毎週金曜日が訪れると、俺達が決まってやっている事がある。それをやる場所は決まっていて、俺達はこれからそこに向かおうとしている所だった。
「よっし、今週も行きますか」
『おー』
「るんって来ないなぁ……もう帰って良い〜?」
立ち上がった直後に、日菜がそんなネガティブ発言をぶちかます。そんな日菜に全員の目線が向けられる…………事はなく、全員が総スルー。つぐみですらチラリとも見ようとしない。
というのは、この日が訪れる度に日菜が同じ事を言っている。というのが理由にあった。このやり取りは毎度の事である。
「いいから行くわよ日菜」
そして、紗夜さんが引っ張るように日菜を着いて来させる光景もまた、毎度の事だ。
「えー、でもー」
「どうせ家に帰っても誰も居ないし、他に友達も居ないでしょう?」
「そうだけど……分かった。おねーちゃんの言う通り、どうせ誰も居ないもんね」
俺達が移動した先は、この街の元気の象徴と言っても過言ではない場所、商店街だ。
「さて、今日は何があるか」
「沙綾の所は確定として、残りだよな」
「なんで分かる?」
「今日、トイレで沙綾に会った時に言われたからな。今日は頼むって」
巴と会話しながら足を山吹ベーカリーが店を構える通りへと向ける。先ず最初の目的地はそこだ。
「……一応男の前で、女子が堂々とトイレとか言うのはどうなんだ」
「え?そんなこと気にしてたのかお前。らしくないな」
「俺は気にしないが、世間一般の話をしてるんだ」
「それは世間一般の話で、今のアタシにはあまり関係ない。いつも涼夜が言ってる事だろ」
正しくは"常識は都合が悪い時は無視するに限る"だが、言ってる事はそんなに変わっていない。それより巴に言い返された事に、ちょっとぐぬぬと唸ってしまった。
「ぐぬぬ、巴のクセに」
「へっ、アタシだって成長するさ。ひまりじゃないんだから」
「ちょっと待って。そこで如何して私の名前が出るの」
「だって、ひまりは宿題忘れが日常じゃないか。いい加減つぐみはキレていいと思うぞ、アタシは」
「上原さん……貴女という人は」
「い、いや違うんです。違うんですよ紗夜さん。これはですね……」
ツッコミが完全に藪蛇だったひまりに紗夜さんの呆れた声が突き刺さる。しかし、紗夜さんに言い訳は悪手だ。
「言い訳は聞きません。良いですか?宿題は自分の力でするもので、他人がやった物を写すのは──」
日菜曰く、物凄い長くて眠くなる紗夜さんの説教が始まった。周囲で聞いている俺達も嫌になるくらいだから、説教をされている本人のひまりの辛さは推して知るべし。
しかし誰も助けようとしないのは、流れ弾を誰も喰らいたくないからだろう。ひまりの自業自得でもあるのだし、少しお灸を据えてもらうとするか。
「というか、巴の話を聞く限りだとひまりの被害担当はつぐみなのか」
「アタシとか蘭が断るのを分かってるから、最後は断りきれないつぐみに泣きついてる」
「モカは?あいつも宿題はやってるって前に言ってたよな」
「モカは休み時間に寝てる。起きてるのは移動教室と体育で着替える時くらいだ」
俺はまだ見た事は無いが、モカは無理に起こすと静かに荒れ狂うタイプらしく、1回やらかした時は凄かったらしい。
それ以来、余程の緊急時以外はモカを無理に起こさないようにしようと蘭達は決めているんだという。
「モカって本っ当に寝るの好きだよな」
「いやー、それほどでもー」
「褒めてないからな?」
いけしゃあしゃあと礼を言ったモカにツッコミを入れた辺りで山吹ベーカリーの軒先が見えてきた。
「アタシが行ってくる。この人数でお店の中に入るのは迷惑だろうし」
「だな。頼むぞ」
先行した巴を見送った俺は深呼吸を一回して、口を開いた。
「第1回、突発しりとり大会ー!いえー!」
「……いきなりなんですか?」
「また始まった」
紗夜さんも慣れたのか、もう大きな反応を返さなくなってきている。蘭達は言わずもがな、といった感じだった。
「順番は俺、千聖、蘭、モカ、ひまり、つぐみ、紗夜さん、日菜、あこでローテーションだ。ルール説明は要らないな?」
「ルールの要らないけど、どうしてこんなことやるのか説明して」
「しりとり大会の"い"からイクゾー!」
「聞いてよ」
蘭のツッコミは華麗にスルー。強いて言うなら暇だからだが、答えなくても蘭達は分かってそうなので答えない。
