16/決断はお早めに
適当に受けたクエストが、実は結構面倒なものだった場合、日常というのは言葉の通り、結構面倒なものとなります。
「シアン、STR、DEX、AGIセット」
「はいっ」
とはいえ、じゃあ何をどうするのかといえば、相変わらずのマイペース。
現在、昨日の騒ぎから翌日の朝。
モートス平原がいつも通りの広い空の下にある、それこそいつも通りの日の中で、僕らは変わらずアマラットン探しをしていた。
昨日は結局思うようにアマラットンの巣穴が見つからず、見つけたかと思えば中のアマラットンが出てこなかったりもして、中々に梃子摺らせてくれる。
そんな時はコレ、DEXMAX。
器用さに全てを委ねたシアンが、ナックルの熱属性65を引き出し、独特の構えを取る。
一応熟練度、というものがあるらしく、それはDEXの多さに影響して上がりやすかったりもするらしい。INT操作で物覚えがよくなったのと似たような状況だろう。
さて。
じゃあどうしてそんなDEXだの熟練度だのの情報を手に入れることが出来たのか、といえば、プレートで調べましたとしか言いようがない。
ただしこちらはステータスとは関係が無いらしく、熟練度の移動は出来ない。リシュナさんに聞いてみれば、DEXにポイントを振るう物好きはあまり居ないらしい。「器用さなんて好きな武器を使っていればあまり関係ないからねー」とは、当のリシュナさんの言葉だ。
しかしそんなことを言われたら試してみたくなるのがマッスル思考。鍛えたくなるのです。
「いいかいシアン。巣穴を壊してからアマラットンを追ってるんじゃ、ちょっと間に合わない。襲ってきてくれるならどんとこいだけど、逃げられるとね……あいつらの土を掘る速度は結構なものだし。それから攻撃に移ったって土の中には攻撃が届かないから……拳武器だし。だからね、この際巣穴ごとコロがそう。クリティカルを確実に狙っていく。いいね?」
「はいっ」
「DEX強化かぁ……あぁうん、言った通りなんだけど、私もDEXにポイント振る人なんて見たことないし、興味あるかも」
そう呟くリシュナさんのステータスは、DEXMAXだったりする。
そんな状態で剣を好き勝手に振るってもらっていると、何かが楽しくなったのか、勢いよく振るったり静かに振るったりと緩急をつけるようになる。
「おおっ、いいねこれ! なんかこう……STRが無いから重い剣でも、工夫して振るうための動作を自然に探せるっていうか! あ、あ、ヒトくん! INTにもステータス分けて! なにか閃きそう!」
興奮気味、ではなく明らかに興奮しているリシュナさんに言われるまま、彼女のステータスをDEXとINTに分ける。すると彼女の中で何かが閃きに変わり、新たな剣技が───!
「…………器用さが減った分、なんか閃きが消えちゃった……」
……編み出されなかった。
仕方ないのでINTとDEXの振り分けを微調整しつつ、シアンにアラマットンが居る部分を指示してゆく。
縦に長い蟻塚のような巣穴のどこかにアマラットンは居る。
どうして僕に位置がわかるのか、といえば、癒しを軽く流してみると、相手のHPが回復したかどうかがわかるからだ。ログにも出てくるし。
下から順に癒しを流して~……あ、居た。
「───《こくり》」
「───《こくこく》」
回復が通った部分を指差してこくりと頷く。
と、シアンもこくこくと返してくれて、そこからは早かった。
器用さを高めたことで、この武器はどうすればより強く相手にダメージを与えられるのか、という基礎中の基礎を実践。
脇を締め、筋肉を移動させ、そこに速度と武器本来の重さを乗せた一撃が、蟻塚の中に居るアマラットンへと振るわれた。
結果として、クリティカルは成功。
豪快な破壊音とともに巣から弾き出されたアマラットンは、拳の破壊力と熱属性を食らって、ギチュチューと叫んだのちに塵と化す。
死体が残らないのはいいことだ。解体も必要がないからね。
ただ問題点があるとすれば、欲しい部位が手に入れられないってことだろう。
敵を倒しても塵になって、アイテムがランダムでインベントリに突っ込まれる。角が欲しくても皮だったりとか、ちょっと悲しい。
じゃあどうすればいいのか。
……生きている内に角を折って手に入れるか、ランダムを信じるかでございます。いわゆる部位破壊報酬です。
でも当然、こんな不意打ち一発破壊行動ではそんなことが出来る筈もなく、インベントリにはアマラットンの皮が入っているだけだった。
「なにかこう、アマラットン相手でもレアアイテムとかないかな」
そういう状況に立つと、こういう言葉が出てくるのもしょうがない。
男の子はレアアイテムに弱いのだ。
……女性の方がどうなのかは知りません。
ぽつりと出てしまった、ささやかな欲。それを、律儀に拾ってくれたのはリシュナさんだった。
「アマラットンのレアアイテム? そうだねー、確か兎獣の天皮、っていうのがあったかな」
「とじゅうのてんひ?」
「そう。まあ一言で言っちゃうとアマラットンの額の、あの“天”って痣のついた皮なんだけどね? あそこは妙に硬いって評判で、装備品の手の甲の部分に埋め込んで自慢する人も居たって話だよ?」
「手の甲に……」
手の甲に天の文字。
レアを象徴するその姿を思い浮かべてみたら、自然と「おお……!」と口から漏れていた。いい、すごくいい。
「でも手に入れるのは難しいんだよね。殺さずに額から、なんて思った人も当然居たんだけど、生きたまま切り取ると天の痣が消えるとかなんとか」
「普通逆じゃないかなぁそれ」
そういう条件だと普通は生きたまま綺麗に取らないと、天の部分が消えてしまう~とかだと思うんだけど。
まあ、今はとにかくアマラットンをどうにかしようか。
ポイズンキャタピラーは昨日の内になんとか出来たしね。
それを終えた上で、ついでに新しい依頼も受けたくらいだ。
「……アマラットンに比べて、ポイズンキャタピラーは楽だったなぁ……」
「え? ああうん、あれはヒトくんが反則すぎただけだと思うよ?」
少し思い出してみる。
アマラットンが思うように討伐出来ず、ご飯でもとマラカルニ目指して帰っていた時のことを。
=_=/回想です
アマラットン討伐って難しい。
抱いた感想はそんなもの。
散々歩いて蟻塚を探しても、中々思うようにはいかない。
しばらくそんな時間が続くと、いい加減お腹も減るというもので。
マラカルニに向けて食事をするために歩いていた時、それは現れた。
『もろもろもろもろもろもろ!!』
『───』
なんかもろもろ言ってるデカい
調べるを発動させると、ポイズンキャタピラーであることが確認された。
なるほど、背中に苔っぽいのもある。あれが毒苔なんだろう。
「っ……気をつけてヒトくん! ポイズンキャタピラーは皮膚に強い毒を持っていて、触れると皮膚呼吸の要領で体に毒が回って……!」
「釣りは要らねぇ、取っときなぁっ!!」
マグナムが高鳴った。
「………」
「飛び道具万歳」
触れることなく吹き飛んだポイズンキャタピラーを前に、リシュナさん、唖然。
しかし意外にも落下したポイズンキャタピラーはそのまま突撃してきて、体当たりを仕掛けてきた。
「ご主人様!」
「シアン! 待て!」
「《びくぅっ!》えっ!? ご主人様!? なぜ!?」
待て、と言われた途端、シアンの体がビタァと止まった。
いえべつに仕込んだり躾けたりしたなんてことはございません。
奴隷紋の効果なのかどうかもわからないけど、シアンは動けなくなっていた。
一方僕はといえば、デカい芋虫をぎりぎりまで引き付けて、華麗に横へとステップ! 相手の隙を突くって方法でもクリティカルの確率は上がるのか、それを調べたかったのだ。……しかし速度が足らなくて無理でした! ギャアしまったAGIのこと考えずに行動していた!
