ざっくざっく、と土を耕す音がする。生命の音だ。
あぁ、素晴らしい。俺にとってはどんな音楽よりも心安らぐ音色だよ。
オーヴィニエ山脈東側の空気と透き通る青い空の下、土に鍬を入れる喜び。
俺は、オルヴェシウス砦周辺に広がる畑で久々の幸せをかみしめていた。
銀鳳騎士団、凱旋。
他国の戦争にこっそり介入するという事情から、表向きはちょっと出掛けていた扱いになっているとはいえ、任務はきっちり達成してきた騎士団のお帰りだ。
しかもエルくんが割と雑に急いで帰って来るのを良しとしたせいで、いきなりフレメヴィーラ初お目見えの飛空船が王都上空を横切り、まずはエルくんの実家があるカンカネンに降りるという下手したら不敬罪もののミラクルをやらかした。
そのせいもあってエルくんは国王陛下からお説教されたり、凱旋式典に駆り出されたり、お貴族様方や国機研に飛空船の技術を提供したりなどなどいろいろあったらしいけど、だからこそ俺には時間が出来た。
ので、早速畑に出ました。
なんだかんだで1年以上戻ってこれなかったけど、近くの村の人たちに農業用にアレコレ装備した、簡単操縦の量産仕様機、カルディタンクマイルドごと貸しておいたので手入れはバッチリ。
なのでこうしてまた新しい作付けのために土を耕すことができる。
当然幻晶甲冑やらカルディタンクやら使った方が手っ取り早いんだけど、今は少しだけ生身で土と触れ合う喜びに浸らせてください。じーん。
あぁ、平和だ。
最近はエルくんが忙しいらしく、新型作れとも暴れに行くぞとも言われない。
いま、フレメヴィーラ王国は空前の飛空船ブームだ。
なにせ空という、見えてはいても手が届かなかったフロンティアに手が届くようになったのだから、当然だろう。
以前からガルダウィングの量産タイプもこっそり少数作られたり配備されたりはしていたらしいけど、あの機体は遠く、速く飛ぶことに適している代わりに積載量は大したことがない。
その点飛空船は速度こそ風頼りながら安定性と積載量が破格。ついに流通に革命を起こしうる駒が齎されたわけだ。
……まあ、フレメヴィーラ王国は空にも魔獣が多いから難儀してるみたいだけどね。
エルくんなんて、むしろそれを好機とばかりにエーテリックレビテータを使って空を飛ぶ幻晶騎士の開発を始めたし。
「先輩のガルダウィングはいい機体ですが、参考にするわけには行きません。今必要とされているのは、飛空船と歩調を合わせて空を飛ぶ戦力ですから。ガルダウィングは推力と揚力の発生元をマギウスジェットスラスタに頼っている都合上、巡航速度的にこの目的には適しません」
「確かにその通り。……で、本音は?」
「ぼくのかんがえたそらとぶ幻晶騎士も作りたいんです! 先輩には負けません!」
と、いう感じらしい。
自分の欲望を最優先させつつ、それを人に飲ませるためにもっともな理屈をつけることこそプレゼンテーターとしてのエルくんの得意技だ。
てなわけで見事幻晶騎士開発の本流から外れた俺は、クシェペルカでのあれこれで損傷した機体を直しつつ改修しつつ、他の時間は農業に当てるという幸せな時間を過ごしているのでありましたとさ。
「あぁ、この時間がずっと続けばいいのに……」
一通り耕し終わって整えた畝を眺めながら、満足感たっぷりのため息をうっとりと。
……エルくんに目を付けられている限り、叶うはずもない夢を、見た。
◇◆◇
さて、フレメヴィーラ王国ではその後もアレコレの出来事があった。
まず第一に、飛空船の就航。
何が起きるかわからないから、ということでしっかりと武装も仕込んだ近衛所属の飛空船が物資輸送を兼ねた航路開拓を行って、空にはまだまだあちこち魔獣の縄張りがあるということが改めて発覚して難儀しているのだそうだ。
