「千聖ちゃんにお客さんが来てるよ」
そんな事を職員さんに言われた千聖は、まず有り得ないと思った。
親類縁者が会いに来た事なんて一度もないし、そんな事をする人も居ないと思っていたからだ。
「人違いじゃないんですか?」
「ううん。ちゃんと、この施設の金髪な千聖ちゃんって指定されてるし」
人違いの可能性は潰えた。この施設で金髪の千聖となれば、彼女を置いて他に居ない。……この施設に金髪でない千聖も存在しないが。
「兄さん……」
「会ってくればいいんじゃないか?」
不安に思った千聖が振り向くと、涼夜は表情を変えずにそう答えた。涼夜には珍しい、どこか投げやりな返答だった。
「でも、もうそろそろ……」
千聖は時計を見た。そろそろ皆が、施設までやって来る時間である。千聖の頭に手を乗せながら涼夜は言った。
「そっちは俺がなんとかするさ。だから千聖は、お客さんの対応にだけ気を使えばいい」
普段なら頼もしさを感じる筈のその言葉に、予め決めていた言葉を言っているだけのような、そんな不気味さを千聖は感じた。
何かがおかしい。千聖はそう思った。昨日までは確かにあった暖かさが、言葉から感じられなくなっていた。
「でも……」
「待っててやるから、な?」
有無を言わさぬ圧力があった。
「………………ええ、分かったわ」
いよいよオカシイ。千聖に言外の圧力をかけるなんて、今までの涼夜では有り得ない事だった。
(昨日まで優しかった兄さんが、いきなり変わるなんて……理由はなに?)
千聖側に非があったというのなら、すぐに涼夜は指摘をしている筈だった。あそこは直した方がいい、ここは直した方がいいと、色々と言われた事は過去にもあった。
だが、今日の態度は、そんな物ではなかった。もっとキツい、しかし原因が分からない事態が千聖を襲っている。
「……行ってくるわね」
「ああ、行ってこい」
理由も分からぬまま、千聖は職員さんに連れられて奥の部屋へと向かう。そこは施設の子供達が里親と話をする場所であった。
2人が暮らしている部屋から奥の部屋までの僅かな時間、千聖は前を歩く職員さんに聞いた。
「職員さん。私へのお客さんって、一体、誰なんですか?」
「前にダンボールいっぱいに文房具を贈ってくれた、白鷺麗華さんって人よ」
白鷺麗華……。千聖が今まで生きてきて、一度も耳にした事の無い名前だった。
とはいっても、千聖が名前を聞いたことのある人なんて、テレビの向こうで輝いている芸能人や自分の友人くらいなので、むしろ聞いたことのない名前の方が多いのだが。
とにかく、白鷺麗華という名前を千聖は知らない。
「どんな人でした?」
「んー……私の主観だけど、優しそうな感じだったよ。夫婦で来てるんだけど、旦那さんもカッコよかったし!」
私も結婚するなら、あんな人が良いなー。と語っている彼氏無し=年齢な職員さんの言葉を半分スルーしながら、千聖は内心で舌打ちした。
優しそう、なんて印象は誰にでも当てはまるだろう。千聖のように、外では社交性の欠片も無い無愛想な真顔を、表情として貼り付けているのでなければ。
「でも出会いなんて無いし…………なんて言ってる間に着いちゃったわね。はい千聖ちゃん、私は此処までだから。行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
職員さんが扉をノックして、部屋の中へと千聖は入っていった。
「失礼しまっ……!?」
そうして部屋の中に居る2人を見て、千聖は思わず言葉を詰まらせた。まさかの光景に千聖の目が釘付けにされる。
1人は職員さんの言っていた通り、千聖目線で見てもカッコイイと思えるイケメンだった。だが、千聖の目が釘付けになったのは彼ではない。
もう1人、千聖が言葉を詰まらせた原因は彼女だった。
「……本当に、千聖、なのね」
彼女──白鷺麗華は千聖を見るや否や、ソファから立ち上がって、千聖へと、よろよろ歩いて近付いてきた。
