驚愕の御誕生デビューを披露してから数年が経ち、ウルクの王子にして半神半人のギビルは只今7歳。今もすくすくと成長を続けながら周りの大人たちを驚かせ、時に笑わせ、そしてそこそこに怒らせていた。
生まれる前から既にある程度人格構成が習熟していたギビルは、子供の振る舞いをしつつも他者に違和感を与えない程度に気を配る事を心掛けて日々を過ごしていた。だが、そんな気配りが出来てしまっているあたり他の同年代の人間の子供とは明らかに違う事を大人たちは知っている。ギビルも察していたのだが周りの反応を見る限りでは悪い感情を持たれていないので振る舞いを改善する必要はなさそうだと判断している。
ギビルの世話をする宮殿の者達やそれを見守る両親は、ギビルの振る舞いを不気味がるような事はしなかった。ギビルの体に神の血が半分流れている事は周知の事実、生まれながらに聡明であってもなんら不思議な事ではないと思われていたのだ。
ギビルのウルクでの日々に飽きは無かった。
教育係からこの国の知識を学び、人間の統治者と言うものを学ぶために父の仕事を邪魔にならない程度で見学させてもらい、宮殿を出て都市内を散策しながら人々の暮らしを見るのがギビルの習慣になっていた。
千里眼で見通す事は容易いが、やはりそれだけで物事全てを知ったというのはいささか偏り過ぎな気がする。直に触れてみる事で新たな発見があるというものであろう。ギビルはフィールドワークの大切さを学んだ。
そういった日々を続けているギビルの姿をウルクの民達からは「何にでも疑問を抱き、好奇心の旺盛な王子様」と好意的に受け取られていた。
そんなギビルは現在、ウルクの都市の通りを供も付けずに独りのんびりと歩いていた。
本来であれば王の第一子に誰も護衛が付かない事などあってはならないのだが、このギビルに至ってはその常識が当てはまらなかった。
何故ならばこの半神半人、5歳の時にウルクが誇る精鋭達を武術の稽古の時に片手でねじ伏せてしまっていたのだ。
元々は剣の振り方や簡単な打ち込み稽古といった内容だったのだが、ギビルの飲み込みの速さや幼い体に似合わない丈夫さに感心した教師役の兵士が試しにと試合形式の模擬戦闘をやってみたのだが、まぁそれがいけなかった。
まるで山と対峙しているかの如き圧倒的な膂力、人間の反射神経では捕捉が出来ない俊足、そして熟練の戦士の動きすらも読み取り手玉に取ってみせた観察眼。
鍛え抜かれた大の大人達が束になっても歯が立たないこの幼児に、精強なウルクの兵達も流石にへこんだ。
叩きのめしてしまった兵士にギビルも悪いと思って治療を優先させたが、倒れ伏している大の男達とぴんぴんしている困り顔の幼子という光景はさらに追い打ちをかける事になった。
結果、ギビルはこのウルクの誰よりも強いと言う称号を5歳の身空で図らずも手に入れ、王子なら都市の外にいる猛獣も捻り殺せてしまえるだろうという太鼓判を大人達も押さざるを得なかったらしい。
しかし、ここまで自由な行動が許されているのには別の思惑もある事をギビルは知っていた。
このウルクの王の座を継ぐのはいずれ生まれてくるであろうギビルの弟だ。なので仮に今の王子である自分の身に何かあったとしても、究極的な所ではウルク全体に致命的な損失はない。そんな冷たい計算が行われているのだ。
なので近い内にギビルへの教育から王の統治に関わるものは無くなっていくだろう。そして、ギビルへの教育そのものも。
ギビルはそれについて不満を抱かない。もとよりそう言う予定で自分は作られたと言う自覚があるし、自分にはあらゆる時空と事象を見通す眼がある。自身の頭脳と併用すれば今の時代の教育基準は瞬きの間に越えてしまえる。実際、千里眼によって既に学習済みだ。
元々宮殿内で受けている教育も、教育内容と言うよりかは人に教えてもらえるという方向に意識していたし、それが楽しかった。彼らが一生懸命に教えてくれるからギビルは知らないふりをして生徒の立場を受け入れていたのだ。
これがもしギビルが機械的に正論だけを述べたり、もしくは人の心を傷付ける事に愉悦を覚えるような人格だったのならば、教育係の教育内容の欠陥を指摘し、それを上回る理論で以て論破して係の人間の心を傷つけていただろう。ギビルは、そういう真似はしたくはなかった。
そういう事情があったので両親や宮殿の者達を恨む様な事はしない。
それに、彼らを恨むのは筋違いと言うものである。そもそもの話、それら全ての絵図を書いているのは神々なのだから。
都市の大通りを歩くギビルの姿に通行者や店の人達が振り向く。