「《どごぉんっ!》…………」
『もろっ!?』
でも痛くなかった。
つくづく防御馬鹿です。
けれども防御以外はそうもいかない。
どれだけ付着性の高い毒なのか、体当たりと同時に毒苔から鱗粉のような粉が舞った。
それが不可視状態の鎧に付着した途端、状態異常“毒”が体を蝕み───
「癒し《パパァアアア!!》」
───癒した。
「えーと、じゃあとりあえずこの背中の苔を採取して~……」
「《ゾリゾリゾリゾリ》モロロギャアアーーーッ!!」
飛び出しナイフを剥ぎ取りナイフ代わりにして、ゾリゾリと苔を採取。
一緒に皮も削っちゃったけど別にいいや。
コシャンッ♪《毒芋虫の毒苔を手に入れた!》
コシャンッ♪《毒芋虫の毒皮を手に入れた!》
あ、やっぱり皮も入ってた。もろいな、この芋虫。
芋虫なんだから当然なのかもしれないけど、今まで硬い敵とばっかり戦ってきたから妙に柔らかく感じてしまう。まあ柔らかい皮だからこそ、毒で身を守ってるんだろうね。生物の神秘です。
なんて暢気なことを考えていたら、ポイズンキャタピラーが口から糸を吐き出してきた。
それは僕の体にあっという間に巻きついて、ぐるぐる巻き状態に……!
当然上手く重心を整えることも出来ず、グイと引っ張られたらあっさりと転倒してしまった。
「ご主人様!」
「ヒトくん! このっ、“
転んでしまえば、あとは楽だったのだろう。
ポイズンキャタピラーはあろうことか、口から伸びた糸ごと僕を引っ張り、その勢いのままに飲み込んでみせたのだ。
「!?」
「うっ……嘘っ! ちょっ、吐き出しなさいこの馬鹿ぁあああっ!!」
聞こえたのはそんな声だっただろうか。
困ったことに現実感が湧かなかったため、飲み込まれても“ハテ?”、って感じだった。
しかも癒しはずっと発動させている上に防御力も高いので、胃酸……芋虫のも胃酸っていうのかは知らないけど、それもべつに関係ないというか。むしろこの芋虫、人を丸呑みにしても大丈夫なんだろうか。逆に詰まったりしないか?
一応イグにも癒しは流しているから、溶けたりする、なんてことはない。
むしろギギーと物珍しそうに内臓ライフを送っているように見える。ライフというほど住んじゃおりませんが。
日に日に神経図太くなってるなぁ、さすがデビル天秤様。前の僕だったら絶対に悲鳴をあげているよ。楽観的って、こういう意味でいいのかなぁ。
「えーと」
外でなんかどたばた聞こえるのがわかる。……聞こえるのがわかるって、言葉としておかしいね。聞こえる、で十分だ。多分、シアンとリシュナさんが頑張ってくれているのだろう。
そんな中で暢気に食べられている初心冒険者でございます。
うん、やっぱり食べられるのって実感沸かない。防御力が高すぎるのも考えものだなぁ……こうやって危機感ってものは削られていくのだろう。
「とりあえずなにか採取出来ないかな」
最初に思ったのはこんなこと。
だって、せっかくのモンスターの内部だ。寝転がった状態で、内臓に押し潰すされるように圧迫されているのだとしても、抗えないほどの圧力じゃあない。糸も胃液で溶けたし、自由ってステキ。
なので持ったままだった飛び出しナイフを動かして、珍しそうなものを探して……あ、なんか刺さってる。なんだこれ。
コシャンッ♪《鉱石の欠片を手に入れた!》
……鉱石の欠片。なんらかの鉱石の欠片らしい。
調べてみても、そうとしか書かれていない。
試しに癒してみたら、ジュルリと再生する鉱石。改めて調べてみると、
◆鉱石
鉱石。
…………ただの鉱石だった。
そりゃそうだよね、そんな、敵に呑まれてたまたま手に取ったものがレアだった~なんて都合のいい話、あるわけないよね。
もういいや、内部から解体しよう、この芋虫。
はい、サクサクサクと。
『ウモロギャアアアア!!』
「うひゃあっ!? なんか悲鳴あげた! って、いいから吐き出しなさい! このっ!」
「ご主人様っ!? ご主人様っ! ご主人様ぁあああっ!!」
内部剥ぎ取りをしていると、芋虫の悲鳴とともにリシュナさんやシアンの悲鳴が聞こえた。でも構わない、剥ぎ取る。
コシャンッ♪《毒芋虫の粘液を手に入れた!》
コシャンッ♪《毒芋虫の内臓を手に入れた!》
コシャンッ♪《毒芋虫の血液を手に入れた!》
攻撃がくるわけでもないので剥ぎ取りし放題でございます。
なんて思っていたら、ズシンという振動とともに、内臓の伸縮が治まった。途端、ポイズンキャタピラーが塵になって、僕の体が大草原に投げ出される。
「ご主人様っ!」
「ヒトッ……ヒトくん!? 大丈夫!? ねぇっ! ね…………うわー、傷ひとつない」
粘液で多少は汚れたものの、それも洗い流せばなんとかなりましょう。
ともかく毒苔は手に入ったので万々歳。
それよりもシアンだ。
上半身だけ起こした状態だった僕……いやむしろ立ち上がろうとした僕に突撃してきて、抱き付かれたからそんな体勢なんだけど、胸にすがりついてしがみついたまま離れてくれない。
いや、うん、ありがとうだけど。防御しか脳が無いのにそこまで心配されると流石に悲しいよ。これでもし他のステータスにポイント振ってたら、どれだけ過保護に守られていたんだ僕は。
「はぁ……あんまりヒヤッとさせないでよね。ていうかポイズンキャタピラーの酸にも抵抗できるなんて、どういう癒し能力なの、キミ」
「え……結構やばかったりしたの?」
「やばいもやばい、これの依頼の報酬が1800£だったの、覚えてるでしょ? ポイズンキャタピラーは毒とか強酸を持ってるから、まともに戦ったりしたら危険なの。もちろん毒耐性があれば相当に楽な依頼だけどさ。酸はそうもいかないでしょ」
「うわー……」
「はぁ。じゃあもういいや。いい発見も出来たし、どうせならもっと毒苔集めよ? 持っていけば持っていくだけ、上乗せしてくれるかもしれないし。あ、ヒヤヒヤさせた罰として、ヒトくんだけでやってね? こっちなんて酸を吐かれて、剣がちょっと痛んじゃったんだから」
「………」
ほら、と見せてくる剣に触れて、癒しを流したら治った。
「うん……もう私驚かないからね? その代わりメンテとかやってもらうから覚悟してね?」
「対価を要求します」
「うぐっ、当然のことだけどちゃっかりしてる……! や、もちろん磨耗することもなく元の状態に戻してくれるだけありがたいし、鍛冶屋じゃ出来ないことだから万々歳なんだけどね? うぅー……じゃあクエストの取り分から払うから、この調子でお願いします……」
「お互いお金には苦労しますね」
「だったら少し負けてくれるとかっ……!」
「無料で癒して無料で武具メンテ、宿の部屋も格安で。これ以上なにを望むと?」
「いじわるだ! やっぱりキミはいじわるだっ! 正論だけど! すっごい正論だけどぉおっ!!」
お金の貸し借りは出来るだけしないに限る。
いいことないしね、本当に。
-_-/ヒトくん
と、そんなことがございました。
このIYASHIって本当に便利だけど、知らずになにかしらが消費されてるってことはあるのかな。
無制限無条件で癒せるって、じっくり考えると怖い。
