キャミにナイフ   作:紅野生成

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22 異形の覚悟

 店は今日も大盛況だ。

 だがこの大盛況には訳がある。

 風邪を引いて寝込んだ彩ちゃんの不在を知らずに、朝早くから駆けつけた可愛そうな常連客達。

 今いる店内の客が引いてから後は、彩ちゃんいないぞ情報があっという間に流れ、店には閑古鳥が鳴くだろう。

 

「彩ちゃん大丈夫かあ? 栄養のある物食ってっかー?」

 

「大丈夫、栄養満点の具だくさんおかゆを、ちゃんと食べさせました」

 

 道具箱に首を突っ込んでいたタザさんが、ガシャンドシャンと荷崩れを起こしている。

 

「タザさん、大丈夫?」

 

 声をかけると、道具箱からにゅっと出された片手がひらひらと振られた。

 

「タザさんはごっついから大丈夫だって。彩ちゃんが心配」

 

「そうそう、タザさんかゴリラかってくらいの、筋肉やろうの心配はいいって。彩ちゃん熱はないのか?」

 

 さっぱり入らない注文の代わりに連呼される、彩ちゃんコール。

 

「彩ちゃんは大丈夫だから、さっさと注文してくださいって!」

 

「だって彩ちゃんいないから、飯食うったって……なぁ」

 

 ぼくの方を見ながら、オッサン達が目配せする。

 

「ぼくの作った飯だって、売り上げは売り上げです! 今日の店の売り上げが、彩ちゃんの薬代になるんですからね! それでもケチるんですか? ぼくの作った味にビビるんですか!」

 

 カウンターの客達が鼻を膨らませ、意を決したように次々と手を上げる。

 

「アルバイトの兄ちゃん! 恐怖のチキンライスキムチ散らし!」

 

「恐怖は余分です」

 

「アルバイトの兄ちゃん! こっちは 納豆ニラ餃子定食を半人前」

 

「一人前からにしてください」

 

「おーいアルバイトの兄ちゃん! あさりとラー油のパスタひとつ。あと口直しに、ホイップクリームっぽいものたっぷりのコーヒーね」

 

「口直しは余計ですってば」

 

 あさりとラー油のパスタを頼んだ森田さんが、眼鏡の縁をくいっと上げながらけけっと笑った。

 どれもこれも、裏メニュー化したぼくのレシピばかりときた。

 常連客の悪ふざけである。

 

「頼んだからには、食べきってくださいよ」

 

「おー!」

 

「お残しは許しませんからね!」

 

「は~い!」

 

 返事がだんだん、力なくなっていくのは気のせいだろうか。

 まあいい、ぜんぶ作り上げてやるっての。

 常連客の悪戯心で、十品以上全て違うメニューという地獄の厨房で、ぼくはひとり走り回った。

 

 

 閉店後にぼろ雑巾と化したぼくに、タザさんが作ってくれたのはカップラーメンと店で残ったサラダの小鉢。嬉しくなくて涙が出る。

 なんでもこの後は、道を二本挟んだ先にある家まで、雨漏りの修理に行くらしい。

 彩ちゃんには野菜スープと、卵のおかゆを持って行ったとメモがあった。

 タザさんには、ついでにぼくの分も作るという発想は、微塵もなかったらしい。

 カップラーメンとサラダを胃に詰め込んで、ぼくはさっさと二階へあがった。

 こんな日は早く寝るに限る。

 彩ちゃんが復帰しないことには、常連客のおもちゃにされる日々が続くのだ。

 豆電球だけを点けて、ぼくはあっという間に眠りに落ちた。

 

 

 ガラガラという、馴染みのある音にぼくは目を覚ました。

 戸が引き上げられ、野坊主が顔を覗かせる。

 

「これを預かってまいった。今宵は、これで失礼する」

 

 丁寧に頭を下げて、がらがらと戸が引き下げられた。

 畳の上に、四つ折りにされた紙が一枚置かれている。

 部屋の電気を点けて、手の平ほどのメモ帳を開く。響子さんからの連絡だった。

 

『一時間後にこっちへ来い。あの町の男と会う段取りがついた』

 

 色気も素っ気もなく、淡々とした伝達メモだが、響子さんらしいかも。

 三時間も眠っただろうか。昼間の疲れが抜けてはいないが、今回ばかりは若さと気力で乗り切るしかないだろう。

 あの男の話を、聞き逃すわけにはいかなかった。

 それに彩ちゃんの体調も気になっている。本当にただの風邪なのか、最近の彩ちゃんの様子からしても怪しかった。

 何かのせいで体力を奪われている、そんな気がしてならなかった。

 

 

 

 一時間後、ぼくはカナさんと目を合わしていた。

 

「今回は響子さんに呼ばれました。だから心配しないで下さい」

 

