たまにはシンプルな挨拶を。
どうも、逢坂冬香でございます。
やって来ました、シンデレラ・ライブ当日。
率直な感想としましては、人が多い、でしょうか。
私が体験した中で一番、観客の方が多いですわ。それにアイドルの方々も、ちょっと多すぎるくらい居ます。そのせいでセットリストが長くて、スタッフさん達が大変そうですね。
羨ましい……
今、私は暇です。
やることがないです。
とうかたいくつー。
最初のオープニング、
最後に全員揃って歌うカーテンコール、
それから前半部分のラストを締めるソロ曲、
そして後半部分中盤の高垣さんとのデュオ。
この四つしか、私が出るシーンはありません。
ソロ曲は歌い終わってしまったので、後は高垣さんとのデュオを待つばかりです。
新人で持ち歌も少なく、ユニットも組んでないので当たり前なのですが、暇です。
ですがそんな退屈な時間も、ようやく終わりを告げました。
「逢坂さん、スタンバイお願いします」
「かしこまりました。直ぐに行きますね」
スタッフの方が、私を呼びに来ました。
彼の誘導に従って、舞台袖へ。
彼が私を密室に誘導して襲って下さる――なんてことも考えましたが、心拍数と表情を見る限り、そんなご様子もないようで。残念です。
舞台袖では、相嘉プロデューサーと高垣さんが待っていました。
遅れて申し訳ありません、と頭を下げると、お二人は笑って迎えてくれました。まったく、いい人達です。一般的には美徳とされるのでしょう。私からすると退屈なのですが。
「今日はいいライブにしましょうね、冬香ちゃん」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
お客さんが一人でも喜んでくれるといいのだけど。高垣さんはそう仰りました。
お客さんが一人でも悦んでくれるといいのですけれど。私はそう思いました。
あるいは私を悦ばせてくれれば、それでいいです。お客さんでも、高垣さんでも構いません。来るもの拒まず。私もアイドルの端くれですから。
「冬香……」
「はい、なんでしょう」
「信じてるぞ」
そう言った相嘉さんの表情は、いつもとどこか違います。
この表情から読み取れるものは。
決意――そう、決意に満ちています。
いつもなら、私への心配と応援の気持ちが半々くらいなのですが。
まあ、いいです。
それよりも今は……ふふ。ええ、今は目の前のことに集中しましょう。高垣楓さんという今までで最高のバイブレーションと、今までで一番観客の方が多いというシチュエーション。これを愉しまずして、何を愉しむというのか。
今日こそは、私を倒してくれるのでは?
考えただけで、ビショビショ――失礼、ワクワクして来ますね。
「お次は、高垣楓さんと逢坂冬香ちゃんのデュオです!」
司会の千川さんの声と、私達を呼ぶ観客のみなさんの声が聞こえて来ました。
それでは、行くとしましょう。
◇◇◇◇◇
本日歌う曲は『こいかぜ』。
様々な代表曲を持つ高垣さんですが、どれか一つと言われれば、やはりこの曲だろう、と言われるほど有名な歌です。
それと私唯一のソロ曲である『Snow World』。
この二曲を、それぞれデュオで歌います。
先ずはこいかぜから。
しっとりした出だし……私と同じように、高垣さんも、最初はゆったりとした顔で観客のみなさんを引き込んでいるようですね。1/fゆらぎも当然のように持っていますか。流石です。
高垣さんの持ち歌であり、高垣さんが引っ張り続けて来た美城プロダクションのライブ会場ということもあってか、私が少し負けてますね。
ああっ、いいです。
とてもいい。
記念すべき美城プロダクションのライブ。
創立からの想い出に浸るみなさんに紛れ込んだ
お腹の奥から、熱い物が湧き出て来ます。
私は今、初めて強敵と戦っている。
そう実感できます。
このまま自分の色も出せないまま、完膚なきまで負けてしまう……
なんとも燃えるシチュエーションではありませんか。率直に言って興奮します。
いつもの私なら、それでいいと思ったかもしれません。
ですが、そう。ふふふ。
――今日だけは、本気を出しましょうか。
耳から入ってくる高垣さんの声。
そして観客のみなさんの声。
声、というより呼吸。
先ずはこれを良く聞きます。
高垣さんが声を出している間は、観客のみなさんも興奮した息遣い。逆に高垣さんが息継ぎをしている間は、観客のみなさんも一息つく。良い一体感です。会場中が一つになっている、完璧と言ってもいいでしょう。
この一体感を乱さなければなりません。
私だけ異物扱いされて興奮している場合ではないのです。
ですが、長い年月をかけて出来上がったこの一体感はそう簡単に崩れるものではない……と、思われるでしょう。
固い物ほど、土台が崩れれば脆い物。
狙うのは高垣さんの歌、そのものです。
高垣さんの歌い終わり、息継ぎをするタイミングで、少しだけ声を出す。
歌い初めには、逆に少し早めに歌い出す。
こうすることで、私の歌を印象づけ、高垣さんの歌から注意をそらす――というのはどうでしょうか。
「―――、―!」
「――、――――、―!」
どうも上手くいきませんね。
まあ、一筋縄ではいかないということでしょう。
手はまだあります。
ある音に対して、逆方向からまったく同じ音を出すと無音になる、という話を聞いたことがありますでしょうか?