「ねぇヒトくん。アマラットンの方は特に期限も決められてないし、先に捕獲作戦やっちゃわない?」
「あ、うん、コボルトの捕獲だっけ。確かに装備も増えたし、ここらへんのモンスターの攻撃もそんなに苦じゃないし、いいかも」
「……苦じゃないのはステータス移動のお陰ってこと、忘れないでね?」
「押忍、気をつけます」
自分のVITが高いと、どうも周囲もそうなんじゃないかって思ってしまってダメだ。長い間自分を低く見られていると、自分の中でもそれが定着してしまうっていうアレだ。
僕には“僕なんかが出来るんだから、周りは当然のように出来るに決まってる”って思ってしまう癖があった。悠彰と散々ぶつかって、それも今は顔を出さなくなっているけど、染み付いたものっていうのは案外難しいもので、大丈夫とは思っていても自然とそれが顔を出すから困る。
「じゃあやっぱり基本はSTRとVITとAGIに振り分けた状態かな」
「そうだねー、それが一番安定するよ。修行の時はDEX多めで」
「だよね」
なんて、楽しげに会話していると、シアンが僕の服を後ろからグイーと引っ張ってくる。両手で。
引っ張られてすぐに振り向いてみれば、少し困り顔のシアンが服を引っ張っているなんて、最近見慣れた光景。その人より自分を構ってっていう、お犬様などがたまに見せる嫉妬のようなものだろうか。
試しに“うりうり~♪”とわしゃわしゃ頭を撫でてみれば、目が細められ、尻尾がブンブカ振るわれた。……多少強めのほうが嬉しいのでしょうか。まあ、構っているってイメージは沸くかもだけど。
「いやぁ~はー……奴隷にそこまで懐かれるって、ほんと珍しいよ? 普通は忠誠を誓うか従属しているかって感じなのに、ヒトくんとシアンちゃんのそれって、ほんとお犬様って感じだもん」
「奴隷って意識で接してないからかなぁ。そもそも僕の方が、圧力とかで従わせるのが嫌いなんだ。なんでも言い合える友達みたいな感覚の方が強いかも」
感覚というか、僕の場合は願望か。
“そうであったらいいな”がいつでも胸の中でぐるぐる回っている。
話しながらもコボルトが生息する森へと歩く。
思えば森とか林の方も、イグと遭遇して蜂蜜を入手したくらいで、探索らしい探索はしていなかった。
あっちの方に都合よくアマラットンの巣があれば、依頼もこなしやすいんだけどね。
ぼやいても仕方ないか。世の中そう上手くはいかないものだって、地界で散々学んだんだから。
……。
で。
「地界で苦労していた頃の自分に、この奇妙な運の良さを分けてあげたい……!」
ありました、アマラットンの巣。
しかもところどころに。
モートス森林の中にそれはあって、癒しで内部の反応を調べてみれば、きちんと中身もあったりしました。中身って言い方はどうかと思うけど、それだけ動揺していると受け取ってください。
「えと……どうしよう」
「そりゃもう、やっちゃうしかないでしょう」
「いつでもこいですっ《むんっ》」
女性陣……二人でも陣というかは謎だけど、二人に訊いてみればGOサイン。
なのでアマラットンが居る位置を教えると、シアンがそこを容赦なく殴り抜き、殺気を感じたのか移動して逃れたアマラットンが巣から飛び出したところを狙い、リシュナさんが風魔法を込めた双剣で素早く斬殺。
風の魔法剣では、斬ったあとに鎌鼬が発生して追撃が期待できるんだって。この目で見て確認して、“わあ凄い!”って心と“ギャア凄惨””って心が同時に浮かんだ。だってね、風がズバズバと兎を切り刻む様子、直視しちゃいましたし。
「いいねいいねぇ、この調子でどんどんいこー!」
リシュナさんもこの蟻塚の多さに興奮気味だ。もちろん僕も。
けれど一個一個壊す前に、“調べる”をするのを忘れない。
だってね、巣穴に見せかけて本当に蟻塚だったら、蟻型モンスターの群がぞろぞろと、なんてこともあるかもしれない。
だから調べるって大事。すごく大事。
◆アマラットンの巣穴
アマラットンが住んでいる巣穴。
蟻塚によく似ているが、蟻は居ない。
巣の高さで雄としての強さを表し、求愛しているらしい。
*耐久:25
当然ながら、耐久力が設定されているらしい。
25ダメージ与えれば壊れる計算なのかな。
試しに飛び出しナイフを飛ばしてみると、耐久が24になった。
……1ダメージしか与えられないのか、このナイフは。
「ものは考え様」
飛び出しナイフを用意します。
癒します。
刃を折ります。
折れた刃をインベントリにストックします。
インベントリ内のナイフの欠片が99個になったあたりで、それをシアンのインベントリに移す。
で、シアンのステータスをSTRとDEXとAGIに振り分けて、GOサイン。シアンが戸惑いつつも指示通りにナイフの欠片を握ると、僕は高らかに叫んだ。
「お前は……───中国武術を舐めたッッ!!」
始まる投擲。
ナイフの欠片が飛び、蟻塚に刺さると、耐久が削り取られたように0に。蟻塚はあっさりと壊れ、中から飛び出したアマラットンの額にサクッと刺さり、ダメージを与える。が、倒すまではいかない。
検証も兼ねてSTRを1にしてDEXを上げてみると、次の一撃でアマラットンは死亡した。……おお、なるほど。どうやら投擲などの技巧が必要なものは、DEX依存で計算されるようだ。
頷いている間にもシアンの手から弾丸のように放たれるナイフの欠片が、蟻塚とアマラットンを滅ぼしてゆく。……惨たらしい光景だ。
『ギチュ《ゾゴォッ!》───』
飛び出たアマラットンの額、その天の文字を貫くように刺さるナイフの欠片。
欠片というか、刃の部分丸々。
当然脳まで達したのか、アマラットンが一撃で塵と化す。
あっはっはっはっは強い! これ強い! まもっ……守りなんて要らないやーーーっ! あぁああっはっはっはっはっは! あはっ……あっはっは……アォオオーーーッ!!
「……僕……どうしてここに居るんだろう……」
「……ナ、ナイフを作る……ため……? それを言うなら私こそだよ……」
「………」
「………」
二人見つめ合い、ソッと握手をした。
言葉は無い……だが、奇妙な友情があった。
なんて思ってたら、遠くの方で壊れた蟻塚から謎の黒が飛び出した。
飛び出した、というか……溢れ出した。
えっとさ、人ってさ、なんか小さなものがごっそりと出てきたり蠢いてきたりすると、鳥肌立つよね? 立たない? 僕は立つ。
で、なんだけど。
……予想通りというべきなのかな、本物の蟻塚があったのだ。
なにか、と確認するよりも先にゾワァアッと鳥肌が立って、即座に調べるを実行。
◆丸ぃアント・ア・ネット【甲虫種】
ガキャア言語のように、丸いを丸ィ、つまりマリィという発音で呼ぶ蟻。
丸い。
口から粘着性のある糸を吐く。
軍隊で行動する蟻であり、得物を大群の口から吐き出した糸で絡め捕え、捕喰する。
といっても顎はとても脆く、体も脆い。
糸に消化液を滲ませてゆっくりと溶かすといわれている。
顎が脆いなら溶かせばいいじゃない。
ワーオ変な名前! ガキャア言語とかって、日本語じゃなきゃあまり意味ないんじゃないかなぁ!
