キャミにナイフ   作:紅野生成

13 / 53
 今回は、カイャ キリバスさん(現在は$かにかま$さん)の書かれた、「閻魔大王だって休みたい」という作品と、クロスさせていただける事となりました!
 とても楽しく書かせていただきました。
 読んで下さる方にも、楽しんでいただけるといいのですが……。
 今回は、まったくシリアス要素は成層圏へぶっ飛んでおります!
 では、はじまりはじまり。


13 番外編 クロスストーリー

 残欠の小径と呼ばれるこの森で、草むらに身を潜めては人の行き来を伺い、必要とあらば物のみならず情報も売る。そうやって俺達は生きてきた。

 俺達はたとえここの住人相手であっても、決して自らの名を語ることはしない。

 人が生きる世界を表というなら、ここは完全に裏の世界といえよう。裏の世界で生き、ましてや眠り飛び交う情報を糧にしている俺達にとって、真名を知られるとは、己の首筋に刃を立てるに等しい。

 最初にそう呼んだのが誰かは知らないが、みな俺達のことを、草陰のギョロ目と呼ぶ。

 俺達は持ち場を変えながら、常に場所を移動している。前にこの崖下の草むらに身を顰めてから、けっこうな月日が流れたように思う。

 何しろ動きを封じられていた響子が、外を自由に歩いていることに驚いた。そして嗅ぎ馴れぬ人の子の臭いに、鼻が痛い。

 

 

 

 

 しょんぼりと肩を落としたまま、格子戸を開けてカナさんの庭へと入ったぼくは、いつものように壁にしな垂れかかって庭を眺めるカナさんに軽く頭を下げ、庭の奥へと続く道を進んだ。

 声をかけたカナさんの声が聞こえた気がしたが、ぼんやりとしていて返事すらしなかった。

 

「まだ怒っているかな。どんな顔して会えばいい?」

 

 昨夜遅くに響子邸を訪ねたぼくは、その玄関先で迎えに出た響子さんに抱きついてしまった。

 草むらから一斉に飛び立った、大型の鳥に驚いたのが事の発端。

 ドアを開けて中に入ろうと、ぼくに背を向けていた響子さんの背後から、胸回りを羽交い締めする要領で思い切り飛びついた。

 

「ごめんなさい!」

 

 後ろ幅跳びという競技があったなら、間違いなく世界記録といえる跳躍で響子さんから離れたぼくの額から、汗がつーっと流れた。

 響子さんの頬をはしる傷がぴくついている。

 

「すみませんでした!」

 

 響子さんの目が美しい瞳を覗かせたまま、すいと細められた。

 

「あの~!」

 

 バタン!!

 

 一緒に入るはずだったドアが、割れんばかりの勢いで閉じられた。

 

 そのまま何の用もたさずに帰ったぼくは、響子さんの好きな酒を入れた袋を両手にぶら下げて、とぼとぼと謝罪するために道を進んでいる。

 そんなこんなで、心ここに在らずの状態だったぼくは、細い道の中央に不意に姿を現した蓮華さんに、ヒッと小さく悲鳴を上げた。

 ぼくの様子など構わず、蓮華さんは更に近づいてぼくの腕を取る。

 

「一緒に来て下さい。先ほどから不穏な空気が。残欠の小径に何者かが紛れ込んだのではないかと、響子様はいっています。」

 

「何かが紛れ込んだって……またどこかの世界を囲う膜が破れたとか?」

 

 胸にチクリと痛みが走る。

 

「いいえ。そのような報告は受けていません。憶測ではありますが、たぶん本当に紛れ込んだのだと思います。状況がはっきりするまでは、お一人にならない方がよろしいかと」

 

 その話に、ぼくは静かに頷いた。

 走り出そうとする蓮華さんを引き留める。

 

「どうなさいましたか?」

 

「えっと、響子さんはいつも通りだった?」

 

「いつも通りとは?」

 

「たとえば、今朝は妙に機嫌が悪いとか……さ?」

 

 蓮華さんは小首を傾げると、はっとしたように目を見開いて小さく頷いた。

 

「そういえば今朝の響子様は、紅茶に口をつけられませんでした。用意した朝食さえ、手つかずのままでしたから」

 

 そこまで怒っているのか!

