俺は、農業がしたかっただけなのに……!   作:葉川柚介

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番外編 ドキッ☆ 乙女だらけの銀鳳騎士団物語

「おはようございます、先輩!」

「うん、おはようエルくん」

 

 違和感を覚えた。

 

 いつもと変わらない、オルヴェシウス砦の朝。

 実家から出勤してきたエルくんとあいさつを交わすただそれだけのことなのに、何かが違うという確信にも似た直感に苛まれる。

 

 はて、何かおかしなところはあっただろうか。

 朝っぱらから眩しいくらいの笑顔を向けて横を歩くエルくんの態度にいつもと違うところはない。ただいつも通り「どこからどう見ても女の子っぽい」かわいらしさなだけだ。

 

「あぁっ! 先輩がエルといちゃいちゃしてる!」

「してないしてない」

 

 目ざとく見つけたアディちゃんがまなじりを吊り上げて張り合ってくるのもよくあることで。

 ……あるはずなんだけど、ちょっと待ってくれないか。

 

 

 あのアディちゃん、なんか変じゃね?

 

 

 というかアレ、本当にアディちゃん? キッドくんじゃなくて? なんとなくいつもより少し背が高い気がするし、ロングヘアでこそあるもののなんとなく精悍でイケメンな顔つきだし、体つきもがっしりしてるような。

 それに、「エル」? あのアディちゃんが、エルくんのことを「エル」と呼び捨てに……?

 

 でも、キッドくんは今クシェペルカにいる。

 それなのにあのアディちゃんはまるでキッドくんみたいなわけで……? うん?

 

 

 その時俺は、猛烈に嫌な予感がした。

 こう、何か致命的な間違いをしたまま設計を進めてしまったみたいというか、それが試験でも見つからず本番運用のためのステータスに切り替えた瞬間に現れて取り返しのつかない状態に陥っているような気がするというか。

 

「なんだなんだ、また朝から騒ぎか?」

「あっ、ヘルヴィさん!」

 

 そんな俺たちのもとに、さらなる集団がやってきた。

 ……男が一人、女が二人。

 最初に声をかけてきた、筋骨隆々にうっすら褐色肌のマッシヴなイケメンを、エルくんが「ヘルヴィ」と呼んで。

 

「相変わらず仲がいい。だがエルネスティはもちろん、みな立場というものもあるのだから、ほどほどにな」

「そこまで気にしなくていいんじゃない? 私たちはもともとこんなだったでしょう」

 

 長い白髪を優雅に揺らす、「女騎士」を絵に描いたような美人。なぜ俺は、彼女のことを「エドガー」だと思うんだろう。

 そして当たり前のように金髪ツインテールが靡く小柄なもう一人の女の子を見て「ディートリヒはやっぱり軽いなあ」という印象を抱くのか。

 

 

「……………………」

「? 何ですか、先輩?」

 

 すっと視線を横に。エルくんを見る。

 頭のてっぺんからつま先まで、いつもと大して変わらない小柄な体格。

 可憐、と評して誰も否定しないだろう整った顔立ち。

 パワーは魔法に頼るので肉付きは騎操士の標準よりも少なくほっそりとした腕と足。

 

 だがそこに、俺がこれまで知っているエルくんには決してなかったうっすらとした丸みがあって。

 

 そして。

 胸元にも確かな盛り上がりがあることは間違いなく。

 

 腰回りはいつものショートパンツかと思っていたら、股部分がぐるりとつながっている、つまりはミニスカートで。

 わー、良く似合ってるなー……。

 

 

「……ふぅ」

 

 俺は、意識を手放した。

 

 

「先輩ーーーーーー!?」

 

 

 なお、この後しばらくして目覚めたとき、俺の頭はエルくんならぬ「エルちゃん」の膝枕の上にありましたとさ。

 

 

◇◆◇

 

 

 狂ったのは世界なのか俺の頭なのか。

 ある朝目が覚めると、俺は自分の周りの人たちが軒並み性別逆転していることを発見した。

 うっそだろオイ。

 

 ……うん、いっそ俺の精神が狂ったのだと言ってくれ。

 ヘルヴィの二の腕がたくましい上腕二頭筋に覆われていることとか、エドガーがめちゃくちゃ美人な女騎士になってることとか、ディートリヒがツンデレ金髪ツインテールと化していることを抱えたまま生きていくのって辛すぎると思います!

