嘗て何処かで交わされた会話である。
「詰まる処、これは一つの暇潰しなんだよ。ああ。勘違いしないで欲しいな。私が態々君を殺したんじゃない。死んだ君の思考……まぁ君達風に語れば”魂”を拾ったのは偶然だ。このまま消滅したいと考えるならばその意志を尊重しよう」
男はチェスボードの駒を動かしながらそんな事を言う。
それに対して”彼”は「今更死ねるか」と返した。
「なら遊戯の説明をしよう。
先ず君が意識を投影する――まぁ転生する先は、”魔法先生ネギま!”の世界だ。そして所謂”特典”はどんなモノでもどんな数でも良い。ん?裏?遊戯だと言っただろう?当然制限が付く。君が生前その漫画を読んでよく思っていたのは、『俺もこんな美少女に囲まれてイチャイチャしたい』――プライベートだとか基本的人権だとか云うモノは一旦忘れ給え。話が続かない。それを傘に遊戯を有利に進め様などとは思わない方が良いな」
男は煩そうに手を振る。
「兎も角、君の願望に因って能力と世界は変質するんだ。”ニコポ””ナデポ”は一定以上の容姿の人間には効かなくなり、美形の割合は高くなる。魔力が高ければ制御は困難になるし、
それを聞いて、彼は何かを考えて出した。男は静かに待つ。
「ん?主人公の双子の兄?生存リスクが高い。確かに制限にはなる……が、ストーリーに直接関われると云う利点が有るし、物語開始までは保護が付くからプラマイで言えばマイナス1くらいかな。ん?ああ。特典の一つはそれで行く?言っておくけど、そのマイナス1がどう云う現象を引き寄せるかまでは、僕にも読めないよ?読めたら暇潰しにならないからね」
それからまた暫く、彼は考えていた。チェスの駒だけが動く。
「ああ。決まった?うん。
ネギの双子の兄。
サウザンド・マスターの二倍の魔力。
ネギが魔法を使えなくなる。
魔法創造能力。
麻帆良勢の強化。
この五つで良いのかい?
了解した。ではさようなら」
会話はそこで終わっている。
だから、彼は男の目的が『彼の観察』ではなく『彼の願いにより変質した原作との差異の観察』だとは知らない。何だかんだで自分の都合良く”物語”が進む筈だと信じて疑っていない。自分こそが主人公なのだと盲信している。
ある者にとっての悲劇が別の人間にとっての喜劇となる。
これは、そう云う話である。
*****
グージー・スプリングフィールドは渡良瀬瀬流彦によって、地面に転がされていた。
瀬流彦が持つ(と言っても学園から貸与された物だが)ダイオラマ魔法球の中である。麻帆良学園本校女子中等部に在する学園長室から帰って来てからずっと、ここに篭りっぱなしだ。ずっとこの中で、体捌きの訓練を行なっている。
「あー……。他国の魔法使いは体術を習わないって本当だったんだね……」
何度も何度も転ばされて疲弊し切っており、瀬流彦の言葉に返す事も出来ない。話せる様になったのは、五分程して瀬流彦に回復魔法を掛けてもらってからだ。
「……何?俺に何か恨みでも有るの?」
「有るよ」
「有るの!?」
寝転がったままだったが、その返答に驚き上半身を起こす。
「出会ってまだ数時間じゃん!?」
「出会って二十分で学園長の怒りを買ったじゃないか!」
瀬流彦の言葉にグージーは唾を飲み込んだ。
「え?それってそんなに拙かった?」
「当たり前だろ!薔薇高送りまで示唆されてたじゃないか!」
頭を抱えて「何でとばっちりでケツの心配をしなけりゃならないんだ」と呻く瀬流彦。グージーはその言葉からある可能性を導き出して戦慄する。
「え?薔薇高の薔薇って、もしかしてそっちの意味の薔薇なの?」
「…………君、何で礼儀作法よりもそう云うスラングの方が詳しいんだ?」
細い糸目を薄っすらと開けて瀬流彦が言ってくる。豪く、不気味だった。
グージーは慌てて「いや、偶々知ってただけだよ!」と弁明する。
「ふぅん。まぁ良いよ。薔薇高ってのは通称で、君の言う通りの高校だ。ヘテロにとっては身の毛も弥立つ男子校だよ」
「……怖ぇな麻帆良。そんな学校まで存在するのかよ……」
グージーは身を震わせた。そんな所に放り込まれたら、三日で発狂する自信が有る。剰りに悍ましい場所だ。
「何を言ってるんだ。実在する訳無いじゃないか。ただそう云う幻術を掛けられるってだけだよ……はぁ……」
瀬流彦の言葉に、それは確かにそちらの方が怖いと感じる。現実であれば逃げ場は有るが、幻術では逃げられない。
