◆◆◆
視覚的に
およそ半日で"撒き餌"に引き寄せられたブルファンゴの数は、彼らの両手で数えるには足りないほどに達していた。撒き餌から罠(手動)の陣を組んでいたとはいえ、予想を超える数に対して、ハインツはもちろんヒューイですら疲労の色がにじみ始めていた。しかし、気を抜けば命にも関わるモンスターへの対処。一匹一匹への対応は至極丁寧に行われ、腹を空に向けて眠りこけるブルファンゴの山が続々と出来上がっていく。稀にその山の中にはモスが紛れ込むこともあるが、それも誤差のうち。
順当にブルファンゴを捕獲され、眠りこけているうちに最終的には森へと還す。二度ほど二匹同時にブルファンゴが現れた際は流石に彼らの肝を底冷えさせたが、そこは少女ハンターの腕の見せ所。麻酔弾と手投げ式の麻酔玉を器用に使いこなすと、たちまち小型の牙獣を深い眠りへといざなってみせた。想像以上に少女ハンターの手際が良かったのだ。
そんな根気のいる作業を終えた書士隊一行。何度もブルファンゴの突進を受け止め続けた
「また機会があれば、ご贔屓にー」
そんな別れ際の挨拶を最後に、期待以上の活躍を見せてくれた少女ハンターへ多少の礼金と報酬をギルド越しで支払う二人。報酬に目を輝かせて去っていた少女を見送ると、彼らはゆっくりと総括に入った。
「さて。撒き餌は十分すぎるほど効いていたみたいだね」
ハインツが述べると、ヒューイも同意するように首を縦に振る。
断片的な答えは、はじめからある程度示されていた。
ただそれを鵜呑みにして相手へ突きつけるには、書士隊という人種はあまりにも回りくどいやり方を選択せねば気が済まなかったともいえるのか。
「明らかに採れすぎって話だなァ」
急激な"生産量"の増加。
表向きの聞こえは良いものの、この大陸の交易路は限りなく陸に依存しているというのが共通認識だった。それもモンスターがところどころ闊歩する世界である。大抵の町や村は周辺に険しい山がそびえていたり、丘があったりと難攻不落の立地も良いところ。人とモンスターの境界線がどこかに必ず存在するのだ。
ならば。生産――供給に対する消費はどこに存在するのか。
一つはスターレ全体で。もともとの目的が自給自足なので当然とも言える。そんな村から町へと成長を遂げたスターレは、更にそこから糸状に広がる繋がりを、交易という形で他の村や町へと伸ばしていた。
だがしかし、ハンターの活躍で安全な陸路が開拓されつつあるとは言え、各拠点を繋ぐ線はあまりにも細長い。おまけにキャベツは常温保存に向かないし、鮮度が命の生鮮食品ときている。いくら交易の糸が伸びたとしても限界があるのだ。
膨張する生産量に対して、消費の限界は遠からず訪れていた。供給が消費に対してオーバーフローを起こせば、残った余りは切り捨てられるのが常。つまるところ、ハインツが農家の老人から受け取った、型落ちのキャベツが答えの一部でもあった。
「
「町長の苦肉の策で、余ったキャベツは肥料に回していたらしいね。でも、土壌で分解されるうちに
「有能なのか無能なのかわからないのニャー」
「まるで君みたいだ」
「ニャ?」
五感に響くのが視覚でなければ、聴覚や嗅覚。
ニンゲンの何十、何百倍と敏感な嗅覚には、余計にそれが響いてしまったのだろう。初めに相対したモスをはじめとして、やけにモンスターが興奮していたのも、ニンゲンの嗅覚ではわからないほどのアブラナ科の刺激臭が山や森にまで及んでいたから――と、言うのが彼ら二人が考え出した答えだった。
「でもさ、証明したところで解決策なんてあるのかい? さすがに生産量を減らせなんて言えないだろ」
「贅沢な悩みってとこだよな。でもそーさなァ。不用意に生産量をコントロールしようとするのはナンセンスだしよ」
「恵みは受け入れてこそだニャー」
過剰生産がもたらすのは、なにもブルファンゴだけじゃない。供給過多における市場市場の変動。卸売価格の下落が引き起こる。豊穣の恵みのはずが、恵まれすぎても良い結果に転がらないとはこれいかに。
「要はどう対応するか、だね。手っ取り早いのは、キャベツの消費先が増えることなんだけど……」
「こいつは俺でも食いきれんしなぁ。採れ過ぎちまったもんはしょうがねぇよ」
彼らの座る椅子の目の前には、今回の件の発端となったキャベツがころりと、黄緑色の艶を輝かせながら転がっている。
「それでも破棄するにしたってさ、処理を間違えればまたブルファンゴを呼ぶことになるんだぞ。今はまだ
