「二人じゃねえ! "三人"の力だ!!」
「"ゴムゴムの"ォ!!」
国の端っこに響く声は、サボさんとルフィさんのもの。
相対するサカズキさんがマグマの腕を振りかぶって空気を燃やす。
「無駄じゃ! どう足掻こうとわしの"マグマ"には勝てん! 貴様ら纏めて燃き尽くしちゃる!!」
放たれた拳が赤熱して肥大化し、二人に迫る。けれどサボさんもルフィさんも引く意思を見せず、片や後方にめいっぱい腕を伸ばし、覇気に染めて発火させ、片や全身に炎を纏い、左腕に集約して激しく燃やす。
「"
「"
どうしてか私には、それらがぶつかり合う前から結果が見えていた。
帯に差した鞘に左手を這わす。右手で柄を掴む。
何か考えていた訳じゃない。三人のぶつかり合いにはらはらして、ただ事の成り行きを見ている事しかできなかった。だからきっと、これは無意識の行動というやつだったのだろう。
「──!? な、」
サカズキさんの驚愕の声が、ルフィさんとサボさんの雄叫びに飲まれて、同時に……マグマの拳を粉砕して。
打ち破られるなんて予想もしていなかったのだろう。不意打ちのような一撃は深くサカズキさんの胸を叩いて、受け身もとらせないほど激しく吹き飛ばした。
「ぐ……!」
うつ伏せの状態から腕をついて身を起こそうとするサカズキさんに、二人が歩み寄っていく。
もしかしたら、もう戦う意思は無くて、自分達の勝ちだって宣言するためだったのかもしれないけど、私にはそれがトドメを刺しに行くように見えて、だから。
「! ……ミューズ」
足を止めたサボさんが私を見下ろす。
それがぼやけて見えた。
動悸が激しくて、体が揺れていて、汗が着物の内側を濡らす。
「……そうか」
横へ垂らした刀を見て、私を見て、ルフィさんが零す。
その声にびくりと体が跳ねて。
「──!」
目前に迫るルフィさんの顔にはっとした時には、滅茶苦茶になった視界を最後に意識が途切れた。
◇
「どうしやした? どうにも箸が、進んでいないようで」
「ぁ、いえ……」
マリンフォード。牛鍋や赤べこにて、小柄な少女と大柄な中年の男が向かい合って食事を共にしていた。
お互いが和装の藤虎とミューズ。煮込みラーメンを啜るイッショウに対し、ミューズは箸に手を付けてさえおらず、膝に乗せた手に視線を落としていた。
呼びかけられても困惑気味な弱々しい声が漏れるばかりだ。それも当然だろう。ミューズは二年前に海軍を抜けている身で、区分としては犯罪者だ。捕まえられるべき存在で、こうして大将とのんびり食事をしていられるような身分ではないはずなのだ。
しかし、ミューズはサカズキの家で目覚めてから数日、まるで二年前と変わらない生活を送っていた。
寝食を共にするサカズキは相変わらず寡黙で、ミルフィーユ王国の上空でミューズに手を伸ばしたのが嘘のように浅い干渉を徹底している。
ミューズとしてはどう咎められようと辛く苦しいのだから、縮こまって、顔色を窺いながら過ごすほかなかった。
そんなある日に大将藤虎の招集を受け、こうして設けられた席についたミューズは、ここに来るまで一体何を聞かれるのだろうと想像を巡らせていたものの、その実態がただ向かい合って飯を食らうだけである事に困惑していた。
これではまるで単に親睦を深めようとしているだけだ。
何が狙いかはいくら考えてもわからず、盲目の大将が湯気の立つ麺をずるずると吸い込んでいく様を眺めたって同じこと。
居心地悪く僅かな動作で座り直したミューズは、彼に促されたのを思い出して仕方なく箸を取ると、ぐつぐつと煮える小鍋に差し込んで白菜をつまんだ。
緊張のし通しではあるが腹が空いていたのもあって箸が進む。
お互い黙々と目の前に並ぶ品をやっつける作業に従事してしばらくして、一足先に完食したイッショウが箸を置いてミューズへと顔を向けた。
「なるほどこいつぁ……サカさんが参っちまう訳だ……」
「?」
不可解な言葉に小首を傾げるミューズ。
さらりと揺れる金糸の如き髪の音がイッショウの鋭敏な耳をくすぐると、どことなく柔らかな雰囲気を感じ取って、イッショウは顔を綻ばせた。
あいにくと顔は見えないが、その小柄な体は思いのほか存在感が強く、それでいて手を伸ばせば容易く手折れそうなほど儚い。今はおどおどしている事もあっていっそう強くそう感じられた。
