今しか出来ない事をやろう   作:因幡の白ウサギ

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美竹蘭の憂鬱

 

「はあ…………」

 

 朝。蘭にとっては、ただでさえ憂鬱な時間だ。モカほどではないが、蘭は寝起きが悪い。

 寝起きが悪い人なら分かるだろう。朝に起きてしまった時の憂鬱というものを。

 

 だが、目覚めるなり深い溜息を吐いた蘭の今の気持ちは、寝起きが悪い事とは何の関係も無かった。

 寝起きで、まだハッキリとしない脳内に最初に浮かんだのは、自分1人だけが別のクラスに分けられたクラス分けである。

 

「…………学校…………」

 

 乾いた口の中を唾で潤しながら、蘭は、去年までは思いもしなかった事を口にした。

 

「…………行きたくないな」

 

 再び布団に倒れ込む。手で目を隠しながら、蘭は自分の憂鬱が、胸の中で大きくなっていくのを感じていた。

 

 分かっている。たかが1年、クラスが離れただけだ。一生の別れではないし、これで友情にヒビが入る事もないだろう。あの4人が、そんな程度の薄情な奴ではない事を、蘭は良く分かっている。

 だけど、そんな誤魔化しで元気が出るほど、蘭は単純ではなかった。

 

(涼夜は、どうやって耐えてたんだろう)

 

 あの孤独感に2年も耐えていた涼夜は何なんだろう、とさえ思っていた。蘭にとっては、根性なんかで耐えられるような物ではなかったのだ。

 更に言うなら、周囲のクラスメイトが、皆、クラス内に友達がいるように見えたのも、蘭の孤独感を助長していた。

 

(……このまま、サボっちゃおうかな)

 

 心の弱音が、甘美な誘いとなって蘭に語りかける。 このまま、再び眠りの闇へと堕ちていけたのなら、それはどれほど幸せな事なのだろう。

 だが、弱音を吐く心とは裏腹に、身体は既に覚醒しきってしまっていた。眠気は完全にトんでしまっていて、到底、二度寝が出来るような状態ではない。

 

 それに何より、蘭の父親が許す筈がない。厳格な父の事だ、蘭のサボりを許しはしないだろう。

 誤魔化せる自信も無くはないが、それは一時的な逃げに過ぎない。根本的な解決が必要だった。

 

「…………………………はぁ」

 

 重苦しい溜息の後に、ふと視線を動かすと、机の上に置かれた写真立てが目に入った。

 蘭達の卒業式の時に、Afterglowのメンバー総勢10名で撮った、記念写真だ。

 

 日菜が紗夜に飛びついている。あこが真似をして巴に飛びついている。つぐみと、ひまりはピースサインをしている。モカは蘭に抱き着いているし、涼夜は千聖と恋人繋ぎで寄り添っている。

 

 全員が少なからず笑っている中で、蘭の表情だけが、ぎこちなかった。

 

「あたしだけ、か」

 

 吐き捨てるように呟かれた言葉には、暗い想いが込められていた。

 

 

 それから5分もしないうちに、蘭は身体を起き上がらせる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初対面、あるいは付き合いが浅い人から見れば、蘭という人間は非常に取っ付きづらい。

 

 良く言えばクールな蘭の表情変化の乏しさは、悪い意味合いに置き換えれば、何を考えているのか分からないという事である。

 更に、蘭の口下手な所も災いしてしまっていた。ぶっきらぼうな蘭の言葉は、初見の人には些か厳しい物があるのだ。

 

「あっあの、美竹さん!」

 

「……なに?」

 

 女子生徒は怯んだ。あそこでグーを出せば良かったと内心で思いつつも、役目を果たす辺り程度には律儀であった。

 

「あの……次、移動教室だから……その………」

 

「……そっか。ありがと」

 

 この間、蘭に一切の表情変化は無い。ついでに言うなら、口調も若干固い物になっていた。

 これは蘭が対人に慣れていない事と、原来の口下手さが融合した結果から生じたものだ。4人のうち、誰か一人でも居れば補足説明が入っただろう。緊張してるだけだ、と。

 

……美竹さんって、やっぱりちょっと怖いよね

 

うん……ちょっと、取っ付きにくい感じするよね

 

