子供の体温は高いという話を聞いたことがある。
かつての頃はそれが本当かを実証する事が出来なかった。独身だったし、そもそも彼女いない歴が年齢だったし。妹夫婦の間にも子供はいなかったからだ。
しかし今、俺は自信を持って断言をする事ができる。
「兄さんの身体、あったかい……」
「お前も暖かいよ千聖」
やべぇ、超あったかいナリィ……。
冬場の寒い時期、布団のお供に子供の体温と同じ温度で抱き枕を売れば儲かるんじゃないかと、茹だった頭でそんな益体もない事を考えた。
キャッチコピーはそうだな……貴方の布団に温もりを、とかどうかね。
布団から起き上がるのも辛い休日の朝、俺と千聖は一つの布団の中で互いを抱き枕として寝ていた。
この時期くらいから寒さが骨身に染み……てくるのはオッサンの頃だったか。
何度目になるかも分からない若さへの感謝を捧げながら、ぎゅっと千聖を抱きしめた。
「わっ……」
「おっと悪い。暑苦しかったか?」
「ううん、違うの。ただ驚いただけだから気にしないで」
体を離そうとした俺の腕を千聖が掴んだ。
寝起きでそれほど力が入らないのか、平時より弱々しい掴みだったが、その懸命な仕草に俺は萌えた。
今の千聖はなんか、こう……子猫というか、小動物みたいな可愛らしさがある。
「なら良いが……暑くなったらすぐ言えよ」
「うん」
内心では萌え悶えているが、表面上はそうとバレないように取り繕うのは得意だ。
表情を取り繕う、話題を逸らす、誤魔化す。は大人が持てる三種の対人テクである。
「兄さん」
「ん〜?」
「今日は何しよっか」
今日は休日であり、それ故にグループでの活動は無い。そして誰かを遊びに誘おうにも、個々人の詳しい予定なぞ把握していない。
「んー……」
あんまり動かない頭脳で考えた結果、俺が出したのは
「今日はこのまま、のんびりするのもアリじゃないか?」
これから運動会等で忙しくなるし、それに常に出てなければいけない理由があるでもない。
そして身も蓋もない事を言うなら、外に出るのが面倒臭い。
「兄さんが良いなら、私はそれで良いよ」
「じゃあ決まりだな。よっし、今日は寝溜めするぞ〜」
千聖の同意も得られた事だし、今日はそういう方向で行こうと俺は決心した。
そうして気合を入れて、いざ二度寝。と洒落こもうとした所で、カーテンの隙間から太陽の光が射し込んできた。眩しい。
「……と言いたい所だけど、太陽が上りはじめたって事は、もう起きないとダメな時間だな」
「ダメなの?」
「ああ。残念ながらな」
布団の中の温もりをもっと感じていたいという欲求に抗いながら、俺は上半身を起こす。
「よっ」
秋の早朝の空気は、本格的な冬場のそれよりは幾分マシだが、それでもやはり冷える事は冷える。上半身だけだからマシだが。
……一瞬、前言を翻して布団に戻ろうかと真剣に考えた。
「……やっぱり寒いね」
「寒いなら布団に潜ってていいんだぞ?」
俺も戻りたいから。という言葉は必死に飲み込んだ。リーダーたるもの、発言には責任を持たねばならぬ。
ところで上半身であるが、俺と同様に身体を起こした千聖に抱きつかれていた。千聖も寒いと言ったのはこの所為で、今も身体をぶるりと震わせている。
「兄さんであったまるから別にいいもん」
「俺は湯たんぽか何かか?」
俺が呈した苦言は千聖には届いていないようで、無言のまま抱きつく力が強くなった。
ちょっと身体が痛くなるくらい強く抱きしめられ、身体も自由に動かせないけれど、それでも振りほどく気にはならなかった。
ならなかったが、しかし、このままやられっぱなしも性にあわない。
「お前がそう来るなら俺も……」
なので抱きしめ返した。抱きしめた拍子に千聖が身体をビクッと震わせたりしたが、まだ寒かったんだろうか。
「こうすれば2人とも暖かくなれるだろ」
「それも……そうだね」
うむ、暖かい。空気に冷やされた頭の片隅では"何をやってるんだ俺は"という自責の念が目覚めたが、それは見なかった事にした。一々そんな事を気にしてたら、バカなんてやっていけない。
そうして暫く動かないでいると、千聖から「くしゅん」とくしゃみをした音が聞こえる。
「寒いか?」
「さむ……くないよ」
「本当に?」
「本当に」
明らかに強がっている千聖に、俺はちょっとしたイタズラを思いついた。千聖からは見えていないだろうが、俺はニヤリと笑っている事だろう。
「そうか。でも俺は寒いから布団に潜るよ」
「えっ?」
「だから手、離してくれるか?」
