今しか出来ない事をやろう   作:因幡の白ウサギ

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千聖ちゃんの退屈

 放課後の夕暮れ時。

 この時間は私達、学生にとっては大切な時間だ。学校とバイトの2つに挟まれた自由時間なのだから、普通の学生なら無駄にはしたくないと思うに違いない。

 もちろん私も無駄にしたくない。

 

 なのに、私はどうして公園で何もしない無為な時間を過ごしているのだろう。

 公園のベンチに1人で座りながら、私は何度目になるか分からない自問自答を繰り返していた。

 

「待て待てー!」

 

「捕まえてみろよーっ!」

 

 前の方で走り回っている、小学校低学年くらいの男の子達の姿をぼんやり眺めながらストローを軽く咥える。そのまま吸えば、紅茶の味が口の中に広がった。

 …………飲み慣れていないからかしら。なんか、あんまり美味しくない。10円高い程度ならって冒険して紅茶を買ったけれど、これなら100円のコーヒーの方が良かったわね。残りの10円で○まい棒でも買えば、小腹も満たせたのに。

 

(退屈……)

 

 こういう時、いつもなら何か話題を出して気を紛らわせてくれる兄さんは今ここに居ない。この近辺に出来たという、新しいライブハウスの下見をしに行っているから。

 本当は私も一緒に行きたかったけれど、今日に限って日菜ちゃんから呼び出されていたから、そっちを優先しろと兄さんに言われて仕方なく此処に居る。

 

 …………なのだけれど

 

「当の日菜ちゃんが来ないのは、一体どういう事なのかしら……?」

 

 あんまりにも夕日が眩しいから、今座っているベンチから影の中にある隣のベンチへと移る。

 約束の時間は、もうとっくに過ぎ去っていた。兄さんから言われてなければ、既に帰っている。

 

(……やっぱり、時間ぴったりに来るべきだったかしら)

 

 待たせたらいけないからと少し前から此処に居たけれど。もしかしなくても、そんなに待つ必要は無かったのだろう。

 ……そもそも日菜ちゃんって、今までに単独で時間通りに来た事ってあったかしら?なんか殆どの場合、紗夜ちゃんが連れて来ていたような……。

 

 

 と、そんな事を考えながら暫く経った後。ズズズーっと、ストローの先から音がする。

 そんなに急いで飲んでいた訳じゃないものの、普通の紙パックの紅茶が無くなるくらいには、私はこの公園に居座っていた。

 

 飲み終わった紙パックを近くのゴミ箱に捨てて、とうとう何も無くなった私は溜息を一つ。

 

「はぁ……」

 

 今日は運悪く、図書館に本を返してから何も借りて来ていない。カバンの中を見ても、暇潰しになる物なんて何も持っていなかった。せいぜい教科書くらいしか無い。

 やっぱり、ちょっとコンビニに長く居座るべきだったと後悔。暇潰しになったかも……いやでも、長く居るとお菓子が欲しくなっちゃうかもしれないし……やっぱり居座らなくて良かったのよ。

 

 ポケットから折り畳み式のガラケーを取り出して、手首のスナップを効かせてパカッと開ける。待ち受けになっているのは、購入日に自撮りした兄さんと私のツーショット。

 …………約束の時間から10分もオーバーは流石にダメね。帰りましょう。日菜ちゃんが悪いんだし、兄さんも許してくれるわ。

 

 私が帰ろうとベンチから立ち上がったのと殆ど同時のタイミングで、遠くの方に鳥の群れが飛んで行った。

 バサバサという羽ばたきの音と、夕焼け空を黒く染めるように飛ぶ鳥に意識を向けた一瞬。背後で誰かが動いた。

 

 私が座っているベンチの後ろは手入れされた茂みと外観を整える為の木が数本。その木の後ろに誰か隠れている。

 振り返って見ると、チラチラっとスカイグリーンの短い髪が見えた。あの髪色で、こんな事をやるのは1人しか居ない。

 

