朱に交われば紅くなる【完結】 作:9.21
更新の目処が経ったので、随時上げていきます!!
太陽は容赦なく地上を照りつけ、日中はセミのけたたましい鳴き声が響く。夏は、俺が最も嫌う季節だった。セミのコーラスは耳障りだし、年々外気温は上がるし、汗はダラダラだし。鬱陶しいことこの上ないからだ。
世間は夏休みに突入し、1年を通しても特に暑い日々が続いている。この時期はエアコンの効いた部屋で過ごすのが1番なのだが、外に出ないといけない時もある。そして、それが今日だった。
「……あちぃ」
エアコンのない生徒会室での仕事は、もはや苦行と言ってもいいレベル。そもそも仕事は下の学年に譲ったというのに、何でこうして呼ばれなきゃならないのか。
しかも仕事の手伝いかと思いきや、生徒会室の片付けて。確かに引き継ぎが終われば、生徒会室も明け渡すのが義務。だが、わざわざこんな日にやらなくてもいいだろう。かれこれ、1時間半は作業をしている。
「真哉さんしつこいです。私が数えてる限り、8回目ですわ」
「いーだろ、暑いんだから」
黒澤に
「心頭滅却すれば火もまた……ですわよ」
そういう黒澤も、さっきからタオルでしきりに汗を拭っている。いくら心頭滅却しても、暑いもんは暑い。自然の摂理だ。暑いとぼやいたところで、涼しくなるわけでもないが。
時間にして12時を回っている。片付けは終わりに近づいていた。俺と黒澤の2人しかいなかったが、そもそも生徒会室自体が狭いのであまり問題はない。暑いから面倒臭さが倍増しているだけである。
「ったく。このクソ暑い中、1・2年は練習してんのか?」
「そうですわね。ルビィ達のところも、今日はステージ練習だったはずですわ」
「ふーん……」
元気だなと、他人事のように黒澤の言葉を聞き流す。俺は1年の時も2年の時もクラス展示だったから、そういった経験は皆無だった。仮にステージ発表だったとしても、表だってステージに出ることはなかっただろうが。
他のクラスにさして興味はなかったが、黒澤の発した『ルビィ』という単語に俺の手は止まった。ルビィがダンス……か。いまいち想像しにくいが、興味がないと言えば嘘になる。
どんくさいルビィがとは思うが、ステージに出る以上はそれなりのレベルにするはず。いや、アレは『それなり』のレベルでは納得しないはず。ダメはダメなりに、影の努力で補っているに違いない。アイツは、そういう奴だ。
「見に行きますか?」
黒澤に先手をつかれたようで、俺は口をつぐんだ。興味が沸いたのも事実。帰り際に覗こうと思ったのも事実。だが先に言われてしまうと、何故か従いたくなかった。
それは俺の天の
「別に……。もう終わってるんじゃねえの?」
体育館は午前と午後で使用時間が分けられている。もう午前の使用時間は終わっているから、行ったところで徒労に終わる可能性の方が高い。
「終わってたとしても、話すだけでもいいでしょう。つべこべ言わずに行きますわよ」
「はぁ……分かった分かった。身支度するからちょっと待て」
思いの外、黒澤の諦めが悪く感じた。元々俺も行きたくない訳でもないし、ここは素直に折れておこう。俺は手提げ袋に自分の荷物を詰め込むと、急いで黒澤の後を追った。
それに、これはある意味チャンスだ。まだ練習を続けているならば、ルビィの頑張りを黒澤に知ってもらえる。コイツが妹をどう思っているか知らないが、少しでも見直す機会になってくれれば……。
そう考えると、俺の小さな意地なんてどうでも良くなった。歩調を早めて、俺は黒澤の隣に並ぶ。額に光る汗は気に留めず、俺たちは体育館へ急いだ。
★☆★☆★☆
体育館は生徒会室以上に蒸し暑く、天然のサウナと言っても大差なかった。入った瞬間迫る熱気に、俺は思わず顔をしかめる。ここにいるだけで熱中症になりそうだ。
中は閑散としており、ステージ発表の練習なんて到底やっているようには見えなかった。昼食時というのもあって、誰も体育館に残っていない。……ただ、1人を除いては。
静かだからこそ、そのステップ音は響いていた。少々不規則だが、それでもリズム良く刻まれている。赤のツーサイドアップを揺らしながら、ルビィは1人ステージで踊っていた。
「ルビィ……?」
「随分と熱心にやってるみたいだな」