ちなみに、俺がこれまでガルダウィングで飛ぶときは街道沿いの比較的安全な航路を選んで、ついでに魔獣に目を付けられた場合もすっ飛んで逃げた。ガルダウィングのサイズと重量とマギウスジェットスラスタならそれも可能だけど、さすがに飛空船にそれを求めるのは酷というものだろう。
そして、その辺の事情もあって国王陛下からエルくんに打診されたのが、飛翔型幻晶騎士運用部隊の設立話。
当初は中隊新設、程度の話だったらしいんだけど、なんかいつの間にか膨らんで騎士団新設することになったみたいです。尾ひれ背びれって怖いね。
こんな話が出るからには、当然銀鳳騎士団の飛翔型幻晶騎士も完成している。
名前はシルフィアーネ。数多の試行錯誤の元、エーテリックレビテータによる飛行を可能とした機体だ。
……最初の試作1機目は、なんかひたすら丸っこいデザインセンスの欠片もない形だったけど。
「一応、浮かびはするんですけどねえ」
「アディちゃんも乗ってるんだから、何も起きないといいけど。ところでエルくん、あの機体が暴走してイカルガで助けに行くことになっても、勢い余ってオーヴィニエ山脈の雪山地帯に突っ込んで遭難しかけて、出力落とした火炎魔法で雪を溶かして作った露天風呂入ってきちゃダメだよ?」
「…………………………………………………………………………そんなことするわけないじゃないですか」
と、いう感じの試行錯誤を経て人魚っぽい見た目のシルフィアーネが完成。
その辺の設計図や資料なんかを国機研に持ち込んで、量産タイプトゥエディアーネも続々ロールアウトして飛翔騎士部隊の準備は着々と整いつつある。
さて、そうなって来ると国内でも情勢の変化は避けられない。
操縦感覚が違い過ぎる飛翔騎士部隊<紫燕騎士団>の騎操士は新人を中心に編成されることとなり、その教官役をエドガー達中隊長が担った。
……俺? 俺が空を飛ぶのに使う機体はガルダウィングなんで、新人たちがある程度動けるようになってからの仮想敵役をさせられました。
「ぎゃー! 囲むなー! 訓練用の法撃でも怖いから! ガルダウィングは下手すると一発で墜落するから!」
「……とかあの人は言ってるんだろうけど、一発も当たらないー!?」
「くそっ、トゥエディアーネと違って高度を自在に変えられるから、機動力で不利だ! 囲め囲め! 逃がすな!」
みたいな感じで、幻晶騎士の集団に殲滅される魔獣の気分を味わえました。
バレルロールで避けてスプリットSでやり過ごしてインメルマンターンで上を取って奇襲して、とあれこれやってもすぐに学習されるから厄介極まりない。
なお、余談だがフレメヴィーラに帰ってきてからガルダウィングとカルディタンクはそれぞれ修理がてら改修を施した。
ガルダウィングは飛翔騎士にも採用されている脱出用の幻晶甲冑、ディセンドラート対応型のコックピットに変えて、実戦での使用によって得られた知見と、エルくんが飛翔騎士用に新設計したマギウスジェットスラスタを採用することで航続距離と積載量が向上して扱いやすくなった。
ので、武装を増やしてみたり。これまで機体下部に申し訳程度に一本だけ法撃用の杖をつけておいただけだったけど、新たに左右両翼上部に高威力の火炎魔法の魔導兵装なんかつけてみた。
カルディタンクの方は、戦闘向けの改修をした。
農業用としては今のままでも十分なんだけど、エルくんに振り回されていると戦闘に巻き込まれることが多々あり、敵の幻晶騎士に近づかれると上背が足りなくて不利になるので、ちょっとした改良で解決。
カルディタンクをタンクたらしめている部分を取り替えることになったんで、名前も改め<カルディヘッド>とした。
披露の機会は、いずれあるかもわからんね。
そういったアレコレの変化はフレメヴィーラ全土に及ぶ。
当然、銀鳳騎士団にも。
◇◆◇
「私たちが、騎士団長……か」
「妥当と言えば妥当かな。技量も武勲もコネもある。多少若いとはいえ、エルくんがさんざんひっかきまわしてる今なら誰も気にしてる余裕がないし」
