朱に交われば紅くなる【完結】   作:9.21

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報われない時もある

「こないだのテスト返すぞー。足立ー」

 

 生徒の断末魔が教室に響き渡る4限帯。初老の男性が1人1人名前を呼び、無造作にテストを返していく。それを受けとる生徒の表情は、まさに十人十色だった。

 予想以上の点数が取れてガッツポーズをする者もいれば、世界が終わったかのように絶望に顔を染める者まで。自分が当事者じゃなければ、さぞ面白い光景だったろうな。

 そして中には……

 

「ワォ、シンヤ見て!! 93点よ、93点!! 逆にするとサンキューね!!!!」

 

 こんな風に騒ぐ奴もいる。喚くな見せるな近寄るな。ドヤ顔で俺に答案を見せてくるのが、何とも鬱陶しい。39でサンキューとか、今時そこらの親父でも言わんぞ。

 とはいえ、小原は社会を昔から苦手としていたはず。それにも関わらず、93点という高得点を取るとは素直に感心する。黒澤達との勉強会の成果が出たんだろう。調子に乗るのが目に見えているので、思っても口に出して労うことはないが。

 

「はいはい、サンキューサンキュー。次俺だから、そこどいてくれ」

「ノンノン、シンヤ。正しくはThank youよ。舌を噛んでthって発音しないと。これだから、シンヤは……」

「テメェが最初にサンキューって言ったんだろうが。なぁ?」

「ノォー!? シンヤ、暴力反対!!」

 

 挙げ句の果てにわけの分からないことを言い出したので、俺は小原のこめかみをグーでグリグリと押さえつける。これに関しては、怒っても俺は悪くないと胸を張りたい。だって、イラッとしたし。その証拠に、クラスメイトは『またやってるよ』みたいな目を向けるだけ。

 ……よくある事なんだ。残念ながら。

 

「何やってる北谷。早く取りに来んか」

 

 先生に止められ、俺はその手を離した。そういや、出席番号で小原の次は俺だったか。自分のこめかみをさする小原を無視して、俺は答案を貰いに行く。

 そこそこ解けた気がするけど、前の小原が高得点だったからなぁ。少し不安ではある。さすがにアレより取れてる気はしないけど……お?

 

「んふふ~。シンヤどうしたの、固まっちゃってぇ~。まぁ、今回ばかりはマリーの方が……」

「残念、俺の勝ち」

「え、まさかそんな……満点!?」

 

 俺の答案には一切のピンが無く、丸で埋め尽くされている。最近では滅多に取ることのなかった、100点の文字がそこにはあった。

 勝てると思った小原は、俺の答案を凝視して固まる。少しは大人しくなったようで何よりだ。別段、これで威張り散らす気もないが。

 しかし、こればかりは自分でも驚いた。今回、特に気合いを入れて勉強したわけでもない。前より捗るなくらいには感じていたが、意図的に勉強量は増やしていない。今までは良くて90点前半とかだったのに、何があったのか。

 

「あら、真哉さん満点でしたの。これは負けましたわね」

「そういうダイヤは~……98点!? もう、2人とも嫌い!!!!」

 

 次に答案を受け取った黒澤が、そーっと俺の答案を覗く。1限帯からテストが返ってきているが、黒澤はずっと90点後半を連発。さすがというべきか、何というべきか……。これに加えて生徒会長の職をしたり、習い事をこなしているのだから化け物だ。

 俺と黒澤に負け、項垂れている小原は無視でいいだろう。何をそんなに躍起になってるんだか。

 

「別に、俺は誰かと点数を競っているつもりはないんだけど」

「そうは言いますが、今回はいつも以上に成績が良いではないですか。もっとこう……欲とか出ませんの?」

「出ないね。興味もない」

 

 周りからは想像されないだろうが、黒澤は案外負けず嫌い。些細な事でムキになり、勝負事に持ち込もうとする。とはいえ、自分が1番でないと気が済まない……という性質の悪いものではなく、これが黒澤本来の性格なのだろうが。

 だが、その勝負事に巻き込まれる気は到底ない。俺は黒澤みたいに高得点を取らないといけない理由があるわけでもないし、小原みたいに誰かに闘争心を燃やしているわけでもない。平たく言えば、必要以上に勉強をする理由がないのだ。

 理由がないから、意欲も無駄に沸くことはない。せいぜい、『将来困らないようにする』といった漠然としたものでしかない。それで現状上手くいってるから、変える必要もないと思うし。

 

