「あれ? その口ぶりだと、お兄ちゃん達はもう私との関係は知っているんだね」
義姉と言う言葉を聞いたイリヤスフィール、愛称イリヤは驚いた顔になったのもの、直ぐに微笑みを浮かべる。
まるで妖精のように可愛らしいが、そこに秘められた感情はどこまでも純粋でありながら苛烈。心臓を鷲掴みされるかのような敵意だった。
「昼間会った時には気づいてなかったみたいだけど、話が早いわ。もうお兄ちゃんっていうのも可笑しいのだけど、確かに私とお兄ちゃんは義理の姉弟になるんだよね。
ちゃんとマスターにもなったみたいだし、私を捨てたキリツグへの復讐を含めて、殺してあげる」
「待ってください、イリヤスフィール―――」
「じゃあ殺すね? やっちゃえ、バーサーカー!!」
「■■■■■■■■■■■■■■!!」
制止しようとしたセイバーを無視し、イリヤはバーサーカーに命令する。
理性を犠牲にし、能力を強化された狂った巨人は、形容しがたい雄叫びを共にセイバーを肉迫する。
そこには一切の戦術も存在しなかった。ただ、敵に目掛けて手に持っていた石器の斧剣を力任せに振り落とすだけ。
恐ろしいことに、それだけでこの一撃は驚異だった。圧倒的までの暴力が逃げることを許されない速度で近づく。単純な腕力だけで必殺の域まで達する。まさしく化け物だ。
瞬時にセイバーは武装をし、応戦する為自身も一歩前に踏み出す。下がる、避けることはしない。そんなことをすれば自身のマスターであり、想い人である士郎がバーサーカーの一撃で木っ端微塵になるだろう。
自分の倍以上はある巨体に小柄な少女が接近する。一見すれば、それがどこまでも無謀な光景、そんな感傷に浸る間もなく、二人の英雄は互いの駿足で接近し、刹那にぶつかり合う。
轟音。足元のアスファルトはまるで地震でも起きたかのように罅割れ、陥没した。衝撃の余波によって周囲に突風を生み出し、傍観している人間の服が靡く。巻き上げられた粉塵が晴れると、二人のマスターは二人のサーヴァントの激突の結果を目撃する。
「え?」
戸惑いの声はイリヤだった。
あろうことか、地面に倒れているのは自身のバーサーカー。そして、相手のセイバーは整然と透明な剣を構えて立っていた。どこも外傷は見当たらず、真っ直ぐと倒れ伏すバーサーカーを見据えている。
「な、なにしているの、バーサーカー!? 遊んでないで、さっさと殺しなさい!!」
「■■■■■■■■■■■■■■!!」
イリヤの叫びにバーサーカーが直ぐに応じ、飛び上がるように立ち上がると、そのまま落下するようにセイバーへ斧剣を叩き落とす。
そこへ、どこか緩やか速度でセイバーが薙いだ透明の剣が接触する。
イリヤはその光景に、今度は言葉を失い呆然した。
奇妙なことに、セイバーの剣がバーサーカーの剣に接触した次の瞬間、バーサーカーは自身の剣に引っ張られるような形で横転したのだ。
ドン! と、巨体が再びアスファルトに倒れ伏す。今度は主の命がなくとも行動し、倒れたまま斧剣を薙ぐ。出鱈目だがまさしに地を這う断頭台。速度も十分であり、出鱈目なこともあって、容易に対応できるはずもない。
しかし、セイバーはまるで
そこで急に態勢を変えたバーサーカーが空中で身動きとれないセイバーを、まるで自分の目の間に飛ぶ羽虫でもはたき落とすかのように斧剣を振る。
だが、空中のセイバーの剣が円を描くように振るわれると、先程と似たようにバーサーカーは自身の剣が見当外れの場所に向かい、それに引っ張られる様にして自身も再び態勢を大きく崩すことになった。
「なに、これ?」
イリヤはわけがわからなかった。
自身が召喚した英霊がギリシャの大英雄ヘラクレス。心技体に優れ、あらゆる武具を使いこなす技量はまさに神技。数々の困難を乗り越えた、まさに英霊の中でも最強の一角。
そのヘラクレスを、本来は弱いサーヴァントを強化するためのクラス、バーサーカーとして召喚することによって、本来のステータスを上回る性能を持つことに成功した。
結果として、莫大な魔力を消費し、並みの魔術師なら瞬時に干からびるが、実質イリヤは歴代最高の魔力を持つマスターだった。まさに最強と最強の組み合わせ、有象無象の英雄たちを蹴散らすことができるほどの実力がある。
―――はずだった。
だが、実際はどうだ?
