表記揺れ、というんでしょうか。そういったものがあるかもしれません。
『アインズ・ウール・ゴウン!!万歳!!アインズ・ウール・ゴウン!!!万歳!!!』
「「…─えっ?」」
《世界》の、つまり《ユグドラシル》の終わりだと思ったら
「…騒々しい、静かにせよ」
モモンガさんがそう言うと、NPC達はピタリと止まって跪く。あの大音量の中でも結構小さい声だったんだが、届くもんなんだな。
突然のことで理解が追い付かず、ぼんやりとその様子を眺めていた。
─…なんだこれ、こんなプログラミングしてたっけ?…知らないうちにギルメンがサプライズで仕込んでたのかな。
「─…鬼の姫よ、こちらに」
「…」
取り敢えずモモンガさんがロールしてるなら俺もロールを続けようと思う。しかし、何なんだ一体…。
周りに跪いているNPCの様子をさり気なく観察しながら、ゆっくりと階段を登ってモモンガさんの目の前で跪く。
「…どう思う?」
「…」
この状況のことを問い掛けてるのだろう。さて、寡黙な美少女が迂闊に低い濁声を出す訳にはいかない。どうしたものかと逡巡する。
すると何か頭の中で糸が差し伸ばされたような感覚がした。よく分からないまま、感覚に従って糸を手繰り寄せて繋げてみる。
《
《おお、[ももんが]さん。はい、大丈夫ですよ》
糸の差出人はモモンガさんだった。頭の中で魔王ロールとは違う、いつもの話し声が響き渡る。
…あれ、〈伝言〉ってこんなだっけ?ていうか、なんか今発音がおかし…いやいや、ちょっと待て。俺の声ってこんな『高くて綺麗』だったか?
《っ!?…サキさん、声が…》
《…何なんでしょうね、これ。
設定通りの、もっと言えば想像通りの綺麗な声だ。自分で喋ってて聞き惚れてしまいそうなくらいだった。…気持ち悪いことを考えてることにも気付いたが、横に置いておこう。
《あのクソ運営がそんな素敵サービスするわけないですよ…サキさん、コンソールは表示されてますか?》
そりゃそうだと変に納得してしまった。あのケチでプレイヤー苛めに熱を上げてたクソ運営が、いちプレイヤーにこんな仕込みをするわけがない。
跪いたまま視線だけ巡らせる。
─さて、コンソールか。視界の中にそれらしいものは一切見当たらないな。…時計表示どこいった。今何時だ?
《見当たらないですね。時計表示どこいったんでしょうか》
《…相変わらず、こういうハプニングがあった時はちょっとズレてますね。安心しました》
─えぇ…俺、そんなにズレてる?時間は大事でしょ。
そんな社会人として真っ当な考えをしていたら、近くで跪いていたアルベドが
「如何なさいましたでしょうか、モモンガ様?」
二人してアルベドを見つめたまま、固まってしまった。なんで勝手に動いている。これ、定型文か?こんな定型文が設定されていたか思い出せない。
理解が追い付かない。だが、妙に冷静に考えている自分がいる。それも奇妙に思えた。
「失礼致します」
そう言うとアルベドは、やや前傾姿勢でモモンガさんの眼窩の赤い光を覗き込む。アルベドの豊満な胸が動きに合わせて目の前で揺れた。
─うほ、おっぱいたゆんたゆん…馬鹿なこと考えてないで、現状を考えろ。情報は何よりも優先すべきことだろ。
「…アルベドよ、何でもないのだ。下がっていなさい」
「ハッ、失礼致しました」
モモンガさんがそう言うとアルベドは大人しく引き下がり跪いた。少なくとも、モモンガさんの言うことには従うみたいだな…。
何時までも〈伝言〉で喋っていては不自然だろう。勝手に動き出したNPCといい、優先すべきは
「…[ももんが]さん、今は[ろぉる]より現状の確認と把握を優先させましょう」
「そうですね。丁度、私もそう思っていたところです。取り敢えず…─GMコールが効かない。強制ログアウトも無理、と…」
骸骨の魔王が、自分の頭蓋骨をわさわさと弄ってる光景はとてもシュールだった。そして、その目の前で手を振って踊っている自分は何なのだろうか。先程から妙に冷静な頭が、客観的に今の状態を認識させてくれた。
「えーっと…[こんそぉる]が非表示になっているわけじゃないみたいですね。表示も何も出来ないです。─…電脳世界に監禁?いや、法律で禁止されているはずだし、[りすく]がでか過ぎるな…」
「失礼致します、夜想サキ様。監禁、で御座いますか?」
─…不穏な空気だな。うなじがチリチリする。これは、
目の前の顔を上げたアルベドが、鋭い目つきでこちらを『睨んでいる』。むしろ、これは敵意というより
…だが、それだけだった。本来なら、きっとへたり込むであろう圧を受け流している自分がいる。特に反応がないが、モモンガさんは何も感じていないのだろうか。
─…さっきからどうしてこんなに冷静でいられるんだろう?
