朱に交われば紅くなる【完結】   作:9.21

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最終章開幕、的な


ずっと一緒、だと思ってた

 夏の夜は短い。日の出が遅く、日の入りが早いからだ。空が白くなっていく時間帯であっても、普通の人は眠っている時間なんてのはよくある話。

 

「おい」

「ん、何? どしたの?」

 

 苛立ちの混じった声も、マイペースなコイツには通じなかった。その鈍感さがイライラを加速させるが、それよりも眠気の方が勝る。言葉を続ける前に欠伸を1つ。今日起きて5回目だ。

 無理もない。今の時刻なんと―――午前5時である。

 

「何で俺まで呼ばれたの?」

「え、そういう話だったでしょ?」

「ルビィの面倒を頼むっつったんだよ。俺も一緒に付き合うだなんて、いつ言ったんだよ」

 

 俺の疑問に、松浦はきょとんとしている。やっぱり伝わらない。なんで『質問の意味が分からない』みたいな顔してるんだよテメェ。

 ルビィが自分の体力不足を解消する手段として考えたのが、朝イチのランニング。だが、アイツは朝起きられないという本末転倒な悩みを抱えていた。しかも、黒澤に起こされるのは気が進まないという事情も一緒に。

 そんなアイツのワガママを叶えるべく俺が打った手は、松浦を利用する事だった。根っからのスポーツ好きなコイツは、毎朝のランニングを習慣にしている。だから、それに混ぜてもらおうという計画だった。松浦がルビィのケータイに電話し、起こしてもらい、そして一緒に走るという具合で。幸いコイツも了承してくれたし、何も問題なかった。

 

 

 ―――なのに、何で俺は今ここにいるのか。

 

 

「えー、だって真哉とルビィはセットみたいなとこあるし。普通に来るもんだと」

「んな根拠もクソもない理由で、俺にモーニングコール掛けたのかテメェ……」

 

 相変わらず、ざっくりした考えの松浦とは意見が合わない。なんだよ、セットみたいなところがあるって。そんな感覚的な判断で、このクソ早い時間に電話掛けるか? 寝起き最悪で、気分が悪いったらない。

 

「お、おふぁようございましゅ……」

 

 今日6度目の欠伸をしたと同時に、黒澤家の引き戸が開いた。そこに現れたのは、同じく眠そうなルビィ。ジャージ姿に、珍しく髪は下ろしている。そして、目は半分閉じていた。

 

「おはようルビィちゃん……って、これは走るどころじゃないね」

「ったく、走る以前の問題じゃねぇか」

 

 さすがのこれには、松浦も苦笑いぎみ。話には聞いていたが、ここまで朝に弱いとは思わなかった。呆れるべきなのか、ここまで弱いのに起きたのを褒めるべきなのか。

 とにもかくにも、このままではランニングなんて出来ない。足元が覚束ないルビィに近寄り、俺はその頬をガシッと両手で掴んだ。

 

「おらおら、さっさと目ぇ覚ませ」

「いびゃびゃびゃびゃ!? ひ、ひんやはんいひゃい!?」

 

 頬を掴んで、それをぐにぐに~っと伸ばす。多少の力加減はしてるが、それでも割りと強めに。起こすってのもあるが、単なる悪戯心も混ざっているのは内緒だ。あと、眠いことに対するストレス解消。

 多少荒療治ではあるが、痛みも相まって何とかルビィは覚醒。涙目になりながら、頬を擦っている。

 

「わー、真哉乱暴……」

 

 そんな光景を見て、松浦は若干引いていた。こんなの、別に珍しくないだろ。ってーか、小原なんかにはクラスで平気でやってるし。

 

「ほっとけ。それより、今日のルートはどうすんだ?」

「ん~、弁天島神社くらいまで行けるかなぁ? ルビィちゃんがどれくらい走れるのか分からないけど」

「べ、弁天島神社……?」

 

 松浦の言葉を聞き、ルビィの顔からサーっと血の気が引いた。弁天島そのものは、ここからそう遠くはない。せいぜい片道1キロくらいだ。神社の往復を無視さえすれば。

 元々運動の苦手なルビィからすれば、往復2キロだけでもお腹いっぱいなはず。それに神社までの昇り降りが加われば、コイツの反応も分からなくはなかった。

 

「あ、あれ。もっと短い方がいいかな……?」

 

 ルビィの反応を見てか、松浦は心配そうな声を上げる。っていうか、そこは気にするのな。『ほら、まだまだあと30往復くらい行くよっ』くらいのこと言ってのけると思ったのに。俺の眠そうな表情には気付かなかったくせに。

 冗談はさておき、松浦の心配はきっと杞憂に終わる。やってもないのに諦めるなんて、アイツらしくないから。実際について来れるかはさておき、やる前から投げることなんてしないはず。