幾戦の駆け抜けた大英雄は、自身の半分しかない体躯の少女に何度も地面に倒されているではないか。
せめぎ合うなら分かる。何かしらの宝具で動きを封じられるなら理解できる。
しかし、セイバーは技量だけでバーサーカーを手玉にとっていたのだ。
何故、こうまでしてセイバーがバーサーカーを簡単に足蹴にできるのかは、それは互いに持ったスキルが原因である。
セイバーの直感スキル。ランクは驚くべき事に
常時、自身にとって最適な展開を感じ取り、理解し、研ぎ澄まされた第六感と瞬時な判断は未来予知そのもの。相手が仕掛ける技を予測して見切ることも可能だった。
可能、であるが、実際実力が拮抗した相手でも、見切ったところで簡単に対応はできないだろう。武勇に優れた英雄は誰しも技量が卓越している。自身の攻撃が見切られるなら、それを想定して攻撃するだけだ。そういった場合なら、セイバーにできることは精々、次の追撃に結び付ける程度。
そこでバーサーカーのクラス別能力、狂化が絡む。理性を犠牲にして能力を上げたことが、結果として裏目に出たのだ。
理性を失った事により、卓越した技能が失われ、結果として動きが単調になったのだ。
生半端なサーヴァントならそれでも十分。上位のサーヴァントでも苦戦は強いられる。
だが、ランクEXの直感スキルを持つセイバーに対して、それは余りにも無謀だった。
完全に分かり切った攻撃。どこが、どれを狙い、どんな動きをするか詳細が全て分かる。幾らふざけた火力を持っていようが、対応できればそれまでだ。
攻撃を完全に見切ったセイバーは、自身の技量を持って簡単に去なすことができた。
合気道という武術が存在する。合理的な体の運用により体格体力によらず、小より大を制することが可能。達人となれば相手の力を利用し、技だけで相手を無効化する。
恐るべきことに、セイバーは剣でそれをしているのだ。
セイバーは合気道を習得していない。だが、直感スキルで導き出された答えを自らの剣術で対応することで、自然と相手の力を利用し、技量だけバーサーカーを圧倒しているのである。
仮にバーサーカーに僅かのばかりでも理性が残っていれば、攻撃一辺倒ではなく、防御やフェイントを交えた攻防でセイバーの合気道擬を封じられただろう。
また、目の前の戦闘を分析できるマスターであれば対応もしようもある。
しかし、自身のサーヴァントに絶対の自信を持っていたイリヤは、目の前の出来事に呆然としているだけだった。実戦経験も乏しいので、何が起こっているのか理解ができずただただ困惑している。
「シロウ、今です! イリヤスフィールにアレを!」
その様子を目撃したセイバーは好機を感じ、自身のマスターに指示を出す。
士郎は一瞬戸惑いを見せたが、直ぐに頷き、未だ呆然としているイリヤを見る。
ここに来るまで、セイバーはなんなくイリヤに遭遇すると感じたので、教会に向かう僅かな準備の中、何かできないかとなんとなく屋敷を徘徊し、偶然、イリヤをなんとなくできそうなものを見つけたのだ。
めちゃくちゃ曖昧なのだが、セイバーの感の凄さを知った士郎は、その提案に乗った。
士郎はイリヤと自分の距離を測る。
近いが遠い。
自分がイリヤに接近すれば、セイバーに手玉に取られているバーサーカーでも、セイバーを無視して自分に向かってくるだろう。
凛が準備した大量の宝石よって士郎の魔術レベルは上がった。更に未来の自身であるアーチャーの助言によって自分が出来ることも教わった。
だが、それでもサーヴァントには敵わない。セイバーに簡単にこかされ続けているバーサーカーは本来、恐るべき存在なのだ。生半端な対応はまさに命取り。
ならば、一気に距離を取るまで。
「
投影魔術。しかし、これは紛い物。
