ホーエンハイムたちへ攻撃を放とうとしたお父様を、兵士の放った銃弾が遮る。
「撃て撃て撃てェーーーーッ!!」
ヒューズ中佐の指揮する東方軍と、マイルズ少佐の指揮する北方軍が一斉にお父様へと発砲する。
「皆さん、一度離れて!」
「うお、ロス少尉!」
ロス少尉やブロッシュ軍曹を含めた兵士たちが、エドワードたちを誘導した。
ひとかたまりにならないように、皆が散らばる。
「ブルー隊急げ!!ホワイト隊は西棟の影に!」
「反撃の隙を与えるな!!」「アイサー!」
鉄砲、ライフル、手榴弾、果てはグレネードランチャーまでもちだし、四方八方からお父様を取り囲む。
しかしお父様は尚も涼しい顔でそれを防いでいた。
その間に、マーシュが記憶を無くしていると説明を受けたオリヴィエがその切れ長の目をシパシパと瞬かせる。
「は?え?なに?記憶喪失?」
オリヴィエは少し逡巡した後、ツカツカとマーシュのところに歩いていき、声をかけた。
「……マーシュ。私のことは覚えているか?」
「え?だれブヘェッ!!」
オリヴィエはマーシュが言い切る前に顔面を殴る。そしてその表情を一切変えずにもう一度同じ質問を繰り返した。
「私のことは覚えているか?」
「し、知らなへぶっ!!」
「思い出すまで聞くぞ。私のことは覚えて」
「姉上ッ!どうかそこまでに!」
「今そんな場合じゃないですって!」
「黙れ、こちらのほうが最優先事項だ!!」
アームストロング少佐とバッカニア大尉がオリヴィエの腕をそれぞれ押さえつけるが、それに構わずマーシュを噛み殺しそうな勢いで暴れまくる。
頰を抑えたマーシュは怯えながらエドワードの陰に隠れた。
エドワードが小さいので全然陰に収まりきれていないが。
「おーおー、せっかくカッコつけてたのに……」
その様子を見て苦笑するグリードのもとに、ランファンが降り立つ。
「若!……なんだグリードカ……」
「あんまり露骨にガッカリすんなよ、ちょっと傷つくぞ。……爺さんはどうした?」
「爺様は怪我しタ。大事をとって、休ませてル」
「そうか。ランファン、最終決戦だ。お父様を全力でぶっ倒す。
……やれるナ?」
「! ……はイっ!!」
こちらでは、離れたところでエンヴィーが様子を伺っていた。
「アレ、お父様か……?ヤバ気じゃん」
「エンヴィー!」
「うぇっ、マスタング大佐……!」
「乱戦状態で誰かに成り代わられると厄介だ、中尉、ここで仕留めるぞ!」
指を構えるマスタング大佐へ、エンヴィーは慌てて両手を大きく振る。
「まっ、待て待て待って!!そっちと戦う気はないって!」
「そうやって騙し討ちか?芸のないことだ」
そこへヒューズ中佐がやってきて、マスタング大佐の肩を叩く。
「あー、ロイ。一応エンヴィーが俺らを助けてくれたのは事実だ」
「……何?」
「俺も信用したくはねーがな。こいつはこっちのほうで見張っとくから、お前さんはお父様のほうへ」
「……お前がそう言うなら、任せたぞ」
お父様のほうへ向かうマスタング大佐の背中を見て、エンヴィーが不機嫌そうな顔になる。
「……何それ、アッサリ退いちゃって。お前の友人を殺しかけたやつだぞ?放置していいのかよ!なぁおい!」
「信じてほしいのかほしくないのかどっちなんだよお前は……」
マスタング大佐へぎゃんぎゃんと喚くエンヴィーを尻目にヒューズ中佐が呆れていると、視界にハボック少尉に連れられたラストとグラトニーが入った。
「うお、殺し屋のねーちゃん!」
「あらヒューズ中佐。安心しなさい、私は味方よ」
「いや、それは聞いてるけどよ。身構えちまうっての」
ラストがヒューズ中佐に微笑みかけるが、ヒューズ中佐は肩を押さえながら少し後ずさる。過去でもラストは同じような微笑みのまま刺してきたのだ、警戒しても責められはしないだろう。
「……エンヴィーも
変身もせず、ヒューズ中佐に攻撃する素振りも見せないエンヴィーを見て、ラストが意外そうな顔をする。それに対し、エンヴィーは目を逸らして舌打ちした。
「ハ、何ソレ意味わかんない」
髪をかきあげ、側にあった瓦礫にどっかと座るエンヴィー。
そして、頬杖をつきながら人間たちがお父様へ攻撃するのを眺めるのだった。その目に、様々な感情を宿らせて。
「アル!?どうした!?」
「こんな、時に……ダメだ、あと少し……あと少しだけ……」
イズミと共にいたアルフォンスが、突然ガシャンと膝を折り手をつく。イズミが呼びかけるが、声は届いていないようでうわごとのように「まだ」「もう少し」と繰り返していた。段々と目の光を弱らせながらもその鎧の体を震わせ、地面についた手を握りしめる。