 

 あと、バトソンくんはおさげ髪が似合う素朴なドワーフ少女になっていて、ダーヴィド親方はタンクトップオンリーでなんかもう色々見えそうになるおっぱい大きい褐色美人になってました。ドワーフ特有の身長の低さで。合法無防備ロリ巨乳とか、属性盛りすぎじゃなかろうか。

 ……いっそ殺せ。

 

 ボロが出ないよう息をひそめて銀鳳騎士団内の様子を観察した結果、大体こんな感じだった。

 この調子だとオルヴェシウス砦の外もどうなっているか分かったものではないので、正直あまり知りたくない。

 ちなみに畑の方にもばっちり影響出ていて、雄株と雌株に分かれている作物はきっちり雌雄逆転していて作付け計画と一緒に俺の頭も狂いそうになった。いや、もう狂ってるのかもしれないねアハハハハ……。

 

 人間関係はあまり変わっていないようで、ヘルヴィがエドガーにちょっかいを出していたりするのはいつも通り。なので対人面での距離感に悩む必要はないんだけど、そもそもの絵面的な違和感が恐ろしいほどに俺を苛んでくる。

 ……くそう、ダーヴィド親方の脇がチラチラ見えてドキドキするとか死にそうだよ!

 

 

◇◆◇

 

 

「アグリ、すまないが白鷺騎士団の演習相手を頼みたい。今日はカルディヘッドを相手に対法撃戦の訓練をさせてもらえないか」

「アッハイ」

 

 エドガーは、こうして時々俺を騎士団の模擬戦相手に駆り出すことがある。

 通常の訓練とは毛色の違った経験を積ませることで、自分が率いる騎士団の技量向上に熱心だ。

 もともとよくあったことで、でも今のエドガーが屈強なヘルヴィ以下男女入り乱れる白鷺騎士団で襲い掛かってくるんだから頭が痛い。

 

 「助かる。お前のおかげで、白鷺騎士団はどんな魔獣と戦っても『この前戦ったグランレオンよりマシ』と言って怯むことがなくなった。その礼に、今度一杯おごらせてくれ」

「あー、うん。気にしなくていいよ。ヘルヴィー! 今度エドガーがおごってくれるらしいから一緒に来てー!」

 

 しかしそこは頼れる騎士団長、エドガー。苦労を掛けたら労いも忘れることはなく、同期の気安さで肩など組みながらのお誘いは普段の堅苦しさが少しだけ取れていて親しみやすい。

 ……それによって、これまで押し付けられてきた固くてパツパツの大胸筋が大きくも柔らかいおっぱいになったことによって、俺の精神が破壊されかけたりもするんだけどね!

 

 そして、二人だけだといろいろ不安なのでヘルヴィも呼ぶことにしました。

 よし、適当にエドガーとヘルヴィを酔わせて二人きりにしてとんずらしよう。そして翌日「ゆうべは おたのしみでしたね」とか言うんだ。

 

 

「さあ、今日も勝負と行こうか、アグリ! グランレオンで相手を頼むよ!」

「なんでやねんディートリヒ」

 

 一方、少々変化が見られるのがディートリヒだ。

 エドガーは体格こそ紛れもない女性のものになっているが、身長などは変わらない。

 それに対してディートリヒはなんかもう見るからに「女の子」になっていた。エルくんほどではないが低めの背丈。こうして模擬戦を挑んで来るのはいいとして、妙にパーソナルスペースが近いせいで俺を見上げるような姿勢になっている。

 少し勝気な眼差しは変わらず、それがまあ金髪ツインテールに似合うこと似合うこと。

 颯爽とした身のこなしは踊るようにツインテールを靡かせて、もしやディートリヒは女の子に生まれた方がより一層モテたのでは、などと思ってしまう。

 

「隊長どの~、紅隼騎士団一同、準備整いました~」

「うむ、ありがとうゴンゾース。というわけで行くぞ、アグリ」

 

 ちなみに、予想通り紅隼騎士団の新顔であるゴンゾースくんも女の子になってました。

 ライヒアラ卒業したてな禿頭の巨漢だったゴンゾースくんが、エルくんよりも小柄で長い黒髪を揺らす幼女化している落差に、姿を見るたび眩暈がするけどな!

