朱に交われば紅くなる【完結】 作:9.21
「再提出だった、進路希望書を出しに来ました。確認お願いします」
ルビィと沼津に行った週明けの月曜日。俺は担任の先生に進路希望書を提出するため、昼休みの職員室へ足を運んでいた。
本来の期限からは、もう2週間ほど過ぎている。だが、その間で俺も多少考えを改めた。今回第一志望に書いた高校は、以前のように『近いから』なんて適当な理由で定めたんじゃない。
だが、そんな俺の考えを知るはずもない先生は顔をしかめる。なにせ俺が書いた高校は、静岡県内でも偏差値トップの高校だったから。
「……本当にここにするのか? 高望みしなければ、行ける高校はいくらでもあるぞ」
来るだろうな、とは思っていた言葉。無下にしているのではなく、俺の事を思っての忠告だというのは重々承知している。実際、その高校に行くまでには点数足りてないし。
志望校を決めたのは、あの日にルビィと別れてからすぐだった。思い立ったが吉日、鉄は熱いうちに打て。そんな言葉を意識したわけではないが、本当にすぐの行動だった。
「成績足りないのは分かってます。でも、もう……決めたんで」
「ふむ……」
先生はメガネをクイッと持ち上げ、俺の進路希望書に再び目を落とす。俺が先生に対してこういった事を言うのは珍しいからだろうか、少し困っているようにも見えた。
人の意見に合わせ、なるべく荒事を立てないようにしてきたから無理もない。自分の意思を通すために、人に対して反論をしたのなんていつ振りだろうな。
……まったく、この頑固さは誰のが
「分かった、受け取っておこう。あとは9月にあるオープンスクールで、学校の雰囲気を掴んでおきなさい」
「ありがとうございます」
先生が進路希望書を受け取ってくれて、自然と安堵の息が漏れた。この辺は、日頃の行いが良かったからということにしておこう。
職員室の時計を見ると、もう昼休み始まって10分が経過しようとしていた。あんまりのんびりしていると、後でくつろぐ時間が無くなってしまう。
クーラーの効いた部屋を早々に去るのは名残惜しいが、俺は足早に出入り口に向かう。そして、ドアに手をかけて引いた。外から流れ込んで来たのは、夏場特有の蒸し暑い空気。
だけでなく……
「ちょっ……2人とも押さないでください!!」
「うわっ!?」
「ワッツ!?」
「……そこで何してるお前ら」
順番に黒澤、松浦、小原の3人が職員室に雪崩れ込んできた。状況や黒澤のセリフから察するに、ドアに張り付いていたのだろうか。何してんだコイツら。
「べっ、別に何もしてませんわよ!?」
へー、何かしてたんだな。顔ひきつってるのと、ほくろ掻いてるので嘘バレバレだからな。
「そーそー!! 誰も真哉の事が気になったとかじゃないし!!」
うん、細かい事まで教えてくれてありがとう。隠そうとも出来てない松浦は、黒澤以下だな。バカめ。
「シンヤが進路希望書を書いたと聞いて、皆で見張りに来たのデース!!」
てめぇは隠す気0かよ。少しでも隠そうとしていた黒澤と松浦に謝れ。というか、なんでお前らに見張られなきゃいけないんだよ。
とりあえず、職員室で立ちっぱなしだと目立ってしまう。俺は慌てて3人を廊下に連れ出した。黒澤と松浦はバツの悪そうな顔をしているが、小原は相変わらずニコニコとしている。反省の色は、まるっきり見られない。
「……で、何で俺を見張る必要が?」
「シンヤがどこの高校に行くか、気になるじゃない。そしたら、偏差値トップのところ書いたからビックリしちゃって」
要するに、己の興味で動いたと。黒澤と松浦も否定しなかったところを見ると、コイツらも同罪と見ていいのか。
確かに驚かれる事かもしれない。ついこの間まで沼津市内の最寄りの高校を選んでいた奴が、いきなり志望校を変えたのだから。ちなみに、俺の志望校は静岡市内。それも、電車使って片道2時間弱という場所にある。
……この辺は、さすがに無計画に選びすぎたかもしれん。こんな無鉄砲さも、誰かさんのが伝染ったのかもな。
「そうかもな。言っとくけど、ヤケクソになった訳じゃねぇから」