抱きついていた身体を離そうとすると、そこにあったのは困ったような千聖の顔。
まさか、俺がこんなことを言うとは思わなかったという内心が、ありありと浮かび上がっている。
「えっと……」
「どうした?早く離してくれないと、俺が風邪ひくかもしれないぞ」
興が乗ったので追撃の言葉を放つと更に千聖の混乱は加速した。
見てわかるレベルで狼狽した千聖に満足した俺は、「えっと」としか言わなくなった千聖を再び抱き寄せて布団に倒れ込む。
「なーんてな。冗談だ、冗談。お兄様ジョーク」
「えっ……?あっ、もう兄さん!」
ようやく俺にからかわれたという事を理解したのか、千聖の顔がカッと赤くなった。
「あっはっはっ、千聖はからかい甲斐があるなぁ」
「もう、兄さんのバカ!」
千聖が胸をぽかぽか叩いてくるが、本気でないのか全く痛くない。
しかしその小動物的な動作は俺の精神にダイレクトアタックを仕掛けてきて、俺の精神は萌え尽き一歩手前である。
「千聖は可愛いなぁ」
「そんなこと言っても誤魔化されないからね!」
ぽかぽかの威力が強くなった。
そんなわけで、今日の始まりは俺達にしては珍しく騒がしかったけれども、たまにはこんな始まりも悪くない。
◇◇
遠くに見える山々も色付いて、次第に緑からオレンジや黄色に変化する今日このごろ。
日に日に色付く葉を見ていると、「ああ、秋なんだなぁ」と目で実感できる。近所のイチョウの木とかも色付き始めているし、秋って感じだ。
ところで秋といえば、ザクザクと落ち葉を踏んで歩く事も醍醐味の一つだと思っているのは俺だけだろうか。音で聞く秋の代名詞だと思っているのだが、
「そこのところ千聖はどう思う?」
「よく分からないけど、落ち葉踏むのは楽しいよね」
「だよな」
さて、施設では、たまーに職員さんを含めた全員でボランティア活動をする日が設けられている。
1ヶ月に1回はこの日があって、いつもは土日のどちらかだ。稀に祝日の日もある。
生前でも高校生の時にボランティア活動をやらされたりしたが……まあ、当然ながら嫌々なので作業効率はあまり良くなかった。堂々とサボる奴も居たしな。
小学生なんて遊びたい盛りなのだし、遊ぶ時間が潰れるこの日が来るのを大変嫌がる奴らも多い…………ように思える(というか思っていた)が、実はそんな事はなく、むしろ喜ぶ奴の方が多い。
俺も当初は首を傾げたが、昨今の遊び事情を知って納得がいった。最近の子供は遊ぶ時に
しかし、当然の事ながら施設の子供はゲーム機など持ってる筈もなく、周りの会話に合わせられなくて大変らしいのだ。
その点、最初っから変人扱いされている俺は気が楽でいい。イマドキの小学生と話題を合わせなくていいし、向こうから来ることも無い。
氷川姉妹?あの2人もぶっちゃけ変人だしノーカンでしょ。
そんなボランティア活動の本日の舞台は、商店街近くにある大きい公園だ。
真ん中にはでっかい噴水があり、更に何故か小さいプールが備え付けられているので、夏場は水遊びをする子供で溢れている。
「とうちゃー……お?」
ところで職員さん曰く、本日のボランティア活動は、事前に集められた人達と合同で行うものらしい。
そしてその人達は商店街の人達が主になっているようだ。この公園の清掃業務なんかはボランティアで率先して商店街が請け負っているらしい。
何が言いたいかというと、つまり……
「やはりというかなんというか……」
「沙綾ちゃんとつぐみちゃんだ」
「あ、星野兄妹だ」
「涼夜君と千聖ちゃん?どうして此処に……」
商店街に住居を構えるつぐみや沙綾と鉢合わせするという事である。知り合いが居た方が気が楽だから好都合だけどな。
「施設で月一やってるボランティア活動の一環でな。今回はたまたま此処だった」
「へー、そりゃまた凄い偶然」
「だな。ところで、俺達はどうすれば良いんだ?」
「それはこれから説明されるよ」
説明された事柄を簡単に纏めると、子供たちは何人かでグループを組んで、そこに大人が1人着く。
それを1グループとして、可能な限りグループを組んでいくといった具合だ。
「つまりこのままでおkという訳だな。4人なら十分だろ」
「じゃあ役割決めようよ。皆は箒とチリ取りと、どっちやりたい?」
「箒は任せろーバリバリー」
「兄さんが箒やるなら私も」
「じゃあ涼夜君と千聖ちゃんで箒をやって、私と沙綾ちゃんでチリ取りを……って涼夜君はなんで急に落ち込んでるの?!」
「お気になさらず……」
「あはは、相変わらず涼夜は面白いなー」
そうだよな……小学生にこんなネタが通じるわけないよな……。
