ハインツのモン/ハン観察日誌   作:ナッシーネコゼ

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休日の終わり

 ハインツの胸内は、ただただ安堵感に満たされていた。気が付けば、彼が我慢して猫を持ち支え続けていた右腕の発疹は引いており、彼に訪れた心の平穏を分かりやすく示してさえいる。

 しかし、一難去ってまた一難。だが心に不安や焦りはない。今度は、彼としても望むところであったからだ。

 

 このドンドルマ書士隊支部内では、今まさに一触即発の彼らが向き合っていた。戦場(リング)となる木製の丸いスタンドテーブルを挟み合いながら、若き書士隊ハインツ、ヒューイ、アンリがそれぞれに抱えるのは今回の得物。書士隊における至高の武器でもあり命の次に大事な物、情報・成果である。

 

 つまり、現地調査組の醍醐味とも言える自慢話(・・・)が幕を切って落とされようとしていたのだ。

 

「ということでリィタチャン、立会人頼むよー!」

 

 何がということで、という顔をするリィタであるが、彼女もすでに観念した様子。不意打ちでアンリの言う"とっておき"とやらを拝まずに済むのだ。心の準備が出来るだけマシというもの。ある意味、就職先としては勝ち組も良いところの彼女の隣でちょこんと座る猫も、興味津々という様子でスンスン鼻をひくつかせていた。

 

「結局面倒事に……。ううん、もういい。じゃあ、最初は誰から?」

 

 リィタの口火にいち早く反応した男は、一番槍とばかりに意気揚々と声を上げる。

 

「もちろん俺! 実はずっと見せてやりたい気もあったんだが、森での武勇伝を語りたい気持ちも抑えられず……」

「……もったいぶらずに、早く」

「焦っちゃ駄目だぜリィタチャン! しかし、ふっふっふ。今こそ見せてやろうじゃない。この、俺の、成果をっ!」

 

 リィタとヒューイの温度差は明白である。

 しかし、お祭り男ヒューイは何のそのと、後生大事そうに抱えていた大袋をテーブルに叩きつける。その中身は、度重なるお裾分け(バラマキ)により配り終え、空っぽになっていたかに思えた。しかし、袋の底からはハインツらが今まで感じたこともないような、異様な雰囲気を放つ"何か"が、見えないながらも存在感を漂わせていたのだ。ニタリと笑うヒューイは袋の底に手を伸ばし乱暴に掴みかかると、天を仰ぎつつ机にソレを召喚した。

 

「見よ、この現実とは乖離した造形、大自然の神秘とも言える! これこそ俺が出会った幻の特大特産キノコっ! 通常の三倍大きい赤い特産キノコ(毒入り)をッッ!」

 

 彼の大仰な口上とともに現れるのは、まるで絵本の中に登場するような禍々しい色をしたキノコ(?)らしきものであった。現れた物に対して書士隊二人の眼光はすぐさま光る。

 

「おお……! 僕には赤じゃなく紫に見えるけど、これは特産キノコの突然変異体かい?」

「トゲ付いてるし、見るからにまずそうねえ。毒ありますって色してるじゃない」

 

 まじまじとテーブルの上に置かれるキノコらしきものを見つめるハインツとアンリの二人は、見たままに感想を述べる。

 簡潔に造形を語るとすれば、禍々しい紫と赤の瘢痕模様に、キノコ傘には先端の鋭い棘が付いた、まさにキノコと呼べるかも怪しい代物であった。

 そして、何よりハインツが驚いたのはそこではない。

 

「おうっ! 縦に裂けるから大丈夫かと思ったんだが、案の定もちろん毒入りだったぞ! 食ったら三日発熱して帰還が遅れた」

 

 食べかけだったのだ。

 

「こいつバカな奴だニャー」

「これは大当たりだろー! なんせ"絶対に食べてはいけませんリスト"に載る予定だからよー!」

 

 嬉々として語るヒューイは、これまで幾度となく現地の食材を採集してはドンドルマまで持ち帰っていた。自称グルメを語る彼の舌は、気になったものは必ず一口は食べて確認するという、危険極まりなさすぎる主義を持つ男だったのだ。