「まぁ良いや。これから一ヶ月間の予定を考えよう……」
「ああ……いえ、はい」
流石に九歳児相手にそんな幻術を掛けるとは思わな……否それその物でなくとも、恐怖の幻影を見せられる可能性は大いに有る。
……まぁ良い。今は権力を傘にその傲慢さを発揮していれば良いさ。俺が英雄になった暁には這い蹲らせて後悔させてやる。たかがぬらりひょんの分際で、この俺のハーレム道を邪魔しようなどとは片腹痛い。
この世界は自分を中心に回っているのだ。学園長の非協力的な態度やイレギュラーの存在、自分が教師に成れないと云うのは予想外だったが、適当に反省した振りをして持ち上げておけば軟化するだろう。来月からは美少女三昧だ。
グージーはそう思い、暫くは猫を被る事にする。
それは全く馬鹿げた妄想なのだが、それを指摘する人間は居なかった。瀬流彦は彼の『反省した振りをしよう』と云う態度だけは察知出来たが、流石にそこまでは分からない。三つ子の魂と言うし、気長にやるしかなかろうと腹を括ったくらいだ。
「取り敢えず……」
「取り敢えず?」
「学園長に、訓練の間だけでも魔法を使える様にしてもらおう」
「あ、有難うございます!」
これで魔法の練習が出来るぞ、と無邪気に喜ぶ子供を演じ、グージーは内心で北叟笑んだ。メルディアナで体術は習わなかったからこんな結果になったが、魔法ならば瀬流彦程度如何とでも出来る。うっかりを装って強力な攻撃魔法を叩き込み、今日の恨みを晴らしてやろう。
グージー・スプリングフィールドに反省、自省の文字は無い。
瀬流彦はそれを見抜いていた。伊達に学園長から子供の教育を任されてはいない。だから彼が言いたかったのは結局の所、『取り敢えず、その魔力頼みのチンケなプライドを粉々に打ち砕こうか』と云う事だった。
グージー・スプリングフィールドは気付かない。
その特殊な誕生経緯故に。
その性格性欲故に。
自分が特別でも何でもない、只の子供だと云う事に。
”英雄の息子”と云う肩書きが、ここでは通用しないと云う事に。
”麻帆良勢の強化”と云う願いが、自分の想像を遥かに上回っていた事に。
グージー・スプリングフィールドは気付けない。
”物語”を意識する限り、主役に成る事など出来ないと云う事に。
*****
三日後。
グージーは世界樹前広場で黄昏れていた。
魔法を使った模擬戦で完膚無き迄に伸されたからだ。
これが瀬流彦辺りにやられていたのならば『ふっ、やるじゃないか』とでも負け惜しみを言えたのだろうが、やられた相手は麻帆良学園初等部の魔法生徒である。しかも年下だ。と言うか小学二年生、八歳児だった。肉体的には一歳差だが、精神的には大きな差が有る。
無詠唱魔法も使える自分が、何も出来ない内に瞬動で距離を詰められ水月に一撃を入れられ倒れた。それも一度や二度ではなく何度も。
魔法の撃ち合いにしても、収束速度連射速度精度全てにおいて負けた。勝っているのは魔力容量のみである。自信満々で張った魔法障壁ですら、一点集中の連射に因って三秒で破壊されたのだ。
なので流石の彼も、『麻帆良勢強化』の願いは間違いだったと後悔した。麻帆良勢などと言ったから、あんな子供までとんでもない強さになったのだ。事実、メルディアナでは無敵だったのに。
「素直にエヴァンジェリンを除く2-Aの女子連中だけ強化、にしておけば良かったかな……」
真祖の吸血鬼を強化してしまうと”桜通りの吸血鬼”編で確実に負ける。と言うか殺される。そして2-Aの女子連中だけを強化しても、彼女達と仮契約する自分は前線に出なければならない。それは面倒だ。しかし『麻帆良』勢が強力になったならば、ネギと自分を守りつつ完全なる世界をどうにかしてくれる。そう考えたのだが。
「ままならねぇな」
幸いにも瀬流彦の指導は的確だ。と思う。このままあの男の下で力を付ければ四月にはエヴァを倒せる様になるだろう。そうなれば、後は彼女とイチャイチャしながら修行をするだけだ。そして彼女繋がりで茶々丸と超と葉加瀬と真名を堕とす。超からバカンフーにも繋がる筈だ。バトルジャンキーはどうかと思うが、スタイルはいいらしいので捕まえておきたい。
”修学旅行”編では何だかんだ言っても結局特使として派遣されるのは分かっている。そこで木乃香と刹那、明日菜、のどか、忍んでない忍者をゲット。パパラッチと腐女子、バカブラックはネギにくれてやろう。