陽光の如き黄金に輝く頭髪は耳にかかる程度まで伸び、神々の血を色濃く受け継いでいる事を証明する真紅の瞳は可愛らしい眼差しの奥に収まり、幼いながらも絶世の美貌が将来約束された顔立ち。それらを白い衣装で着飾った姿は一種の芸術品と言えよう。メソポタミアの神々が全力で拵えた賜物である。
どこか触れ得ざる神聖さを感じさせるがしかし、民が声をかければ気さくに声を返してくれるし世間話に興じてみたりとその容姿とは裏腹に民に分け隔てなく接してくるその姿が民達の心を掴んでいった。
――噂の王子は政治の勉強にも熱心で、力も子供ながらに大の大人が全く歯が立たない程の強さとか、最近兵士達の訓練に熱が入っているのはその所為らしい。
どこから流れたのかは知らないが、広がる噂のどれもが民達に好感触の評価だった。
この王子が将来この国の王になれば、きっとウルクを良い国にしてくれるのではないだろうか。
ウルクの人々は、通りを過ぎて行った金色の如き王子の背を見送りながら未来に明るい希望を抱いた。
(すまん、王位につくのは私では無く弟の方なのだ)
多くの人々の期待を千里眼で読み取って、内心で彼らに謝っていたギビルは大通りを越えて都市の外へと繋がる大門を丁度くぐり終えていた。
門番へ軽く挨拶を済ませると、ギビルは体を低く屈めたかと思えば次の瞬間、その場から衝撃だけを残して消えた。
一歩の踏み込みで風を通り越し、続く二歩・三歩で音の速さを越え光となって平原を跳び越えていく。道中で狩りに出かけている狩人や農民達がその光景を目にするが、ああ、王子がお出かけになられたのかくらいの認識である。ウルクは平常運転だ。
光速の移動で目指した先は周囲に国家都市の存在しない名もなき山々に囲まれた窪地。人やどこそこの神といった神格の気配が麓に至るまでない地にギビルは降り立った。
すんと鼻を嗅いでギビルは自分の身に着けている衣装を見下ろした。
出かけた時に新しく着た白色の簡素な衣装は所々が焦げて煙をあげていた。ギビルの高速移動で服の繊維が摩擦熱によって燃えてしまったのだ。
ある程度は抑えて和らげたつもりだったが、まだまだ力の制御が出来ていない様だ。
もとよりただ散歩に来たわけではない。
ギビルは焦げた箇所を軽くはたいて煙を消すと、両手をだらんと下げて全身を極めて自然体にしながら目を瞑った。
大地が大気と共に鳴動を始めた。
否、その震源は力をみなぎらせるギビル自身。
ギビルの肉体から
最初は滲むようなものだけだったが、次第にその光は全身を纏う程にまで増大していく。
光の放出が安定し始めると、それに合わさるように山も静かになった。
両の手を何度も閉じたり開いたりを繰り返し、全身をまじまじと見降ろした。観測した限りでは魔術や神秘の類では無い、強いて近いもので言うのならば超能力に部類されるだろうか。
この力に気付いたのは去年、ウルク内で誰も訓練の相手にならないと確信したギビルは体から溢れる力の漲りを向ける対象がおらず、手持無沙汰を感じていた。
そこで両親の承諾を得てうっぷん晴らしの為に遠くの山まで足を運び、そこで山が削れる事すらお構いなしにがむしゃらに体を動かし続け、幼い体に溜まった物を空っぽになるまで吐き出し、力尽きて倒れ伏した時にそれは発現した。
未知の感覚にギビルは珍しく驚いた。まさか自身の肉体にこの様な力が備わっていたとは。事前に己の肉体の潜在能力については千里眼で把握していたつもりだったが、その眼でも見通しきれていない事が衝撃的だったのだ。
まさか神々が設計段階で自分の体に組み込んでいたのか? 過去を見通し当時の神々の思考を読み取ってみたが、それらしい内容が一切出てこない。ただ、自身を組み上げている時の神々の狂気的な熱意だけはよく分かった。
神々はこの力について意図していない。いわば設計過程の偶然が生み出した産物なのである。
とはいえ、この力を千里眼と実践を併用して徹底的に調べてみた結果、自身に不利益になる様な内容ではない事ははっきりとしているし、調べていく内にこの力の多様性に興味がわいた。
身体能力の更なる強化をはじめとして、対象の破壊、凍気や雷と言った自然現象の再現、物質の具現化、果てには時空間や霊魂に干渉するものまで何でもありだ。流石にこの凄まじい多様性には驚愕と困惑を隠せなかった。
研鑽を重ね、制御方法を学んでいけばこの力はより強くなっていく。ギビルはこの力の潜在能力を完全に把握し切れていないが、しかしその未知の部分を自身に感じさせた事実は大きい。
ギビルは全身に黄金の光を纏いながら片手を自分の顔に添えた。そして……。
「ぬっ」
