刻の涙   作:へんたいにーと

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第二話

太郎を乗せたジープが戦場を駆け抜ける。今しがたまで閑静な住宅街であったグリーンノア1の内部は今や戦場の様相であった。エゥーゴのクワトロ大尉率いるリックディアス隊は、グリーンノア1に配備されている旧式のジムⅡではとても相手にできるものではなく、非情にも次々に撃墜されていった。

猛スピードで駆けるジープのおかげで、太郎は風圧により目をしばたたかせながらもその光景に目を離せずにいた。

 

「また一機やられた!中のパイロットは無事なのか!?」

 

 命の瞬きを太郎は目にし、とたんに震えが止まらなくなった。先ほどまで自分の起こした本部墜落事故のせいで出た怪我人を見て座り込んでしまった太郎だ。エマの前で少し良い恰好をしようとしてパトロールに出る等と言ったはいいが、今さら怖くなりはじめていた。

 

(そもそも俺は戦えるんだろうか……?)

 

 太郎はこの世界が決して幻の類ではない事を肌で感じていた。この世界は間切れもない現実だ。太郎は何故この世界でジェリドになっているのか分からないままであったが、エマもカクリコンもブライトも、名を知らぬその他の人々も皆生きていた。戦うという事は相手を傷つけると言う事だ。太郎は自分が戦って死ぬ事ももちろん怖かったが、それよりも自分が相手を傷つけ殺めてしまう可能性に恐怖していた。

 

「ふ、伏せてくださぃい!」

 

運転手の突然の叫びに、太郎が反応出来たのは運が良かっただけだ。ジープの進行方向付近でリックディアスへ放っていたジムⅡの100mmマシンガンの薬莢が、道路に落ちた拍子に飛び跳ねてこちらへ向かってきていた。

 

ブォオンッ

 

と薬莢の空気の切り裂く音と、道路にドラム缶が跳ねまわっているような音が響き、間一髪ジープの衝突直前でバウンドしたその巨大な薬莢は、太郎達の頭上数十センチをかすめて通り過ぎていった。

太郎はただの薬莢が太郎の世界なら艦砲や戦車砲に使われるクラスの大きさである事に今更ながら唖然とした。それが18mの高さから降ってくるのである。悪い冗談どころの話ではなかった。

 

「し、死ぬっ!こんなとこにいたら死んじまうぞ、何とかしろ!運転手!」

 

死の危険を間近に感じ、情けないほどにあわてる太郎。先ほどの「相手を傷つける事に恐怖する」という思考はすでに彼にはなくなっていた。余裕がないという事だ。

 

「取りあえず宇宙港に向かいますよ!」

 

運転手がジープの無線をいじり状況を確かめようとするが、悲鳴や銃声ばかりが入ってくる。

 

「畜生っ本部は何やってるんだ!コロニーにモビルスーツが侵入してるんだぞ!」

 

運転手の叫びに連なるように次々とコロニー一体に爆発音が連なった。ジムⅡがクワトロ隊に墜とされて爆散している音なのだが、太郎にはエゥーゴによるコロニー内の無差別爆撃の音に思えた。

 太郎が引っ込めていた頭をあげて再びあたりを見回すと、あちこちで煙が上がり、民間人の住宅の中には原形をとどめていないほどひどく損傷したものもあった。爆裂したジムⅡの破片が突っ込んだのだろう。

太郎ははゾッとした。こんなの自分の知っているガンダムではない。

 

(一体この襲撃で何人の人死(ひとじに)が出るんだ。これじゃぁまるで……)

 

「これじゃあまるで、戦争じゃないか」

 

自分でも気づかぬうちに発した一言に、太郎は驚いた。

 

(そうだ、何を言っているんだ俺は、戦争なんだよ。この世界では人類規模での戦争をやっているんだ……)

正確には地球連邦内部での抗争による内紛が今の現状を起こしているのだが、太郎はそこまでアニメの内容を理解して見ていたわけではなった。

 

呆然としていた太郎だったが、運転手の叫びによって自分を取り戻した。

 

