「クリスマス、クリスマスねえ……」
その日の夜、俺は布団に寝っ転がりながらそう呟いた。
クリスマスといえば、生前では実家に呼ばれて親父やおふくろ、それに親戚の人間が集まって飲んでたか、あるいは会社の飲み会に出ていた記憶しかない。こいついっつも飲んでんな。
イルミネーションなんて見に行くような生活とは無縁の過ごし方をしていたから、近くでそれが見れるのなら見に行きたいという思いがある。
「だけどなぁ……」
しかしその場合にネックになるのは、やはり時間だろう。夜の7時がツリーの点灯時間であるから、その前には移動する必要が当然ある。
だがしかし、施設の門限は遅くても5時である。それを過ぎれば入口は鍵を掛けられ、インターフォンを鳴らして職員さんから怒鳴られるのを覚悟しなければならない。
職員さんも4時以降は外に出るのを許さないだろうし、入口から出るのは不可能に近い。
ならば最初から外に居れば、と思うが、俺はともかく千聖が風邪を引いたりなんてしたら大変だ。子供は風の子元気の子なんて言うが、それは動き回っているからこそ言える事である。じっとしていれば風邪を引くのは免れないだろう。
大体、小学生が何時間も薄暗い外に居たら確実に目立つ。俺は特に顔が知られているし、施設に通報されれば一発アウトだ。間違いなく連れ戻される。
結論、無理。
時間前に出るのもダメ、事前に出ていてもアウト。どうしようもないくらい完全に詰んでいる。
「無理だなこれ」
「そうなの?」
俺の上に寝っ転がっている千聖と至近距離で目が合った。さっきから何が楽しいのか、ずっと上機嫌である。
「ああ。時間前に門限が来るし、その前に出ても顔が知られてるから見つかって連れ戻されるかもしれないしな」
「隠れてたらダメなの?」
「冬に一箇所に留まってじーっとしててみろ、すぐに凍えて風邪を引いちまう」
春か、あるいは秋ならまだ耐えられたのだろうが、今は生憎の冬である。そんなリスクを負ってまでイルミネーションを見たいかと問われると、ちょっと首を傾げてしまうだろう。
「だから今回はパスだ。千聖には悪いけど、イルミネーションだって今回限りじゃないし、まだチャンスもあるだろうからな」
「悪いなんてそんな。兄さんが良いなら、私もそれで良いよ」
「…………お前はもう少し、自分の意見って奴を持ってくれよ」
そろそろ「兄さんが言うならそれで」というのは止めさせなければならないな。今回は助かったけど、いつまでも俺の言う事だけに従うのも宜しくないだろう。
そんな、新たな課題が見えた夜だった。
◇◇
夜、とある一軒家の1階のリビングでは、2人の姉妹が肩を並べてソファに座っていた。
「あははっ、この人おもしろーい!」
テレビに映る芸人に人差し指を向けながらバカ笑いをする日菜。
「日菜。あんまりうるさいと近所迷惑よ」
そう日菜に言いながら、日菜と一緒にテレビを見ている紗夜。
顔のパーツや髪型などの細かい違いはあれど、双子ゆえに凡その要素は似通っている2人は何時も一緒だ。何をするのも一緒、何をされるのも一緒。お腹が減る時間も一緒、好きな物も一緒、眠くなるタイミングも一緒。
そんなだからか、紗夜と日菜がワンセットとして扱われるようになるのに、それほど時間は必要なかった。
「あー面白かったー。あたし、お腹痛くなっちゃったよ」
やがて番組が終わると、日菜は感想を誰に言うでもなく述べて、あくび混じりに背伸びをした。
「ねぇ、お姉ちゃん。もう寝ない?あたし眠くなっちゃった」
「そうね……もうそろそろ寝ましょうか」