黙々と自主練をするルビィは、俺たちが来たことに気付いていない。黒澤は、そんな妹の様子を見て驚いていた。必死に何かに打ち込むルビィの姿を見るのは、案外新鮮だったのだろうか。
俺は何度も見てきた。遠足の時、テストの時、そしてそれで挫けそうになった時。アイツは前だけを見て、進むことだけを考えている。今だってきっと―――。
それは他でもない姉に追い付き、見返すため。名家の次女という圧をはね除け、自分らしさを得るためだ。
「ですね。さすがは私の妹、ですわ」
黒澤は微かに微笑んでいた。厳しい表情が印象的なコイツにしては、少し珍しい気がする。優しく見守るような、そんな顔つきだ。
すると途端、ルビィの動きが止まったように見えた。それを知ってか否か、黒澤は体育館の出口へ向かって歩き出す。たったこれだけで良かったのだろうか。もっと見ないのか。俺は不思議に思い、黒澤を呼び止めた。
「なんだ、一声かけるんじゃなかったのか?」
「あの姿を見て安心しましたわ。あとは、本番までのお楽しみということにしておきます。真哉さん、私の分まで頼みますわ」
黒澤の顔が満足げに映る。それを見て、俺はもう引き止めるのを止めた。無理に引き止める必要はないし、その方がルビィのためにもなると思ったから。
何も知らない方が、今のルビィの決心は揺らがないだろう。本番でのアイツを黒澤は知りたがっているし、俺だって気になる。だったら、余計なことは言わない方がいい。
ルビィはまだこちらに気付いていない。黒澤が体育館から離れていくと同時に、俺はステージへと近づいていく。練習は終えたのか、ルビィは壁に寄りかかって座っていた。
「よう、ルビィ」
「あれっ、真哉さん? こんにちは」
俺に気づくと、ルビィは立ち上がってペコッとお辞儀をした。動いた後だからか、ルビィの顔は少し上気している。疲れているのだろう、肩で呼吸をしていた。
せっかく休んでいるのに、これでは申し訳ない。手を縦に振って、『いいから座ってろ』というハンドサインを送る。すると、ルビィは大人しくストンと床に腰を下ろした。俺もそれに倣うように、隣に座る。
「皆が終わってからも自主練か?」
「はい。ルビィ運動得意じゃないから、みんなに迷惑かけちゃうかなって……。みんなより下手な分、練習するしかないんです」
やっぱり自主練か。苦手の克服といえば簡単だが、それを行動に起こそうと思える奴は少ない。そして、それを実際に行動に起こせる奴はさらに少ない。
だから、コイツは偉大なんだ。当たり前を当たり前にやることがどれほど難しいのか。中3くらいにもなると、それを自分と重ねて考えるようになる。到底、俺には出来そうもない。
当の本人は、そんなことを思われているなんて露知らず。水筒を両手で持ち、くぴくぴと水分補給をしていた。
「あっ……」
「どした?」
「お水、無くなっちゃいました……」
差し出された水筒を受け取ると、中身は確かに空になっていた。このクソ暑い時期に、500mlの水筒ではそりゃあ足りないだろう。ましてや、運動後なのに。
「お茶で良かったらあるけど」
「え、本当ですか? エヘヘ、ありがとうございます」
俺は、自分のバッグの中から水筒を取り出す。今日の暑さを想定して、1リットルのを持ってきておいて良かった。それでも、中身は8割方なくなっているけど。
ルビィは蓋を開けて飲もうとするが、何ともその飲み方は妙だった。飲み口に口をつけず、口を開けて水筒を傾ける。何してんだコイツ。
「おい、そんな飲み方してると……」
「ら、らいじょうぶれ……っぷ!?」
ルビィにそんな器用な事が出来るはずもなく、案の定中身を溢した。俺が心配してたった数秒の出来事である。期待通りすぎて、ため息を通り越して変に安心してしまう始末。
全く、何が大丈夫なんだか。タオル出して正解だった。
「うえぇ、ビショビショだぁ……」
「出来もしないことするからだ。普通に飲め、普通に」
ルビィの溢したお茶は、顔はおろか体操服まで濡らしていた。俺は、持っていたタオルでルビィの顔を雑に拭う。さすがに体操服を触るのには抵抗があったので無視したが。
……まぁ、この暑さならすぐに乾くだろう。
「ふ、普通に飲んだらその……口が……」
「……問題か?」
「そんな事ないです!! ないです……けど」
ルビィの声は段々と小さくなっていった。飲み物をシェアするとき、口をつけるのを嫌う奴はいるにはいる。嫌じゃなかったら、何でダメなんだろうか。ルビィの場合、俺に気を使っているだけかもしれないが。