「気をつけてお行きなさいな。その前に、これをお飲み、響子から飲ませるようにと預かったものだよ」

 

 受け取った湯呑みの中身を見て、ぼくは顔を顰める。

 

「これを飲まないといけませんか?」

 

「飲まなければ、残欠の小径へ来ることは許さない、といっていましたよ」

 

 着物の袖で口元を隠し、くすくすとカナさんが笑う。

 湯呑みに入っているのは、匂いのない透明な黄色いお茶だった。

 忘れるわけもない。水月が出してくれたお茶と同じ物だろう。

 ただの嫌がらせなら、あとから響子さんにも飲ませてやる。

 鼻をつまんで、一気に飲み干した。

 舌に残った苦みに、感覚が麻痺している。

 顰めた顔をそのままに軽く会釈して、ぼくは残欠の小径へと走り出した。

 

 

 

 崖を転がったりはしない。真っ当なルートを走って、無傷で響子さんの家に辿り着ける。

 全力で走って辿り着くと、響子さんと蓮華さんはすでに外に立っていた。

 

「急ぐぞ。もう少しで闇が満ちるかもしれない。あの町に着いたら、余計な脇目は振らずに、急いであの男の小屋に入りな」

 

 響子さんでさえ予測の付かない不定期な闇の訪れを、いったい誰が予測したというのだろう。

 ぼくに頷く暇も与えずに響子さんは走り出す。それに続いて、蓮華さんとぼくも全力で駆けだした。

 町に近づき小高い場所から見下ろした町並みは、心なし以前見た時より広がっているように思えた。

 ここから見る限り、人通りも多い気がする。

 

「行くよ!」

 

 響子さんの合図で、急斜面の丘を一気に駆け下りた。

 地面を擦る靴の音に混ざって、少しづつ町の喧噪が聞こえてくる。

 町に入ってからは目立たぬように、できる限りの早歩きで進んだ。

 前に来たときに見かけた女の子が、母親に手を引かれて通りの向こうを歩いている。魚屋は威勢のいい声で客を呼び込み、客達もにこやかにやり取りをくり返す。

 時代も服装も違う人々が、互いに違和感なく共存している世界。

 日常という名の異常。

 町の風景から目をそらし、ぼくは響子さんの背中だけを眺めた。

 この背中の向かう先に、求める答えの欠片があるかもしれない。

 小屋に入るまで、何も考えないようひたすら歩いた。

 

 

 小屋の中には男の他に、三人の男女がいた。

 老婆と若い女性、そして三十歳くらいの男性が一人。

 

「待ってたぜ。今回はこの三人で手一杯だった。みんな違う場所からここへ来た奴ばかりだぜ」

 

 男の言葉に頷くと、響子さんは重厚な扉の閂を確認した。

 

「確かではないが、もう少しで闇が満ちる可能性がある。無闇に外へは出ない方がいいぞ」

 

 部屋の隅に固まっていた三人が、びくりと肩を跳ね上げる。

 

「闇が満ちる時を知ることのできる奴なんて、聞いたことないぞ」

 

 男の言葉に、響子さんがにやりと笑う。

 

「残欠の小径には、点在してひっそりと暮らす者が多い。その中には物を売ったり情報を売る者もいるのでね」

 

 草陰のギョロ目だ。ぼくには余計なことを漏らすなと脅しておいて、自分はちゃっかり情報を得ていたのか? 相変わらず抜かりない人だ。

 

「まあいい。今回は人が多い、悪いが床にでも座ってくれ」

 

 男に勧められ、簀の子がひかれた床に丸くなって腰をおろした。

 

「話しはじめる前に、あんた達には言っておかなくてはならない事がある」

 

「なんだ?」

 

 男と三人の男女の目が、一斉に響子さんに注がれる。

 

「お前達が噂している、幼稚な破壊者。その正体はこいつだ」

 

 頭を殴られるより驚いた。響子さんの指が、ぴたりとぼくを差している。

 

「ひぃっ!」

 

 若い女性の悲鳴を合図にしたかのように、ざざざっと腰を擦って住人達が壁際まで身を引いた。

 老婆だけがひとり、眉さえ動かすことなく座っている。

 皺に埋もれた目で、真っ直ぐにぼくを見ていた。

 

「危険じゃないからこうやって連れてきた。特に今日は鬼神に、馬鹿正直なクソガキの進入を知られる心配もないだろう。想像していた人物像と違っていたか?」

 

 溜息混じりの響子さんの言葉にも、背中を壁に貼りつけたまま動く気配がない。

 ぼくはそんなに、忌み嫌われた存在だったのだろうか。

 何をしたわけでもないだけに、けっこう心理的に応えるものがある。

 

