キャミにナイフ   作:紅野生成

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少々短し……です。


34 呼び寄せし者の名は

 平野に並べられた銅像のように、両の腕を垂れたまま微動だにしない数多の人々を呆然と眺めていた。ぼくの声に反応を示し一斉に顔を上げただけで、言葉を発するどころか、息遣いさえ感じることはできなかった。

 

「水月さん、何かいってよ」

 

「この状況で何をだ? 成り行きを見守る以外にできることはない。特に俺はな。大量の墓場から中途半端に死人が蘇ったようにしか見えないな」

 

 この人達がどのような存在であるにせよ、自らの意思で姿を見せたのか、他者の強要で現れたのかで、状況は変わってくる。他者の強要である場合、そこに鬼神が絡んでいる可能性は極めて高いだろう。ひとつひとつは小さくとも、悪意に染まった意思が群れを成せば、簡単にぼく達を押し潰す大きな波となる。

 

「不必要に姿を見せたとは思えないよね。だったらどうして何も言わないのかな。それが返って薄気味悪い」

 

「おそらくは口をきけないのだろうよ。言いたいことを言えずにいるから、飛んでくる視線がこんなに痛いんだ」

 

 視線を絡めても、そこに憎しみや哀れみの表情は見られない。彼らにあるのは目的であって、ぼく個人への感情など最初から無いのかも知れないと思った。

 

「このままじゃ埒があかない。チビを相手に海洋生物学とかで魚の話をした方が、まだ話が通じそうだよ」

 

 ミャ ミャ

 

 馬鹿にされたと思って憤慨したように、珍しくチビが小さく二度鳴いた。

 

「チビを馬鹿にした訳じゃないぞ? チビの方がお利口さんだって褒めたんだぞ?」

 

 言葉を知ってチビが鳴くはずもないというのに、何となく言い訳してぼくは首筋を指で掻いた。

 さっきから肩に乗るチビの毛がさわさわと首筋に触れて、その度肌が痒さにちりちりする。

 

 ミャ

 

「痛い! チビ? ぼくの手を囓ったのか?」

 

 呆気に取られるぼくを見ることさえせずに、チビは身軽に肩から飛び降りる。

 左手の甲にチビの牙が僅かに食い込んだ傷跡から、じわりじわりと血が滲む。

 

「チビ!」

 

 岩の床面を悠然と歩いて前へ出たチビを捕まえようと、腰を折ったぼくを水月の手が止めた。

 見上げた先で水月は、微かな笑みを浮かべて首を横に振る。

 チビの動向を見守れというのだろうか。

 こちらのやり取りなどまるで耳に入っていないかのように、チビはぼく達の少しだけ前に立ち、皿の水を舐めるように頭を下げた。

 静かに一歩前へでて、チビの様子を斜め後ろから覗き込む。床を埋め尽くす平たく切り出された岩の隙間から溢れる橙の光りの筋に、ゆっくりとチビが頭を近づける。

 岩から二指分ほど離れた位置でチビがちろりと舌をだすと、ゆらゆらと漏れ出ていた灯りが、水面に落ちた水滴がつくり出すような、橙の光りを纏った大冠の粒を散らす。

 

 ミャ

 

 さらに頭を下げ、チビは光りの筋をぺろりと舐めた。

 ぼんやりと下から照らしていた灯りが、光りの膜となって立ちのぼる。

 岩の隙間に添って曲線を描き出す様は、まるでオーロラが地表から湧いて出たようだった。

 昇っていく灯りを追うように、人々が顔を天井へと向ける。懐中電灯の光りが漆黒の空に溶けていくように、天井の濃い暗がりに吸い込まれるまで、橙の灯りはその身を伸ばす。

 

「綺麗だな」

 

 異様な場にそぐわない感想が口から漏れた。

 橙の灯りが織り成す光景は幻想的で、本質を問うことなど忘れさせるほどのものだった。

 

 幻想が途切れるときは、いつだってあっけない。

 支えていた支柱を抜かれたように、天井に伸びていた灯りの膜がすとんと落ちた。

 

「岩の隙間を埋めていた灯りが消えた」

 

