──時間は少し前、ライブが開演するより10分くらい前に巻き戻る
仕事終わりや学校帰りの人々が行き交う夕方の駅前広場は、今日も凄い人の量と熱量だった。
(…………まだかな)
そんな駅前広場のベンチに座る、長い黒髪の少女。おどおどと周囲を見渡す姿は、まるで何かに怯えているようだった。
「あ、いたいた。おーいっ!」
「待てよ日菜!こんな人混みの中で走るなって!」
そんな少女に駆け寄る日菜。その後を追って走るモカと巴。声を掛けられた少女はビクッと肩を震わせた。
「やっほー、りんりん!待った?」
「えっと、いえ。私も……今来た、ところで……」
「日菜ちん早すぎ〜。モカちゃんは汗だくなのですよー」
「全くだ。ふぅ……日菜について行くのは一苦労だな」
息が一つも乱れていない日菜と、汗ダラダラなモカと巴。どうやら相当、日菜に振り回されたみたいだった。
「よしよし。じゃあ行こっか、全員揃った事だしね!」
「え?あの、これから何処に……」
「おいおい日菜。説明も無しで連れていくのは流石にダメだろ。ですよね燐子さ……」
「ひっ」
巴が目線を向けただけで、少女は怯えたような声をあげて近くに居たモカの背中に逃れた。
それはまるで恐ろしいものから逃げ出そうとしているようで、露骨にそんな事をされた巴は心が物凄く傷付いた。
「トモちんは嫌われてますなー」
「あっ、いえ、その…………えっと」
「初対面が初対面だったからねー。まあ当然の結果じゃないかな?」
少女──白金燐子は、あこがやっているネトゲ経由でAfterglowと知り合った少女である。
しかし、あことの出会いがネトゲのオフ会というものだった事、そしてそれに無防備にホイホイ出向いた事が巴の逆鱗に触れてしまい、あこと共に正座で1時間という長い説教に晒されてしまって以降、巴の事が異様に苦手になってしまったのだ。
「……それは良いよ。それよりほら、行き先を言わないと」
「トモちんが傷付いてる。これはちょっと茶化せないかも」
「じゃあババっと本題に入ろっか。えっとねー、りんりんにはこれから──」
いつもよりテンションが低い巴に心のダメージを察したモカが日菜に本題に移るように促し、それに頷いた日菜が話を転換する。
燐子はこのメンバーで出かけたことなんて無い(というか、あこ以外と出かけたことなんて家族としか無い)から、どこに行くのかはまるで分からない。
だから自然と身構えた燐子に対して、日菜は燐子にとって最悪の言葉を投げつけたのだ。
「──ライブハウスに行ってもらいますっ!」
「………………えっ?」
ライブ、ハウス?
燐子の脳内に言葉が反芻され、脳内でその意味を弾き出した。それはつまり
「ライブ、ハウス…………ひっ、人が……たくさん……!」
「ほらー。やっぱりこうなるから、あたしは黙って連れて行こーって言ったんだよ」
「いやでも、何も言わないとそれこそ疑われるだろ」
「ともちんは頭が硬すぎるんだよー。ソイヤのし過ぎで頭イカれちゃったんじゃないの?」
「ソイヤは関係ないだろ?!」
「いーや、関係あるね。大アリだよ。ともちんを変人たらしめる要素の10割はソイヤだっていうのはAfterglow内では常識なんだから」
日菜と巴が何か言っているが、今の燐子はそれどころではない。
人混みが、というよりはコミュ障が極まって人そのものが苦手な燐子にとって、多くの人が集まるライブハウスは此の世の地獄と呼んでも差し支えない場所であった。
ぶっちゃけ駅前広場に居るのだって精神的に辛かったのに、ライブハウスになんて連行されたら精神的に死んでしまう。
「わ、私っ、急用を思い出した……のでっ」
そうと決まれば行動は素早い。燐子史上最速でモカの背中から離れたかと思うと、これまた燐子の過去に類を見ない早さで此処から逃げ出そうとした。
「まあいいや。ソイヤが頭へ及ぼす影響は追々調べるとして、今はとにかくライブハウスへレッツゴーするよ」
が、それはあくまで燐子の中での話。日菜からすれば、正直欠伸が出るくらいトロい動きであった。
悲しいかな、超インドア派な燐子では日菜から逃げることは出来ないのである。
ガッと服の首元を掴まれた時、燐子は目の前が真っ暗になったような感じがした。
◇◇
そして、時間は元に戻る。
「なっ──!?」
「おおう、コイツはエラいハリキリガールがやって来たじゃねぇか」
蘭達は絶句し、涼夜が冗談交じりにコメントする横で、紗夜は言葉の意味を咀嚼していた。
バンドを組む。自分と、目の前の少女が?