 だが悲しいかな、ここには4人は居らず、そして人は表面に写った物でしか判断が出来ない生き物なのだ。

 女子生徒達の評は、今の蘭の状態を正しく言い表していた。

 

「…………」

 

 もう帰りたくなってきた。嫌になりながら荷物を纏めて、移動する為に教室を出たのは、蘭が最後だった。

 

 移動教室へと向かう最中、段々と蘭の足取りが重くなる。さっき言われた言葉が、こだまのように蘭の頭の中を乱反射していた。

 

 やがて、階段の踊り場で完全に蘭の足が止まる。この先の角を曲がれば教室だが、蘭の意識は階段の方へと向いていた。

 

「…………」

 

 階段の下を見た。下は保健室や、職員室などの教員が詰める場所が多い。

 一瞬、保健室へと向かおうかと考えたが、先生を通して両親に話が行くのも面倒だ。父親にグチグチと小言を言われるのは真っ平後免である。

 

 となると、残るのは上しかない。だが上にあるのは、別の学年の教室くらいしか……

 

「……空」

 

 いや、もう一つあった。それも、今の蘭にピッタリの場所が、1箇所だけ。

 蘭はチラッと一瞬だけ教室の方を見たかと思うと、階段の方へと向き直って、ゆっくりと階段を登り始めた。

 

 その足取りに迷いは無かった。

 

 

 カッカッという上履きで床を踏みしめた音が、静まり返った廊下や階段の空間に響き渡る。

 今この瞬間、世界には蘭しか居ないんじゃないかと錯覚させられるような静けさだった。

 

 やがて一つ上の階へと到着する。

 だが、蘭の目当ては此処ではない。目当ての場所は更に上だ。

 

「はっ、はっ……」

 

 気持ちが急いているのだろう。自然と足が早くなり、それに伴って息も上がる。

 誰かに見つかるんじゃないかという不安が、自然と蘭の足を早めていた。

 

 

 階段は永遠には続かない。この学校の最上階から、更に上へ。普段は清掃員しか来ないような行き止まりの場所に一つの扉がある。

 その扉は、屋上へと通じていた。

 

「…………まあ、そうだよね」

 

 ドアノブに手を掛けて前後に動かす。当然のように鍵が掛かっていた。

 

 此処、羽丘女子は近年では珍しく、生徒が屋上を使用することが認められている学校である。

 是非については様々な意見が交わされている屋上使用の許可であるが、流石に授業中の時間まで解放されている訳ではなかったようだ。

 

「仕方ないのかな…………あ?」

 

 諦めて此処で時間を潰そうかと思った時、微かな風が吹いてくる事に気がついた。

 蘭が風のする方を見れば、そこには窓があった。一般家庭にあるような左右開きではなく、いわゆる横すべり窓と呼ばれるタイプの物だ。

 

「窓が開いてる……」

 

 隙間は結構な余裕があり、蘭であれば、くぐり抜けられそうなくらいだった。

 そして近くには、もう使われなくなったのか、一つだけ机が置かれている。これを足場にすれば、屋上に出られそうである。

 

(……やってみよう)

 

 どうせ、サボりである事に変わりはなく、それで怒られる事も変わらないのだ。だったら、そこに罪状が一つ増える程度を、恐れる事があるだろうか。

 

 蘭は音を立てないように、ゆっくりと机を運んでから、机を足場にして窓から屋上へと出る事に成功したのだ。

 

 

「よいしょっと……」

 

 ギィィ……という軋むような音と共に屋上へ出た蘭を、所々に雲がある青空が出迎えた。過去に誰かが、蘭のようにサボりに来ていたのだろう。屋上側にも机が置いてあった。

 まだ春先だからか、少し強い風がブレザーの袖や裾を靡かせる。

 

 屋上からの眺めは相当良く、商店街や、その先のビル群まで見渡せるくらいである。そのため、お昼時になると多くの生徒が昼食を食べに此処に来る、羽丘女子の人気スポットなのだ。

 

 そんな理由で、普段は人が多い屋上には、今は蘭しか居なかった。

 人1人に与えられるには過剰すぎる広さの空間を見ていると、なんだか沈んでいた心が落ち着いてくる。

 

「あたしだけか……」

 