「アルベドよ、こちらの話だ。口を挟むな」
モモンガさんがピシャリと咎めると、当のアルベドは一気に『顔』を歪め、絶望に染まった雰囲気を醸し出した。さっきから一体何なんだ…。
「もっ申し訳御座いません!二度も失態を犯すような、愚かな未熟者は死んで償います!矮小な命では御座いますが何卒、平にご容赦を…!」
言うが早いか、アルベドがどこからか禍々しい造詣をしたバルディッシュを取り出し、自分の首筋に宛てがった。つつ、と赤い『血』が垂れる。
「待つのだアルベド!勝手に死ぬことは私が許さん!」
モモンガさんが慌てて叫ぶとアルベドの動きがピタリと止まった。アルベドは絶望の『表情』をし、頬に『涙』を流したまま、固まっている。赤い『血』が刃を伝ってポタポタと垂れた。
「良いのだ、アルベド。お前の全てを私は赦そう」
「っ…─嗚呼、慈悲深きモモンガ様…愚かなシモベであることをお赦し頂けるので御座いますね…」
モモンガさんが片膝をつき、アルベドの肩に手を置いてそう言うと、アルベドは静かにバルディッシュを膝元に置いて頭を垂れた。いつの間にか血が止まっている。
モモンガさんの手が触れた時にビクッと震えていたが、罰せられるかと
─…さっきからアルベドに妙な違和感があるな。いや、違和感しかないのが現状だが、特にアルベドが顕著だ。これは一体…?
「…アルベドよ、手を触るぞ。良いな」
「は、はいっ!お好きなだけお触り下さい!」
─えぇ…このタイミングでセクハラっすか…?
モモンガさんにセクハラ噛まされた途端に、先程の絶望顔はどこへ行ったのやら。上げた顔の目が潤み、肌は上気している。心なしか口元から涎が出そうに…あ、そうか。違和感の正体がやっと掴めた。
「─…っ!」
モモンガさんがアルベドの手首を掴むと、アルベドが顔をしかめた。…ああ、さっきのはパッシブスキルの
そう。違和感の正体はこのコロコロ変わる『表情』だ。よくよく考えてみれば普通に『会話』をしているのもおかしな話だった。そんな究極的に高度なAIは積んでないし、積めない。
「むっ…─そうか、【ネガティブ・タッチ】…すまなかったな、アルベド」
「いいえ、モモンガ様。お謝りにならないで下さいませ。私のことはどうか、お気になさらずに…」
モモンガさんがアルベドの手首から手を離して立ち上がった。あれで満足したのだろうか。それとも他の目があるから考え直した…?
こちらに振り向いた、眼窩の赤い光と視線が交差する。
「─サキさん、気付いてますか?」
「…表情と会話ですか?」
「その通りです。NPCに表情があり、涙を流し、血を流している。体温と脈動も確認出来ました。その上、会話が成り立っている。─これらは現状の技術では、まず有り得ないことです」
その言葉にしっかりと頷く。…そうだ。そんな技術が《ユグドラシル》にあれば皆もっと課金を…─違う、そうじゃない。
「─そして、匂いを感じます。鈍いですが感触も妙に現実味を帯びているようです。現行の電脳法では、いずれも禁止事項です」
『リアル』の腐敗具合は、まさに地獄だ。自然環境も体制も人間さえも、みな腐り果てていた。そんな《世界》にも、やはり『法律』という秩序は存在する。
掃いて捨てるほど溢れているとはいえ、社会の歯車どもが電脳世界に入り浸らないように電脳法という法律が明確に、匂いや感触など視覚と聴覚以外の五感をハッキリと再現するのは禁止している。
脳みその中だけでも、リアルの腐った食事ではなく大昔にあった
「あの
「あくまで可能性の一つです。答えを出すには早すぎます。しかし、現状で考えられる可能性としては最も高いと見て良いでしょう」
─
あの後、モモンガさんがセバスやメイド達にナザリックの周囲探査及び上の階層である9階層入り口の警護を、アルベドには4階層と8階層の安全確認及び6階層への守護者召集を指示して、玉座にいるのは俺達だけになった。
NPCがいなくなったところで最後の確認のためにあることを試みる。
そう、18禁行為─つまりセクハラだ。
これは女性キャラに触れる程度では抵触しない。当てはまるならば、モモンガさんは既にアウトだ。
