ちょっと短めです
放課後、あたしは1人で家に帰っていた。モカと巴は涼夜と話をしに行くって言ってたけど、あたしは無理を言って先に帰らせて貰っている。
見慣れた商店街は、今日もいつも通り人が多い。こんなに活気があるのは珍しいって涼夜は言っていたけど、これが当たり前のあたしには、珍しいという意味が分からなかった。
……だけど、その意味を理解するって事は、つまりこの商店街から活気が無くなった時って事だから、そう考えると分からない方がいいんだろう。
学校から家には、つぐみの家がある通りの一つ横を通って帰るのが近道。
そんな理由があって、普段みんなと使っている道から外れた場所を歩いていると、ふと、花の香りが風に乗って、あたしの鼻を刺激した。
「あ……」
先を見れば、丁度あたしが行こうとしている道の先に花屋さんがある。
「…………」
……今日は、この道を通るのは止めておこう。
少し前なら気にも留めない筈なのに、こんな些細な事に反応してしまうのは、きっとこれから待っているであろう出来事が原因なのかもしれない。
あたしは道を左に曲がった。あのまま花屋さんの前を突っ切る事は、今のあたしには出来そうもなかった。
なんとなく、逃げ続けているものを突きつけられた気がしたから。
──お前は逃げられない──
風に乗って遠くまで匂う花の香りが、そんな事を、あたしに告げている。そんな気がしていた。
結局、普段みんなと使っている道に戻ってくる。背後から迫ってくる何かから逃げるように足を早めていると、前から見慣れた姿が歩いてきた。
「あ、蘭」
「沙綾……」
つぐみの家のすぐ近くのパン屋さんの長女、沙綾だ。家の位置とかの関係で、あたしは、モカや巴ほど濃い付き合いはしていないけど、今でも出会えば軽く話をするくらいには仲がいいと自負している。
「今日は1人なんて珍しいね」
「まあね。今日はちょっと」
「そっか……最近どう?学校とか、バンドとか」
沙綾は察しがいいから、今の言葉だけで何かある事を察してくれたんだろう。それ以上は何も聞かないで、他愛ない話に移ってくれた。
「いつも通り、かな」
「ふふ、なら良かった。蘭って不器用だから、上手くやってるか心配だったんだ」
「そんな、あたしの母さんみたいな……そうだ。沙綾の母さんは平気なの?」
「お母さんなら大丈夫。今は私も大きくなったし、家事も手伝えてるからさ」
「そっか。それなら少し安心できるけど、何かあったら力に──」
その先を言おうとした瞬間、あたしの後ろから大きな声がした。
「さーやー?!早く早くー!」
沙綾の名前を呼ぶ知らない声。きっと、学校で新しく作った友達の声だろう。
「はいはーい……ごめんね蘭。呼ばれてるから、そろそろ行かなきゃ」
「気にしないで。じゃあ、また」
「うん、またね。もし何かあったら、その時は力を借りるよ」
呼ばれて行く沙綾の顔は、ちょっと嬉しそうだった。小走りで駆けていく沙綾の背中を足を止めて見送ってから、あたしも再び歩き出す。
心なしか足取りが軽そうに見えた沙綾とは対照的に、あたしの足は重く沈んでいるような気がした。
帰り道の途中の公園からは、駆け回る子供の声が聞こえてくる。ちょっと目を向けると、何人もの子供達がボールを追いかけて走り回っていた。
全員が何も考えてないような、無邪気な笑顔をしていた。
(……羨ましいよ。まだなんにも考えなくていいなんてさ)
そう心の中で呟きながら、はしゃいでいる子供の声を聞いていると、何故だか無性に腹が立った。
理由は自分でも良く分からない。だけど唐突に、ふつふつと怒りが込み上げてきたんだ。
「……何考えてるんだ、あたし」
アホらしい、なんてレベルじゃない。見ず知らずの子供達に怒りを覚えるなんて、どうかしてる。
「帰ろ……」
そして寝よう。きっと疲れてるから、こんな変な事を考えるんだ。寝て起きれば、少しはマシになってる筈。
そう思いながら、家に近づくにつれてドンドン重くなる足を無理やり動かして帰路を進んでいった。
「ただいま」
家に帰ったら、あの時と同じように、居間の明かりが廊下に漏れ出ているのが玄関からでも分かった。父さんが居間に居る証だ。
一瞬スルーしようか迷ったけど、仮にスルーしたところで食事の後に何か小言を言われるだけ。問題の先送りにしかならない。
嫌だけど、行くしかなかった。
「…………っ。入るよ」
入る前に軽く呼吸を整えて扉を開けると、その強い眼差しがあたしに向けられた。
「帰ったか」
「……」
「最近、どんどん帰りが遅くなっているな。華道の集まりにも顔を出さずに」
「…………だから?」
またそれか。という意味合いを込めて父さんを見る。何度も何度も同じ事ばかり言われているから、いい加減に慣れた。
「何度でも言うぞ。蘭、お前もそろそろ、自分が美竹流の後継者である事を自覚しろ」
「何度でも返すよ。あたしは華道を継ぐ気は無いって」
こうなったら、もう完全な平行線。最近は毎日のように繰り返している事だった。
「だが、家には跡を継ぐ者はお前しか居ない」
「なら産めば良いじゃん。もう1人、産めないほど苦しくはないでしょ」
「そういう問題ではない。例えもう1人産まれようとも、美竹流の後継者は、蘭、お前だ。何故なら先に生まれたのだからな」
決定事項のように──いや、実際に決定事項なんだろう。父さんは、あたしにそう告げた。