畑の被害だけであればまだ良いほうだ。これが人里まで降りてきて、人的被害にでも繋がってしまえば、それこそ取り返しのつかない事態になってしまう。
そうなると、もはやハンターのみでの対処が追いつかなくなるのは時間の問題。
町の安全のために建てられた警鐘が、畑から自らへ降りかかる恐怖により鳴らされる日が来るなんてのは、冗談で笑い飛ばせる事実でもないのだ。
「ふふん、心配すんな。そこで名案があるっ」
そこで妙に自信ありげなヒューイの発言に、ハインツはあまり良い予感をしないで耳を傾けた。
「名案?」
とりあえずハインツのレスポンス。言うだけ自由なのは何処の世界でも同じだ。聞くだけ聞いておくのも良いものだ。
名案。もしもそれが本当ならば、今後のスターレの明暗が分かれる。下手な意見だったら脇腹を小突いてやろうと頭の隅で考えていると、ヒューイはしたり顔で、
「それはな……」
と、意味ありげに呟いて――
◆◆◆
今でこそまん丸の黄緑色にまとまった球体。そんな姿を彷彿させるが、そこに至るまでいくつもの困難があったことか。
キャベツ。アブラナ科・アブラナ属の多年草。
「参加大歓迎、スターレのキャベツ祭り……」
お世辞にも上手いとは言えない、キャベツらしき絵が書かれた
キャベツといえば、あのキャベツ。それも良質なキャベツ生産で有名なスターレのキャベツ。きっと美味しいに違いない。そんな風に想像が膨らむくらいには、スターレも名の知れた名産地だった。
口の中でヨダレが滴るのを、その見えない表情の中で必死に隠していると、見慣れたクセ毛の青年が近寄ってきたことに気が付く。
その気配に対して人知れず彼女は気まずい雰囲気を、さらに表情の奥へと隠そうと密かに努力した。
「や。こんな昼間から呼び出してごめん」
首元のよれきった麻のシャツに、下半身は工房謹製のグリーンジャージと、やけに中途半端な格好をした姿のハインツが声を掛けると、リィタは何事もなかったかのように会釈する。
「あ、それ拾ったんだね」
「うん。ドンドルマ中でアイルーが配り回ってて。……ミエール君もいた気がする」
リィタの持つ紙切れの存在に気付いたハインツは、少しだけ自信ありげな顔を見せた。
「この絵、ハインツさんが描いたもの?」
「正解だよっ! よく分かったね。やっぱり僕の絵だって分かるほどには、味わいというものが滲み出てきたのかな?」
「……え? ……はい、まあ(あまり上手じゃないからって言うのは、言わないでおこう。メンドクサそうだから)」
リィタの言葉がお世辞だと気付かないハインツは、彼女の持つビラを見て酷く満足げに笑ってみせるのだが、その表情も徐々に暗くなっていく。
それがヒューイの語る名案の結果だというのだから、ハインツとしても気が気でなかったからだ。
「この前スターレまで少し足を伸ばしてね。その結果がこれなんだ」
「……知ってる。私はその間、謹慎してたから」
「う……。そ、そうだったよね」
リィタの発言に、ハインツは少しだけ場の雰囲気が重たくなるのを感じる。が、それは彼女側も同じだった。もちろん表には出さない。こんな事を言いたかったはずではないのだと、彼女も常々感じているのだ。
暗い話題に持っていくのは避けたかったハインツは、なんとか明るい話題へ持っていこうと話を続ける。出会い頭にマイナス方面へ気持ちを持っていかれては、たまったのものではない。
「それ、その
「じゅる……あ」
「じゅる?……つまり、消費を外に持っていくんでなくて、外から来てもらうことにしたのさ」
「……消費?」
いつもの癖で話をしたハインツだったが、そこで事情を知らないリィタの頭上からクエスチョンマークが浮かび上がるのは当然だった。
慌てて訂正しようと、彼は喋りたがりな己の口を片手で塞ぎにかかる。
「ああごめんっ。こっちの話だ。今日はそんな話しようと思って来たわけじゃないんだった」
「……ん。そこで切られると、逆に気になります」
中途半端に話し始めたハインツも悪いのだ。すでに、リィタの謹慎明けの好奇心には、僅かばかりだが火がついてしまった。退屈しのぎの話題供給を、表情を崩さないまま物欲しそうな目で彼に訴えかけている。
ここで話してしまおうか悩むハインツだったが、無言で突き刺さる少女の碧眼は、思わず彼に話をさせたくなってしまう輝きを持っていたのも事実だった。やがて観念したようにハインツは口を開くと、