「改めて、うちの団長はすごいな……」
ヘッドハンティング。
エルくんが国王陛下に呼び出しをくらって出かけた時に偶然か、あるいはなんらかの取り決めでもあって狙い澄ましたのか、オルヴェシウス砦に来客があった。
その人たちが持ち込んだ話というのが、エドガーたち中隊長を今後新設される騎士団の団長として迎えたい、という各地の貴族からの申し出だったのだという。
飛翔騎士という全く新しいカテゴリの幻晶騎士が誕生したということは、それを運用する組織も新設した方が手っ取り早いということ。
すなわち、それらを率いるポストもまたぽこじゃか出来る。
そしてその枠にふさわしいのは誰か。熟練の騎操士でさえ慣れていないそれらの操縦と運用に最も精通している銀鳳騎士団の、それも中隊を率いてきて部隊指揮の経験もあるエドガー達にお声がかかるのは必然と言えるだろう。
「だが、ここを離れるのは……」
「ま、悩みたまえよ若者たち」
エドガーってば、悩んでる悩んでる。
エルくんについていくと決めているディートリヒと、銀鳳騎士団も楽しいしなによりエドガー待ちなところの大きいヘルヴィはどっしりと構えているが、エドガーは考え込んでいる。
そりゃあそうだろう。新設騎士団長の初代団長なんて、それこそ歴史に名が残る。騎操士として、望みうる最高クラスの名誉だ。
銀鳳騎士団の今の在り方に強い愛着を持っているエドガーだが、だからといって無下にできるような話ではない。
「……と、いうかだ」
「? どうした?」
そんなエドガーの苦悩に満ちた目が、なぜかこっちを向いて。
「なぜ、お前には一切声がかからない!?」
「ていうか、なんでお茶汲みしてんのよ」
「お茶受けに出した干し芋、気に入ってもらえたみたいでお土産を所望されたよ?」
「そういう話をしてるんじゃないということはわかっているだろうに、君ってやつは……」
八つ当たりされました。解せぬ。
「いやだって、俺は中隊長とかじゃないし。平団員だし」
「……うん、まあそうだけどね? あんたに部隊任せたら、絶対部下を開拓に駆り出すし」
「だからとて、武勲や幻晶騎士開発の功績は十分にあるはず! なのになぜ!」
「武勲も開発も、いまだほとんど誰も使ってくれない動物型やらタンク脚だからなあ。その辺の部隊が作られるまで俺にお声がかかることはないんじゃね?」
そう、騎士団長勧誘の話に俺が呼ばれることはなかった。
エドガーは理不尽だと頭を抱えているけど、道理だと思う。
まともに幻晶騎士を操縦して部隊を率いて活躍したエドガー達と違って、俺はあくまでエルくんに引きずり回されて機体を開発したり暴れてただけだし。いくら何でもこんな経歴の俺を騎士団長に据えようなんて貴族様がいたら、それこそ正気を疑う。
「でも、そろそろ銀鳳騎士団の体制も変わるべき時期だってのは俺も思う。……具体的には人事刷新とか! 人材の入れ替えとか! 今こそ俺が農民に戻る絶好の機会!!」
「またそれか」
「そうよねー、あんた騎操士である前に農民だもんねー」
「……お前はお前で、色々悩みがあるのだな」
しかしそれこそが俺の狙い!
この人事異動の季節に乗っかり、ドサクサ紛れで故郷に帰ってユシッダ村の開拓に加わるんだ! なんかそろそろ美味しい所はことごとく村の人たちに開拓しつくされてる気もするけど!
これからの大航空時代で発見・開拓されるだろう新しい土地も魅力的ではあるんだけど、俺がしたいのは土を耕す方なの。発見に至るまでの冒険とかその辺は他の人にお願いします。
ともあれ、時代の流れが変わって来た。これならあまり乗り遅れることなく農民に戻れるぜ!
「というわけで、先輩。大森伐遠征軍の先行調査に向かうことになりました。一緒に行きましょう!」
「…………………………………………………………………………………………え?」
……無理そうだぜ!
