁が標的を捉え。

 

「あ・・・」

 

 

 

次の瞬間、霧散した。

 

 

「え?」

 

呆けた声が上がったのは、一瞬の事。

加速された矛先が、標的を貫く。

半球状の障壁によって突き飛ばされる筈であった目標。

白亜の突撃槍がその肉体を食い破り、深紅に染まった矛先が目標の背面より覗く。

しかし爆発的な加速の為された一撃は目標を貫くに留まらず、突然に事に呆けるエリオの手を擦り抜け、目標を刺し貫いたまま通路を翔け抜けた。

そして、通路の突き当たりへと矛先が接触、火花を散らして壁面へと目標を縫い止め停止する。

 

此処で漸く、エリオは気付いた。

全身を襲う重圧、締め付けられる様な息苦しさ。

超高出力のAMFが、船内に展開されている。

非殺傷設定の魔力障壁は、AMFの発動によって強制的に解除されたのだ。

 

そして、彼は見る。

ストラーダによって、壁へと縫い止められた目標。

その矛先によって身体を貫かれ、壁面と床面を朱一色に染め上げる人物。

紺色、時空管理局管理局の制服。

しなやかで整ったボディライン。

僅かな照明の中でも輝きを失う事のない、金色の髪。

今この瞬間は、その全てを赤黒い血の海へと沈める、その人物の名は。

 

「どう・・・し、て・・・」

 

 

フェイト・T・ハラオウン。

 

 

「う・・あ・・・」

「エ・・・リ・・・オ・・・?」

「うわああああああぁぁぁぁぁッッ!?」

 

次の瞬間、エリオの意識を無数の声が襲った。

それは彼の意識の奥底より湧き上がる、記憶の中の亡者達が上げる怨嗟の叫び。

 

自らを確保しにモンディアル家を訪れた管理局員に対し、自らの存在意義を否定する言葉を再三に亘って放っては自己弁護するモンディアル夫妻の声。

研究所にて自らに苛烈な実験行動を科し、満足のいかぬ結果に暴言を放つ研究員達の声。

初めて魔力を暴走させ、3人の研究員を生死の縁へと追い込んだ直後に囁かれた、自らを化け物と恐れる声。

内心の怯えと侮蔑を隠しもせず、それでいて優しげに道徳の尊さを謳う保護施設局員の声。

 

「ああああぁぁぁぁあああああぁぁあああぁぁぁッ!?」

 

最早、エリオは限界だった。

全ての状況を受け入れる事を拒否し、転がる様にしてその場から逃げ出す。

壁面へと磔にされたフェイトの存在ですら、今となっては彼の視界へと映りもしない。

奇声を上げ、何度も転びそうになりながら、第3デッキを後にする。

 

必死に走るエリオ。

何時の間にか周囲からは光が消え、彼は完全な闇の中を疾走していた。

ただ只管に、圧し掛かる無数の『声』からの逃避を望み、何処へとも知れず駆け続ける。

 

「止めろ・・・止めろ、止めろ!」

 

行く手を遮る壁は存在せず、導き手となる誘導灯の明かりすら無い。

にも拘らずエリオは、まるで何かに導かれる様にして平坦な道を走っていた。

相も変わらず『声』は彼の意識を蝕み、その幼く歪な精神を追い詰める。

 

「止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ!」

 

やがて闇の中に、小さな光が点った。

唐突にエリオの意識へと飛び込んだその光の中には、必死に走る小柄な影。

瞬間的にエリオの思考は鮮明さを取り戻し、その影の正体を知る。

 

「ッ・・・キャロ!」

 

少女の名を呼んだ瞬間、脳裏に響く『声』の密度が圧倒的に増し、エリオは慄いた。

『声』が増えた事にではない。

新たに増した『声』の向かう先が自らではなく、キャロであった事にだ。

そして、その内容の残酷さに、エリオは驚愕する。

 

年端も行かぬ少女を異端と断じ、追放を叫ぶ長の声。

明らかにその死を望む、心ない同族の声。

何故こんな子が生まれたのかと、自らの娘をなじる両親の声。

少女を兵器として認識している事が容易く見て取れる、研究員の声。

 

「キャロ!」

 

必死に走るキャロは、その頬を涙で濡らし、絶望に叫んでいた。

その姿にエリオは、堪らず彼女の方へと駆け始める。

キャロもこちらに気付いたか、驚愕の面持ちでエリオへと向き直った。

 

「エリオ君!?」

「キャロ、こっちへ!」

 

エリオはキャロへと走り寄ると、その手を掴む。

瞬間、それまで意識を苛んでいた『声』がはたと止み、忽ちの内に思考がクリアとなった。

咄嗟にキャロを引き寄せ、腕の中に囲う。

 