次に狙うのはそれです。
私はやろうと思えばどんな音でも出せますので、反響を利用して、逆方向から高垣さんと同じ音を出すことも可能です。
流石に完全な無音になると不自然なので、高垣さんの歌声を少し弱める程度には抑えておきますが。それでも、効果はあります。単純に声量で勝てれば、それだけ注目を集めやすいので。
……これも効果なし、ですか。
高垣さんの場合、声量云々というよりも、その声質そのものに魅力されてる方が多いようですね。
それなら声質を悪化させれば……
結局、声質を乱す作戦もあまり上手くはいきませんでした。
それだけではございません。
その後も色々試してみましたが、どれも不作に終わってしまいました。
サビに入る前の段階では、完全に高垣さんペースですね。
……よく分かりました。
高垣さんは、小細工を弄して勝てる相手ではございません。
何か仕掛ける時、ほんの少しだけですが、パフォーマンスが崩れます。高垣さんほどの方になると、その僅かな乱れが命取りになるのでしょう。
王道に勝るものなし。
つまりは、そういうことです。
それならば、王道で勝負しましょう。
高垣さんの持ち味はサビとサビ前の強弱、その振れ幅にあります。
サビ前には、生来の落ち着いた声で観客のみなさんをなだめ、
サビでは一転して力強い声で衝撃を与える。
その高低差が、高垣さんの強みなのです。
ならば私は、それ以上の振れ幅を出しましょう。
先ずはサビの前の静かさ。
大きい声を出しながら“静か”を表現するのは、至難の技です。
ですが私なら、そう難しいことではありません。もちろん、高垣さんも。問題はどちらの方がより大きい声量で“静か”になれるのか、という点です。
そして今のところ、それは私に軍配があるようで。
私の方がより“静か”です。
この後サビに入りますが、当然より下にある私の方が、その振れ幅は大きいはず。
どうやらこの勝負、私の勝ちのようですね。
さあ、サビへと参りましょう。
「――!?」
驚きました。
本当に久しぶりに、驚かされました。
私は高垣さんの人柄を見て、勝手に勘違いしていたようです。
サビに入る前のしっとりした声質、それが彼女の強さ、長所なのだと。そう思っておりました。
ですが高垣さんの長所は、サビの前ではなく、むしろサビに入った後!
盛り上がり部分での高さ――いいえ、苛烈さこそが本質。
サビ前の静かさを高垣さんが9だとすると、私は9.5は出ていました。
しかし今、私のピークが9だとすると、高垣さんは10は出ています。
サビにいかに入るか、ではなく、いかにサビを盛り上げるか。高垣さんが振れ幅を出しているのは、こういうことだったんですね……
見誤りました。
気がついた時には、既に時遅し。
このままですと、私は負けるでしょう。
くひっ。
おっと。
人生初の敗北を前にして、つい笑いが。
これでははしたないですね。失礼いたしました。
しかし何故、高垣さんはこれほどまでに強くサビを歌えるのでしょうか。肉体的には、私の方が優れているはずなのに……
歌、つまり音とは振動。
喉から出せる音には、限界があるはずですが。
……。
………。
…………ああっ、そういうことですか。
喉だけで音を出そうとするから悪いんですね。
肺の振動を喉からだけでなく、全身を震わして出せれば、その方が音が出るに決まってます。
普通の方なら無意識にやっているのでしょうが、私は反射神経がないので、意識しなければ出来ません。
喉を使うように、全身の筋肉を使う、ですね。
――こういう感じでしょうか。
ん、ちょっと違いますね。
もっと細かく、全身の細胞を振動される感じで。
……おお、やってみるものですね。
それっぽくなってきました。
もう少し、続けてみましょうか。
後もう少しだけ。
せめて、このライブが終わるくらいまでは。
ああっ、気がつけば『こいかぜ』が終わっていましたね。
次は『Snow World』ですか。
……あら?
