とある魔本と上条当麻 作:狸舌
蒼く光るような銀色の髪の少女が歯を食いしばりながら走る。
市街地の明かりが少女の髪を照らす程度には明かりは差すものの、彼女の周りは背の高い木々が囲い足元には太い根が這っている。
(っ・・・やっと明かりが見えた。人の要るところまで行けばきっと、あの子たちも目立つ行動は出来ないはず)
徐々に照らされる少女の髪は泥に塗れ、不規則に揺れるだけの左手の先からは赤い血が流れている。
表情から伝わるのは焦り、後悔、そして強い迷い。心の内を渦巻く熱い想いはあれど、弱く脆い心はすでに流されかけている。
血と泥で汚れた空色のワンピースの内側、黒い革のベルトで腹に巻き付けた紅の本を投げ捨ててしまえば少なくとも殺されることはないのだと。
切り傷だらけの手が本へ伸び、しかし小さく震えながらも離れていく。
(見返すんだから・・・、女王なんてどうでもいい。わたしはわたしの―――――)
ゴォッ!!と厚みのある何かが空気を押しのけるような音が響くと同時に、体のすぐ右側にあった木の幹が鈍い音を立ててくの字にへし折れていくのが視界に入る。
とっさに体を丸めながら大きく前へ跳ぶ。その背後から追いかけるように、木の破裂する音と砕け散った木片、そして見えない力の暴風が襲い掛かり小さな体を弾き飛ばす。
「ミハラ、心の力を込めすぎよ。せっかく術の試し撃ちができるのだから、長く楽しくしないともったいないわ」
「悪いな。まだ加減が分からないんだよなぁ、犬とか猫よりは硬いのは分かったから強くしたんだけどよ」
聞こえてきた愉悦を含んだ声に思わず痛みも無視して逃げ出したくなる。
地面に叩きつけられ肺から逃げ出した酸素を求めるように荒い呼吸が続く。背中から熱が逃げるように伝わっていくなにかは血液だろうか、感覚も鈍くそれすらも分からない。
痛みと悔しさからか、止まらない涙にゆがむ視界をなんとか確保しようと目を開け、おもわず力無い笑いを浮かべてしまう。
(・・・やっぱり、笑ってる。あの子たちもあの人たちみたいに・・・)
木々の間から差す光に照らされながら、黒髪の少女と青年が姿を現す。
小麦色の体のラインを隠すような白いコートの少女は、ギョロリとした目の東洋風の顔立ちの少年を見ながらも小さな手を銀髪の少女へ向けている。
それだけで体の動きは拘束される。それも当然であり、先ほどの力が放たれたのはこの小さな手で、そしてその力は少女の胴よりも太い木を簡単に圧し折ってしまうのだ。
詰み。先ほどの決意はすでに揺らぎ、震える手は再びお腹に――――魔本に伸びる。そして口から漏れるのは
「・・・わた、す。わたすからっ、もう―――――」「貴女、どうして走るのをやめたの?」
「え・・・」
「ねぇ、私が術を撃って貴女が逃げる。そんな遊びでしょう今のは?」
無邪気とは程遠い、相手の心を踏みにじる感触を感じているように頬を染めながら楽し気に少女は話す。
「術の使えない銀髪の子。魔界でもこうして遊んでたって噂できいてたの。ああ、嬉しい。最初に出会った子が貴女みたいな出来損ないで・・・。まあもちろん、どんな子でも私は勝っていたのでしょうけど」
出来損ない。その言葉に一瞬少女の心に空白が空く。今、体中にある傷が生むよりも強く、熱い痛みが心に生まれる。
(だめなのかな・・・。わたしが見返したいって思った気持ちも、すこしだけ・・すこしだけ女王様に憧れた気持ちも、わたしなんかが持ってちゃだめなのかな・・・)
「駄目でしょう」
心を読んだような言葉は、褐色の少女にそのような能力がある為ではない。彼女は魔界でも似たような顔を見たことがあるのだろう。
