花を咲かせましょう   作:輝く羊モドキ

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歌えええええええええええええええええええええ



前回のあらすじ:花の王、レミリアから咲夜を寝取る(未遂


もう歌しかうたえない

 ~♪ ~♪

 

 鼻歌を歌いながら八目鰻を焼くミスティア。いつになく上機嫌なのは自分の対面席に座る存在のせいだ。

 

「花の王と二人きり~♪」

「そんなに喜ぶことか」

「もちろん~」

 

 ミスティアにとって花の王は親代わりである。彼女が夜雀として生まれたとき、彼は彼女の傍に居た。偶々といってしまえばそれまでだが、彼は彼女を育てる気まぐれを起こしたのだ。

 しかし当時の彼は常に何処かを彷徨き、特定の住み処を持たない暮らしをしていた。ミスティアが妖怪として一人前になるまではその終わりなき旅を共にしていたが、妖怪として一人前になった時にあっさりと別れを告げ、何処かへ行ってしまったのだ。

 もちろん、ミスティアは花の王に追い縋った。だがそれでも花の王はミスティアを置いて消えてしまったのだ。

 

「来る日も来る日も貴方を追いかけ、幻想郷に流れ着いた。そこで漸く貴方に会えて、私がどんな気持ちだったか解ってるの~?」

「生憎俺は手を伸ばしても届かなかった気持ちは理解してるが、伸ばしても届かなかった手を掴まれる気持ちは解らんな」

「でしょうね~。貴方はそんな人だもの~。この前の異変の顛末だって~そんな貴方だからこそあんな結果になったのよ~」

「俺の毛先ほども生きてない妖怪が言いおるわ」

「あら、貴方の娘歴は貴方より長いわよ~?」

「つまりそれは分身と性転換を同時にやれって挑発か?」

「何でそうなるのよ……」

「分身はともかく性転換はタグにTSが付いてないから無理だな」

「言ってる意味が解らないわ~♪」

 

 コトッ、と熱燗を出すミスティア。ふわふわと漂う花酒の香りはどんな上質な日本酒でも出せない、気品のある香り。

 

「はい、まずは一献傾けましょう」

「おう」

 

 トトト……と優しく杯に注ぎ入れる。

 

「変わり行く世界に」

「変わらぬ父娘の絆に」

 

「「乾杯」」

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

 昔々、今で言う四国辺りの何処かの山奥で花の王はいつものように花を咲かせ回っていた。

 当時のどの言語にも当てはまらない奇怪な歌を、その美声に乗せて歌いながら道なき道を花の道に変えて行く。

 

 チッ、チッ、チッ。

 

 何処からともなく、鳥の鳴き声のようなものが聴こえてくる。同時に、花の王の視界にはただでさえ薄暗い山奥が、更に暗くなっていく。

 夜雀の仕業か。そう思った。

 永く旅を続けていると時偶、この様に力の差も解らない妖怪や人間、木っ端神に襲われる事がある。そのたびに襲撃者をぶちのめし、その頭部に花を咲かせていた花の王。今回もそうなるか、と思えば花の王はとある呪文を口にした。

 チッチッチと鳴く鳥は、シナギの棒が恋しいか、恋しくばパンと一撃ち

 夜雀の伝承が残る地域では有名な呪文であろう。夜雀を追い払う呪文だ。地域によって多少の差異はあれど、効果は同じ。

 世界中あちこち旅する花の王も、当然この呪文は知っていた。

 

 知ってはいたのだが……忘れていた。

 

 だから花の王が口にする呪文はそれではなかった。

 

「……焼き鳥」

 

 チピッ!?

 

「……唐揚げ、つくね、鍋もいいな」

 

 ピッ、チチッ!?

 

「炊き込み……鳥刺し……なぁ」

 

 

どう喰われたい?

 

 

「ぴよ~!!」

 

 バササササ!!!