 

 

「親方ー、エルくんの承認もらった図面持ってきたよー」

「おう、来たか! ちょっと見せろ!」

 

 ダーヴィド親方とも、これまで通りに仕事をしている。

 書いた図面、必要とされる修理改修改善改造、そういったあれこれを相談しては槌を片手に実践し、失敗しては挑戦しての繰り返しが銀鳳騎士団鍛冶師隊のお仕事で、俺は基本的に騎操士なのにどういうわけか鍛冶師隊と仕事することがエルくんに次いで多い。

 

「……ほぉ、カルディヘッドの改修か。こりゃまた随分と余裕を持った設計じゃねえか、えぇ? 何企んでやがるんだ」

「いやあ、これまで得られた知見をもとに整備性とか重視しただけだよ?」

「はっはっは、まあいいぜ。今はこれ以上聞かずにいておいてやるよ。どうせ、銀色坊主が好むものになりそうだしな」

 

 がしっ、と肩を組んで豪快に笑う親方。

 うん、これまで通りだね。男だった時と変わらない。

 

 ……ただ、今の姿になると首元だるんだるんのタンクトップから防御力ゼロであれこれちらほら見えそうになるのがなんかさあ!

 褐色の肌がこれまでは岩みたいだったのに、なんかはちきれそうになってるんだけど!

 鍛冶仕事でかいた汗の匂いが、なんか今はそんなにいやじゃないんだけど!

 そういう風に思う自分が死ぬほど頭痛いよチクショウ!

 

 ダーヴィド親方はああ見えて俺らと同い年だし、ドワーフの人たちって男性は実年齢より年上に、女性は実年齢より年下に見えるし、女になった親方はなんかもう色々と大きくて……ね?

 「ロリ巨乳なダーヴィド親方」とか、字面だけで発狂ものだよ……。

 

 

 

 

 とはいえ、この程度の変化は序の口。

 変わったことは大変頭が痛いが、何より恐ろしいのは「変わっていないもの」だ。

 

 

「せんぱ~い♡」

「……………………はい」

 

 耳から入って脳まで蕩けそうなほどに甘い。

 聞き慣れた響きが少し違って届くそれこそは、女の子となったエルくんの声だった。

 ぶっちゃけ、他のメンバーが声帯ごと変わってるっぽいのに対してエルくんはあまり変わっていない。具体的に言うと、エルくんだけ担当声優さんが変わっていない感じ。ただ、後輩感はマシマシ。そのうち前髪伸びて片目を隠すんじゃなかろうか。

 

「これ! これ見てください! また新しい装備を考えてみたんです! 今度はですね、先輩のカルディヘッドの両肩に折り畳み式の超火力爆裂法撃術式内蔵型キャノンとか、いいと思うんです!」

「いつかきっとエルくんがそれを持ち出してくると思ってた」

 

 そんなエルくんは楽しそうに笑い、ぱたぱたと駆けてきて俺の腕に抱きつきようやく止まり、抱えていた図面を広げて見せる。

 頬を腕に擦り付けながら見上げてきた瞳に輝くのは、尽きぬ探求心とロボへの愛とうっすら狂気。いつも通りだ。

 長く見続ければ吸い込まれて戻って来れない底なしの欲望渦巻く、それでいてとんでもなく美しい光。

 

 ……そして、そんなこれまで通りのエルくんのそれとちょっとだけ異なるのが、肘の辺りに感じるふにっとした柔らかさ。

 髪からふわりと香るいい匂い。

 

 しにたい。

 

 発作的にそんなことを思って目が曇ってしまうような、美少年改め美少女なエルくんにこれまでと全く変わらず慕われて、俺は湧き上がる感情をどう整理すればいいのか、いまだにさっぱりわからんのでありましたとさ。

 

「……本当に、先輩はエルと仲いいなー」

「アディくん目怖っ!」

 

 あと、アディちゃん改めアディくんが俺を見る目が死ぬほど怖い。

 どうやらこれまでエルくんと同性だったころは、あれでもまだ嫉妬パワーが抑えめだったらしい。いまや女の子となったエルくんからのスキンシップ混じりのアレやソレやが、そしてそれを受ける俺がどう映っているのかはちょっと想像したくない。

 このままだと、割と真剣にエルくんを賭けた決闘とか申し込まれかねない……!