「墜落したジムのパイロットがまだ生きているようです!無線で助けを求めています。ミノフスキー粒子も強まっていますし、我々以外にこの無線を傍受できたものはいないかもしれません。少し引き返すことになりますが助けましょう!」

 

一瞬渋った顔をした太郎だったが、ミラー越しにこちらを見てくる運転手の目が尋常ではなく、押された形で頷いた。

これが生粋のジェリドであればこうは行かなかっただろう。ジェリドならば今もなおコロニーを蹂躙しているクワトロ隊を叩く事を先決とし、救助は別部隊に依頼するはずだ。しかし太郎は救助するのも怖いが、クワトロ隊を叩くのはもっと怖いので渋々了承したのだった。

 

「あ、あぁ。わかった行こう」

 

太郎は頭を振って気合いを入れ直すと、恐怖で唇をかみしめながらも救出することを許可した。

 

 二度ほどジープで道を曲がってほどなくすると、足から堕ちたのだろう。脚部や股間部の装甲等、バラバラにはじけ飛んだパーツが家々に突き刺さっているのが見えた。

近づいていくと、家々から上がる粉塵と煙が道いっぱいに立ち込めており、視界の確保が難しく数メートル先も見えない状況だった。

速度を落としゆっくりと進むジープはやがて機体の胴体部分を発見した。煙を上げ仰向けに転がっているそれはコクピットを保護する前部装甲がひんまがっているが、開かれていた。

 

「もしかしたらもう脱出したのかもしれません」

 

二人はジープを下りると徒歩で近づき、安否を確かめた。

 

「大丈夫かー!まだ生きてるかー!」

 

煙で目を瞬かせ、喉を焼かれながら太郎は懸命に叫び、またパイロットも懸命に反応した。よわよわしい声だが、助けを求めている。

 

「おい、生きてる!まだ生きてるぞ!」

 

聞き取った太郎は運転手に叫ぶと先ほどの感情も忘れて、夢中になって駆けだしたが、すぐに足を止めた。軍用ブーツの靴底に粘着性の高い液体を感じ取ったからだ。

強いオイルの臭いだ。煙が立ち込めて、家々からは火の手が上がっている。太郎の心拍数が上がり、緊張から呼吸が浅くなる。

同じく駆けだしていた運転手が太郎を止めた。

 

「中尉!オイルが漏れてます。危険です!」

 

しかし太郎はその声が合図となったかのように駆けだすと、機体へとよじ登る。

 

(うわああ!俺はなんだってこんなことをしてるんだ!)

 

内心では自分を罵倒しながらも体は勝手に動いていた。コクピットの中をのぞくと、太ももに金属のパイプが刺さって座席と縫い合わせられている顔の青いパイロットと目があった。

 

「こいつを、……抜いてくれ」

顔は青い、唇がかさつき声もかすれている。一目で血が足りていないと分かった。しかしその眼にはまだ力が宿っている。ひとまずパイロットが生きている事に安堵した太郎だったが、次の困難に頭を抱えた。もしこのパイプが太ももの大動脈を傷つけていれば、引き抜いた後の出血で死んでしまうのではないか。

 

「運転手!こっから宇宙港までどのくらいだ!」

 

下でこちらをうかがっているだろう兵士に尋ねる。煙の被害は甚大で30センチ先ももう見えなかった。

 

「10分くらいです!」

 

「よし。その場で待機しろ。俺が合図したら声を出し続けろ!今からパイロットを抱えてそっちに行く」

 

「了解!」

 

運転手の声の方向を確認すると顔の青いパイロットに向き直った。

「死んでから文句を言ったって遅いからな」

パイロットが頷いたのを確認し、震える指先で鉄パイを掴んだ。その掴んだ事によるわずかな揺れでさえパイロットにとっては激痛を覚えさせるものであるらしく、引き抜くには相当の勇気がいりそうだった。

焦る気持ちだけがどんどんとつのっていく。太郎は一度深く息をすると覚悟を決め、鉄パイプを垂直にひきぬいていった。ガリガリとシートをこする音や粘着質な水音をたてながらパイプが抜けていく。