「リシュナさん丸ぃアント・ア・ネットってどうやって倒せばいいかなぁ!」
「水魔法に弱いんだけど魔法なんて使えないよね!?」
「リシュナさん魔法双剣は!?」
「私のは魔法じゃなくて属性の加護だから無理! 属性の宝玉なんて持ってないもん!」
「ああまた知らない名前が出てきた!」
宝玉!? なにそれ!
「でもやらないよりかはマシかぁ……ああもうっ!
リシュナさんがなにかを唱えて双剣を構えると、双剣が水に覆われた。おおっ、あれって魔法!? あ、魔法じゃないんだっけ? 属性の加護ってなに!? あぁあああやっぱりプレートで調べておくべきだった! そうすればこんな時に混乱することなかったのに!
「ヒトくん! この水って癒して増幅とかって出来る!?」
「出来る出来ないじゃなくてやってみよう!」
悩む時間があるならやる! 問答なんて時間を取るだけである!
なので双剣を包んだ水に癒しを流す。
もちろん癒しながら質問を飛ばして。
つまりは要領なのだ。水を癒して活性化させたって仕方ない。
ただ、集める要素そのものの神秘、魔力的ななにかを癒し、強化してしまえばいいのだ。
癒しが自然治癒力を活性化させて癒すものなら、リシュナさんが加護とかいうもので水を集めることが出来る理由そのものを活性化! あれだ、歯だっていきなり虫歯になることはない。菌とかが時間をかけて歯を蝕んでいくから虫歯になる。じゃあ菌を癒して菌を活性化させたら?
「癒すのは加護とかいうもの! 集める力を癒して活性化させて強化強化強化ァアーッ!!」
遠慮無用で癒しました。
するとどうでしょう、リシュナさんが持つ双剣からゴヴァシャアアと水が溢れてホギャアアァァーッ!?
元気になった加護とやらが小さな、だけど蟻にしてみれば大きな津波を作った。
「シアンちゃん! 水を殴って!」
「いやです《どーーーん!》」
「えぇえええっ!?」
「シアン! もっとぉっ! 熱くなれよォオオーッ!!」
「はいっ! ご主人様っ!!」
「あれぇ!?」
行動はリシュナさんが言ってくれたので、僕はただ焚きつけるだけ。
リシュナさんのお願いは聞かないのに、僕が言ったらあっさり実行。
ギウウときつく握られた拳武器から熱気が溢れ出て、それがそのまま流れ出た水へと突っ込まれた。
途端、熱が一気に水の中を伝って、蟻たちをボイルしていった。
急に出来た川から湯気があがった。状況を見てからの感想といえばそんな感じで、どうやら上手く蟻たちを倒すことは出来たらしい。
(……というか)
熱伝導、異様に早いですね。やっぱり常識的なものとは違うからこその属性ってものなんだろうか。
「
で、そんな湯気がモワモワな景色を、今度は双剣に風を纏わせたらしいリシュナさんが、風を巻き起こして吹き飛ばす。
便利だなぁ魔法双剣。
そんな、汗を拭って「はふぅ」と溜め息を吐くリシュナさんにソウルヒールを流して、こちらも一息。
「やー……ほんと、ヒトくんの癒しって異常だね。そうなったらいいなーって思って言っただけなのに、まさかほんとに水を増やせるだなんて」
(水を増やしたんじゃなくて、水を集める仕組みを癒して元気にさせたんだけど)
言わないほうがいいかなぁ、こういうこと。
でも、いいきっかけにはなったかも。応用が利きそうだ。
「ところでさっきの熱くなれよー、ってなに?」
「友人に教えてもらった元気になれる言葉……だったっけな。残念だけど誰が言ってた言葉なのかは知らないんだ」
「そっか。けど、いい言葉かも。しっかし鼓舞もシアンちゃん限定で出来るし、ヒトくんも結構場慣れしてきたんじゃない?」
「むしろ癒ししか能力的に役立ってないからね、これくらいは。じゃ、アマラットン討伐もこなせたみたいだし、このままコボルトの捕獲とミル・コボルト討伐でもやってみましょーか」
「ミル・コボルトかぁ……結構強いよ?」
「戦ったことがおありで?」
「うん。手柄、ぜ~んぶあの薔薇馬鹿に取られたけどね。硬いし大きいし素早いし、どうすれば王ってだけであのコボルトがこんなふうになるんだ~って感じのヤツ」
「………」
「?」
僕、沈黙。
シアン、首を傾げる。
……“こんなふう”って……なに? 硬いし大きいって……そんなにデカいの?
「えと。どのくらい大きいので……?」
「体長5メートルくらいのゴリモリマッチョ」
「5メートル!?」
しかもゴリモリマッチョと来たら……横幅もデカいんだろうなぁ……。
ベビーで僕達と同じくらいだし、コボルトはもっと大きい。その上をゆくコボルトの王……うわー、会う前から怖い。
「レベル上げはしっかりやってから挑もうね……」
「うんうん、それは大事だよヒトくん。いくら防御力が高くったって、魔法を使われたらあっさり死んじゃうんだから」
「うぐっ……」
そう。
癒しが使えるからって、頭を吹き飛ばされたりしたら終わりだ。
“即死”にはとことん気をつけなければいけない。
そのためにこんな重い装備をしていることを、もっと自覚しよう。
「じゃあ今日は心が折れるまでレベル上げをしよう!」
「え゛っ……本気? ヒトくん」
「本気ですとも! 大丈夫! 疲れても僕が癒そう! さあ行こうやれ行こう! ヘイシアン! 突貫だァーーーッ!!」
「
そして僕らは走りだした。僕らというか、主に僕とシアンが。
リシュナさんは呆れながらも慌てて追ってきてくれて、その先で出会うモンスターを片っ端からコロがしてゆく。特にコボルトベビーは逃がさず。お金、大切。
『ホガァーーーッ!!』
「《ゴインッ!》まずはナイフで傷をつけます」
『ホガッ!?《ザシュッ!》ホギャッ!?』
そんな中で会った、ベビーからコボルトになりそうな中途半端なコボルトさんで実験。まず傷をつけて、癒しを流す。
ただしただの癒しではなく、“血行を良くする”意味での癒しを全力で。
するとどうでしょう。
コボルトの傷から血が噴水のように溢れ出て、あっという間に動かなくなるコボルトさん。
「………」
名前は癒しなのに、それが怖くなった瞬間でもあった。
OK……僕の武器は破壊力よりも切れ味重視でいこう。
え? ええ、棍棒で頭を殴られたけど、なんかもう今さら気にしません。
(毒の武器を手に、毒を活性化させて斬り付けるのもいいかも)
毒の成分を癒して元気にさせるのだ。
熱とかは元気にしても仕方がなさそうだけど、火を活性化させることとかは普通に出来そうだ。
癒ししかできないなら、出来ることを強化させていくしかないでしょう。
頑張ろう、自分。
そしてお金を溜めて、診療所を建てるのだ……! そう……僕は冒険者ではなく、医者を目指しているのだから……!