「ふぅん。じゃあ、『誰の』せいなのかしらぁ~?」
そんな事は分かっていると言わんばかりに、小原は俺に尋ねる。相変わらず頬を緩ませて、ニヤニヤとした笑みを浮かべた顔で。
例え勘づかれているとしても、自分から正解は言う気はない。さらに弄られるのは目に見えているし、黒澤もいることだし。何より、こっ恥ずかしくて話せるかっての。
今日、進路希望書を担任に渡した。第一志望校を変えた方がいいのではと言われたが、『自分で決めたから』と意見した。最近の俺からすれば、大事件もいいとこだ。
その背景には、いつもアイツがいた。何にでも愚直に、ひた向きに生きているアイツが。対抗心ではないが、アイツを見ていると自然と活力が出てくる。今までの自分が何だったのか、分からなくなる。
……ホントおかしくなるんだよ、ルビィといると。
「先生にも言ったが、自分で決めたことだ」
俺はそれだけ言うと、小原の横を通りすぎる。これ以上問い詰められると、ボロが出そうだったから。卑怯かもしれないが、逃げるが勝ちって事で。
小原に言ったことは、決して嘘ではない。高校を選んだのも、真面目に考えようとしたのも、自分の判断であることには間違いない。ルビィの言動に影響されたのは、そこまでのプロセスだけ。
俺が引きこもっていた殻から出てくるように、アイツは意図せず促してくれた。殻を叩き壊すのではなく、俺自らを動かした。まるで、北風と太陽の話みたいだな。言うなれば、ルビィは太陽みたいなものだ。
「んもぅ……、意地っ張りねシンヤは」
小原の呟きが耳に残った。意地……か。
似たようなものはある。こんな活動的な自分が本当の自分なのかという戸惑いと共に、認めるべきなのかという謎の葛藤が。だが、それもまた自分で見つけるべきなんだろうな。
答えが出たら、真っ先にアイツに話したい。俺はこういう風に変わった、こう在りたいと思えるようになった……と。そして一言、ただ一言だけ伝えるんだ。
ありがとう……と。
★☆★☆★☆
教室まで戻ると、少々中が騒がしいように思えた。昼休みだから多少はうるさいものだろうが、廊下まで聞こえるほど騒ぐものだろうか。
疑問に思いながらドアを開けると、今度は俺たち4人に視線が集まった。一瞬だけ教室全体が静まり返ったが、何故かすぐに沸き立つ。また小原が何か仕組んだのかと思ったが、こればかりは関与してないようで。俺の後ろで疑問符を浮かべているのが、その証拠。
「帰ってきた!! 北谷くん、お迎えが来てるよぉ~」
クラスの女子が、何とも腹の立つ表情で俺に話しかける。なんか、小原に通ずる表情だ。危うく、コイツの頬をつまんで捻るところだった。さすがに小原以外の女子に手を上げる訳にはいかず、その気持ちをグッと堪える。
その女子の指差す方を見ると、教室の後方……というか俺の机に『ある意味』で見慣れた顔が。
そこにいたのは何故か弁当を持ってきている国木田――とその後ろに隠れて完全に怯えているルビィ。同学年の中でも小さいアイツらは、中学3年生の中にいると一層小さく見える。
……なんで教室が騒がしかったか、分かった気がする。
「で、どっちなの? てっきり鞠莉ちゃんなのかなって予想してたんだけど、まさか年下とはねー」
なんで小原の名前が出てくるんだか。確かによく話すけど、それは向こうの方が絡んでくるからだろ。それこそ、暴風雨みたいに激しく。
「どっちでもねぇよバカ」
満面の笑みを浮かべる女子を押し退け、教室の後方へと急ぐ。周りからは『彼女?』だとか『リア充くたばれ』とか、そんな声が聞こえる。うるさいお前ら。
ルビィは、俺が近づくと国木田の背中からひょこっと顔だけを出す。2歳年下の後輩というより、これではどちらかというとペットの子犬だ。
「はぁ……。進路希望書出すから、俺の事は気にするなっつったろーが」
「ご、ごめんなさい……」
ルビィがしゅんとしたのを見て、俺は慌てて咳払いをする。危ない危ない、また生徒会室での失敗を繰り返すところだった。すぐに悪態をつく癖は中々抜けない。
