とある魔本と上条当麻 作:狸舌
「ッ、『エルセン』‼」
モチノキ町のはずれにあるすでに使われなくなった石材置き場。くり抜かれたかのようなその地形は辺りを囲むように掘削された崖に囲まれている。
その中で、銀の弓を構えた少女が呼吸を整えていた。
周囲に無造作に置かれた自動販売機ほどの大きさの岩へ、一瞬を逃さないよう視線を動かし続ける。
ほんの僅かに、地を蹴る音が響くと同時に、強く一度力を込めて銀の弓を引き絞り―――
少女から見て右。ひときわ巨大な岩の陰から、同じく岩のような肌を持つ巨大な犬が姿を現す。
一瞬目を細め、少女が矢を掴んでいた手を放せば、矢はその怪物の顎を貫き遥か遠くにある崖の上に着弾する。
貫かれたことに一瞬体を強張らせた怪物。だが、全く痛みが無いことに気付けばニヤリと口元に人間のような笑みを浮かべ勢いよく少女へと飛び掛かり
その体が、巨大な手に摘みあげられたかのように空中で止まる。
自身に起きた変化に必死に前足を動かすが、それは空しく空を切り一瞬の間をおいて勢いよく体が後方へ引っ張られる。
離れていく地面との距離は2m、5mと徐々に離れ、勢いよく飛んでいた体は
「ギャゥッ‼?」
石の壁へと叩きつけられる。思わず全身の力が抜け、続いて始まるのは重力による落下。
遥か下に見える地面に対し、痛む体は向け身をとる余裕はない。
ドチャッ‼という音が耳に入ると同時に術で強化された体とはいえ耐え切れない衝撃が魔物『ゴフレ』の意識を奪い去った。
「まだあんたは戦うつもりか?」
ゴフレの魔本の持ち主である青年は、気絶した自身のパートナーと眼前に立つ少年との間で視線をさ迷わせ
「っ、やってられるかよ‼クソが‼」
背中を向け、逃げる道を選ぶ。だが、
「本さえあればそいつが消えることはねえんだ‼わるいがこの場は―――」
「『エルセン』‼」
本を抱えた腕の中を、銀の光が通り抜ける。
次いで、ふわりと浮かんだ本は遠くに見える岩へと飛んでいき
「それで、まだあんたは戦うつもりか?」
背後に立つ少年から、再度同じ問いかけが繰り返された。
「まさか特訓の最中を狙われるなんてな。まだエルクだけしか使ってない状態でかかってきてくれて助かった」
「わたしたち馬鹿にされてたの‼なにが『人間にお遊戯させて楽しいか?』よ。わたしにだって攻撃は出来るし、エルクをかけたとうまのパンチは凄いんだから‼」
犬の怪物が飛ばしてきた岩の飛礫で上条が右肩に打撲を負った程度で、今回の戦いは負傷がほぼ無い。
敵が自分たちを舐めきっており、あまりにも簡単にエルセンに当たってくれたおかげであるが
「わたしの矢もあの犬をやっつけたのよ‼ねえとうま、わたし強くなってる!」
(とうまが怪我をしなかった!わたしが頑張れば、こうやって傷つけずに戦えるんだっ)
銀髪の少女の浮かれ具合は普段からは想像もできないほどである。
「ねえとうま、もうとうまは魔物の子に近づいちゃだめだよ。わたしももう戦えるんだから」
「っ、おいレイシア、あんまり急ぐと転んじまうぞ。・・・ったく、転んでも上条さんは助けませんよー」
はしゃぐ少女を上条もあえて止めようとは思わない。
どこか影を持っていた少女が陽気に笑っているのだ、むしろ喜ばしい事の様に思えていた。
帰り道にある小さなトンネル。
すでに辺りが薄暗くなり始めているため、やや視界に困るそこへと駆け足で入っていくアリシア。
今ぐらいは勝った喜びにはしゃいでも誰も責めないだろうと苦笑して
「―――――生ぬるいな。そんな考えでこの戦い、勝ち残れる筈もない」「ええ、そうね。・・・『レイス』」