「そんなだから、進路希望書を突き返されたりするんですよ? 高望みしなければ、行ける高校はいくらでもあるでしょうに」

「っ……親かお前は。大きなお世話だ」

 つい先日の出来事を話題に出され、俺は少し困った。担任の先生に、唯一俺だけが進路希望書を突き返された事を思い出す。何も考えず、最寄りの高校を選んだ結果である。

 先生には、『もっと将来を真面目に考えろ』と言われた。秋にはオープンスクールもある。そんな事を考えても、何も浮かばない。今のまま階段形式で大人になれればいいのに、なぜ受験なんてあるんだか。

 何かを変えようとするというのは、難しい事なんだと思う。目に見えるものだけでなく、自分の考え方のように見えないものですら。そんな難しい事をせず、上手くいくなら現状維持でいい……というのが本音。

 身近で、自分を変えようともがいている奴はいる。苦悩して、努力して、それでも腐らずに。理解は出来るが、感情移入は出来ない。俺とは真逆の存在だから。

 

「でもまぁ、真哉さんも努力はしているようですわね。点数が証明しています」

「別に、俺は大した事は……」

「結果を出す者は、皆努力をしているものです」

 

 黒澤が言うとどこか説得力があり、俺は納得せざるを得なかった。日々の努力を怠らず、黒澤家の長女として生きてきたからこその重み。

 だからこそ信じられない。今返された社会だけでなく、今回のテストはいつもより目に見えて成績が良い。先週末からは図書館でルビィの勉強を教えつつ、片手間に自分のをしていたというのにだ。むしろ、勉強時間は減っているはず。成績が下がっても、上がる要素はない。

 総合的に上がったということは、やっぱりテスト勉強が成功したということ。場所はいつも通り、勉強方法も特に変えてない。となったら要因は……まさかルビィの存在とでもいうのだろうか。それ以外に変わった事はないし。

 アイツに勉強を教えるため、自分の勉強時間が減るという事は危惧していた。だからいつもより集中出来た? それとも、もっと他の何かが……。

 

「まぁ、必ずしもそれが報われるとは限りませんが……」

 

 黒澤の言葉で我に返る。こうして話している間に、答案は出席番号の後半まで行き渡っているようだ。松浦が死にそうな目をして、こちらに寄ってくる。

 

「ふっ。気分はブルーだよ、ダイヤ……。まるで内浦の海みたいだね」

「言っている意味が分かりません。これはもっと勉強量を増やすべきですわね」

「ちょっ、ダイヤの鬼!! 悪魔!!」

「おだまらっしゃい!! 受験生だというのに赤点でどうするつもりですの!?」

 

 点数を盗み見して、俺は全てを察して何も言わなかった。申し訳ないが、今回ばかりは黒澤に同意だ。このままでは松浦の進学が危うい気がする。

 

 

 なんというか、テストの闇を見た気がした。努力が報われた小原や黒澤に対し、結果が出なかった松浦。社会は暗記が物を言う教科だから、付け焼き刃は通用しないというのもあるが、それを抜きにしても残酷な話だ。

 努力しても努力しても届かなかった場合、どうやって立ち直るんだろうか。ふと脳裏に、図書館で懸命にシャーペンを走らせていたアイツの姿がよぎる。俺が関心するほどに、アイツは猛勉強していた。

 姉を見返すと息巻いていたルビィは、ちゃんと成果を出せたんだろうか。自分のテストの結果よりも、そっちの方が気になって仕方がない。大丈夫だとは思いたいが、万が一結果が出なかったら。そして、それを姉に指摘されてしまったら。アイツは、また同じように頑張れるのだろうか。

 それを考えると、どうも不安になる。今の松浦の状態を笑う気になんて、とてもなれなかった。

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 

 結局、社会の授業はテストのやり直しだけで終わってしまった。といっても、俺は満点だったおかげでやり直しをする必要がなかったのだが。勝手に自習をこなしていたら、授業終了のチャイムが鳴っていた。

 さっきまでが4限帯だったため、今からは昼休み。俺はいつものように弁当を持ち出し、屋上へとやって来ていた。ドアを開けると、これまたいつものようにルビィと国木田の姿が。もはや日常と化している光景である。

 

「あっ、真哉さん来たずら」

「どうも……」

 

 国木田はともかく、ルビィの様子はいつも通りではなかった。端っこの方に体育座りで縮こまり、顔を沈ませている。それを、国木田が何とかして宥めているようにも見えた。

 とりあえず、ひと悶着あったと見てまず間違いないだろう。それにしてもルビィの表情は深刻で、随分と落ち込んでいる。いつも弱々しいルビィだが、今はそれに輪をかけた状態だ。

 

「……何かあったのか?」

 

 俺は恐る恐る尋ねる。嫌な予感がした。さっき懸念した事が起きているなんて、思いたくなかった。

 だが、ルビィの口から出たのは残酷な言葉。

 