その日の夜、ちょっと泣きました。
◇◆◇
大森伐遠征軍。
それは、魔獣ひしめくボキューズ大森海を切り開くという、ある種フレメヴィーラ王国にとっての国是だ。
数百年前に西域諸国から魔獣を締め出した勢いに乗って行われた最初の遠征は、噂によるとヤバい魔獣に襲われてズタボロのギタギタにされて撤退を余儀なくされたのだとか。
その際のどさくさ紛れに建国されたのがフレメヴィーラ王国の始まりなわけだから、どうにかこうにかしてボキューズ開拓再びというのは、脈々と受け継がれてきた野望と言える。
とはいえ、地上を行くのであれば森に潜む魔獣たちからの熱い歓迎を受けることになるのは確実。いかにエルくん印の新型幻晶騎士がいるとはいえ、そいつらを蹴散らして進むとなったら何百機連れて行けばいいのか想像もつかない。
そんなはるか高かった夢に手が届くのでは、という希望を見せてくれたのが飛空船。
これと飛翔騎士があれば、地上の魔獣を相手にすることなく、速く、遠くまで足を延ばすことができる。
まさにうってつけ。とりあえず下調べ的な意味も込めていけるところまで行ってみよう。
そんな、国家の威信をかけた大事業の先駆けが、紫燕騎士団を主力とし、銀鳳騎士団の一部が協力してボキューズ大森海へと旅立って、3か月ほど。
「せんぱーい、ご飯できましたよー……って、干からびてるうううううううう!?」
「かゆ……うま……」
俺、干からびてました。
「先輩、しっかりしてください! メディック、メディーック!」
「畑耕したい……もう何ヶ月も土に触ってない……!」
「あー、先輩またそうなってるんだ。ほーら、フレメヴィーラから持ってきた鉢植えですよー」
「あうぅ……」
そりゃそうもなるよねえ!
地上は危ないからって、常に空中にいるんだからさあ! せめて途中で何度か地上に降りて補給するんだったらマシだけど! こんなこともあろうかと、野菜の鉢植え持ってきて世話してなかったら確実に死んでたわ!! 取ってきてくれてありがとうねアディちゃん!
「ふぅ、少し落ち着いた……」
「すみません、先輩。残っている物資の量や集まった情報量から考えて、そろそろ引き返すことになりそうですから、もう少しだけ我慢してください」
「うん、がんばる……」
「エルくんに背中さすってもらうの羨ましいなー。……でも今はそっとしておいてあげようかな、うん」
鉢植えを抱え、こんな空の上でもぐんぐん元気に育つ野菜の生命力を分けてもらいつつ精神の安定を図る俺。地に足つかなくなってから既に3か月ほど、俺はもう限界かもわからんね。
ボキューズ大森海への遠征船団の中核を担うのは、先にも述べた通り紫燕騎士団。空中戦力が重要になるため、銀鳳騎士団は
……そして、俺も選ばれた。
「ガルダウィングはトゥエディアーネでの対応が難しい魔獣が現れたときに有効です。それに、もし万が一地上に降りての補給が必要になった場合、森を切り開いたり拠点構築にグランレオン、カルディヘッドは最適ですから」
だ、そうな。そんなわけで例によってほぼ俺一人しか運用できない3機を持ち込むことになりました。
うん、冷静で的確な判断だね。
……その間畑仕事一切不可能な状況に、俺が耐えられたらの話だけどなあ!
まあその辺は、いくつか鉢とプランターに野菜の苗を植えて持ち込んでそっちで我慢することにしました。すでに死にそうだけど! 鍬持って土を耕して草取りして摘果して水路掘ったりしたい!
