朱に交われば紅くなる【完結】 作:9.21
週末間近である金曜日の夕方は、心なしか街そのものが活気づいているように見える。理由は簡単。家に帰れば、土曜日・日曜日という休日が待ち受けているから。学生や社会人を問わずして、その顔は幾分か穏やかだ。
下校する学生や帰宅する社会人でごった返す沼津駅。俺は、そこにルビィを連れてきていた。中学校前のバス停からバスに揺られること数十分。自分達の家を通り越して、ちょっとした外出気分だ。
「うわぁ、人がいっぱい……」
「あんまりこっちには来ないのか?」
「は、はい。遠出はお姉ちゃんにダメって言われてるし、ルビィ1人だと迷子になっちゃうから……」
内浦からここまで来るのが『遠出』扱いなのか。前から薄々感じてはいたが、結構コイツは箱入り娘な気がする。まぁコイツはまだ12歳だし、そうでなくてもこんな性格だからな。閉じ込めたくなる気持ちも分かるが。
ルビィは周りを見てはおどおどし、些細な物音に対しても一々大袈裟に反応をして見せる。落ち着きのない奴だ。返って、こっちが目立っているまである。
……早く連れていった方がいいな。
「とりあえず、さっさと移動するぞルビ……おいルビィ?」
いつの間にか、すぐそばにいたルビィがいなくなっている。
あれ、おかしいな。ほんのさっきまで、目の前にいたのに……
「うぇぇぇぇぇん!! 真哉さぁぁぁぁん!!!!」
「……マジかよ」
俺のいた数メートル後ろで木霊する、ルビィの叫び声。人が連なっているせいもあってか、居場所が分かりゃしない。人波にもまれすぎだろアイツ……。なんでたった数分で迷子になれるんだよ。そりゃ黒澤も過保護になるわ。
人を掻き分けながら、俺は声のする方へ向かう。泣くな喚くな騒ぐな……と言いたいところだが、アイツは極度の人見知りであることを思い出す。早い段階で俺には慣れたせいか、失念しがちだけど。
「ほら、俺ならここにいる。恥ずかしいから泣くな」
「うぅっ、……っぐ。ご、ごめんなさい……」
ルビィを救出し、持っているハンカチで手早く顔を拭ってやる。人目がすっごく気になるけど、そんなものは気にしたら負けだ。何か、もうこれくらいは慣れた。
何とか落ち着かせ、さぁ今度こそ出発だ……と思いきや、ルビィがぴったりくっついて歩けない。ゴメン、さすがにこれは慣れてない。さりげなく引き剥がそうとするが、服の裾をガッチリ掴んで離そうとしない。
……コイツ、こんなに力強かったっけ。
「おい、そんなにくっつくな。歩けんだろうが」
「……やです。離れると怖いですもん」
「あのなぁ……」
珍しくルビィの聞き分けが悪い。こうなってしまったら、コイツは結構頑固だ。全く、そういう無駄なところは黒澤に似やがって。
両手で俺の制服の裾を掴んで離れないルビィ。そして、それに対して引き剥がそうとする俺。周りから見たら、何とまぁシュールな光景だろうか。駄々をこねているのが幼子ならまだしも、残念ながら2つ下の中学生。そりゃあ、嫌でも目立つ。
このままじゃ埒が明かない。俺は、少し力任せにルビィを引き剥がす。すると案の定、ルビィはまた泣きそうな表情になる。
一応、妥協案はあるんだからそんな顔すんな。
「……!? ぇ?」
俺はルビィの小さな手を握ると、自分のカラダの方へと引き寄せた。ちょうど俺の背中に張り付くようにしたため、ルビィの表情は分からない。だが、手から震えは伝わらないからこれで大丈夫なはず。
「ったく、これでいいだろ。放すなよ」
「……はい。エヘヘ」
ルビィは俺の手を強く握り返すと、少し引っ張られながらも俺についてくる。学校の外で、こうして連れ歩くのは初めての経験。嫌でも思い起こされるのは、懐かしい記憶だ。
2年前も、こうして手を引きながら駅を歩いた。目を離すとすぐに迷子になるから、しっかりと俺がリードしないといけなかったからだ。黒髪のツインテールを揺らしながら、妹は俺の後ろをついてきていた。コイツは、いつになったら俺の元を離れられるようになるんだろうな、なんて思いながら。
皮肉にも、その手が離れたのはあっという間だった。それも想像する限り、最も残酷な形で。だから今の状況と、どうしても影を重ねてしまう。ルビィの手を握る力が、自然と強くなってしまった。
ルビィはそれに反応するかのように、俺の手を強く握り返す。俺が振り返ると、少し顔を赤らめながらもルビィはどこか嬉しそうで。この表情は『あの』影とは被らない。俺の、知らない表情。
