新年を迎えて、そろそろ一月が過ぎようとしていた。
約一月前、パンドラズ・アクターの提案で集まったシャルティアとデミウルゴスの二人と協力し、三人で立てた計画は割りと順調に進んでいると言ってもいい状況だろう。
最初の頃こそ、料理の腕が全くない上に不器用なシャルティアに対して、チョコレート作りを教えるのはかなり至難の技だと、本気で思っていたパンドラズ・アクターだが……実際に始めて見たら微妙に違っていた。
こればかりは、本人のやる気によるものなのだろうが、初めの頃のどうしようもない失敗が嘘の様に、十日が過ぎる頃には自分で道具を使いチョコを削って湯煎で溶かす事が出来る様に彼女はなっていたのである。
最初の頃に比べると、この状況は随分と上達したと言って良いだろう。
何せ、初めてシャルティアがパンドラズ・アクターと共にキッチンに立ったあの日、彼女は初心者お約束のお湯にチョコレートを直接入れるチョコレートを入れた鍋を直火に掛けるなど、色々とやらかしてくれたものだ。
そんな風に、色々ととんでもない真似をやらかしていた最初の頃の事を考えると、型に流し込むチョコレートを作れる様になっただけでも、かなり腕を上げたと言って良いだろう。
このまま上達すれば、バレンタインまでにチョコレートガナッシュからトリュフや生チョコなども作れる様になるかも知れない。
その場合、作れるチョコレートの幅も色々と広がるので、最初の予定よりも凝った内容にする事も可能になるだろう。
もし、そこまで彼女の腕が上達したらそれはそれで色々と教えがいがあるのでとても楽しみだと考えながら、パンドラズ・アクターはいつもの様にメールの配達に向かい……そして、配達先でアルベド達女性陣に捕まっていた。
正確に言うなら、メールを届けて別のサーバーへと移動しようとした瞬間、彼女達に取り囲まれたと言うべきだろうか?
モモンガ様からのメールを届けに行った先は、アルベドの主であるタブラ様の元なので、アルベドが居るのは当然なのだが、それ以外の面々は流石にタブラ様宛のメールを持って来たと言うのには流石に無理があるだろう。
この様子から察するに、完全にパンドラズ・アクターの事を待ち伏せしていたと考えて良い。
「あ……あの、私がこんな風に皆さんに取り囲まれているこの状況は、一体どういう理由からなんでしょうか?」
思わず、そんな風にパンドラズ・アクターが尋ねてしまう位には、彼を取り囲んでいる女性陣の数は多かった。
部屋の主であるアルベドを筆頭に、アウラとマーレ(女性と数えて良いのか迷う)にナーベラル、ソリュシャン、ユリ、最後にペストーニャが居たのだから、かなり大人数だと言っていいだろう。
一応、それなりに親しい面々に取り囲まれている事から、パンドラズ・アクターは何となく彼女たちの要求を察しつつ、それでも理由を問い掛けてしまう程には彼女たちが纏う空気は怖かったのだ。
微妙に、声が震えそうになりながらのパンドラズ・アクターの問い掛けに、にっこりと彼女たちは揃って笑みを浮かべる。
どう見ても、笑顔を浮かべている筈の彼女たちを前にしても、パンドラズ・アクターの中にはとても嫌な予感しか浮かんでこない。
「……私たちが用件を言わなくても、あなたなら気付いているんじゃなくて?
