俺はしがないカメラマンだ。
学生時代を遊んで過ごした俺はマトモな大学に行くことが出来ず、結果として専門学校へと進学した。
そこで編集や撮影方法なんかを学んで、今はテレビ局で働いてる。忙しくて給料も少ないが、まあ、なんとか生きてはいける。これも昔に遊んでたツケってことかね。
さて。
今はとあるドラマ撮影の真っ最中だ。
撮影の状況は良くない――というか、最悪だ。俺が見てきた現場の中だと一番悪い。
原因はメインヒロインを演じてる女優にある。どうやら主役を演じてる俳優に気があるらしく、手を繋ぐシーンや見つめ合うシーンなんかを過剰にやるんだ。そのせいで一々カットが入って、他の演者も今ひとつ役に入り込めてない。元からあの女優は嫌がらせやワガママで有名だったが……今日は更に酷いな。
あの俳優も俳優だ。撮影そっちのけで自分にちょっかいを出してくる女優に、笑うばっかりでなんの対応もしない。顔はカッコイイと思うが、俺から言わせれば男らしさに欠けるぜ。
しかも最悪なことに、あの女の嫌がらせのせいでライバル役の女の子が降板してしまった。
代わりを探すことになったものの、あの女の悪評のせいで誰もやりたがらない。まあ俺だってこんな最悪な現場は嫌だ……と思っていたのだが。たった一人、名乗りを上げた女がいた。
逢坂冬香、というらしい。
女優じゃなくてアイドルだそうだ。それなりに有名だそうだが、畑が違うせいか俺は知らなかった。まあ忙しくてテレビも見れないから仕方ないんだが。
しかし、不安だ。
こんな現場に来るアイドルなんて名前を売りたい奴かノーテンキなアホに決まってる。
俺以外のスタッフも大体そう思ってるみたいだ。唯一面識がある監督だけはなにやら安心していたが……。
「逢坂さん入りまーーーーす!」
そんなアウェイな空気の中、名前を呼ばれた逢坂冬香が現場入りする。
その瞬間、音が消えた。
静寂だ。
スタッフ達の声どころか、不思議なことに、機材の音さえも聞こえなくなった。
言ってみれば、10代の小娘が入ってきただけだ。
それなのに、目が肥えてる芸能関係者達が揃いも揃って押し黙っちまった。
その真ん中を、逢坂冬香ただ一人が洗練された動作で歩いて行く。コツン、コツンとローファーが音を鳴らす度に、一人、また一人と呑まれていく。そこかしこから生唾を飲む音が聞こえた。もちろん、俺からも。
逢坂冬香は美しかった。
先ず、容姿が整っている。これを聞いた人は「当たり前のことだろ。大抵のアイドルは見た目がいいじゃないか」と言うかもしれない。だけれども、彼女は別格だ。
グラビアアイドルの様に爆乳なわけでも、一流女優の様に成熟しているわけでもない……。
逢坂冬香は、そう、そんな所とは別の場所にいる。黒いロングヘアーや肌の仕草、顔のパーツなんかが完璧な配分で調合されているんだ。神が“清楚な美少女”を作ろうとしたら、絶対にこんな感じになる。
それでいて仕草が完成されている。
髪をかきあげて微笑む姿がこんなに似合う女の子はいないだろう。
一目見ただけで分かる、分かってしまう。
この女の子は絶対に清楚だ。
きっとこの世の汚い部分は何も知らない、花のような女の子なんだ。
話しかけるだけで汚してしまいそうな、神聖なものに思えた。
「あの……みなさん? どうかなさいましたか? 誰か現場のことを教えてくれると嬉しいのですが」
彼女の一言で、現場は慌ただしく動き出した。
「あっ、ああ……はい、ただいま!」
「とりあえず、こちらの椅子にお掛け下さい!」
スタッフ達がセットの説明や今のシーンなどを説明していく。彼女は真剣な顔つきでそれらを聞いていた。