何を思ったか、突然イズミが鎧の兜を両手で思い切り叩きつけるように挟み込んだ。
くわぁーんと甲高い音がして、アルフォンスの意識が覚醒する。
鉄を全力で叩いて、イズミの両手も無事ではないはずだが、それでもイズミはアルフォンスの頭を両手でしっかりと抑えたまま、その目の奥を覗き込んだ。
「目ェ覚めた?しっかりしなさい、アルフォンス。あんたがいないとエドがまた無茶するわよ」
「は、い……!ありがとうございます、
アルフォンスは駆け出していく。
「……破門したっつってんでしょうが。ホント、バカ弟子だよあんたら」
イズミが頭を掻きながら、苦笑する。だが次の瞬間には顔を引き締め、血が流れ出るその両手を合わせた。
「削れ削れー!」
「攻撃を途切れさせるな!途切れたらさっきの司令部を吹き飛ばした衝撃波がくると思え!!」
すでに小さな町なら瓦礫の山に変えられるほどの、無数の銃弾や砲弾や錬金術がお父様へと放たれていた。しかしそのどれもお父様には届かない。全て等しくお父様の周りで霧散してしまう。
「人間ごときの攻撃では傷一つつけられんぞ」
「人造人間ならどうだ!
グリードがお父様の死角から硬化させた腕を叩き込む。
その腕は霧散はしなかった。代わりにお父様の体へと飲み込まれている。
「いいところにきたなグリード。賢者の石を貰い受けよう」
「ぐ、おおぉぉぉ!!」
繋がった部分からグリードの賢者の石がお父様へと吸い取られていく。必死に引き抜こうとして焦る表情を見せたグリードが一瞬、口角をあげた。
お父様が咄嗟にグリードを解放して賢者の石の吸収をやめる。ほぼ同時に、ラストの
バチィと甲高い音が鳴って、爪がお父様の目前で止まる。ギリギリで防護壁を間に合わせたらしい。
「チッ、ダメか!」
「……親不孝な子らよ」
「グラトニー、あなたも早く攻撃を──」
ラストがお父様へ攻撃しながら、横に立っているだけのグラトニーを注意する。グラトニーは顔をうつむかせたまま、声をあげた。
「ねぇラスト。やっぱり、お父様、殺さなきゃダメ?」
「! グラトニー、この期に及んで何を……」
「だって、おでもラストも、グリードもエンヴィーも、プライドもスロウスもラースも、皆お父様に作ってもらった!お父様がいなかったら、おでたち皆、生まれてない!」
グラトニーがその白い目を瞬かせながら、拳を握りしめる。
今その頭の中では、今までの記憶を思い返しているのだろう。親というものがどういうものかはわからない。しかし彼にとっては、自分という存在を作ってくれた人。ラストという存在を作ってくれた人。今まで自分に食事を与えてくれた人なのだ。感謝こそすれ、恨みは全くない。
「ッ……、それは、その通りだけど……」
「おで、お父様に、死んでほしく、ない」
「それ、は……」
ラストもそれきり押し黙ってしまう。
もっと大きい愛情で塗り変わってしまったものの、ラストも最初はお父様に感謝し、そして親愛していたはずなのだ。
いや、そのことも全てわかったうえで寝返った。
だが、グラトニーの発言を押し切ってお父様を攻撃するのは、憚られた。それはグラトニーの感情を否定することになるから。
ホーエンハイムが、お父様へと攻撃しながらも二人のそのやり取りを横で見つめていた。
マスタング大佐の爆炎がお父様を包む。
その火力・命中精度・飛距離・連射力・コストのかからなさ。焔の錬金術はこの場で最もお父様のリソースを削るのに貢献していた。
巻き込まれない距離から銃では狙うことも難しい人間一人分の大きさに、そこらの重火器など目ではない火力を毎秒放っているのだ。
兵士たちもその強さに軽く引いていた。
他の錬金術師たちも、焔の錬金術ほどの殺傷力はないにしても、武器や火器を錬成し、お父様を一斉に集中砲火する。
「……近づけやしねぇなこりゃ」
「お前は……」
グリードが白けた目でマーシュの隣に立ち頭をガリガリと掻く。
マーシュのグリードへの認識は、「他の人間と立ち位置が違うっぽい」ということしかわかっていない。
「お前は、記憶失っても仲間を守ったんだな。……ちぃっとだけ羨ましいわ」
「……お前のおかげだ」
遠い目で呟くグリード。マーシュにその言葉の真意はわからなかった。だから、ただ今わかっていることだけを伝えた。グリードもマーシュをここへと導いた一因だ。グリードの言葉がなければマーシュは、ここにいなかったかもしれない。だから、その事実だけを口に出した。