自信満々で放ったネタがスルーされた悲しみからか、なんだか寒風が身に染みた。
「そういえば涼夜くんって、まだ9歳なのよね」
俺達に着いた大人は施設の職員さんだった。
適当に談笑しながら暫く掃除していると、職員さんは落ち葉でいっぱいになったゴミ袋の口を縛りながら徐にそう話しかけてきた。
「ええ、そうですけど……それが何か?」
「ああ、いやね。涼夜くんがあんまりにも大人びているからねー、偶に同年代か年上と間違えそうになるのよね」
「ほー……そうなんですか」
「で、でも、あくまで私の主観だからね?私が知らないだけで、涼夜くんにもきっと子供らしい1面がある事は──」
俺が顔を背けた事をショックを受けたのだと勘違いしたのだろう。職員さんが必死にフォローを入れてくるが、俺はそれを一切聞いていなかった。
むしろ、この人勘が良いな。と内心では驚いていたくらいだ。
それに、子供らしくない。だなんて陰口として言われ慣れている。
我ながら嫌な慣れだと思うが、今更こんな風に言われたところで何も嫌な感じはしない。むしろほっこりする。
そんな俺の実情など知る由もない職員さんは、「あはは……」と乾いた笑いでお茶を濁した。
「確かに、涼夜君ってちょっと大人びてるよね」
「分かる分かる。なんかこう、落ち着きがあるっていうか」
「そう!そうでしょ?!やっぱりつぐみちゃんと紗綾ちゃんもそう思うよね!」
つぐみと沙綾の言葉に便乗する職員さんを見ると、もうどっちが大人なんだか分からない。
この場合はつぐみと沙綾が大人びているのか、それとも職員さんが子供っぽいだけなのか、あるいはその両方か……判断に迷うところだ。
「積んできた経験が違うからな」
「なんでだろう、凄い説得力を感じる」
ちょっとドヤ顔して胸を張ってみたところ、露骨に生唾を飲み込んだ職員さんからそんな言葉を頂いた。
「その経験があるから、蘭ちゃん達を上手く乗せられるのかな」
「多分な。これでも人の扱い方には多少の覚えがあるんだ」
「…………本当に9歳なんだよね?」
「気持ちは分かるが失礼だな沙綾」
確かにこんな9歳児が居たら俺も年齢のサバ読み疑うけどさ。でも事実なんだから仕方ないじゃないか。……肉体年齢は、だけど。
誰も中身の年齢なんて言ってないし、そもそもそんな事を言っても信じられないからね、仕方ないね。
「そんな事よりお前ら、手が止まってるぞ。特につぐみ、千聖が"さっさとやれ"と言わんばかりの目で見てるから、急いで動かさないと」
「え?あっ、ごめんね千聖ちゃん!」
さっきから黙々と箒を動かしていた千聖はチリ取りの上にこんもりと落ち葉を集めている。一言でも声をかければ良かったのにそれをやらなかったのは、会話の邪魔しちゃ悪いとでも思ったからなんだろうか。
「大変そうだなー」
「お前もだぞ沙綾」
「え?うっわ、いつの間に?」
「駄弁ってる間にも手を休めないのが俺だ」
口しか動かさないなど三流のする事だ。二流の人間ならば口と手を同時に動かす。
二流ってなんだよとか、一流じゃないのかよ、なんてツッコミは受け付けない。
そもそも一流の人間なら終わらせてから駄弁るに決まっている。
「そうですよね?」
「暗に私の事を三流って馬鹿にしてるよね」
「滅相もないです」
でも自分からそう言い出すって事は自覚があるって事で嘘ですごめんなさいだからその怖い笑顔を止めて欲しいんですけど
「今のは涼夜君が悪いよ」
「そうだよ兄さん。いくら事実だからって、指摘したら可哀想だよ」
「千聖ちゃんは私をフォローしたいの?それとも死体蹴りしたいの?」
?マークを浮かべて首を傾げる千聖は、どうやら本気で分かっていないようだった。恐らく日菜の畜生成分が伝染ったのだろう。今度学校で文句言ってやる。
「えっ?職員さんって死んでるんですか!?」
そして此処でつぐみが勘違いスキルを発動。きっと死体蹴りの"死体"の部分だけで判断したに違いない。
「つぐみちゃん待って、死体蹴りってそういう意味じゃなくて」
「どうしよう沙綾ちゃん。私達、聖水も十字架も持ってないよ!」
「じゃ、じゃあ、えっと、他に効きそうな武器は……」
「沙綾ちゃんも乗らないで!?ど、どうしよう涼夜君!」
「兄さん……私、怖い」
「安心しろ千聖。何があっても、俺はお前を守る……ふふっ」
きっと、というか間違いなく信じちゃってる千聖を抱き寄せながら、俺は必死に笑いを抑えていた。
勘違いを解こうと思えばすぐだろうが、こんな面白い勘違いをわざわざ訂正する理由とかある訳ないよなぁ?