「エ・・・リオ・・・君?」

 

幻覚ではない。

其処には確かに、キャロの温もりがあった。

声は既に消え失せ、キャロは僅かながら平静を取り戻している。

 

「もう大丈夫・・・大丈夫だから・・・」

 

キャロの髪を撫ぜつつ、エリオはそう言い聞かせた。

余程に恐ろしかったのだろう、彼女は小さく身を震わせながら啜り泣いている。

乗り越えたかの様に思われた残酷な過去を眼前にまざまざと突き付けられ、自身と同じく耐え切れずに逃げ出したのだろう。

エリオは、そう判断した。

 

考えてみれば、おかしな話だ。

あのフェイトが、不意を突かれたとはいえ、あの程度の刺突を躱す事ができないものだろうか。

AMFによる妨害もあったが、しかし僅かながらにも回避行動を見せなかった事は、今になって考えれば有り得ない事だ。

まさか、あのフェイトは。

あれすらも『敵』の構築した幻影だったのだろうか。

 

「・・・落ち着いた?」

「・・・うん」

 

そうして、漸く泣き止んだキャロの顔を窺うと、彼女は泣き腫らして赤くなった目を恥ずかしそうに伏せた。

苦笑し、まだ眼尻に残る涙を拭ってやるエリオ。

何時の間にか座り込んでいた腰を上げ、大切なパートナー、家族へと手を差し伸べる。

その仕草にキャロは、何処か気恥ずかしそうながらも、嬉しそうに手を伸ばし。

 

 

「・・・ヴィータ副隊長?」

 

 

唐突にエリオの背後へと、訝しげな声を放った。

 

「え?」

 

振り返るエリオ。

その視線の先に、治療服に身を包んだままのヴィータの姿を捉える。

彼女は此方へと背を向けたまま、壁面へと向かい腕を翳していた。

そして聴き慣れた、今この瞬間に最も聞きたかった声が、船内スピーカー越しにエリオの意識へと飛び込む。

 

『エリオ! キャロ!』

「フェイトさん!?」

 

その声に、エリオは心底からの喜びの声を上げた。

彼女は、無事だったのだ。

やはり先程のフェイトは、『敵』の用いた幻影か何かだったらしい。

彼は喜びを表情へと浮かべ、彼女が居ると思われる方向へと振り向く。

そして、気付いた。

 

「フェイトさん・・・!?」

『エリオ! こんな・・・こんな!』

『正気に戻れ、ヴィータ! 止めろ、それに触るんじゃない!』

 

彼女と自分達を隔てる、分厚い金属壁の存在に。

呆然と『円形の耐圧扉』、そのほぼ中央に設けられた強化ガラスの向こうで泣き叫ぶフェイト、更に六課のメンバーを含む十数人の顔を見やる。

皆、一様に絶望をその表情へと浮かべ、ある者は泣き叫び、ある者はデバイスを振り翳し、またある者は扉を破壊せんとする者達を押し留めていた。

直後、大音量の警告音が鳴り響き、エリオは思わず耳を押さえて苦痛の呻きを漏らす。

 

『駄目ええええぇぇぇェェッ!』

『副隊長・・・何でッ!?』

『畜生、やりやがった!』

『船外の連中は!? あと何秒掛かる!』

『緊急医療キットを! 早く!』

『キャロッ! エリオッ! 嫌ああああぁぁぁァァァッ!?』

 

泣き叫びつつ、更に激しく扉を叩くフェイト。

レヴァンティンを抜き、しかし炎を発する事のないそれに向かって、何かを叫んでいるシグナム。

医療キットを取りに行ったのか、背を向けて走り去るシャマル。

扉の向こう、片隅で制御回路の操作を試みているらしきシャリオやグリフィス、ヴァイスとティアナ。

扉へと詰め寄ろうとするなのはとスバル、それを押し止めるはやてとザフィーラ。

未だに状況を理解し切れぬまま、エリオはその光景を呆然と見つめる。

 

そして、聞いたのだ。

唐突に上がったヴィータの悲鳴、それが止むと同時に響いたアナウンス。

警告音に続く、無機質な合成音声。

それが告げた、無慈悲な宣告。

半ば麻痺した思考を、感情の無い音声によって紡がれた言葉が打ちのめす。

自身とキャロ、そしてヴィータの運命が既に決した事を知らせる言葉。

残酷な終末へと誘う言葉が。

 

 

『スタンバイ。25秒後に減圧を開始します』

 

 

眼球と鼓膜の奥底、抗い様のない痛みが鈍く疼いた。

 


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