「……それは、私がAfterglowに所属していると知っての発言ですよね?」
「ええ、無理なお願いなのは承知しているわ。だけど私は貴女が欲しいと思った」
随分と情熱的な事だ。声にも熱が篭っているし、これは本気の勧誘なのだろう。
「分からないですね。何故そこまで私に拘るんですか?他バンドに所属している私を引き抜くなんていう分の悪い賭けをするよりも、ソロで活動している人を見つけた方が早いと思うのですが」
「分の悪い賭けなのは分かっているわ。でも私に残されている時間は、もう殆ど無いの。一刻も早くFUTURE WORLD FES.に出られるだけのメンバーを見つけないと……」
「…………」
どうやら何かしらの事情があるらしい。鬼気迫るような友希那の姿を見ながら、紗夜は冷静にそう分析していた。
「FUTURE WORLD FES……確か、プロですら出場が容易ではないという、このジャンルで頂点といわれるイベントでしたか。それに参加するために私が欲しいと。そう言いたいのですね」
「ええ。貴女となら行ける。私はそう確信したわ。貴女にはそれだけの力がある」
この友希那という少女は、きっと本当ならソロで出たいはずだ。ソロで出られるのならこんな風にメンバー探しなんてするわけが無い。
しかし確か、FUTURE WORLD FES.の参加条件として最低でも3人は必要だ。人数制限という壁に阻まれたから、こうして無理な勧誘さえしているのだろう。
メンバーを引き抜かれるバンドの友希那への印象は最悪レベルにまで落ちるだろうが、そうするだけの理由があるのだ。
今の紗夜には分からない何かが、この友希那という少女を突き動かしている──そんな印象を受けた。
「ですが、貴女が音楽に向ける姿勢──本気で上を目指すという姿勢と、私の姿勢は噛み合っていない。
確かに私もFUTURE WORLD FES.には惹かれますし、出来るなら上を目指したいとも思っている。しかし、その志の高さは貴女に遠く及ばない。そんな私が入っても、バンドの空気を悪くするだけではありませんか?」
もうちょっと俗な言い方にしてしまえば、ガチ勢の友希那のバンドにエンジョイ勢の紗夜が入ってしまっても良いのか?という事だ。
日菜ほどではないが、紗夜も場の空気を悪くする事に関しては(無論、悪い意味合いで)かなり自信がある。だから普段は自分から発言はせず、意見を聞かれた時に述べる程度に発言の頻度を減らしているのだ。
そんなエンジョイ勢の紗夜が、他の──恐らくはガチ勢であろうメンバーから評判が良い筈もない事は想像に難くない。最悪、バンド分裂の元凶にさえなってしまうかもしれない。
そんな紗夜の不安はその通りだと思ったのか、友希那は頷いた。
「そうかもしれないわね。でも、それは私が何とかしてみせるわ」
「随分な高待遇ですね」
「それだけの価値があると思ったのよ。私は貴女の実力もそうだけど、何より音を気に入ったの」
「音……」
と、紗夜が呟いたタイミングで二人の間に割り込む姿がある。それは、怒りに顔を歪めた蘭の姿だった。
「ちょっと待って下さいよ。なに勝手に、あたし達を無視して話を進めてるんですか」
「貴女達の意見は聞いていないわ。私は、この子の答えだけを待っているの」
「でも紗夜はあたし達のメンバーです。そんな横暴を認めるわけには……っ!」
「止めろ。あまり口を挟むなよ蘭」
そこで涼夜が止めた。壁に寄りかかったまま放たれた、物理的拘束力は何も無い言葉だが、それは蘭を止めるのに十分な威力を持っていた。
「ッ!じゃあ涼夜は良いの!?もしかしたら、このまま紗夜が居なくなるかもしれないのに!!」
「だとしても、それは今生の別れじゃない。会おうと思えばいつでも会えるし、それに、これは紗夜の選択だ。紗夜がやりたいのなら、それで良いと俺は思う」
会おうと思えばいつでも会える。そう言った時の涼夜の目が遠い所を見ていたのに気付いたのは、千聖を除いて他に居ない。蘭はヒートアップして気付けず、他の全員はそもそも涼夜を見ていなかったからだ。
つぐみやひまりは蘭を不安そうに見ていたし、あこは友希那と蘭と紗夜を交互に見ていて、紗夜に至っては目を閉じていた。
「そんな無責任な!」
「だが正しい物の考えだ。人生なんて、どうせ何をやっても後悔する。例えば二つの分かれ道があったとして、そこで右を選んでも、左を選んでも、道を選んで進んでから思うのさ。「ああ、やっぱり向こうを選べば良かった」ってな。蘭にも覚えはあるんじゃないか?」
「それは、そうだけど……!」
「ならせめて、その時にやりたい事をやれば良い。将来的に何をしても後悔するんなら、今は後悔しない事をすべきだ。そして、それについて他人がアレコレ言うもんじゃないと俺は思っている。…………だけどな、紗夜」
紗夜は目を開いて涼夜を見た。涼夜の目が紗夜を見据えていた。真剣な目だ。冗談でも何でもなく、本気で紗夜のためを思って言っている事は伝わってきた。
「言うまでもないが、"本気でやりたい事"なのが前提だからな?」