 水月の声に辺りを見回すと、床の岩の隙間から漏れていた橙の灯りは消え、代わりに壁を埋める岩の隙間から射す青白い光りが強さを増していく。

 床から照らす光源を失ったというのに、岩に囲まれた広い空間は、なぜか明るさを増していた。

 

「この状況に驚いているのは、どうやら俺達だけじゃなさそうだ」

 

 水月が顎をしゃくる先では、果てしなく天井に向かって伸びていった橙の灯りを眺めていた人々が、まるで今隣人の存在に気づいたかのように、互いの顔を見合っていた。

 

「チビ、またおまえが何かしたのかい?」

 

 丸い目でちらりとだけ見上げてきたチビを、そっと脇から抱き上げる。

 

「チビが光りの筋を舐めたことに意味があるなら、行為に意味を持たせるためには、ぼくの血が必要だったの?」

 

 ミャ

 

 チビがぼくの鼻先をちろりと舐める。

 

「そうやって普通の子猫ぶるから、チビのことが解らなくなるんじゃないか。ねえチビ、いったいぼく達はどうしたらいいのだろうね。出口の無い迷路に立たされた気分だよ」

 

 小さな顔に頬ずりすると、めんどくさそうに鼻先を背け、くるりと身を捻ってチビはぼくの手から逃げ出し、愛想のひとつもなしに水月の足元へと寄っていく。

 

「つれないねぇ」

 

 溜息をひとつ漏らした、その時だった。

 

「あんた達、どうやってここへ来た」

 

 中年の男の声が自分に投げかけられたのだと気づき、はっとして辺りを見回すと、背筋を真っ直ぐにの伸ばした細身の男が指先でこちらを指しながら、訝しげな表情を浮かべていた。

 視線を投げた先で、水月が顎を引いてひとつ頷く。

 

「どうやってここへ来たのか、正直わかりません。ここへ来るのが、どうしてぼく達だったのかもです。残欠の小径と呼ばれる世界に、突如現れた町があります。その町は様々な時代の人、あるいは人でない者達が身を寄せる、いわば継ぎ接ぎの町といったところでしょうか」

 

 中年の男だけではない。今は視界に入る人々が、一人として漏れることなく自分の話に耳を傾けている。寄せ集めの町と呼ぶなら、ここは寄せ集めの墓場。ここに集う人々もちぐはぐな印象で、時代背景の統一感がまるで感じられない。

 

「残欠の小径には闇が満ちる。その間隔は不定期に短くなっていて、鬼神と呼ばれる存在が、この現象に関わっているのではないかと思った仲間と共に、闇が満ちた町に潜り込んでいました。そこで掴んだ事実もありましたが、ここへ繋がる方向へ足を向けたのは別の理由です。女の子が指差したんです。母親に手を引かれた小さな女の子は、闇が満ちた中でぼくを見て微笑み、闇が明けた直後の街角で指差して、ぼく達をここへ誘った」

 

 人々の顔に浮かんだのは、明らかな戸惑いの表情だった。

 

「あなた方よりも戸惑っているのは、ぼく達の方でしょうね。ここが何処なのか、何の為に存在するのか、そしてあなた方は何者なのか。どうしてぼくは、ここへ引き寄せられたのか」

 

 最初に声をかけてきた男が、背後を振り返る。人々の視線が男へと集まり、何を問いかけたわけでもないのに、人々が一様に頷き返す。その様子を見て男はゆっくりと深く頷き、こちらへと向き直った。

 

「鬼神なら我々も知っている。我らの魂をここに縛り付けたのも、ある意味鬼神なのだから」

 

 やはり鬼神が絡んでいたかと、心中に湧く驚きはなかった。自分達の存在を魂と呼ぶということは、やはり実体のない死人なのだろうか。

 

「いくら鬼神が絡んでいるとはいえ、この人数はちと多すぎやしないか。大方の推論が当たって、あの町が鬼神の餌場なら、それに劣らない人数を抱えたこの場所はいったい何の意味を成す? 鬼神はいったい、何をしでかそうとしているんだ」

 

 水月の声が低く響く。

 