グリードはマーシュの言葉を聞いて、何が面白いのか、がははと笑ってマーシュの肩を叩いた。
錬金術師たちの攻撃が、お父様の障壁に何度も何度も阻まれる。
しかし一文字に結ばれたまま動かなかったお父様の口が、初めて苛立たしげに噛み締めた歯を見せた。
ほんの一瞬だ。
錬金術師たちと兵士たちは急拵えの連携で、間断なくお父様へと攻撃を放ち反撃の機会を削いでいた。しかし不運なことに、一瞬だけ皆のインターバルが重なってしまった。
マスタング大佐が次の爆炎を放つまでの間。エドワードやアルフォンスが手を合わせる間。兵士たちのリロードや、銃撃を外してしまった間。
その一瞬で、十分だ。今のお父様にとっては。
「危ない!!」
お父様から弾けるように衝撃波が発生し、周り全ての人間を吹き飛ばす。
例えるなら全方位への風の砲弾。身を晒しているものは皆等しく後方へとその身体を投げ出される。
衝撃波を食らった者、壁に叩きつけられた者、飛んできた瓦礫にぶつかった者、兵士たちは一瞬で戦闘不能に陥る。運良くまだ動けそうな者たちも、瞬きの間に兵士を壊滅させられるお父様の力を見て、戦意喪失しかけている。
しかしその者らの間から、なお瞳に闘志を燃やしてお父様へと走り寄る者がいた。
「兄さん!」
「おう、いくぞアル!」
「俺も良いとこ見せないとなぁ!」
間一髪で防いだホーエンハイムと、ダメージを受けない体のアルフォンス、そしてアルフォンスの陰に隠れ耐え凌いだエドワード。
三人の足元から岩の拳が飛び出しお父様を殴りつける。
お父様もそれに呼応するように足元から巨大な掌を出現させ、それらを叩き潰す。
アルフォンスがお父様の足元に錬成した槍をお父様へと投げつけ。
エドワードとホーエンハイムが、牙を持つ獣を岩で錬成しお父様へ突っ込ませた。エドワードのほうはどこだかの部族のトーテムポールにでも使われそうなデザインだが。
「エドワード、もう少しセンス磨いたらどうだ?」
「てめーにだけは言われたくねー!」
軽口を叩くホーエンハイムに、エドワードが吠える。ここでエドワードがお父様の様子に違和感を覚える。こちらが軽口を叩く余裕があるのだ。たった三人、ホーエンハイムがいるとはいえ、今のお父様なら問答無用で消し飛ばせるはずなのに。
「気づいたかエドワード。アイツ、そろそろ限界が近いぞ」
お父様は、先ほどの全方位攻撃でこの人間たちの足掻きを終わらせるつもりだった。そのためにかなりのリソースを消費してしまったのだ。
先ほどと同じ攻撃をすればもう身体が保たない。だからエドワードたちと同じ土俵の錬金術──それでも十分過ぎるほど常識外れの威力ではあるが──で相手をせざるをえなかった。
規格外の錬金術師三人と、理外の存在との戦いは熾烈を極める。
お父様の横に十数門の砲台が現れ、エドワードたちを狙い撃つ。
ホーエンハイムが巨大な壁でそれを防ぎ、エドワードとアルフォンスがその壁に手をつくとお返しと言わんばかりに大砲や剣や槍やボウガン、果ては鉄球のついたモーニングスターまでが一斉にお父様へと放たれる。
しかしお父様の前の地面が大きく跳ね上がり、それを防ぐ。同時にエドワードたちの背後の地面も同じく跳ね上がった。まるで開いていた本を畳むかのように。ページの継ぎ目にいるのは、もちろんエドワードたちだ。虫を叩き潰すがごとく、エドワードたちの前後から岩の壁が迫り、そのまま挟み潰される。
一瞬の静寂の後、直立していた岩壁がその形を巨大な拳に変え、お父様へと振り下ろされる。しかし拳はお父様に当たることなく障壁で粉々に砕けた。残った腕の部分が二つに裂ける。中心にはホーエンハイムが腕を広げて立っており、裂けた岩の腕はそれぞれが剣の形を成してまたお父様へと振り下ろされた。
剣もまたお父様の障壁によって砕かれ、粉々に砕けた岩の欠片が舞い上がる。そしてお父様が横へと視線を向けると、吹雪のようにそこへ勢いよく降り注いだ。その向かう先は、エドワード。
お父様の死角へ走って移動していたエドワードがギョッと目を剥き咄嗟に壁を錬成する。しかしお父様が腕を軽く上げると、岩の吹雪はその軌道を変えて壁を回り込み、エドワードの横から襲い掛かった。
「いぃっ!?」
しかしエドワードの逆側を走っていたアルフォンスがお父様の足元に棘を錬成して攻撃する。障壁によって防がれるが、岩吹雪はお父様の制御を離れたのか、その勢いを失って地へと落ちた。
