清楚系ド淫乱アイドル『逢坂冬香』   作: junk

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第2話 レッスン

 今日は冬香の初めてのレッスンだった。

 小さなダンススタジオの中で、ルーキートレーナーの指示を受けながら、冬香が踊っている。

 それを見た相嘉プロデューサーの感想は「レベルが違う」だった。

 今まで見てきた養成所にいるアイドルの卵はおろか、現役のアイドルとも、ともすれば本職のダンサーでさえ……

 

 冬香には敵わないかもしれない。

 

 ――才能。

 凡百の人間の努力を嘲笑うかのような、圧倒的な才能。

 基礎的なダンスや体の軸がブレないのはもちろん、指先の動きや表情、果ては『魅せ方』まで全てを完璧にこなしている。ダンスを始めてたった一日目の人間だとはとても思えない。

 いやそれどころか、凡人では一生かけても届かない領域にすら入っているような……

 

 プロデューサーは今まで、才能溢れる人間を何人も見てきた。

 いや、見てきたつもり(・・・)だった。

 しかし――しかしなんだこれは。

 プロデューサーが今まで培ってきた価値観の全てを壊すような、彼女の動きは。

 ただ踊っているだけなのに、自分という存在すら忘れてしまいそうなほど、彼女に惹き込まれる。

 人とはこれほどまでに美しく踊れるものなのだろうか。

 

「凄い……」

 

 ルーキートレーナーが感嘆の声を出した。

 最初に簡単なステップを教えた後、一回通しで踊って見ようと提案した。もちろん踊れるとは思っておらず、運動神経と体力を測定しよう、という程度のつもりだった。

 しかし今はもう、リズムを取るための「わん、つー」という声や手拍子もすっかり忘れてしまっている。

 冬香の踊りに魅了されている、一人の観客だ。

 

 冬香がステップを踊りきり、最後のポーズを取った。

 少し遅れて我に返った相嘉プロデューサーとルキトレが拍手する。

 

「凄い、凄いですよ冬香さん!」

「ありがとうございます、ルキトレさん」

「前にダンス習ってらしたんですか?」

「いいえ。お琴と茶道は習っていましたが、それだけです。二つとも座ってするものなので、踊りは関係ないかと」

「なるほど……運動系の習い事は」

「学校の体育くらいです」

 

 信じられない、とルキトレは思った。

 ダンスのキレも運動神経も未経験者のそれではない。というより、熟練者のそれだ。

 まったく息が切れておらず、流暢に話せているのも信じられない。

 それがダンスどころか、運動もほとんどしていない?

 つまり生まれ持ってのセンスだけでこれということ?

 

「ちょ、ちょっとお姉ちゃんを呼んできます」

 

 私では手に負えないかもしれない。

 現にもう、ルキトレが教えられる初歩的なところは、とっくに通り過ぎてしまっている。

 彼女の一番上の姉は高垣楓や星井美希といった、トップアイドルのダンスも指導している超一流のトレーナーだ。お姉ちゃんならあるいは……ううん絶対冬香さんの才能の大きさがわかるはず!

 そう思い彼女は、たまたま控え室で休んでいた姉のマスタートレーナーを呼びに行った。

 

「よし、やってみろ」

 

 やってきたマストレが言ったのは、それだけだった。

 本来彼女がルーキーアイドルのレッスンを見る、ということはあり得ない。

 しかし今回妹の頼みだから、ということで特別に来たのだ。あまり時間をかけたくないのだろう。

 

「ほう……」

 

 冬香が踊り出すと、みるみるうちにマストレの表情が変わった。

 初心者の踊りを採点する目から、トップアイドルのレッスンをつける際のそれへと……

 冬香が踊っているのは複雑なステップのない簡単な踊りだったが、その完成度の高さたるや、類を見ないものがあった。ダンスはいかに派手な動きをするかではない、いかに人を魅了するかである。そんな当たり前だが難しいことを、彼女の踊りは如実に表していた。

 

「よくここまで仕上げたな」

 

 マストレがルキトレの頭を撫でながら褒めた。

 恐らくマストレは、ルキトレが冬香のダンスを教育し、ここまで昇華させたと勘違いしたのだろう。

 それも無理はない、とルキトレは思った。

 

 ダンス系のアイドルとして頂点に位置する菊地真や我那覇響も、最初から筋が良かった。しかしそれはあくまで初心者の中で上手いというだけで、ダンスとして完成されているかと問われればそうではない。

 一方冬香の場合はどうだろうか。

 基礎は既に完成され、『冬香の個性』をダンスに盛り込み始めている。

 マストレの様な熟練のトレーナーでさえ、上級者と間違えてしまう。冬香はそのレベルに来ているのだ。

 人と比べてみると、改めて冬香の異常さがよくわかる。

 

 更にマストレの勘違いに拍車をかけたのが、冬香の容姿だ。

 絵に描いたような深窓の令嬢の冬香は、正直言って運動ができるように見えない。手足もスラリと長い部分は確かにダンス向きに見えるが、いかんせん細過ぎて頼りないイメージを受ける。

