「ん…ふわぁ…えへへ、おはよ、お兄ちゃん」
朝起きると、イリヤが隣で寝ていた。
最早慣れきった光景だ。
確かに一人で寝たはずなのにイリヤが一緒に寝ているなんて。
「え?どうして…って?昨日は、なんかちょっとさみしかったからじゃ…ダメ…かな…」
仄かにイリヤの眼に涙が溜まる。
不安な気持ちを押し殺すかのように、ベットのシーツを握りしめている。
こうなると厄介だ。昨日はとか言ってる割にほぼ毎日なのは一体どう言う事なんだ、と色々言いたい事はあるが…
なんとかこの微妙に病んでる義妹をなだめる為に、横顔にそっと手を添える。
「あ…」
髪を耳にかけてやり、そのまま手を後ろになぞらせ、優しく撫でる。
経験則からこうするのが一番ベタな選択肢だと理解しているからだ。経験上。
そして、構わないと言う旨を述べる。
「…そっか。えへへ、よかった」
イリヤは安心したのか、微かな笑みを浮かべる。
とは言え、このままズルズルとベッドで横になっていても、セラが怖いので、起き上がる。
「あ……むぅ」
イリヤが不満そうな表情を浮かべているが、気にせずに起き上がる。
部屋に戻って欲しいと言う事も伝える。
「え…?」
この世の終わりを垣間見たかの様なイリヤの表情。着替えたいからだ、とすかさず伝える。さも無いと面倒な事になる。
「あ…うん、わかったよ、お兄ちゃん。………別に良いのに」
何やら最後に小声で呟いたのが聴こえたが、気にしていては生きていけない。
数回チラチラと振り向いては、口を僅かにへの字に曲げ、名残惜しそうに出て行くイリヤを見送ると、今日も地雷を回避出来たか、と溜息をつく。
どうしてこんな事になってしまったのか、と常々思うが、自業自得な気がする上に不毛な思考故に早々に打ち切る。
着替え終わり、リビングに向かう。
起きて例にも漏れずセラから家事を取り上げ勝手にこなしつつ、口論を交わす我が兄弟と挨拶を交わす。
セラから「貴方からもシロウに言ってやって下さい!」とかなんとか催促を受けるが、家事のできない家庭内ヒエラルキー底辺の自分が士郎に何か言える訳もなく。
適当に相槌を打ち躱す、が。態度がセラの何かに触れたのか、だいたい貴方も、と矛先がこちらにも向く。
今日も平和だ。
さて、今日は休日だ。どこに行こうか…
泰山でも行こうか、などとソファーに座りつつ思っていると、イリヤがやって来る。
「おはよ〜」などと挨拶をそれぞれにするイリヤ。
こちらにも挨拶をもう一度してくる。
「えへへー、おはよっ、お兄ちゃん」
と言いつつ隣に座って来るイリヤ。
距離が微妙に近い。
セラに何か(こっちが)言われるか言われないかの距離だ。把握しきられている。
「今日はお休みだけど、お兄ちゃんはどっかいくの?」
なんてこった。泰山に行けない。
元々そんなにない予定を変更し、新都方面にでも連れて行こうか。そうしよう。
前はもっと一人で外出出来た気がするんだけど…こればっかりは、何とも。
一先ず新都方面へかな?と明かす。
「あっ…そうなんだ…。じゃあ私も一緒に行って良い?」
じゃあ私も一緒に行って良い?
疑問形の皮を被った命令形である。
断ったが最後、眼からはハイライトは消え失せ、「どう…して?」と言われ、そのまま「ひどいよ…お兄ちゃん…一緒に居るって、言ってくれたのに…」と泣きに入られる。
そして弁護士無しの裁判が開廷され、セラに殺されるに違いない。
セラから見た我が立場は底辺なのだ。
故に実質選択肢は一つしかなく。
もちろん、と答える他ないのだ、が。
「イリヤさんをまた何処かへ連れ回す気ですか?」
セラの死刑宣告が下る。
てか気にしてたのね。
いや、だから殆ど自分の意思じゃないんだって。と言いたいのをグッと飲み込み、またとは何か、ととぼける。
「な…あくまで、とぼける、と」
セラが冷たい眼をこちらに向ける。
発言権が無くなった。
「違うよ!セラ、私が無理に着いてってるだけだよ」
イリヤがセラに反論する。
無理に着いてってる自覚有ったのか。なんともはや。
「イリヤさん…!」
セラがますます冷え切った眼をこちらに向ける。何故?