でも、まさか教室でずっと待ってるとは思わなかった。どこか嬉しい反面、恥ずかしさはその倍くらいある。クラスメイトの反応を見れば、今までの俺が如何に『そういう事』から疎遠だったか分かるだろう。
「まぁまぁ、シンヤと一緒が良かったんだからいいじゃない」
「む……」
俺がどう返すか悩んでいると、小原が横から助け船を出してくれた。変な横槍を入れることが多い小原だが、周りに目を配る事には秀でている。相変わらず、よく気の利くやつだ。
「あんまり時間もないし、ここで食べちゃいましょ。マリー達もご一緒していいかしら?」
異論を唱える者は誰一人としていない。俺たちは4人で机を6つ寄せ集めて、席を作った。机2つを互いに向き合うようにして、それを横に3つ並べる。まぁ、俗に言う『班の形』ってやつ。
にしても、奇妙な取り合わせである。3年生の男子1人に女子3人、そして1年生の女子2人。その異色と言わざるを得ない組み合わせは、教室内でも結構目立つ。
俺は端が好きなのでそこを取る。あとは、各々が好きなように席をとっていった。左隣にルビィが座り、正面に小原が座るといった配置だ。
「そうだ、聞いてください真哉さん!! 今日、クラスで文化祭の出し物について話し合いをしたんです」
「文化祭……そういえば、夏休み明けすぐだね。懐かしいなぁ」
弁当を食べ始めて早々に口を開いたのはルビィ。そして、それに答えたのが松浦だった。話題は文化祭の事らしい。
俺たちの中学では、文化祭を9月の夏休み明けすぐに行う。その準備期間として、夏休みを活用するというわけだ。ちなみに、その時期には生徒会の引き継ぎが終わっているので、俺たちは運営に一切関与しない事になっている。
「ルビィのクラスは確か、ステージ発表でしたわね。何をするんでしたっけ?」
3年生は受験があるために除外されるが、1・2年生はクラス単位で出し物を行う。クラス展示と、ステージ発表の2種類だ。基本的に自由に選べるが、ステージ発表が多かった場合はオーディションで選考されたりする。
公平を期すために、この選考は俺たち3年生がやったんだよな。各クラスの企画を見て、何がいいかを先生と相談して決めるという簡単なものだが。ルビィたちの1-2は確か……。
「創作ダンスずら」
俺が思い出す前に、国木田が答えてくれた。劇が多いなかで、創作ダンスというのは目を引くものがあった。そういった新鮮さも相まって、ステージ発表として選んだのを覚えている。もちろん、私情は挟んでいない。
「そういやそうだったな。お前も踊るのか?」
「は、はいっ。ちょっと恥ずかしいけど……自分で決めたことなんで!!」
ルビィは俺に強い眼差しを向け、そう宣言した。やっぱり、決心を固めた時のコイツは姉に通ずるものがあると思う。表の性格は全然違うが、やはり姉妹なんだな。
創作ダンスの他に、劇という案も出たには出たらしい。創作ダンスは全員参加だったはずだが、劇は裏方という役目もある。まず人前に慣れてないルビィなら、創作ダンスなんて案が出たら困惑しそうなもんだが。
だが意見が2つに割れた時、ルビィは創作ダンスに賛同したらしい。最終的には、多数決で決まった。そういった意味で、『自分で決めたこと』……か。
職員室での言葉も、誰かさんのが伝染ったってわけだ。
「あら、どこかで聞いたセリフね」
その言葉に気づいたのは、俺だけでなく小原も同じだったようで。小原は正面に座る俺を見て、何か言いたげな表情をしている。俺は慌てて目を逸らした。
……本当にコイツは無駄に鋭い。
「ふぇ? どういうことですか?」
自分の話だとはいざ知らず、ルビィはきょとんとした表情。のんきというか、何というか。まぁ、知られても俺が困るから、そのままでいてくれていいんだが。
「何でもねぇよ。……それより、頬に飯粒ついてんぞ」
「え、本当ですか!? えーと……」
意図せずして、話題が逸れてくれて良かった。にしても、頬にご飯粒とはまたドジな。中学生になってまで……と思ったが、ルビィなら別に驚かない。
ルビィは本来ついている方とは逆の頬を触る。普通気づくはずなのだが、そこはルビィ。『あれ?』なんて言いながら、一生懸命逆の頬を弄っている。