 しかし彼のおかげか、特にここ数年のキノコ図鑑は目覚ましい更新頻度を誇っている。項目が"毒キノコの副作用"でさえなければ、もっと素直に褒められるところなのだが。

 

「当たったのは君のほうじゃないかっ」

「はっはっは! 上手いこと言うじゃねーか!」

「どうして喜ぶのよ!?」

 

 ドンドルマ書士隊内では、密かにヒューイがいつか出先で食中毒により命を落とすのではないかと、笑えない冗談が広がりつつあった。同僚としての二人も、毎度釘を刺してはいるものの、懲りずに奇行とも呼ぶべき行動を続ける彼に半ば呆れた様子だった。そんな二人の気も知らないで、ヒューイはたいそう上機嫌な様子で、幻と謳われた巨大な特産キノコを丁寧に袋に直すと、お次は誰とばかりに鼻を鳴らした。視線は――例の問題児だ。

 

「あら、あたしはトリでも良かったのだけれど?」

「心の準備はできてるからな!」

「なによそれ」

 

 決してアンリと言う女性が悪いわけではない。厄介なのは、向けた対象に対する感情があまりにも大きすぎる点だった。時に膨れ上がりすぎた感情――つまり彼女で言う憧れ(・・)は、周りを見えなくさせていたのだ。

 

「じゃあ遠慮なくいくけど、う、うふふふ……っ! これがっ、密林で見つけたっ、愛しのっ、キ・リ・ン・サ・マ、のタテガミ(一本)よっっ!!!」

 

 不気味に笑うアンリの追うとある生物(・・・・・)こそ、未だ書士隊の中ですら謎多き存在、幻獣キリンそのものであった。

 アンリは手袋越しに、風も吹かない屋内で銀色になびく美しい一本を掲げて見せる。警戒気味にテーブルから距離を離していた書士隊二人とハンター一人は、やや拍子抜けした様子だ。

 

「おお……思ったよりまともな物が出てきたぞ」

「つか毛の一本程度、普通じゃね」

 

「普通とは失礼ねっ! この貴重なサンプルっ! これは新たな発見の一歩なのっ! そして今度こそ見つけてみせるわっ! 幻のその生態系、隅々まで暴いてみせるんだからっ! うっ、うふ、うふふふ……っ!」

 

「アンリさんは相変わらずそう、だね。でも所構わずモンスターのフンを採取するのはやめたほうが良い。女の子として」

「ニャー」

 

 アンリのとある生物こと"幻獣キリン"のものと思われるタテガミの一本に向ける視線は、恋する乙女のソレであった。

 

「よく判別できるよね……というよりも、それってホンモ――しびッ?!」

「おわかりいただけたかしら? タテガミ一本にも僅かな電流が残っているの。これをキリンサマのものと言わずに何というのよ?」

 

 ハインツの疑う間もなく、アンリは銀色に光る一本のタテガミを一瞬、彼の手に掠めさせる。それだけで毛に蓄積されていたと思われる電流が、ハインツの手を弾けさせたのだ。静電気のような生易しいものでない。タテガミ一本とは言え、かのキリンの一部は取扱い注意の危険物なのである。

 

「正気か?! 一声くらいかけてくれよ!」

「でも信じたでしょ? これだけの帯電性と蓄電性の両方を兼ね備えてるのは、キリンサマを置いて他にいないわ!」

「わかった信じる! 信じるから目の前でそれを振り回さないでくれ!!」

 

 ハインツの目の前で銀に光る毛を振り回し、弁を振るうアンリは研究者としての熱意は本物なのだが、いかんせん周囲との温度差が生じやすい。

 なまじ見た目が清楚なお嬢様風なのも相まってか、書士隊内でも裏で危険人物の一人として数えられてしまっている。

 

「酷い目にあった……そしたら、僕が最後だね」

「ハインツは森丘と砂漠に行ってたんだったか?」

「ああ。砂漠の件は……置いておくとして、僕のはケルビの求愛行動を描いたスケッチだ。ちょうど手元に戻ってきたし、ぜひとも見て欲しいな」

 