お父様の周りの地面が獣の牙に似た形を成し、お父様へと噛みつく。しかし牙はねじれるようにひとまとまりになり鞭の形へと変わり、周りのホーエンハイムもアルフォンスもエドワードも巻き込むようにお父様の周りを一周し薙ぎ払った。
アルフォンスが吹き飛ばされるが、ホーエンハイムが錬成した土の手により受け止められる。
エドワードだけが、体を屈めて間一髪かわすことに成功する。
体が小さくて助かった、と一瞬頭の中に浮かんだ気持ちをブンブンと頭を振って追い払い、エドワードがお父様の背中へと錬成した槍を放った。
槍はお父様に当たる寸前で砕けたがその瞬間、お父様の顔に血管が浮き出て、お父様が目を見開く。
ビキリ。
そんな音が響いた。
エドワードがその様を見て、咄嗟にもう一本槍を生み出しお父様へ投擲する。
飛んで行った槍は障壁に阻まれることなく、お父様の脇腹を貫いた。
「通った……!!」
「限界だ!!奴はもう、神の力とやらを抑えていられない!!」
アルフォンスとホーエンハイムが好機とばかりにエドワードとお父様のもとへ駆け寄る。
「あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「マ、ズいッ……!!」
しかしお父様から三人へとエネルギーが凝縮された光の奔流が放たれる。中央司令部を吹き飛ばした先ほどの攻撃ほどではないにしろ、それはエドワードやアルフォンスを消し飛ばすには十分過ぎる威力だった。
「がっ……」
「兄さん!!」
ホーエンハイムが咄嗟に二人の前へ出るが、その衝撃を全て防ぐことは出来ず────アルフォンスとエドワードごと、飲み込んだ。
「石……石……賢者の石ィ……ヨコセェッ!!」
お父様のその姿に先ほどまでの余裕は全くなく。お父様がエンヴィーを、ラストを、グラトニーを順に見る。その目は飢えた獣のようで、生への執着しか浮かんでいなかった。
「……ほら、息子なんかじゃなくて、ただのストックとしか思ってないじゃん」
ぽつりと、エンヴィーが呟いた。
一瞬だけ気絶していたらしいエドワードが眼を覚ます。
しかし体が重くて動かない。もしや致命傷を負ってしまったか、と焦るが、どうやら何かがエドワードの体におぶさっているらしい。
ぐ、と首を持ち上げ、それを見る。
「……ア、ル?」
エドワードの上にいたのは、エドワードへと届くはずだった衝撃のほとんどをその身で受け止めた、アルフォンスだった。鎧の下半身は吹き飛んでしまったのかなくなっており、残った上半身も今なおガラガラと崩れて、その形を保てなくなっていた。
「────勝てよ、兄さん」
その言葉を最後にアルフォンスの鎧の目の光が消える。
ガシャリと音を立て、鎧が崩れ切った。崩れた鎧の内側から、錬成陣が姿を覗かせる。
アルフォンスの魂を鎧に繋げていたはずの錬成陣は、半分に割れていた。
「……アル?アル、おい、アル!!アルフォンス!!」
錬成陣が描かれていた割れた鎧の破片を握りしめ、エドワードが叫ぶ。
だが、そこから声が返ってくることはなかった。
血が出るほどに破片を強く握り、エドワードが歯を食いしばる。
そして喉が枯れるほど叫びながら、お父様の元へと駆け出した。
「このっ……バッカ、ヤロォーーー!!!」
「……う……いって……」
お父様の衝撃波により気絶していたマーシュが目を開ける。
ふ、と前を見ると、そこではグリードが膝をついていた。
しかしその腹部には大きな槍が突き刺さっている。
錬金術師のうちの誰かが錬成していたものだろうか。
グリードの位置はお父様とマーシュの間。先ほど話していた時とは変わっている。
マーシュはその理由を理解した。衝撃波によって飛んできた槍から庇ったのだ、マーシュを。
「お、おい、お前!!」
「あ"ー、騒ぐな、死なねえよ俺は。んなことより先にやることあんだろうが」
グリードが口から血を流しながらも、親指で後ろのお父様の方を指し笑う。死なないというのは強がりや見栄ではないようで、バチバチと音を立ててグリードの傷は塞がっている。マーシュはそれを確認して、走り出したエドワードのほうを見て。
「……ああ!!」
両手を合わせ、足を勢いよく踏み下ろした。
「ヨゴッせ……ッ!?」
一番近いラストのほうへと近づこうとしていたお父様の足が、落とし穴にハマったかのように地面へめり込む。
ほぼ同時にそこにエドワードが辿り着き、拳を振りかぶった。
マーシュが指を突き付けながら、エドワードに向かって叫ぶ。
