キャミにナイフ   作:紅野生成

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15 出生の秘密

 自分の中の記憶を整理して、熱くなった脳みそを冷まそうとするほど、制御できない混乱に視界が揺れては止まる。

 ぼくが投げ出した写真を、野坊主が無言で全て並べてくれた。

 

「このことを、野坊主は知っていたんだね」

 

「知っていた。だが、伝えるべき時期では無いと思っていたのだよ。事柄には、知るべき時というものが存在するであろうに。先を急ぎ、結果を求める余りに己の首を真綿が絞める」

 

 写真に触れることもできずに、揺れる視界と折り合いを付けながら、ぼくは無理矢理に写真に視線を向ける。

 

「全て幼い頃の写真だけれど、赤ん坊の時から三歳前後で映っている人物が入れ替わっている。」

 

「後半に映っているのが、幼かった頃のぬしの姿」

 

 野坊主のいうとおり、はにかんだような幼い笑顔には、鏡に映る成長した自分の面影が残っている。

 家にいた頃も、家族でアルバムを眺めることなど皆無だった。いや、ぼくがいないところでは見ていたのかもしれない。とにかくぼくは、幼い日の自分の顔など思い浮かべられないほどに長い時間、昔の写真など目にしたことがなかった。

 まだ目を瞑ったまま眠る赤ん坊の写真では、自分との違いなど何も気づけなかった。

 少しずつ笑い表情が生まれてくると、子供であっても人相というものは明らかに違ってくる。

 ぼくが被写体の時とは比べものにならない愛情を注いで写された、写真の中に映る子供は天真爛漫に笑い、ぱっちりとした二重を目一杯に開いて戯けている。

 

「野坊主、ぼくは一重なんだ。この子が成長しても、ぼくみたいな顔にはならないね」

 

 母親は二重で、父親は一重だったから今まで何の疑問も抱かなかった。

 三人兄弟の他に、亡くなった子供がいたとも聞かされてはいない。もしいたのなら、たとえ隠していても、写真は大切に保管されていることだろう。間違っても、ぼくに渡す写真の中に母親が入れる筈などなかった。

 

「その子は紛れもなく、あの家の夫婦の息子だ。三歳くらいだったろうか。確かにあの家で大切に育てられていた。ぬしの母も、優しい笑みでその命を育んでおったよ」

 

「どうしてこの子とぼくの写真が、ある時期を境に入れ替わっているのかな?」

 

「写真が入れ替わったのではないのだよ。おぬし達の存在そのものが入れ替わった」

 

 声にならない溜息が漏れた。

 

「この子は何処へいったの? そしてぼくは何処からきたの?」

 

 有り得ないことを多く見聞きした所為で、本能が胸の内に答えを導き出していた。

 それでも誰かの、誰かの口からいって欲しい。もう逃げ道などないように、言い切って欲しかった。

 

「その子はこの世界にはもう居ないだろうな。生存しているかさえ怪しい。その子の存在と入れ替わりに現れたのが、幼い日のぬしなのだよ。」

 

 ぼくの所為で、一人の子供が家庭を失ったのか?

 

「ぼくは、どこからきたの?」

 

「ぬしは元々この世界の者ではないわ。だが、和也殿は故郷に帰ったことがある。ごく最近になってな。」

 

 渇いた喉がひりついた。コーヒーを淹れておけば良かったな、とこの場にそぐわない思いが過ぎる。

 

「ぼくは残欠の小径にいた者っていうこと?」

 

 野坊主は真っ直ぐにぼくを見て、静かに否定した。

 

「和也殿の故郷は残欠の小径であり、昨夜訪れたであろう突如現れた町並みであり、まだ見ぬ集落でもあるのだ。特殊なのだよ」

 

「特殊って、能力とかがあるってこと?」

 

「それもある。だが、何よりも特異なのはその存在。和也殿は存在そのものが、全てを揺るがす特異点となりうる」

 

 有り得ない。そんな言葉では説明が付かない。野坊主の言葉で説明がなされるのであれば、生物学的にぼくは、この世に存在するはずがない者になってしまう。

 

「あの町へ行ったことを知っているなんて、何でもお見通しだね。でも野坊主の説明は筋が通っていない。あの町で会った男がいっていた。人ではない者もいるが、ほとんどは生きている生身の人間だって。鬼神に己の存在の一部を喰われただけで、生きるのに支障はない。」

 

「そうであるな」

 

 膝の上で野坊主の骨張った指がきつく組まれ、込めすぎた力に圧迫されて白く血の気を失っている。

 

「人ではない者達も、必ずどこかで生きていたはずだろ? 鬼神に喰われた者、喰われずに逃げるために身を潜める者、あそこに居る理由は違っても、共通点は故郷を持っているということ。絶対に、帰るべき故郷、もともと居た故郷と呼べる世界があるはずなんだ。ぼくにとっての故郷はどこなの? 知っているなら教えてくれないかな」

 

 在るはずのない答えを、それでも問わずにはいられない。

 

「まだ見ぬ空間、姿をみせていない町、残欠の小径その全てがぬしの命を生みだした故郷そのもの。あれらの空間は、広く視野を広げれば全て繋がっている。触れられぬだけのことで、すぐそこに存在している。その雑多なる世界の只中で、命を授かったのがぬしの魂。」

 

 在ってはならない答えに、心がついていかなかった。

 野坊主を疑ってなどいない。そうではなく、信じるが故に心が置いてきぼりを食わされる。

 