そんな感じの道中、色々なことがあった。
基本、師団級に代表されるような強力な魔獣は図体もデカい。
さすがにボキューズ大森海でも、あるいはだからこそ、そこまでの怪物がうじゃうじゃと育ち切ることができないのかあまり見当たらないし、それっぽい痕跡があったとしても空からならば発見も容易。可能な限り危ない所には近寄らずに進路を取って、割と平穏に進んで来た。
無論、飛行可能な魔獣に襲われることはあったし、トゥエディアーネ達だけでは対応が難しいケースもあった。
例えば、緑色の頭に複眼と足だけくっついたような形の妙に愛らしい魔獣とか。
空を飛ぶ上に近づいて来て自爆するというシャレにならない危険生物だったけど。
あと、黒い体に一つ目の、なんとなく生命の基本レベルで俺たちとは違うんじゃないかって感じがする無駄にたくさんいた虫っぽい奴らとか。大勢いたし、それを理由に名前つけてくれようか。
そんな感じの新種魔獣とも戦い、たまにエルくんやアディちゃん、ついでに俺も出張って蹴散らしつつたどり着いたのが、オーヴィニエ山脈に匹敵するかあるいはそれ以上と目される、大山脈。
どことなくフレメヴィーラ王国にも似た、あるいは国を築くのに適しているかもしれない好立地。そこを見つけたことで、一応の成果としてそろそろ報告のためにも帰るのがいいのではないか、という話が各飛空船の船長たちとエルくんたち騎士団長会議で話し合われているのだという。
ああ、ようやく帰れる。
帰ったら、もう何言われても土にへばりついて離れないからな!
これはもはや、確定事項と言っていいほど強く俺の中で固まった決意であり。
そのためには、まず生きて帰らなければいけない。
この、異形ひしめく森の奥から。
◇◆◇
魔獣発見。
その報自体は、飛空船団において驚くものではなくなっていた。
数は1。虫型で、発達した角が特徴という程度のもの。紫燕騎士団が出撃し、念のため排除する。
第一報ではそのように知らされて。
「なんだこれは、魔獣の体液か? ……うわっ、酸! 酸だあああああああ!?」
すぐに、最大級の警戒警報が発令された。
『幻晶騎士全機出撃! 魔獣勢力増大、その数、20以上!!』
「マジかよ」
情報がひっくり返るまで、そう長い時間はかからなかった。
次々に空へ飛び出していくトゥエディアーネと、なんかすさまじい勢いで艦橋からすっ飛んできてイカルガのコックピットに収まるエルくんの様子からして、尋常ではないことがすぐに知れた。
「先輩、すみませんが今すぐ出撃を! 魔獣は酸の雲を作り出して……幻晶騎士を溶かします!」
「そりゃあ……これまで見てきた中でもとびっきり危険だね」
「はい! なのでちょっと絶滅させましょう!!」
「アッハイ」
エルくん、顔が怖いよ。
割と本気で魔獣を一種、絶滅させる気でしょ。
とはいえ、接敵からのさほど長くない時間で幻晶騎士を溶かしてしまう魔獣なんて、飛空船に近づかれたらそれだけでアウトだ。全戦力をつぎ込んででも倒さない限り、俺たちに生還の目はない。
悪いが俺だって、故郷の土の上で死にたいんだ。ここは頑張らせてもらうよ。
「……と、思ったんだけどこの数はヤバいだろ」
『みんなはとにかく距離を取って! 接近戦は禁止! 法撃で蹴散らして!』
アディちゃんの指揮のもと、統制の取れた動きで魔獣に対する紫燕騎士団。
だが、魔獣の動きがおかしい。トゥエディアーネの部隊が包囲しようとすると数匹の囮を残して逆に包囲し返そうとして来るし、陣形が薄いところに集中して酸の雲を打ち込んで突破を試みる。
……妙に頭がいいな、こいつら。
しかも酸の雲は極めて強力で、トゥエディアーネ達が動き回れる場所はどんどん狭くなっていく。
それでも数が揃っているから何とか戦えてはいるけど、こりゃあ後続を断たなきゃキツいな。エルくんのイカルガが相手をしている本隊をどうにかしないと。
ということで、マギウスジェットスラスタの出力を上げて酸の雲を強引に迂回して後方へ。
「手伝いに来たよ、エルくん」
『助かります、先輩! 新しいガルダウィングの力、見せてください!』
トゥエディアーネ達の下へ向かったのはあくまでエルくんの撃ち漏らし。つまり、一番の激戦がここで繰り広げられている。
たった一機のイカルガが立ちはだかっている形だが、なにせ戦力的には紫燕騎士団の総力に匹敵しかねないのがエルくんという規格外。シャレにならないレベルの機動力で酸の雲をかいくぐり、蟲型魔獣を一匹ずつ、しかし着実に削っている。
「酸の雲の範囲が広い……こりゃまともに飛べないな」
『本気で溶けますから、気を付けてくださいね!』
エルくんからのアドバイスが飛ぶ。
が、飛べる領域は極めて少なくなりつつある。
イカルガならまだしも、ガルダウィングは常に前進し続けないと飛んでいられない。そして、この虫共の頭の良さからしてそれに気づかれるのは時間の問題。
……危険な賭けだが、切羽詰まってからやるよりはマシだな。よし、やってみるか。
「エルくん、悪いけどダメだった場合のフォローお願い」
『はい? ……ちょっ、先輩!? なんで酸の雲に向かっていくんですか!?』
エルくんが驚くのも無理はない。
ガルダウィングを突っ込ませた先には、魔獣が作り出したばかりの濃厚な酸の雲がある。最初に接敵した幻晶騎士はすぐに溶かされたという話だから、ガルダウィングの速度であっても、軽量化してあるこの機体はすぐに溶け崩れてしまうだろう。
そうなることはわかっている。だからこそ、この手が効くかを今のうちに試しておかないと。
目の前に迫る、死の体現である霧。
十分に速度の乗ったガルダウィングはもはやいかなる機動でも侵入コースを避けることはできない。さすがにちょっと怖いけど、でもガルダウィングなら大丈夫! ……多分!
