キャミにナイフ   作:紅野生成

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最初の一行目なのですが、何度打ち直しても、へんに空間が空いて段落もさげられませんでした。プレビューでそうなっているということは、投稿したものもきっとおなじですよね。すみません。どうしてかなぁ?


43 指切りげんまん

闇の満ちていない薄ら青い空の下、黒い面をつけた人々が虚ろに立ち尽くす。  こちらの動向が何者かに知れることを、構うことすらしなくなった響子さんが、面も付けずに道の遠くを歩いている。堂々としていると言うべきか、無謀なのかと溜息が漏れたが、ぼくもぼんやりとした様子を装うことを止め、面を半分捲って女の子の前に膝をつく。

 ぼくの仕草を真似たのか、女の子は鼻の下までしかない黒い布の面をぺらりと目繰り上げ、おでこを丸見えにして布を頭の上にのせてしまった。女の子は母親を見上げて、握っている手をもう片方の手でそっと撫でる。

 

「君が指差した方へ行ってみたよ」

 

 唇をちょっと窄め目を細めると、女の子はこくこくと頷いた。

 

「どこと言われても説明ができないけれど、とてもたくさんの人が居て、その人達が手伝ってくれたから、もっと奥にいる少年に会えた。とてもやさしい男の子だったよ。ぼくが会った少年を、知っているのかな?」

 

「うん。お兄ちゃん、ずっと呼んでたの」

 

 お兄ちゃんとは少年のことなのだろう。

 

「誰を呼んでいたの?」

 

 女の子は細い首を傾げて困ったように、頬に赤い風車を持った手を当てる。

 

「いっぱい強いひと! ここが、ぽかぽかしているひと!」

 

 丸めた拳で胸の辺りをとんとんと叩き、女の子はすごく正しいことを伝えられたというように、満足げに微笑んだ。ここにきて、水月と二人で呼び寄せられたのは、やはり何かの手違いだったのではないかと首を捻りたくなる。あの状況で小屋の鍵が気になるおっさんと、ビビリがひとり。

 共通点といえば故郷が似ているということと、なぜか女性に頭が上がらないことだけ。条件を満たすどころか、擦ってさえいないだろうに。

 

「ちょっとだけ一緒にいたいって、お願いしたの。お兄ちゃんはいいよって。その代わり、お手伝いしてねって」

 

 女の子は小さく立てた人差し指で、隣に立つ母親を指差す。母親と一緒には居られない状況に陥っていたということなのか。

 

「どうして一緒にいられなくなったの?」

 

 女の子はぼくに教えた時のように、山のある町の奥を指で差した。

 

「本当はね、いっぱいいる人と一緒にあそこにいるはずだったのに。入る前にぐいって引っ張られちゃった。誰もいないのに、どんどんここに引きずられたの。でもね、わたしはここに来ることはできなかったから、だからお願いしたんだ」

 

 にこりと笑う女の子の表情は、まるで絵本を読んでいるように屈託ないものだった。

 なぜだろう、かわいらしい笑顔が胸の奥にチクリと刺さる。

 

「他の人はみんなぼんやりしているのに、どうして君は元気にお話ができるのかな?」

 

 この子と出会ったときから持っていた疑問。質問の意図が直ぐには把握できなかったのか、女の子は丸い目をくるくるとさせて、唇をつんと尖らせる。

 

「たぶんねぇ……ぼんやりしているのは、人だから」

 

「君は、ひとじゃないの?」

「うん」

 

 当たり前だというように女の子は元気に頷き、僅かに隣で身じろいだ母親を気遣うように、そっと握った手を撫でる。

 

「君は優しい子だね」

 

 ちょっとだけ目を見開いた女の子は、顔をくしゃりとさせてへへっ、と笑った。ちょっとだけ照れたように、手にしていた風車に息を吹きかけ回す姿は、何処にでもいる幼い少女と変わりないというのに。くるくると回る赤い風車の下に結ばれた小さな鈴が、チリンと小さく音を立てる。

 

「鬼神のことは聞いたことがある? とても沢山の人が鬼神の中に捕らわれているんだ」

 

「知ってるよ。みんな心配しているもの。だからみんなここから離れられないの。お兄ちゃんにお願いして、せっかく側にいられたのに、鬼神にスーって吸い込まれたって泣いてたもん」

 

 みんなとは、いったいどのような人物達を指しているのか、あの少年の力を借りなくてはこの町に留まれない存在は、誰と共にいようとしたのだろう。

 

「君と同じように元気に話せる人達と、たまにお話したりするんだね? その人達と今、会うことはできる?」

 

 女の子はぶんぶんと首を横に振る。

 

「見つかっちゃう」

 

 鬼神やその手下連中に見つからないように過ごしているのか? 以前に闇が満ちた町で見かけた明らかに意識を保っているであろう人々は、それと気付かれないように、ひっそりとこの町に身を潜めているのだろう。どうりで、佐吉がどんなに手を尽くしても、彼らの背中に手が届かないはずだ。

 そこまでしてこの町に居続ける理由がわからない。この子の話からして、彼らはこの町を離れることができるのだろう。あの少年の力を借りてまで、危険なこの町に意識を保ったまま居続ける理由。誰かを守ろうとしているのだろうか。

 いったい誰を?