俺はあまりそういうのを気にしない性質だった。シェアするほどの仲にある奴なんて、小原くらいのもんだったし。アイツは間接とか気にしなかったから、俺も今まで気にしたことがなかった。
そういうもんだと考えていたから無意識だったが、ルビィの反応が普通なんだろうか。近しい女子がフレンドリー過ぎたから、感覚が麻痺してる。アイツとの正しい距離ってなんだ。
「……まぁいいよ。ダンス、順調なのか?」
ルビィから距離を1人分離して話題を変える。微妙な空気は、少しだけ紛れた気がした。
「はっ、はい。でもルビィ、体力ないから後半バテちゃって……」
深刻な悩みだ。遠足の時ですらバテていたから、ルビィが体力的に劣っているのは知っている。体力はすべてのスポーツの源。それは、ダンスにもいえることだろう。
「致命的だな」
「だから、夏休みは毎朝走ろうと思ってるんです。でも……」
「でも?」
言葉を詰まらせるルビィ。その表情は憂いていた。何か深刻な悩みでもあるのだろうか。もしかしたら、黒澤にダメだと言われた……とか。
もしそうならば、アイツを説得してでも納得させないと。せっかくルビィがやる気になっているのだ。それにさっきのアイツを見る限り、事情を話せば分かってくれるはず―――。
「その、ルビィ朝に弱くて……」
ギャグ漫画にありそうな効果音が聞こえそうなほどに、俺はずっこけた。なんだその理由は。黒澤全く関係ないじゃないか。
まぁ、黒澤が原因だと考えたのは俺の勝手として。黒澤自身も以前溢していたな、ルビィは起きるのが苦手だって。
「んなもん、黒澤にでも起こしてもらえばいいだろが」
「そ、それはそうなんですけど。あんまりお姉ちゃんに頼りすぎるのもどうかと思って……」
煮え切らないルビィの態度に、俺は頭を抱えた。口では穏やかに言っているが、要するに黒澤の手を借りたくないんだろう。その気持ちは分からなくもないが。
とはいえ早起き出来ないものは出来ない。こっそり黒澤に事情を説明したって意味がないし、とはいえ放っておくのもどうかと思うし。……俺が何とかするしかないんじゃねぇか。
「ったく……。1人適任者がいるから、ソイツに声かけてみる。明日の朝5時、家の前で待ってろ」
「えっ? は、はいっ!!」
ルビィの悩みを解消してくれる心当たりをたった1人だけ、俺は知っている。面倒見のいいアイツなら、快くルビィの頼みを引き受けてくれるだろう。
……ルビィが過労死する可能性もあるが、まぁ大丈夫だろ。多分。
「んじゃ、そろそろ帰るか。昼飯食いに行くけど、お前も来るか?」
「い、いいんですか? じゃあ、ご一緒させてくださいっ」
それでも、ルビィならめげずに頑張れるんじゃないかな。そんな根拠のない、でも確信めいたものがどこかにあった。コイツの頑張りの先に何があるのか、俺は知りたい。見てみたい。
あとでアイツに頼んでおくか、と予め個人チャットにメッセージを送っておく。……小原と違って、アイツ返信遅いからなぁ。大丈夫だろうか。
その時はその時か。いったん忘れよう。とりあえず、早いところこの天然サウナから抜けたかった。俺が荷物を持って出口に向かうと、ルビィもそれに倣って歩く。
俺たちの間隔は、人1人よりも少し近いくらいだった。手を差し出せばすぐに届きそうな距離。なるほど、それが
「真哉さん、どうかしました?」
「……っ!? い、いや……」
まさか気付かれているとは思わず、すぐに顔を進行方向に戻す。少しだけ、心臓が跳ねた。
「なんでもねぇよ」
「あっ、真哉さん待ってぇ!!」
苦し紛れの一言を残して、歩調を早める。少しだけ離れた距離は、ルビィが走り寄ったことで再び元に戻った。完全に、俺の歩調にルビィが合わせている。
細かいことを考えるのが面倒になり、俺は歩く速さを戻す。こんなアホな事考えるのは、きっとこのバカみたいな暑さのせいだ。今日の気温に言いがかりをつけて、俺たちは体育館を出る。
太陽は変わりなく、俺たちを手厚く出迎えてくれた。強い日射しに当てられて伸びる影が2つ。実際の俺たちは離れているのに、影2つはくっついているように見えた。それはもう、互いに寄り添っているかのように―――。
次は金曜日にあげますので、のんびりお待ち下さい。
ではでは~