紅髪を
★☆★☆★☆
駅周辺の人混みが徐々に捌けだした一角に、その店はポツンと佇んでいた。前あったような大々的に広告は、店頭に出ていたりしていない。いや、以前来たときがおかしかったと言えばそれまでである。あの時は、今も語り継がれる『伝説』が生まれた年だったから。
「はわぁ……!! す、スゴい。スゴいですよ、真哉さん!!」
「だろ。東京のところと比べると小さいけどな」
俺がルビィを連れてきた場所は、スクールアイドルショップ―――といえば聞こえはいいだろうか。その実情は、店主の趣味を寄せ集めたに過ぎない小さな店。妹曰く『品揃えはすっごくいい。この店主さんは分かってるよ!!』だったらしいが。
ルビィもずいぶん興奮しているようで、カラダ全体で嬉しさを表現している。それはもう飛び跳ねたり、駆け回ったり。気に入ってもらえて良かった。
そしてその姿を見て、俺は再認識する。ルビィはやっぱりアイドルが大好きなんだということに。今までに見せたこともないような、歓喜と感動の混ざったような表情だ。
「なっ、中に入ってもいいですか!?」
「はいはい。好きなだけ見ろ」
ルビィは俺の許可を得ると、嬉々として店内の商品を漁る。これは珍しいものだとか、東北の有名なスクールアイドルのものだとか1人で盛り上がりながら。俺にはさっぱり分からない。
鼻息荒く、俺と店内を行ったり来たり。そして俺に自分のお気に入りグッズを見せては、さらに新しいものを持ってこようとする。俺の反応なんて二の次で、とにかくアイドルの事を話したくてしょうがないといった様子。
「見てください!! これルビィが大っ好きな子のブロマイドです!! あっ、昨年ラブライブで優勝したグループのグッズまである!?」
「……アイドル、好きなんだな」
「はい!! お家ではテレビ見れないから、夜にこっそり見てたりするんです。……たまに見つかって、怒られちゃいますけど」
「そか。その気持ちは、いつまでも忘れないようにな」
黒澤家は厳格な家庭だ。テレビは一部のチャンネルしか許されず、バラエティー番組やルビィの好きなアイドル番組なんてものは禁止されていると聞いた。
それでも、ルビィのアイドルに対する気持ちは強い。たとえ周りに縛られていようが、我を貫き通している。自分の好きなものには、決して嘘をつかない。
自ら殻に籠った自分とは、全くの正反対だった。妹を失ったショックで外からのあらゆる接触を遮断し、気付けば俺は何もかもを忘れていた。自分の好きなものも、かつて興味あったものも全て。
そして、最近思うようになった。無気力だから好きなものがないのではない。好きなものがないから、無気力なのだと。ルビィを見ていると、そんな自分が霞んで見える。
「へ……? どういう事ですか?」
「……言葉通りの意味だ。俺には好きなものとか、夢中になれる事とか、目標なんてものもないからな。お前はその……俺みたいにはなってほしくないっつーか」
だから、ルビィには俺みたいな
それならば、ルビィのような生き方の方がいいとまで思う。好きなものがあって、姉に認めてもらえるという目標さえもあって。自分がどうありたいか、というのを明確に持っているのが羨ましい。
「でも、お姉ちゃんにはそんなものを見ている暇があったらって……。今回のテストも点数取れなかったし、もっと勉強をする時間を増やさないと……」
だから、だからこそ。周りには流されてほしくない。素直なコイツの事だ。どこの誰かも知らないやつならいざ知らず、姉に言われたことならば実行しかねない。たとえ、それが自分の好きなものを禁止される事であっても。
ルビィがアイドルの事が大好きなのは、目に見えて明らか。それを塞いでまで学業に専念するべきか、と言われれば俺はそう思えない。元より、ルビィは家の習い事を全部止めた身だ。それはつまり、家に縛られる必要はないという事。
……俺に出来るのは、ルビィを俺とは真逆の道に歩ませることだ。その手助けをすることだ。
「この際だから断言するが……。そんな考えだと、黒澤には絶対に勝てない。いや、その前にギブアップするんじゃねえかな」
「そ、そんな!! ルビィはまだ頑張れます!! 絶対に諦めたりなんかしません!!!!」
「じゃあお前、明日からも毎日図書館で勉強しようと思うか? 思わないだろ?」