レイシアの頭、その真横から黒い爪の生えた腕が伸びたのが上条には見えた。
「ッ、避けろレイシア‼」
間に合うはずもない。恐らく手から放たれたのだろう何かに押し出される様に浮かんだ少女の体は、さきほど彼らが倒した魔物と同じように壁へと叩きつけられた。
駆け寄るために足を動かし、止まる。
いつの間に接近したのか、一歩踏み込んだ上条の顔前に正確に合わせるように先ほど見えた手が迫り狙いをつけていた。
「大人しく本を渡せ。人間に用は無い」
それは黒い毛皮のようなものを纏った少年だった。黒い瞳に血の気のない肌。その体からは目では捉えられない圧のようなものを感じる。
(油断した。油断しすぎだ馬鹿が‼レイシアだけじゃねえ、俺も勝ちに気が緩んでたんじゃねえか‼)
「・・・待ちなさいブラゴ。この状況で攻撃を加える必要はないわ」
黒い少年の背後から姿を現すのは金色の髪に白いドレスを着た少女。
外国人である彼女は意外なほど流暢な言葉でこちらへ提案する
「本を渡しなさい。あなたたちではこの先の戦い、勝ち抜く事なんて出来やしない。どちらかが死ぬだけよ」
「っ、なんで今合ったばかりのアンタにそんなことが分かる。俺たちは今までだってこうして―――」
「さっきこの子が言った通りだからよ。生温いわ、さっきの会話からでもわかる。あなたは今まで体を張って魔物と対峙してきたのでしょう?でも、彼女はそれが嫌だった。だから、『もう魔物に近づかなくても良い』なんて話をした、・・・そんなところじゃないかしら」
ビクリ、と肩をすくませる様に、怯えた様に震えるのは一人の少女。
「もちろん、何も前に出て戦うのが正しいとは言わないわ。でもね、これは魔物とその『パートナー』の戦いなのよ。傷つく可能性のない人なんていない。絶対に傷つかないのはそうね・・・ただの観客とでも呼べばいいのかしら」
淡々と、そう口にする少女の言葉はどこまでも正しくそれでいて―――横たわる銀髪の少女の心へと突き刺さる。
(っ、わたしはただ、とうまに傷ついてほしくなかっただけ・・・でも、それは)
どちらかが傷つくだけの関係は果たしてパートナーと呼べるのか。本を唱えるだけの存在がパートナーだろうか。
お互いにお互いを庇いあい、逃げたあの夜は
逃げたくないと決意して、死ぬかもしれない賭けを信じてくれたあの時は
彼がパートナーだったから越えられたのではないだろうか。
グッ、と重い体に力を入れ、膝と手を汚れた地面へ着けながら立ち上がる。
(わたしは・・・間違っていたのかも。なら、とうまに謝らなきゃ、・・・嫌われて―――)
ゴッ‼と、鉄の塊が木に衝突したかのような強く重い音が響いた。
レイシアが恐る恐る上げた顔。その先で、上条の体が木の葉の様に吹き飛ばされていた。
呆気にとられたのは銀髪の少女だけではない。金髪の少女もまた驚きに目を見開いていた。
少年が跳んだのは彼女が術を唱えたからではない。
あの黒い少年が、ただの人間に対し振り抜くように拳を放ったのだ。
「っ、ブラゴ‼私は待ちなさいと言ったはずよ。そもそも、ただの人間に向かってあなたが手を振るうなんて」
責めるように口にするシェリーに対し、ブラゴは自分の右手を見下ろす。
(・・・どうして俺は拳を使った)
あの瞬間、少年は自分を殴ろうと腕を振りかぶり、揺らがず視線はこちらを射抜いていた。
ただの愚かな人間に拳を振るう価値は無い。
受け止めて、その弱い力を自覚させてやるのも悪くない。
だが―――――――
「・・・・これぐらいで、俺が倒れるかよ。なあ、レイシア・・・」
(立ち上がる・・・?ブラゴに殴られて、ただの人間の男の子が?)
