残欠の小径から足が遠退いて数日がたった。
店が閉まってから特にすることもないぼくは、タザさんに付き合って隣町の雑貨屋にきている。
タザさんは市場のリサーチなどといっていたが、手に持つなら手芸用品より機関銃が似合いそうなタザさんと、その子分てな感じの若い男が入るには肩身の狭い場所であることは間違いない。
場の雰囲気から浮く気まずさを、感じるセンサーが欠如しているらしいタザさんは、女子高生の間を器用に歩いて顎を撫でながら一人頷いている。
「タザさん、まだぁー?」
小物を見ている女の子達の視線が、チラチラと向けられるのが痛くてタザさんに声をかける。
「来たばっかりじゃねぇか。レースの紐とかビーズとかよ、買わなきゃならない物もあんだよ」
「レースの紐より鋼鉄のワイヤー、ビーズより手榴弾の方が似合ってるよ」
ほんの軽口だったのに、タザさんの動きが止まった。
「あんなものは、手にしたって何も産み出さない。平和だ何だって綺麗事ぬかしても、所詮は人殺しの道具なんだよ」
「タザさん?」
独り言のように呟いた自分の言葉に驚いたように、タザさんは表情を変えて慌てて胸の前で手を振る。
「考えてもみろよ、そんな物にくらべたら、ここにある物はいいぞ? 何しろ人を喜ばせるものを造りだせる」
「そうだね、ははっ」
何かいってはいけないことを、口にしてしまったようだなと思った。
考えてみれば、タザさんの過去なんてほとんど知らない。
目立ちすぎるタザさんの側を離れて、カップ類がならぶ棚の前をぶらついた。
こうしていたら彼女の誕生日プレゼントを選んでいる青年……くらいに思ってもらえないだろうかと微かな期待。
「いっやさー、ムカツクんだよね」
後ろで買い物をしている女子高生の会話が耳に入る。
「うちもムカツいたー。おもいっきり嫌な顔してやったもん!」
「こっちは悲しくて泣いてるってのに、酷くない?」
「あの女さぁー、鉄仮面だからさ、なーんにも感じないんだよ、きっと!」
「そうそう、感情なさすぎ! うわべばっかへらへらしてさ!」
賑やかにしゃべりながら、女の子達がレジへと向かい遠ざかる。
何気ない日常の会話。ほんの少し愚痴をいいあっているだけ。
なのに、耳にしたぼくの胸が騒ぐ。
「おい、終わったから帰るぞ!」
振り向くとタザさんが買い込んだ荷物を手に立っていた。
「約束通り、ラーメンおごってよ」
「おう!」
「ぼくまで好奇の目に晒された苦しみは、チャーシュー大盛りで許す」
「お、おう」
タザさんににやりと笑って見せながら、ぼくの胸のもやもやは晴れなくて、何が引っかかっているのかさえ解らないから、尚のこと胸がむず痒い。
早く帰って創作活動に打ち込みたいタザさんの横で、大盛りチャーシュー麺をのんびりと食ってやった。
噛んでいるのかさえ疑問に思える速さで食べ終わったタザさんが、ぼくの横でもじもじと足を組み替え、落ちつかなそうにしている様子が可笑しかった。
大男がもじもじする姿は、気持ち悪いが面白い。
喜々として店に戻ったタザさんだったが、戻った時の店の様子はとても喜べるような状態ではなかった。
店の入り口のドアにはめ込まれたガラスが、粉々に割れていた。
カシャカシャと音がする店内を覗くと、彩ちゃんがチリトリで割れたガラスの破片を集めている。
「彩ちゃん大丈夫! いったいどうしたの?」
手を切るから避けろといって、タザさんが彩ちゃんからチリトリを取り上げ、ガラスを片づける。
「なんかね、商店街の通りを喧嘩しながら走っていた男の人がいて、恐そうな人達だったからみんな黙って見ていたの。そしたら、お向かいが店先に置いている椅子をぶん投げて、うちの店に見事命中!」
へへっ、と肩を竦めて彩ちゃんが笑う。
「彩ちゃん、肩口が切れて血が出ているよ!」
自分の肩をひょいと見て、彩ちゃんは大丈夫だとペロリと舌をだしてみせる。
確かにそれほど深い傷ではなさそうだ。
だが女の子がちょっと舌をのぞかせて、笑えるような傷でもないだろう。
「救急箱を持ってくるね」
