現在の学力を測るツールとして、世界のどこでも行われているものに、テストという忌まわしき物がある。
中高生は言うに及ばず、たとえ社会に出てもまだ付き纏うそれとは、小学生の頃から付き合わなければならない。
「しかしそうか、ならお前とは10年来の付き合いになるのか……」
「兄さん……話しかけてもテスト用紙は話さないよ?」
……聞かれてたのか。ぐぬぬ、このままでは、千聖の中で俺のイメージが"テスト用紙に話しかける変な兄"になってしまいそうな予感がする。
「千聖。何故テスト用紙は喋らないと思ったんだ?」
「なんでって……」
「誰かに言われたからか?それとも、普通は喋らないからか?」
ちょっと口ごもった千聖に畳み掛けるように俺は続けた。
時に、めちゃくちゃな理論をそれっぽく納得させる方法を知っているだろうか?
「うん。普通は喋らないと思う」
「でも、もしかしたらこのテスト用紙は喋るかもしれない。このテスト用紙だけは普通じゃないかもしれない。
そして、それを判断するには話しかけるしかない。だろ?」
めちゃくちゃな理論を勢い良く捲し立てて、相手に思考をする暇を与えずに無理矢理に納得させる事だ。
蘭なんかは俺を見て詐欺師の手法とか言ってたけど、いや待て、なんでアイツがそんなの知ってるんだ。
「だろ?って、そんなこと言われても分からないよ」
「そうだ、それは分からない。分からないから試すんだ」
気づいてはいけない美竹家のヤベー闇を脳裏からデリートしながら、口は適当に動かす事をやめない。
…………ふう。俺のログには何もないな。
「分からないから、試す……」
「そう。つまり、俺はなんでもチャレンジする心が大事という事を行動で示したのさっ!」
そうやって全力で誤魔化しに走った俺の手元には、そんなテストに赤いインクが走った物。
つまり丸付け済みのテスト用紙があった。ちなみに科目は国語。
学年が学年なのでまだカリキュラムに組み込まれていない英語を除く三科目は、これからの授業で帰ってくるだろう。
「ところで兄さん。テストどうだった?」
「どう、と言われてもな。まあ予想通りとしか」
算数は言うまでもないが、社会と理科も"まだ"簡単なので凡ミス以外でミスをする事は有り得ない。俺が手も足も出せなくなるのは、理科は中二、数学は高一からだ。社会は……仮にも文系だったし、何とかなる。と思いたい。
理系科目は滅べ
「そういう千聖はどうなんだ?」
「私も、まあ大丈夫かな。兄さんのおかげで結構できたよ」
千聖もパッと見ただけでバツの方が少ないテスト用紙だった。あの様子だと8割はカタイな。
「おねーちゃんは出来た?」
「まあまあってところかしら。日菜は……なんて聞くまでもないわね」
「えー、聞いてよー」
そして向こうでは、ゆっさゆっさと肩を掴んで揺さぶられても全く動じずテスト用紙を畳んでいる紗夜さん。
流石に日菜の姉だけあって扱いを心得ている。あの手の輩は反応を返すと何処までも繰り返してくるからな。
俺がその様子をじっと見ていると、紗夜さん揺すりに飽きたらしい日菜と目が合った。
「やべっ」
「じゃあ涼夜君、聞いて?」
やべっ、と思った時には既に遅し。日菜に至近距離まで寄られていた。
ぐいっと顔を寄せてくる──前から思ってはいたけど、日菜って顔を思いっきり寄せて来る癖があるよな──日菜を手で制しながら、こっちにサムズアップを向けてくる紗夜さんに……
っておい待て。あの人ってそんな事するような性格じゃないだろ。
「面倒事は他人に押し付ける。実にイイ考えだと私は思います」
「誰だよ紗夜さんに変なこと仕込んだの」
「「「
「なんやて工藤」
クラスメイトの工藤くん(仮)の方に顔を向けると、一瞬だけ目が合った後に露骨に目を逸らされた。
事あるごとにやっているからか、向こうも俺の扱い方を覚えたようで何より。泣いていいか。
自業自得じゃないですかと紗夜さんに言われると、まあそうなんだけどと返すしかない辺り、俺の日頃の行いがどんな物かは推して知るべし。
ところでサラッと俺をスケープゴートにして自分だけ難を逃れた紗夜さんは、何食わぬ顔でテスト用紙を畳んでいる。知り合ってからの短期間で俺の扱い悪くなりすぎじゃないですかね……。
「"俺はリーダーだし、厄介事はドンと来い"って言ってたから押し付けただけですが」
「それドンとちゃう、Don'tや。否定形の英単語だから」
英語なんて知りません。ませーん。ちょっとシャラップ
なんてやり取りを交わしている休み時間。紗夜さんは俺の手からヒョイっとテスト用紙を持っていくと、ざっと目を通してから一部分を指さして「なんですかコレ」と言った。
「何と言われても、漢字の書き順ミスで減点喰らっただけだが」
「全部ミスしてるー」
「兄さんはいっつもこうだよ」
漢字の正しい書き順なんて忘れちまったぜ…………。
実際、どれくらいの大人は正しい書き順で漢字を書き続けているのだろう。中・高と上がるにつれて、なんか段々と面倒くさくなってきて、最後には自己流の書き順になるのは誰しもが通る道のような気がするんだが。
「ここさえ無ければ満点じゃないですか」
「今更直せないんだよ。もう何十年もこの書き方なんだから」
「まだ9歳ですよね?!」
「心はもう三十路。どうも、星野涼夜です」
実のところ、中身はもう三十路を越えて……いや、止めよう。アラフォーとかアラフィフとか考えたくない。
いいじゃん、今はまだ若々しい肉体持ってんだから。先に待ってる苦労なんて今は思い出さなくてもさ。
「みそじ?」
「30代って意味。老いぼれじゃよ」
流石に"中学生ってのはな、もうBBAなンだよ"レベルに極まった思考は持ち合わせていないが、30っていったら、もう大分オッサン入ってると俺は思う。
「そこは人の感性によりけりだとは思いますが……」
「俺はそうだってだけだな。さて、次の授業の準備するか。理科だっけ?」
ランドセルの中に仕舞ってある理科の教科書とノートを取りに立ち上がる。
「うん。今日は教室でやるって言ってた」
「あの人、実験室で授業すること多いもんなぁ」
その時に紗夜さんからテスト用紙も回収すると、紗夜さんも無言で自分の席に戻って授業の準備に取り掛かる。
日菜も同じように準備をする為に自分の机に戻ると、上に放置してあったテスト用紙を持った。
そしてそれを暫し眺めていると、何かを思い出したのか一言。
「…………あれっ?結局、聞かれてなくない?」
気付いたか、記憶力の良い奴め。
◇◇
秋の入口を通り過ぎて暫くすると、そろそろやって来る行事がある。
体育祭……もとい、運動会だ。
運動会といって真っ先に思い付くのは、俺ならやはりお昼の弁当だろうか。
親の作った普段の給食とは比べ物にならない豪華な弁当を食べられるというだけで、運動会が存在する価値があるというものだろう。
……今の俺には一切関係ないがな!