そうでしょう、パンドラズ・アクター?」
彼女たちを代表するかの様に、アルベドがにっこりと笑顔のままそう言った事で、パンドラズ・アクターは自分の嫌な予感が外れていなかった事を瞬時に理解した。
ほんの少しだけ、あまり嬉しくない事態に気配が揺らぐ。
パンドラズ・アクターが理由を察した事を、僅かな反応でアルベドも気付いたのだろう。
彼女の口元を彩る笑みが、そんなパンドラズ・アクターを前にますます深くなる。
〘……これは、どう考えても逃げられないパターン、でしょうね……〙
状況的に考えて、ある程度まで彼女たちの話を聞く必要がある事を察して、パンドラズ・アクターは小さく心の中で溜息を吐いた。
このまま、彼女たちからパンドラズ・アクターに対する要望を聞いたとしても、それを実際に叶えられるだけの時間があるかと問われれば、まず足りないのだ。
シャルティアが、戦闘特化と言う点でかなり手先が不器用だと言う点を踏まえたとしても、今の時点で彼女が漸く出来る事を、今から彼女たちに一から全部教えるのは、流石に難しいだろう。
なので、ひとまず話の内容だけを聞いた上で、別の方法を提案する事が出来ないかと考えてみる事にした。
「一応、用件がどの様なものかと言う事なら何となく察してはいますが、それでも本当にそれが正しいかと言われたら推測の域を出ません。
ですので、ひとまずご用件をお伺いしてもよろしいですか?
もしかしたら、何か別の方法を提案出来る可能性もありますので。」
「念の為に」、と言う前置きを置いた上でパンドラズ・アクターが問えば、アルベドとのやり取りを焦れったく感じたのだろう。
今まで、アルベドの隣で黙っていたアウラが、横から口を挟んできた。
「……あのさ、私たちも今は余り時間がある訳じゃないし、そういうまどろっこしいやり取りは別に要らないんだけど。
だから、このまま用件を単刀直入に言うね。
パンドラったら、シャルティアだけにチョコレートの作り方を教えてるでしょ!
しかも、その理由が〖お年玉のお礼に、【バレンタインデー】ってプレゼントを贈れる日の為〗って聞いたんだけど、どういうつもりなの?
そう言うのって、私たちにも教えてくれても良いんじゃないかな!」
ぷりぷりと怒った口調で言うアウラの横で、どちらかと言えば控えめな態度なのだが、こちらをじっとりとした視線で見つつマーレが口を開く。
「あ…あの、自分達だけが抜け駆けするのは、良くない事だと思います。
その、僕も出来れば茶釜様にチョコを贈りたいですし、パンドラさん達だけ何かするなんてずるいです。」
上目遣いで、そんな風に必死に言い募るマーレの横では、ユリが腕を組んだまま眼鏡を押し上げ、パンドラズ・アクターに向けてお説教を口にしようとしていた。
多分、同じメールペット仲間と情報を共有していない事に、不満があるからこそ説教なのだろう。
しかし、だ。
そのままユリの説教が始まると、状況的に話が全く進まなくなるので、慌てて彼女の横からソリュシャンが口を挟んだ。
「ユリ姉さま、色々と言いたい事があるのは判りますけど、ここでパンドラへのお説教に時間を割いていては話が進みません。
まずは、パンドラにこちらのお願いを飲んで頂く方が優先でしょう?
調べて見た所、バレンタインデーと言うイベントまでの時間は、二週間ほどしかない様子ですし。
それで、私たちのお願いは先程アウラが言った通り、シャルティアだけじゃなく私たちにもチョコレートの作り方を教えて欲しいの。
彼女だけ特別扱いなんて、そんな真似はしないわよね?」
にっこりと笑うソリュシャンの言葉に、ナーベラルややペストーニャも同意する様に頷く。
そんな彼女たちに対して、パンドラズ・アクターはとても困った様に首を竦めた。
実際、この場に居る面々の中で短期間で何とかなりそうなのは半数以下しかいない事に気付いているだけに、本当に困っているのだが……役者としての立ち回りによって、それが一種のポーズに見える様に気を配りつつ、パンドラズ・アクターは彼女たちに対して返答を返すべく口を開く。
「大変申し訳ありませんが、今からでは私がお教えしたとしても、皆様全員がチョコレートを作れる様になるかと問われると、かなり難しいとお答えするしかありません。
皆さまよりも一月近く早く始めたシャルティアすら、漸くチョコレート作りの入り口をクリアした、という所ですからね。
今から、無理に問に合わない可能性がある物にチャレンジするより、今回は自分に出来る手段を考える方が宜しいのでは?」
そこまで言って、パンドラズ・アクターは一度言葉を切った。
シャルティアの状況を簡単に説明し、今からでは学ぶのが難しい事を知って貰った上で、自分でもどうするべきか考えて貰う為だ。
もちろん、それだけでは流石に彼女たちが納得しないのは判っているので、パンドラズ・アクターから別の方法を幾つか提案する。
「……そうですね、アルベドの場合なら、得意の手芸品をタブラ様の為に作るという方法もありますし、アウラとマーレなら二人で協力して何かを作成しても良いでしょう。
ユリやソリュシャン、ナーベラルやペストーニャにも、それぞれ得意な事がありますよね?