力を自身の中へ流し込む。
小さく呻き声が漏れた次の瞬間、その小さな肉体に異変が生じた。
神の血を示す真紅の二つの眼は色を失って視線は虚空を見据え、体が不自然な態勢で痙攣を起こし、辛うじて二本の脚で立っているようなその状態。明らかに健常な人間の姿ではない。
今のギビルは何も見えていない。肉眼に映るのは暗黒に塗り潰された世界。ギビルは今、視力を失ったのだ。
それだけではない。全身の触覚も、嗅覚も、味覚もだ。人間に必要な五感が今、ギビルの肉体から消え失せたのだ。
視界どころか全てを見通す千里眼すら閉じ、全身は麻痺して自分の体がどんな状態なのか分からず、風や自然の匂いを嗅ぎ取る事は叶わず、口の中に入る空気の感触も唾の味すら不明、更には言語機能までもが不能。
如何に常人を超越した半神半人の肉体といえども、これでは廃人寸前のそれだ。今のギビルは二本脚で立つ人の形をした肉の塊同前になりかけている。許されているのは、最後に残された思考能力のみ。
だが、これこそギビルが求めていた状況。これから行う練磨の為の前準備。その為にギビルはこの地まで足を運んできたのだ。
この黄金の力にはある特性がある。
それはギビル自身の集中力や精神力に呼応して高まる事。
更に五感を断ち、第六感だけの状態で練り上がる事で高次の領域まで増大し続ける事だ。それこそ観測していながら本人も半信半疑ではあるが、星のエネルギーを上回る無尽蔵さだ。
武術の鍛錬の様に肉体を動かすのではなく、五感を断った状態にして精神のみをただひたすらに研ぎ澄ませていく行為は言語に絶する拷問という言葉も生温い。
幸いと言うか、獣の類は今の状態のギビルに近づこうとはしないので集中して取り組めた。
それをギビルは黙々と続けていく。全身から苦悶の汗を垂れ流し、崩れ落ちそうになる脚を、尋常ならざる精神力で以て堪えながら。
人間として生きるにあたって必要な人格は構築しているが、根底にある精神力は人の域を超えている。
だが、それだけが今のギビルを動かしているのではない。
何故力を求める。圧倒的な力を他者に振りかざしたいのか?
否、抗うべき事象がある故に。
それは、千里眼が見せた可能性。
神々が試作品を作られず、完成品だけが作られた世界の物語。
与えられた半神半人の身による孤独に苛まれ、暴君となったその王を諌めるために神が生み出した泥の人形との邂逅と二人の戦い。
神々の怒りを買い、天から繰り出される神獣との戦いと、その果てに失われる泥の人形の命。
かけがえのない友を失い泣き崩れ、人類の裁定者として歩き続ける半神半人の男の背中。
日は既に沈み、夜空が支配する時間になっていた。
だがその闇の中で夜空の星々の輝きにも負けない光がメソポタミアの大地に一つある。
地上に星が輝いている。
そう錯覚してしまうほどの黄金の輝きを、幼子が全身から立ち昇らせながら岩場の中央に立つ。
失われた五感は全て戻し、真紅の色が戻った瞳は満天の星空を仰いでいた。
ギビルは星空というものが好きだった。千里眼を以てしても、その星々の放つの輝きに魅入られてしまう。
星を見上げている内は、その輝きに胸の高鳴りと憧れを抱き、その広大な宇宙の果てに無限の可能性を夢想して、自分もまだやれるはずだと励まされる。
ギビルは神々と人間との間を繋ぐ楔の試作品だ。
だが、肉体構築前に完成された魂が人間と言う存在を千里眼で観測し続けて得た今の人格は、人間のそれに限りなく近い。
人間に近づいて行くからこそ、欲も生まれてくる。
あまり遅くなりすぎては両親が不安がるだろう。
その不安が一体どういう方向に向けてあるのかまで視る気はないけれど。
ギビルは全身に黄金の輝きを纏って空を跳び、ウルクへと戻っていった。
後にギビルは自身に宿る力に名前を付けた。
人という星からすれば小さな身に内在する、大いなる宇宙に輝く星々の如き黄金の力。
翌年、ウルクの王朝に第2子が誕生する。
子供の名はギルガメッシュ。
ギビルと同じこの半神半人の子供が誕生した事によって、ウルクの歴史は加速する。
ソル○ャードリームを聴きながらシュメール文明の物語を書くというこの不思議な状況。
最初は元ネタ的にもコスモで良いかなと思ったのですが、メソポタミアの話なので思い切ってシュメール語にしてみました(楔形文字を凝視しながら
ウルク関係で色々調べてましたら12星座ってシュメール文明の時期にその原型が生まれたそうなので、その繋がりで組み込んだのがこの結果です。
di=小さい anki=宇宙(an=天 + ki=地)
これで間違っていたらもう無理くり通すしかないです。