 しかし冬香はしっかりと、むしろ力強く踊っている。

 体力増強トレーニングやレッスンの賜物だと、マストレは思ったのだろう。むしろ普通、そうとしか思えない。

 実際は冬香の資質によって、全てを強引に解決してるのだが。

 

「デビューはいつだ? この出来なら、明日にだってデビューできるだろう」

「え、えっと……まだ決まってないみたい」

「なに? 何をやってるんだ、相嘉のやつは。これほど踊れるのに、レッスン漬けでは勿体無いだろ」

「それなんだけどね。冬香さん、今日が初レッスンなの……」

「――は?」

「ついでに言うと、今のダンスは人生で二回目。運動も普段からやってるわけじゃないって」

 

 マストレは混乱した。

 妹は決して嘘を言うような性格ではない。アイドルのことに関してはなおさらだ。

 しかし妹の言うことを信じるとすると、目の前の少女は一時間かそこらのレッスンで一流の領域に達したことになる。

 ダンスはそう甘いものではない。

 全身を激しく動かすダンスは思っている以上に消耗する。普段使ってない筋肉も使うため、素人が踊れば直ぐに筋肉痛になることだってある。

 それなのに、この少女は……

 とても信じられない。

 

「冬香、と言ったな」

「はい」

「今から教えるステップを刻んでみろ」

 

 初級アイドル専門のルキトレでは、まず教えないような複雑なステップ。

 横でルキトレと相嘉プロデューサーが驚いた顔をしていたが、関係ない。

 たまにだが、ダンススタジオに通っていながら、注目を集めるために素人のフリをする候補生がいる。

 マストレは冬香もその仲間ではないか、と考えたのだ。

 

(本当にそれほどの素質があるなら見せてみろ)

 

 マストレがステップを刻み終えた瞬間、冬香が同じステップを刻んだ。

 寸分の狂いなく。

 マストレと同じステップを。

 

「――ッ! よし、次だ」

 

 次のステップは、マストレが独自に考案したものだ。

 例えダンススタジオに通っていようと、やったことがないはず。

 それもただのステップではない。ダンス中も笑顔を保ち続けなくてはならないアイドルには難しいかと思い、作っては見たものの世に出さなかったステップなのだ。

 それをやれ、と冬華に指示した。

 ――また、さっきと同じことが起こった。

 マストレが刻んだステップを、冬香が全く同じように刻んだ。それも笑顔で。

 

 足がもつれやすいステップ、柔軟な動きをしなければならないステップ、二つ三つ繋げて――その後もマストレは様々なステップを冬香に踊らせた。

 完璧だった。

 完璧としか言いようがない。

 それほど上手に、冬香は踊りきった。

 

「なるほど……そうか、そういうことか」

「お姉ちゃん?」

「この娘――逢坂と言ったか――は本物だ。信じられないほどの才能を持っている。そして逢坂、お前の秘密が分かった」

「秘密……?」

「ああ。逢坂、お前には“癖”……いや“反射神経”がない、違うか?」

「ええ、おっしゃる通りです」

 

 冬香がにっこり答えた。

 疲れた様子はない。

 体力面でも化け物じみてるな、とマストレは笑った。

 

「反射神経がない? それってどういう意味ですか?」

「うむ。相嘉、お前ゴルフの経験はあるか?」

「ええ、まあ。接待でたまにやるくらいには」

「練習中、これ以上ないってくらいのショットが打てた時があるだろう」

 

 相嘉プロデューサーはちょっと考えた後、コクンと頷いた。

 

「しかし、ベストショットはいつも打てるわけではない。一回打てたということは、身体能力的には問題ないはずなのに、だ。

 それは何故か?

 人間には“癖”があるからだ。それが足を引っ張る。長年培ってきた動かしやすい体の形。例えそれが理想と異なっていたとしても、体が“癖”に引っ張られてしまう。無意識にな」

 

 相嘉プロデューサーは、ちょうどプロのコーチに練習をつけてもらった時のことを思い出していた。

 コーチに「こういう風に動け」と手取り足取り教わり、実際最初はその時に出来たが、次第に元の自分のフォームに戻ってしまった。

 

「そして“癖”を作るのが“反射神経”だ。頭ではなく本能によって起こる動き、それは細胞単位で体に染み込まれる。それを克服するために、アスリート達はひたすら反復し、理想の動きを反射的にできるよう体に覚えさせるのだ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 逢坂さんにはそれがないってことは――!」

「そうだ。教えられた通りの完璧な動きを最初からできる」

「凄い! 凄いですよ冬香さん!」

「ありがとうございます」

 

 ルキトレがべた褒めし、冬香が微笑んでそれに応えている。

 

(口で言うほど簡単なものではない)

 