「正直に言ってください、このロリコンに何か弱みでも握られているのですか?」
このヤンデレに生殺与奪を握られてるのはこっちですーーーーー
セラは家庭内の立場をフル活用しこちらに圧政を敷いているじゃないか!
しかし心に留めておく。
「お兄ちゃんはそんなんじゃないよ!」
いつになく真剣な眼と語調で反論するイリヤ。
「おいおい、二人とも、なに朝から喧嘩してんだよ」
流石に重くなった空気を察したのか、依存系義妹と立場が圧倒的に我が方より上なメイドと我が道を往く系メイドと帰ってこない義理の両親と言う、なんともカオスな家族構成の中で唯一無二と言っていい、我が心の清涼剤のこの男が口を挟む。
こういう時は空気を察せる男。
「セラ、ちょっとヘンに考えすぎじゃないのか?イリヤが別に悪い事された訳でも無いんだしさ」
士郎のターン。確かにそうかもしれない、とセラは押され気味になる、が
「それにしても、距離感が近過ぎでは!?」
「気のせいだろ?気にし過ぎだって」
察せない男だったか。
いや、察されても困るような気もするが。
そして我関せずとばかりに黙々と一人勝手に朝食を食べているリズ。
貴女のそのゴーイングマイウェイっぷりは見習いたい。
そのまま士郎とセラが完全に二人だけの世界に入ってしまったので、無事に追求を切り抜ける事に成功した。
イリヤに出かけないで家でのんびりしてよう、と伝えようとするも、イリヤはもう出かける気なのか、少々浮ついている。
ふむ。
どうしようもないので外に出る。
取り敢えず朝食摂ってから。お腹空いたし。
ーーー
「お兄ちゃん、あのさ…」
などと道中頬を朱に染め、言葉を濁しつつ言うのは、手繋いで欲しいのサインである。
昔はよく自分から手を繋いできたというのに、一体なんなんだ。
ちなみに無視すると「えっ…」と呟いたかと思うとその場に呆然と立ち尽くし、瞳孔が狭められ震える瞳がこちらに向けられ続け、「イヤ、いか、…な、いで…」などと消え入るような声が聞こえ始める。
手をほどいてもそうなる。
どうしてこうなった。
お兄ちゃんはそんな風に育てた覚えは…覚えは…ない。ないったら無いってば。
現実から眼を逸らすのも程々にして、ほら、と手を繋ぐのだが、そのままイリヤは腕を絡める。
まだイリヤが小さい頃はなんとか微笑ましい光景で済んだかもしれないが、今となると冷や汗モノである。
えへへ、とにこやかに実に幸せそうな表情を浮かべるイリヤ。こういう時はかわいい。心の底からそう思う。
新都に着くも、何をしようかなんて決めていない。ゲーセン…は却下。
この歳の子を連れてくにはちょっと。
てかこの時代何あるの?
映画…今何やってるか知らない。却下。
なんとなく答えが予想出来るが、イリヤに何処に行きたいか聞いてみる。
「え?うーん…私は、お兄ちゃんと一緒なら別に何処でもいいかなー」
あらま、手のかからない事。
イリヤは本当に何処でも良いのだろう。
でも今はどっか行きたいとこ言って欲しかったなー。思いつかないし。
泰…は方向も違うし辞めとくとして…そうだな、うん、偶には甘いものでも良いか。
そんな訳でファミレスにやって来た。
向かい合わせに座れば良いものを、自然な流れを作り上げ、隣に座って来る。
ひと昔は店員からの眼も、あらあらうふふ仲良いのね位だったが、心なしか眼が冷たくなって来たような気がするので、最近通報されないか心配になる。
パフェを二人分注文する。
イリヤが提案していた大きいの一つを別ける、というのは財布に少しやさしい提案だが、必然的に店員からの眼が痛いのは目に見えているので、いいや、大丈夫だよ、から始まり兎に角頑張って地雷を踏まぬように説き伏せ先手を取って注文する。
少々不機嫌になったようななってないような、という微妙なさまだが、ここまでは誤差の範疇。
だと思う。
ーーー
まあ、店なんでね。何事も無く食べ終えましたよ。割とTPOは弁えてくれるのよね。基準が不明だが。
…まだ時間あるな。
と言っても、他にやる事も無いからその辺をゆっくり彷徨く位だけど。
我ながら良くもまあこんな事を、と思う。
何処かで止めなきゃいけない、そんな事はわかっている。
義理とは言え妹だ。
軽く依存してるのはお前に責任があるだろう?と自嘲する。
所詮甘える相手が居ない、だから精一杯甘やかした。
セラもリズも居るし、なんなら士郎も居たから大丈夫だとは思ったんだけどなぁ…
うーん…
でも、今ならまだ、この頃独特のアレで終わらせる事が出来る筈だ。
でも、隣でこうやって幸せそうに笑ってるイリヤを見ると、もう少し、もう少しこのままでいいかも知れない、と思う。
イリヤは他の世界に眼を向けてれていないだけ。
ひょっとしたら、きっと、誰かに恋をするかもしれない。そうすれば、このはしかの様なモノも終わるだろう。
それまでは、まだ、いいかな。
「…お兄ちゃん、どうしたの?」
イリヤの紅い瞳が此方を見つめている…。
どうも長考に過ぎた様だ。イリヤがこちらの様子を疑問に思ってしまった。
そういう時は、なんでもないよ、と空いている方の手で頭を撫でてやる。
「あ…そっかー」
うん、取り敢えず気をそらす事には成功した。この方法を取る度に何か肝心か何かをド忘れしている様な気がするけど、気がする位だから大した事はないだろう。
「…お兄ちゃんってさ」
おや?