自身の心象風景を具現化する魔術、固有結界。それが衛宮士郎に許された本来の魔術。
心象風景は、複製された剣が大地に突き立つ剣の丘、名を
結界内にはあらゆる「剣を形成する要素」が満たされており、目視した刀剣を結界内に登録し複製、貯蔵する。
刀剣に宿る「使い手の経験・記憶」ごと解析・複製しているため、初見の武器を複製してもオリジナルの英霊ほどではないがある程度なら使いこなせる。
また、一度この心象世界に複製され記録された武器は、固有結界を起動させずとも投影魔術で作り出すことが可能で、士郎の投影とは、本来のそれとは異なり、この固有結界から零れたものであり、一般的な魔術ではない。
また、盾や鎧は投影も可能で、剣と比べると二、三倍の魔力を使えば一時的に引き出せることも可能だった。
士郎が投影するのは剣ではなく、ある“靴”だった。教会侵入の事前にアーチャーが役に立つかもしれないと見せてくれた投影された宝具の一つ。
それは自身のサーヴァントであるセイバー、騎士王アーサーに由来するものだった。
「
自身が既に履いていた靴を覆う形で白銀の靴が出現すると、士郎はイリヤに向かって一歩踏み出した。
「くっ――――――――――――!」
「え? きゃあッ!」
瞬間、まるで士郎の体が砲弾のように飛び出した。予想以上の加速で目標であるイリヤから通り過ぎる寸前だったが、なんとか踏ん張り、アスファルトで脚を引きずらしながらイリヤの眼前に一瞬で移動した。突然の士郎の登場でイリヤも小さな悲鳴を上げる。
千里靴。一歩で七リーグ、約35キロ進むことができるという魔法の靴。作成者はアーサーに助力した魔術師マーリン。
初めての宝具投影、更に剣でもないので本来の性能から随分と落ちているが、士郎にとってそれが幸いした。万が一、同じ性能を持っていたら士郎の体は壁に突撃して、体はつぶれたトマトのように弾けていただろう。セイバーが知れば卒倒ものだ。
「えっと、イリヤスフィールでいいのか?」
そんなことは露知らず、士郎は場違いのようにイリヤに呼び方を訊ねる。
「え? ええと、長いからイリヤでいいよ?」
イリヤも状況が困難していたのか素直に答えた。
「んじゃあ、イリヤ。急で悪いがこれを読んでくれ!」
士郎はポケットから封筒を取り出し、イリヤに差し出した。
「え? これって・・・・・・・・・ま、まさかラブレター!?」
「え? ちが――」
「違います!!!」
顔を赤らめながら狼狽するイリヤに士郎が否定する前に、セイバーが大きな声で否定する。
「それは、私が見つけた――」
「■■■■■■■■■■■■■■!!」
「――ええい、話の途中に邪魔するな、バーサーカーッ!」
「■■■■■■■■■■■■■■!?」
「バーサーカー!?」
横からやってきたバーサーカーを、先程までの要領で吹き飛ばし、近くの壁に激突させると、そのままバーサーカーの体は壁に埋まった。セイバーはバーサーカーがしばらく動けないことを確認すると、息払いをしてイリヤを見る。
「それは貴女宛ての手紙でありますが、士郎が書いたものではありません。恋文なんてもっての他です!!」
「そ、そう・・・・・・」
何故か機嫌が悪そうなセイバーに戸惑いつつも、罠ではなさそうなのでイリヤは士郎から封筒を受け取る。
ドイツ語でイリヤへ、と書かれているので自分宛なのは間違いなさそうだが、差出人の名前がない。
怪訝しつつもイリヤは封を切った。その瞬間僅かな魔力を感じたが、特に害を感じられない。イリヤは指定した相手でなければ封を解けない魔術でもかけられたのかと考えながら、中身を取り出した。
そして、そこには最初に自分の名と、最後には差出人の名前が書いてあった。
イリヤへ――
――――衛宮切嗣。