「稲川淳二」
「自動車」
「…………………………はぁ。約束」
「くるみパン」
蘭が言い終わらないうちからモカは食い気味に答えていた。背後のモカの方から、じゅるり、という音がしたのは何故だろう。
「…………もう一回やろう。今のはノーカンだ」
「もう終わりでいいじゃん」
「こまけぇ事はいいんだよ!」
「あ、まためんどくさい涼夜だ」
気を取り直してもう1度。今度はモカを最後に回してレッツしりとり。
「殿下」
「鍵」
「銀座」
「ザル」
「る……ルパン○世」
「イルカ」
「カメ」
「メロンパン」
「ンジャメナ」
「ナス」
「えっ?まだ続くの……えっと、すずめ」
「めだか」
「かぶ」
「ブシモ」
「モンク」
「クラフトエッグ」
「グンマー」
「マーマイト」
「時計……」
「入れ歯」
「バンドリ!ガールズバンド──」
「ちょっと待って」
蘭のストップコールに全員が蘭を見た。俺を含めた全員が、蘭の事を"なんだコイツ"とでも言いたげな目で見ている。
「どうしたんだよ、今いいところだったのに。ほら見ろ。決め台詞を遮られたつぐみが珍しく、むっとしてるぞ」
「色々おかしいから。途中から意味分かんない単語が混ざってたから」
「そうか?」
メンバー屈指の常識人であるつぐみや紗夜さんの方を見てみても、俺と同じように小首をかしげるばかりで何がなにやらさっぱり分からない。
「この2人がこうしてるって事は、何も問題は無かったって事じゃないのか?」
「そうかなー?あたしはちょっと、おかしいと思ってたけど」
「ほら、日菜もこう言ってるじゃん」
「うん。モカちー、さっきからパンの名前しか言ってないよね」
「そっち!?」
そのモカはというと、さっきから山吹ベーカリー店頭の窓ガラスに張り付いて身じろぎ一つもしていない。そして何かを呟いていた。耳を近づけてみると……
「あんぱんー、チョココロネー……」
「こりゃ重症だな」
「というか、アレじゃあ完全に不審者だろ」
巴の言葉がしっくりくるくらい、今のモカは何処か危ない気配を感じるのだ。巴がいつの間に戻ってきていたとか、そういう些細な疑問が吹っ飛ぶヤバさである。
「巴、居たならそう言ってくれればいいのに」
「楽しそうだったから、邪魔するのも悪いかなって思ってさ」
首からキッズケータイと財布をぶら下げた沙綾を巴が連れて来ていた。
「やっほ、今日もよろしくね」
「ほいさー……おいモカ、窓ガラスに張り付くな。行くぞ」
「はーい」
俺達が何をしに山吹ベーカリーまで向かったのかというと、勿論しりとりをする為ではなく、簡単に言えばお手伝いだ。
沙綾の母親は体が弱く、だからあまり身体に負担は掛けられない。店内を覗けば店番として立ってはいるが、それだって本人的には楽ではないだろう。
しかし、買い物や掃除洗濯といった家事は、そんな事情などお構い無しに毎日やらなければならない。もちろん出来る限り沙綾や沙綾の父親がやって負担を軽減しているらしいが、それにも限度がある。
そこで俺達だ。掃除や洗濯といった内側の家事は手伝えなくても、買い物のように外に出るものであれば手伝う事が出来る。
「みんなもゴメンねー。いつも手伝ってもらっちゃって」
「沙綾が謝る事はないさ。アタシ達が好きでやってる事だし。なあ?」
「沙綾ちゃんとは友達だからね。困ってる友達を助けるのは当然だよ!」
「あたしは他にやる事ないから来てるだけだけどねー」
「ちょっと静かにしなさい日菜。……すいません山吹さん。日菜は少し、人を傷付けてしまう悪い癖がありまして。悪気は無いんです」
つぐみの心優しい言葉の後に日菜の発言が来たからか、いつも以上に発言の畜生度合いが上がっているような気がした。必死に謝り倒す紗夜さんに沙綾も苦笑いを隠せない。
「気にしてないから大丈夫ですよ。確かにつまんないと思いますし」
「いえ、そんな事は……ちょっと日菜。貴女も謝りなさい」
「えーなんでー?あたし悪い事は何もしてないのに」
会話を聞いていて思う。こいつらは本当に小学2年生や3年生なんだろうか。実は全員が俺のように転生していて、中身はれっきとした大人なんじゃないだろうか。
そんな考えが過ぎってしまうくらいに、この会話は大人びていた。生前の小学2年生や3年生はこんなに大人びていなかったと思うのだが、これも別世界ならではか。