 空へ逃げる名も無い夜雀だが、花の王の前には如何なる鳥妖も哀れな弱者(チキン)でしかない。

 とん、と一足で宙を舞い、稲光のごとき速さで夜雀を撃ち落とす。

 その衝撃で全ての羽をもがれた夜雀はもはや逃げることも戦うことも出来ず、自分が死ぬそのときまで絶対的な捕食者に届かぬ歌声を歌い続けるだけ。

 まな板の上の鯉、串に刺さったうなぎ、鍋の中のつくね。せめて美味しく頂かれるように祈りと願いをその断末魔に乗せた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

「またやっちまったんだぜ」

 

 今で言う四国辺りの何処かの山奥。否、現状を見る限りもはやそこは山奥等と呼べない、不自然に広がった荒れ地のど真ん中に花の王は立っていた。

 花の王はつい先程起きた現象を振り返る。

 

「確か、焼き鳥食うために火をおこしたのは覚えてるんだよ」

 

 花の王が言う通り、夜雀を仕留めた花の王は焼いて食おうと、魔法で焚き火を作り、インスタントキャンプファイアーしようとした。インスタントキャンプファイアーってなんだよ。

 

「そこに夜雀の死骸突っ込んで……」

 

 既に羽は全て取られているから、一見間違えはないかのように思えるがこの男、内蔵の処理など一切していない。焼いて食べる分ライオンよりかマシ程度であろう。

 

「火力調節に太陽熱を使ったんだよな」

 

 はいそこもう可笑しい。

 現代にはソーラークッカーと呼ばれる、太陽光を一点に集めて調理する、火の使わない熱調理器具がある。だがこの男、太陽光ではなく太陽そのものを召喚したのだ。阿呆である。

 その上、よりにもよって太陽の中心核の一部を召喚した物だから花の王の周囲一帯は中心核による放射熱1500万℃と、超質量による重力波の影響により辺り一帯は焦土と化した。むしろよく焦土で済んだものだと感心する。普通一帯焦土どころか世界全土が消滅する。当然夜雀の死骸は焼失した。仕留めた獲物を食べることが出来る分ライオンの方がマシだった。

 花の王が「あっ、やべ」と太陽の中心核を咄嗟に握りつぶしたお陰でこの程度の被害で済んだといえよう。そもそもの原因が花の王にある事はこの際気にしてはいけない。

 辺り一帯が焦土と化し中心部は融解した地がガラス状に変質していたが、花の王が大地に活を入れ、不毛の大地に再度命を戻したのだ。あと2~3日すればここも元通りになるだろう。

 ……その後約一週間ほどで魔境と呼ばれる地にまで成長するとは誰も思わなかった。

 

 その荒れ地の中心部にあった焚き火に突っ込まれた夜雀の死骸は極熱に融けて既に影も形も無いが、花の王が大地に入れた活の影響を受けて輪廻転生を果たした。地獄の裁判官も真っ青の速さである。

 

 ち、ちっ……ちん……ち……、

 

 生まれたばかりで未だ鳴き方も知らない小さな、小さな雛鳥。それでも本能が生きる事を求めてその声を上げる。小さな、小さなその声は、大地の生命力に押され育つ草花が未だに残る焦熱に炙られて発せられる靄に隠されても、確かに花の王に届いた。

 その声に気が付いた花の王は、音の発生源に近づく。

 

 ち、ちん……ち、ち……、

 

 焦熱に焼かれても喉を震わせ生を求めるその歌声に惹かれた花の王は、そっと両手でその雛鳥を救い上げた。

 

「お前の名は……ミスティアだ」

 

 花の王は、焦熱に焼かれ靄煙る世界の中で生まれた雛に名前を付けた。それが花の王と、後にミスティア・F・ローレライと呼ばれる彼女との出会いだった。

 

 

 それから、花の王はミスティアを連れて世界中を旅した。彼の歌声を揺り籠にしたミスティアは妖怪としてすくすく成長し、あっという間に人化することが出来た。そんな彼女が人化して初めて覚えたことはチッチッと鳴く以外の歌声……では無く、料理だった。

 

「漸く自分で食べたいものが食べられるわ!」

「そんなに俺の料理は不満か?」

「それせめて料理完遂出来るようになってから言ってくれないかしら!?」

 

 花の王が火を起こせば、嘗ての焦土化の再現が行われ。

 花の王が包丁を振るえば、地層ごと食材を斬り飛ばし。

 花の王が水と小麦粉を捏ねれば、原子レベルで融合を果たし。

 花の王が料理に関して出来る事はただ皿の上に調理済みの食材を盛り付けるだけだった。無論美しく盛る事に関しては彼の右に出る者は居ないが。

 