勉強するのが悪いとは言わないし、黒澤に追い付こうとする姿勢はむしろ伸ばすべき。だがその方法を違えては、ルビィにとってマイナスにしかならない。これは俺がひねくれてるとか抜きに、経験則からくる話。
学校の成績、こと勉強というものは生真面目な人間が必ずしも高いわけではない。一番いい例が徹夜勉強、一夜漬けというもの。とにかく勉強しよう、時間いっぱいやろうという考えが生む、一番効率の悪い勉強法である。
「う……」
「勉強だけが黒澤に認められる事じゃない。それは、多分お前だって分かってるはずだ。何でも闇雲にすればいいわけじゃない」
考えなしに努力すればいいなんて、そんなのは妄言だ。努力をしている人だって、しっかり考えた上で努力している。
それで結果がそぐわなければ、努力の『方法』を見直す。最重要なのは量ではない。量が多いに越したことはないのは、言うまでもないが。
だがこの辺の理屈は、まだルビィには早いだろう。
「じゃ、じゃあルビィはどうすればいいっていうんですか!! 闇雲に頑張るのがダメなら、どう頑張ればいいっていうんですか!!!!」
ルビィは涙を溜めながらも、俺に食って掛かる。あまり見たことのない、コイツの怒りにも似た表情。ルビィの今までの行いを否定してきたから、無理もない。
それほどまでに、ルビィは追い込まれているということ。でもその答えを知るのは、俺が伝えるのでは意味がない。
「それは、お前が考えろ。『何』を頑張りたいか、『どう』頑張りたいかを……な」
というよりは、俺でも分からないという方が正しいか。ルビィが何をしたいか、コイツの気持ちがどうであるかなんて分かりっこない。
だから、俺は考え方を提示するだけ。何も考えないのではなく、何かを考えさせるようにする。それだけでも、これからの過ごし方は違ってくると思うから。
「でもっ、そんなのんびりしていたら……」
「焦った結果が今回のテストだと思えばいいだろ。……ちょっと止まって考えるのも大事だ」
1番怖いのは、ルビィの視野が狭まる事だった。目標が高すぎるが故に、早々に方法を決めてしまうこと。そして、ただ闇雲に時間だけを浪費するような努力をすること。それは、黒澤ルビィという人間のアイデンティティを崩しかねない。
まだコイツは中学1年生。何か1つに集中して、他のものを犠牲にするなんて考えは早すぎる。それが、自分の好きなものならなおさら。
自分には何もないからこそ、ルビィに同じ道を歩んでほしくない。強いていうなら、ルビィの好きなもので姉を見返してほしいとまで思う。好きこそものの上手なれって言うし……な。
「……分かりました。もっとこれからの事、考えてみます」
ルビィは目尻に溜まっていた涙を拭うと、俺にそう言った。力強い目だ。エメラルドグリーンの瞳は強く輝いており、曇りはない。
こうなったときのルビィは、何だか強い気がする。根拠はないが、そう思えてくる。
「それで良し。……悪かったな、せっかく連れてきたのに呼び止めて。俺はここにいるから、気の済むまで物色してろ」
「は、はい!! 行ってきます!!!!」
言いたい事は言った。この先をどうするかは、ルビィ次第だ。どういう風に苦悩し、どういった結果を生み出すのか、僅かながら興味がある。それが良いように転ぶなら、またテスト前の時みたいに手助けをしてやってもいい。
ルビィはまたぱぁっと笑顔を咲かせると、店内に足早で戻っていった。これはまた長くなりそうだ。だが、楽しそうに物色するルビィを見ていると、不思議と嫌な気分にはならない。
「……俺も、そろそろ考えないといけないのかね」
そんなルビィを見て、俺は自分と比較する。あれだけの事を言えたのは、俺自身が何も出来なかったから。ルビィのように燻っている訳でもなく、現実から目を逸らしていただけ。
でも、現実と向き合わなければいけない時は来る。それは、受験生の宿命。脳裏によぎるのは、『もっと将来を真面目に考えろ』という担任の言葉。
立ち止まっただけの俺には、目標も夢もない。だが、それはいつしか自分の進路を決める上で必要不可欠になるものだ。だが、それをすぐに見つけるのも簡単ではない。
ならいっそのこと、高校の3年間を立ち止まって考える時間にするのはどうだろうか。それも最高の環境、ハイレベルな場所で。今の成績では少し心もとないが、アイツを見ていると無謀だと思う気にならない。不思議なものだ。
……本当に、不思議なものだ。
前話と同じですね。ルビィちゃんに言っていることは、必ずしも正しいとは限りませんので悪しからず