「!?」
驚愕しながらも、イリヤはそのまま手紙の中身を読み出す。
それはセイバーがたまたま見つけた、衛宮切嗣が残した娘への手紙だった。
イリヤへ。
君がこの手紙を読んでるのであれば、僕は既にこの世にはいないのだろう。
まずは、迎えに行けなくて、すまない。
言い訳はしない。どんな理由があれ僕は君との約束を守れなかった。
イリヤは恨んでいるだろうか?
それともまだ待ってくれているのだろうか?
どのみち、僕は君に寂しい思いをさせてしまった。父親失格だ。君にパパとか呼んで貰えないのもしかたのないかもしれない。
結果としてイリヤやアイリを裏切ってしまった。やはり、あの時、僕は君たち連れて逃げるべきだったのかもしれない。最近は何度も後悔しているよ。
でも、その度に、否定する部分もあった。
知っているかい? イリヤには弟ができたんだよ?
名前は士郎っていうんだ。やんちゃで、頑固だけど良い子だ。イリヤも好きになってくれると思う。あの戦いに参加しなければ、その士郎と出逢えることもなかったと思う。
僕の事は幾らでも恨んでくれていい。でも、母さんや士郎は別にしてほしい。母さんは僕のことを聞いただけ。士郎も罪はない。だから、二人だけは嫌わないでくれ。
悪いのは僕だから。
きっと君は当主に道具のように扱われるだろう。人形のように扱われるだろう。
すまない。僕は君を救えない。助けに行くこともできなかった。だから、幾らでも恨んでくれ。呪ってくれ。嫌いなってくれてもかまわない。
でも、これだけは覚えていてほしい。
今の君を知らないのに、これから贈る言葉はひどくちっぽけで、無責任な言葉に聞こえるだろう。
だけど、どうか聞いてほしい。
君は人形じゃない。僕とアイリが愛した可愛い娘だ。
イリヤと士郎に幸せがくるように祈る。
衛宮切嗣。
「じいさん――切嗣は」
何度も手紙を読み返しているイリヤに士郎は躊躇いがちに声をかけた。
「いつも夏頃、どっかに行っていたんだ。たぶん、イリヤを迎えに行こうとしていた」
でも、それは敵わなかった。
セイバーから聞いたが、切嗣は前回の聖杯戦争に参加して、最後まで勝ち抜いた。
だが、聖杯に欠陥があると知ると、礼呪を使いセイバーに聖杯を破壊させた。
結果としてアインツベルンにとっては裏切りだろう。そんな男を、今後の聖杯戦争で必要なイリヤに引け合わすことなどしないのは至極当然であった。
それを頭のどこかで理解したイリヤはぼそりと呟く。
「そんなこと―――――今更、意味ないわよ」
手にした手紙を握り締める。
「どんな理由だって、キリツグは私を裏切ったんだから」
「イリヤ―――」
結局、切嗣がイリヤを裏切ったことは変わらない。
見捨てていないとしても、結果として独りにしたのなら父親失格というのも当然だ。
手紙で書いてあった、自分に、パパと呼んで貰えないのもしかたのないかもしれない、そんなものはイリヤには当たり前過ぎた。
なぜなら、イリヤは、切嗣が迎えに来たら、他人のように名前ではなく、親のように父を呼ぶつもりだったのだから。
「イリヤ、お前――」
驚いている士郎を余所に、イリヤは熱くなった瞳でくしゃくしゃになった手紙を睨む。
外部の魔術師である切嗣をアイツベルンは身内として認めていなかった。よって、まるで身内でないようにイリヤに切嗣を父として呼ぶことを禁じていた。
だが、聖杯を勝ち取れば、当主は切嗣を認め、イリヤに父と呼ぶことを許すと言っていたのだ。
今より内面は幼い頃、いつも、いつもイリヤは寒い城の中で、考えていた。
お母様と同じようにあの人をお父様と呼べば喜んでくれるだろうか? パパと呼べば嬉しいのだろうか? それとも普通の子供のようにお父さんと呼ぶ方が良いか?