そしてあらかたの事を聞き終えた彼女に、近づいていく人間がいた。
今回で主人公役を演じる、あの俳優だ。
ちっ、こんな時ばっかり仕事が早いらしい。
「逢坂さん、よろしくね」
「はい。どうぞ、よろしくお願いします」
「逢坂さんは礼儀正しいね。困ったことがあったら、なんでも聞いてよ」
「ありがとうございます」
どうやら逢坂冬香は、かなり礼儀の正しい女の子の様だ。
頭を下げる仕草がかなり洗練されている。まるでそこだけ何度も練習しているみたいだ。
もちろん、そんな訳はないのだが……。
「ところで、今晩とか空いてるかな。僕のオススメのレストランがあるから、よければどう? 現場のこととか教えてあげるよ」
「有り難いお話ですが、お断りさせていただきます」
即答だった。
彼女は食事の誘いを、予定表を見ることもなく一瞬で切り捨てた。
まさか断られると思ってなかったのだろう。
あいつは固まっていた。
その横を逢坂冬香は通り抜けて――俺の所に来た。
そして、深々と頭を下げた。
「今日から撮影に参加させていただきます、逢坂冬香と申します。未熟者ですが、どうかよろしくお願いします」
「……えっ、あっ、はい。よろしくお願いします」
……初めて、だった。
俺みたいなただの1スタッフが、こんなにも手厚い挨拶をされたのは。
俺は、正直に言って見た目がチャラい。昔に遊んでいたせいで、こんな格好しか知らないのだ。だからこういうタイプの女の子から話しかけることなんてないと思っていた。
だから面食らってしまって、言葉が出なくなった。
そんな俺に、逢坂冬香は微笑んでくれている。
色眼鏡なしで、こんなにも真っ直ぐに俺を見てくれている。
こんな見た目のせいで、俺は初対面の人には大体怖がられちまう。慣れたこと、と思っていたが、それでも心の何処かでは傷ついていたんだ。
それなのに逢坂冬香――逢坂さんは、こんなにも可憐な見た目をしているのに、恐れることなく俺に近づいて話しかけてくれた。
しかも彼女から見れば、たった一度の仕事で出会った、名前も知らないスタッフなのに。
こんなに嬉しいことはない。
我ながら単純だと思うが、元気が湧き出てきた。
さっきまでは最悪の現場だと思っていたが、逢坂さんがいるというだけで、最高の現場に思えるくらいだ。
見回せば周りの奴らも似たような顔をしている。
逢坂さんは一瞬で現場の雰囲気を変えた。
これが一流のアイドルなんだ。
俺たちはそのことを痛感させられた。
がんばろう。
このドラマを成功させようという気持ちがメキメキとでてくるのを俺は感じた。
◇◇◇◇◇
「ふざけないでっ!」
「(や、やりやがった……!)」
ドラマの撮影の中で、事件は起きた。
逢坂さんは天才だ。
アイドルとしても売れてるらしいが、女優としてもやっていけるだろう。むしろかなりの所まで行くんじゃ……と思うくらい演技が上手かった。
ライバル役のはずの彼女が、メインヒロインに見えてくるくらい惹き込まれていく。
だが、それがよくなかった。
あのイケメン俳優からの誘いを受けたことと、演技の上手さ。
それが気に食わなかったんだ。
あのクソッタレ女が、演技の最中、逢坂さんを思いっきり引っ叩いた。
確かに一応、今は二人が喧嘩するシーンで、手を挙げる場面もある。だけどそれは“フリ”だけで、本気で叩くわけじゃない。
それなのにあの女は渾身の力で逢坂さんを叩いた。
「(と、止めるか?)」
俺はそう思った。
周りの人間もそう思ったはずだ。
だが、監督は……、
「あの子が少しでも止める素振りを見せたら止めろ。でなければ撮り続けるんだ」