「……分かってるわ」
紗夜は友希那に向き直った。蘭は横に退いて、怒りと不安が混ざった表情で紗夜を見た。
「湊さん。取引をしましょう」
「取引?」
「ええ、取引」
いきなり何を言い出すんだろう。それはこの場にいたほぼ全員が思った事で、自然と困惑したような眼差しが紗夜に注がれた。
……ただ2人、涼夜は面白そうに紗夜を見ていて、千聖はそんな涼夜の腕の中で涼夜の事をじっと見つめていたが。
「まず前提として、私はAfterglowのギターを辞めるつもりはありません。このポジションが私の居場所なので。
しかし、貴女が引き下がるつもりもないというのも、また事実。そうですね?」
「もちろん。私はチャンスを逃がしたくないの」
「なら答えは単純です。湊さん、貴女がAfterglowに来ればいい」
その言葉は少なからず友希那を驚かせたようで、少し驚いたような顔を紗夜に見せた。
そしてそれは蘭達も同じ。しかし、その衝撃は友希那が受けたものよりも大きかったようで、ひまりなんてベースを落としかけていた。
「契約期間は湊さんが私に代わるギター担当者を見つけるまで。契約期間中、湊さんにはAfterglowに参加して貰い、私は湊さんとバンドを組む。これでどうですか?」
「私が、貴女達と……?」
「その通り。勿論の事ですが、Afterglowがチームである以上、ある程度の枠組みには縛られる事にはなります。が、そこは必要経費だと割り切って頂きたいですね」
暗に「私は貴女と行く気は無い」と言われた友希那は表情が微かに曇ったが、紗夜は畳み掛けるように言葉を続けた。
「どうです?ここまでが私の譲れるギリギリのラインです。しかし、そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」
「……いいわ。それで貴女と組めるなら安いものよ」
僅かな逡巡。しかし直後に普段のクールな表情に戻って頷いた。それを確認した紗夜も頷いて片手を友希那に向けて出す。
「契約成立です。……自己紹介が遅れました、私の名前は氷川紗夜。これから僅かな間だけでしょうが、よろしくお願いします」
「湊友希那よ。これからよろしく」
がっちりと交わされた握手。この瞬間から友希那はAfterglowに参加する事になり、同時に紗夜が友希那とバンドを組む事となったのだ。
「……他のメンバーの紹介は追々済ませますが、先ずはリーダーである彼だけ、先に紹介しておきましょう。涼夜」
「はいはいっと……さて、ようこそAfterglowへ。湊さん、まずは貴女の参加を歓迎しよう。俺は星野涼夜。星野でも涼夜でも、好きに呼んでくれて構わない」
壁から動かずに片手を上げただけの軽い挨拶。男がリーダーをやっている事に友希那は軽く驚いたが、"まあそんな事もあるだろう"と深く考える事はしなかった。
「友希那でいいわ。それより最初に言っておくけれど、私は常に音楽を最優先にする。契約だから貴方の言う事にある程度は従うけれど、それだけは忘れないで」
「分かってるさ。過度の干渉はしないから、そっちは昨日までの普段通りにやれば良い」
「そうさせてもらうわ。…………じゃあ、私は出番があるから失礼させてもらうわね」
去っていく友希那の背中を見送りながら、涼夜は紗夜の隣に移動した。
が、何を思ったのか友希那は途中で足を止めたかと思うと、振り返って再び紗夜達を見た。
「…………そうだ。折角だから、この後の私のライブを見ていってくれないかしら」
「……それは構いませんが、しかし何故?」
「思えば、私の歌を貴女達に聞かせていなかった。だから私が紗夜とバンドを組むに相応しい実力である事を、この後の出番で証明したいの」
「貴女の実力は私の耳に聞こえてきていますが、それでは不足だと?」
「飾られた言葉に意味なんて無いわ。実力の程は、他人が勝手に付けた称号や役に立たない噂よりも、その目で見たモノで測られるべきだと私は思っているから」
それだけ言い残して、今度こそ友希那は廊下の奥に消えていった。
「…………それにしても随分と大きく出たな。まさかあんな事を言い出すなんて」
「いけなかったかしら?」
「いや、まさか。来る者は基本的に拒まず、去る者も基本的に追わない。それがAfterglow憲章だからな」
「それ、まだ残ってたのね。てっきり時間の経過で無くなってる物だと思ってたわ」
本気で感心したような紗夜の言い方に、涼夜は肩を竦めて返事を返した。
「記憶力は良い方なんでな。それより早く着替えないと、友希那のライブに間に合わなくなるぞ」
「そうね。行きましょう皆」
「へ?あ、ちょっと待ってよ紗夜!」
「涼夜君、千聖ちゃん。また後でね!」
一足先に歩き出した紗夜を追いかけるようにして、事の成り行きをただ見守っていた蘭達も着替えのために奥へ消えていく。
「後でなー……っと。俺達は先に行ってようぜ、千聖」
「ええ。そうしましょう兄さん」
それを涼夜と千聖は見送りながら、ゆっくりとライブ会場へと足を向けた。