自分にそう言い聞かせて覚悟を決めて、ガルダウィングの機体が雲に突っ込む、その直前。
「全吸気系、閉鎖! 空力シールド魔法、展開!!」
マギウスジェットスラスタ、並びにエーテルリアクタの吸気系を全閉鎖。
同時にため込んでおいた魔力をもって、ガルダウィングに実装されている「ある魔法」を展開。その直後に機体の全てが酸の雲に包まれて。
『先輩!』
「……成功だオラァ!」
――!?
エルくんの悲鳴のような声に冷えた肝を無理矢理熱くさせる暑苦しい叫びをあげて、ガルダウィングが酸を蹴散らし、突き抜けた。
ガルダウィングは、最近でも先王陛下や国王陛下から急ぎの手紙の運搬を頼まれることがある。なんか最近はノーラさんとこにも少し配備されたらしいからそっちにお願いして欲しいんだけど、頼まれたなら断れるわけもなし。
その度に特命勅使の身分を示す旗を任されて、機体に括り付けて飛んでるわけなんだけど、風にバタバタ煽られる旗を気にしながら飛ぶのはさすがに怖い。
と、いうことで開発したのがこの魔法。
エルくんに教わり、ガルダウィングの離着陸時にも使っている大気圧縮。その魔法を応用して旗の周りを風で覆い、内側に疑似的な無風状態を作り出すという優れものだ。
そして今回、その魔法をさらに応用して範囲をガルダウィングの機体を覆うようにしてみた。
これによって内外の空気は遮断されたに等しく、大した質量を持たない酸の粒子もまたそれに倣う。ガルダウィングは酸に侵されることなく、その包囲を抜けた。
「お返しだ、食らえ!」
『先輩すごいです! そんな方法があるなんて……! 今のイカルガでは使えないですけど、今度実装しますから手伝ってください!』
まさか真正面から突き抜けてくるとは思っていなかったのか、そんなことを考える知性が仇になったのか。驚く虫に真正面から両翼からの火炎魔法を叩き込み、蟲の爆散と同時に溢れる酸の雲を再び風の膜で蹴散らして飛び過ぎる。
よし、行ける……!