「シアン! スーパージャンピングニーパァーーーット!」
「せいやぁーーーっ!!」
『《ドゴォッ!》ホガッ!?』
指示をすると、コボルト目掛けて飛び膝蹴りをするシアン。
「ブルドッキングヘッドロォーーーックゥ!!」
「はいっ!」
『《ガキィッ! ドグシャアッ!!》ブベッ!?』
その勢いのままにコボルトさんの首をネックロックで固めて、これまたその勢いのままに地面へと倒れ込む。
「スコォーピオンッ! デスロォーーーック!!」
「ふぅううんぎぎぎぎぎぃいーーーっ!!」
『《ゴキベキバキベキ!!》グギャアアーーーッ!!』
コボルトさんの足腰が粉砕された。
その拍子にHPも0になったらしく、シャァアアン……と、金属の粉がばら撒かれたみたいな音を立てて塵になるコボルトさん。
「ごらんください宅のシアンを。もはやプロレス技も一通り覚えてくれました!」
「うーん……ヒトくんはいったいシアンちゃんになにを求めているのかな……」
「え? プロレスでモンスター相手ときたらDSCでしょ」
「なにそれ!?」
DSC。デンジャラス・スープレックス・コンボ。
スライディング、フランケンシュタイナー、パワーボム、ジャイアントスウィング、飛びつきスイング式DDTの順にキメる、某ゲームの体術系単体最強連携奥義だ。
パイルドライバーなのかパワーボムなのかは微妙だけど、ともかくそれっぽいもの。コツとしてはジャイアントスウィングでは相手を横に飛ばさず、上空に飛ばすことが大事。じゃないと飛びつきDDTが出来ないから。
「ともかく、体術ほど戦闘に役立つものはないと思うのです。体さえ鍛えてあれば、それが武器となるのだから。スライムとか軟体生物には効き辛いだろうけど……それでも、体術は素晴らしい」
ファンタジーならばきっとKIもあることだろう。
無くても、シアンにはブラストがある。氣じゃなくて魔力を練り上げて攻撃に乗せる、とか出来るのかな。……でもそれってINTとAGIに振り分けてブラストで殴るのと変わらないよね、たぶん。実際にそれを応用してやってみたガドリングブラスト(ただのブラスト付加の拳の連打)は、物理攻撃に強い的には効果的だった。
「いいかいシアン。体術を行使する時は遠慮を抱いちゃいけない。それが勝ちに繋がると知っているなら躊躇はダメだ。それは、生き延びたいならどんなことだってするのと変わらない」
「どんなことでも……」
「そう。たとえばモンスターは、僕達人間を見ると何故か嬉々として襲い掛かってくるよね? 殺す気で来ている相手に手加減をして殺されるのは、一番あっちゃならないことなんだ。“武器を手に取って自分を狙っているなら、相手は敵だ”。それは相手が子供だろうと老人だろうと変わらない。いいね?」
「はい《こくこく》」
「うわー……ヒトくんって結構、残酷なことを平気で言えるんだね……」
「? や、あの……リシュナさん? リシュナさんって子供が毒ナイフで殺しにきたら、笑顔で殺される人? よぼよぼの老人が寝首を掻きにきても反撃もしないでやられる人?」
「いやいやうんうんわかってる大丈夫。その言葉はもうナギー様に散々言われたから、わかってはいるんだけどね。まさか地界人のヒトくんまでそれを言うとは思わなかったから」
「ああ、なるほど。うん、僕のこれは友人からの受け売りだけど、間違ってはいないって思うから」
「受け売りが多いなぁ」
「はは……面目ない。受け売りから始めないと、人並みの生活さえ危うかったもので」
多少の常識だけは知っていた野生児みたいなもんだ。
学校でも何度先生に怒られたことか。
他人の行動を真似て、どうすれば怒られずに済むのかを何度も学んで、ようやく今の僕って程度なんだ。知らないことだって山ほどある。
でも、自分を傷つけに来ている存在を相手に立ち向かわないのはダメ。それは、散々と学んだ。その先にあるのが今の状況なら、相手が殺しに来ているのに抵抗しないのは馬鹿だ。
悠彰に言わせればイジメは殺人に繋がるもの。イジメに耐え切れなくて相手が自殺したなら、間違い無くそれは殺人だ。だから、イジメに来た相手をただの人間だなんて思うな。相手はヘラヘラ笑いながら人を殺しに来ている殺人犯だ。そう、教えられた。
そうして見れば、かつて自分をイジメていた人間がただの化物にしか見えなくなった。笑いながら人を自殺に追い込めるんだ、立派な人殺しで、愉快犯だ。
「ふーん……? よくわからないけど、そんなヒトくんは以前、どんなコだったのかな」
「えっと……他人の真似事ばっかりしているコピー人間って言われてた。それを変えるきっかけになったのも、僕を追い詰めにきた相手ではあったんだけど……その相手の声を数日分録音したあと、まずはいろんな人にその人が自分を追い詰めてきていることを話すんだよね。あ、これもしっかり録音しておいて」
「録音……蓄音みたいなものかな?」
「たぶん。でも周りの人はな~んにも解決してくれない。笑って済ますか気の所為で済ますか、面倒だから係わらないようにする。ただそれだけなの。だからそれもたっぷり録音しておいて、“なんかもうどうなってもいいや”って心が自然とそう思っちゃった時に、実行に移った。懲りずに追い詰めにきた相手の膝を正面から思いっきり蹴ったんだ。いい音が鳴った」
あの音は忘れない。
で、悲鳴を上げて倒れた相手の顔面に渾身のサッカーボールキック。
救急車呼んだりしていろいろあったなぁ。
当然教師が“なんでこんな面倒なことをー!”とか、相手の親が乗り込んできて“なにさらすんじゃコラァー!”とか。
そこで散々イジメられたことと周囲に言ってもなにも変わらなかったから、自分で変えるしかなかったことを告げた。当然、ああ、ハッキリ言うよ? 当然、教師や周囲はとぼけたよ。そんなことを言われた覚えはない、って。
そこで録音したものの出番でございます。
人の顔が蒼白くなっていくのを初めて見た。もちろん盗聴がどうのと悲鳴に近い声で叫ばれたし怒鳴られたし奪われて破壊されもした。それ、コピーですって言ったらまた悲鳴をあげてたけど。
相手の親も“だからってやりすぎじゃないか”とか言ってたけど、じゃあ僕が堪えてきたことを今からやるから全部堪えてくださいって言ったら“馬鹿馬鹿しい”って鼻で笑った。録音の記録だけでどうやってそれが再現だってわかるんだ、なんて、逆に怒鳴ってきた。
「あの日以来、僕のささやかな夢は、ただただやさしい大人になりたいってだけになったんだよね……」
結局は厳重注意ってだけでその場は治まった。
僕は家で両親にサンドバッグにされたけど、イジメた相手は怒られただけで済んだんだろうな。
「だから、冗談じゃない限りは出来るだけ人には手を差し伸べたいかなって。もちろん無理と判断したら無理って言うんだけどね」
「……あ、あのー、ヒトくん? だったらもうちょっと私にもやさしく……」
「お金の絆ってもろいらしいよ?」
「ひどい!」
親がお金にも汚い人達だったのだ、警戒くらいはさせてほしい。
……でも、お金で人を買っちゃった僕が言えたことじゃないんだろうなぁ。
「はぁ……それで? その殺しに来ていた相手はどうなったの?」
「直接殺しにはこなくなったけど、間接的に孤立させにきたね。元々周囲に人が居なかったから、余計に孤立したなぁ」
やぁ懐かしい。
それでも悠彰と香織は離れなかった。本当に、ありがたかった。
それでもしつこく“あんなカスなんてほっとけよ”とか言われたらしい悠彰が、“友達は自分で選ぶから黙れ姑息野郎”って突っぱねたらしい。香織から聞いただけだから、そのあとがどうなったのかは知らない。
「辛い思いをした人は、人にやさしくなれるって言うけど……実際どうなんだろうなぁ。そもそもやさしさの基準が曖昧だったりしたら、親や周囲が自分にすることが当然、なんて思っちゃうんじゃないかなぁ。……シアンは、出来ればでいいから……やさしい人であってほしいなぁ」