「親は? 親はいるのかな」

 

「神でもあるまいし、親は存在するであろうよ。誰かなど、今となっては知るよしもない。あちらの世界で世代を重ねた者の子孫であろうな。普通なら子を宿しても産まれることなどほとんど皆無。それでも時折、異端の者は現れる。まれに命を授かった和也殿に、更に何らかの偶然が重なったのだろう。不幸にも、鬼神の目に留まった」

 

 幼い子供の顔が浮かぶ。

 鬼神は想像以上の命を、砂を弄ぶようにその手に握っているのではないだろうか。

 親はどうなったのだろうとは、聞くことさえできなかった。

 おそらく生きていることなどないのだろう。

 

「ぼくは、鬼神が恐れるような力を持ってはいない。どうしてぼくに拘る? 放っておいてくれたら、ぼくはあちらの世界にだって二度と関わらなかったかもしれないのに」

 

「鬼神はそうは思っていない。己の描く道の先を妨害する脅威なのだよ、ぬしは。」

 

 就職もまともにできない小僧相手に脅威だって? ふざけるなという罵声が胸の中で炸裂する。

 

「ひとつだけ教えてよ。野坊主はどうしてぼくの側にいるの? 敵なの? 味方なの?」

 

 野坊主の表情が僅かに曇る。

 

「本来であれば、真っ正面から立ち向かう敵である、というべきであろうな」

 

 野坊主の声に迷いはない。ぼくの胸が絞られたように痛みに軋む。

 

「だがわしは似非坊主。ぬしを殺そうなどとは思っておらん。死の淵へ導こうとも思っておらぬよ」

 

「どうして?」

 

「話は複雑だ。だが、簡単でもある。わしは彩を守るために、ぬしを死に追い遣れといわれた。この目で確かめるまでは、それが正しいことと思えていたのだよ。ところがその馬鹿正直な青年は、思っていた人物とは違っていた。ぬしは欠かせぬ存在であると知った」

 

 彩ちゃんを守るため……か。

 

「ぼくには何の力もないよ。響子さんという女性にも、数日は来ないようにといわれた。あっちで噂になっている、幼稚な破壊者という存在の正体が、ぼくかもしれないんだ」

 

「響子殿のことは知っている。幼稚な破壊者とは、言い得て妙だな。あちらの世界で生を受け、更に重ねて何らかの力を持つぬしは、そこにいるだけで隣り合わせる世界の壁を溶かすのだろうよ。だがそれは、ぬしが止めようとしても、どうなるものでもあるまい」

 

 自分が厄災の原因だというのに、何もできないのが歯痒い。

 ふと当たり前の疑問が浮き上がる。

 

「ねえ、育ててくれた母さんは、自分の子供が入れ替わったことに気付いていない。どうしてそんなことが起こる? 昨日まで大切に抱きしめていた我が子が入れ替わったら、どう考えたって気付くだろ?」

 

「普通ならそうであろう。ことに関わり仕組んだのが鬼神でなければ、このような悲劇は起こらなかった。和也殿には酷な話だが、母もまた被害者なのだよ。子が入れ替わったことに気付かなくても、思い焦がれる子がいなくなった事実が意識せずとも心の奥深くに風穴を開ける。おまえを嫌ったのは、お前の変わった能力のせいだけではない。母としての本能が、我が子を奪った存在を憎ませただけのこと」

 

 母さんが苦しんでいたという、思いもしなかった言葉が胸を突く。

 両親に苦しめられてきたと思っていたのに、両親を苦しめあんな態度を取らせていたのは自分に他ならないなんて。

 ぼくの中の悲しみも怒りも、完全に向かう先を失った。

 

 ぼくは力なく頷いて見せた。いくら思い悩んだところで、これ以上は何の答えも得られないだろうから。

 ふとぼくはずっと胸に抱えていた疑問を野坊主にぶつけてみようと思った。

 

「前にいっていたよね、小花ちゃんは彩ちゃんの、失った幼少期そのものだって。それはどういう意味なのかな。」

 

「彩には幼い日々の記憶がない。彩を見ていて思ったことはないか? 明るく元気だが、どこか根本的な感情表現に欠けているはず」

 

「彩ちゃんに欠けている感情?」

 

 困ったように唇を噛んだ野坊主が、僅かに唇を開きかけたその時、小花ちゃんが這い出てきて顔を覗かせた。

 

「お話おわった? くまさんココアのみたいの。 小花、ちゃんと伝えにいったからえらいでしょう? ごほうびにココアのみたい」

 

 ぼくがいいよ、というとふくれていたほっぺたを緩ませ、小花ちゃんは嬉しそうに笑った。

 

「小花ちゃんに、ココアをいれてきます」

 

 ほっとしたように野坊主が頷く。

 続きは今度でも構わない。すでに許容量を超えた心に、ミシミシとヒビの入る音が聞こえそうだった。

 

「いこうか、小花ちゃん」

 

 嬉しそうに小走りする小花ちゃんをハシゴから先におろし、ぼくも後に続く。

 野坊主が焦げ茶色の引き戸を閉めようとしていた。

 

「野坊主!」

 

 半分ほど締まりかけた戸が、ぴたりと動きを止める。

 

「……ありがとう」

 

 聞こえただろうか。野坊主の声はなく、残りの半分も静かに戸は閉められた。

 




 ありがとうございました!
 次話もよろしくおねがいします。

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