「ぶ ち か ま せぇッ!!」
「おおおおぉぉぉりゃああああぁぉぁ!!!」
エドワードがその腕で、お父様の顔面を全力で殴り飛ばす。
足が固定されているお父様は、その場で体を仰け反らせることしか出来ない。
足を踏みしめ、エドワードが更に拳を繰り出す。
まるでこの国の人間の数だけ殴るのかと思うほどの気迫で、何回も、何十回も、殴り飛ばす。
「いけ、エド!!」「やっちまえ、チビ助!」「頼む!」「頑張れ!!」「エドワード!!」「「お願い!」
衝撃波で吹き飛ばされた周りの人間たちが、最後の力を振り絞ってエドワードを鼓舞する。声が届くたびにエドワードの拳に力が更に入る。
お父様がなけなしの力を振り絞って反撃しようとするその拳を、下から浮き上がった泥が防ぐ。捻って避けようとするその体を、泥が捕える。
そしてまた、エドワードの拳がお父様の顔を打ち抜いた。
「ありゃ、ぷっくはははは!!ダッサ!」
いつのまにかグリードの近くへと来ていたエンヴィーが、槍の突き刺さったグリードを見て楽しげに嗤う。
槍で死にはしないものの、槍が長すぎるためか自分で抜くことが出来ず、槍が刺さっているため硬化して槍を折ることも出来ずと、仕方なしに刺さったままでいたのだ。
しばらくして充分笑ったのかエンヴィーは、不満げな顔で黙って嘲笑われているグリードの槍を引っこ抜いた。
ぐえっと変な声を漏らして、槍が刺さっていた穴が再生されひとつため息をつくグリード。
「なぁエンヴィー。お前も同じか?」
「はぁ?何がさ」
「欲しいもんだよ」
再生されて、傷ひとつなくなった穴を一撫でしてグリードは呟くように言う。
「……俺が望んでやまなかったのはな……アイツらみたいな、仲間だった。さっきようやく、わかった。……わからされた」
「フン、バーカ。
────今頃気づいたの?」
エンヴィーが見下したように笑い、それに応じてグリードもがははと笑う。側から見たその様は、軽口を叩き合う兄弟のようで────いや、二人はまさしく兄弟だった。二人にしかわからないものを、今共有し合って、今ようやく、兄弟になったのだ。
「お父様……」
そしてラストとグラトニーは、お父様が殴られているのをただ見ていた。
加勢もせず、裏切りもせず。もう、どうすればいいのかわからなくなっていた。
「ア"ッ、あああ"アア"あアア"ア"あ"あ"あ"!!!」
最後の力を振り絞ったのか、お父様からまたも衝撃波が放たれ、暴風が吹き荒れる。
先ほどのような威力はないものの、至近距離でそれを受けたエドワードがたまらず吹き飛ぶ。
「ぐ、あっ……!」
衝撃で飛ばされるエドワードを、誰かが抱きとめた。
エドワードが明滅する視界に捉えたのは──。
「ホーエンハイム……」
「決着をつけてくる」
エドワードを優しく地に下ろすと、ホーエンハイムはゆっくりとお父様の元へと歩き出した。
「ホーエンハイムゥゥゥゥ!!」
もはや形振りも構わず両手を広げ、ホーエンハイムへと掴みかかるお父様。それはもはや攻撃とも呼べなかった。
ホーエンハイムは動かず、ただ立っていた。
その表情は、憐憫、だろうか。
少しだけ、悲しそうな顔でお父様を見つめ。
一歩踏み込んで。
「お父様!」
お父様の胸を、ホーエンハイムが地から錬成した拳が貫いた。
「終わりだ、
「……ア……」
お父様の胸に空いた穴は再生しなかった。
お父様がその穴を手で抑え、震える。
「あ……やめろ……やめろ……!!戻りたくない、あそこには、戻りたくなっ……」
賢者の石が尽き、神を体に抑えることが出来なくなれば、その体は真理に飲み込まれるだろう。数秒後には、それが始まる。お父様は直感的に理解し、そして狂乱した。これは、避けられない事象だ。どう足掻いても、ここで終わってしまう。お父様の身体は、力は、ここで尽きる。そのはずだった。
ホーエンハイムが、その手でお父様の胸に空いた穴に触れるまでは。
「な、にを……している……!?」
お父様が驚愕の声を漏らす。放っておけば消えるはずの自分にわざわざ干渉しようとしているのだ。意味がわからなかった。
「お前もやろうとしたことだろう?俺の一部になれ、フラスコの中の小人」
「正気か!?」
淡々と告げるホーエンハイム。しかしその言葉の内容はとても理解できるものではなかった。
「もともと俺の血から作られたんだ。容れ物としては最適だろう?」
「そんな、ことを言っているのではない!!何故、こんな────」
言い切る前に、お父様の中の何かはホーエンハイムへと飲み込まれた。