とにかく、皆様の得意分野で何かプレゼント出来る方法を考えるべきです。
少なくても、チョコレートに拘る事はありません。
私たちの主である方々は、電能空間では嗅覚と味覚がないので、チョコレートをお渡ししても実際には味わっていただけませんし。
シャルティアも、チョコレート以外にちょっとした小物を添える準備をしていますし、そちらは私やデミウルゴスも参加して、【三人で連名の贈り物】と言う形をとる予定ですから、別にチョコレートだけを贈る訳じゃないんですよ?」
幾つか例を挙げる事で、別の方法がある事を明確に提案しつつ、実は彼女たちがすっかりと忘れている事実を目の前に突き付ける事にした。
そう、私たちの主は電脳空間内で飲食する事は出来なくもないが、実際には嗅覚も味覚もない状態なので、チョコレートを贈ってもそれを味わって貰う事は出来ないのだ。
だからこそ、シャルティアのチョコレートにはデミウルゴスと三人でそれぞれのチャームも一緒に添えて贈る事にしたのである。
その方法なら、チョコレート自体をを味わって貰う事は出来なくても、御三方への贈り物は無駄なものではなくなると考えたからだ。
パンドラズ・アクターの言葉を聞いた途端、ハッとそうだったと言う顔をするアルベド達。
シャルティアが、パンドラズ・アクターから真面目にチョコレート作りを学んでいると知って、ついついそちらに意識が向いてしまっていたが、実際に贈っても食べていただけない品を無理に作る必要があるかと問われれば、実はない。
むしろ、「自分の得意分野での贈り物でも良いのではないか?」と言うパンドラズ・アクターの提案に、かなり心惹かれている状態だった。
アルベドなど、自分の得意な手芸の腕前を披露する丁度良い機会だと、既にタブラ様へのプレゼントの内容を考えている素振りすら見える。
他の面々も、暫く考えた上でパンドラズ・アクターの言葉に納得したらしい。
「確かに、あなたの言う通りね、パンドラ。
私たちなりに、主への思いを込めた贈り物を贈る事の方が、形式ばかりを追うよりも私たちらしさが出せるでしょうし。
それじゃ、今日はこれで失礼するわ。
いきなり帰りがけを捕まえて、色々と迷惑を掛けてしまって本当に申し訳なかったわ。」
お互いに顔を見合わせて頷き合った後、アルベドが代表でそれだけ口にすると、彼女たちはそれぞれ自分の主の元へと去っていった。
その後ろ姿を見送りつつ、パンドラズ・アクターは小さく安堵の息を漏らす。
このまま、彼女たちにまでチョコレート作りを教える事になってしまっていたら、それこそオーバーワークも良い状態になっていたからだ。
ただでさえ、手が掛かる教え子が居る状態でそれを受け入れるのは、流石にパンドラズ・アクターでも厳しかったと言っていいだろう。
だからこそ、上手く言い包める形で彼女たちが引いてくれて良かったと、本気で思わずにはいられない。
〘 ……多分、彼女たちもこちらの考えに気付いていた上で、引いてくれたのでしょうが、ね……
実際、贈り物を作るのに相応しい技能を持っている方々ばかりですし、無理にチョコレートに拘らなければ、自分なりに素敵なプレゼントが作れるだろうと思ったのも事実ですから、嘘は付いていませんし……
そうそう、モモンガ様がいらっしゃる日本ではバレンタインデーは女性から男性へ贈る風習になっていますが、海外では男性から女性に花を贈るものだと聞いた事がありますし、当日は茶釜様とやまいこ様、餡子ろもっちもち様の分の花を用意しておいた方が宜しいかもしれませんね 〙
つらつらとそんな事を考えつつ、パンドラズ・アクターは残りのメールの配達に向かったのだった。