 

「見つかっちゃうなら、こうやって話しているのは、君にとっても危険だよ。ごめんね、ちゃんと考えてあげられなかった」

 

 頭を下げて謝ると、返ってきた答えは意外なものだった。

 

「大丈夫だよ? お兄ちゃんとの約束をちゃんと守れたから、見つかっちゃっても大丈夫だもん」

 

「どういうこと?」

 

 女の子は風車を手にしたまま、隣に立つ母親にぎゅっとしがみついて、腰の辺りに頬ずりするように顔を押しつける。

 大好き……少女が微笑みながら言った言葉は、そっと体を離して見上げた母親へと向けられたもの。愛情の全てを傾けた言葉は、短くともこんなに優しいものなのか。ただひとりへの愛情を注いだことも、ぼくだけへの愛情を注がれたこともない。この胸を締め付けた短い言葉に、胸の上で服を握る。

 

「わたしはね、助けてあげられないもん。だから、見つけた」

 

 女の子が、指差すように赤い風車をぼくへと向ける。何一つ約束してあげられそうもないといううのに、ふわりと安心したようなくるりと丸い目は、ぼくへと信頼を向けていた。

 

「ぼくはどうしたらいい?」

 

「みんなぜーんぶは助けられないって。でもね、それでいいの。お兄ちゃんの所へ、もう一度いってみて。わたしが消えたら、それを合図にみんなが動き出す」

 

「消えるって、どこかへ行ってしまうつもりなの?」

 

「わたしはどこにも行けないよ? ぱって消えちゃうの。それだけだよ? お兄ちゃんに無理にここにいさせてもらったから、代わりにどこへもいけないの」

 

 残欠の小径に関わってから、何度も耳にした理という言葉が脳裏を掠める。この子の存在を絡め取っているのが、どのような縛りを持った理なのか、ぼくになど解るはずもない。だがこんな幼い子にまで平等に及ぶ理というものを、今は不平等だと思わずにはいられない。

 

「お母さんはどうなるの? 君が居なくなったら、きっと悲しむ」

 

 なぜか不思議そうな表情で首を傾げると、寂しそうに睫を伏せた女の子は大丈夫、といって小さく首を横に振った。

 

「ぱって消えちゃうから、人の心には残らない。消えちゃうの」

 

 真っ直ぐに顔を上げた女の子の瞳が、僅かに滲んだ涙に光って揺れる。

 

「あっ、もう駄目みたい」

 

 言葉と裏腹に女の子はにこりと笑みを浮かべ、母親の手をもう一度だけ握って愛しそうに頬ずりした。

 

「駄目って、どういうこと? 何が?」

 

「これ、して!」

 

 勢いよく女の子が突きだしたのは、ぴんと立てた小さな小指。

 

「指切り?」

 

 頷く女の子に、ぼくは戸惑いながらも自分の小指をそっと絡める。

 ふっと安心した表情を浮かべ、女の子は少しだけ目を閉じた。

 

「わたしの時間が終わっちゃった。もっといっぱい一緒にいたかったな」

 

 絡めた小さな指先に、くっと力が込められる。

 

「おっきいお兄ちゃん、ありがとう」

 

 確かに感じていた小さな小指の温もりが、指の間から抜け落ちた。くっと締め付けられた柔らかな感触だけを残して、女の子の姿が霞んでいく。

 

「待って!」

 

 抱きしめようとした腕は、女の子の体をすり抜けて空しく宙を抱いた。

 

――この人は、わたしのご主人様。やさしいご主人様。

 

 耳の奥をくすぐるような、小さな小さな声だった。呆然と視線を下ろした土の道に見つけたものに、ぼくは両手で口を押さえた。

 首輪を付けた茶色い子猫が、眠ったように穏やかな表情のまま身を横たえている。両手で持ち上げてしまえるほどに小さな体が、さらさらと細かな砂となって崩れていく。一筋の風が道を吹き抜けて、子猫だった砂を巻き上げ空へと散らした。

 砂が風に攫われた後に残ったのは、風車の飾りをあしらった鈴の首輪。

 まだ温もりの残る小指を、捻り折りそうな力でぼくは握った。

 

「わあぁぁぁー!」

 

 叫んだのだと思う。

 まるで自分のものではないような絶叫が、継ぎ接ぎの町に木霊した。

 

 

 

 