「ホーエンハイム……。まったく理解出来ん。私を体に宿すことの意味を、わかっているのか?」
ホーエンハイムの中。
精神世界のような場所。
そこにお父様はいた。
その姿はエドワードに似た男の姿ではなく、小さな球。黒いもやのようなその球に、目と口が浮かんでいる。
それは、
そこで相対するホーエンハイムは、お父様を見据えて口を開いた。
「
だけどな。お前は俺に名前をくれた。知識をくれた。
そのおかげで、トリシャに出会えた。アルフォンスとエドワードに出会えた。
だから、これは執行猶予だ。
お前のいうくだらない人間が生きていく様を、俺の中で見届けろ。
お前が今まで目を逸らし続けてきたものを見据えろ。
お前が切り捨てたものの大切さを感じろ」
ホーエンハイムは心のどこかで、ホムンクルスを憎み切れないでいた。
かつて世界の広さを知りたいと願った。自由と知識を求めた。奴隷のままで、無知のままでありたくないと思った。それはまさに、ホムンクルスと同じだ。
だからホーエンハイムは今ここに生きている。
そんなホーエンハイムの思いを、クセルクセスの民の魂たちは汲み取った。なにせ常にホーエンハイムの中にいるのだ。嫌でもホーエンハイムの思いの機微などわかる。だから、魂たちはホーエンハイムにこう言った。「お前のやりたいようにやれ」と。
ホーエンハイムが悩み、末に導き出した結論がこれだ。
これは罰であり、救いだ。
奴隷23号から、子であり師であり友であった、フラスコの中の小人への。
「貴様と……人間と共に生きていくなど、出来るはずがない」
「お前から生まれた人造人間が出来たんだ。お前が出来ない道理はないさ」
人間と友になった
人間と愛し合った
人間に憧れていた
お父様が切り離した『感情』は皆、『人間』を求めていた。
「……理解出来ん。人間というのは本当に……」
「じゃあ理解出来るよう努力してみろ。
地下の椅子でふんぞり返っているよりずっと有意義だぞ」
「……どの道、この状態じゃあ何も出来ん。好きにしろ」
先ほどから隙を見てホムンクルスがホーエンハイムの身体を乗っ取ろうとするたびに、クセルクセスの民の魂がその邪魔をしていた。
また扉に飲み込まれるよりは、ずっとずっとマシだ。
そう断定したホムンクルスは目を閉じた。
神の力にさえ打ち勝ってみせた人間たち。その理由の考察が、彼の頭の中では行われているのだった。
「……どうなった?」
「とりあえず、俺の中で大人しくなった。また危ないことを企まないとは言えないが、俺が責任を持って管理する」
ホーエンハイムの言葉に、周りの者が顔を見合わせる。
「……じゃあ」
「終わっ……た」
「終わった!!」「勝った!!」「おおおおおおおおおおおおお!!!」「やったぞ!!」「俺たちの勝ちだ!!」「よっしゃぁぁぁぁぁ!!」
抱き合い、拳を振り上げ、てあしをばたつかせ、皆が勝鬨を上げる。
しかし喜んでいるのは兵士たちだけ。
こちらには、まだやり残したことがある。
「終わった……のか?」
「アルフォンス!!アルフォンス!!」
エドワードが崩れた鎧に向かって何度も呼びかける。
それを見て、マーシュが不可解な面持ちを浮かべる。
「……その鎧さん、中身空っぽなのか?」
「人体錬成した時に、真理と引き換えに体を全部持っていかれた。だから魂だけを鎧に定着させていたんだが……」
「……無理矢理無機物に人間の魂をくっつけただけで、やがて魂は元の身体のほうに戻っちまう」
マスタング大佐とエドワードの説明を聞いたマーシュは、ポリポリと頬を掻く。死んではいない、ということだろうか。
「……よくわかんねぇな」
「とにかく、アルフォンスの魂はもう……」
そこにホーエンハイムがやってきた。
アルフォンスの鎧を見ると痛ましそうにその顔を歪め、エドワードの横で片膝をつく。
「……エドワード、俺の中の賢者の石を────」
「──賢者の石には人の命が使われてる。身体を取り戻すために、誰かの命を犠牲にしたなんてアルが知ったら、一生後悔する」
「そう言ってくれるお前らだからこそ、使ってほしいとこいつらは言っている。お前らのために、使ってほしいとさっきから叫んでるんだ」
「っ…………」
「……やっと、全部終わったんだ。エドワードと、アルフォンスに、生きていてほしいんだ」
だから、賢者の石にされたクセルクセスの民を、ホーエンハイムの友人たちを、使ってくれないかと。
ホーエンハイムは涙をボロボロと零し、嗚咽交じりにそう言った。