 

「がああああ!!」

 

パイロットの悲痛な叫び声と肉を貫くパイプの振動に顔をしかめながらも太郎はパイプを抜ききった。

「やったぞ!おい!」

太郎の呼びかけにパイロットは答えない。顔を見てみると痛みのあまり失神しているようだった。太郎はパイロットを急いで担ぐと慎重にジムの胴体から降りた。

 

「声を!」

 

「はい!ここです!こっちです!」

 

喉が煙でいぶされた、運転手はかすれた声で叫び続けた。そのかいもあって太郎と運転手は合流し、ジープへと進んでいく。ジープは強烈なヘッドライトを灯したままアイドリング状態で置いてあるため、音と光ですぐに見つかった。

 

 太郎はパイロットを後部座席へと寝かせると、座席下部に備えられている医療キットを使い、患部より心臓に近い位置で足をきつく縛り、心臓より高い位置に上げた。そして患部にガーゼを強く押しあて始めた。間接圧迫止血は高度な専門知識を必要とする。太郎は本職の衛生兵ではないため止血の仕方もあっているか定かではない。やはり出血が止まらず、一刻も早く本格的な治療が必要だと言えた。

 

「宇宙港に行けば、軍医がいるはずです。出払ってても衛生兵はいるでしょう。後は飛ばすだけです!」

 

火災が発生している区域から抜けると、タイヤ痕を残し煙を上げながら猛スピードでジープを走行させる。太郎は名も知れぬパイロットの足からあふれだす血を懸命に両手で抑えつけていた。

パイロットの意識は戻っており、苦痛にあえいでいる。そんな状況にも関わらず、すすけた真っ黒の3人の顔には眼だけがギラギラと光っており、生への力強さが感じられた。このままいけば全員助かるかもしれないとその望みが3人の心を高めていた。

 

「あっ!」

 

突然運転手が叫んだため太郎が進行方向へ振り向くとジムⅡが一機こちらへ背を向けて、飛行中の赤いリックディアスへとビームスプレーガンを乱射している。

 

「このまま突っ込みます!」

 

「あっ、おい!」

 

運転手はそう告げると、太郎が制止しようとするのもかまわず、さらにアクセルを踏みしめ回転数を上げ、ジムⅡの足元を猛スピードですり抜けた。その時だった。

ジムⅡから乱射されたビームを全て避けながら赤いリックディアスは牽制のため、頭部の55mmバルカンをばら撒いた。バルカンはアスファルトを削りながらジムⅡの脚部とその周辺に着弾。未だジムⅡの足元を走っていたジープに迫りくる。

目の前のアスファルトが爆ぜ道路が津波のようにめくれ上がった。咄嗟(とっさ)に運転手がハンドルを切りブレーキを踏んだため車体がスピンする。その遠心力に耐えられず太郎は宙を舞った。

 

「ぐあぁああああっ!!」

 

ぐわんぐわんと耳鳴りを響かせながら景色が急速に変わっていく。車体から振りだされ7メートルは宙を舞った太郎はそのまま道路脇の茂みに落下し、背中をしたたかに打ちつけたため呼吸が止まり視界が赤く染まった。

 

「――うッ……」

 

数秒、気絶していたのかもしれない。頭を振って立ちあがろうとするが鋭い痛みのせいで立ちあがる事は困難だった。それでも何とか立ちあがりきると急激に咳き込み、口からドロッとした血が噴きだし、太郎のパイロットスーツを汚していく。

 

(……内臓をどっか痛めたのかもしれない)

 

深く呼吸しようとすると肺がきしむ様に胸が痛むため、甲高い呼吸音を発しながら浅い呼吸を繰り返し周りを見渡すと、十数メートル先に炎上した鉄の塊となってしまったジープ、そして人間だったものの数々が散乱していた。

 

エゥーゴのエースパイロット、クワトロ・バジーナ大尉が搭乗する赤いリックディアスが放った55mmバルカン ファランクス。ヘリコプターに搭載する対地ミサイルほどの口径があるそれは、無情にもジェリド達の乗っているジープに着弾してしまった。