あのズボラなクソ運営ですら電脳法に始まり、その辺の法律関係にだけは異様なほど目を光らせていた。大勢の人がいるところで「ち○こ」と呟いただけでイエローカードがすっ飛んでくるほどだ。実際にやらかしたから間違いない。
それを考えるとうちのギルドよく続いたな。…ペロロンさんに茶釜さんを筆頭に、その他数名は何故
…つまりだ。女性キャラの自分が自分の胸を揉む。それだけで即警告がすっ飛んでくるか下手をすればBANされる。自慰行為と見なされるためだ。
触れる程度なら見逃されるが、揉むとなると明確な意志がそこに在ることになる。言い逃れは出来ない。
「ふー…取り敢えず、こんなとこですかね」
と言うわけで、隣の骸骨を尻目にいそいそと服を脱ぎ始める。それを見た骸骨は叫ぶ。
「ちょっ!?サキさん何やってんですか!」
「何って最後の確認のための十八禁行為ですよ」
しれっとそう言えば骸骨が慌てて止めに入る。
…そのまま揉めないのかって?十二枚も布が重なってるんだぜ。かてーよ。…それなら、露出している胸の谷間から手を入れたらいいんじゃないかって?ハハッ、谷間なんかないよ!
外からは見えないようになってるが一番下にさらしを巻いているため、全部脱ぐ必要がある。これは18禁行為対策のためで女型和服系には全て標準装備されている。
骸骨が襲い掛かる間も脱ぎ続けるが…この服、凄い脱ぎにくいな…。
「いや、それは!─必要かもしれませんけど!─ぐっ、BANされたら!─どうするんですか!」
「大丈夫ですよ。そしたら、ただの[げぇむ]だったで済みますし」
それはもう、凄い勢いで掴みかかってくる。止めようと躍起だが、回避系統にステータスを全振りした前衛を後衛が捕まえることはよっぽど油断でもしていない限り不可能なのだが、焦りや混乱で頭からスッポリと抜け落ちてるみたいだな。
「イヤイヤ!─ダメです!─一人だけ!─逃げようったって!─っそうは!─させません!」
「逃げるだ、なんて失敬な。これは必要事項ですぅー」
モモンガさんのアバターはでかい。2mくらいあるんじゃなかろうか、というくらいだ。一方、こっちのアバターは美少女なだけあってかなり小柄だ。向こうの手だけでこっちの頭が覆われるくらい違う。そんな巨大な手が自分を捕まえようと何度も迫るが、その度にするりと抜け出す。
「回避超特化型を捕まえられるのは[くそ]運営だけですぅー」
「なっ!?─この
「哀しいけどこれ、性能差なのよね」
ひょいひょいと避けつつ、つい癖で煽ってしまう。あー、なんか懐かしいな。何故かウルベルトさんがよくブチ切れてたなぁ…その後のモモンガさんからの小言も凄かったけど。
─結論から言えば、幸か不幸かBANどころか警告すらなかった。隣でまだブツブツと小言を呟く骸骨はさて置き、現状を把握する上でひとまず
もし『これ』がクソ運営とは関係のない別のゲームだとしても、強制ログアウトも─命の危険もあるが─デバイスを直接外すことも出来ないというのは考え難い。
そもそも
「─…[ももんが]さん、調子に乗ってすみませんでした。反省してますから戻って来て下さい」
「…」
ジトッと眼窩の妖しい赤い光がこちらを射抜く。まだ何か言い足りなさそうな雰囲気だが、話を進めなくては。
「昔を思い出してつい煽っちゃったのは、本当に反省してます。ですので話を進めませんか?」
「っ…。─ハァ…何があるか分からないんですから、勝手なことはしないで下さいね?」
『昔』に反応した気がするが、ひとまず置いておこう。
─…落ち着いたら、ちゃんと話し合わないとな。
「はい、分かりました。取り敢えず、『これ』が現実のものと仮定して進めましょう…いやしかし、流石[ぎるど]長ですね、曲者揃いを纏めていただけはありますよ。あの短時間であれだけの指示を出せるとは」
「…曲者筆頭候補が何言ってんですか。俺も混乱してますよ?でも、急に感情が平坦になるというか抑制されるんですよね。さっき追い掛けてた時も何度か抑制されました。煽られて、すぐ沸騰しましたが。─種族特性の【精神作用無効】が働いていると睨んでいるのですが」
─え、俺ってそんな位置付けだったの?いや、それよりも…
「ほんとごめんなさい。─[ももんが]さんもですか?実は私もなんですよ。妙に頭が冴えるというか動揺をほとんどしないんです。私の性格的にこういう場合、もっと