「こういうのって、普通は男の人が後継ぎになるもんじゃないの?」
「確かにそうだが、別に女性が後継ぎになる事を禁止されているわけではない。……何を言おうと、お前が後を継ぐ現実は変わらんぞ」
「……」
「……」
……あたしも父さんも、もう何も言わない。今日はひとまず、お互いに言いたいことを言い切ったという事だ。
「……もう部屋に戻る。お風呂って、もう沸いてるの?」
「ああ。夕食の前に入るといい」
「そうする」
お風呂と聞いた途端に、外の暑さでかいた汗が不快さを主張してきたような気がした。それを流すため、あたしは着替えを取りに部屋に戻った。
◇◇
「はぁ……」
100円ショップで買ってきた南京錠を、適当にカチャカチャやってピッキングする手遊びをしながら、あたしは溜息をついた。
綺麗さっぱり汗も流したし、ご飯だって食べてお腹も一杯。だというのに、あたしの気持ちは晴れないまま。
理由は分かっている。抱えている問題の全ては、華道に関する事に帰結するんだから。
「家業……華道を継ぐ、あたしが……」
ここ最近、ずっと頭を悩ませている問題。それが何度も頭の中をぐるぐると行ったり来たりして、今は色んな事に身が入らない。
授業も以前に比べればボーッとする割合が増えて、注意される事も多くなった。この前なんて、ドッジボールで避け損なって思いっきり顔面に当たったりもした。
「なんで、あたしなのかな……」
他に誰もいないから。と言われてしまえば、そこまでなんだろう。だけど、それじゃ納得がいかない。
そりゃあ、父さんの言われるがまま、華道を継ぐのが正しい道なのかもしれない。
だけど、今のあたしはその道を選ぶ事が出来なかった。それは親に反抗する事がカッコイイとか、そんな理由ではない。
ただ、自分のやる事は自分で決めたい。他人に指図されたくない。それだけ。
そういう意味では、あたしは涼夜の事を羨ましく思っている。誰かに何かを言われることも無く、家の後継ぎなんて立場に縛られることのない──まるで、空を飛ぶ鳥のように、どこまでも自由に生きる人のことを。
それが過酷な生き方だというのは頭では分かっているつもりだ。親の援助が無いというのが、どれほどのディスアドバンテージを生むのかも。
だけど、それを差し引いても尚、その生き方が、あたしには眩しく見えた。
今のあたしには、そんな生き方を選べるだけの勇気や度胸なんて無いから。だから、堂々と突き進んで行くあの背中に憧れのようなものを抱いている。
ごろりと横向きに寝返りを打つと、中学の卒業式の時に撮った集合写真が視界に入った。
「…………」
つぐみには生徒会がある。ひまりには部活がある。巴には和太鼓が、モカも最近はデザイン関係の勉強をしてるって小耳に挟んだ。
紗夜と日菜は学年トップと2番を維持する為に頑張ってるし、あこだってゲームという趣味に熱中している。涼夜と千聖も生きる為にバイトに精を出している。
誰もが少なからずバンド以外の何かに打ち込んでいるのに、あたしは何をやってるんだ?
家柄は他人より遥かに恵まれていて、このまま行けば先は安泰だろうに、何故あたしはこうも抵抗する?何故、何故、何故──
「……あっ」
ガチャリ、と音を立てて南京錠が外れた。プランと力なく揺れる南京錠を見ながら、あたしの考えは最初に戻っていた。
なんで、あたしなんだろう。
そんなだからか、翌日の個人練習でも全くと言っていいくらい調子が良くなかった。音のノリも悪いし、曲のアイディアも全然浮かんでこない。
みんなはガルジャムに出る方向で練習を頑張ってるのに、肝心のあたしがこんな調子じゃあ良い演奏なんて出来っこない。だから、あたしが一番しっかりしないといけないのに……
(…………ダメだ。こんなんじゃ)
だけど、いくら焦っても演奏は上手くならないばかりか、一ヶ月前のあたしよりも劣っていそうな始末。
もっと、もっと上手くならなきゃガルジャムで成功を収めるなんて夢のまた夢なのに、上手くなるどころか、どんどんと下手になっていく自分に焦りが強くなる。
「一体どうしたら……」
「笑えばいいんじゃないかなー」
あたしの呟きに、そんな答えが返ってきた。ちょうどモカがスタジオに入ってきたところだった。
「モカ遅い」
「蘭が早いんだよ〜」
今日は珍しく、モカの方から2人で練習しようと持ちかけてきた。モカが滅多に言わない事だし、1人より2人でやった方が気分転換にもなると思ったから今日は2人でやる事にしたんだった。
「まあいいや。さっさとやるよ」
「そーだねー」
今は兎に角、
ピリリリリと、無機質な着信音があたしのポケットから鳴り出した。マナーモードに設定し忘れていたらしいスマホを取り出すと、画面には"父さん"の文字が光っていた。
「…………」
「出ないの?」
「父さんからだから、いい」
「ん……そっか」
暫く着信音が鳴った後は、もう電話は鳴らなかった。忘れないうちにマナーモードに設定を変えて、邪魔が入らないようにしておく。
「始めよう。みんなが頑張ってる間に、少しでも上手くなっておかなくちゃ」
「……」
「モカ?どうかしたの?」
「蘭の横顔に見とれちゃってたかもな〜」
「気持ち悪いこと言わないでよ……とにかく、やろう」
あたしはそれから、嫌な感じを振り払うように、ただ、がむしゃらに弾き続けた。
「…………」
隣でモカが不安そうに見ているのを気付かないまま。