 

「よしわかったさっそく親方にも見せて強度計算とかしてくるからエルくんはスクリプトの方を用意しておいて頼んだよ!!」

「あっ、先輩……」

 

 ので、こうしてエルくんとの接触は最小限に抑える立ち回りを心がけております。

 元からほとんど変わっていない服装プラスミニスカートなエルくんに、元と同じくらいのスキンシップとかされたらさすがの俺もなんか大変なことになりそうだしね!

 

 

 という感じでさっさかエルくんに背を向けて逃げ出していたせいか。

 ……俺の背中を見送っていたエルくんの表情がどんどん寂しそうになっていたらしいことを、全く気付かずにいて。

 

 きっと、それが、致命傷だった。

 

 

◇◆◇

 

 

「ん、んーーーーっ。ぁふ……さすがに眠いな」

 

 魔法の光に照らされて、エルくん発案の装備の各部強度計算を進めていた手を止めて、ペンを置く。

 椅子に座ったまま伸びをすると背中から腰のあたりからぴきぴきと痛いような気持ちいいような感覚がして、身体に溜まった疲れのほどを自覚する。

 エルくんに捕捉されないよう資料を抱えて部屋に引っ込み、計算作業に没頭していたらいつの間にか夜も遅くなっていたらしい。一応夜食も持ち込んでつまんだから腹は減っていないけど、これはもうそろそろ寝た方がいいかもしれない。

 キリのいいところまで来たし、これ以上根を詰めても計算結果はのたくった線だけということになりかねない。いやあ、仕事と農作業してるときだけはこの世界が俺の知ってるものと違うってことを忘れられるね。

 

 一日ももう終わる、達成感と満足感。

 あとは寝床に倒れ込むだけでいいという幸福に浸かり。

 

 

――コンコン

「はい、どうぞ~」

 

 

 まるで狙い澄ましたかのように。

 油断と隙の極致にあった俺はノックの主を確かめもせず反射的に招き入れる言葉を放ち。

 

「こんな遅くにすみません……先輩」

 

 

 控えめに開いた扉の隙間から恥ずかしそうに半分だけ覗くエルくんの顔を目にして。

 息が、止まった。

 

 

 

 

「ちょっと、お話させてもらっても……いいですか?」

「……ウン、ドウゾ」

 

 返事をするまでに一拍の間。

 その瞬きするようなわずかな時で、俺の脳内は凄まじい速度で計算が行われた。

 

 「エルくんを、部屋に入れるべきか否か」。

 こうして夜も遅くなってから、いまだ男な俺の部屋に、いまや女の子となったエルくんがわざわざやってくる理由に心当たりはある。最近エルくんとの距離を取った接し方がお気に召さなかったからだ。これまでも、お互いの仕事の都合で顔を合わせる時間が少なくなった時期は、こうして寝る前の時間に部屋を訪ねてきていたからわからないでもない。

 ただそれは、同性だった時の話。女の子が夜遅くに男の部屋を訪ねる。なんかもう色々とアレな想像しかできない。

 いやまあ、邪推はよくないところではあるんだけど、じゃあ「エルくんが、その辺の知識がないか」「考えなしにこんなことをする子か」と考えると、答えは「否」なわけで。

 

 つまり、「現在の状況をすべて正しく理解したうえで、さらに覚悟までキメて来ている」なんてことが……?

 

 だが、いまさらエルくんを追い返すこともそれはそれで下策な気がする。

 ……だって、エルくんだし。やると決めたらやる。そう思わせるだけのスゴみがあるッ! 下手な拒絶と刺激は、より強硬な手段に走らせることになりかねない。

 

「じゃあ、失礼します」

「……っ」

 

 俺が激しく考え込んでいる間に、エルくんがするりと部屋の中に入ってきた。

 こちらに体を向けたまま、後ろ手に扉を閉める。

 ……ちなみに、そのままカギをかけられていないかめっちゃ耳を澄ませて気にしておいたけど、幸い杞憂に終わったらしい。セーフ。ここでもしエルくんが鍵かけていたら、なりふり構わず窓ブチ破ってでも逃げなきゃならなかった。逃げ切れる気はしないけど。

 

 が、実はそれどころではないくらい息をのむ羽目になった。

 

「……………………………………かわいい寝間着だね」

「そうですか? 先輩にそう言ってもらえると嬉しいです」

 

