ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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視線の先に見据えるものは

 陰りを見せた薄紅と群青の空、ミエールはただ見上げるのみ。自称ご主人に向けてだ。

 

「にゃーご主人?」

「っ不味いマズイぞマズいったらまずいぞ……っ!」

 

 既に沈む一歩手前の夕日はハインツに向けて焦りを煽り、その結果が冷や汗という明確な形となり噴出させる。

 ウィンブルグが合流し得なかったという事実。この意味が示すもの、ひいては調査に多大なる支障をきたすことは考えずとも頭に浮かぶ。事態の深刻さを示すようにハインツの顔色もすっかり青ざめる。

 

「にゃーご主じ――」

「ああどうしよう。今から後を追うか? だめだ暗すぎるし距離もある。もしも入れ違いになろうものなら笑えもしない。だったらどうすれば――」

 

 押し寄せる波のような独り言の数々は、彼の不安の表れとも言える。焦りにより加速し続ける思考は、内部からの情報の整理に固執していき、やがて外部からの情報を意図せず遮断(シャットアウト)してしまう。

 

「に――」

「じゃあどうする? ここで待つか? いや物資はほとんど竜車の中。今ある携帯食料でもつのか? 足りないなら現地調達? 水だって? こんな訳のわからない環境のものを? 口にする? できるのか?」

 

 すでに冷静とはかけ離れた頭の中で、知りうる限りの現状を繋ぎ合わせようと必死でもがく。それは本能的な行動以外の何ものでもなく、彼の思考は今まさに直情的な判断に向けて直進する。サバイバルの絶対的禁忌に土足で踏み込んでいるようなものであった。

 

「こんな時どうする? どう教わった? 何を、どう――どうすればいい!?」

 

 

 その波を振り払うかの如く、凛とした一声が放たれる。

 

 

「ハインツさん――ッ!!」

「は――はいっ!? あ……どうか、したのかい。まだ具合が?」

 

 声の主はリィタ。

 彼女らしからぬ一声に目を点にさせながら、ハインツは口を半開きにしたまま数回まばたきをする。そしてこれまで回転し続けていた彼の思考は一度小休止する。

 

「どうかしたもなにも。落ち着いて。今のアナタじゃ人のこと、言えない」

「いや僕は、その……そう。冷静じゃなかった」

 

 リィタの言葉は事実だ。何かを言いかけるハインツの言葉。それが放たれる前に先の思考の波を振り返ると、彼は発せようとした言葉を失っていた。俯きながら開きかけた口が閉じられる。

 

「にゃー、イライラには甘い物、ハチミツはいかがニャ?」

「それは……いらないな」

 

 頼れたはずの熟練ハンターを待つうちに、徐々に不穏な気配を感じ取り始めたハインツは、しびれを切らして手慰みの考えに耽っていた。しかし過ぎる時間とともに考えれば考えるほど不安が募り始め、ある一点を境にして焦りが一気に彼の心を支配したのだ。

 焦りを引き立てたのは周囲を覆い始めた闇の気配。暗くなれば活動範囲も狭まり、心理的にも閉塞感を感じさせる。自分を見失いかけていた。

 

「考えるのは、別に良い。でもまずは目の前のことから、だよ」

「君の言うとおりだ。不甲斐なさを感じるよ。こんなことで取り乱すなんて」

「そうだね」

「はあ、フォローもなしか。情けない」

「ハインツさんだし仕方ない」

「酷い言われようだ……でもそうだね。目が醒めたよ」

 

 実際問題、今の状況は好ましくない。

 無理やり笑顔を取り繕うと、ハインツは俯きかけた顔を上げる。視線に乗せた感情は、もうひとりの頼りになる護衛ハンターに向けて。安心と感謝、そして羨望と少しの嫉妬。褪せた紅と深い青の入り交じる空間でも、彼女の碧眼は映える。

 

「これで貸し借りナシ、だね」

「……はは。そんなふうに思ってたのか」

「おいらはご主人が頑張って考えてるって知ってるニャー」

「はいはいありがとう。お前も少しは考えてくれたら――いや、無い物ねだりはやめよう。今あること、分かることで考えよう」

「うん」

「ニャー!」

 

 すっかり帯びていた熱が引いたのを確認すると、ハインツはゆっくりと思考を再開した。

 

「ひとまず。ハインツさんもミエール君も、そして私もちょっとだけ疲れてる。幸いここなら雨風は凌げる。休むのも仕事、そう言ったのはハインツさんだよ?」

「明日になったらヒゲの旦那(だんにゃ)もいるかも知れないニャー」

「そうだね。希望的観測だけど、そうなると良いと僕も思ってるよ」

 

 リィタの提案を否定する理由は何処にもない。

 村でも比較的大きい家を仮拠点に据えると、本日の宿とする。荒れ果てた村とは言え、外敵に襲われた形跡はなく、ひとまず羽を休ませる場所としては一定の評価を下せると言えよう。一人減ったことによる夜間の見張り人員の問題。無警戒という訳にはいかないが、この負担を軽減できるならば、元は他人の家で気が引けたとは言え活用しない手はない。

 

 

「うん。明日に備えて、ね」

 

 

 そしてまた、一夜が過ぎる。

 

 

 

 