彼女の容姿は、千聖そっくりだった。
背後でゆっくりと閉められた扉の音が、まるで鉄格子が閉められた音のように千聖には聞こえた。
◇◇
「よう、待たせたな」
「別に待ってないけど……」
ひまりは言葉を切って、施設の玄関口を見つめた。普段なら彼と一緒に出て来る彼女は、まだ現れない。
「ちーちゃんは?まだ着替えてるとか?」
「……ああ。千聖な」
どうでも良さそうな涼夜の物言いに、全員が違和感を感じた。何故なら、普段の超がつくシスコンの彼らしからぬ物言いだったからだが、その違和感は直後の発言の衝撃で一気に吹き飛んだ。
「千聖なら里親候補と面談してるよ」
『なッ……!?』
真っ先に反応したのは蘭だった。
「ま、待ってよ!里親候補って、どういう事なの?!」
「千聖を引き取りたいって大人が来たって事だ」
「そんな……!」
孤児である以上、いつかは来るかもしれない事だった。だけどいざ、こうして現実として現れると、想像以上のショックが襲ってくる。
そんな中で、まだ分かっていないらしい、あこが手を挙げた。
「つまり、どういう事なの?」
「……もう会えなくなるかもしれないって事だ」
「…………大変じゃん!」
巴の絞り出すような声に、事の大事さを理解したのだろう。あこは急に慌てはじめた。
しかし、そんな中でも紗夜は冷静に涼夜を見据えて言った。
「でもそれは、あくまで候補。まだ決定ではない。そうでしょう?」
紗夜の発言が、パニックになりかけた全員の心に響いて、僅かな落ち着きを取り戻させる。
「そ、そうだよ!まだ候補だし、決まったわけじゃ……」
「今来てるのは、千聖の産みの親だ」
ひまりの言葉を遮るように突き刺さる新事実。しかし、だからどうしたと言わんばかりに紗夜は仕掛けた。
「しかし、千聖さんを捨てた。だから彼女は此処に居るのでしょう?幾ら産みの親とはいえ、そんな人に千聖さんが付いて行くとは思えないわ」
「確かに、そうかもしれない。だが物事に絶対はないぞ」
「………………何が言いたいのかしら?」
それだと、まるで千聖が引き取られるかのような言い草ではないか。
だが、その可能性は低いだろうと紗夜は思っている。涼夜が超シスコンであるように、千聖もまた超がつくほどのブラコンである事は、Afterglowのメンバーの誰もが知っている事だ。
そんな千聖が、兄の側を離れるようなマネをする筈がない。そう紗夜は考えていた。
「自分で意識しなくても、親と子の繋がりは結構深い。見た目もそうだが、性格なんかもな」
「例えその繋がりが、一度捨てられた物だとしても?」
「当然だ。見た目や性格は、そう簡単に変わらないだろ?それと同じだ。簡単に繋がりは途切れない、良くも悪くもな」
それはそうだが、しかし、親と子の繋がりが深いからといって、今の生活を捨てて親の方へ行くとは、やはり紗夜は思えなかった。
涼夜は、これ以上を話す気は無いのか、紗夜から目線を外した。
「まあ千聖の事はいいよ。それより今日はどうする?」
「いいわけないでしょ!」
今度は蘭だった。蘭が感情を露わにするのは珍しい光景だった事もあり、詰め寄る蘭に全員の目が集まる。
「なんで、そんなに適当な事が言えるのさ!家族の事なんでしょ!?」
「家族の事だからこそだ。これは千聖の問題で、俺が何かする物じゃない」
「涼夜も家族でしょ!」
「なら聞くがな、俺達が行って何かなるのか?」
「それは……でも!」
あくまでも指名されているのは千聖である。外野がなんと言おうと、最終的に決定するのは千聖なのだ。
指名されていない以上、例え涼夜であっても外野の人間でしかない。
それを分かって、それでも食い下がろうとする蘭に、涼夜は突き放すようなキツい口調で言った。
「感情でモノを語ると、後で痛い目を見るぞ」
「っ……」