 曲げない、捨てない、投げない、逃げ出さない。それは、ルビィ最大の長所であり、武器でもある。だからルビィが何て言うか、だいたいの予想はついた。

 

「だっ、大丈夫です!! ルビィ、精いっぱいついていきます!!」

 

 ……ほらな。

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 果南さんに精いっぱいついて行くとは言ったけど、自分が思っていた以上にルビィは体力がありませんでした。弁天島神社に行くまでは何とかついていけたけど、階段になると足が思うように進まなくって。

 ルビィはいま、1人で神社までの階段を上っています。真哉さんや果南さんは待っててくれたけど、先に行くようにルビィから断った。見た感じ、あの2人まだまだ元気だもん。多分、遅いルビィに合わせてくれたんだろうなぁ。

 これ以上迷惑かけちゃったら果南さんのトレーニングにならないし、頑張るしかないよね。そう思って、ルビィは立ち止まった自分の太腿をパンパンと叩く。大丈夫、まだ走れます。手に持ったペットボトルを開けるのは、まだまだ我慢。

 

「な、長いなぁこの階段」

 

 息を切らしながら、ルビィは階段を上る。普段階段を上るなんて、お家か学校でしかない。当然慣れてないから、ルビィの足はもう悲鳴を上げています。

 それでも、辛いのはカラダだけ。心はむしろグワーって盛り上がるものがありました。楽しいんです。すっごく辛いんだけど、楽しいんです。

 ルビィの大好きなアイドルも、体力作りのトレーニングとして階段を上っていたと聞きました。そう考えると、ルビィも彼女たちと同じ事をやってるみたいで嬉しくって。いくらでも走れそうな気分になれました。

 

「あと、ちょっと……」

 

 しばらく走っていると、階段の終わりが見えてきました。これでようやく全体の半分。まだまだ先は長いなぁって実感します。でも、これが普通に感じるようになると、体力ついたって証拠だよねって、自分を励ましながら。

 もし果南さんや真哉さんについていけるようになったら、真哉さんは褒めてくれるかな。何て言ってくれるかな。もちろん、あの人に褒められることを目的に走るんじゃない。ダンスのための体力作りが1番だってのは、自分でも分かってます。

 でも、それでも。真哉さんに褒められたら、もっともっと頑張れるかなって思うの。真哉さんと出会って結構経つけど、思い返せばまだ褒められたことはないなぁって。ルビィがいっつもドジやっちゃうからなんだけどね。

 ルビィが躓いた時、挫けそうになった時。決まってそばには真哉さんがいた。そして、いつも励ましてくれるんです。

 ステージで踊るって決心できたのも、そう。色んな事にチャレンジして、自分の可能性を探してみたい……なんてちょっぴり背伸びできた気分。

 そうすればお姉ちゃんにも……。

 

 

 

 

 

「出発って、いつだったっけ?」

「あー……、9月の確か16だったっけかな」

 

 ボンヤリと考えながら走っていると、ゴールは目の前だった。頂上から話し声が聞こえてくる。果南さんと真哉さんだ。9月の16日って……文化祭の次の日だったよね? 何のお話をしてるんだろう。

 

「うっわ、ハードスケジュール。大丈夫なの?」

「だからって文化祭休むわけにはいかねぇだろ。最後なんだし」

 

 

 

 

 

 …………最後? え、最後って……?

 

「7時の電車で静岡市でしょ? いつもの学校より早いじゃん」

「まぁな。荷物は前日にまとめておく」

 

 会話から出てくる単語の1つ1つが、酷く不吉に感じられてしまう。旅行かなとも聞こえなくはなかったけど、それだと『出発』って言葉が明らかに不自然だと思います。でも、もし旅行じゃないとしたら……。

 ルビィはぶるんぶるんと首を振る。まだ分からないです。もっと最後まで聞かなくちゃ。ルビィはこっそり木の陰に移動する。

 

「でも、寂しいなぁ。沼津市内の高校を選んでたら、また簡単に会えたのに」

「自分で決めたことだ。それに、誰も彼もずっと沼津にいるわけじゃなくなるだろ。俺はそれがちょっと早いだけのこと」

「それはそうだけど……」

 

 ゴトッとルビィの足元で音がした。気が付くと、さっき買ったばかりのペットボトルが転がっていました。落とした衝撃でペットボトルは少しひしゃげてしまい、ちょっと歪な形になる。でも、今はそんなことを気に出来なかった。

 それってつまり、引っ越しちゃう――って事だよね? 真哉さんがいなくなっちゃうなんて、今まで誰からも聞いたこともなかった。お姉ちゃんからも、もちろん真哉さん本人からも。どういう事なのか全く分からない。ルビィの頭の中はグチャグチャです。