「改修の話はあとにしよう、エルくん。船団に向かっていった奴らを追おう」
『はい! じゃあ合体しましょう合体! その方が早いですし!』
「……隙あらば合体したがるね。まあいいけど」
とにかく、今は船団を守らないとマズい。イカルガとガルダウィングをドッキングさせ、正面を塞ぐ酸の雲をイカルガごと包み込む風の膜で突っ切り、仲間たちの下へと駆けつけた。
◇◆◇
「さぁて、どうするかな。みんなは何とか逃げ切れたみたいだけど」
『ええ、つまりここからが本題。幻晶騎士の天敵である奴らに鉄槌を下す時ですね。……喜びなさい、絶滅タイムです!』
「エルくん、セリフが完全に悪役」
船団に近づいた蟲を殲滅し、トゥエディアーネ達の推力も合わせた船団が戦闘空域から離脱したころ、俺とエルくんは後続の魔獣の前に立ちはだかる殿となっていた。
どうやら、この魔獣たちの妙に賢く統率の取れた行動は、ひときわ大きく赤く角が立派な指揮官役がいるからこそのものだったらしく、俺たちは完全にロックオンされたようだ。
先ほどから執拗な集団攻撃を受け、回避に反撃にと忙しい。
こうなってくると合体しているより相手の狙いを分散した方がやりやすいのでイカルガとガルダウィング別々に動いているが、決定打に欠ける。
やってみてわかったけど、ガルダウィングの風バリアも万能じゃない。
酸の雲を通さないとはいっても、しょせん風によるもの。マギウスジェットスラスタの出力を上げるとたやすく乱れて周りの酸ごと空気を吸い込んでしまうから、酸の雲に飛び込むときは推力を下げるか完全停止させなければならない。結果、機動力が下がって敵を捉えきれないことが出てきた。
やはり、すさまじい学習速度だ。人間でも中に入ってるんじゃないかね。
それに、何より。
『!? マギウスジェットスラスタの、推力が……!』
「エルくん!?」
この場に残った最大戦力、イカルガの出力ダウン。
いかに酸の雲を回避し続けたとはいえ、視認できない程度に濃度が薄くなった酸はそこら中に滞留しているということらしい。その空気を吸い込み続けたマギウスジェットスラスタの出力が下がったようだ。
……え、それって俺もそのうちジリ貧になるってことじゃね?
『えぇい、鬱陶しいです!』
弱った獲物から狙うのは狩りの鉄則。イカルガに蟲共が殺到していく。
まあ、機動力が落ちて高度が下がり気味とはいえ相手はイカルガ。近づく端からボンガボンガ撃ち落とされてはいるんだけど、奴らは死んでも爆散して周囲に酸の雲をまき散らす。既にイカルガはほとんど姿が見えない有様だ。あれじゃあすべて倒したとしても無事では済まない。
……潮時か。
これ以上は、マズい。イカルガに、そしてエルくんに万が一のことがあったらフレメヴィーラ王国が被る損失は計り知れないし、なにより。
「そろそろ限界だ。ズラかるよ、エルくん」
『先輩!? あ、ちょっ! 勝手に合体してイカルガを運ばないでください!』
そんなの、俺が我慢ならない。
エルくんにはこれまで数えきれないくらい振り回されて引きずり回されて畑から引っ剥がされてきたけど、その時間が辛いだけだったか、楽しくなかったかと言えば、そんなことはないからねえ。
ガルダウィングで酸の雲を突き抜けて、フラフラと不安定に飛んでいたイカルガと強制ドッキング。じたばた暴れるも、マギウスジェットスラスタの出力が下がってまともに抵抗できないイカルガを無理矢理連れ去ることにした。
『まだ蟲が残ってます! とりあえず見えてるだけでもぶっ殺さないと!』
「分が悪いからあとでね。帰ろう。帰れば、また来られるから」
エルくんてば本当にあの蟲嫌いだな。
とはいえ、根絶やしにすべきというのは俺も同感だ。あんな奴がフレメヴィーラ王国に来たら、土に畑にどれだけの被害が出ることか。
だからこそ、きっちり対策を用意して一匹残らず絶滅させるべきだ。
そのためにも、エルくんは絶対に生きて帰ってもらわなきゃならない。
そう。たとえ、何を犠牲にしても。
いまだ俺たちを脅威と見なしているのか、後方から迫る生き残りの指揮官蟲を、どうにかして。
既に空中戦は出来ない状態のイカルガと……じわじわマギウスジェットスラスタの出力が下がり始めた、ガルダウィングで。
……仕方ない、覚悟決めるか。
「……エルくん、悪いけどここから先は1人で戻ってくれるかな。多分そのうちアディちゃん辺りが迎えに来ると思うけど、それまではなんとかしてくれ」
『はい? ……先輩、何をするつもりですか!? 答えてください、先輩!!』
ガルダウィングとイカルガの合体解除。
イカルガは落下していくことになるけど、何基かはマギウスジェットスラスタも残ってるし、エルくんなら大丈夫。そう信じて、ガルダウィングの機首を返す。
向かう先には赤い指揮官蟲。
マギウスジェットスラスタ、出力最大。ここで溶け落ちても構わない。風の防壁は最小限にして、接近に気付いた指揮官蟲が展開する酸の嵐に突っ込み、その乱気流に揉まれながら、それでも気合で突き抜けた。
そう、お前もよく知っている自爆覚悟の突撃だ。さっきまで下っ端の蟲にさんざんさせていただろう?