「餌場、ですか? 鬼神が魂を喰らう餌場を?」

 

 声を上げたのは、三列ほど奥に立つ若い女性だった。大正モダンを思わせる大柄な花の模様の入った浴衣の袖を口元に当て、考えるように首を傾げる。

 

「鬼神が餌場を持つという発想は奇怪ですか? ですが鬼神は確実に幾つもの魂を己の中に取り込んでいます。それは紛れもない事実です」

 

「あんた達は鬼神が己の力を増すために、他者の魂を取り込んでいるというのか?」

 

 左奥に立つ老人が、嗄れながらも張りのある声でいう。

 

「今の時点ではそう考えています。ですが、本当を言うと鬼神の正体もその目的も憶測でしかありません」

 

 言葉を交わすことなく目配せし合う様子を見て、水月は背後で息を吐く。

 

「そう警戒しなさんな。こいつは残欠の小径で生まれ、鬼神の悪戯で人の子として育った珍しい奴だ。ここに来るまでの道も、こいつの血が開いたといっても過言じゃない。ここへ来た理由を知りたい。何かあるはずだ。誰の利益になるかは知らないが、こいつをここへ導いた理由は必ず存在する。思い当たる節はないか? というより、てっきり俺はあんた達がこいつを呼び寄せたとばかり思っていたのだがな」

 

 水月が諦めたように天に息を吐き出すと、耳を傾けていた人々はばらばらと首を横に振る。

 

「まるで逆だ。我々が引き寄せられた。少なくとも、我々はそう感じている」

 

 最初に声をかけてきた細身の男が、困ったように唇を噛む。

 互いに引き寄せた覚えの無い者が集い、互いの真意、もしくは他者の意図を計りかねている状況。

 意図して嘘を吐いている者がいるようには思えなかった。

 尚更に残る疑問。

 この状況を望み、川の水を支線に引き込むように、一同を会させたのは誰なのだろうかと。

 ぱたりと言葉の止まったぼくを見かねて、水月が残欠の小径やぼくの育った世界での出来事を大まかに話しはじめた。

 事実は事実として、予想や憶測を偽ることなく淡々と話は進む。

 奥まで見渡せないほどに広い空間に、集う人々がざわめいた。

 囁くような声が、意味を成さぬままさざ波のように押し寄せる。

 

「ばらばらに一度に話しても伝わらないだろう。いやねぇ、我々は言葉を使わなくとも互いに意思の疎通を図れる。こうして言葉を発しているのは、あんた達に聞かせる為なんだよ」

 

 死人に言葉なんざいらねぇや、と細身の男が片頬に苦笑を浮かべ眉を掻く。

 

「話は理解できたつもりだ。そしてこれだけの人数が集っているというのに、全員同じことを思っている」

 

「同じことを、ですか?」

 

「同じ結論に辿り着いたのさ」

 

 男の背後で響いていた、ざわめきがぴたりと止む。

 突然の静寂に、ぼくは問い返す機会を完全に失った。

 

「あんた達の知る鬼神は、ここにいるみんなが知る鬼神ではない。同じでありながら、まったくの別物だ。いや、別物に取って代わった、とでもいうべきか」

 

 呆けたように口を半開きにしたまま、水月と視線を絡ませる。

 いつも落ち着き払った水月でさえ、僅かに唇に隙間を空けている。

 

 ミャ

 

 足元でチビが鳴く。

 はっと目を見開いて、細身の男がにっと笑った。

 

「どうりでここへ辿り着けたわけだ」

 

「どういうことですか?」

 

「あんた達をここへ呼び寄せた、張本人がわかった」

 

 男の目が笑みを模って細められる。

 岩の墓標の後ろで立つ数多の人々も、同じように緩やかな笑みを浮かべていた。

 次ぎに男が口にした言葉は、ぼくに混乱をもたらす物だった。

 

「あんたらをここへ導いたのは鬼神だ。我々の知る、鬼神だよ」

 





このお話を書いていて後半戦になるにつれ、ヤケに体力と気力が持って行かれます。
なぜでしょう? 摩訶不思議なり。
次話もよろしくお願いしますね(^o^;)
では!

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