来るはずのない未来を想いながら、イリヤは独りで何度も何度も考えた。
結局、意味などないのだから。
呼ぶ相手はどこにもおらず、自分は一人なのだから。
「キリツグ、なんて、大嫌――」
「やめて、ください」
イリヤが叫ぶ前に、トン、と自分の体になにか当たる。
気づけば、いつの間にか近くに来ていたセイバーがイリヤを抱きしめていた。
「セ、セイバー?」
「それ以上はあんまりだ。親が子を否定するのも、子が親を否定するのも、悲し過ぎる」
何処か自身に対しても問いかけているようなセイバーの言葉を、イリヤは戸惑いながらも静かに耳に入れる。
本来、聖杯戦争であるなら、敵であるサーヴァントの接近されたこの状況はマスターとして絶体絶命のはずなのだが、イリヤに恐怖は感じなかった。
鎧越しに抱きしめられて、硬い感触が自分を包んでいるが、不思議と居心地は悪くない。
「恨むなら私も同罪だ。私はアイリスフィールも切嗣も守れなかった」
「え? まさか、貴女―――」
「ええ。私は十年前、切嗣に召喚された同じセイバーです」
「そ、そんな、在りえない」
「今は私の事はいい。それよりも、今は謝罪させてください。ごめんなさい、イリヤスフィール。私は今まで貴女をこんなにも一人にさせてしまった」
「セイバー・・・・・・」
贖罪するセイバーを士郎は黙って見入っていた。
その姿はあまりにも美しくて、温かった。戦う彼女の姿も清涼で可憐であったが、今のセイバーはそれとは別種の魅力を感じる。
まるで、迷子の子供を見つけた母親のような温もり、士郎の心は惹かれていた。
「でも、どうか。忘れないでください。貴女は切嗣とアイリスフィールの娘だ。二人は貴女を愛していた。どんなに辛いことがあっても、悲しくても、あの雪の森で戯れていた日々を、なかったことにしないでください」
その言葉でイリヤは思い出す。
無邪気に、まだ何も知らない子供の頃、短い時間であったが、二人の両親と共に過ごした日々。
負けず嫌いな父の卑怯な手段に何度も負かされて、その度に拗ねた自分を何度も謝っていた父の情けない顔。そんな自分たちを優しく見守る母の笑顔。
雪が多く降る寒い夜、温められるように二人の間で眠った安らかな時。
確かに在って、間違いなくあの時の自分は幸せであって、自分は二人のことが大好きだった。
その二人はもういない。
「うえぇ――」
もう止まらなかった。
「う、ひっく、うあぁあああああああああああああ!!」
決壊したようにイリヤは泣きだした。寂しくて、寂しくて堪らなかった。母親がいない。あの人はいない。父と呼ぶことは叶わなかった。胸が苦しくて、切なくて、心細くて、体がとても寒い。
そんなイリヤの頭をセイバーはあやすように優しく撫でた。泣かないでほしいとはいわない。彼女は泣くべきだ。今まで泣くこともできなかったはずだから。自分がいまできることは彼女の悲しみを受け止めることだった。
泣きじゃくるイリヤは離れないセイバーに縋るように自らも彼女の背に腕を回す。相変わらず鎧越しで温もりなど微塵に感じられない。でも、冷たい鎧でも、誰かがそこにいてくれる、それだけで今のイリヤには救いだった。