「だ、大丈夫です! 平気です! シアンはいつでも、ご主人様にはやさしいシアンですからっ!」
脇を締めて、拳をギュッとして熱弁された。
一瞬“コークスクリューブローでも放たれるんじゃ……!?”と警戒してしまった僕よ……死んでしまえ。
「ねぇヒトくん? ちょっとわからないことがあるんだけど……キミの友達のコって、なんだってヒトくんにやさしくしようって思ったのかな」
「あ~……それは僕も訊いたことがあったんだ。イジメられてる人や、殺されかけてる人にやさしくしたって、いいことなんてきっとないよ。やられてた僕でさえそう思ったし、だからこそ周囲になんの期待もしてなかったし」
期待してなかったから自分で“声”を集めたんだ。
他人がそんなことをやってくれるわけもないって、その頃にはもうわかりきっていたから。
「なんて言ったと思う?」
「うーん……シアンちゃん、わかる?」
「……私もご主人様と同じ気持ちです。イジメられている人や殺されかけている人を助けたって、なんの意味にも繋がりません。やられていた私が断言します」
「う……二人とも重いよ……」
こればっかりは仕方ない。
どうして助けてくれないんだ、なんて何度だって思ったよ。
その度に、相手側の立場で状況を思い描いたりしてみたんだ。
正直に、“ああ面倒だ”くらいにしか思わなかった。
助けを求めて視線を彷徨わせて、目が合ったら“こっち向くんじゃねぇよ”って目がそこにあった。
周囲はなにもしてくれない。
自分が危機にならなきゃ動きもしない。
そりゃそうだ、きっと僕だってそうだった。
だから、自分の中の常識ごと、そんなクラスメイトとの仲を破壊しようって思った。
だってさ、見てるだけでなにもしてくれない人との関係を保つことなんて考えて、いったいなにになるっていうんだ。
そんな世界が嫌だったから、そんな世界の常識ごと、いっそ周囲との冷めた関係ごとぶち壊してやりたかった。
……結果がサンドバッグでも、僕は笑えた。鼻で笑ってやった。やってみて、こんな笑い方のなにがいいのかと、鼻で笑う存在の全てがつまらないものに見えたよ。
たまにはヤケクソになってみるのもいい。
それで立っている世界が壊れてくれないなら、その時こそ自分から終わりにしてもいいのかな、なんてことを思った。
「こんな、レベルアップなんて能力や、癒しなんて能力があの頃にあればなぁ」
周囲のくだらない苛立ちや、人につっかからなきゃ立ってもいられないようなプライドを癒してあげたかった。
体裁の欲しさに生かされた自分でも、そうであったなら一丁前に幸せの一つでも掴めたのだろうか。今となってはわからないし、わかったところで自分が周囲に抱く評価なんて変わらなかったに違いない。
一度醜さを見てしまえば、そう簡単には受け入れられない。
それでも……もし。もし、あの両親が、僕に───
「シアン、リバースパワーボム」
「はいご主人様!」
───無い。無理だ無理無理、なにを血迷ってるんだ僕は。
あの両親のプライドなんかを癒してみろ、余計に奇行に走って、最悪妹にまで危害が及ぶに違いない。
あ、ところでリバースパワーボムっていうのは、相手をうつぶせ状態に倒して、相手の両足をジャイアントスウィングの要領で脇に抱えます。
で、持ち上げて、顔面から地面にビッタァーン。
結論:とても痛い。
そんな光景が、シアンからコボルトさんにプレゼントされた。
足払いからの、綺麗な両足抱え。次いで、全力をかけて振るわれたコボルトの体が宙に浮き、やがて地面にビッタァーンと叩きつけられた。
「あ、リシュナさん。質問の答えだけどさ」
「え? あ、うん」
「人は自分がやられたことを覚えて、相手にはそうしないように努めるとかいうけどさ。それってやられたことのない人の勝手な妄想や願望が結構混ざってるんだ。やさしいわけじゃないんだよ。ただ、世界の在り方に、イジメられたことのない人ほどに希望を抱いていないだけなんだ」
だから、“無駄”という言葉を知っている。
他の人より諦めることが早くて、他の人よりも他人に関心がない。
「友人が僕に話しかけてくれた理由はそれだって。“他のやつより気安く付き合えそうだから”って。お陰で僕も、随分と気楽に付き合えたと思う」
重くないっていうのはいい。今思えば香織も、病気だったから付き合いやすい僕と一緒だっただけなのかもしれない。
「と、まあそんなわけで。この“僕”っていうのも、周囲が自分のことを“俺”って言う人ばっかりだったから選んだもので、僕は他の人よりも他人に関心がなかったわけで。妹と友達。それだけ居れば十分な、おかしな人だったのです」
会ってそれほど経っていない人に、自分のかつてを話すのはおかしいことだろうか。
もちろんいいえだ。
そのことで距離を取ってくれるなら良し。自分にとっての心地良い距離を選んでくれるなら、なお良し。
距離は相手に選んでもらおう。僕とシアンは自由にやっていきたい。
「誰かに寄りかかろう、とかは思わないの?」
「十分よりかかっておりますが……?」
「あー……」
なにせHIMOでございます。
今もシアンが物凄い勢いで、プロレス技の数々でコボルトさんをコロがしまくっている。
HPが少なくなればすぐに呼び戻して癒し。
元気になれば戦いに戻って、いっそコボルトを全滅させん勢いで千切っては投げちぎっては投げ。
あ、レベル上がった。
「敵が遠くに居る間にナイフを投げまくって、近くにきたら格闘……実に王道パターン……!」
風来のスィレンとかではよくやるパターンだね。
そして盾の役にすら立っていない、速度マイナス10のデクノヴォーな僕。
「いや……いいんだ……。癒し役が硬いお陰で、倒れることもなく癒しが出来るって考えれば……!」
「……なんかこの状況見てると、私もいらないんじゃないかって思えてくるよ……ヒトくん、私も前に出ていい?」
「是非。じゃあ一端シアンを下げるね。あ、投擲するならナイフをどうぞ」
「《コシャンッ♪》……うわー、ナイフの欠片99個って……」
ナイフの欠片を渡して準備完了。
シアンを呼び戻すと、早速リシュナさんが前に出た。
ステータスはシアンと同じくDEXとAGIに振り分けたもの。
そこで彼女は投擲と器用さの素晴らしさを知ってゆく。
「わっ、うわっ、わははー!? なにこれ面白い! どう投げれば上手く当たるのか、なんとなくわかる!」
彼女は投げたッ! ナイフをッ!
前方より来るコボルトの群れ目掛けッッ!!
「《ドゴォ!》ウゴアッ!?」
そして横から猪に体当たりされて、ヘンな声を出した。
ああうん、見事に脇腹に喰らった。
これは危険だとシアンに回収を頼み、AGIを大幅に、STRを少々上げたシアンがすぐさま彼女を担いで戻ってきた。
すぐに癒しを流すものの、心配で見てみたHPは残り5だったりした。危なかった。
さすがVIT1……防御力が少なすぎる。
「ワ、ワガガ……! 脇腹が抉り取られたような、凄まじい衝撃ガアア……!」
「リシュナさん喋って! 黙っちゃだめだ!」
「それ普通逆じゃない!?」
「ある人は言いました。ツッコミたいと思うことほど、瞬間的に生きようとする力を沸き上がらせるものはないと」
「ツッ……ツッコんだ手前、反論出来ないっ……!」
そしてもう元気だった。
さて、新たにモンスターが出てきたわけだけどって来た来た来たァアーッ!?
「えーとえーと調べる!」
◆ワイルドボア
ワイルドな性格の猪。
突進好きで、動く者にはとりあえずタックルする。
度重なるタックルによるものか、額が変形していてとても硬い。
他の部位もほぼ硬い筋肉であり、食用には向かない。
物理に強く、魔法などには滅法弱い。
「シアン! キン肉ドライバーだ!」
「え? え……え!? キンッ……えぇっ!?」
猪! 体術! キン肉ドライバー!