「その…す、好きな人とか…居たり…するの?」
む、違ったか。
だがしかし好きな人とな。どういう意味だ…と聞きたいが、恐らくは学校で、とかそこら辺の類だろう。
…けれども、そんな事考えた事も無かったので、正直にそう伝える。
「!…本当に?」
無言で頷く。
「そっか、そうなんだ…」
と言ったっきり何か伏し目がちに何かを考え始めた。
………もしや墓穴か?嘘でも居るって言った方が良かったか?
いやでも、こんな事に初めて嘘を吐くと言うのも中々に屑のような所業だと思うので、しないが。
…無言で家までの道を歩いて行く。
今さっき帰ると決めた。
その間、ずっとイリヤは無言だった。
珍しい事もあるものだ。
嵐の前の静けさに違いない。
そうこうしてる内に、アインツベルン邸…自宅が見える路地に差し掛かる。
イリヤに声をかける。このまま行くとね、色々とね、怖いからねー。
「ほぇ!?あ、そっか、もう着いたんだ」
随分とまあかわいらしい声を上げて驚く。
イリヤは手を離し、先に行く。それにこちら側もついて行く。
セラは…家か。
「ただいまー」
「お帰りなさい、イリヤさん」
「お帰りー」
ナチュラルに省いた人が居た気がするけど、慣れたので平気です。
む?士郎は部活かな?休日なのにまあ。
…と言う事は桜ちゃんはフラグ建築士を落とす作業に入っているのかな?
きっと良いお嫁さんになると確信している。頑張れ。
「…イリヤさんに何かしてないでしょうね?」
してません。
もう、セラったら過保護なんだからー。
「……まあ、良いですけど」
今日は比較的やさしい方だった。
うむ。このまま平和で安らかな穏やかな日が続きますように。神にそう祈らざるを得ない。届くかはわからない。
士郎が帰って来るまでの間、何してようかな…勉強でも
「お兄ちゃーん!一緒に視よー!」
と言われたのはマジカルブシドームサシちゃん。勉強するから、と断ってもリズも視るから大丈夫そうな気もするが…
そうだな、一緒に見るか。勉強はしてもしなくても同じだ。
ちなみに士郎が帰って来るまで一話と半分くらいだった。
ーーー
夕食も食べた。
明日も平和な一日が訪れますようにーーー
「お兄ちゃん…まだ起きてる…?」
ノックの音。
おっと、今日は最初っからか。
ドアを開ける。
「あ、良かった、まだ起きてた…」
さて今日は一体どんな理由が飛び出るのかな?
「特に…理由は無いんだけど、一緒に寝ても…ダメ、かな?」
そう来たか。雷、怖い夢見そう、寂しい、不安、色々有ったがとうとう理由が消失したぞ。頼むー!アイリママ!早く帰って来てくれ!ください。
断る理由もある事にはあるが、セラにはバレないよな?バレると折檻)と思いつつ中に入れる。
ホッとしたような溜息が聴こえる。
ベッドに入り横になる。
「おやすみ、お兄ちゃん」
おやすみー。
…溜息を吐きたいのはこちらの方だ。
隣で心の底から安心しきった妹の寝顔を見ながら思う。
現状の維持を図っている節が我が方にはあるのではないか?と脳内会議を始める。
だとしたら、このまま益々イリヤの依存が深まるのでは?とりかえしのつかない所まで行ったらどうするつもりなんだ、主に両親への対応。
いくら考えてもコレだ!となる妙案は出なかった。
そう思いながら眠りについた。
お兄ちゃんの明日はどっちだ!