「……これがまた困った話でね。いや、僕らは消費の手段を考えていただけのにさ――」
◆
「祭りだッ!」
「……今、なんて?」
ヒューイの発言に対して思わず空いた口が塞がらなかったのは、およそ一週間前のハインツ。
「祭りだよ。フェスト、フェスタ、マハラガーンッ! 楽しい楽しいお祭りだ」
「いや意味は知ってるよ。だけど何が祭りなんだ? もしかしてブルファンゴ祭り? だったら笑えないぞ」
冷静に考えてもヒューイの言っていることに理解が追いつかなかったハインツは、いよいよ脇腹をランスのごとく小突いてやろうと指先の力加減を始めていた。
しかし、ヒューイはやはりニンマリと人懐っこい笑顔を浮かべると、勢いよく言葉を舌上に乗せ始める。
「消費の限界なんて贅沢だって話だよ。むしろこの町はまだ伸びしろがある。これからもっともっと大きくなってもらう。そのための祭りだ」
と、断言。何かしらのレスポンスを返そうとハインツも言葉を挟もうとするが、構うことなくヒューイが続ける。
「まずは宣伝が必要だ。この供給過多なキャベツの消費先、交易の細い繋がりだけじゃ勿体ねえ。むしろ、消費しに来いよってなァ」
「君が何を言いたいのか、まだ理解できないんだけど」
「まぁ話は最後まで聞けって。現状ではたしかに限界があるだろうに。だがな、そりゃ対価が必要だからだ。要するに金、ゼニー」
「そりゃそうだろう。苦労して育てた作物だ。そこに対価はあってしかるべきさ」
「そう。だから、祭りの日はタダにするっ」
「……んん? 今、なん」
「タダ。NOゼニー。無料でキャベツを提供しちまうわけよ」
ここでようやく、ハインツはヒューイの意図する場所が見えた気がした。それでも素直に飲み込むことはできなかったし、これから何を言い出すのか心中穏やかではなかった。
「……つまり、集客を図るってことなのか?」
「正解だッ! ……でもな、今は無理だ。この町な、強みがキャベツ以外全く無いからなッ!」
「うげ!? 声が大きいぞっ。町の人から袋叩きにされたいのか?」
ハインツの予想通りに過激な発言が飛び出したが、ヒューイは気にせず言葉を続ける。
「だから俺の知識をフル活用させてもらう。……伊達に食べ歩きしてきた訳じゃねえってとこ、お前にも教えてやんよ」
「拾い食いの間違いじゃ?」
「くっくっく。細かいことは気にするな。キャベツまんじゅうにキャベツクッキー。キャベツケーキもありだなァ……。とにかく、あらゆるアイデアから作り出すキャベツの加工品で、
人懐っこい笑みは、いつからか怪しい悪人面のソレになっていた。むしろ、そのアイデアの品こそ食してみたいという、彼の願望の表れとも言えるだろう。
この方法で消費をオーバーフローから引き戻し、正常化させる。健全ながらも賭けに近いキャベツ事業のさらなる拡大を、このヒューイという男は提案してみせたのだ。
こんな突拍子な話を、これから報われているようで報われていない不憫な町長に話に行くと思うと、ハインツも気が気でないというものだ。
そして結果として、この案が採用されてしまうなどとは、彼としても予想外の出来事だったのが余計に。
◆
事の顛末を、かくかくしかじかと話し終えたハインツは、未だ拭いきれない引っかかりがある様子を残したままブツブツと呟いていた。
「くそ本当に。まさか採用されるなんて。あの時のドヤ顔、少し腹が立ったなあ」
「ハインツさん?」
「あごめん。これもこっちの話」
なんとか気持ちを切り替えたハインツは、一週間前の自らの思考から、目の前で話を黙って聴いていたリィタに向けて現実の焦点を合わせる。
「なんとなく、わかった。じゃあヒューイさんはまだスターレに?」
「ありがたくないことにね。町中の人たちを総動員して、あいつの願望を形に変える作業に移っているよ。まったく言い出しっぺはあいつなのにさ、こっちに戻らないもんだから代わりに事後処理――書士隊のツテを渡ってビラを作ってもらったり、配る手配までしたりと、骨を折る羽目になったんだっ。はあ、これお土産ね」
遠い目をしながら短いようで濃い日々を振り返るハインツ。そんな彼が手渡すのは小さな白い紙袋。
書士隊の青年がやけに不機嫌な理由の一端を知ったリィタは、ポンと手渡された袋の中身を覗くと、
「……これ、クッキー?」
と、中身を確認した。クッキーはクッキーでも仄かな黄緑色が目を引き、かつ優しい匂い彼女の鼻孔を掠める。