「とにかく貴方はもう料理をしようなんて考えないで頂戴……命がいくつあっても足りないわ……」

「そんなお前人をメシマズ嫁みたいな言い方しやがって」

「『食べられる』という点では貴方よりマシでしょうね」

「ちょっとミスっただけだろお前心狭いな。もっとゆとりを持ってほら」

「ちょっとミスっただけで何度も死にかけたんですけど?」

「俺死なないどころか怪我一つ無いし」

「ちくしょう殺したい」

 

 ざく、ざく、と手に持った包丁で野菜を手際よくきざみ、ちらりと横目で火にかけた鍋の様子を見る。その手際の良さは主婦歴数十年と言ったところ。

 

「誰が新妻よ失礼しちゃうわ!」

「誰もんな事言ってねえな」

「で、でも花の王のお嫁さんなら別になっても……いいんだからねっ!」

「ツンデレってめんどいよね」

「待って凄い傷つく」

 

 鍋に切った野菜を投入し一煮立ち。くつくつと中が煮えた鍋に更に具材を投入する。

 

「やっぱ冬のこの時期は鍋に限るな」

「……だからってどうしてこんな山の上で鍋なのかしら。と言うかこの魚、どこから持って来たのよ」

「寒ブリだな。そりゃちょっとそこまで」

「……この脚がいっぱいあるのは?」

「蟹だな。見た事無いのか?」

「貴方にずっとついてきたけど見たことないわよ」

 

 ちなみに今花の王とミスティアが居る場所は標高8611メートル、後にK2と名付けられる山の頂上に居た。聡明な方ならお分かりいただけるだろうが、()()()()()()()()で行く距離にブリや蟹が棲息するような海は無い。

 そもそも現在でも冬季に登頂が達成されていない山である。そんな場所には当然人が居る筈もなく、人の畏れを受けて生きる妖怪も居る筈も無かった。そんな場所でミスティアは若干ひもじい思いをしているというのに呑気に鍋をつつき始める花の王。馬鹿かな?

 

「ん~、美味美味。絶好の景色だし何もいう事無しだわな」

 

 花の王の言う通り、真冬の山頂はどこまでも見通せるかの様に空気が澄んでいて、空中に漂う塵一つとてそこに存在しない。何者にも邪魔されない絶景を見る事が出来る。

 雲を見下ろす高さから、目に見える山々の岩肌と降り積もった雪の白とのコントラストにただ圧倒される。カンバスに描かれた2色にどこまでも澄み渡る空の青が加わって、さらに見上げれば煌々と輝く太陽がその手に掴めそうなほどに近くて。それでも届かない空に自分のちっぽけさを思い知って。

 

「……ミスティア、食わないのか?」

「……あ」

 

 既に鍋の中身が三分の一は減っている。見たことの無い食材が入ってるとはいえ、自分の手で作った美味しそうな料理を食べることが出来ないなんて馬鹿げている。ましてや待ち望んだ魚料理だ。態々花の王が「絶対美味いヤツ持って来た」と言うくらいなのだ。

 鍋の前に座り込んで中身をつつき始めた。

 

 今までミスティアは、花の王の背中から覗ける景色しか知らなかった。いくら花の王が世界中を旅するとしても、それは余りにも狭い世界だった。

 だが何処までも透き通る青い空は、自身の知る世界より遥かに広く続いていた。どこまでも、どこまでも。空を飛ぶ鳥は、空の広さを漸く知ったのだ。

 

 鍋の中身も無くなり、ゆったりとした雰囲気の中刻々と変わっていく世界を眺める。カンバスに塗られた青は次第に朱く染まり、紫を連れてきた。

 

「……もう、夜になるのね」

「そうだな」

 

 花の王は何処から取り出したのか、『夢弦の笛』と呼ばれるハープの様な弦楽器でもあり、トランペットの様な吹奏楽器でもある自作の楽器を手に持っていた。

 あの楽器は音を鳴らすだけでも難しいが、それだけに複雑な音色を出す事が出来るのだと言う。ミスティアは一度試しに吹いてみたが、どうしたらあんな綺麗な音になるのかが全く理解出来なかった。砂漠を渡る、キャラバンと呼ばれる人間の一団の中に居た自称音楽の天才が「コレを吹きこなすのに100年、引きこなすのに100年、両方を同時にこなすのに1000年は必要だ」と言う程。よく分からないがとにかく難しい事だけは分かった。

 他にも花の王は『打国の弓』と呼ばれる打楽器と弦楽器を融合したような物や『万雷の音』と呼ばれる何だかよくわからない楽器と全く理解出来ない楽器を融合した物とか色々持っているようだ。