これしかないでしょう! って無理! もう目の前!
どどどどうするどうする!?
「硬さで止める!」
クラウジングスタートの構えで足を地面に埋めるようにして構える!
そこへ突撃してきたワイルドボアの体を両腕で受け止めて、防御力に任せて強引に止めるゥウウッ!!
「《ズザァアザザザザザァッ!!》オアーーーッ!?」
でも滑る! 地面抉れてる!
こ、これは凄い! こんな序盤の森っぽい場所なのに、なんたる強さ───……あ。足が木の根につっかえた途端、止まった。
ア、アー、ナルホドー、止めるための力、つっかえ棒になれるほどの筋力が僕に無かったダケカー!
「シ、シア~~~ン! 今だ~~~っ! 今しかねぇ~~~っ! 今こそキン肉ドライバーじゃ~~~っ!」
「ワイルドボアの弱点はこの大きな目だよ? ここを通して内部を壊すの」
『《ゾグシャア!》グヒーーーッ!?《シャァアン……!》』
「ア」
「ね?」
一撃だった。
止まったワイルドボアをシアンに託そうとしたら、リシュナさんが剣でボアさんの目玉をザクって。ザ、ザザザザクッて、ザザザザ……!!
そしてシャアアンと塵になって消えてしまうボアさん。
遺されたのは……悲しみでした。
「リシュナさん」
「え? なに?」
「今もなお迫ってきてるコボルトの群れに、AGIMAXで突撃してもらって……いいかなぁ……」
「いいわけないよ!?《がーーーん!》」
そりゃそうだった。冗談です。
ちくしょう、せっかく口調もキン肉チックにして、シアンにキン肉ドライバーを奨めたのに……!
「ええいもうこだわるのやめやめ! シアン! リシュナさん! 迎撃するよ!」
「まっかせてよ!」
「はいご主人様!」
二人してナイフを取り出した。
……投擲がよほど気に入ったらしかった。
……。
敵に対する僕らの印象ってどうなのだろう。
ふと、そんなことを思った。
「《ピキィーン♪》閃いたぁっ!
ただなんとなく口で言っているだけなのか、それともゲームとしてのシステムに閃きがあるのか、リシュナさんが技を閃いたらしい。
今までの投げ方とは違い、少し大きく振りかぶっての投げ。
走ってきていたコボルトにそれは当たり、吹き飛んでから塵になる。
今までなら数回刺さってからやっと死んでいたのに、当たって吹き飛んでから塵になるなんて。
「《ピキィーン♪》閃きました!
次いでシアンが閃いたようで、手のひらと指の間に広げた五本ほどのナイフの欠片を一気に投げた。それは不恰好に散らばって落ちるなんてこともなく、走ってきているコボルト複数に見事に刺さる。
……で、それをAGIとDEXを上手く使って連続で放つわけです。SPを消費するようで、無くなったら戻ってきてもらってソウルヒールとオートソウルヒール。再び突撃した彼女らは再びナイフの欠片を投げまくり……
「………」
気づけば、森の中のとある場所だけが、ナイフの欠片だらけになっていた。
コボルトたちの死体もなく、ただただナイフの欠片だけが転がっている。
「ええっと……」
さすがにこれをこのままにしていくのは気が引ける。かといって、一本一本拾っていたんじゃ時間がいくつあっても足りやしない。
戦闘が終わったあとの虚しさって、こういうところからも来るよね。
なんとか出来ないかな。
「ん、んー……」
ならばと、飛び出しナイフの柄に癒しのイメージを……“生やす”ような癒しではなく、“結合”を望む癒しを。
するとどうでしょう。目を凝らせば何処にでも刺さっているナイフの欠片たちが、一斉に僕目掛けて飛んでキャアアーッ!?
「いやちょっ……! 待《ギャガァアアガガガガガガン!!》うるさァーーーッ!?」
途中で癒しの効果を中断した所為で、ナイフの欠片が柄に向かわずに僕目掛けて飛んできた。お陰で一斉に不可視状態にしておいた鎧に衝突して、とても賑やかな音を奏でてみせた。うるさい。
幸い防御馬鹿なのでダメージは0で済んだからよかったものの……もうちょっと考えて行動しよう。
そんな、心臓がドッコンドッコン鳴っている僕に、リシュナさんがニッコニコ笑顔で話しかけてくる。
「ふは~……楽しかったぁ~……! 閃き、なんてシステムがあることは知ってはいたけど、本当に技を閃けるとは思わなかったなぁ~。 DEXって何気に大事だね。普通にナイフを強く投げるのと、強投スキルで投げるのとじゃあ威力と精密度が全然違ったわ」
「うん、シアンはどうだった?」
「自分の中で何かが生まれる感覚……凄かったです!」
「そっかそっかぁ」
二人とも、投擲が気に入ったようでなによりだった。
それで……なんだけど。
「ところで、捕獲ってどうなったんだっけ」
『あ』
インベントリを見れば、“討伐報酬”であるコボルトの棍棒やコボルトの牙やコボルトの皮がごっちゃりと……!
「………」
「………」
「………」
三人で、やっちまった感を味わった。
「まだ……残ってるよね……? コボルト……」
「えぁっ!? あ、えっと、う、うん……? たぶん……」
「だ、大丈夫ですよご主人様っ、きっと……き、きっと……」
落ち込んでいても仕方ない。
僕らはコボルト探しも含めて、それからもモンスター退治に励んだ。
そうして戦い続けて、癒し続けて、やがてザコモンスターの部位などでインベントリがいっぱいになる頃……マラカルニに戻ってアマラットンの依頼の達成報告。
それが済めばインベントリを圧迫する素材を売って、お金にした。
その素材で防具でも、とも思ったんだけど、それをするための素材はあってもお金がなかったから、今回は全部売却。珍しそうなものだけを残して、全てはお金に変わっていた。
「うわー……回復アイテムを買わなくてもいいってだけで、こんなにお金が溜まるなんて……!」
「しかも今では遠くからナイフを投げてばっかりな僕達なのに……しかも僕立ってるだけ……」
「いやいやヒトくん、癒してくれるだけで本当に、ほんっとぉーに十分だから」
「ナイフだってご主人様がくださったものです。これ以上を望むのはいきすぎかと思います」
そうなのだろうか。自信がない。
そんな会話を、戻ってきた宿の部屋で、続けていた。
宿の二階、窓を開ければ結構いい景色があったりするこの宿は、なんというか落ち着く。
落ち着くけど……お腹すいた。
「明日はお弁当くらい持って行こうね……」
「そうだね……」
「お腹……空きました……」
現在、夜。
遅くなりすぎた所為で、僕ら用の料理を作ってもらえませんでした。
じゃあどこかに食べに……と提案しようとしたら、リシュナさんが「夜食は脂肪になるからダメ!」と。
複雑な乙女心があるらしい。
「それにしても、あれだけ売ったのに二万£くらいかぁ」
「仕方ないよ、大量ではあったけど、雑魚モンスターの素材だもん。クエストを通してでの報酬じゃないと、あんなのいくらあったってこんなものだよ」
売ったものは大した金額にはならなかった。
二万£の大半はコボルトベビー討伐の依頼によるところが大きい。
つまり、ソレが無かったらもっとひどかったというわけで。
さらに言えばこの二万£も三人で分けるから、その量は三分の一。
リシュナさんの目標金額がいくつなのかは知らないけど、とりあえずはこれで本日の冒険は修了だ。
「リシュナさんはいつまでウチのギルドに居られるのかな」
「うぐっ……正直、条件が良すぎて抜け出したくなんてないんだけどね……私自身にも個人的にやりたいことがあるから、あんまり長くは一緒に居られないんだよね」