時計を見れば、もう9時になろうかというところ。凡そ小学生が起きていていい時間ではない。
テレビの電源を切り、リモコンをテーブルに置いて、まだ小さい紗夜の手が電気のスイッチに触れた所で日菜が言った。
「ねーねーお姉ちゃん。今日も一緒に寝ても良い?」
「あなたね……自分の部屋で寝なさい」
「えーいいじゃーん。2人で寝ても狭くないんだからさー」
「駄目よ。1人で寝なさい」
「えー!?」
ぶーたれる日菜の抗議など聞かんと言わんばかりに紗夜はスイッチを押した。すると電気は消え、真っ暗になったリビングが紗夜の前に現れる。
「……まあいいや。先に歯磨きしてるねー」
さっきまでぶーたれていた筈なのに、さっさと洗面所に向かった日菜の言葉を背に受けながら紗夜はリビングを見た。
そこに居るはずの誰かは居なかった。
「…………」
紗夜は一時だけ目を伏せると、何事も無かったかのように日菜の後を追って洗面所へ向かった。
洗面所は小学生が2人横に並んでも全然余裕の広さがある。先に歯を磨いていた日菜は、紗夜の為に横に退いて場所を開けた。
「ひふひへーひょんはのひひはよへー」
「歯を磨き終わってから喋りなさい。何言ってるのか分からないわ」
紗夜が歯ブラシを取り出している傍らで日菜は水で口を漱ぎ、ぺっと吐き出してから言った。
「イルミネーション楽しみだよねー、おねーちゃん!」
「だから言ってるでしょう。私は行かないわよ」
「そんなこと言わないでさー行こうよー」
「揺らさないで。歯が磨けないでしょう」
そう言うと揺らすのは止めたが、今度は同じ事を紗夜の後ろで反復横飛びしながら言い出した。
「ねー行こうよー、ねーってばー」
「
もう寝る前だというのに、一体どこにそんな元気が残っているのか。紗夜が歯を磨いている間ずっと日菜は反復横飛びを続けていた。
「ぺっ……日菜、もう止めなさい」
「おねーちゃんが行くって言うまで止めないもーん」
「……はぁ」
紗夜は自分の頭が痛くなった気がした。なんでここまで日菜が拘るのか、紗夜にはまるで分からなかった。
「とにかく、先にトイレ行きなさい。待っててあげるから」
氷川姉妹の寝室は2階にある。歯磨きを済ませ、トイレにも行った2人は寝室へ通じる階段を上っていた。
「それにしても……なんでそこまで拘るのかしら。日菜らしくないわね」
「だってクリスマスだよ?周りの人はみんなパーティーとかでお祝いするのに、あたし達だけ何も無いじゃん。そんなのつまんない」
「文句を言わないの。お父さんも、お母さんも頑張っているんだから」
「それは分かってるけど、でも寂しいじゃん」
「………………」
それは恐らく日菜の本心だろう。珍しく物悲しそうな表情を見せた日菜に掛ける言葉を、紗夜は持ち合わせていなかった。
階段を上りきると、日菜がいきなり走り出して紗夜の部屋へと飛び込んだ。紗夜が後から部屋に入ると、ベッドが膨らんでいた。
「……日菜、自分の部屋に戻りなさい」
「ヒナナンテイナイヨー」
布団の中からくぐもった声がする。これで隠れたつもりらしいが、日菜が履いていたスリッパがベッドの前に置いてあるので丸分かりだ。あまりにお粗末な隠れ方に、紗夜は再び自分の頭が痛くなるような気がした。
このまま日菜を置いて紗夜が日菜の部屋で眠る事も考えたが、そうすると今度は日菜が紗夜の寝ているベッドに飛び込んでくる事は簡単に想像できる。
「……まったく。今回だけよ」
「やたっ!おねーちゃん大好き!!」
どっちにしても同じベッドで寝なければならないのなら、無駄なやり取りをする必要はない。冬の夜は寒いのだから仕方ない。