 少なくとも今は、この空間を蘭が好きに使える。誰の邪魔も入る事なくだ。

 こうして1人で居ると心が落ち着く辺り、やはり自分には大人数での集団行動は似合わないのだという事を自覚させられる。

 色々と融通が利いて好き勝手できるAfterglowはまだしも、学校のように秩序を重んじるような集団は、蘭には合わない事を肌で感じていた。

 

「落ち着く……」

 

 授業が終わるまでの間、蘭はずっと屋上で時間を潰していた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「…………やっぱり、最近の蘭は落ち込んでるよな」

 

 放課後の帰り道。巴、ひまり、つぐみの3人の話題は、蘭についてだった。

 

「うーん……まあ、以前と同じ様子って訳にはいかないよねぇ……」

 

「それはそうだけど、それを差し引いても様子がおかしいよ」

 

 つぐみの言葉に反応して、そういえば、と思い出したように巴が言葉を紡いだ。

 

「……蘭の様子がオカシイ事に関して、A組の友達から気になる話を聞いてさ。蘭が、たまにフラっと何処かに行って、授業に出ないって話を聞いたんだ」

 

「具合が悪いとか……じゃないのかな?」

 

「アタシも最初はそう思ったんだが、どうやら保健室には居ないらしい」

 

 フラっと何処かに行って授業に出ないと聞いた時、真っ先に思い浮かんだのは保健室だった。

 保健室はサボり魔達が集う、たまり場のような場所としての役割も持つようになっていて、羽丘女子中等部にも一定数いるサボり魔な女子達は、大体そこに居る。

 

 だが、そこには居ないという。ならば何処なのか、巴達には検討がつかなかった。

 

「それじゃあ、どこに行ってるんだろう?」

 

「分からない。モカも知らないらしくて……」

 

 蘭の事なら、殆どを知っているモカが分からない事を、3人が知っていた事は今までに無い。

 完全に手詰まりだった。

 

「……じゃあ。明日、直接聞いてみるしかないよね」

 

「やっぱそれしかないかぁ……ひまり、モカにも話をしておいてくれ」

 

「いいけど、蘭が口を割るかなぁ……?」

 

 結局のところ、本人から聞くのが1番手っ取り早い。実際に話してくれるかは兎も角として、取り敢えず、やってみようと3人は決めた。

 

 

 そして翌日、金曜日。

 朝は5人での登校である。あこは、最近になって新しく出来た友達と通学するとかで、先に家を出ていた。

 

「よっ、おはよう蘭」

 

「おはよー」

 

「おはよう、蘭ちゃん」

 

「おはよー、蘭」

 

 

「ん、おはよう」

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 会話が途切れた。普段なら、ここから誰かしらが話題を振る筈なのに、今日は誰1人として話そうとしない。

 結果として、いつもの5人らしからぬ沈黙の朝となってしまっていた。

 

(おいおいおい、誰か喋れよ)

 

(巴が聞いて、ちょっと巴!)

 

(ちくわ大明神)

 

(ま、またこうなるの?!)

 

 やはり、幼馴染パワーは機能していない。もはや(笑)が付いてしまうレベルのパワーだった。

 

 残る3人からの視線の圧力に負け、巴が漸く話を切り出した時には、既に学校まで3分程度の場所まで来てしまっていた。

 

「……あ、あのさ、蘭……」

 

「なに?」

 

「そ、そのさ……最近は、なんか困ってる事とか無いか?」

 

「困ってる事?…………別に無いけど」

 

 何言ってんだコイツ、とでも言わんばかりの目を向けられた、巴の心は早くも折れそうになっていた。

 

「そ、そっか……それなら良いんだ……あ、あはははは……」

 

「巴、頭でも打った?凄い変だよ?」

 

「打ってはいないぞ!でも、確かに変かもな……あははー………はぁ」

 

 今の蘭にだけは言われたくない。と巴は内心で思いながら、しかし、曖昧な笑みで誤魔化す事しか出来なかった。

 

「あちゃー」

 

「巴ぇ……」

 

「蘭ちゃん、大丈夫かなぁ……?」

 

 こういった出来事に不向きな巴に任せた失敗を確認しながら、蘭への疑念と不安感は、ますます増していくばかりだった。


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