国を救うためでもなく、お父様に復讐するためでもなく。ホーエンハイムのエゴのために、犠牲にする。ホーエンハイムの胸中は、それに悩むことなく快諾してくれたクセルクセスの民たちへの感謝と、申し訳なさ、自分への情けなさで溢れていた。
自分だけでは、息子一人救うことすら出来ない。
息子からの軽蔑も覚悟しての提案だった。
マーシュに言われてから胸の奥でひっそりと夢見ていた、エドワードとアルフォンスとの暮らしももう出来ないだろう。
それでも、二人に、生きてほしかった。
それだけが、ホーエンハイムの希望だった。
「情けない顔してんじゃねぇよ、クソ親父!!」
その言葉にパッと顔を上げると、エドワードが涙を流しながらホーエンハイムを睨みつけていた。
「……親父って、呼んでくれるのか、こんな俺を」
父の涙を見て、正直エドワードはかなり揺らいでいた。
「賢者の石を使っても、いいじゃないか」「意地を張ってここでアルフォンスの身体を取り戻さないのは、それこそ自分たちを応援してくれた、助けてくれた人たちへ不誠実じゃないか」「アルフォンスの身体が戻れば、結果オーライじゃないか」
頭の中で、そんな声がする。悪魔の誘惑などではない。実際その通りなのだから。石を使うことを妨げているのは、エドワードの気持ちひとつだけ。
使ってしまうのは簡単だ。でもそれでは、あの日から何も変わっていない。合成獣に化せられた目の前の女の子を、「仕方ない」「自分たちにはどうしようもない」で済ませてしまったあの時と。「人を生き返らせる」などと思い上がって、罪を犯したあの時と。
考えろ。考えろ。考えろ。
思考を止めるな。
命を使わずに、アルフォンスを助ける方法を。
全てが丸く収まる方法を。
考えろ。考え────
「返しちゃえばいいんじゃないのか?」
「──────────は?」
マーシュの軽い調子の声が、エドワードの意識を現実へ引き戻した。
その空気の読めなさにグリードが出てきて半目でマーシュを眺める。
「何を言ってやがんだオメェ」
マーシュは周りから一斉に向けられる怪訝な視線を受け、わたわたと手を振りながら言う。
「え、いや、真理とやらと引き換えに身体持ってかれたんだろ?
じゃ真理を返せば身体返してくれるんじゃねぇの?
等価交換ってなら」
「いやそんなこと出来たら苦労しな……鋼の?」
目を見開き、口をあんぐりと開けてふるふると震えだしたエドワード。
しばらくその顔のままでいたエドワードが、喉の奥から掠れた声を漏らした。
「…………は」
吐息交じりのその声は、やがて連続していき大きくなっていく。そして、
「────は、はは、はははは、ははははははっ!!」
それは明確な笑い声となって皆の耳へと届いた。
周りの者たちは、エドワードが弟を失った悲しみで気が違ってしまったのかと悲痛な面持ちになる。
しかし、空へ向かってしばらく笑い続けたエドワードが正面に向けた顔は、希望に満ちていた。
「そうだ、代償なんざ
「よ、よくわからんが、どういたしまして」
エドワードは手を合わせた。
「ちょっと行ってくる。鋼の錬金術師、最後の錬成に!!」
ー
「アルフォンス!!」
「いだいいだいいだだだ」
エドワードの、自分の『真理の扉』を代償とした錬成は成功した。
アルフォンスは肉体を取り戻し、現世へと帰ってくることが出来たのだ。
ホーエンハイムと握手した後、マスタング組やイズミやアームストロング少佐が代わる代わるその体に触れたり抱きしめたりしていく。
一巡したところで、アルフォンスがバツの悪そうな顔で立っているマーシュを見つけた。
「マーシュ!」
アルフォンスが呼びかけるが、マーシュにとっては全く関わりがなかった鎧の中身が帰ってきったという話で、いまいちどう反応すればいいのかわからないのだ。
「なんか空気読めなくてゴメン……」
浮かれていた空気を引き締め、エドワードが顎に手を当て俯く。
「次は、マーシュの記憶をどうするかだな……」
そこで、パチパチという音が辺りで響く。
見ると、キンブリーが拍手をしながらこちらへ歩いてきていた。
キンブリーと絡んだことのある者たちが、露骨に嫌な顔を見せる。
「おめでとうございます、皆さん」
「キンブリー!」
唐突にキンブリーが真紅の球状の石をマーシュへとほうった。
マーシュはそれを取りこぼしそうになりながらもキャッチし、まじまじと見つめる。
「賢者の石です。人体錬成のやり方は知っているでしょう?