「テスト……駄目だったんです。昨日もお姉ちゃんに答案を見せたら、『もっと努力なさい』って言われました。今日返ってきたのだって……」

「ルビィちゃんは頑張ってました!! 授業中も、授業の間の休憩も、お昼休みもずっとずっと勉強してたずら!! それこそ、マルも負けてられないって思うくらいに……」

 

 ルビィの表情から、何となく察してはいた。俺に対して、気まずそうにしていたからだ。さしずめ、勉強を教えてもらったのに申し訳ないといった具合だろうか。

 昨日までは、そこまで気落ちしていないように見えた。恐らく、今日で全てのテストが返し終えたのだろう。それで、その全ての答案が自分の予想以上に良くなかったと。

 

『結果を出す者は、皆努力をしているものです』

 

 黒澤の発言が過った。アイツの考えは、確かに的を射ている。努力をしたから結果を出せるのではない。結果を出したから努力が認められるのだと。

 ならば、結果を出せなかったら……。さらに努力を積み重ねるべきだと。先ほど、黒澤が松浦に対してそう言ったように。例え、それが嫌で嫌でたまらないものだとしても。

 ……果たして本当にそうだろうか。

 

「俺だって知ってる。だから、俺は別にルビィを責める気なんて最初からない」

「でも、ルビィは真哉さんの勉強の時間を奪ってまで……。花丸ちゃんのもだって……」

「俺の点数は下がってないから実害0だ。なぜか、むしろ上がった。お前は自分の心配をしろ」

 

 少し強めの口調で、俺はそう言った。最近はルビィへ対する口調に気を使っていたが、今回は敢えてやや強めた。そうでもしないと、コイツはずっと俺に対して遠慮し続けるから。いまは、そんな事が問題なのではない。

 ルビィの点数は芳しくなかった。それは、確かに単なる努力不足だったのかもしれない。あるいは、元々勉強が得意じゃないというのもある。だが、何かに向けて努力をしたという事だけは確か。今回のテストで前には進めてなくても、後ろに下がったという事だけは有り得ない。

 ……それに、コイツの努力は思わぬ『作用』があるらしい。

 

「し、真哉さん!! そんな言い方は……」

「国木田、お前だって同じじゃないのか? 点数、中間テストの時より良かっただろう?」

「ずらっ!? なんで分かったずら……」

 

 聞けば、学校がある時間帯でルビィに勉強を教えていたのは国木田だという。つまり、国木田もルビィに時間を割いたという意味では俺と共通。

 それにも関わらず、国木田も俺もむしろ点数を上げたのは何故か。理由は、国木田の発言に込められていたと俺は思う。

 ……そう、『負けてられない』という気持ち。ルビィを見て、国木田も俺もそう感じたという事だ。それは無意識のうちにやる気を働かせ、結果として点数アップになったと。

 ルビィの努力は、俺も国木田も目の当たりにした。こちらが教えたことを細かく書きとめ、凄まじい意欲で健気に頑張っている。そんな姿を見て、心が揺れ動かない人間はいない。俺が言うんだから、きっと間違いない。

 意図せず他人の心を動かせるなんて、そう簡単に出来ることじゃないじゃないか。これは天性の才能だ。

 

「ルビィは、やっぱり才能がないんでしょうか……」

 

 だが、そんな事に気付いたところで、根本的な問題は解決されない。ルビィが欲しいのは『結果』。姉に認められたいという欲望。俺の感じたことを話しても、多分コイツは満足しないだろう。

 別に、それが悪い事だとは思わない。何かをする動機なんて人それぞれだし、それに口出しするほど俺は偉くなんてない。

 だから、ちょっとだけ手助けをする。何も、勉強だけがルビィに出来る事ではない。他にも―――きっと道はあるはずだから。

 

「んなこと言ってないだろ。はぁ……ルビィ、今日の予定は?」

「え、えっと……。何もありませんが」

「じゃあ、放課後俺に付き合え。拒否権はない」

 

 今日は金曜日。すなわち、明日は学校がない。少しばかり放課後に寄り道したって、罰は当たらないだろう。

 あそこに行くのは、何年ぶりだろうか。少なくとも、アイツが死んでからは1度も行っていない。だから、2~3年くらいか。

 妹のお墨付きだった場所だ。きっと、ルビィだって気に入ってくれるはず。『好き』という気持ちを、ずっと忘れていないならば。ルビィが本当に、アイドルが好きならば。

 

「……連れてってやるよ、とっておきの場所に」

 




この辺の努力に関する論は、私の個人的な解釈が多分に含まれています。ですので、これが正しいとは限りません。ご了承下さい。

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