 はにかむように笑うエルくんは、寝間着の裾を持って右、左と体をひねって見せてくれる。

 

 薄い、というのが第一印象だ。

 生地が薄い。安っぽいのではなく、うっすらと透けることを初めから意図したような生地が使われているらしい。

 だがあくまでも全体のベースにであって、肌の露出や透けて見える肌の部分は多くない。

 せいぜいへその辺りしか生地越しに見える場所はなく、あとはフリルや刺繍がしとやかに飾る、女の子の夜の服。

 それを当たり前のようにかわいく着こなすエルくん(男のときとほとんど顔が変わっていない)は何者なのかという気がしなくもないけど、まあいまさらか。

 

「話が、あるんだよね。まあベッドにでも座りなよ」

「はい、ありがとうございます。……じゃあ、先輩もこっちに」

「えー……」

 

 エルくんがかわいいというかつてとの共通点をよすがに平静を少しだけ取り戻し、さりげなく自分は椅子に座ろうとしたのに機先を制された。

 腰かけたベッドの隣をぽんぽんされ、仕方なしにそこへ俺も腰を下ろす。ここで強引に椅子に座れないのが俺の弱いところだ。自覚はある。

 でも無理して椅子に座ったら、エルくんは俺の膝に座ってくるだろう。賭けてもいい。だからこれが最善とは言わないまでも次善なんです。

 

 ぽすんと座ったのはエルくんから体半分ほど離れた位置。

 横目で見たエルくんの眉が少しだけ不満げに寄った気もするけど、俺はそれを見なかったことにする。というか、気付いたら気付いたでどうしろってんだよ!

 

「話というのは、他でもありません。……最近の、先輩の様子です」

「……」

 

 そして、すぐに本題に入った。エルくんの話はいつも単刀直入だ。

 並んで座る隣。さらに体を寄せ、ベッドに置いた俺の手に自分の手を重ね、身を寄せる。ヤバい逃げられない気がしてきた。

 

「ど、どうかした? 別に、何も変わってないと思うけど……」

「変わりました。僕が近づくとビクっとします。今も。たくさんお話ししたいのに、忙しいからってすぐどこかへ行っちゃいます。なのにヘルヴィさんやアディとはあまり変わらないどころか、むしろ一緒にいる時間が増えたって、聞きました」

 

 ここで、ぷくっと頬の一つも膨らませて拗ねた様子であるならかわいいもの。

 だけど、エルくんガチなんだよねえ……。ひやっとした風が吹いたか、と思うほどに真顔。じわじわと追い詰められて下がる俺に、その分距離を詰めてくる。最初は手を重ねていただけだったのに、いつの間にか袖をつかみ、肩に手を置き、吐息を感じてしまう距離。

 あと、試しに身をよじってみたんだけどビクともしない。これ確実に強化魔法使ってる。物理的に逃げられん……!

 

「……寂しいです。先輩と離れ離れなんて、きっともう耐えられないんです。ねえ、先輩……」

 

 それでいて、エルくんからは闇の欲望ではなく飼い主に縋る子犬のオーラがにじみ出るんだから性質が悪い。目に涙を浮かべ、体を震わせているエルくんは思わず抱きしめたくなるような庇護欲をそそり、手が勝手に頭を撫でないようにするために必要とされる精神力は尋常なものではない。

 

 落ち着け、落ち着くんだ俺……! どうせまたいつものエルくんの幻晶騎士向きの欲望がちょっと方向性を変えただけだから……!

 

 

 

 なんて、この期に及んでも俺は甘い。

 エルくんは、エルくんだ。だが「俺が知っているいつものエルくん」ではなく、「俺の知らない別の可能性を持って生まれた、女の子としてのエルくん」なわけで。

 

「――そう思ったんです。だから」

「へ?」

 

 声が、流れた。

 エルくんの声の聞こえ方が妙な変わり方をした、と思ったら背中に感じる柔らかさ。ベッドの感触だ。

 そしてぐいと引き上げられる腕。手首に絡みつく少しだけキツい痛み。

 

 

 ……えっ。

 

 

「聞いてください、先輩。僕、考えたんです。先輩と、ずっと、ずーっと一緒にいられる方法。……わかりますよね?」

「うん、待て落ち着こうエルくん冷静になるんだ人類の英知たる言葉を交わそうじゃないか交渉に応じる用意があるから互いの条件を提示して落としどころを見つけるんだそれが一番平和だから待って待ってお願いだから服のボタン外さないで指先で肌なぞらないでえええええええあふん!?」