しばらくすると、泣き疲れたのかイリヤの叫びは止まった。
「落ち着きましたか?」
セイバーが顔を見て訊ねると、イリヤはコクンと頷く。泣きやんではいるが、イリヤの顔は憂いに満ちていた。その顔を見るのが堪らなくなった士郎がイリヤに声をかける。
「もう、一人じゃねぇ」
「お兄ちゃん?」
不思議そうにするイリヤに対して、士郎は首を横に振るう。
「士郎でいい。イリヤは俺のお姉ちゃんなんだから、呼び捨てするのが当たり前だ」
その言葉を聞いたイリヤは驚いたように士郎を見つめて、セイバーは愛しげに彼の次の言葉を待っていた。
「イリヤは俺のことを嫌いかもしれない。でも、どうか俺をイリヤの傍にいさせてくれ。血は繋がっていなくても、俺たちは家族なんだから。家族は一緒にいるのが当たり前だから、頼む! もう、イリヤが悲しい思いをしないよう、俺、頑張るから!」
「あっ・・・・・・」
「私もお願いします」
「セイバー・・・・・・」
セイバーはイリヤの頬に優しく触れる。
「貴女の両親を守れなかった剣では不服かもしれませんが、どうか貴女たちを守らさせてください。正直、贖罪や懺悔の気持ちはあります。でも、今まで一人で頑張ってきた貴女自身を私はとても愛おしい。許されるなら、これからは貴女と一緒にいさせてください」
二人の言葉を聞いたイリヤは暫く黙った後、改めて二人を見てから、どこか意地悪そうな口をつり上げる。
「仕方ないな、二人とも。そんなに二人が私を好きなら特別に一緒にいさせてあげるわ」
強気な彼女の台詞に士郎をセイバーは互いに笑みを溢す。
「ああ、よろしく頼む」
「これから、よろしくお願いします」
二人に同時にそう言われたイリヤは、まだ涙が瞳に残っているが、照れ臭そうに頬笑みを浮かべた。本当にそれが、可愛らしく、眩しくて、士郎とセイバーはこの笑顔を曇らせないようにと、改めて心に誓う。
「さて、細かいことは後にして。今はとりあえず帰ろう」
そうやって士郎はイリヤに手を差し伸ばした。
「帰る?」
「ああ、俺んち。今日から、というか元からイリヤの家でもあるんだけど、そこに帰ろう。ここにいても寒いだけだろ?」
差し出された手をしばらく見つめた後で、イリヤは躊躇いがちだが士郎の手を掴む。それを微笑ましく見守っていたセイバーは、武装を解除し、立ち上がりながら空いていたイリヤの手を握る。
二人に挟まれるような形にイリヤは気恥かしくなったが、握った手は離すことはなった。
ああ、そういえば昔、両親にこうやって貰うことがあったな。
思い出して再び泣き出してしまいそうになるイリヤだったが、今度は我慢した。
泣いてばかりでも癪に障る。これからは自分ももっと強くならないといけない。
だって、自分はお姉ちゃんなんだから。弟たちに守られるばかりじゃなく、自分も守らないといけない。
そして、三人は揃って歩き出す。見た目も年齢もバラバラな三人であったが、その姿はとても家族のように見えた。
「…………」
そんな三人の後ろ姿を、壁に埋もれたまま動けず、置いてけぼりになったバーサーカーが眺める。
結局、彼は思い出して回収されるまで、理性を失っているはずなのに、ずっと孤独を味わっていたのであった。