皆が目指す王。自分の夢という輝かしい到達点を目指す意思は薄弱で、恨みや悔しさから人を見返したいと思う後ろ向きな自分ではなく他人からの価値を求める不安定な夢を見る顔。
「私は女王になるわ。貴女みたいな出来損ないを王にしないために、あとはそうね・・・女王特権で魔界中の美味しいマカロンでもおなかいっぱい食べようかしら」
「ああ・・・、あああああああぁぁぁ!!」
気付いてしまった。確かに自分を傷つけ、否定するような言葉を放つ少女の言葉は
(でも・・・)
少なくとも自分の願いよりも前を向いていると。
うずくまりながら叫び、涙を流す彼女が視界に入っていないかのように青年が焦ったように声を出す。その手には暗さにより今まで目立ってはいなかったが緑色の本が握られている。
その本が、ギラギラと緑色の光を放ち始めていることに褐色の少女も気付き歓喜の表情を浮かべる。
「ケティ、なんだよこれ!こんな光、今まで・・・!」
「・・・ああ、私の気持ちに本も答えてくれるのね。開きなさいミハラ、新しい術よ」
(ここで、新しい呪文・・・)
もうどうしようもない。体から力が抜ける。諦める、もういいのだと思ってしまう。
新しい呪文で殺されるのか、魔本を燃やされて魔界へ送り返され、またあの生活に戻るのかそれはもう褐色の少女の手のひらの上で選択権は彼女に残っていない。
「なるほど・・・こうやって強くなりゃいいんだな。スライム倒してレベルアップ、中ボスまでにまたスライム探さねぇとな」
「その必要はないわ」
銀髪の少女に視線を合わせるように、しゃがみこみながら笑顔で口にする。
「逃がしてあげる。私は明日からまた貴女を追いかけるわ。だからもっともっと私を楽しませて、私に力をちょうだい?」
(また・・・。これじゃあ魔界と変わらない。わたしは・・・)
「でも、すこし追いやすいように体は痛めつけておいた方がいいわね。ミハラ、力加減を間違って魔本を千切り飛ばしたら許さないわよ」
「分かってるっての。犬に当てるレベルで良いんだろ」
鈍く、しかし強い光が緑の魔本から溢れ出す。あとは呪文を口にされてしまえば、再びあの力で吹き飛ばされるのは少女には分かってしまった。
頭や内臓に当たれば死ぬかもしれない。動きもせず感覚もない左腕に当たれば千切れ跳ぶかもしれない。
(なら、これで・・・いいのかも。魔本を盾にして・・・本が千切れたらきっと魔界に帰される)
あきらめた様に笑う少女から褐色の少女は数歩離れ、全てをあきらめた様な顔に満足する。そして確信する。逃げたとしてもこいつは必ず捕まえられる。
あの顔をする人間に幸運は降らない。似合うのは――――寄ってくるのは不幸のみ。
「それじゃあ・・・また会いましょう、すらいむさん?」
「―――――――――ジキルッ!」
「どうしたんだよ、ケティ。失敗しちゃいねぇだろ、生きてるし」
「そうね。そう・・・帰りましょう。また美味しいものを食べさせてちょうだい」
吹き飛ばされ、木に叩きつけられた少女を見つめていた褐色の少女は首を小さく振って青年と共に背を向ける。
力がその手から放たれた瞬間、諦めと絶望に濁り切った瞳に僅かに違う色が混ざった。
(それに・・・背中を向けた?)
逃げようとしたのかもしれない。足がもつれ、結果として背中が向いてしまったかもしれない。魔本が腹部に巻き付けられていた事を知っていた彼女からすると盾にするのが当然だと考えていた。
しかし、そこまで気付いていてもそこから先に彼女は気付けない。
彼女が知っている弱い者とは、嘆きながらも動かず痛みが通り過ぎるのを待つだけの存在なのだから。
彼女も主人公なので主人公不在では無いはず。