 マストレはそう考えていた。

 “癖”がないということは、冬香は体を動かすとき、毎回頭で“どう動くか”を考えてから動かなければならない。

 つまり冬香は――一度見ただけでマストレのステップを完璧に頭の中に叩き込んだ、ということだ。

 化け物じみた身体能力に、コンピューターの様な頭脳。その二つがあって初めて、冬香のような動きができる。

 

(しかし何故反射神経がない? 人間の根源的な防衛本能だぞ……)

 

 マストレは知る由もないが、その答えは単純明快である。

 ――冬香が度を越したドMだからだ。

 熱々のヤカンを触ってしまった時、うっかり汚いものに触れてしまった時、殴られた時、人は反射的に逃げたり体を硬直させる。

 しかしドMの冬香の場合、むしろ喜んで受け入れる。というか喜んで触りに行っちゃう。

 その時一々反射が働いていては、自慰行為に支障をきたす。

 冬香の持つ天性の才能は、彼女の性癖によって身体を進化させた。

 人間が持つ逃走の本能を捻じ曲げ、反射神経を消したのだ。

 

 マストレはきっと何か家庭の事情でもあるんだろう、と勝手に納得した。

 

「逢坂、まだ体力はあるか」

「はい。今暴漢の方に襲われても、キチンと対応できるくらいには」

「よし」

 

 暴漢が来ても、戦って倒せる……いや、逃げることが出来るということだろうか。

 少し変な例えだと思ったが、マストレは気にしないことにした。

 

 その後マストレは、付きっ切りで冬香にダンスを教えた。

 先程までの細かいステップではない、通しでのダンス。それをいくつも冬香に踊らせた。

 無尽蔵の体力を持つかのように思われた冬香も、流石に呼吸が荒くなり、大粒の汗をいくつもかいている。足や腰も、きっと痛むことだろう。

 しかし冬香の表情ときたらどうだ。

 疲れれば疲れるほど、良い笑顔になっている。動きもどこか艶かしく、それでいて美しい。

 

(そうか、ダンスは楽しいか……!)

 

 きっとダンスが楽しくて仕方がないのだろう。それこそ、疲れや痛みを忘れるほど。

 マストレはそう考えた。

 

 もちろん真相は違う。

 疲労や痛みを感じて嬉しいだけだ。

 ただの疲労だけならまだしても、今回はマストレの厳しい指示つき。冬香が悦ばないわけがない。

 

「相嘉」

「……」

「相嘉!」

「はっ、はい!」

「担当アイドルに魅了されて集中力を欠くな。プロデューサー失格だぞ。ま、気持ちはわからんでもないがな」

 

 何人ものトップアイドルのレッスンを担当してきたマストレから見ても、冬香のそれは一歩抜き出ている。

 相嘉プロデューサーが見惚れるのも無理はない。

 だがそれを律してこそのプロデューサーだ。

 

「相嘉、あの娘を私に一月預けろ」

「……何故です?」

「ダンスの才能は超一流。表現力も申し分ない。容姿は私でも嫉妬を覚えるくらいだ。歌唱力の方も、この分だと問題ないだろう。

 きっと今デビューしたとしてもあいつは瞬く間に人気になる。いや、トップアイドルにだってなれるやもしれん。だが、それでは勿体無い。トップアイドル程度では勿体無いのだ」

 

 いつも「基礎が大事だ」とマストレは言っている。

 その彼女がレッスンをすっ飛ばして今デビューしても問題ない、と冬香を評価しているのだ。きっと本当にそうなるのだろう。

 

「人気になってからでは、レッスンの時間が取れなくなる。あいつならそれでも問題ないのだろうが……それではトップアイドル止まりだ。

 ここで一月――たった一月だけ待て。そうすれば、私が歴史に残るアイドルにしてやる」

 

 相嘉プロデューサーの両肩をつかみ、マストレが力強く言った。

 ドクン、と心臓が高鳴る。

 冬香を見つけたときは漠然と「良いアイドルになりそうだ」程度にしか思っていなかった。

 しかし、彼女の才能は予想の遥か上を行き――トップアイドルという枠組みすら越えようとしている。

 

「相嘉、お前は逢坂に相応しい曲を作ってやれ。振り付けは私が考えてやる」

 

 相嘉プロデューサーは、元は作詞・作曲を担当していた人間だ。

 プロデューサーとしての能力はまだ低いが、作詞・作曲の分野でなら、他のどのプロデューサーにも負けない自信がある。

 一月。

 たったそれだけの期間で、マストレは冬香を完成させると言った。

 それなら――担当プロデューサーである相嘉は、もっと頑張らねばならない。

 

「一週間後までに、冬香用の曲を仕上げてきます。

 一月後、冬香さんに完璧なデビューを飾らせてあげましょう」

 

 相嘉プロデューサーはマストレの手を取った。

 そして一月後――世界は逢坂冬香を知る。






せっかくなので取材のために私も日に二時間、一週間毎日ダンスの練習をしてみたのですが、思いの外キツかったです。

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