「ああ、それは俺も不思議に思ってました。アクシデントに遭うと凄い慌てますもんね。見てるこっちが落ち着くほど」
カラカラと骸骨が笑う。そういやモモンガさんも表情が動いてるな、これ。ていうか、俺ってそこまで酷かったのか…気を付けよう。
「そんなに酷いですかね…ああ、そう言えば[ももんが]さんも表情?が動いてますね。顎が
「そのようですね。サキさんは口以外、さっきからずっと無表情ですが」
顎をさすりながら話すモモンガさんの言葉で違和感に気付いた。このアバターはほとんど無表情を貫くほど感情表現が乏しい、という設定をしてある。もしかすると、それが原因かもしれない。
「…もしかすると私の場合、この[あばたぁ]の設定の影響かもしれません。発音がたまに辿々しいのも設定のせいだと思います。─この[あばたぁ]はほとんど無表情で過ごす設定と生まれたのが英語が伝わる前、という設定をしてますからその影響かも…」
「ああ、そうでしたね…上手いこと考えましたよね。ゲームだと表情が変わらないからでしたっけ?」
モモンガさんの問いに頷いて返答する。さて、自身の違和感の正体は掴めた。俺らが設定やスキルの影響を受けているということは、同じくNPCも設定などの影響下にあると思われる。過信は禁物だが。
ただ、アルベドの件がある。少なくともギルメンが創ったNPCの設定には
─…敵意。敵意か…そういやスキルに
このアバターには敵対状態を感知する【敵感知】とそれの強化スキルがパッシブスキルとして設定してある。強化スキルの影響でバグったか、過剰反応を起こしたのか…それとも、アルベドの反応の原因は設定を変えた影響か?─もしくは自分の言葉に過剰反応しただけか?─そもそも本当に敵意だったのか?疑問は尽きない。
虚空に手を突っ込んで中を確かめているモモンガさんに思い切って聞いてみた。…もしかして、あれはアイテムボックスか?
「…[ももんが]さん。さっきは[あるべど]が敵意を向けていたように思います。何か感じませんでしたか?」
「─…え?」
右肘から先が無くなった骸骨がこちらを見て固まった。まぁ、この状況でいきなりNPCが敵対してるかもって言われたら固まるわな。さっきまでそのNPCが周りを囲んでいたわけだし。
「あれが殺気、っていうんですかね?こちらを睨み付けて、生温い風のようなものが私の身体を通り抜けたんですよ。うなじも、何だか
「…その殺気というものが、実際はどう感じられるのか分からないので何とも言えませんが…気のせい、とかではないんですよね?少なくとも私は何も感じませんでした」
やはりそうか。この状況で
「そうですね、気のせいではないと思います…杞憂だといいのですが。ただ、それを抜きにしても[あるべど]のあの反応はちょっと過剰に思えるんですよね。考えられるのは現実化したことで設定に変化があったか、それとも…─」
チラリ、とモモンガさんに思わず視線を送ってしまう。まさかこんなことになるとは思わなかったから仕方ないが、なんだか責めているようで気が引ける。
「私が設定変更した影響ですか…。─タブラさん…」
─すみま「[ももんが]さん」
「─…え?」
遮られて呆けてる骸骨を真正面から見つめて、続ける。
「責めてるわけじゃないです」
眼窩に灯る炎に似た赤い光が揺れる。
「『あれ』で良かったんですよ。後悔しないで下さい。[あるべど]が可哀想ですよ?」
その言葉を受けて、赤い光が目を見開くように強く大きく輝く。
「本当は良くはないのですが…─良いじゃないですか、嫉妬深い『彼女』らしいと思えば。あとで話をしてみましょう」
「…」
『アルバム』作りのために何ヶ月も毎日、色んな設定やら
『アルバム』にも載ってない、ほとんどの裏情報をも網羅している俺にとって彼女は…─彼女
─アルベドは嫉妬深い設定だ。中身おっさんとはいえ、きっと見た目は美少女が愛する人と仲良く話しているように感じられたのだろう。それ故の嫉妬から来る敵意だったんじゃないか?
ならば、『敵意』があろうと『殺気』を向けられようとも俺にとっては─
「ところで[ももんが]さん」
「…はい」
「時間…大丈夫ですかね?」
「─…あっ」
─つづく。
シャイタル様
誤字報告ありがとうございます。修正しました。