 どれくらい座り込んでいたのだろう。上体が傾ぐほどの勢いで打たれた頬への衝撃に、ぼくは閉じ籠もっていた心の奥から引き上げられた。

 

「目が覚めたか? 町中に響き渡る声をあげたと思ったら、腑抜けのように座り込んでいたぞ」

 

 顔をぐいと近づけ、ぼくの正気を確かめるように響子さんが覗き込む。

 

「大丈夫です。すみません」

 

 訝しげに眉を顰め、響子さんはぼくの額に手を当てる。

 

「どうした? いつもの反撃はなしか? この怪力女、とくらい言ってみろ。引っぱたいた後に、そんなまともな返答を返されると、返って脳みその具合が心配になるだろ?」

 

 響子さんの言葉に応える気力もないまま、ぼくの視線は土の道の一点に引き寄せられた。

 これを持っているべきなのは、ぼくではない。

 だがこれを持つべき者は、大切に思うに値する記憶を既に失っているだろう。伸ばした指先に触れて、鈴がチリンと音を立てる。

 回ることのない飾りの赤い風車の横に、屈託ない女の子の笑顔が見えた気がした。

 細い紐を幾重にも編み込んだ首輪を拾い上げ、ぼくは自分の手首に結びつける。

 

「ぼくの記憶に、君はちゃんといるよ」

 

 響子さんにも聞こえないほど小さく、口の中で想いを囁く。

 力の抜け落ちた体に、左腕から自分の物ではない力が這い上がるのを感じた。気のせいだって構うものか。ぼく達は、最後まで一緒に戦おう。

 突然立ち上がったぼくに、響子さんは呆れたような視線を向ける。気付かなかったが、響子さんの横には、少しだけ難しい顔をした水月がいた。

 

「佐吉は前に、この町の人々はほとんど生きているといっていたよね。生きたまま意識を失っている人もいるかもしれない。病気の人もね。でも、ここへ来たとき生きていた人達が、今も生きているとは限らない」

 

「何が言いたい?」

 

 水月が響子さんと顔を見合わせる。

 

「佐吉達は、本当に特別なんだ。意識を持っている人がいると思っていたが、そのほとんどは、おそらく動物だよ。少なくとも生きていたときには誰かに飼われたり、世話してもらっていた動物達なのだと思う」

 

「なぜそんなことを? 動物にそこまでの意思があるとでもいうのか?」

 

 響子さんが納得いかないように首を横に振るのを見て、ぼくは首輪を巻き付けた左手を差し出した。

 

「覚えている? 風車を持って母親に手を引かれていた女の子。あの子は母親といたわけじゃなかった。大好きだった飼い主を守ろうとして、ここに留まった小さな猫の魂だよ。ここは残欠の小径だろ? 誰かが力を添えたなら、石だって心を持ちそうだ。あの子の魂は、確かに在ったよ。ぼくはその魂と指切りをした」

 

 道の向こうから走ってくる、佐吉の姿が見える。

 佐吉には、忙しく働いてもらうことになるな。

 

「ぼくはもう一度、少年の元へ行ってくる。水月さん、あなたも一緒にね」

 

 あからさまに顔を顰めてみせた水月は、それでも素直に頷いた。

 肩で息をしながら佐助が、何事だ? という表情でみんなの顔を見回した。

 

「どんな形になるかはわからない。でもこれからはもっと大勢の協力者が、力を貸してくれると思うよ。彼らはおそらく、ここで生き続けようなんて思っていない。女の子が役目を終えて消えた今なら、自ら名乗り出てくれるはずだから探し出して欲しい。佐吉さん、あなたが一番得意とする分野だね。雪さんにも力を借りて、見つけ出してください」

 

 わかった、と佐助はしっかりと頷いた。

 左手を高く掲げ揺すると、小さな鈴の音が喧噪のない町にその音を響かせた。ここから見ただけでも、通りに立つ人々の何人かが、ぴくりと反応を示したのが見てとれる。

 

「水月さん、行きましょう」

 

「おう」

 

 まだ何かききたそうな響子さんを残して、ぼくは駆けだした。どこかで様子を覗っているのかと思ったが、チビが姿を現す気配はない。

 町に音を響かせ役目を終えたというように、どんなに腕を振って走っても、左手首に結わえた鈴が音を鳴らすことはなかった。

 

「ありがとう」

 

 この世から存在が消えていくことを躊躇わなかった幼い笑顔に、ぼくは心から感謝の想いを呟き、土埃の舞い上がる道を一気に駆け抜けた。

 

 

 

 




読みに来て下さった皆様、今日もありがとうございます!

本当は四十五話辺りで締めくくるはずだったのですが、ちょっとオーバーランです。
あと、編集をしたのは全て誤字脱字などですので、お話の内容は一切変わっておりませんです。とりあえず、全部直してみましたっ
あと少し、この物語にお付き合い下さいね(*^_^*)

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