「3人とも、もうその辺にしとけ。目的地に到着だ」
到着したのは八百屋。気前の良いおっちゃんがやっている、何処か懐かしさを覚える場所だ。
「おっ、沙綾ちゃんとボウズ達じゃないか。今日は何が入り用なんだ?」
「えっと……」
沙綾が持っていたメモを読み上げると、おっちゃんは手早く読み上げられた商品をレジ袋に詰めていく。その手早さからは、熟練の業のような物を感じ取れた…………ような気がした。
「沙綾、今日は万札しか無いのか?」
会計の時間になって、沙綾がガマ口から取り出した札の種類を見て、思わずそんな事を言ってしまった。値段的には五千円札ですら過剰気味だというのに。
「うん。お母さんが今日はこれしか無いからって」
「……不安だ」
「ボウズの気持ちは良く分かる。沙綾ちゃんを疑う訳じゃねえが、俺も子供にこんな大金を持たせるのは少し抵抗があるしなぁ」
俺の呟きを拾ったおっちゃんも頷いて、しかし次の瞬間には何かを思いついたようにニヤリと笑った。嫌な予感しかしないのは、こうなる度に、からかわれているからか。
「ま、だからこそカッコイイ所を見せるチャンスでもある。ナイトの務めは姫様を守る事だぜ?」
「誰がナイトですか誰が」
茶化しの言葉に肩を竦めて返し、俺が野菜の詰まったレジ袋を受け取った。結構な量があるから、女子が持つのは辛いだろうと考えての行動である。
そんな俺の行動を見て、おっちゃんはいよいよ笑みを深くした。
「そういう細かい気遣いは紛れもなくナイトだろうよ」
「意味わかりませんよ……行くぞ沙綾」
「うん。じゃあおじさん、またね」
「まいどありー」
俺達
「次は、はぐみの所だね」
「あれ、今日は魚屋はスルーか?」
「昨日買ったからねー」
そんな事を繰り返していると、時々、何故そんな事をしているのかと聞かれる事がある。まだまだ遊びたい盛りの小学生が如何してこんな事を、と聞かれた事は両手の指では足りない。
そして、その度に俺は"正義のヒーローみたいでカッコイイから"と言っている。
実に子供らしい理由で、俺自身もそれで納得されるように振舞っているから、今までその理由で疑われた事は無い。
「それよりさ。野菜、重くない?」
「これくらいなんて事ねーよ。だから代わりに持とうとか、そんな事は考えなくていい」
「あははー……やっぱりバレてたんだ」
「沙綾が言いそうな事だしな」
だが実際のところは、そんな可愛らしい理由などでは決してなく、もっと腹黒い理由からだ。
ではどうしてかと問われると、それを簡単に言えばコネ作りと顔繋ぎである。
周知の事実だが、俺と千聖には本来なら居るはずの両親が存在しない。それは大きなディスアドバンテージだ。
両親の不在は、そのまま進学等に使える資金源が存在しないことを意味しているからである。
「いやでもさ」
「でもも何もない。甘えられる時は、子供は素直に大人に甘えるべきだと俺は思うぞ。
だから今は素直に俺の好意に甘えるのだ〜」
「涼夜だって子供じゃん」
「見た目はなー」
世の中で何をするにもカネが必要な以上、両親不在というディスアドバンテージはちょっと洒落にならない。出来ること、やれること、その全てに制限が掛かってしまうからだ。
……変な両親が居るよりは孤児の方がマシなんだろうけど。一般論で見れば、孤児の方が不利なのは当然だ。
「なにそれ。○ナンのマネ?」
「そんな感じ……どうもーはぐみのおっちゃん」
「おお、山吹さん家の沙綾ちゃんと涼夜、後はつるんでる面子じゃねーか。2人はそろってデートか?」
「分かってるクセに。お金を落としに来たんですよ、沙綾が」
そんな現状があるのだから、大学進学なんて望めるべくもない。だから高卒で働く事になるんだろうが、此処で問題になるのが就職先。
俺は確実が欲しいのだ。あの施設を出れば千聖を養う必要があるのだし、就職でもたついてはいられない。
「はー、相変わらず可愛くねえ事を言うなお前は。ガキなんだから、もうちょっと夢を語れよ夢をよ」
「俺は境遇が境遇ですからね。千聖の面倒を見るって使命もありますし、夢なんて見て足元掬われたら元も子もない。そうでしょう?」
「そりゃそうだがな……こういうのをガキが言う時代か。時代の変化は凄ぇなあ」
「俺が特殊なだけですって。今も昔も、時代は変わっていませんよ」