 

 

 ……正直、いつかこんな日がくるんじゃないかなと、思わなかったと言えば嘘になる。

 

 自室にて、両手をワイヤーでベッドに縛り付けられてエルくんに跨られるという、絶体絶命の窮地に陥ることが、いつかあるんじゃないかな、なんて。

 

 しにたい。

 

「はぁ……せんぱぁい♡」

「落ち着けー! 落ち着けエルくん深呼吸ーー!!」

 

 ゆっくりと、焦らすようにボタンを外し、あらわになった俺の胸板に赤く染まった頬を寄せるエルくん。熱い吐息が胸を這い、体が跳ねるけどエルくんは離れない。

 いかーん! エルくんの目がかつてないほど幻晶騎士キメた状態になってる! こんなのイカルガを初めて起動させたとき以来だよ!? どうなるの俺!? どうなっちゃうの!?

 

 そっと、エルくんが俺の頬に手を添える。小さく柔らかい掌の感触が滑り、指先が耳を挟み、後ろ髪の生え際をなぞる感触にぞくぞくする。うひぃ。

 

 

「大丈夫です。誓います、先輩。絶対絶対、幸せにしますから……♡」

「ちょ、えっ。なんで俺の顔に手を添えるの? なんで顔を近づけてくるの!? ねえ、ちょっとーーーーーー!?」

 

 どんどん近づいてくるエルくんしか、もはや見えない。

 これが何かの未来の暗示なのだろうかと何かを悟りながら、化粧気がほとんどないエルくんの顔貌で輝くように鮮やかな唇の紅に目を奪われながら、エルくんの「誓い」を受け入れ――

 

 

◇◆◇

 

 

「……………………ッ!!!!!」

 

 目が覚めた。意識は驚くほどはっきりと覚醒し、でもまだ目は開かないまま、全身ドッと汗をかいたことを自覚した。

 とびきりの悪夢が最悪の結末を迎えたかのようなこの反応。イヤになるくらいはっきり覚えている夢の内容を考えれば、さもありなんと納得がいく。

 

 受け入れ、じゃねえよ何考えてるんだ俺。

 確かにあの状況なら性別的な問題はないけど絶対一生エルくんのものにされるし、そうなる過程でアディちゃんくんとの決闘不可避だよ絶対命賭ける類のヤツだよさすがにエルくんのために本気なアディくんちゃんに勝てる気しねーよ。

 

 夢の中の自分が選んだ、あるいは選ばざるを得なかった未来に待つあまりの絶望に寒気がする。ドキドキを越えてバクバクと胸を内から叩く心臓の爆音に苛まれつつ、それでもあれはあくまで夢だったのだから、現実ではないのだからと少しだけ心を落ち着かせて目を開けて。

 

 

 

「すぅ……すぅ……んっ」

「――――――――――――――」

 

 わー、エルくんのまつげながーい。

 

 

 目蓋を開いた目の前ガチ恋距離にエルくんのあどけない寝顔が飛び込んできて、さっきまで跳ねまわっていた心臓が間違いなく鼓動を止めた。全身汗ばむほどに燃えていた体温は氷点下まで冷え込んだ。

 

 ……え、なんで? 夢? 夢じゃないの? 正夢? 俺は、昨日の夜、一体……何を……!?

 

 

 

 

 と、絶望の中で必死に記憶をたどったことまでは覚えているが、その直後あまりにあまりな状況に意識を失ってしまったらしく、しばらくしてからエルくんに普通に起こされ、昨夜新型魔導兵装の設計を相談されて二人そろって寝落ちしたと思い出させてもらうまでほぼ死んでたのでありましたとさ。

 

 でも、夢でよかった……! エルくんが男の子で、本当によかった……!

 

 

◇◆◇

 

 

「……」

「ちょっと、なによアグリ。人のことをそんなにじっと見て」

「いや、ヘルヴィの二の腕辺りがぷにぷにだと安心するなって」

「…………そのぷにぷにな腕の力を思い知っときなさいよオラァ!!」

「らめええええええ!? ヘルヴィのアイアンクローで頭握りつぶされたら自転車乗るのが速いスカシ気味のイケボになっちゃううううううううう!?」


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