六月に来る悪魔はネギに任せ、あやかと千鶴を確保。多分、ネギのトラウマを掘り起こせば魔法を使える様になるだろう。でなくとも、麻帆良の誰かがフォローに入る。夏休みは、これこそネギの仕事だ。
そう考えれば今の状況も問題無い。
グージーは気分を良くして立ち上がった。
剰りに自分に都合の良い事ばかりが起こる未来予想図だが、自分こそが主人公なのだと思い込んでいる彼には実に自然な内容に思えている。
そうなるに違いない、有り得る筈の無い未来が、彼の気分を高揚させている。
自分は神に選ばれた主人公なのだ。今の苦難も後の栄光の為だ。努力していれば必ず報われる。
彼は自分の頬を軽く叩いて気合を入れた。
「よし!取り敢えず、体術強化だな」
強くなれば、バカンフーも攻略し易い。生存確率も上がる。その為に、ぬらりひょんに媚び諂うくらいは我慢しようじゃないか。後で万倍にして返してやるが。
一分の根拠も無い妄想に妄執を重ねた砂上の楼閣から他人を見下す。
馬鹿や阿呆と云った罵倒を何千何万と重ねて漸く納得出来る。
グージー・スプリングフィールドとはそうした男だ。
そんな彼がふと視線を下げると、下方の広場に人が集まりつつあるのが見えた。
何だ何だ、何かのイベントかとヒョイヒョイ進み、人の疎らな場所を見付けて無理矢理入り込む。
「ん?何だ。ネギと……バカンフーか?」
見れば、愚弟が金髪で褐色肌の女子生徒(ジャージ)に攻撃されて――は躱している。
何でネギがバカンフー(名前を忘れている)と闘っているのかは知らないが、取り敢えずジャージじゃなくてチャイナ服で闘うのが正しい筈だろうがとグージーは憤る。安定の馬鹿さだ。
つーか、何だよあのネギの避け方。優雅さの欠片も無い。転け掛けっつうか転けまくりじゃねぇか……。アレじゃあバカンフーの心は掴めねぇな。『ネギ坊主は弱過ぎアル』って。
クククとグージーは嘲笑った。
実際の処、グージーを叩きのめした八歳児とバカンフー(本名
地面を転がり大袈裟に避ける弟を、滑稽な人間としか見れていない。
彼女の攻撃速度が段々と上がり、ネギの避け方が洗練されていっていると云う事実に気付けない。見抜けない。
バックステップで大きく避けた弟の顔に余裕が有り、古菲の額に冷や汗が流れている事が分からない。
「……ネギ坊主。避けてばかりでは私は倒せないアルよ?」
「いえ、攻撃に移る余裕なんて、僕には有りませんよ」
その台詞も、失望する中華娘と息も絶え絶えの挑戦者の発言としか捉えられない。
それは焦りを伴う挑発と、余裕を持った挑発返し。
しかし彼には理解出来ない。
そんな事態を想定出来ないから。
自分にとって都合の悪い事柄だから。
そして彼の心情など関係無く、彼女達の闘いは続く。
「……疾ッ!!」
一瞬で五歩分の距離を詰め、左拳の中段突き。後ろに跳んだ少年に返しの右フック。後ろ回し踵落とし、右貫手。
止まる事の無い連打連撃。
グージーには理解出来ない領分であるが、ネギの直線的だった避け方も流れる水の様に変化していく。会話の二分後、英雄の息子は古の攻撃手段全てを読み切るまでに至った。
『化物かッ!?』
中国語で吐き出された言葉は当然グージーには分からず、脳内で「逃げずに闘え!」と変換される。
本当にネギは情けない。逃げてばかりで男らしくない。
グージーは妄想の古菲相手に相槌を打つ。
戦闘――と言うよりは観客にとっての演舞、古菲にとっての格上からの指導、ネギにとっての戦闘技術収集――が終わったのはその十二分後だった。
「シェ……謝謝……ッ」
「こちらこそ、有難う御座いました」
呼吸の荒い少女と息の乱れぬ少年。それを見れば先の自分の妄想が誤りだと直ぐに気付きそうなものだが、『汗をかいた美少女……アリだな!』などと興奮しているので気付けない。重ねて言うが、馬鹿である。
更に鼻息荒くしている間にネギと古は他所へ行ってしまった。気付いたのは妄想の中の彼が純愛ルートとハーレムルートの選択肢を選び終えた時である。
「……まぁ良いか。取り敢えず、期末の時期に図書館島へ行けば問題無いな」
我に返った?彼はそう呟き、兎に角体術を鍛えようと瀬流彦の家へと向かった。
そしてそんな彼の百面相を割と近くで眺めていた瀬流彦は、自分の手での矯正は無理だと判断した。