リシュナさんのレベルは僕達よりも上だ。
加えて魔法双剣っていう、バランスのいい能力もある。
ただ、このまま僕たちに付き合っていたんじゃ、思うようにレベリングも出来ないし先を目指すにも時間がかかる。
癒しにお金を使わないのは魅力的だけど、やっぱり彼女個人の目的があるらしく、一緒には居られない、と。
「だからえっと……うんっ、うだうだ考えるのはもーやめだ! ヒトくんっ、ステータス配分させてっ!」
「え……もう離脱するってこと?」
「その通り! そもそも悩んでた所為であの薔薇馬鹿にも騙されてたわけだし、“今だ”って考えたら今でいいんだよね、きっと。だからお願い」
「……了解です」
止めることはしなかった。
ただリシュナさんが願う通りにステータス配分をして、彼女も納得が行くまで体を動かしてみたり剣を振ってみたりして、やがて……バランスのいい数値を見つけたのか、それで“奴隷解放”へと到った。
「はふう……! さようなら奴隷生活! あははっ、な~んてねっ! うん、それじゃあ短い間だったけど、楽しかったよ。随分と助けられちゃったね。あ、もしなにか困ったことがあったらtellしてね。時間が取れそうなら絶対に駆けつけるから」
「───……ア、ハイ。で、tellってナンデスカ?」
「…………ヒトくん。キミはもうちょっとプレート情報に目を通しなさい」
怒られてしまった。
早速調べた結果、tellとは遠く離れた相手とも通信出来るシステムなんだそうだ。
電話と同じだね。
ただし知り合った相手とじゃないと出来ないし、相手が許可しなきゃ繋がることもない。
「なるほど……」
「あ、その代わり私も、危なくなったら呼んでもいいかな」
「強制奴隷化はもう出来ないから、癒しくらいでしか役に立たないけどね」
「十分すぎるってば。ていうかね、それも“システムの穴”だよ、ヒトくん。“強制”じゃなければいいんだから」
「? どういう意味?」
「あははっ、んーん? な~んでも?」
イマイチ疑問が残った。わからなくもないけど、好き好んで奴隷になりたい人なんて居ないだろう。
だからその場は笑って済ます。……笑って、見送る。
「あ、それとナイフの欠片、たくさんもらっていい?」
「一個5£で」
「わお! 早速他人行儀だ! せ、餞別としてまからないかなぁ……!」
「なるほど、じゃあステータスを元に戻して……」
「わぁ嘘嘘! ステータス移動が餞別でいいからっ! ……~……ほんと、最後までいじわるだなぁキミは……!」
「そりゃ、言うだけならタダだから」
笑いながら言って、ナイフの欠片をトレード。
ごっちゃりと渡すと、リシュナさんはぽかんとした。
「大事に使ってくれると嬉しいなぁと、なんとなく言ってみるね。別に無くしても構わないから」
「……んふふ~♪ じゅ~ぶんっ♪ ほんと、なにからなにまでありがとね、ヒトくん。それからシアンちゃんも」
「ふかーーーっ!」
「だからなんで威嚇するのーーーっ!?」
ショックで目尻に涙を溜めつつ、リシュナさんは別れを惜しみながら……
「うう……じゃあね……? また縁があったら……」
……僕たちの部屋を、出て行った。
「………」
「………」
そうして残されてみて、ハタ、と。
「あ。リシュナさん、シアンに貸したままの服、忘れてる」
「!《ハッ》」
シアンも気づいたようだった。
そして慌てて脱ぐと、ってここで脱がないっ! 僕! 僕が居るの忘れないで!? って脱いでそのまま外に出ようとしない! いいから防具を着て!? ……胸当てだけ装備すればいいだなんて誰が言ったぁあああっ!!
いろいろツッコミつつ、奴隷紋で装備を完了させる。
とりあえずはこれでいい……と思う。
慌てて部屋を出て行くシアンを見送って、僕は僕で苦笑。
押し返すんじゃなくて、ちゃんとお礼と一緒に返すんだよ~? シアン~?
「これがきっかけで、少しは仲良くなってくれるといいんだけど」
たとえば僕が一緒だから素直になれない、なんて奇跡でもあればなぁとか。
…………そんな風に思ってたこともあった。
思った直後になにやら争う音が廊下ではなく外から聞こえて、窓を開けて、外を見下ろしてみれば……宿の外の眼下、服を押し付け合って争う二人。
「それはあげたんだってば! だからシアンちゃんのものなの!」
「いりません返します! 私が身につけるものはご主人様から与えられたもので十分なのです!」
「ひどーい! 私が上げたものはいらないっていうの!?」
「はい《どーーーん!》」
「うわぁああん即答だぁーーーっ!! こっちからのせめてもの餞別くらい受け取ってくれたっていいじゃないのさーーーっ!!」
「いやです《どーーーん!》」
「また即答だぁーーーっ!!」
シアンは頑固だ。
基本、僕の言うことなら聞いてくれはするけど、それも僕の危機や安全が関係してくると、首を縦に振ってくれない。
今回も僕から受け取ったものしか要らない、という理由に基づいて動いているようで、あれはあくまで僕がリシュナさんに借りて、シアンに装備させたものだから装備していただけのようだ。
うーん、複雑だ。女性の気持ちがちっともわからない。
「でも……まあ」
ああして積極的に誰かに向かって突っ込んでいけるだけ、シアンはまだ人への興味を失っていないのだろう。
係わり合うのも面倒だ、なんてレベルまで行ってしまうと、もうダメだ。人を信じることさえ億劫になってしまう。そんな未来には……辿り着かせたくないなぁ。
「僕も頑張らないと《ぱんっぱんっ!》」
両手で頬を叩いて気合を入れる。
明日からまた大変だ。
なにせ、てっきりFランクを終えるあたりまでは一緒に居てくれるんじゃ、なんて勝手な期待を持っていたリシュナさんが抜けたのだ。これからは二人でFランククリアを目指さなきゃいけない。
頑張ってEランクになって……効率よくお金が溜まるクエストを探そうね。
未だに騒いでいるシアンとリシュナさんを見守りつつ、そんなことを呟いた。
……でも。僕はまだ知らなかったんだ。
僕達が翌日、あんなことになるなんて……。
……なんて思ってみても、何が起こるかなんて現時点で知れるわけもないんだから、考えるだけ無駄なわけで。
あれってなんなんだろうね。意味ありげに“あんなことになるなんて……!”とか言っても、別に毎日退屈すぎるわけじゃないし、たとえばそう……つまずいてコケそうになっても、“あんなことになるなんて……!”には当て嵌まるんだよね。
僕はまだ知らなかったんだ……!
翌日、リシュナさんが机の角に足の小指をぶつけるなんて……!
これでいこう。
いや、思うだけで別に願うわけでもなんでもないけど。
「シアン~、そろそろ戻っておいで~。お風呂入って寝るよ~」
「えっ……お背中お流ししてもっ!?《ぱああっ……!!》」
「それはだめ」
「…………《ずぅううう……ぅぅん……》」
落ち込み様が半端ではございませんでした。
べつにそこまで尽くしてくれようとしなくていいのに。
そういうのは好きになった相手にしなさい。恩ってだけでそこまでされてもこっちが困る。
(好きな人かぁ……)
シアンにも出来るのかな。
……出来るんだろうな。
そんな時が来たら、迷わず奴隷解放を選ぼう。
シアンは僕には感謝は抱いても、恋心は抱かないらしいからね。
大丈夫、お金なら自分一人ででもゆっくり溜められるさ。
「さて。お風呂お風呂」
苦笑を漏らして移動を開始した。
明日も何事もなくいい日になればいいな。