その一挙手一投足が生み出す無害な少女の虚像は、戦いを生業とする者の……あるいはあらゆる人種の無意識に張る警戒の壁を容易くすり抜けて近づいてくる。
そのように心の壁を乗り越えてくるなど本来はありえない。力あるものならなおさら、そういった空気感にお互い身構えてしまう。その上で交友するならともかく、言葉を交わさずして心を許す……否、警戒を解いてしまうのは、彼女の、いわゆる浮世離れした雰囲気が原因だろう。
二度、交戦した。まともに向かい合ったのはこれが初めて。
だというのに既に懐を許して、まったく警戒させない少女に、イッショウはなるほどと頷いた。
たしかにこちらを窺っている気配があるのに、どこかぼんやりとしている。その違和感が気になって仕方がない。
なるほど、これは、気を引かれる。
この違和感に感情を当てはめていえば、それは相手が幼い子供であるからと理由づけるほかなく、そうして心が定まると新たに浮かぶ感情がある。
もう少し時間を重ねると、おそらくそれは大切にしたいという気持ちに代わり、あたかも親類縁者のように彼女に寄り添おうとする心になるのだろう。
なんとも不思議な空気感だ。こういった手合いには出会った事がない。
だから対策などできようはずもなく、知らずイッショウは寛いで、少女の音を拾おうと耳を澄ませた。
浅くゆっくりとした呼吸は緊張を孕んでいて、吐息は熱っぽく、時折小さく衣擦れの音がする。
姿勢を正す動作は数えているうちに十を超え、どうやらイッショウに見られている……聞かれているのをしっかりと理解して、据わりの悪さを感じているらしい。かなりの使い手である証拠だ。
そう、彼女は、強者の部類に入るのだ。
……忘れていた訳ではないが、そうとわかっていても守ってやりたくなる雰囲気を持つ少女に、やがてイッショウは諸手を挙げて降参した。
「あい、わかりやした。一肌脱ぐとしましょう……」
「……?」
そう宣言されて、ミューズは再度首を傾げた。
一人で勝手に何かを決めたようであるが、何も話してくれないのでさっぱりわからないのだ。
だから余計に居心地が悪くなって、手持無沙汰に
「七武海も四皇も一息に潰せりゃあ新時代の幕開けだ……期待しとりますよ、天女さん」
口の中で潰すように呟いた言葉は、さすがにミューズの耳には届かなかった。
◇
それから幾日もせず、今度は"元帥"青雉に呼び出されたミューズは、今度こそ詰問されるのかと
「一度海賊と定められたお前がなあなあで海軍にいられるほど甘い組織じゃないんだ」
広い脱衣所には湯気が蔓延して温度を高くしている。その中に置かれた木製の台……これにバスタオルをかけた物の上に、青雉が寝そべっていた。
腰に一枚タオルを巻いたままの姿で低く脅すように言う彼の言葉を、ミューズはその背中の上で足踏みをしながら聞いていた。
……ここへ呼び出されたミューズは、彼に言われるまま素足になって、袖を捲ってその背中の上へ乗ったのだ。
訳がわからないが、非がある身分で否とは言えない。異性の肌に触れるのはエネルで慣れているし、恐々としているので羞恥などはなく、微妙な面持ちでふみふみと筋肉質な背中を踏む。
「聡いお前なら察しているかもしれないが、"なあなあ"でなく過ごせるように上と掛け合った。野暮は言わない約束だが、少なくとも頭を下げた人間が二人以上はいる事を覚えておいてくれ」
「……」
どうして私なんかにそこまで。
か細く、微かな声で問いかけたミューズに、青雉は目を閉じて冷たい息を吐くと、両腕に乗せた顎を浮かせて位置を直し、まあ、と吐き出した。
「人情を加味せずともソロバン弾いて損得勘定してみれば、お前は喉から手が出るほど欲しい人材だったってだけだ」
青雉は、ミューズを庇護するために世界政府と掛け合った。
決闘の末に手に入れた元帥の地位を遺憾なく発揮して譲歩を引き出した。
元より、これは赤犬との約定でもある。
「ま、トップに立つと見える世界も違ってくる訳だ」
だが青雉は、何もミューズに
彼女という戦力は、今この時代には何がなんでも保持するべきだと判断したからこそだ。