 花の王は夢弦の笛を手に持ち、ミスティアに視線を送る。ただそれだけで理解し合える。

 

 ミスティアは自身の喉を震わせて、花の王は手に持つ夢弦の笛をかき鳴らして。

 どこまでも続いていく世界に美しい音色を刻み込む。

 その音色は山を超え、空を超え、世界を超えて、月の向こうにまで届いていた。

 地上の何処かで誰かが言った。『天使の歌声が聞こえる』と。

 地底の何処かで誰かが言った。『天上の音楽が聞こえる』と。

 月面の何処かで誰かが言った。『穢れ無き神々の合奏だ』と。

 世界の何処かで誰もが讃えた。『最も美しき王の音色だ』と。

 空飛ぶ鳥は空の広さを知り、王の力を借りて囀る声を響かせた。

 

 鳥として生まれ育った誰しもが羨むだろう偉業。快挙。

 空にその声を届かせた彼女こそ、全ての鳥の王に君臨したのだ。

 

 だが、始まりがあれば終わりがあるのは必然。

 世界中を巻き込んだ二人だけの演奏会はフィナーレを終えたのだ。

 演奏終わりの余韻も無くなった頃。朱が連れてきた紫は既に消え、既に月と星々が輝いていた。

 嘗てカンバスに描かれた2色も、もう元の色すら分からない。

 夜は妖の時間だというのに、ミスティアの胸の中にあるこの不安は何だというのか。

 そんなミスティアの不安を知ってか知らずか、すっと立ち上がった花の王はミスティアに「じゃあな」と言って空に飛び立った。

 

 え?と思った時には既に花の王は手の届かない位置まで飛んでいた。

 

「ま、待って!」

 

 ミスティアは花の王を追いかけ空に飛びあがる。だがここは標高8611メートル。如何に妖怪とはいえ、上昇気流も無く自力で飛ぶにしても限度があった。

 それでもミスティアは花の王に追い縋る。既に高度は10キロメートルを超えた。自身を縛る重力が、妖怪としての概念が鬱陶しく感じる。

 

「置いてかないで!!」

 

 妖怪としての本能がこれ以上人間が居る場所(大地)から離れるなと叫ぶ。重力がそれ以上行くことは許さないと自分の脚を掴む。

 知った事か。空に、其処に貴方が居るのだから。だからこの身よ。もっと高く、もっと高く飛翔()んでくれ。

 高度20キロメートルに届こうかという時。彼女の鼻に入り込んでくる生臭いような刺激臭。オゾンだ。

 一呼吸ごとに肺に入り込み、身体を内側から腐らせていく。

 一呼吸ごとに血ヘドを吐き、自身の羽根をもがれていく。

 

 それでも、花の王に追いつけない。

 

「一人にしないで!!!」

 

 高度30キロメートル。既に身体はボロボロと朽ち始めている。妖怪としての限界を既に超えていた。

 それでもミスティアは飛ぶ。

 その手を伸ばす。

 しかし届かない。もう、届かない。

 彼女の腕は、この空にとって余りにも短すぎた。

 彼女の身体は、この空にとって余りにも小さすぎた。

 この世界は、彼女にとって余りにも広すぎた。

 この世界は、彼女にとって余りにも高すぎた。

 

「■■■■■ッッ~!!!」

 

 喉はオゾンによって壊されても、それでも彼女は歌った。

 音にならない歌声をあげた。

 空の一部に成れども、宙にはその声は届かなかった。

 

 井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知った。

 空飛ぶ鳥は空の広さを知り、それでも宙に届かぬ歌声を響かせた。

 

 歌声が枯れ、重力に抗う力も無くなり、視界が無念に滲む。それでも彼女は最後まで彼を見続けた。

 

 

 彼は、最後まで振り返らずにこの星から居なくなった。

 

 

 

 

 風に吹き飛ばされ、大地に叩きつけられた彼女は気が付けば見知らぬ地に一人でいた。

 花の王と共に世界中を旅したが、こんな場所は初めてだった。それも当然だ。世界中旅したと言っても世界中を一切の漏れ無く移動したわけではないのだから。

 彼女はその地にあった、見晴らしの良い岩山に佇み、その歌声を披露した。動くのも億劫な程に身体の内側から腐りかけ、外側はぐしゃぐしゃに壊れている。

 

 彼女は異国の地にて歌を歌い続けた。

 