 

「和也さんは、何か知っているのですか?」

 

「……いいえ」

 

 ぼくは油の切れたロボットみたいに、ぎこちなく首を振る。

 不思議そうにぼくを眺めていた蓮華さんは、それ以上の答えを諦めたのか、踵を返して一気に走り出した。

 けして走った故の汗ではない。冷たい汗が、風に当たってぼくの首筋を冷やしていった。

 

 

「止まってください」

 

 声を潜めた蓮華さんが、木の陰にぼくを引き寄せる。

 

「響子様が感じた不穏な空気の原因は、おそらくあれかと」

 

 そっと太い木の幹から向こう側を覗いてみる。

 その光景に、ぼくは一瞬息を吸うことさえ忘れた。

 

「鬼だ。鬼がいる」

 

 ぼさぼさに伸びた髪と髭を振り乱しながら暴れる大男。

 それに立ち向かっているのは、一人の少女だった。目が覚めるほどに赤い髪は、無造作にかき上げた状態で頭の上で縛られ、尖った二本の角が額近くから生えている。

 その尖った二本の角より鋭利な、刃物のごとき鋭さを放つのは見る者の視線を引きつけずにはおかない、赤い双眸。

 彼女を赤鬼と呼ぶなら、そこから離れた場所に佇むのはさしずめ青鬼。

 青いショートヘアーの少女は腕を組み、冷めた表情で戦いを眺めていた。その青い髪の中央には、額に近い場所から一本の角が生えている。時折くいっと指先で持ち上げられる眼鏡は、彼女の知性を強調しているかのようだった。

 

「亜逗子、苦戦しているようですが、手伝いましょうか?」

 

 声をかけたのは青鬼。あの赤鬼は、あずさというのか。

 

「うっせーよ! こんな雑魚くらい、あたい一人で十分だっての! あたい一人でこいつを仕留めたら、今日の給料アップは確定なんだからあああ~!」

 

 鬼に給料? しかも日払い制? 

 

「蓮華さん、鬼に給料を支払う人って、いったい誰だと思います?」

 

「さあ、存じ上げませんが、鬼を統べるほどの者。余程の強者なのでしょう。まったく、やっかいな者達が紛れ込んだものです」

 

 亜逗子と呼ばれた赤鬼は、鎖の先に繋がれた巨大な鉄の玉を振り回す大男の攻撃を、身軽にかわしては着実に間合いを詰めていく。

 亜逗子の手に武器らしいものは何も握られていない。

 あの鉄の玉を振り回す大男相手に、それは無謀な戦いの挑み方に見えた。

 亜逗子の頭部を狙って放たれた鉄の玉が、呻りながら空を斬る。僅かに頭をそらして亜逗子がそれを避けると、標的を見失った鉄の玉は勢いをそのままに太い木の幹へとぶち当たり、めきめきと音を立てて幹が真ん中から折れて倒れた。

 

「亜逗子、たった一日分の給料が少しばかりアップするからといって、無謀に命をかけてどうするの? ここで死なれて、責任がわたしにまで及ぶのは迷惑です。日頃から貯金を怠るから、そんな浅ましい行動になるのでしょう?」

 

「うるっせーよ、麻稚! 今はそれどころじゃないってのによ! 」

 

 まち、と呼ばれた青鬼はどこから取りだしたのか、いつの間にかライフルを手にしている。

 

「問答無用、これ以上は待てない」

 

 麻稚と呼ばれる青鬼がライフルを構えて腰を落とし、一歩踏み出そうとしたその時だった。

 

「赤鬼の紅亜逗子を、なめんじゃねぇえええええ!!」

 

 空を裂く鎖の間を縫って、亜逗子が一気に大男との間合いを詰めたのに要した時間はほんの一瞬。 右から左へと振り切られた亜逗子の右足が、大男の脇腹を確実に捕らえた。

 

「ぐえぇ!」

 

 大男の丸太のような体が、あらぬ方向へぐにゃりと曲がる。

 力点を失った鉄の玉が落ちて、森の大地を揺らした。

 ぐにゃりと曲がった姿勢のまま、大地に横たわる大男のすぐ脇へ亜逗子が歩み寄る。

 その腕には男が振り回していた、巨大な鉄の玉が抱えられていた。

 

「どんだけ力持ちなんだよ」

 

 思わず口にだしたぼくに、蓮華さんがしっと唇に指を当てる。

 

「手こずらせやがって。あんたが逃げたのはあたいの所為じゃないってのに、逃げられたら無期限で給料なしとかありえない! 給料の恨みは底なし沼より深いからねっ、これでもくらいやがれ!」

 

 あっさり放された鉄の玉が、重力に逆らうことなく大男の腹のど真ん中に落ちた。

 何か叫ぼうとした口は、言葉を発することなくだらりと開いたまま、大男は白目を剥いて気絶した。

 

「む、惨い」

 

 思わず声がでる。

 

「ほんと、惨いよねぇ。でも、あの男は逃亡者で、それを捕まえるのは鬼を統べる亜逗子の仕事。だから、大目にみてあげて」

 