「……遅れた言い訳は?」

 

「いやー、教師に呼び出されちゃってさ。日頃の生活態度云々で」

 

 何故かちょっと照れ気味に手を後頭部に当てて現れた日菜ちゃんは、ぴょんと跳躍して腰の高さくらいある植え込みを飛び越えて私の隣に着地する。

 

「生活態度?」

 

「そーそー。階段の全段抜かしをしたら駄目とか、授業中は真面目にノート取れとか、そういうの」

 

「全段抜かしって、それ飛び降りよね。普通は止められるわよ」

 

 私でも知ってるような常識だけれど、日菜ちゃんは「常識に囚われちゃいけないんだよ!」とか言って良くこういう事をしている。

 常識知らずなんじゃなくて、分かってて無視をするのが日菜ちゃんなんだって兄さんは言っていた。紗夜ちゃんはイラッとしていた。

 

「えー、そうかなー?あたしは出来るし、危なそうな時はやってないんだけど」

 

「……それより、どうして私を呼んだのかしら?用がないなら帰るわ」

 

「あっ忘れてた。じゃあ着いて来てよ、場所移すから」

 

「………………本当に、どうして此処で待ち合わせしたのかしら」

 

 最初から移動する場所に呼んで欲しいというのは、私のワガママなのかしら。

 

「そんなこと言って、それでも待ってくれてた千聖ちゃんが、あたしは大好きだよー」

 

「もう帰るところだったわよ」

 

 とにかく、移動するらしい日菜ちゃんの後ろをついて行って……足元にボールが転がってくる。

 

「すいませーん!」

 

 さっきの男の子達だ。追いかけっこは飽きたらしく、ボールで遊んでいたらしい。

 ……そういえば、昔は私達もあんな風に遊んでいたっけ。

 

「はい、どうぞ」

 

 ボールを渡す時、いつもの癖でニコッと微笑んだ。「物を渡す時に表面上だけでも笑うと印象が良くなるからチャレンジだ!」なんて兄さんに言われてやっていた事だが、この子達にまでやる必要は無かったかもしれない。

 

「あっ、ありがとう……ございます」

 

「あんまり強く蹴ったら駄目よ?公園から飛び出るのは危ないから」

 

「は、はいっ!」

 

 どうしてか緊張感を露わにした(しかも心なしか顔が赤い)男の子と別れて、入口で待っていた日菜ちゃんに合流する。

 何故か日菜ちゃんはニヤニヤ笑いを浮かべていた。

 

「千聖ちゃんは罪な女だよねー」

 

「いきなりなに?」

 

「だって、あんな小さい子も虜にするんだよ?これは魔性の千聖ちゃんと呼ぶしかないでしょー」

 

 何を言っているのかしら。

 

「あ、分かってないね?うーん。あたしも中々だけど、千聖ちゃんはそれ以上かな」

 

「だから、何の話なの?」

 

「千聖ちゃんさぁ、誰かに好きって言われたことある?」

 

 誰かに、好きって言われたこと……?

 話の流れが見えない。日菜ちゃんが突拍子もないのはいつもの事だけれど、そんなのを聞いてどうするのかしら。

 

「ある、けど」

 

「へぇ。誰に?」

 

「兄さん」

 

 何故か"面白そう"という思いを表面に出しながら顔を寄せてくる日菜ちゃんを押し返しながら答える。

 私の回答に日菜ちゃんは押し返されながら"しまった"とでも言いたげに言葉を付け足した。

 

「……忘れてた。涼夜君以外の人でね」

 

「兄さん以外?いないわね」

 

「ほんとぉ?」

 

 即答すると、何故か懐疑の目を向けられた。

 

「嘘を言ってどうするのよ」

 

「まあそうなんだけど。でもなー……うーん…………ま、いっか。分かってた事だもんね」

 

 分かっている事を聞かないで欲しい。そんな抗議の眼差しも日菜ちゃんは華麗にスルーしていく。

 

「いやいや、確認は大事だからさ。でもそうなると……」

 