「逆だ逆。ったく、どんくさいなお前」
あまりにもじれったかったので、俺はルビィの頬についてた米粒を取って自分の口に運んだ。妹にもよくこんな事をしてたなぁとか、少し感傷的になりながら。
再び自分の弁当に戻ろうとしたが、何か視線が集まっているのを不意に感じた。ルビィ以外の4人だった。さっきまで談笑していた松浦や黒澤でさえ、こちらを見ている。
「オゥ、シンヤ……」
「真哉さん大胆ずらぁ……」
まず口を開いたのは、小原と国木田。小原にしては珍しく、何かに驚いたような表情だった。コイツらが何に驚いて、何が大胆なのかはイマイチ分からないが。
「は? 何が?」
言葉通りの疑問を俺は口にする。小原と国木田は、それを見てやれやれといった反応を見せるが。何がダメなんだ。
他の2人はというと松浦は苦笑いで、黒澤は……見なかった事にしよう。知らん。何か『無』の表情で黙りこくっている黒澤の顔なんて、誰も見ていない。
「いや、その、ほら……仲が良い分には構わないんだけどさ。そこまでやると……ね?」
言いにくそうに松浦が口を開いた。そこまでやるとと言われて、俺は隣のルビィの顔を見る。
ルビィは下を向いて、顔を赤く染めていた。時折こちらをチラッと見ては、目が合いそうになったら逸らす。間違いなく、今までとは違う反応。そして、やっぱり俺の
それを見て、俺はようやく自分の過ちに気付く。つまり、そういう事をしてしまったのだと。
「……あー。わ、わりぃ」
「い、いえ大丈夫です。そ、その……ありがとうございます」
ルビィの声は力なく、教室の喧騒にあっという間に消えていく。元気がない、というよりは何とか声を絞り出したと言った方が適切なんだろうか。それほどまでに、ルビィの顔は羞恥で満ちている。目は口ほどにものを言うとは、よく言ったもの。
そんなルビィを見て、俺はふと考え直した。コイツは、妹のようで妹ではないのだと。ただ似ていただけで、コイツは俺の妹と何にも関係はない。
ルビィはドジでマヌケで、でも芯は強くてどこか頑固なところもある俺の―――大切な後輩。妹の影を重ねるのは俺の勝手だが、妹にしていた事を当たり前のようにルビィにするのは、やっぱり問題なんだろう。……毎回こうなられても困るし。
どうしたものか、とふと視線を上げる。すると、季節柄有り得ないのに背筋に悪寒が走った。俺と目があったのは、ルビィの左隣に座っている人物。
―――未だに一言も発していない黒澤だった。
「……真哉さん、後でお話があります」
ニコニコと笑顔で言い寄る黒澤に、恐怖を覚える。心が笑ってない。何を言っているのかと思われるかもしれないが、本当に心が笑っていないのだ。
助け船を出してもらおうと正面の小原を見るが、駄目だった。黒澤と幼馴染であるはずの小原ですら驚愕の表情をしている。自分までとばっちり食らう事を察したのか、何も言ってくれない。
そうなったら、国木田と松浦に頼んでも尚更無駄なわけで……。
「あの、黒澤? 別に俺は何も―――」
「い・い・で・す・わ・ね?」
「あ、はい分かりました何かごめんなさい」
黒澤の気迫に押され、いつの間にか降伏していた。文句を言えば言うほど怖く、かつ面倒になるのは目に見えていたから。
昼食を食べ終えて1年2人を帰した後、俺は教室の隅の方で黒澤に問い詰められるハメになった。人前であんな真似をするもんではないとか、ルビィに変なことを教えるなとか。あとは、俺とルビィがどういう関係にあるのか……とか。
俺がいくら否定をしても質問を止めない黒澤は、もう何か形容したがい迫力だったのを覚えている。それはもう、モンスターペアレントが真っ青になるレベルで。
小原と松浦が黒澤を宥めて解放されるまで、その時間10分弱。妹を溺愛しているのは知っていたが、ここまでだとは正直思っていなかった。しばらくはルビィを1人の女子として対応した方がいいなと身に染みた、とある昼休みの出来事だった。
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