 聞き覚えの無い声に振り向くと肩越しに、これまた見覚えの無い若い男がぬっと顔を出していた。 歳の頃は、十七くらいだろうか。

 やさしい口調とは裏腹に、真っ直ぐにぼくを見る視線に射貫かれた。ぼくは大声を出すことも、逃げることもできないまま、コクコクと頷いてみせる。

 完全に固まったぼくの体を、ぐいっと引き寄せた張本人を見てぼくは内心青くなった。

 訳のわからない連中がわっさりと姿を現した最中に、もっとも来てはいけない危険人物。

 

「あんた、誰だい?」

 

 完全に剣を含んだ響子さんの声。

 だがその声と視線に怯むことなく、青年は笑顔を向ける。

 

「これは失礼しました。私の配下の者が騒がしくしてしまいましたが、それについては私からも謝ります。私は天地の裁判所で、五代目閻魔大王を務めさせていただいております」

 

「閻魔大王? あの天国行きと地獄行きを決定する?」

 

 素っ頓狂なほど高い声をだしたのは響子さん。

 

「はい。ヤマシロと申します。以後お見知りおきを」

 

「うわ~、閻魔様遅いじゃないか! あたいがこいつをやっつけたんだよ!」

 

 突風のように駆け寄って、ヤマシロに抱きついたのは赤鬼の紅亜逗子。

 

「誰? こいつら」

 

「失礼な言葉をつ、か、う、な!」

 

 ヤマシロに一喝されて、亜逗子はぺろりと舌を出す。

 伸びていた大男は、青鬼の麻稚に縄でぐるぐる巻きにされ、これまた麻稚の手で地面を引き摺られて来た。

 

「何だかわからんが、一仕事終わったようだね。ここは誰が見ているかわからないから、まずは私の家にいって話そうじゃないか」

 

 響子さんのひと言で、全員が歩き出す。閻魔に鬼に人の子。そして先頭を行くのは、得体の知れない、一番の危険人物である響子さん。

 このまま何も起きないことを、ぼくは心の底から祈った。

 

 

 響子さんの家の前に付くと、蓮華さんは室内でヤマシロ達をもてなそうとしたが、縛り上げた大男を連れていては入り口さえ通れないことが判明し、蓮華さんの料理の腕は家の前で披露されることとなった。

 どこに仕舞ってあったのか、手織りと思われる厚手の絨毯が惜しげもなく広げられ、一同に会した面々は各の場所に腰をおろした。

 蓮華さんが素早く造り上げた手料理が並べられ、一同からおおっと声が上がる。

 

「和也、さっきから気になっているんだが、両手にぶら下げている物はなんだ?」

 

 響子さんが興味津々といった風に、手提げ袋を覗き込む。

 騒動ですっかり忘れていた。ぼくがここに来た目的は、昨夜の非礼を響子さんにお詫びするためじゃないか!

 

「これは、お詫びのお酒です! 昨日は本当にすみませんでした!」

 

 深々と頭を下げると、響子さんの細い指がくいっとぼくの顎を引き上げる。

 

「何の話だ?」

 

 え、忘れている? 元々気にしていなかったのか? だったら昨日のドアをバタンはいったい。

 

「響子様、お忘れになったのですか? 昨夜和也様が自分の胸に抱きついたあと、慌てふためいていたのが愉快だったから怒った振りをしてやったと、喜々としてわたしに報告なさっていたではありませんか」

 

 ぽん、と響子さんが手を打ち鳴らす。

 

「そうだった! あれは見物だったな~」

 

 何だよ気にしてなかったのか。ぼくはチッと舌を鳴らす。

 

「今、舌を鳴らしたな?」

 

 目を細める響子さんに、ぼくはぶんぶんと首を振る。

 

「怒っていないなら、朝から食欲がなかったのはどうして?」

 

「気にするな、二日酔いだ」

 

 二度と心配なんかするもんか!