「それより日菜ちゃん。私は何処に連れて行かれるのかしら?」

 

「ここ」

 

 日菜ちゃんが指さしたのはファーストフード店。私にはあんまり縁がない場所だ。

 

「今日から期間限定の味のポテトが売ってるんだって。楽しみにしてるおねーちゃんより早く食べて、今も新入りちゃんのバンドで練習中であろう、おねーちゃんに画像送って飯テロするんだー」

 

「そう。後で紗夜ちゃんに怒られなさい」

 

 ファーストフード店に入ると、独特の匂いが鼻を刺激した。そういえば、兄さんが「時々だけど、あのポテトが食べたくなるんだよな〜」なんて言っていたわね。

 レジにはピンク色の髪をした店員さんが立っていた。私は当たり前の髪色だと思うけれど、兄さんからすれば変みたいで「ああピンク……ピンク?!」なんて言って初見の時は驚いていたのを思い出す。

 

「千聖ちゃんは何頼むー?」

 

「そうね。ハンバーガー1つにするわ」

 

「おっけー。じゃあ先に席取っといてよ。あたしが買ってくるから」

 

 日菜ちゃんのカバンを持って、座る席を確保しに向かう。レジの近く、仕切りで仕切られたテーブル席が空いていた。

 座る時、どういう訳か、日菜ちゃんの相手をしているピンク髪の店員さんの隣に立っていた、空色の髪の店員さんと目が合った。

 

「お待たせー。はい、ハンバーガー」

 

「ありがとう。…………それで、そろそろ呼び出した用件を聞いても良いかしら」

 

「用件?無いよそんなの。ただ千聖ちゃんと話したかっただけだし」

 

「………………………………はぁ」

 

 やっぱり、さっきの内に帰っておくべきだったわね。

 そう自分を責めるも、過ぎたことは仕方ない。次に活かせば良いのよ。

 

「なんでそんな露骨ぅーに溜息なんてつくのさー」

 

「いえ。なんか疲れたのよ」

 

 とは言っても、あんまり強く出られないのは、中学時代に壊れかけた兄さんとの関係を直すのを手伝って貰った借りがあるから。あれは大きすぎた。

 

「んーっ、美味しい!」

 

「そう。よかったわね」

 

「千聖ちゃんも食べる?ハンバーガーくれれば少し分けてあげるよ」

 

「食べかけなのに良いの?」

 

「あたしは気にしなーい」

 

「じゃあ貰うわ。はいハンバーガー」

 

 ハンバーガーを日菜ちゃんの方にやって、代わりにフライドポテトを少し貰う。

 それを齧ってみると……なんか……濃い。ひたすら味が濃い。濃すぎて水が欲しくなるレベルなのは、ちょっと体に悪いんじゃないかしら。

 

「これ……」

 

「美味しいでしょ?豚骨ラーメン味」

 

 …………そういえば、日菜ちゃんは濃い味が好きで、逆に薄い味が嫌いなのよね。豆腐とか、薄ーく作ったお味噌汁とか。食べている気がしない、なんて理由で。

 とはいえ、いくら濃い味が好きだっていっても、これくらい濃い味だと日菜ちゃんも辛いんじゃないかしら。

 

「うんうん。やっぱり、これくらい濃くないと食べたって感じしないよねー。ねっ、千聖ちゃん」

 

「え?ええ……そう、ね?」

 

 これに限らず、私の舌は外で物を食べると大体は味が濃く感じてしまう(施設の料理の味が薄めともいう)けれど、これは何というか……誰が食べても濃いと感じるに違いない。それくらい濃い。

 

「そうだ。忘れないうちに写真撮って、おねーちゃんに飯テロしなきゃ。はい、千聖ちゃんも撮るよー」

 

「なんで私も……」

 

「はいパシャリ」

 

 やめて。と言う間もなくカメラの音。昔からそうだけれど、日菜ちゃんは話を聞かないで突っ走りすぎる。

 