と言った。
目を見開いた。
あんな華奢な女の子が叩かれて、ショックを受けないわけがない。今にも泣いてしまうんじゃないかと思ったくらいだ。
でも、監督は続行すると言った。
後で監督から聞いた話だが、逢坂さんはプロ意識の塊らしい。
難しい演技であればあるほど演技力に磨きがかかり、時にはたかがドラマ一本のためにスタントアクションを勉強してくることもあるのだとか。
そして監督曰く、チャンスだと思った、と。
逢坂さんは集中していた。しかし相手の女優はひどい演技だ。だからこそ、本心からしたビンタがキッカケで何か変わるんじゃないか。
そして、逢坂さんも。純粋な彼女は、あの一発のビンタを、まさか嫉妬からされたものだなんて思わない。本気の演技だと思うだろう。その演技に応えるために、より演技に磨きがかかる――というのが監督の読みだった。
果たして、その通りになった。
逢坂さんは明らかに変わった。
さっきまでも天才的な演技だったが、それより一段も二段も。逢坂さんの演技は進化したんだ。
昔、こんな話を聞いたことがある。
とあるプロサッカー選手が相手のファウルで鼻血を出した。
その出血がキッカケで頭の中がクリアになり、その後のプレイで大活躍をしたらしい。
今の逢坂さんにも同じようなことが起きてるのだと、俺は思った。
プロ意識が高い故の“ゾーン”のような状態にいるんだ。
逢坂さんはその後の撮影で、頬を赤く腫らしたまま完璧な演技を遂げた。
アイドルのくせに女優なんかやりやがって、などと思う者は誰もいなくなっていた。
あの子ほど仕事に真摯な人間を、俺は見たことがない。
◇◇◇◇◇
「この女! ちょっと顔がいいからって!!」
そしてまた、事件が起きた。
撮影の後で挨拶に行った逢坂さんに、クソ女が水を掛けたのだ。
「だ、大丈夫ですか逢坂さん!」
「はい。お気遣いなく」
「お気遣いなくって、でも!」
「こんなものただの水です。硫酸でなければ、毒でもありませんから」
そりゃあそうだ。
そんなこと誰だって分かる。
なのになんでそんなことを……と考えて、俺は気がついた。逢坂さんは庇っているのだ。
もっと悪い想定をすることで、たかが水を掛けられただけ、と言いたいんだ。
大御所と揉めないために、こんな可憐な女の子が。
逢坂さん……なんていい人なんだ。
人間が出来過ぎている。
「それでは私は失礼しますね」
「逢坂さん、せめてタオルを持って行って下さい」
「大丈夫ですよ。そのタオルはあなたが使って下さい。どうやら随分と汗をかいているご様子ですので」
そう言われて気がついたが、びっしりと汗をかいていた。
焦ったせいだ。
「そうだ。私が拭って差し上げますわ」
逢坂さんは一瞬で俺からタオルを抜き取ると、本当に汗を拭ってくれた。
アイドルがやることじゃないのに……すっげえ楽しそうだ。本当にいい人だなぁ。
「はい、綺麗になりました」
そう言って微笑んだ彼女を見たとき、俺は心臓が跳び跳ねるのを感じた。
……帰ったらライブに申し込もう。
俺はそう思った。
後で聞いた話なのだが、監督は逢坂さんのデビュー作を監督したらしい。
それから偉く気に入ったとかで、芸能界の闇から守ってるそうだ。
流石だ。
尊敬するべき人だ。
逢坂さんは天然記念物だ、汚れた大人からは守らなくちゃいけない。あの俳優みたいなやつとか、さっきから続く嫌がらせからも。俺たちスタッフ一同は、逢坂さんに変なことをしてる奴がいたら叩きのめそうと、決意を固めた。
逢坂さんに知られなくたっていい。
むしろ知られない方がいい。
でも俺たちの行為はきっと、逢坂さんの為になるはずだ!