もう一度真理に会い、記憶を取り戻してきなさい」
「んなっ……!」
「この決着を、見せてくれたお礼です。それに、食事の約束もありますしね」
帽子を指で押し上げ、気障に笑うキンブリー。
釈然としない気持ちはあれど、これで解決するならとエドワードたちがマーシュに目をやった。
しかしマーシュは賢者の石を見つめるばかりで動こうとしない。
「……これ、人の命使ってんだろ?エドワードじゃねぇけど、俺だって抵抗があるよ。俺にそんな価値、あるのか?いやそれに、これ使ったところで戻ってくる記憶が正しい記憶なのかもわかんねぇし。そもそも記憶返してくれって言っても返してくれるのかもわかんねぇだろ」
とってつけたような言い訳をずらずら並べ立てるマーシュに、エドワードは違和感を覚える。
「……マーシュ?」
マーシュは少しの間目を閉じると、観念したように話し出した。
「……正直言うとさ。思い出すのが、恐い。
ほんのちょっとの断片的な記憶が、たまに見えて。
それを見たとき、体が強張るくらい辛かった。
体が水の中に沈んでいくような感覚になって……。
思い出したら、自分が壊れちまいそうで」
「マーシュ」
俯き少し体を震わせていたところで、呼ばれて振り返るマーシュ。
「ふんっ!」「あいったぁぁぁぁぁあ!!?」
マーシュの額へと思いっきりオリヴィエが頭突きをかました。
マーシュの視界にチカチカと火花が散る。
オリヴィエは少し赤くなった額を押さえようともせずに、腕を組みマーシュを見据えた。
「私の惚れた男は」
続いてアームストロング少佐が進み出て、声を上げる。
「吾輩に、後悔を糧にしろと言ったのは」
「俺に、家族を守るよう言ってくれたのは」
「俺に、飯奢るって約束したのハ」
「私を、毎度毎度挑発してきたのは」
「ボクたちを、何回も何回も助けてくれたのは」
「オレの、友達は」
「マーシュ・ドワームスだ」
皆がマーシュを見ていた。見守っていた。
エドワードが、マーシュの胸を叩く。
「てめぇが一人で抱えきれないっていうんなら、オレたちがいくらでも肩を貸してやる!嫌っつっても無理やりにでも貸してやるよ」
「……俺は、恵まれていたんだな」
薄く笑みを浮かべて、マーシュは歩き出した。
「いってくる」
その手はもう、震えていなかった。
ー
「よう、きたのか」
約束を守る。
守れなかった父は死んだ。
守れなかった姉は死んだ。
いつからか、『約束を守る』ことだけが生きる目的になってしまっていた。
約束を守るために国家錬金術師になって、
約束を守るために友達を守ってた。
約束を守るために生きてた。
自分で考えて自分で決めろ、なんて言って。
自分じゃ何も決められてなかった。
でも。
「もう、平気か?」
「あぁ。ありがとな」
「ハハ、礼を言われたのは初めてだ」
扉が開き、マーシュの身体を黒い手が覆っていく。
頭の中に、記憶が流れ込んでくる。
自分を抱く誰かの腕。
遠ざかる父の背中。
赤色の床。
愛しい姉の首なし死体。
頭の中をまた、恐怖と諦念が支配していき、体が泥のなかへと、沈んでいく。
もがく気力がなくなる。
手足に力は入らない。入れない。
沈む。
沈む。
沈む。
マーシュのその腕を、誰かが掴んだ。
荒っぽく、離す気など微塵もないと言いたげにしっかりと握るその手は、硬く冷たい鋼の義肢で。しかし不思議と、握られた部分から熱が身体中に広がっていった。
頭が冴えてきて、全身に力が漲る。
息が苦しくなって、体が空気を求める。
鋼の腕を掴んで、無我夢中で手足を動かした。
上へ。
上へ。
上へ。
やがて目の前に光が満ちて、
視界が白く染まり────
「マーシュ!!」
その目を開けると、エドワードがマーシュの肩を掴んでいた。
横にはオリヴィエや、メイやアームストロング少佐、ヒューズ中佐やマスタング大佐。
ガリガリのアルフォンスもホーエンハイムに肩を貸されてマーシュを覗き込んでいる。
マーシュは全員を見回した後、笑う。
それは皆が目にしたことがある、いつもの小憎らしい笑顔。
目を細め、歯を見せて、顔を綻ばせ、マーシュは。
今、泥沼から、一歩踏み出すことが出来たのだ。
もう