ありえない。あの腕は巨木を折るだけの力を秘めているのだ。
では、彼が手加減をした?それこそありえない事だ。
一歩ずつ、少年はブラゴへと歩みを進める。
「・・・お前は、王になりたいなんて一言も言わないけどさ、俺はそれでもいいと思ってるんだ」
ついに、ブラゴの眼前に立つ少年。
よく見てみると内臓の一部が傷つけられたのか口元からは血を流しており、恐らく先ほどの一撃を庇ったのだろう左腕は不自然な向きに曲がっているようにも見える。
だが、彼の声は欠片も衰えない。
「俺はお前とまだ話したい。まだ、お前が何を好きで何が嫌いで・・・どんな過去があるのかもほとんど知らない。そんな状態で別れるなんて、納得できるわけねえだろうが‼」
今、彼が語り掛けるべきは目の前の少年でも、そのパートナーでもない。
彼のパートナーに語り掛ける。
「誰が正しいかなんて、俺にだって分からねえ。でも、こいつ等の言葉が正しいなんてこともそれこそ勝って王にならなきゃ分からねえじゃねえか」
「っ、とうま・・・」
「・・・『前に進みたい』って、いつも術を受けるたび伝わってきてるんだ。俺を言い訳にして逃げるんじゃねえ」
「わたしはっ、・・・わたし・・・」
「―――倒すぞ。コイツを倒さなきゃ前に進めないんだ」
「それでも・・・わたしのせいでとうまが傷つくのは嫌だよ・・・」
強く、ワンピースの裾を握りしめた少女が語るのは、未だ覚悟の足りていない弱い言葉。
「でも、・・・わたしもまだとうまと話したい。まだ、とうまの好きなこと、嫌なこと・・・好きな女の子のこともわたしは知らないから。だから、『わたしのために』、一緒に傷つきながら前に進んで欲しいっ」
なにも変わらない。きっとまだ覚悟は足りなくて、嫌われたくないから甘い選択をしてしまう。
だが、それでもいいのだ。傷ついてほしくないとただ庇いあうよりは、二人はほんの少しだけお互いの心を知れた気がした。
「・・・なにも解決していない気がするけれど?」
「いま解決する必要なんかねえよ。アンタ等を倒して、俺たちはまだいっしょに居たい。ただそれだけだ」
「なら、せめて私たちを退けるくらい出来なくては話にならないわ。・・・魔物の戦いはそんなに甘くは無いの」
一瞬、少女から強い何かを感じた気がした。
凄み。そう言い切ってしまうにはあまりに強く、そして決意に満ちたもの。
それを気にする間もなく上条の眼前に上げられるのは黒衣の少年の手のひら。不気味にこちらの中をのぞき込むようなその瞳は今も何を考えているのか分からない。
だが、それに怯えてやる道理もない。
「『エルク』‼」「『レイス』ッ‼」
上条の眼前で、膨れ上がる圧。余波だけで体を押し戻されそうな波動に対し、銀髪の少女へ見えるように右手を上げ、振りかぶる。
(力の正体は分からないが、見えない事から予想できるものもある筈だ。いつかの力と同じ風、とか・・・)
未だ分からないその力。だが、上条は躊躇うことなく拳を振るう。
銀に光る拳と、少年の手の先に収束した透明な力が衝突し、一拍置いて膨れ上がる様な力が上条の体を押し返そうとして
それでも上条は拳を振り切ろうと体を捻る。
銀の拳は圧による障害をものともせず、ブラゴの横顔を狙い
「勢いだけで乗り切れるわけが無いだろう」
トンッ、とブラゴの左腕がほんの僅かに上条の右肘をうち上げる。それだけで拳の軌道は逸れ、そして時間が来る。
膨れ上がる力が上条の体を完全に押し返し、その体は勢いよく後方へ倒れていく。
しかし、完全には倒れない。
いつの間に駆け付けたのだろうかその体を押さえるのは銀髪の少女で
「っ、いっつもとうまは跳ばされてるね」
今度は間に合った、と。その体を抱きしめるようにしっかりと受け止めた。
その光景に。金髪の少女は少しだけ、先ほどまでの彼らとはちがう何かを見つけた気がした。
彼らにあって、自分たちに無いものもある。そんなことを――――
「・・・ブラゴ、アレを使うわ」
「良いのか。あれほど殺すなと言ったのはお前だぞ」
「分からない。けれどそれが今の最善だと私は思うわ・・・。だって、あの子たち少し前に進んだらしいから」
「・・・お前」
ブラゴの視線が頬のあたりへ突き刺さるのを無視しながら、少女は黒い魔本を前方へ掲げる。
既に暗闇が満ちていた辺りを照らしきる様な光が魔本から漏れる。
それに呼応するように、ブラゴの右腕の先に巨大な力が球形に形成されていく。
放たれる余波だけで足元のアスファルトは削れ、周囲の景色すら歪んで見えるような錯覚を与える。
「さあ、紅の本の子とそのパートナー‼進めるものなら進んでみなさい‼――――『ギガノレイス』‼」
その力が解き放たれる瞬間、すでにブラゴは敵への興味を失っていた。それだけの絶対の自信が彼にはあったのだ。
だからこそ、興味を失いながらも少しだけ疑問に思った。
どうして奴らはこの力を前にして、最後の瞬間まで笑っていたのだろうかと。
本の力を強く込めたからだろうか黒色に染まった重力の塊は地面を砕き、空間を捻じ曲げながら全てを破壊していき――――‐
その中心を突き抜けるように銀の光が走った。
目を見開き、流石の反射で体を逸らすが完全には避けきれずその右手へ辺りパンッと・・・飛んできた矢は弾ける。
(ッ、まさか‼?)