ベッドから飛び出てきた日菜に抱き着かれながら、紗夜はそうやって自分を納得させていた。
ちなみに、紗夜がこんな風に自分を納得させない日は今のところ存在しない。妹に甘いのは何処の家でも同じようである。
「……ねえお姉ちゃん」
「なによ」
「お父さんとお母さん、今日も遅いのかな」
「…………寝ましょう。おやすみなさい」
「……うん、おやすみ」
ぎゅっと日菜が紗夜に抱き着いてくる。日菜がめったにやらない行動に紗夜は驚いたように日菜の頭頂部を見て、そして弱々しく抱き着き返した。
◇◇
「やっぱりダメだったろ」
「うん……」
翌日。いつものように5人と合流した時に、やけにしょげていたひまりにそう言うと、ガックリと肩を落として落ち込んだ。
「そりゃそうでしょ」
「クリスマスだしね」
「ひーちゃん無計画〜」
「そりゃそうなるよな」
「みんな酷い!?」
いや、誰が聞いてもそうなると思っただろう。だってクリスマスだぜ?俺や千聖のような施設の子供でも、ささやかとはいえクリスマスパーティーはやるのだし、一般的な家庭ならそりゃあるだろう。
「まあ、ひまりには悪いが助かったよ。こっちも施設から脱出する手段が思いつかなかったし、風邪引くの覚悟で隠れるくらいしか方法が無かったしな」
「脱出って、檻じゃないんだからさ……」
「似たようなもんさ」
しかし、そうなると氷川姉妹と行く事も出来なくなるか。あの2人には悪いが、我慢してもらうとしよう。
「え〜〜〜!!?」
と、そんな感じの事を表現柔らかく話したところ、日菜から大ブーイングが飛んできた。
「いーじゃん、行こうよ!」
「行きたいけどさ……」
首根っこを掴まれてガックンガックン揺らされるけど、どうしようもない事もあるのだ。
「日菜ちゃん止めて。兄さんが苦しそうだから」
「そうよ日菜、止めなさい」
「でもさー、クリスマスだよー?」
「理由になってないわよ。まったく……」
「まあ、アレだ。よくよく考えてみたら2人にも家族で予定あるだろうし、両親にでも連れて行ってもらえば……」
と、そこで俺は言葉を切った。いや、切らざるを得なかったというほうが正しい。
「「…………」」
揺するのをピタリと止めて不気味に沈黙する日菜と、そして何とも言えない顔で目を逸らした紗夜さん。語りたくないと、あからさまに雰囲気が語っている。
そんな2人を見て、俺は昨日抱き、しかし結局頭の片隅に追いやったきり忘れていた疑問と不穏な空気を思い出した。
「……そろそろ授業が始まるわ。日菜」
「……うん」
さっきまでの元気はどこへやら、ガクリと落ち込んだ日菜は静かに自分の席へ戻っていった。紗夜さんも無言で立ち上がり、教室から廊下へと出て行く。恐らくお花摘み()だろう。
「ねえ兄さん。日菜ちゃんと紗夜さん、どうしちゃったのかな」
「さぁねぇ……」
豹変した2人が流石に心配なのか、珍しく他人を気遣う千聖に俺はそう返した。
さっき思い出した昨日の姉妹のやり取りと、そして今の反応。この2つだけでも分かりやすすぎる。
「千聖。次の休み時間におつかい頼めるか?」
「いいよ。なんて伝えるの?」
「今日の活動はキャンセルだ。今日は集まりもしないから好きにしろって」
「分かった」
ここから俺がやるのは、一歩間違えなくても完全に嫌われるレベルの代物だ。無意味な行動と言い換えてもいいし、この問題を無視するのが最善とは言わなくても次善くらいの選択だろう。
「まっ、何とかなるだろ」
でもやる。まあ、穏便な方向へ未来の俺がなんとかするだろうし、大丈夫だってへーきへーき。
そんな感じで方針を決定したのと、紗夜さんが戻ってくるのは同じくらいだった。