冷たい目をしていた。未だかつて見た事の無い目だった。直接見られていないにも関わらず、ひまりや、つぐみが一歩引いた。
見た事のない涼夜に誰もが困惑する最中、1人だけ呑気に、あくびをした日菜は、まるで夕飯のメニューを聞くような気軽さで涼夜に聞いた。
「それで結局のところ、涼夜君は千聖ちゃんを、どうしたいのかな?」
◇◇
千聖は、未だかつて無いくらい不機嫌であった。
理由は言うまでもなく、名前を呼んだかと思うと急に抱き着いて泣きだした麗華という女性である。
「こらこら麗華。千聖ちゃんが困っているだろう」
「あ……そうよね。いきなりこんな事をしたら、驚くわよね」
イケメンが麗華を宥めると、麗華は一旦、千聖に抱き着くのを止めてソファに座り直した。
立ちっぱなしなのも失礼だと思った千聖が、テーブルを挟んで向かい合ったソファに座ると、イケメンが口を開いた。
「自己紹介が、まだだったね。僕の名前は
「星野 千聖です。初めまして」
星野、と名乗った辺りで麗華の眉がピクッと動いたが、お辞儀していた千聖が、それに気付く事はなかった。
「私は白鷺麗華。貴女の、お母さんよ」
「お母さん……」
「ええ、そうよ」
麗華は目の端に涙を浮かべながら言った。
そんな彼女を見て千聖が思ったのは、なんでこの人は泣いているんだろう、だった。
「それで、私に何の用ですか?」
もう、この時点で、千聖は部屋から出たくなってきていた。
母親を称する意味不明な女に、その同伴の男。無関係を装って、のうのうと暮らしていた人間が、今更どの面を下げて来ているのだろう。
「迎えに来たわ、あなたを」
「迎えに?」
「ええ。一緒に行きましょう」
薄々と勘付いてはいたが、やはり、そういう事らしい。そういう目的でもなければ、こんな施設に誰かが会いに来る事は無いから、分かっていたことだ。
「なんでですか?」
「え?」
「なんで付いて行く必要があるんですか?」
だが、千聖には付いて行く理由が無かった。向こうが千聖の事を、どう思ってるかは知らないが、そもそも千聖からすれば、前の2人は赤の他人である。
「なんでって、私は貴女の母親で……」
「そもそも、それすらも疑わしい。証拠も何もないのに、いきなり、そんな事を言われても信じられないです」
これは相当に意地の悪い質問だと、言いながら千聖は思った。
なにせ、千聖は母親の顔も、声も知らない。物心が付く前に捨てられたのだから当然だが、知らない物を、一体どうやって証明すればいいのか。
知らない、分からない以上、例え正解を提示した所で、千聖が不正解だと思えば、それは不正解になるのだから。
「それは、そうだけど……千聖は私そっくりに育ってるじゃない?」
「世の中には、姿が似た人が3人くらい居るそうですね。偶然では?」
何を考えているのか、隣のイケメン──健人は口を挟まないで状況の推移を見守っている。不気味ではあるものの、千聖にとっては好都合だった。
「じゃあ、ほら!いつも持ち歩いてる、千聖が赤ちゃんだった頃の写真よ!」
「それを見せられても、私は自分が赤ちゃんだった頃の姿なんて知りませんし」
「そんな物を持ち歩いていたのか……」
それは知らなかったのか、写真を見た健人の表情が引き攣った。
「…………もう良いですか?外で兄さんや友達も待ってますし、そろそろ行かないと」
向こうは何か勘違いをしているのかもしれないが、千聖が未だに部屋を出ていないのは、ダンボールいっぱいの文房具を送ってくれたからである。
いわば義理であり、それが無ければ、バカ話には付き合えない。と言って、とっくの昔に部屋を出ているところだ。
だが、もう話に付き合う気もない。義理は十分に果たした筈だ。
千聖はソファから立ち上がった。2人は何も言わない。
「私は、これで失礼します」
千聖が扉に手を掛けた時、背後から絞り出すような声で麗華が言った。
「──私が、貴女を此処に捨てたからよ」