******
そして、バレンタインデーの前日、パンドラズ・アクターたちは三人で最初の時の様に、彼に部屋に仕上げの為に集まっていた。
昨日まで、ずっと繰り返して練習していた甲斐があり、シャルティアのチョコレートは見事な出来栄えを披露出来る位レベルが上がっていたので、パンドラズ・アクターとしても時間を惜しまず教えた甲斐があったと言っていいだろう。
デミウルゴスから習っていた、チャーム作りも似た様な状況だったらしく、ギリギリ間に合って良かったと完成品を箱に詰めながら三人で喜び合ったのは、つい先程の話である。
「これで、漸くペロロンチーノ様たちにお渡し出来るだけの品になったでありんす。
チョコレートよりも、デミウルゴスから教えて貰いんしたチャームの方が、上手く思った形に中々出来んせんで、このままでは本当に間に合わないかと思ったでありんす。
どうも、道具を使いんして細かい作業をしんすのは、私には向いてないでありんす。
せっかく、デミウルゴスに用意して貰いんした道具を、ついうっかり力加減を間違えんしては、何度も駄目にしてしまいんした。
それなのに、デミウルゴスは根気よくずっと私に教えて下さいんして…本当に、今回はありがとうでありんす。
パンドラも、色々とありがとうでありんす。
二人に助けて貰えんしたら、私はこんな風にお返しを用意出来んせんした。」
完成したプレゼントを前に、万感の思いを口にするシャルティア様子を見ながら、パンドラズ・アクターとデミウルゴスも嬉しげに笑みを浮かべた。
彼女が言う通り、本当にこうして完成に漕ぎ着けるまでかなりの苦労をしたし、それがこうして形を結んで報われたのだから、当然の話だろう。
何より、三人で何かを御方々にプレゼント出来る状態になった事が一番嬉しいのだ。
「それでは、後は明日シャルティアからそれぞれの主の元へ、メールと共に手渡していただくと言う事で宜しいですね?
その時、シャルティアはこれが〖私たちからの連名のプレゼントである〗と言う事を、ちゃんと伝え忘れないで下さい。
それぞれ、連名のカードが添えてあるとは言え、やはりお渡しする際にその旨を伝えた方が、我々の感謝の気持ちの品だと伝わりますからね。
では、今日はこれで解散と致しましょう。」
そうパンドラズ・アクターが促せば、デミウルゴスとシャルティアも頷き合いながらゆっくりと席を立った。
予定通り、前日までに無事にプレゼントの準備が出来たのだから、後は明日のことを考えて早々に自分たちの主の元へと戻るべきだと、二人とも納得したからだ。
パンドラズ・アクターはもちろん、デミウルゴスも明日はシャルティアがメールを運んでくる時間帯には自分のサーバーに居て、彼女がうっかり失敗しない様にフォローする予定である。
そんな事を考えていた所で、外へ続く扉へと向かったデミウルゴスが立ち止まると、何か言い忘れた事を思い出した様こちらに振り返り、改めて口を開く。
「パンドラズ・アクター、今回は良い提案をしてくれて本当に助かったよ。
君が提案してくれていなければ、私はこのイベントを〖自分達には無関係なもの〗と言う考えの下、何も準備をせずに後に後悔する事になっていたと思うからね。
では、また明日……今度は、プレゼントを受け取った後の御方々の反応などを含めた、反省会で。」
軽く手を挙げてそう言い残すと、デミウルゴスは先に部屋を出て行ったシャルティアの後へと続いていく。
それを見送りながら、明日シャルティアから手渡されるプレゼントを、モモンガ様が喜んでくれる事を心から願うパンドラズ・アクターだった。
お正月の最後の話から続く、バレンタインのお話です。
バレンタイン当日の話の部分は、色々と小ネタがあったんですけど時間切れです。
そちらは、改めて後日纏めてあげさせていただきますね。