自ら赤犬の手を掴んで戻って来たというのならば、今度は逃がさないように囲おうとするのは当然。
それになにしろ、彼女はまだ子供。伸びしろがある。
驚くべき事にこの年で大将と張り合える実力を持っていて、それがここで打ち止めとは考えられないだろう。彼女には間違いなく戦う才能があり、そこに天井があるかは怪しい。
だからこそ、これからの時代、成り行きとはいえ戻って来た彼女を再び敵に回すような愚は犯せない。
もっともミューズは海賊として大きく世界に認識されている。
子供に七億近くの懸賞金がかけられていれば顔が広まるのも仕方ないだろう。
ゆえにたとえ世界政府が彼女が海軍に戻る事を可としても、世間が黙ってはいない。
ならば黙らせればいい。もちろん正攻法に限られるが、手段はいくらでもある。
「お前が伝説的な英雄になれれば、非難は払拭されるだろう」
掻い摘んで説明しながら青雉が語る間も、ミューズは指示された通りに背中を踏み続けている。
指で肩を指して見せれば、おずおずと腰を落として肩を揉み始めた。
英雄になる。
それは簡単な話ではない。海賊王を捕らえるほどの手柄があって初めて成立する。
だが都合が良いのか悪いのか、現在新世界は少々騒めいていて、作ろうと思えば伝説などいくらでも作り上げられる状況だ。
そろそろ重い腰を上げる頃合いだろう。
元帥の座につき穏健派として全体を指揮してきた青雉は、イッショウとの意見の擦り合わせによって大きく時代を変える決断を下した。
七武海の完全撤廃。四皇との戦争。
世界徴兵でかなりの戦力を抱き込めたとはいえ、ここでミューズという手札を加えられれば打てる手も増えてくる。
だからこそ、彼女とは腹を割って話さなければならない。
なぜあの頂上戦争で突如として海賊の味方をしたのか。その背景に何があるのか。
おそらくは固くなっているだろう彼女の心を解すためにこのような場所での会合にしたのだ。
その甲斐あってか、未だ多少の固さを残してはいるものの、ミューズはぽつぽつと話し始めた。
生まれ持った記憶とそのすべて。
それにより生じた自身の言動のすべて。
生まれてからこれまでの道筋を、ゆっくりと語った。
「その話、他に教えたやつはいるか」
「……おじさま……サカズキさん、に」
ここ数日の間に、ミューズは聞かれてもないのに一人で勝手に話した。黙ってるばかりいてもやもやが溜まっていたのだ。
あいにくサカズキは「飯食うとる時は口閉じんかい」と窘めるだけだったので、もやは晴れなかったが。
ミューズを退かせた青雉は台に腰かけて自身の膝に両肘を乗せると、前傾姿勢のままミューズを見上げた。
お腹の前で手を合わせ、伏せがちな目で表情を窺ってくる一見無害な少女の姿に、意識せず口角が吊り上がる。
その記憶の話の真偽はともかくとして、内心かなりの動揺を押し殺した青雉は、胸の内に渦巻く冷気を鼻から吐き出すと、「あ゛~」と脱力したような声を発した。
荒唐無稽で突拍子もないミューズの記憶の話は、しかし整合性があり、あり得たはずの未来に話が及べば飲み込まざるを得ず、またそれを含めれば彼女の行動の理由も、その心がどこにあるのかもわかった。
ますます逃がす訳にはいかない。
これほど広い知識を持ち、武力を持つ彼女は、それでいて何者にも染められやすく、性質の悪い事に誰の下でもやっていける才能を持っている。
相手がどのような人間であろうと、ミューズは必ず手元に置かれるだろう。とびっきりの頑固者であろうと、悪人であろうと。
するすると懐に入り込んでくる幼い少女の、一種純粋な瞳は綺羅星の如く、一度目にしてしまえば意識の片隅にこびりついて離れない。まるで呪いのような女の子だ。
「そういや海賊になっても正義を掲げてたな。ありゃなんでだ」
「……あの、ファッショ……ぁの、あ、私の中には、変わらぬ正義が、ありましたので」
「そうか」
明らかにファッションであると言いかけていたが、後半の言葉も嘘ではないのだろう。心に正義がある限りコートは落ちない。そういうものだ。
それを考えると、こうしてミューズが海軍に戻ってくるのは必然だったのかもしれない。
「お前には再び海兵として働いてもらう事となるが……経歴上全ての命令を拒否できない立場になる」