「ふんふーん。おねーちゃんからの返事楽しみだなー」

 

「日菜ちゃんって、紗夜ちゃんの事が本当に大好きよね」

 

「そりゃそうだよ!なんていったって、あたしのおねーちゃんだもん!」

 

 ハンバーガーに思いっきり、かぶりつきながら目を輝かせて日菜ちゃんは言った。

 

「おねーちゃんは凄いよ。クールだし、賢いし、度胸もある。初めてのギターだって難なく弾けちゃう。でも……」

 

「でも?」

 

「最近は一緒に寝てくれなくなっちゃったんだよね。寝にくいって理由で」

 

 落ち込みながらハンバーガーを食べきった日菜ちゃんは、指に付いたソースを舐め取った。

 

「そういえば、千聖ちゃんは今も涼夜君と一緒に寝てるの?」

 

「当たり前じゃない」

 

「おわーっ、羨ましい」

 

 ぐぬぬぬぬ。と悔しそうに歯軋りしながら私を見てきた後、再びポテトに手を伸ばした。

 

「おねーちゃんと涼夜君。一体どこで差がついたのか……性格と環境かなぁ」

 

「そうね」

 

 ふと時計を見ると、もうそろそろ6時を回りそうなところ。兄さんが先に帰っているかもしれない。

 

「もう帰るわ。兄さんが心配してるかもしれないから」

 

「千聖ちゃん、本当に涼夜君のこと大好きだよねー」

 

「当たり前じゃない。兄さんは私の、たった1人の家族なのよ?」

 

「じゃあ、あたしは?」

 

 日菜ちゃんの発言に私は戸惑った。いきなり何を聞いてくるのかと思ったら……。

 

「日菜ちゃんが、何なの?」

 

「今なら話の流れ的に日菜ちゃん大好きって言ってくれるかと思ったから」

 

「そう、なら期待に添えないわ。私の大好きは兄さんだけよ」

 

「えー。あーたーしーはー?」

 

 食べ残したポテトを日菜ちゃんに返して、喜んでポテトを頬張る日菜ちゃんに私は言った。

 

「別に好きでも嫌いでもないわ」

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 布団の上に座る兄さんの背中から抱きついて、その体重を預ける。

 こうするとなんだか心が暖かくなって、一日の疲れも消えていってしまいそう。

 

「幸せ……」

 

 このために1日を生きている。なんて言うのも大袈裟じゃないくらい。

 

「大袈裟だなぁ」

 

「じゃあ兄さんは幸せじゃないの?」

 

「まさか、俺も幸せだよ。家族とこうして、何でもない日常を生きること以上の幸せなんて、この世には無いんじゃないかって思ってる」

 

 嬉しい。という意図を込めて更に体を兄さんに預ける。殆ど全体重を掛けているはずだけれど、兄さんは全く苦しそうにしないどころか、むしろ嬉しそうに笑ってくれた。

 

「俺も、お前も、安い人間だな」

 

「私達が幸せなら、安いとか高いとか関係ないと思うわ」

 

「……それもそうだな」

 

 いくら大金を手に入れたとしても、この一時に勝る幸せは得られないと断言出来る。そのくらい私は、もう満たされていた。

 

「ねえ兄さん」

 

「なんだ?」

 

「好きよ。大好き」

 

「俺も大好きだけど……なんだいきなり。何かあったか?」

 

 溢れそうな想いを伝えると、兄さんも不思議そうにしながら大好きだと返してくれる。それが無性に嬉しくて、抱きつく力を少し強くした。

 

「ううん。ただ言いたくなっただけ」

 

「なんだそりゃ。変な千聖」

 

「ええ、私は変よ。だって変な兄さんに育てられたんだもの」

 

「ははは、言ったな此奴め」

 

 兄さんが笑うのに釣られて私も笑う。何がおかしいのかは、お互い分からないけれど、今こうして笑える事が何より幸せ。

 

 この一時が永遠に続きますように。

 

 私は心の底から、改めてそう願った。

 


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