知恵が人だけの有利でないというのなら、我が身を顧みないほどの渾身もまた、お前たちだけの武器じゃないんだよ。
『ダメです、先輩! 戻って! そのままじゃ……!』
時折スラスタの噴射光を輝かせて落下速度を抑えるエルくんからの声が不思議と届く。
まあ、気持ちはわかる。俺だって、誰かがこんな行動を取ったら止めようとするだろう。
あいにく、もう止まれないけどね。
魔法が効かず、回避もままならないと知った指揮官蟲はおそらく口だろう器官を開き、耳障りな叫びをあげて。
ガルダウィングが体当たりをかましたのか、指揮官蟲がガルダウィングの首筋に噛みついたのか、区別のつかない激突を、した。
「ぐあああああ!?」
当然、衝撃はすさまじい。ディセンドラート越しにシートへ体を固定していなければ、コックピットの中を盛大に跳ね回っていただろう力の全てが押さえつけられた体を襲う。
指揮官蟲はおそらく健在。ギシギシと聞こえる耳障りな音は、間違いなくガルダウィングの機体に蟲の牙的なものが食い込んでいる音だろう。
軽めとはいえ幻晶騎士のぶちかましを受けてなお健在とは、呆れた頑丈さだ。
対するガルダウィングは、もはや致命傷。
十分な速度を得るために酸の雲の中でも機能を発揮したマギウスジェットスラスタはうんともすんとも言わない。おそらくもう溶けてなくなっているだろう。
指揮官蟲に組み付かれて、その速度もすでにゼロ。もはや二度と飛び立つことは出来ない。
紛れもなく致命傷。あとはほんの少し先の未来に機体そのものも崩壊する。それは確定した未来だ。
なぜならば。
それが、俺の狙いだからだ。
「――薬は注射より口から飲むのに限るぜ、魔獣さん!」
――!?
相手が気付いたときにはもう遅い。
ここまで大事に守り抜いた、機体下部の魔導兵装に残ったマナの全てを注ぐ。
その杖先は既にガルダウィングの首筋とともに蟲の口内へと入っているから、狙いをつけるまでもない。甲殻は頑丈みたいだけど、お前も生物なら口の中、消化器官の中、粘膜まで頑丈かな……?
「じゃ、エルくん。あとはよろしく」
暴れて逃げる暇など与えず、爆炎術式、起動。
酸すら燃やす紅蓮の華が空に、散り。
『せんぱあああああああああああああああああああああああああああああああい!!』
エルくんの涙交じりの叫びもまた、誰に届くことなく響いて、消えた。
◇◆◇
フレメヴィーラ王国によって主導された、大森伐遠征軍の先遣調査隊はこの後、国許への帰還を遂げる。
少ないながら、被害はあった。
船団の損傷、幻晶騎士の中破や大破。
若くして命を散らした騎士もいた。
そして。
銀鳳騎士団団長、エルネスティ・エチェバルリアと乗機、イカルガ。
銀鳳騎士団団長補佐、アデルトルート・オルターと乗機、シルフィアーネ。
加えて銀鳳騎士団団員、アグリ・ボトルと乗機、ガルダウィング。
未帰還。
その報告は、フレメヴィーラ王国に少なからぬ衝撃をもって、轟いた。
◇◆◇
「あのバカ……!」
「おいエドガー、ヘルヴィを何とかしろ。最近アグリを殴っていないところにあんな話を聞かされて、なんかすさまじい雰囲気だぞ」
「無理を言うな!? 私でも恐ろしい! ……というか、アグリの奴は毎度あんなヘルヴィに追い回されていたのか」
「今更ながら、すさまじい胆力だなあいつ」