重力の塊が、僅かに銀色に淡く輝けば、ゆっくりとその動きを止め
(ギガノ級の術を、引き寄せるだけの力があるのか‼?)
彼の右腕へとゆっくりと動き始める。
その光景に、ブラゴの表情は初めて屈辱に歪む。
自身の力への過信、それがこうして自分の術を攻撃手段として使われるという事態に繋がっている。
腕を振るい、重力球へと力の供給を断ち切れば、それは徐々に風船がしぼむように霧散していき
それを盾にする様に、黒髪の少年が姿を現す。
無言で、銀に輝く右腕を後方へ引き絞りながら迫ればすでに互いに拳を振るえば届く距離。
さきほどの様に技を使うには距離が近すぎる。
それほどの距離で、2人の拳が衝突した。
人間の拳と、魔物の拳。
だが拮抗したのは一瞬。銀の拳は黒い拳を跳ね除け―――――ブラゴの頬へ突き刺さった。
「ッ、・・・・‼」
だが、本来であれば魔力が続く限り突き進むはずの拳が速度を弛める。
地面へ足の指を食い込ませ、その場にとどまろうとするブラゴが押し通すための力を止めていた。
僅かな拮抗の後、地面を擦る様に後方へ弾かれた彼の頬からは血が流れ、その視線はただ静かに上条と・・・そしてレイシアを正面から見つめる。
「・・・生温い。心の力を込める量を誤るからこうして唯一の機会をふいにする」
二度、同じ手は通じない。距離を詰め、至近距離でギガノレイスを放てはそれで終わりだ。
いつでも対応できるように体勢を立て直した上条は、再度術を唱えようとして
「帰るわよブラゴ」
そう、音を立てて魔本を閉じながら口にしたのはシェリーであった。
「それと、また会いましょう紅の本の子たち」
少女はブラゴの顔をわずかな間見つめた後、背中を向け歩き始め―――‐その背を追う様に黒い少年が歩き出す。
呆気にとられながらも、上条たちはその背を見送る事しかできなかった。
呼び止め、再戦できると言えるほど自分たちに余裕がない事は痛いほどさきほどの攻防で実感していたからだ。
「っ、・・・心の力の量なんて簡単に言いやがって」
エルクの効果がきれ、ほぼ生身の拳で殴ったためか赤く腫れた拳がジンジンと痛む。
折れてないだろうなと息を吹きかける上条の首に、するりと白い腕がまわれば
「わたしたち、負けたのかな・・・とうま」
静かな声音でぽつりと少女が呟く。
「勝った、とは言えないだろうな。一泡吹かせた、ぐらいか」
「そっか」
そういえば、と少女は思う。
(だれかと勝負なんてあっちじゃしたことも無かった。だから、かな)
「ちょっと・・・・ほんとにちょっとだけど、いまわたし悔しいのかも」
少女は生まれて初めて、自分の中の悔しさに気付けた。
「それで、好きな女の子はいるの、とうま・・・?」
家の玄関を抜けた瞬間、レイシアはずっと家に帰るまで我慢していた言葉を口にする。
「えーっと、それは居るにしてもいないにしてもなかなか簡単には言えない内容だと思うのですが」
なんとなく、どう答えてもあまり良い方向には進まないだろうなと察知した上条はさっそく誤魔化しにかかるが
「このまえおんぶしてた長い黒髪の『みこふく』の女の子?」
なんにせよやぶ蛇だった。
「さて、ご飯食べる前に風呂掃除でもするか‼」
「あれ・・・?ねえとうま、もしかして聞こえてなかったの?」
ぐいぐいと体を寄せて問いかける少女から逃げるように風呂場へ駆け込めば
「それとも、とうまがお姉ちゃんの方を泣かせちゃった短い茶色い髪の双子の子?たしか名前はミサ――――――」
最近、ますます降りかかるようになった女難から逃げるように、音を立ててシャワーを浴槽へと当てはじめた。
エルセン「先輩、殴るだけならメリケンサック貸しますよ」
エルク「――――――――」