そういえば、同じことを反復練習するのは、いつ以来だったでしょうか。
一つのものに時を忘れるほど熱中したのも、記憶にありませんわね。
まあ、いいでしょう。
それより今は、次の歌を歌いましょう。
次はどんなことを試しましょうか……ふふ。
◇◇◇◇◇
アイドル黎明期時代、頂点に立ち、伝説を残したアイドル・日高舞。
オーガとまで呼ばれていた彼女も、今ではすっかり落ち着き、今ではただの主婦だ。
そんな彼女は主婦らしく、自宅で夕食を作っていた。
夫はまだ帰ってきていないが、娘は既に帰宅しており、リビングでテレビを見ている。
娘はアイドルのライブを観ているようだ。
参考にするのだという。
そう、娘である日高愛もまたアイドルなのだ。
血は争えないということだろうか。
「ママー! 楓さんが映ってるよー!」
「はいはい。それより夕食の準備を手伝いなさい」
「はーい」
返事をしたものの、愛はテレビにかじりついて離れない。
舞も昔は、何か好きな物が出来るとこうして延々と観ていたものだった。
せっかくの夕飯なのに、心ここに在らずで食べられるのはちょっとねー。夕食は少し遅らせた方がいいかな。
舞はそう考え、少しの間愛と一緒にテレビを観ることにした。
映っているのは、最近アイドル業界に参入した美城プロダクションのアイドル達だ。
最近、と言ってもそれはアイドル部門に限ったことで、美城プロダクション自体は老舗の大企業である。
その証拠に、既に単独ライブを開いているようだ。
「ほら、この人が楓さんだよ!」
愛が指差したのは、高垣楓。
もちろん、舞は楓のことを知っていた。
引退したとはいえ、まだそれなりにツテはある。業界の情報は、それなりに持っていた。
舞の記憶によれば、楓は美城プロダクション唯一のSランクアイドルであり、遠くない未来トップアイドルになるとまで言われている人物だ。
「まあまあね」
しかし舞は、まあまあという評価を下した。
悪くはないが、良くもない。
これは舞の本心だ。
もっとも、彼女に「悪くない」と評価されるアイドルは、日本に10人もいないだろうが。
「隣にいるのはだれ?」
「えっとね、逢坂冬香さん! 最近デビューしたばっかりなんだよ!」
「ふぅん」
冬香に関しても、悪くはないと思ったが、興味をそそられるほどではなかった。
さして面白くもないが、見ていられないほどではない。娘が飽きるまで付き合ってもまあいか。二人のライブは、舞にとってはその程度の評価だった。
――そんな舞の評価が崩れたのは、これから僅か1分後のことだ。
サビ部分に入り、先ず、舞は楓の評価を改めた。悪くない、から、中々やるじゃない、へと。それ程までに、楓のサビは良かった。
逆に冬香は、少し悪くなったように思う。
どこかライブに集中出来ていないように感じた。
もちろん舞だからこそ感じれる僅かな違和感であり、傍目には分からないだろうが。
だがそれも一瞬のことで、直ぐに冬香のパフォーマンスは元に戻った。
否、元に戻ったどころではない。
進化していた。
舞すら想定もしていなかった、ありえない速度で。
「……ママ?」
心配そうな愛の声は、もう耳に入っていなかった。
家庭を守る主婦も、もうそこにはいない。
全身に鳥肌が立つ。
血が熱い。
やっと現れてくれた。
何年も待ち焦がれた戦う相手が!
全力を出してもいい、と思える敵が!
そこにいるのはもう主婦ではない。
伝説のオーガがいた。
彼女は愛と共に、876プロダクションへと向かった。
再びアイドルに戻るために。
逢坂冬香と戦うために。
◇◇◇◇◇
逢坂冬香の出現に気がついたのは、日高舞だけではなかった。
日本中のアイドル関係者達もまた、気がついていた。
その少女の才能、異常性に。
否が応でも、気づかされていたのだ。
961プロダクション本社ビルでは、社長である黒井の怒声が響き渡っていた。
「なんだ、こいつは――!」
信じられなかった。
黒井は、この業界では最も情報網が広い。
故に逢坂冬香が最近スカウトされてきた、新人であることを知っていた。
そんな新人をメインに据えるとは、美城プロダクションも馬鹿なものだ。高垣楓の評価を下げるだけではないか。つい先程前までは、そうやって鼻で笑っていた。
しかし今では、そんな侮りは少しもなかった。
この少女は異常だ。
今のアイドル業界を壊しかねない。
「クソッ!」
黒井は電話に手をかけようとした。
相手はあの美城プロダクションだが、黒井が全力を出せば、権力で潰せるかもしれない。
「落ち着けよ、おっさん」
だが、黒井は手を止めた。
いや、止められた。
自社の抱えるSランクアイドル・天ヶ瀬冬馬の手によって。
「実力で真っ向勝負だ。だろ?」
「……ふん」
冬馬の言葉を鼻で笑った後、やはり黒井は電話を掴んだ。