 

 

 歌い続けて、どれだけ経っただろうか。

 ぐしゃぐしゃだった身体は完全にくっついて元通り。

 身体の内側も前より丈夫になったくらいだ。

 妖怪としての畏れも、この岩山で歌い続けてからどんどん受け続けて妖怪としての格がさらに上がっている。

 そしてその所為か、昼間は鳥達の王として君臨しているが、夜は羽虫の王としても君臨している。

 今日もまた、歌声に惑わされた人間が岩山の下にある流れの速い川の渦に飲み込まれていった。

 

 ……それでも、この歌声は本当に届いてほしい人には届かない。

 

 時が流れ、岩山に住む怪異を祓うため編成された討伐隊を撃退した時、人間は彼女の事を『ローレライ』と呼び、更に畏れられた。

 そうして彼女は『ミスティア・ローレライ』となった。

 

 ……さらに時は流れ、ローレライを討伐するためにキリスト教の騎士団の一隊が派遣され、命からがら逃げだしても彼女は歌い続けた。

 喉に矢を射られても、歌うことは止めなかった。この歌はけして消えないから。

 羽をもがれても、歌うことは止めなかった。歌声だけでも空に届かせるから。

 

 歌えなくなってしまったら、私じゃなくなってしまうなら、その時は……

 

 ……そして更に時は流れ、海を超えた彼女は立つ事すらままならなくなっても、歌声を空に響かせ続けた。

 もう此処が何処だかも分からない。あれからどれ程の月日が巡り巡ったのかも分からない。

 半ばから斬られ、根本から折れた翼は彼女がもう飛べない事を示していた。

 深く裂かれ、ヒューヒューと音が漏れる喉は彼女がもう歌えない事を示していた。

 地に這いつくばり、このまま朽ちてしまうのなら……力尽きる寸前の行動は、最期に再びあの空を睨もうとうつ伏せから仰向けに転がる事だった。

 

 どこまでも高く、遠い空を睨む。満月が憎々しげに嗤う。星々が苛々と瞬く。

 

 

 こんな最期も悪くないな、だなんて……

 

 

 思うはずが無いだろうが。

 

 

「■■■■■ッ―!!!」

 

 

 この歌は未だ宙に届いてはいない。

 この身は未だ宙に届いてはいない。

 ならば生きなければいけない。

 ならば歌う(叫ぶ)だけだ。

 これが最期だと言うのなら。この身に残る全てをこの歌に乗せよう。

 これが最期だというのなら。この身に残る全てをこの声に乗せよう。

 

 歌え。

 響け。

 届け。

 あの空へ。

 

 歌え。

 響け。

 届け。

 あの宙へ。

 

「■■■■■ッッッ――!!!」

 

 空が暗くなる。いや、自分の視界が昏くなっていく。何時かのように、自分の魂が、重力に引っ張られるように身体から抜け出るような感覚。

 

 何も見えない。

 

 まるで夜盲症。

 

 

 私の歌声は空に届いたかな。

 

 

 

 私の歌声は宙に届いたかな。

 

 

 

 

 私の歌声は……

 

 

 

 

 

 あなたに届いたかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。しっかりとな」

 

 

 ふ、と……気が付けば身体全体を貫く痛みは消え失せていた。

 斬り落とされた翼も、根元から折れ曲がった翼も、元通り。

 深く裂けた喉も、また美声を響かせる事が出来るように戻っている。

 滲んだ視界いっぱいに、きらきらと輝くエメラルドの様な美しい緑髪と引き込まれそうなルビーの様な瞳が見える。

 これは、今際の夢だろうか。否、現実だ。間違いなく、現実。

 彼の両腕に抱きかかえられ、惜しみなく生命力を注ぎ込まれて全身が目覚める。

 

「会いたかった……ずっと……ずっと……!」

「みたいだな」

「みたいだなじゃないわよ……ばかっ……!」

 

 彼の背中に腕をまわし、抱きしめる。もう離れないように、もう離されないように。

 ああ、忘れもしないこの背中の柔らかな感触……柔らかな感触?