 確かに真哉さんは、今年で中学校を卒業してしまう。でも、それまでにはまだいち、にぃ……8ヶ月くらいある。まだまだいっぱいお話出来ると思っていた。

 だから例え真哉さんが卒業しても、離ればなれになるなんて想像してませんでした。お姉ちゃんから、高校は近いところを選んだって前に聞いていたし、ルビィから会いに行く事だって出来たんです。

 

 

 

 出来た……のに。

 

 

 

「あれ、ルビィ。お前もう来てたのか。んなとこに隠れてないで、早く来れば良かったのに」

「ひゃ!? し、真哉さん……」

 

 ふと顔を上げると、真哉さんがいた。いつ気付かれたんだろうとかそんなのはどうでも良くって、ルビィは必死に真哉さんから目を逸らした。目を合わせると、泣いちゃいそうだから。

 本当は泣いてしまいたかった。離れないで下さいって言いたかった。でもそれだと、真哉さんの進路を邪魔しちゃうことになる。それだけは嫌でした。

 

「えと、少し疲れたので……木陰なら涼しいかなって」

 

 ルビィは慌ててペットボトルを拾い、一口だけお水を飲む。さも、『ここで休憩してたんです』と主張するかのように。努めて笑顔を作るけど、多分今のルビィの顔は歪んでると思います。

 

「そか。俺はもう降りっけど、焦らなくていいからな。下で待ってるから」

 

 でも、真哉さんを上手く誤魔化すのは出来たみたいです。何かほっとしたような、気にかけてもらえなくて残念なような……。ちょっと複雑です。

 ルビィのそんな気持ちは届かず、真哉さんは階段を降りていってしまいました。ルビィはその姿を眺めるだけ。真哉さんの背中は、すぐに小さくなっていきました。

 呼び止められない。「待ってください」の一言も言うことが出来ませんでした。勇気がない自分が恨めしいです。

 

「ルビィちゃん、大丈夫だった?」

 

 まだ上に残っていた果南さんが、近付いてきた。ここまで走ってきたのに、果南さんは顔色1つ変わってない。さすがに汗は掻いてるけど、スゴいなぁ。

 

「は、はい。なんとか上れました」

「うん。そっか、良かった良かった。最初はキツいかもしれないけど、頑張ろうね」

 

 多分、真哉さんが果南さんは残るように言ってくれたんだと思います。見えないところで優しいから、きっと今回もそうなんじゃないかな……って。

 それに、さっきの事を聞くには都合が良くなりました。

 

「あの、果南さん。1つ聞いてもいいですか? さっきの話なんですけど……」

「さっき……? あぁ、真哉のこと? 先生も無理しなくていいって言ったんだけどね。真哉、1回決めちゃったら頑固だから」

 

 ああ、やっぱり。先生も反対していたんだ。

 でも、どうして急に高校を変えたんだろう。ルビィの知ってる真哉さんは、ちょっぴり面倒臭がり屋さんでした。他の人のために動くことはあっても、自分の事で積極的に動く姿はあまり見かけない。

 だからこそ、不思議なんです。

 

「なんで急に静岡市の高校なんて……」

「詳しいことは私も分からないけどね。鞠莉が言うにはルビィのおかげらしいよ」

 

 ルビィの……おかげ?

 

「前なら、あんな前向きな様子はなかった。真哉を変えたのは、間違いなくルビィの直向きさに触れたからだ―――って」

 

 果南さんの言葉は衝撃的だった。ルビィが真哉さんを変えたって……? 最初は信じられなかった。なんでルビィなんかがって思っちゃったから。

 でも鞠莉さんが言うなら、妙に納得できてしまいます。真哉さんとも仲が良くて、勘も鋭いから。

 でも、もしそれが本当だとしたら。ルビィは自分で自分を恨むかもしれません。ルビィのせいで、真哉さんは遠くへ行ってしまうことになったんだから。こんな事、ルビィは望んでいないのに。

 

「そう……なんですか」

 

 ルビィは、もう果南さんに何も聞きませんでした。聞いても、悲しくなるだけだと思ったんです。原因が自分にあるなんて、予想も出来なかったから。

 どうすれば真哉さんはこっちに残ってくれるんだろう。ルビィが必死に引き止めたら? ルビィが頑張ることを止めたら? どれも間違っていると思います。そんな真哉さんをガッカリさせちゃうこと、したくないもん。

 でも、会えなくなってしまうのはもっと嫌だ。大好きな真哉さんと一緒にいたい。もっとお話したい。お出かけだってしたい。ずっとずっと……。

 偶然知ってしまった真実は、ルビィには重たすぎて。でも、それは自分ではどうすることも出来なくて。ルビィのカラダに、ズシンと重たいものがのし掛かる。頂上まで上りきれた達成感なんて、そんなものは感じることも出来ませんでした。疲れも重なって帰り道の足取りは重く、真哉さんとは一言も話さないまま、初日のトレーニングを終えたのです。

 

 




この先、結構視点入れ替わりがありますがご了承下さい。

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