「それは……構いません」
俯きがちに答える少女は、ばつの悪いというか、罪の意識に苛まれているように見える。
そうしなければならないからそうするといった風だ。これではまた海軍を抜けられてしまうかもしれない。その大きな理由が今はないにしても、あまり無茶な命令が重なれば……彼女は自らのいる場所を縛らず綿毛のように飛び去ってしまうだろう。思うに、元々一箇所に根付くような人間ではないのかもしれない。話を聞いた限りでは彼女が今までいくつかの肩書を持ったのは全て成り行きであったからだし、それこそ心を縛るようなやり方でなければ根を下ろしてはくれなさそうだ。
ちょうど、サカズキの正義に染まって海賊を討つ機械となっていた、あのような調子なら何年だろうと海軍にいてくれただろうが、今のミューズは自分の信念を持っている。
「あー……風呂でも入っていくか」
色々と考えるのが面倒になってきた青雉は、ミューズが自らの腕を抱くようにしてさすさすと撫でている事に気付いて、そう提案した。
やや間を開けて静かに頷いたミューズに、青雉はふっと笑いを零した。
◇
結局のところ、ミューズは再びサカズキの下で過ごせるなら抜け出したりするつもりはなかった。
そうできるか不安だったから暗くなっていたのだ。直接咎められるような事なく今ものんびりとお茶を飲めているのが不思議で、しかし考えてもしょうがない、なるようになる、と段々普段の調子を取り戻していった。
離反したというのに海軍での立場は二年前と変わらず良好で、どころかかつての部下や同僚なんかには好意的な声をかけられる事もあった。それはミューズが直接もたらした被害が無いと認識されているからだろう。
エネル率いるミューズの名無し海賊団、ただし実態は観光船、はいくつかの島を消し飛ばしている。が、能力者でないミューズにそれができないのは明白で、傍らに立ついかにも悪人顔の男の所業であると解釈されていた。
それは正しいし、特にミューズは海賊行為を働いた事は無いが、たとえば大将に攻撃を仕掛けたりだとか、海兵に顔を伏せさせたりだとかしたのは事実。しかしそれらは実際目にした者以外には伝わっていないのだろう。
ミューズは疎まれる事なく受け入れられてしまった。
再会したかつての部下、ミサゴ曰く、天竜人を快く思わない者達からの支持を得たらしい。
……やっぱ嫌われてるんだなあ、と暢気に思うミューズは、自分が一つの派閥としてまつりあげられている事には終ぞ気付かなかった。
新しい時代の幕開けが迫る。
その前に、ミューズは家出の気まずさをなんとか解消するために無言でサカズキに擦り寄っていた。
怒ってるだろうな、おしりペンペンだろうなと常に怯えつつ接して、ようやく今日、好意的な反応を得られた。
「弾かんのか」
「……!」
今までほとんど口を開いてくれなかったサカズキが今日に限って食後にそう尋ねてくれたのは、上からの命令に静々と従ってしっかりと仕事をこなしていたからか。
四皇と戦うらしいその時までに話せたらいいなと焦がれていたミューズは、喜んで電子ピアノを引っ張って来た。二年触れていなくとも汚れてはおらず、音もちゃんと出た。
いくつかの曲を弾き終わると、フン、と一つ息を吐いたサカズキは何も言わなかったが、心地の良い空気になっていて。
サカズキが座ったまま去る気配が無いから、ミューズも正座したままじっとしていれば、しばらくして、彼はむっつりとした顔のまま言った。
「わしゃその曲が気に入った」
「…………」
珍しく肯定的な言葉はミューズの動きを止めるにはじゅうぶんだった。
その言葉の意味を考えているうちに立ち上がったサカズキが部屋を去っていっても、ミューズはぼうっと壁を見上げて、彼の声を胸の内に繰り返していた。
□
大海賊時代の末期、海軍にこの人ありと謳われる大将がいた。
新世界の海を牛耳る四皇の内二人を軍を率いて打ち倒し、一人を単独で滅ぼした、伝説の人。
後世に遺された文献には、この者は天を操ると記されていた。
その頭上には常に暗雲が渦巻き、怒りに触れた者を裁くように雷の雨が降ったという。
ただ、この人間が海賊であった時期があるなどと書かれる事はなかった。