 

「おまえも、上司には苦労しているみたいだなっ。まああれだ、負けんな、な?」

 

 赤鬼の亜逗子は耳元で囁くと、ぽんぽんとぼくの肩を叩く。

 鬼に励まされた、今確かに鬼に励まされた。

 

 蓮華さんの料理と、ありったけの酒を並べて、想像もしなかった面子の宴会が始まった。

 閻魔大魔王であるヤマシロの話によると、死者は一人として漏れることなく、天地の裁判所でヤマシロの裁判を受け、その決定を待たなければ天国にも地獄にもいけないらしい。

 亜逗子に倒されたあの大男は、裁判の直後に逃げ出し、有り得ないことに追いかけていた亜逗子と麻稚をも巻き込んで、ヤマシロの目の前で姿を消した。

 姿を消した空間の裂け目を探すのに少しばかり手間取ったヤマシロは、二人よりこちらに来るのが遅れたというわけだ。

 

「あんな裂け目など、長い天地裁判所の歴史の中でも初めてといっていいだろう。今は鬼達が見張っているが、戻ったらすぐに裂け目を塞ごうと思っている」

 

 ヤマシロはそういいながら溜息を吐く。その溜息は、不意に現れた得体の知れない空間の裂け目の所為だけでは無さそうだ。ヤマシロを挟んで座る、亜逗子と麻稚が飲み過ぎた酒の勢いもあって、水面下でバチバチと火花を散らしている。

 

「こっちの世界でも、最近は妙なことが多くてね。そっちに開いた空間の裂け目も、もしかしたらこっちで起きている異変の余波かもしれないよ」

 

 すでにけっこうな量の酒を煽った響子さんは、頭をゆらゆらさせてはいるが、いっていることはまともだから、まだ大丈夫なのだろう。

 

「実は犯罪者ではないが、行方不明者が一人いて、そいつの行方も捜している」

 

「同じ裂け目からこちらへ?」

 

 珍しく蓮華さんが口を挟む。こちらも少しばかり飲んだ酒に、気持ちが緩くなっているのだろう。

 蓮華さんの言葉に、ヤマシロは頭を振る。

 

「消えたところは誰も見ていないんだ。でも、裂け目が他の場所にも無いとは限らないでしょう? もしも天国に裂け目があったなら、あいつはうっかり呑み込まれる。そんな奴です」

 

 天国、死ぬ前に生の話としてその名を聞くとは思わなかったぞ。

 

「あれ~、みんな何してるの? お客さんだね! わたしも一緒にいいかな?」

 

 その声に全員が振り向いた。

 可愛らしく小首を傾げて微笑んでいるのは、いつも通りキャミを着た彩ちゃんだった。

 

「彩ちゃん、こっちに来ていたの? 危ないことなかった? 一人で戦ったりしていないよね?」

 

 怪我をしていないか確かめながらぼくが聞くと、彩ちゃんは大丈夫、と笑った。

 

「でもね、この崖の上で知らない人に会ったの」

 

 うーん、と考え込むように彩ちゃんは顎に指先を当てる。

 

「道に迷っているみたいで、下にみんなの姿を見つけたらここに来たいっていったのよ。だからわたし、案内するから一緒にいきましょう、っていったの」

 

「その人はどうした? 一緒じゃないのか?」

 

 おそらく本心はどうでもいいいのだろう。響子さんは口先だけの言葉を投げて、ぐびぐびと酒を飲む。

 

「それがね、真っ赤になって怒って、走って逃げちゃった。わたし、怒らすようなこと何もしていないよ?」

 

 いや、何かしただろうに、彩ちゃん。

 あっ、小さく漏れた声を彩ちゃんは手の平を口に当てて押さえた。

 やっぱ何かやらかしてるって。

 

「やっちゃった。年上の人には失礼だったのね。だから真っ赤になるほど怒っちゃったんだ」

 

 しょんぼりと肩を落とす彩ちゃん。

 

「彩ちゃん、何をしたの?」

 

「一緒に行きましょうっていったとき、いつもの癖でこうやっちゃった」

 

 彩ちゃんが細いキャミの紐に指をかけ、パチンと弾いてウインクしてみせる。

 

「お店のお客さん相手のつもりでつい……どうしよう失礼なことしちゃった」

 

 俯く彩ちゃんを見ながら、おそらく全員が同じことを思っているはずだった。

 彩ちゃん、怒ったから真っ赤になったわけじゃないよ、それはたぶん……。

 

「オホン、それでその人は、どんな風体だったかな?」

 

 ヤマシロが問う。

 

「見たこともない恰好の人だったよ。髭は黒いのに髪の毛は金髪で、頭の上で縛っているの」

 

「信長だ!!」

 

 二人の鬼と、ヤマシロが一斉に叫んだ。

 信長って、どこかで聞いたような。

 

「探し人なのか?」

 

 響子さんの問いに、ヤマシロはにっこりと頷いた。

 そのヤマシロにぴったりと寄り添うように、両端に陣取った二人の鬼を眺めていた響子さんの目つきが変わる。

 

「ところでヤマシロ」

 

「呼び捨てにすんな!」

 