「戻ってこんか。でかいただの子供じゃ。喰われやせんだろう」

 

 老婆が嗄れた声でいい、ところどころ歯の抜け落ちた口を開けてかっと笑う。

 

「わしは寸楽という婆じゃよ。歳をくってやっとあの世へ行けると思ったら、訳のわからん場所に立っておった。その場所で長い間暮らしてな、こんな身でもいつかはこの地で朽ちることができるかと、落ち着いた矢先にここへ飛ばされたんじゃ」

 

 畑作業に着る野良着姿の寸楽は、この名は前の世界で友人に付けて貰ったのだといった。寸の間笑わせる、愉快な婆さんという意味だという。

 

「ぼくは西原和也といいます。ぼくが恐ろしくはないのですか?」

 

 そう聞くと、寸楽はかかかっっと天井を見上げて笑う。

 

「今さら恐ろしいものなどあるものか。死なせてくれるなら、鬼にだって身をあずけるさ。ただねぇ、嫌なんだよ。自分の何か取られて、これ以上自分じゃなくなっていくのが嫌なのさ。それだけじゃよ、この世で恐ろしいと思うのは」

 

 ぼくにはまだ、死にたいと思う気持ちはわからない。けれど深く刻まれた老婆の皺に、それを想像することだけはできたように思う。

 

「わたしは平岡宗慶。来世など信じてはいなかったが、今はあの世にいってやり直したいと思っておる。不毛に時間だけがすぎるなかを、長く生きすぎた」

 

 広目に剃った月代に細めに髷を結い上げる姿と姿勢は、武士であった名残を色濃く残している。

 羽織袴のようにかしこまった物ではなく、灰色地の着流し姿であるところを見ると、浪人になって程なく現世を去ったところだろうか。

 

「この静かな娘は雪。最近じゃ怯えて、ろくに口も利かない日もある。目隠しの長さが一番短いんだよ。いつ正気を失うかと、びくついても責められねえ」

 

 男に紹介された雪が、少しだけ頭を下げた。

 

「すっかり遅れたが、おれは佐吉だ」

 

 小屋の家主である男が、名を名乗り再度みんなに座るように促した。

 響子さんと蓮華さんも簡単な挨拶を済ませると、小屋の中にある時計が鐘を鳴らした。

 

「ほう、姉さんの言った通り、闇が満ちやがった」

 

 小屋の外では前に見たと同じ光景があるのかと思うと、煉瓦を避けて表の通りを覗く気にはなれなかった。

 

「まずは互いに掴んだネタの披露といこうか。こっちが掴んだのは住民のことだよ。消えている住人は確実に増えているのに、全体の人数が減っちゃいない」

 

 佐吉が話しながら、煙管でふっと煙草をふかす。

 

「どうしてですか?」

 

「相変わらずの阿呆だな、おまえは」

 

 響子さんを見て、佐吉はにやりと笑う。

 

「察しのいい姉さんだ。たぶん考えている通りだよ。毎日大勢が、存在を維持できないまでに鬼神に何かを吸い取られ、水蒸気みたいに跡形もなく姿を消している。その代わり、補充される餌が増えたってことさね」

 

 背筋を怖気が這い上がる。

 

「昨日今日になってここへ来た奴は、みんなふらふらしてやがる。これは想像だが、あいつらの黒い目隠しは、間違いなく短いはずだ。煉瓦をずらして覗いてみろよ、賑わっているはずだぜ」

 

 恐る恐る煉瓦をずらし、表の通りを覗く。

 前とは明らかに違っていた。

 黒い目隠しが口もとまでも届かない者が、大勢外を歩いている。

 ぼくは静かに煉瓦を元に戻して穴を塞いだ。

 

「ここを守っていた力が、ほとんど効力をなしていないということか」

 

 響子さんが呟いたひと言が、ぼくの胸に鈍い痛みを与えた。

 

「風邪だっていったんだ」

 

「誰がだ?」

 

「彩ちゃんだよ。でもあれは風邪なんかじゃない。もう限界なんだ。彩ちゃんはここを守る力どころか、今は自分の体を支えるだけで精一杯なんだと思う」

 

 響子さんの目が真っ直ぐにぼくを見る。

 

「響子さん、できるだけ多くの情報を持ち帰ろう。それから、あのお茶まだある?ないなら水月さんにも会わなくちゃね」

 

 ぼくは笑顔を作ってみせたが、心はすっかり凪いでいた。

 彩ちゃんとタザさんの顔が目に浮かぶ。

 

「はじめようか」

 

 ぼくの中に、異形の覚悟が降り立った瞬間だった。

 

 

 




 覗いて下さったみなさん、ありがとうございました!
 少しずつ話が、ころころと転がっていくかと思います。
 次話もよろしくおねがいします(^^)

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