 

ジープがたてている急激に燃えた煙の臭いや、それに混じる焦げ臭いオイルの臭いも太郎には届いていない。顔は擦り傷だらけで赤黒く染まっているし、血反吐を吐いたため喉や鼻の内部にまで血がこびりつき血の臭いでいっぱいだったためだ。それが目の前の無残な惨状と合わさって太郎に壮絶な吐き気を催させた。

こみ上げてくる異物を気合いで飲み込み、現場へと向かう。体のいたるところがきしむが奇跡的に手足に問題はない。太郎が命をかけて救い出したパイロットも、それに協力してくれた運転手も今や焼けただれた肌にこびりついた衣服でなんとか判別できる程度であった。

どちらがパイロットか運転手か等既に太郎は確認するつもりはなかった。二人が死んだ事を理解するためにはその死体を見ざるを得なかったのだ。

遺体の損傷はとてもひどく、足元に転がっていた肉片付きの折れた棒が彼らのうちの誰かの骨だと言う事がわかり、ついにこらえ切れず嘔吐した。

酸欠、吐き気、ひどい頭痛で彼の視界は歪み、膝をつき血の混じった反吐をびしゃびしゃとアスファルトへと放出する。

ゲロまみれになりながら太郎は泣きわめいた。

 

「なんなんだよ一体。なんで、なんで」

 

(何で自分がこんな目に会うんだ。何でこんなに簡単に人が死ぬんだ。何でそんなに簡単に人が殺せるんだ。なんで、どうして)

 

頭脳も肉体もこの世界の記憶も、ティターンズという連邦屈指の特殊部隊に勤めるエリート、ジェリド・メサのモノだ。しかし心は、心だけは吉田太郎その人のモノなのである。

戦争とは長らく無縁な平和な国で、のびのびと育ってきた太郎にはこの現実は辛すぎた。しかし彼の心には悲しみはまだ生まれない。悲しみというのは心に余裕がないと生まれにくい性質を持っている。彼の心はひどく余裕を失った状態でいるため誰かに対する怒り、憎しみと言った負の感情で埋め尽くされた。

その矛先はクワトロ・バジーナや理不尽なこの境遇といったものに向いている。しかしこれは一過性のものにすぎないだろう。理不尽な境遇にはどう矛をつきたてればいいのか太郎にはわからないし、これからも軍に所属している限りこのような惨状が良くあることだと理解し、クワトロに対する怒りも幾分か減っていくだろう。

 それに太郎は延々と人を憎んで生きるほどの度胸は持ち合わせてはいない。一通りの憎しみを抱いた後、何らかの発散方法で、怒りを悲しみに昇華させていくことだろう。

 だが例え一過性のものにすぎない憎しみであってもそれは今、太郎にとって人を殺す動機足り得た。

 

(俺はジェリドに成らなくちゃいけない。このまま吉田太郎としてこの世界を生きるにはいささかこの世界は厳しすぎる。だから俺はジェリドに成らなくちゃいけないんだ)

 

飲食店のアルバイトリーダーにはこの現状を受け入れるだけの精神的基盤は存在しなかった。ジェリドの記憶や身体によって、彼の心は日本にいた時のような吉田太郎の心とは少し違ってきていた。ジェリドの性格や思考プロセスが徐々に太郎の心、精神に影響を与えていたのだ。何となくその事に本能的に気づいていた太郎は、ジェリドの肉体と記憶による心への浸食に無意識で抗っていた。しかし今、多大なダメージを負った太郎の心はジェリドからの浸食を受け入れ始めていたのだった。

 

パイロットスーツで口元をぬぐい、鼻孔に詰まった血を方穴づつ抜くと吉田太郎、いや、ジェリド・メサは、そのままよろよろと宇宙港へ走りだした。

クワトロ・バジーナを殺すにはどうすればいいか考えながら――

 

彼はまだ、考える事を止めていなかった。


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