「キャベツクッキーって言うらしい。悔しいけど、これがまた美味しいんだ」
「……いい匂い。あとで、いただきます」
クシャリとハインツの手が自らのクセ毛を掴むと、彼の言いようのない気持ちの捌け口となる。今回の案は、少なくともハインツには出せなかった対応策とも言える。別に競争しているつもりはないが、それでも一本取られたという気持ちがあったのだ。
「ヒューイさんらしい答えだね」
「まったくだよ。まあ、町一つ巻き込もうなんて豪胆すぎるとは思うけど」
キャベツクッキーの仄かな甘い香りのおかげなのか、いくぶんか鉄面皮の薄らいだリィタの淡い碧眼は、ハインツの灰色の眼へと向き直る。
「私も、一緒に行ければ……」
「謹慎が解ければ行けるさ。センセイもそこまでオニじゃない。むしろ君には甘いトコあるし」
「……」
少しだけのリィタの表情は暗くなる。また場の雰囲気が重くなりかけるのを感じ取ったハインツは、ここで切り出すしかないと思った。それが今日、彼が彼女をこの場に呼出した最大の理由でもあったからだ。
「つまり何がいいたいのかって言うと、僕らには足りてなかったものがある」
「足りてないもの……実力?」
「そんなもの一朝一夕で身につくわけないだろ? もっと現実的に。作戦会議だよ。ご飯でも食べながら、次の調査に向けて作戦を練るのさ」
その内容は、常日頃からリィタがハインツに対してボヤいていたように、簡潔に締めくくられていた。
「作戦……」
「僕が囮になるのはナシの方向ね。まあその、まずはね。反省会をしたいんだ。この前の渓流の話」
まさかヒューイの提案した食事に誘う、を実践するだなんて。ドンドルマ不在の彼に対してハインツがやけに不機嫌だったのは、これも一つの要因。
「お互いにスッキリしないと思ってさ。あのとき、こうすればよかったなんて話は女々しいのかも知れないけど、僕は必要かなって。だからご飯を食べながらでも話をしよう。……ついでに愚痴も聞いてくれたりすると嬉しいんだけど」
一通り言いたい言葉を並べ終えると、期待と不安の入り交じる顔色で、ハインツの正直な気持ちを伝えた。そして、
「……ハインツさんが言いたいことは、なんとなく分かりました。でも愚痴は、長くなりそうなら聞きたくない、かも」
素直なのは、リィタも同じようだった。
「長くならないように善処するよ」
考え悩むようにリィタは視線を空に向け逸らすと、一拍おいてもう一度ハインツに向き直る。
「でも。私も必要だと、思います。次は絶対、守るために」
「……毎度仕事熱心で関心だよ。でも、そうと決まれば今日は僕の奢りだ。パーッと話して、次の調査に備えよう。次こそ
「――っ、……うん」
その瞬間だけ、妙にあったよそよそしさという壁が薄らいだ気がしていた。久々に明確な感情を乗せたリィタの一言は、ハインツにとって酷く心地の良いものだったからだ。
◆
人はそれをキャベツと呼んだ。
今でこそまん丸の黄緑色にまとまった球体。そんな姿を彷彿させる言葉だが、そこに至るまでいくつもの困難があったことか。
キャベツ。アブラナ科・アブラナ属の多年草。
成長に伴い葉が丸くまとまり、結球して成長していく。
その中でも選ばれた品種が名乗ることを許される、いわゆるブランド名というもの。
その織りなす葉の層は、数々の農家の夢や挫折、理想や苦悩の歴史が積み重なり、ようやく完成にまで至った軌跡の
歴史に染み込んだ血と汗と涙。文字通り努力の結晶。
多少、収穫時期にブルファンゴが顔を見せるようになるのは、その恵みがいかに豊富であるかを裏付ける証拠ともいえる。
最高のみずみずしさと食感、歯触りは、食べた者をいっときの至福へと誘う。
「一応僕のおすすめはサイコロミートと付け合せの――」
スターレでのブルファンゴ被害件数が減ったのは、また少し先の話。
つづく
キャベツ編、これにて終了となります。
個人的に大苦戦の回でしたが、ひとまず書き終えて満足です。
ちなみに真偽はわからないのですが、サイコロミートはブルファンゴの肉だそうです。なのでこんなタイトルにしてみました。
次回もゆるりとお待ちいただければ幸いです。
10/5追記 最後のハインツとリィタの会話シーンですが、ちょっとだけ修正入れました。
10/19追記 更に修正しました。なんかもういろいろ変えたりして長くなってます。予定文字数越えてました。
2020/9/7 更に更に修正しました。