 ちらりとリィタの横でくつろぐ猫を一瞥したハインツは、猫と一緒に今まで抱えていた、やや表紙の厚紙が歪んだスケッチブックを取り出した。森に忘れ雨ざらしになっていたものの、猫の気遣いからか、気にしなければまだ使用できる状態で保存されていたスケッチブック。

 思い返せば猫がわざわざ届けるなどと、奇妙な話もあったものだ。猫に対する苦手意識(いやなきおく)が先行する一方で、頭の冷えた彼はついぞ思い返してみる。これこそ、副次的なものであるが面白い情報ではないかと。

 

「ほーあの警戒心の強いケルビをか。人前にゃあ滅多に見せないってのに、よく描けたもんだなー」

「ハインツって変なとこで我慢強いのよね。で、早く見せてよ」

「もちろん……よし、開くよ――それ!」

 

 これでハインツの猫に対する苦手意識も少しは減るかもしれない。結果良ければ全て良しとも言うのだ。

 

 そして彼は、スケッチブックをまくる。

 

 のだが。

 

 

 

「……?」

 

 いくらしばらくハインツの手元を離れていたとは言え、肌身離さず持ち歩いていた必須道具なのだ。慣れ親しんだ手の感触が、まくるページを間違えるはずがない、とハインツは直感で悟っていた。

 しかし現実問題、まくったページは彼の見覚えのないものであった。

 

 いや、見覚えはあるのだ。彼が描いたクロッキー、デッサンの類の痕跡は確かに存在した。だがしかし、それは大きく形を変えていたのだ。

 

 同じく当時、現場に居合わせたリィタもまくられたページを覗き込む。

 

「これ、獣人族の文字? でもこのページ、確かハインツさんがケルビを描いてた――」

 

 

「……」

 

「……ニャー」

 

「こ――!!」

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 行きつけの揉み屋帰りのウィンブルグは、普段から着込む赤の鎧を脱いだ軽装で書士隊支部に訪れていた。

 

「ラッセル殿、失れ――扉の前で何をしているのですかな?」 

 

「ほう、ウィンブルグか。なに、面白そうな催しがやっているから、少々のぞき見をな」

「何やら白熱していましたな。のぞき見なんてせずに、素直に表へ出れば良いでしょうに」

「ワシが出たら皆改まってしまうじゃろうが」

 

 ラッセルの詰める書斎から離れたラウンジでは、猫と若き書士隊ハインツの追走劇(おにごっこ)が繰り広げられていた。その賑やかさに目を惹かれたウィンブルグであったが、若者の輪に入るには少々気が引ける年齢を少しばかり悔やむところ。時代の風を感じつつ、ウィンブルグはまっすぐに、ドンドルマ書士隊を束ねる長に向かい足を運んでいたのだ。

 

「思い出しますな。アーサー殿が健在の頃は、こういった光景も珍しくはなかった」

「そうじゃな。今では王都勤務も増え、外へ出る者もずいぶん減ってしもうた。別にギュスターヴの奴が悪いとは言わんが、時間は進むものじゃ」

 

 書士隊も時代とともに新しい風が取り入れられ、そして吹き、通り過ぎていく。かつてのジョン・アーサーが行方を消して七年と経った現在。当初はアーサー派とロン派の二大派閥が火花を散らしていたが、すでに大局は決しつつあった。かつての栄光は年月とともに、"ただの過去"へと変遷を遂げつつあったのだ。

 

「して、なにか用かのう?」

「ええ。例の砂漠にいたドドブランゴの件で、追加で報告に参りました」

「追加? ほほう、なにかのう?」

 

 ウィンブルグの言葉を聞くと、好々爺の瞳は鋭く光った。

 

「単刀直入に言いますぞ。例のドドブランゴ、G(クラス)、もといそれに比肩するものだった……と、思われるのである」

 

 静かに落とされた言葉に、ラッセルは少し考え込む様子を見せる。

 

「……ほう? この件、ハインツやリィタには?」

書士隊(あなたがた)特有の確証を持った話ではない。あくまで、我輩の経験上の話なのだ。幸い彼らが直接交戦することはなかったから、知らせていないのである」

 