「笑ってる!ほら、涼夜君が笑ってるから冗談だよ!私はちゃんと生きてるからぁ!」
「いや、これは恐怖から来る体の震えですよ」
笑いを堪えているとか、そういう事実は無い。無いったら無い。この震えは武者震いとかの類いであり、それ以外の意味は無い。
「涼夜君!他に効きそうな武器って知らない?!」
「ニンニクだな。職員さんはニンニクが苦手だったから、きっとその特性を受け継いでいるに違いない」
「私の苦手な物をバラしつつ、さり気なく死体扱いしないで!?」
「わ、私、お母さんに言って持って来てもらってくる!」
「私も!」
「つぐみちゃんと沙綾ちゃんストーップ!!それは、それはマズイから!」
勘違いが勘違いを呼び、色々極まって走り出したつぐみと沙綾の後を職員さんが追う。
「わあああああああああああ!?追って来たああああああああああああああああ!!」
「お母さーーん!お母さーーーん!」
「誤解だから!誤解だからぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
つぐみと沙綾の言葉だけを聞くと、完全に不審者に追いかけられている小学生のそれである。
でっかい噴水の周りをグルグル周回している3人を見て、千聖が俺の服を掴む力が強くなる。
「兄さん……!」
「だいwww大丈夫だwww千聖はwww絶対にwww守るからwww」
「笑ってんじゃないよ!!こっちは真剣なのにぃ!」
いや、こんな間抜けな状況で真剣なんて言われても真剣さが感じられないというか
「ひっ、こっち来た!」
「逃げるぞ千聖!アレに捕まるのはマジでヤバい!!」
でもだからってこっちを巻き込むのは無しだろう!
◇◇◇
四季の中で何故か秋にだけは、○○の秋、という具体的なんだか抽象的なんだか分からない言葉が存在する。食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、運動の秋etc…。
芸術の春、とか、食欲の冬、なんて言葉は存在しないのに、なんで秋にだけ存在するんだろうという疑問は置いておくとして、この○○の部分に入る箇所は人によって差が出るところだと思う。
「さっきの事を鑑みるに、職員さんは間違いなくランニングの秋だな」
「ケンカ売ってるよね?」
「滅相もありません」
アカン、さっきの勘違い事件の所為で沸点が低くなっている。これは迂闊な事は出来そうにない。今日は楽しめたし、もう潮時だろう。
俺は芋にかぶりつきながらそう考えた。
こういうボランティア活動をすると、終わった時にペットボトル飲料1本とかを貰えたりする。
貰える物は場所によって変わったりするが、今日は秋らしく焼き芋だった。聞いた話だと、八百屋さんからの御裾分けらしい。
「すっごい疲れたぁ……」
「涼夜君も、死体蹴りの意味を知ってたなら教えてくれれば良かったのに」
「説明する間も無かったじゃないか。勝手に勘違いして、勝手に暴走しただけだろ?」
「うっ、それを言われると……」
つぐみも悪い癖だと自覚しているらしいが、悪い癖いうのは中々直らない。蘭のノーコンと一緒だ。
「まあほら、運動の秋だと思えばちょうど良いだろ。な?」
「いや、意味分かんないし……」
「どんと、しんく、ふぃーる」
自分の分を食べ終わり、でも少し物足りなさそうな千聖に俺の芋を渡しながら、遠くに見えた2つの影を見て思った。
「ひまりとモカは食欲だよな」
「いきなりどうしたの?」
両手に花、もとい両手に芋な2人は間違いなく食欲だと確信を持って言える。むしろそうじゃなかったらなんなんだと。
「あの2人は食欲の秋を体現してるなって」
「ああ、そういう事。確かに2人とも凄い食べっぷりだよね」
……ん?
「モカ?」
「ひまりちゃん?」
なんであの2人が此処に居るんだ?
「お芋の気配がしたから来ちゃった」
「いも~」
「……だってさ、つぐみ」
「だってさ、って言われても困るよ」
「この2人は相変わらずなんだね……」