タザさんに後を任せて、ぼくは居間へと走った。
「救急箱はたしか、この棚の上っと」
背伸びして救急箱を取り、中から消毒液を探し出す。
消毒液を手にしたぼくは、その下から現れた絆創膏を見て、はっとした。
ちょこまかと動き回る小花ちゃんが、膝小僧でも擦りむいたら貼ってあげようと、前に近所の薬局で買った絆創膏。カエルのイラストが入った絆創膏。
「小花ちゃんは、怒ったら膨れるし、嬉しいと笑う。悲しいと泣きそうな顔をするし、いつだって、自分の気持ちと表情が繋がっている」
消毒薬を箱に戻し、救急箱をぶら下げてぼくはとぼとぼと彩ちゃんのいる店へと歩く。
「彩ちゃんは優しい。明るいし良く笑う。店の客相手に、可愛らしく文句もいう」
彩ちゃんは感情表現豊かな子だと思っていた。
でも違う。
そんな風に振る舞っているだけではないだろうか。
あんなに傷だらけになって帰ってきても、彩ちゃんが苦しそうにしている顔を見たことがない。
痛いといったことがない。
泣いたことがない。
ぼんやりと歩くうちに、彩ちゃんの隣まできていた。
「消毒しようか」
「うん!」
肩の傷口は浅い。幸い破片も残ってはいないようだ。
カエルの絆創膏を、その傷口に貼った。
「ねえ彩ちゃん。店がこんな風に壊されたのに、怒らないの?」
彩ちゃんは不思議そうに首を傾げる。
「うーん、だって偶然あたっただけだよ? 怪我した人もいないし」
彩ちゃんの怪我は?
「警察に電話した? 修理代だって馬鹿にならないよ?」
「近所の人が連絡して、おまわりさんが来たよ。でも犯人が捕まるまで待っていたら、お客さん風が吹き込むところでご飯食べなきゃいけないから困るでしょう? ちゃんとね、ガラス屋さんに電話したから大丈夫だよ! 今日中には直してくれるって!」
完全に話の争点がずれているよ。
普通の人間が気にするのは、たぶんそんな事じゃない。
「彩ちゃんさ、大変だなって思うことはなに? 今一番の心配事」
「心配事? なんだろう……別にない!」
「そっか」
黙って立っていろというタザさんを無視して、彩ちゃんもガラスを片付ける作業に戻ってしまった。
救急箱を片手に居間へと戻り、ぼくはそのまま自分の部屋へと帰った。
畳に腰をおろし、すっかり室温にまで温くなった買い置きのジュースを開けて口に含む。
「やっと野坊主がいっていた意味がわかったよ」
独り言だった。
「小花ちゃんは本当に彩ちゃんの幼い頃の姿で、なぜかこの世に存在している。そして彩ちゃんが失った感情の一部を、あの小さな体の中にしっかりと抱えているんだ」
なぜひとつの心が二つに分かれたのだろう。
精神的な話なら、辛い思いをした人たちが多重人格になることもありうると聞いたことはある。
でもそれでは、肉体まで別れた理由が説明できない。
小花ちゃんが魂の存在だとして、それでもぼくはその小さな体に触れることができる。
野坊主は決して、この部屋に入ってくることはない。
まるで焦げ茶色の扉の向こうを覗かせまいとするかのように、体全体で小さな入り口を塞ぎ、小花ちゃんはその脇から出入りしている。
覗いてはいけない世界が、広がっているのだろうか。
今の心境では、ただの話題として聞くことさえ憚られる。
自分の気持ちが落ちているのだろう。
「彩ちゃんは、小花ちゃんの存在を知っているのかな」
逆もいえるだろう。小花ちゃんは、彩ちゃんから分身したのが己の存在であると、認識しているのだろうか。
「野坊主だけは、全てを知っているんだろうな」
ぼくの気持ちを察してか、焦げ茶色の戸口が開くことはなかった。
何でもお見通しの野坊主のことだ。
どこかでぼくの独り言を盗み聞いて、余計なことを聞かれぬようにと身を潜めているのかもしれない。
窓の外はすっかり暗くなり、ぬるいジュースも飲み干した。
――鉄仮面だからさ、なーんにも感じないんだよ、きっと。
女子高生の言葉が頭を過ぎる。
街灯の光しか差さない暗い部屋の中、ぼくは立ち上がった。
残欠の小径へ、行ってみようと思った。
覗きに来て下さった方、ありがとうございます(^^)