しかし、先ほどのように、潰すためにではない。
逢坂冬香のことを調べるために。
冬馬は笑い、黒井の肩を叩いた後、メンバー達の元へと戻った。
それでいい。
いつでも真っ向勝負。
それが冬馬の、否、ユニットの心情だ。
「とんでもねえ奴が現れちまったな」
どこか嬉しそうな冬馬の声に、ユニットメンバーもまた笑って答えた。
冬馬が所属するユニット『ジュピター』は、冬馬を含めた男三人のユニットである。
しかし今日は、もう一人少女がいた。
彼女は特別だ。
黒井自らがスカウトしてきたその少女は、来たるべき時に備え、ここで待っていた。
アイドル業界で最高峰と言われるSランクアイドル。
彼女はそれを超えたオーバーランク。
「やっと好敵手が現れた」
『オーバーランク』玲音が動き始めた。
日本で見つけた仲間と共に。
遂に現れた好敵手と戦うために。
◇◇◇◇◇
『歌姫』如月千早はテレビを見つめていた。
最初は勉強のために、高垣楓を見るつもりだった。
しかし、他の何万人ものファンと同じように。
今ではもう、別の人物に心奪われていた。
「――逢坂冬香、さん」
業界にあまり詳しくない千早は、その少女の名前を知らなかった。
しかし生涯、もう忘れることはないだろう。
心の中に落ちたその名前は、紙に落とした墨汁のように、千早の中に染み込んでいった。
「如月くん」
「しゃ、社長! いらしたんですか。今、お茶をお淹れしますね」
「いや、是非ともいただきたいものだけどね。その必要はないよ」
いつも社長室にこもりきりの社長が、珍しく出てきた。
社長と話したのはいつぶりだろうか。
前は、そう、千早の声が出せなくなった時だった。
その前はデビューの時だ。
社長はいつも、千早が転換期の時だけ出てきて、一つだけアドバイスをくれた。
「逢坂冬香くん、か。私もテレビで見させてもらったよ。すごいねぇ、彼女は」
「はい。私もそう思います。この人の歌は――進化しています。私が、いえ、どんな人も使ったことがない様な技法を、どんどん取り入れて」
「ああ。かつての日高くんを見ているようだ」
「日高くん、というとあの日高舞さんのことですか?」
「そうだよ。彼女は特別だった。無論、君たちもだけどね」
「ありがとうございます」
特別、と社長は言ってくれた。
しかし、本当にそうだろうか。
私の歌は、努力で築き上げたものだ。日高舞さんや逢坂さんのように、才能で作り上げたものじゃない。もし逢坂さんが努力すれば……
「社長」
「ん?」
「私はレッスンに行ってきます」
「……そうか。頑張りたまえ。私はまた、仕事に戻るとするよ。楽しい時間をありがとう」
「こちらこそ、為になるお話をありがとうございました。お仕事、頑張って下さい」
「うむ」
社長はまた、社長室へと戻った。
しかし扉を閉める前に振り返り、口を開ける。
「彼女はきっと、いつか如月くんと相見えるだろうね。悔いのないように、準備しておくといい」
「! ――はい!」
如月千早はレッスンスタジオへと向かった。
いつか目の前に立ち塞がるであろう、少女を越えるために。
……ではなく、
自分の歌を、より高めるために。
◇◇◇◇◇
日本中の業界人達は、誰もが伝説の始まりを感じていた。
いや、もう始まっているのかもしれない。
そう感じていた。
舞台袖で己のアイドルを見る相嘉も、また例外ではない。
「冬香……」
だが、相嘉の顔は優れない。
彼は伝説とは、まったく別の物を予期していた。
今から二週間ほど前。
相嘉は一人の少女をスカウトした。
最初は素気無く断られたが、相嘉の熱意が通じたのか、会うと少しだけ話してくれるようになった。
驚いたことに、彼女――神谷奈緒は、冬香の親友なのだという。
世間は狭いものだ、と相嘉は思った。
そして三日前。
相嘉は奈緒から、冬香の本性を知らされた。
更に冬香は、楓に勝った暁には、自らの本性を明かす気だ、と。
いくら冬香と言えど、美城プロダクションのトップアイドルである高垣楓には勝てないだろう。
周囲はそう言った。
しかし奈緒と相嘉だけは、冬香なら勝つと。
勝ってしまうだろうと思っていた。
目の前で楓を糧に、進化を続ける冬香。
相嘉の悪い予感は当たってしまった。
もちろんこれはライブなので、どちらが盛り上がったかなどMCが言うはずもないが、冬香の方が盛り上がったのは明らかだ。
そして到頭、ライブが終わった。
冬香がマイクを握る。
言わないでくれ。
相嘉は願った。
一応準備はしてきたが、それでも言わないでくれたのなら、それが一番なのだから。
「今日はみなさんに、告げなければならないことがございます」
ざわめく会場。
楓もちひろも、そんなことは聞いていないと慌てている。
「実は私は――淫乱な女なんです」
この日、世界は逢坂冬香を知った。