 幾年もの年月の中で育まれてきた雄大な自然に身体は溶けていき、感覚は肉体を飛び出した先の全体像を捉えて離さない。

 現場主義が物を言うハンター家業。順調であろうとも予想外があろうとも、常に刻一刻と進み続ける秒針の中で適切な判断を仰ぎ続ける。迷うのは自由だ。しかし、考えるのを止めれば――たちまち大自然の掟、摂理に飲み込まれてしまうだろう。弱肉強食の絶対的な現実が立ちはだかるのだ。

 

 だから彼女は常に考え続けていた。

 ただし、彼女の傍らに立つ青年とは全く異なるスタンスで。

 

 彼女はハンター。

 

 そして、彼は書士隊。

 

 そんな二人が相対するのは、荒れ果てた村の一角。猫はいまだ呑気にイビキを立てている。

 

「先に上って、根本の解決を図るべきだと思う。もう大体の見当はついてる、そうでしょ?」

 

 真っ直ぐな眼差しで、困惑の表情を浮かべるハインツを見据えるのはリィタ。見えない圧力を背負いながら躙り寄るようにハインツとの距離を詰めていき、彼女の輝く碧眼は彼の灰色の瞳ただ一点に向けて見開かれている。

 

「そりゃあ……候補くらいはね。でも君一人で事に当たるのは早計すぎやしないかい。ウィンブルグさんを待つべきじゃ?」

 

 対するハインツは、強い気組みで迫るリィタを諌めるべく言葉を選びながら頭を回す。今日も今日とて青の装い(アシラシリーズ)で身を固める彼女の、アオアシラ顔負けの威圧感は彼の肝を冷やさせる。

 ここで押し負ける訳にはいかない。情報の収集こそが安全を確立するための最短ルートだと考えているからだ。

 

「そんなことない。ハインツさんは少し慎重すぎる。ウィンブルグさんは時間通りに戻らなかった。なら、ここからは現場の判断」

 

 しかし、すでにリィタの背には大剣が軽々と背負われており、調査続行の意を全身で指し表している。この流れをハインツは知っている。

 

「たしかにそうかも知れないけど、僕には慎重すぎるくらいが丁度良い。焦る必要はないだろう? これは昨日今日の出来事じゃない。そりゃ物資は心もとないけど、少し待つくらいなら……」

 

「でも、この村の人達は故郷を失っている。それをずっと昔の話かもしれないから、見て見ぬふりをする。そう言うの?」

 

「そ、そこまでは言ってない。リィタさんをみすみす危険な(フィールド)に黙って送り出せるほど、僕も落ちぶれちゃいない。書士隊として、もう少しだけ確実な情報がほしいところなんだ。こらえてくれ」

 

 いつだって彼女が動くのは、自分のためではなかった。あのナーバナ村のときも、村人を案じての勇み足だったのだ。そして今回もおそらく同様。

 

「書士隊として根拠が必要? なら、大丈夫。ハインツさんのことは信頼してる。私が証明する」

「……身に余る光栄だね。こっ恥ずかしくなるくらいだ」

「もう少し、自分に自信を持ったら?」

「それができれば苦労してないよ」

 

 ナーバナ森丘と同じ、彼女の勢いに押し負けてしまった形だ。しかしそれも、彼女の実力を考えればありえない選択肢ではない。信頼されていると言われて悪い気もしなかった。

 仕方なしにと、ハインツは今回の考えを簡潔にまとめることにした。

 

「待ってましたニャー!」

 

 そしていつの間にやらミエールは目を覚ましている。制限させたはずの蜂蜜舐め(モーニングハニー)に洒落込みながら。

 

「お前も……はあ、もういい。候補ね」

「うん。できたら簡潔に」

「う。じゃあ単刀直入に」

 

 いつものこれは仮説だから――の下りを省くのは、彼のポリシーに反するものの、聞き手のリィタは砂漠のような長話は御免だという雰囲気が溢れ出ていた。話し出せば内容など饒舌に飛び出る。そこをぐっとこらえて、ハインツは今出せる答えを口にし始める。

 

「おそらく上流にいるナニカは、自然現象ではなく生物によるものだ。強い毒性を持つね。で、毒の途切れる間は、そいつが移動していることの証明と考えても良い。そして、そいつらは水辺を好む。通常種のモンスターなら水辺なんて水分補給や少しの水浴び程度だ。だけど、僕らの見た川の変化は約二時間以上も続いた。総じて今の情報から当てはめるとすれば、そいつは外敵がいるから毒を浴びせかけるような種族ではなく、ただいるだけで毒を垂れ流しにする傍迷惑(はためいわく)なやつってこと。そこまで考えると、候補はかなり絞れてくる。つまり――」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ハンターと書士隊。持ちつ持たれずの関係は必ずしも平等ではない。

 

 数刻前。

 ついに彼女は飛び出していた。

 

 後方で身を隠す青年を一瞥して。彼女の中にある答えを以って、縦貫する青の方向に抗いながらひたすらに。

 

 聞こえるはずのない怨嗟の声が少女の中で残響していた。

 その叫びを胸に、ただひたすらに前を見据えるリィタ。

 

 身体は軽くもなく重くもない。拍動する心拍は体内から直接耳へ叩きつけられるように響く。

 

 彼女はバスターブレイドとは異なり、特徴的な刀身の根本が大きく横に広がった愛剣、守りに重点を置いた鉄大剣・センチネルの柄をそっと撫でた。

 

 

 

 紫水獣(しすいじゅう)・ロアルドロスを見据えながら。

 

 

 

 




次話から久々の戦闘シーンです。書けるか心配です。

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