 瞳を細めるラッセルは、眼前にいたって真顔なウィンブルグを見据える。ラッセルが第一線を退く束の間、最後の護衛ハンターとして傍にいた男の進言だ。疑うはずもなかった。

 

「お主の経験を信じようではないか。で、なにからそう感じた?」

「動いてる彼奴を間近で見た――では、納得してくれないのであろうな。出会ったときこそ、すっかり痩せ縮んでおりましたが、万全の状態であればかなりの脅威であったでしょう。それにレクサーラの情報提供元、失敗こそすれ、あれも中々の手練でありました」

 

「ふむなるほど。で、お主がワシに言いたいことは――」

「ええ。雪山に、ドドブランゴ(アレ)を支配者から追い落とすほどの"ナニカ"がいる、もしくはいた事に。北へ出向いている者たちは?」

 

 ウィンブルグの進言に、ラッセルは各地に点在する書士隊の行方を思い出そうと頭を掻く。

 

「えーと、誰じゃったかのう?」

「ジョナサン氏、スタンレイさんの二名ですね。すぐに知らせを出しましょうか?」

 

 すぐさま答えるのは秘書の女性。ドンドルマ書士隊の居場所を網羅するのは概ねこの女性でもある。

 

「そうじゃったな。異変があれば向こうから文が来るじゃろうが、念を入れるとしようかの。……それと情報が確定するまで、しばらく北への探索は省くとするかの。あとは――」

 

 念入りの一言は静かに零され、ウィンブルグの普段から滲み出ていた笑みも釣られて消える。

 

 

 

「――リィタにはくれぐれも、悟られぬように、な?」

 

 

 その瞬間から好々爺の雰囲気は、いつの間にか鳴りを潜めていた。

 

 

「……承知したのである」

 

 たとえ引退したとしても、第一線を調査し、そして生き抜いてきた生ける伝説。それがラッセルという名の男だ。その傍らを一瞬でも経験したことのあるウィンブルグは、その言葉の意味を十分に理解していた。

 しばしの間、書斎には沈黙の時が流れる。扉越しから響くのは、未だに続く猫とハインツの追走劇。若干ハインツが疲れているのか、先ほどよりも激しさはない。

 

「……にしても、ハインツは色々と"持ってる"もんじゃのう」

 

 静まり返った場の流れを変えようとしたラッセルの雰囲気は、普段の背中が丸い好々爺のものに戻っていた。ウィンブルグもいつの間にか強張っていた自身の表情を和らげると、適当に言葉を投げ返す。

 

「吾輩もそう思いますよ。彼はきっと、この先苦労しますな」

「羨ましい限りじゃ。しかしワシもまだまだ捨てたものではないのう。己の目の良さを褒めてやりたいわい」

 

 獣人族の文字の解読は近年進みつつあるが、それでも解読書が片手にないとその場で読み解くのは難しい。それこそ、今の書士隊支部内で唯一ひと目見ただけで意味を理解してしまう傑物は、ラッセルの他存在しなかった。

 

 その場でラッセルにしか識りえない情報は、彼に猫のハインツへの感謝の気持ちと、その義理堅さを評価するのに最高の一言でもあったと言える。

 

 

「さて。あの猫の処遇、どうするとしようかのう」

 

 

 

 あとは描くページを間違えさえしなければとラッセルは思いつつ、柔らかい笑みを浮かべていた。彼と猫が顔を合わせたのは一瞬であったが、その絶妙な間の悪さは、あの猫特有のものなのかもしれない。しかし、ハインツの"持つ"()というものは、きっと彼にとって悪いものではないのだろう。

 

 スケッチブックに乱雑ながらも丁寧に、その想いが綴られた言葉は一言。

 

 

 

『ありがとう』

 

 

 

 

                              つづく

 




ドンドルマ編(?)、これにて終了です。
世界観やキャラの深掘りがちょっとでもできればと思い書いてみました。
次回からは渓流編予定です。期待せずにお待ちいただければと思います。

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