 

 ぷにぷにとした感触と温かくすべすべの肌触りは、まるで人間の赤ん坊のよう。

 ぱっ、と花の王の背中を覗きこめば、そこにはおんぶ紐に結びつけられた、白に近い銀髪をおかっぱに切り揃えられた幼子が居た。それと、その子に寄り添うように傍にいる、ふわふわと浮いている謎の白い玉のような物体。

 

「…………何これ」

「俺の子」

「ぶうぇぇぇえええ!?」

「きったねぇ声だな」

 

 こいつは、こいつは私があれだけ歌い続けていた時に、子供をこさえていたと言うのか。

 

 娘の私に、なんの断りもなく!!

 

「し……し……」

「獅子舞?」

「死ねぇぁああああ!!!」

「おっとあぶねぇ」

 

 ヴァァァァッ!!と怒りに任せて暴れるミスティア。

 弾幕を放ちながらその鋭い爪で花の王を切り裂かんと攻撃するが、花の王は上体を一切動かすことなく、足さばきだけで弾幕とミスティアの肉弾戦を回避しきる。

 花の王が背負っている赤子もキャイキャイと喜んでいる。

 花の王は更に、何処からともなく取り出したがらがらを両手に持って情熱的に踊り出す。

 

「さあ、情熱のリズムに踊るがいい!」

「あーぶっ!!」

「馬鹿にしてるのかしら!?」

 

 そこからは更にアクロバティックに動き出す花の王。時にくるくると、時にひらひらと、風に舞う花弁のように踊り続ける。

 ミスティアが苛烈な弾幕で攻めれば、花の王はステップを踏んで華麗に避ける。

 ミスティアが果敢に爪で切り裂こうとすれば、花の王は持ってるがらがらで受け止め、受け流す。まるで二人でタンゴを踊るが如く。

 いつの間にか地面は柔らかい土ではなく、鉄板のような強度の結界が敷かれていた。二人の靴が結界に当たれば、カツ、コツ、と音をたてる。弾幕が結界に当たれば、まるで弦楽器を打ち鳴らすかのような音が出る。

 

「……嘘でしょ?」

 

 ミスティアの問いかけに、獰猛な笑顔で返す花の王。

 

 直後、一切の比喩無しに弾幕の雨が降り注いだ。

 

「情熱を奏でる旋律に踊り狂え!!」

「うだー!!」

 

 子供って残酷だ。ミスティアはそう思いながら幻想郷の洗礼を受けた。

 

 

ピチューン

 

 

 

 

* * * * *

 

 

 

 

 ああ、懐かしい。何度も歌い、幾度と歌い続け、いつまでも歌って漸く、あの空の彼方に届いたかつての記憶。

 今日のこの空も、かつての記憶の中の空と同じように澄みわたり、何処までも、何処までも高く遠く広がっていた。

 

 そっ、と。花酒を煽る花の王に目配せをする。

 花の王はその視線に気がつき、何処からともなく夢弦の笛を取り出した。

 あの日、あの時のように。違う点は此処が音が響き渡る山頂ではないことと、ミスティアから合図を送ったこと。しかしそれも些細な違いだ。

 

 再び、ここに全世界を巻き込む二人だけの音楽会が開催した。

 ミスティアは自身の喉を震わせて、花の王は手に持つ夢弦の笛をかき鳴らして。

 どこまでも続いていく世界に美しい音色を刻み込む。

 その音色は山を超え、空を超え、世界を超えて、月の向こうにまで届いていた。

 地上の何処かで誰かが言った。『天使の歌声が聞こえる』と。

 地底の何処かで誰かが言った。『天上の音楽が聞こえる』と。

 月面の何処かで誰かが言った。『穢れ無き神々の合奏だ』と。

 世界の何処かで誰もが讃えた。『最も美しき王の音色だ』と。

 

 

「ねえ、花の王」

「なんだ?」

「私の名前、ミスティア・F・ローレライのFってなぁに?」

「決まってるだろ」

 

 

 

「宇宙の果てまで届くテメェの歌声の強さに『フォルティッシモ』の名をやったんだよ」

 

 

 始まりがあれば終わりがあるのは必然。しかしかつてと違うのは、彼女の歌声はもう、一人でも空の向こうに届く事。

 演奏会が終わっても、二人は向かい合わせで呑み続けた。

 

 

 




響けええええええええええええええええええええ


届けええええええええええええええええええええ

あ、どうも。部屋間違えました。(無慈悲なカラオケ乱入)

ああああああああああ


 タイトルの元ネタは石鹸屋より、アルバム『石鹸屋のお歳暮2』に収録されている同タイトルから。
言わずと知れた名曲です。
石鹸屋ちゅき♥️

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