 亜逗子が眉をつり上げる。

 まずい、響子さんの悪戯心に火が付いた。完全にすわっているあの目は、悪戯心に完璧に火が付いた証拠だ。まずいって響子さん! 世の中けっして手を出しちゃ行けない領域もあるって。

 腕を伸ばしただけで、金魚のように口をぱくつかせるだけのぼくなどお構いなしに、響子さんはヤマシロの背後にまわるとすとんと腰を落とし、あろうことかヤマシロの首に両腕を巻き付けた。

 

「てっめぇ~! 閻魔様から離れろや!」

 

 静かに身を離した麻稚とは対称的に、亜逗子は仁王立ちになってヤマシロの前に立った。

 その様子を見て響子さんがくすりと笑う。

 

「さっきの信長っていうのは、もしかして戦国武将の信長のことかい?」

 

「そうだよ。今は天国であらゆる文化を吸収中だ」

 

「それで金髪ねぇ」

 

 響子さんの悪戯心を見抜いているのか、抱きつかれてもヤマシロは静かに微笑んでいる。

 

「もう無理だ! 気にくわない! 表にでろや、勝負だ-!!」

 

「もうとっくに表にいるよぉ~?」

 

 戯けた口調で返す響子さんに切れた亜逗子が、一歩前に踏み込んだ。

 

「やめろ亜逗子! 一週間の減給と三日間の給料無し、どっちがいい?」

 

 ドスが効いたヤマシロの言葉に、赤鬼の亜逗子の動きが止まる。

 

「ごめんなさい!」

 

 あっさり土下座した。

 そんな亜逗子に、麻稚の冷たい視線が矢のように突き刺さる。

 面白いなこの人達。恐いけど、面白い。

 

「さてと、酒も料理もいただいて満腹だ。亜逗子もおとなしくなったことだし、信長を見つけて帰るとするか」

 

 するりと響子さんが腕を解くと、ヤマシロは立ち上がった。

 

「わたしも閻魔大王を務める者。貴方達がどういうわけか、死んでいるのにこの場を離れられずにいることだけはわかった」

 

「あぁ。今度あんたに会えるのが、天地の裁判所であることを祈るよ」

 

「わたしもだ」

 

 蓮華さんに料理の礼を述べて、三人は去っていった。

 自分たちを見つけていたなら、信長はすぐ近くに身を潜めているだろうと。

 

「騒がしい連中だったな」

 

 余計に騒がしくしたのはあなたでしょう! 心の叫び。

 

「それにしても、あの鬼の二人はからかいがいがあったねぇ。特に赤い方」

 

 やっぱりからかっていたのかよ。

 

「そろそろ解散ですね。みなさん疲れたでしょう?」

 

 手際よく片付けを終わらせた蓮華さんの表情に、もう酒の影響はまったく見えない。

 

「彩ちゃん、帰ろっか」

 

「うん!」

 

「ぼくも見たかったな、照れた信長の顔」

 

「何かいった?」

 

 彩ちゃんが覗き込む。

 

「べっつに、さあ、帰ろうよ」

 

 手を振る響子さんの背中が、ドアの向こうへと消えていった。

 何とも解釈しづらい一日は、こうして静かに幕を閉じた。

 

 

 

 

 草陰のギョロ目は、丈の長い草の影で身を震わせていた。

 話は所々しか聞こえなかったが、あの場に鬼と閻魔大王がいて、よりにもよって響子達と酒を酌み交わしていたことだけはわかった。

 そしてもう一人、この耳に届いた不穏な名は信長。戦国の名将と名高いあの男の名が、死後長すぎる時を経て、どうして今さら語られたのか。

 

「信長を使って策を練ろうという気か? 閻魔大王まで巻き込んだら、事は残欠の小径に留まらなくなるぜ」

 

 独り言がつい口から漏れる。

 鬼神相手に戦を起こすつもりだろうか。

 情報屋は何だって売る。だが、決して売っちゃならないもの、触れちゃならない事柄も希にある。今見聞きしたことが、それだ。

 危ない橋は渡りきった時の見返りもでかいが、ヤバ過ぎる橋は渡っちゃならねぇ。渡り切る前に、橋が落ちたら儲けも糞もないからな。

 

「触らぬ神に祟りなしだ。くわばらくわばら」

 

 ギョロ目が半分だけ見せた顔を引っ込めると、何も無かったように長い丈の草がちんと座るだけとなった。

 草陰のギョロ目の沈黙と共に、残欠の小径の隅で起きたできごとは、完全に闇へと葬られた。

 

 

 




 読んで下さった皆様、ありがとうございました。
 楽しく番外編を書く機会をくださった、かにかまさんに、感謝!
 本編も、あまり間を開けずに書きたいと思います。
 では。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。