一応、施設の方から弁当は出る。出来合いの奴だけど無いよりマシだ。食べれないのは何より辛い。
でも、贅沢を言うようで悪いがそれじゃ味気ない。
せめて台所が自由に使える年齢になれば千聖の弁当だけでも作るんだけど……それはこれからに期待だな。
ところで運動会恒例のイベントの一つに、学年毎にダンスを踊るという物がある。
最近になって廃れたと聞いて驚いた記憶があるのだが、それは生前の話だけみたいで、こっちでは普通に踊らされる。
ちなみに俺達の曲は、まさかの"ひょっこりひょうたん島"である。オイオイオイ、懐かしいわこの曲。
曲選が古すぎてジェネレーションギャップを感じてしまった。俺は分かってしまうから余計に。
周囲の、聞いたことねーよ、的な戸惑いの中で一人遠い目をしてしまったのは記憶に新しい。
「夢、夢ねえ……」
そんな、運動会が着々と近付いている途中の学活で出された作文。お題は「夢」について。
スレた大人であった俺には、自分の奥底にある物をさらけ出すような、この手の作文が一番ニガテだ。書いてて自分が汚れているのを実感してしまい嫌になる。
そんな事を言っていても作文が消えるわけでもないので素直に諦め、書く前に男の子がどんな夢を持っているかを想像してみよう。
サッカー選手、野球選手、テニスプレーヤー、地上最強の男etc……。そういえば、最近はゆーちゅーばー?というものになりたがっているという話もあったか。
男の子の夢として代表的なのはこれくらいだろう。しかし残念ながら、俺はどれにも当てはまりそうにない。
こういうのは思ったままに書くのが一番なのだろうけど、そうすると今度は『公務員になって安定した生活を送りたいです』とかいう子供っ気の欠片も無い作文になってしまう。
周囲から変人扱いされている俺ではあるけれど、これ以上の変人レッテルは勘弁願いたいところなのだ。流石に同性の友達が1人は欲しい。
「千聖は書けたか?」
なので前に座っている千聖の作文を覗き込む事にした。男女の違い等から丸パクリは出来ないけど、参考くらいにはなるだろうと期待しての行動だ。
「まだ五行くらいしか書けてないけど、一応」
「てことは、どんな夢を持ってるのかは決まってるのか。参考までに聞いていいか?」
女の子の人気な夢は、お花屋さんとかケーキ屋さんとか看護師さんって物が多かったような気がする。どれも千聖に似合いそうだ。
「─さ─と──で─らす──」
「ん?なんだって?」
あまりに声が小さい事と、周囲がザワザワしている所為で上手く聞き取れない。なので耳を近づけると、
「……なんでもない。やっぱり内緒っ」
そう言うと作文用紙を胸の前に持って俺に文章を見せないようにした。そこまでして俺に見せたくない夢には興味があるが、見せたくない物を無理に見る趣味はない。
「そっか。ならいいや、邪魔して悪かったな」
「ごめんね兄さん」
「気にしてないから大丈夫。誰にだって見られたくないものくらいあるもんな」
だから千聖が自分から見せてくれるのを待つことにする。
それは良いんだが、このままだとやはり参考になる物が無い。
「という訳で日菜、作文見せてくれ」
「いいよー」
ちなみに今の席順は名前順で、紗夜さん、日菜、千聖、俺の4人は縦に並んでいる。
4人の中で一番背の低い千聖が黒板の字を見れているのかどうかが今の俺の懸念事項だ。
さて、思った以上にアッサリと見る事の出来た日菜の作文を参考に、俺も夢をでっち上げようかと考えながら覗き込むと
「……日菜?」
「よく書けてるでしょ」
不思議な事に目が文字を上滑りしていくばかりで内容が一向に頭に入ってこない。
ところでこの、るんっ、とかバーン、とかの擬音語が多すぎて意味が分からない怪文書はなんだ。まさかこれを作文と言い張るつもりか。
「どう思いますか解説の紗夜さん」
「書き直しなさい」
にべもない一刀両断だった。
いい出来だったのにー、なんて言いながら消しゴムを使っているが、いや、それ誰が見ても同じこと言うんじゃなかろうかと。
「ちなみに紗夜さんは」
「教えません」
ですよねー。
別にこの時間だけで書ききらければならないわけではないとはいえ、白紙の作文用紙を見ていると嫌な気持ちになる午後だった。