そこで役に立つのがコネクションだ。コネというのは良い。コネを繋げ、それを維持する努力さえ怠らなければ誰だって用意が出来るのだから。
まず人の考えとして、何も知らない初対面の人よりは色々と気心が知れた人を迎えたいと思うのは当然の事だ。そして、面識の無い人ならまだしも、面識の有る人が困っていれば手を差し伸べる。
それは何もおかしい事ではないし、それを人情と呼ぶのだろう。それ自体は大変美しい考えだが、そこに付け入る隙がある。
「前々から言ってるが、お前は本当に小学生か?俺と同い年と言われても納得いくぞ」
「それに対する答えも同じ。ご想像にお任せしますよ。……さて沙綾、ささっと買っちまえ」
「あ、うん」
カネは作れない。だが、コネならどんな人間でも作る事ができる。そしてコネがあれば、この世界は幾分か生きやすくなる。
それが、生前に俺が学んだ教訓の一つだ。
コネを作る事、そしてコネを広げる事。それを始めるのが遅すぎる事はあっても、早すぎる事は絶対にない。コネはいくら広げても足りない物だからだ。
だから、幼い内からこうして顔と名前を売っておけば、人からの覚えも良くなるし、親しくなっておく事で将来助けてくれる確率も高くなる。就職先の面倒を見てくれる可能性も上がる。
しかし、人の好意を利用する、というのは人聞きが非常に悪い。この考えを聞けば結構な人間が俺を批判する筈だ。
…………正直な話、こんな考えを持ってしまう事に罪悪感は覚えている。年端もいかない子供すらも騙して利用するなんて、と良心は俺を責め立て続けている。
だが罪悪感でメシは食えない。同様に、安い同情でもメシは食えない。
千聖の──たった1人、この世界で得られた家族の為だ。千聖に少しでも楽をさせる為なら、その程度の汚濁は呑み込むと決めたのだ。
「まいどー。ほい沙綾ちゃん、落とすなよ」
「……あれ?私、コロッケなんて頼んでないですけど」
俺も袋の中を覗いてみると、沙綾が買った商品の他にコロッケが2つも追加されていた。
「オマケさ。若いカップルに免じてな」
「まだ言ってるよ……」
「と、とにかく、ありがとうございますっ。それじゃあ私達はこれで!」
この手の揶揄いにまだ慣れていないのだろう。顔を赤くした沙綾は小走りで帰路を行き、俺もそれに続こうと体の向きを変えた。
「……………………」
「千聖?」
そして、何故かふくれっ面の千聖と目が合った。千聖は何も言わずに俺に顔を近付けたかと思うと、俺の右手を千聖が両手で包み込むように握る。
「ヒュー。沙綾ちゃんだけじゃなくて千聖ちゃんもか。よっ、色男」
「あのですねぇ……」
このおっちゃん、間違いなく分かってやっている。
千聖のこの反応を引き出したはぐみのおっちゃんは、他人事のようにヤジを飛ばしたのだった。
◇◇
「今日も楽しかったな」
「…………」
もう日が沈みかけている時間、皆と別れた俺達は施設に戻っている最中だった。
「でも、色々あって疲れたのも確かだし。メシ食って風呂に入ったら、今日はさっさと寝ようか」
「…………」
そしてさっきから、千聖が一切口をきいてくれない。理由は恐らく、はぐみのおっちゃんの揶揄いが原因だろう。しかし、そうだったところで解決が出来ない。
「ねえ兄さん」
「どうした」
「沙綾ちゃんの事、好きなの?」
と思っていた所で千聖の方から声が掛かった。不機嫌だった理由は、やはりはぐみのおっちゃんが原因だったらしい。
「好きか嫌いかと聞かれれば好きさ。蘭や紗夜さん達と同じくらいな」
「私は?」
「お前は大好き」
たった1人の家族なのだし、ただの友達の蘭達よりは好きの度合いは高い。そもそも友達と家族とを比べるのもナンセンスだろうけど、そこは言いっこなしだ。
「大好き……」
「そう、大好き。蘭や沙綾より一つ上の好きだ」
「本当に?」
「こんな事で嘘ついてどうするよ」
顔を覗き込んでくる千聖にそう答えてやると、不機嫌だった千聖の表情がぱあっと明るくなった。
「だから、沙綾に俺が取られるなんて心配しなくても良いからな」
「…………分かってたなら言わないでよ」
そして直後にぷいっと顔を背ける。忙しい奴だ。その顔が赤いのは、夕日に照らされたせいではないだろう。
「確証を持ったのは今だから仕方ない」
「本当は?」
「千聖のそんな姿が見たかった」
「兄さん!」
それから施設に戻るまでの間、俺は千聖に肘で突かれ続ける事になる。